経済学と科学が、少しく働いて多く得ることを教えると、人間の慾望はそれに拍車を加えて、ついには最も少しく働くか、或いは全く働かないで、最も多くをせしめるように増長して行こうとするのに、最も多くを働いて、最も少なく得ることに満足し、それを楽しんで生きて行くものがあるならば、それは奇特というよりは、馬鹿という部類のものに属すべきものの仕事でしょう。
ところが、与八の働きぶりというものがそれでした。
この男が、甲州有野村の藤原家の普請に参加してから、過失といっては、暴女王の残して行った悪女塚を崩したということのほかには過失が無く、仕事としては、ほとんど何人前か計上しきれないほどの仕事をしていることは、疑いがありません。
しかし、その仕事の多寡を計算して、労銀を払い渡すという時になると、与八はいない。いないのではない、姿が見えなくなるのです。この男は自分が何時間働いた上に、自分の持つ労力は常の人の何倍に当るから、これだけの労銀を与えられなければならぬということを主張した例がないから、与えられる時の元締の計算は、やっぱり普通一人前の人夫の計算にしかなりません。
でも、苦情も不平も出ないのは、当人がその分配の席にいないからです。それで、頭割りをする役割は、当人の主張の無いのに、当人に代って割増しを主張するほどの好意はないから、常人足並みの労銀が、組の者に托して与八に向って支給されて納まってしまうのです。
それにしても、一人や二人は、与八という特種人物の力量が抜群であって、仕事ぶりに蔭日向というものがないという点ぐらいは認めてやる者があってもよかろうと思われるが、それすら無いというのは、証跡がかくれてしまっているのです。
つまり、与八はその非凡な力量を以て、常人の幾倍に当る仕事をしていることは確実なのですが、その仕事は、蔭日向がないというよりは、蔭ばかりで日向が無い、日向ばかりで蔭が無い、というような仕事ぶりになっているからでありましょう。
彼は山で石材を運び、土を掘り、木の根を起すにしてからが、なるべく離れたところを選び、離れたところの人の面倒がるところに好んで食いつき、いつのまにかそれを綺麗に整理して置いて、他の人が処分するに最も都合のよいようにして置いて、人が来る時分には、もう自分は次なる根仕事にひとりコツコツいそしむという仕事ぶりを取っているから、当座の人は、与八の仕事の忠実なることは感得するけれども、忠実なる仕事の成績ぶりにはあまり注意を払わしめられないように出来ています。ただ一度、悪女塚を崩した時だけは、非凡な怪力を二三の者に示したけれど、それは当然見ていた二三の者に限り、それらの者も与八の怪力よりはむしろこの塚を築いた暴女王の後日の怒りのほどを怖れて、口をつぐんでしまったほどだから、与八の力量のことも、その辺で立消えになって伝わってはいないようになりました。
ただ、いつも眼につくことは、与八の背に負ったり、手を曳いたり、傍に立たせたり、休ませたりして置く一人の子供のことで、これをよく面倒を見ることの方が、いたく人の心を刺戟しました。見ると与八彼自身の子供とは思われないのです。そうかといって、他人の子供をあれほどまでに大事にするのも変なものだとは思われる。これには何ぞ仔細がありそうだという気はするが、それを聞咎めたり、調べ上げたりなんぞしようとする者は一人もなく、ただ、そういう光景を、そういう気持を以て眺めやるばかりのことでありました。
こんなような働きぶりで、与八は幾日かを、藤原家の改築の工事のために働いておりましたのです。
二
ところが、この与八の経済学を無視した働きぶりを認めずにはおられないものが、ここに一人現われました。
それは誰あろう、藤原家の当主の伊太夫以外の何人でもありません。
伊太夫は、絶えずとは言わないが、思い出したように工事の見廻りをする。その見廻りの都度に、経済学を無視した一人のデカ物があることを、どうしても認めずにはおられませんでした。
それとなく注意して見ていると、最も多く働いて、最も少なく得ることに甘んじて、そうして分配の時は姿を没し、曾て不平と不満とを主張したことのないのを、伊太夫がようやく認めました。
