幼い頃、「無常の風が吹いて来ると人が死ぬ」と母は云つた。それから私は風が吹く度に無常の風ではないかと恐れ出した。私の家からは葬式が長い間出なかつた。それに、近頃になつて無常の風が私の家の中を吹き始めた。先づ、父が吹かれて死んだ。すると、母が死んだ。私は字が読める頃になると「無常」の風とは「無情」の風にちがひないと思ひ出した。所が「無情」は「無常」だと分ると、無常とは梵語で輪廻の意味だと云ふことも知り始めた。すればいづれ仏教の迷信的な説話にすぎないと高を括つて納まり出したのもその頃だ。その平安な期間が十年も続いて来た。もう私は無常の風が梵語であらうがなからうが全く恐くはなくなつてゐた。すると、父が急に骨になつた。それから私は母を引きとつて郊外に住まつてゐた。母は隣家の主婦と垣根越しに新しい友情を結び出した。暇さへあれば彼女は額に手をあてて樹の間から故郷の方を眺めてゐた。ある日、母は「アツ」と云つたまま死んでしまつた。一ヶ月たつた。隣家の主婦はもう垣根の傍に立たなくなつた。すると、彼女の家の人が来て、「母は今朝、アツと云ふと鍋を下げたまま死にました。」と云つた。全く私の母と隣家の母とは同じ死に様をしたのである。それから私はまた無常の風が気になり出した。確かにある。無常の風に吹きつけられると人の血管が破れるのにちがひないと思つた。私は中学時代から地貌と云ふことに興味を持つてゐた。私は旅行をするといつもその土地の岩質に眼をつけた。河原を歩いても砂礫の質の相違によつて河の支流の拡がりを感じるのが面白かつた。しかし今は地貌の隆起に心がひかれる。隆起の相違によつて気流に変化があるのは当然だからである。此の気流と生活と云ふことは余程親密な相関性を持つてゐる。殊に人間の運命とは特にいちじるしい関係があると私は思ふやうになつて来た。人間の意志は気流の為に屈折する。意志は直線形に進行する性情があるが、途中で方向を変化さすのは気流の力が多大である。この法則は私の独断だとは思はない。アメリカの或る地方では東風が吹くと殺人犯が激増するといふ。フエリオの犯罪学には殺人者が殺人をする際、気流の温度の相違によつて忽ち狂人に変化し、殺人が不可能となつて逃亡する実例を上げてある。私の家でも窓の相違で部屋の空気の中に一定の通路が生じ、通路を外れた箇所で碁を打つと後が長く続かずに直ぐ頭が疲れて来る。だが通路の中で碁を打つと客観性が無くなつて喧嘩碁ばかり打ち始める。その代りに頭がいつまでも続いて行く。家相学では家の東南に桃の木があると淫風が吹くと書いてあるが、淫風は風の吹く所には起らない風である。風の吹きまくる所で性慾は起りはしない。それはともかくとして無常の風は日本の地貌ではどのあたりから吹いて来る風かと考へると、もうここからは独断にならざるを得なくなる。とにかく乾燥した風だ。乾燥した風は窒素の加減で霊魂が放散し易いものらしい。塩分を含んだ風の中では人はさう容易く死ぬものではないと見える。それに乾燥した風は太陽のコロナと多大の関係を持つてゐる。コロナがまた太陽の黒点と著しい関係を持つてゐる。私は社会主義の布衍される地域がまた此の風の密度によつて非常に相違して行くものといつも思ふ。此の主義は風のやうに地貌とまた密接な関係を持つてゐる。地貌の運動作用、特に準平原の輪廻作用を思ふと私は社会主義者にならざるを得なくなる。ボルシエビイキの現状を見てゐても伊太利及び日本、英国、独逸の社会現象を見てゐてもその作用は地質学の造山運動と殆ど異る所がない。私は小説を書く男であるが小説の中で人間の運命を発展さす場合、いつも此の風と光線とが気にかかる。確に此の風と光線とは人間の意志と感情の発生及び発展に重大な必然的影響があると思ふ。此の風と光線とエヂプト、アツシリア、ペルー、印度、支那の文化の発達とを関連させて考へて見た場合、誰とてひそかな私のこのあられもない独断の楽しみを嗤ひはすまい。

底本:「日本の名随筆37 風」作品社
   1985(昭和60)年11月25日第1刷発行
底本の親本:「定本・横光利一全集 第一三巻」河出書房新社
   1982(昭和57)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2005年5月14日作成
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