同時に、このデカ物は、自分の子とも、他人の子ともつかない、一人の子供を親切に養っていることを認めずにはおられません。それはこの工事のうちに、乳呑児を背負ってエンヤラヤアの地搗に来ているような女労働者も相当にないではないが、男の身で子供を連れて来ているのは、このデカ物に限っていることを認めずにはおられません。経済学を無視する行為を認める以前に、このデカ物と、そうして瘤附との異常な形体が、伊太夫の眼をそばだてしめたものでしょう。
それ以来、そのつもりで見ていると、見ているほど光り出して来るのが、このデカ物の働きぶりです――この男は経済学を無視している、分配の法則から飛び離れている。他の何事よりも経済学を無視しているということが、伊太夫にとっては不思議であり、驚異であり、無謀であることを感じずにはおられないらしい。何となれば、伊太夫の頭は、ほとんど全部が経済学から出立しているのです。
自分の家のすべての者が、自分に対して反き去っているということ、その反き去ってしまった結果として、惨憺たる家庭争議がついにこのたびの業火となって、家財、人命をも焼き亡ぼさずにはおかなくなった破局というものも、伊太夫の頭では、やっぱりもとはといえば経済学に根を持っているのだということを信ぜずにはおられません。
つまり、すべての禍の根元は、藤原家のこの財産にあるのだということは、何人よりも、深く伊太夫は観念しているのです。
前妻の子と後妻の子とに蟠りがあるのも、後妻とお銀様との間が火水のようになっているのも、本来、この藤原家の財産がさせる業なのだ、なんのかのというけれど、要するに人間は慾に出立している、慾が無ければ人間がないように、財産が無ければ藤原家はないのだ。家庭争議は忌わしいとは言いながら、先祖以来藤原家が、この国で並ぶものなき家柄に誇り得るのは、こうしてどんな災難があろうとも、災難は災難として、ひとたび自分が顎を動かしさえすれば、たちどころに幾千の人も集まり、幾倍の工事をも為し得るという力、その力に比例して、権勢名聞が周囲に及ぶというのも、一にこの財産ある故にこそである。
大まかに経済学とはいっても、伊太夫のは、佐藤信淵や、河村瑞軒あたりから得ている経済学ではなく、わが藤原家の祖先伝来の財産というものから割出している経済学なのですから、この私有財産あってこその経済学で、その私有財産を基礎としないことには、経済も、倫理も、道徳も、学問も、芸術も、総てが消失してしまうのです。そこで彼は藤原家の財産を損ぜぬ程度に於て、またいつか利息を含めて戻って来るという計算の上に於て、慈善のようなこともやり、贅沢のような金づかいもやりました。
自分の威勢といったところで、兵力を持っているわけではなく、官位を持っているわけでもない、家は古いには古いが、摂家清華というわけではない、人がつくもつかざるも、要するにこの財産の威力のさせる業なのだ。
伊太夫はそれがよくわかっているだけに、人を使うにも、人の慾を見ることに抜け目がないのです。少なく与えれば怨む、多く与えれば驕る、一時、威圧で抑えて、労銀以上の働きをさせても、能率や実際から見ると、それはいけない、安ければ安いようにどこかに仕事が抜いてある、やっぱり人を使うには少なく与えていかず、多く与え過ぎていかず、その辺が経済の上手と下手との分るるところだ――そういうような経済眼は発達しているから、少なくとも祖先以来の家産を減らさなければ、いやでも増殖させて行くことは測られないほどでありました。
この経済の蔭に、家庭のあの暗い影のあるのは望ましいことではないが、やむを得ないことだと腹にこらえてもいるのです。家庭の暗い影は、もとより望ましいことではないが、この暗い影のために藤原家というものを抛棄することができるか。それは藤原の宏大なる資産というものがなければ、一家親戚のこれに頼る心と、これを見る眼というものが消滅してしまうにきまっている。自然、暗い影はそこでサラリと解けるかもしれないが、藤原家というものが消滅して何の家庭争議だ。肉体を持つ人には病苦というものがある、病苦を除くために肉体を殺してしまえ、ばかな! そんな理窟や学問はどこにもない。
今日しも与八は、おひるの時分、いつものように大勢とは離れて、小高みになった藪蔭のところに竹樋を通した清水を掬いながら、握飯を郁太郎にも食べさせ、自分も食べていると、不意に後ろから人の足音があって、ガサガサッと藪の下萌が鳴る。
「あ! 旦那様」
と振返った与八が驚きました。自分の後ろに立っているのは、日頃見知りごしのこの家の主人、伊太夫その人でしたから、
「若衆、毎日御苦労だね」
伊太夫が一人足に向って、こんな会釈を賜わるほどのことは例外でありました。
「はい、はい、おかげさまで毎日、有難く働かせてもらっております」
「お前はほんとうによく働く」
杖をとめたなりで、伊太夫がちょっとその場を動こうとせぬのも、思いがけないことと言わなければなりません。
常ならば、番頭や書き役が附いて見廻りをなさるはずなのに、今は誰もついていないのみか、わざわざひとり、この藪をくぐって来られた態にも見えるし、与八に向って、特別に念入りの挨拶をすると共に、杖をとめているのは、何かまた特別に与八に話したいことがあるために、事にかこつけて、人目を避けてこれまで来たもののように見られないでもありません。
そこで与八も、大口をあいて無遠慮に握飯を頬張ることもなり兼ねていると、伊太夫が、
「若衆さん、お前さんはどこから来なすった」
今度はなお特別ていねいに、さん附けであります。与八は答えました、
「はい、はい、恵林寺の和尚様からのお引合せで、御当家様へ御厄介になることになりましたのでございます」
「おお、そうそう、忘れていた、慢心和尚からの御紹介のはお前さんだったか」
「はい、はい」
「生れはどこだね」
「武州の沢井というところでございます」
「そうかね――当分、こちらにいなさるか」
「こちら様の御用が済みましたらば、これからまた西の方へ旅をしてみようと思っているのでございます」
「西の方へ――西はどこへ」
「どこといって当てはございませんが……」
「当てが無い――」
伊太夫は、ちょっと面を曇らせて、与八と郁太郎とを等分に見おろしました。
「はい」
「当てがなければ、お前さん、当分わしのところにいてはどうだ」
「そりゃ御親切さまに有難うございますが、御用が済んだ上に、長く御厄介になっちゃあいられましねえ」
「用なんぞはいくらでもあるよ」
「はい」
「仕事なんぞはここにいくらでもある、この普請が終ったからといって、そうさっぱりと出て行かなくってならんというはずのものではない」
「そうおっしゃっていただくのはいよいよ有難うございますが、実は、わしたちも心願がございまして、諸国を巡ってみてえとこう思って出て参りました身の上でございます」
「そりゃ、諸国を巡ることは悪いとは言わないが、どうだ、もう少し、普請が終るとか、終らないとかいうような時をきめる必要はない、いやになる時節まで、わしがところにいてもらえないかな」
「はい」
与八は、伊太夫直々のこの好意に対して、何と返事をしていいかわからない。人を使うことも、人を信ずることもかなり厳密なこの大家の主人が、直々に、初対面といってよい与八に対して、こんな言葉を下し置かれるというのは、かなり異例であるということを与八はよく呑込んではいないで、どういうわけかこの主人が、自分に対して特別、好意を持っていてくれるということはよく分るのです。与八の明答に苦しむのを見て取ったかのように、伊太夫が言葉をつけ加えました、
「わしの家も、今こそこの通り混雑しているが、これが済んでしまった日には、ひっそりしてしまうのだ、雇人もかなりいるにはいるがね、急に、家中がにぎやかになるというわけにはいかないのだ」
与八は、なんだかこの言葉のうちに、痛々しいものがあるように思われてなりませんでした。
ああ、そうそう、そう言えば、この間の火事で、ここの奥様と、あととりの坊ちゃまが、焼け死んでしまわれたそうな。それに、一粒種のお嬢様というのが、一筋縄ではいかない方で、今、遠くの方へ旅をしておいでなさるとか。してみると、ここの御主人が寂しいとおっしゃるお心持も、ほぼお察し申すことができるようだ。
三
それから間もないこと、藤原家の番頭から別に話があって、与八はこの家の別扱いの雇人となりました。
臨時の人足として使われた男が、穀物庫の傍らの一室を給されて、この家の准家族のような待遇を与えられる身となりました。
与八としては、強いてこれを辞退もしなかったが、そうかといって、永くこの家の奉公人となりきるつもりはありませんでした。
だが、こうなっていることは、自分はとにかく、郁太郎の教育のためによいことだと思わずにはおられません。
ともかく、今までの相部屋と違い、自分としての一家一室が与えられることになると、与八は沢井を離れてから、はじめて居心地が落着いたのです。
郁太郎、どうしたものかこの子の発育が、肉体、知能ともに世間並みの子供より鈍いことは、与八も知らないではありませんが、それでも、もう四歳になった以上は、単に育てるだけではいけないということに気がつきました。
哺乳の世話だけは、もう卒業したようなものだから、それを教育の方に振向けなければならないと与八が感じて、夜なべに米を搗く傍ら、郁太郎を坐らせて、いろはを習わせることからはじめたのはこの時のことです。
与八は焼筆をこしらえて、郁太郎のために板切れへ「いろは」を書かせることを教えながら、自分は地殻を踏んで米を搗いている。燈明皿の燈心は、教師である与八と、教え子である郁太郎との間を照して余りある光を与えておりました。
今晩は雨が降り出している。与八と郁太郎の師弟が、例によってこの雨夜を教育に耽りはじめているところへ、フト外から訪れる客がありました。
「与八」
「はい」
与八は直ちに、訪れて来た客人が、藤原家の当主の伊太夫であるということを知りました。
伊太夫が蛇の目の傘を土間と戸の桟との間に立てかけ、合羽を脱ぎかけているのは、わざわざここを訪れるために雨具を用意して来たのか、或いは他を訪れたついでにここへ立寄ったのか。それにしてはともがついていないのみか、自身、包みをぶらさげて来ている。
「これははあ、旦那様」
与八は恐縮して、地殻つきから下りて来ました。郁太郎は、この来客にちょっと目をくれただけで、しきりに板の上へ焼筆をのたくらせている。
「与八、どうだ、お前ひとつ、お茶をいれてくれないか」
合羽を脱ぎ終った伊太夫は、自身携えて来た包みを取りおろして炉辺に置きながら、自分はもうその炉辺に坐りこんでしまいました。
「旦那様、まあ、お敷きなさいまし」
と言って、与八は有合せのゴザを取ってすすめます。
「今夜は雨も降るし、静かな晩だから、お前と一話ししようと思ってやって来たよ」
してみると伊太夫は、他家への帰りにここへ立寄ったものではなく、雨の夜を、わざわざ合羽傘で、ここへ話しに来ることを目的として来たものに相違ありません。
何してもそれは与八として光栄でもあり、恐縮でもないはずはありません。
米搗きはそのままにして、与八は自在の鉄瓶を下へ卸し、火を焚きつけにかかりました。
伊太夫は、抱えて来た包みを解いて、また別の一つの箱を取り出しました。その箱には煎茶の道具が簡単に揃えてあるし、お茶菓子も相当に用意して来てあるようです。
やがて湯が沸くと、主人伊太夫が手ずから茶を立てました。
茶を立てたといったところで、なにも与八のためにお手前を見せに来たわけではないから、持参の茶器へ、普通に民家でする通りお茶ッ葉とお湯を入れて、飲みもし、飲ませもしようという寸法だけのものです。
「さあ、お茶をおあがり、お菓子を一つお抓み。その子供さんにもおあげ」
ちょうど、この場合、主客が顛倒したように、伊太夫が二人をもてなすような席になりました。
「有難うございます、そりゃ、勿体ねえことでございます、郁坊や……ではこのお菓子を頂戴しな」
郁太郎に菓子をすすめようとしたが、この子はそれを食べようとしないで、暫くじっとながめている。
与八は与えられたお茶を推し戴いて飲み、伊太夫も旨そうにそれを味わいました。
こうして二人の話に、しんみりと雨夜の会話が進むことの機会が熟して行く。
「与八、今夜は、心ゆくばかり、お前の身の上話が聞きたいのだ」
四
この晩、伊太夫が、与八と打解けての会話の結果は、与八には特に附け加えるものはなかったが、伊太夫にとっては、それは自分とは全く方法を別にし、主義を異にした新しい一つの生き方をいきている人のあるということを、つくづくと知ることができました。
すなわち、自分というものは、有り余る財産というものに生きているのだが、世間には、それと反して、全く無所有の生活にいきて行く人と、またいき得るものだという実際上の知識でありました。
無所有には怖るるところは無いという論理は、伊太夫にも相当よくのみ込めます。無所有なるが故に、求めらるるところがなく、また無所有を生命とすれば、求むるところなくして生きて行けるという事実は承認できます。
だが、それだけのものです。それは一つの奇妙なる実例として、伊太夫にはながめられるだけで、自分がその生活に飛び込もうとか、そうすることが本当の生き方であったと、解悟したわけでもなんでもないのです。
ですけれども、与八と話をすることが、伊太夫にとっては無上の興味でありました。自分にとって、命令すべき相手はあるが、相談をすべき相手というものは、伊太夫にとっては今日まで無かったのでした。心置きなく話そうとすれば、直ぐにその心置きないところに附け込もうとするもののみです。教えようとすれば、かえっていじけるもののみでした。
全く打解けて憚りなく話のできる相手というものを、この年になって伊太夫は、はじめて与八に於て発見し得たと言ってもよいでしょう。そこで、一日増しに与八というものが、伊太夫の生活に無くてならないものになりつつゆくのを、伊太夫自身も如何ともし難いらしいが、与八に於ては、特にそういった意味で、伊太夫から選ばれているともなんとも思ってはいません。
伊太夫はついに、この男を放すまいと決心してしまいました。
永久にこのデカ物を藤原の家に置きたいものだ、だが、当人の志というものは本来そこにあるのではないことをよく知っている。これから西へ向いて行って諸国の霊場巡りをするのだという希望のほどをよく知っている。何という名目と、誘惑で、この男を引きとめようか。伊太夫はこのごろ、こんなことまで苦心するようになりました。
与八の方では、そんな苦心や、好意だか慾望だか知らない伊太夫の心のうちには気がつきません――もうほどなく、この家をお暇乞いしようと心仕度をしています。
そのうちの、ある晩、伊太夫が与八を訪れて、ハッキリとこういうことを発言しました、
「与八さん、変なことを言うようだが、お前と、それから郁太郎さんと二人、わしの家の養子になって、永久にここの家にいてくれまいか」
「え」
与八も、これには多少驚かされましたが、伊太夫は真剣でした。
「お前さんの身の上も、郁太郎さんの生立ちもよくわかりました、そこで、わしはお前に頼みたいのだが、どうです、二人一緒にわしの家の養子になって、この家にとどまってはくれまいか」
「そりゃあ、どうも……」
と、さすがの与八も、即答のできないのは当然です。
伊太夫は、いよいよ真剣でつづけました、
「わしの家には、あととりがない、親類もあるにはあるが……これに譲ろうというのは一人もない。与八さん、お前は、お前としての心願もあることだろうが、どうだろう、お前さんにその心がなければ、この郁坊を、わしに養子としてくれるわけにはいくまいか?」
「そりゃ、どうも……」
与八は、やっぱり目をパチパチしている。
「さあ、それが、おたがいの幸福になるか、不幸になるかわからないけれど、これでも、わしは、この頃中、考えに考えぬいてこのことを言いに来たのだ、わしはお前のほかに頼もしい人を知らない、お前を後見として、この郁太郎さんという子に藤原家をそっくり嗣いでもらいたいものだ――わしが、これを言い出すからには、相当に深い決心をしている」
五
宇治山田の米友は、尾州清洲の山吹御殿の前の泉水堀の前へ車を据えて、その堀の中でしきりに洗濯を試みているのであります。
その洗濯というのは余の物ではない、彼は、今、泉水堀の前に引据えた檻車の中から一頭の熊を引き出して、それの五体をしきりに洗ってやっているのであります。
この熊の来歴たるや事新しく説明するまでもない。とにかく、米友はこの熊を洗ってやることに、会心と、念力とを打込んでいる。
「もっと、おとなしくしてろ、そんなに動くもんじゃねえや」
米友が親切を尽すほどに、子熊がそれを受けていないことは相変らずで、食事から、尻の世話までも米友にさせて、今はこうして気の短い米友に、甘んじて三助の役目をさせながら、性も感もないこの動物は、これを感謝せざるのみか、洗われることを嫌がって、米友の手を離れたがるのであります。
「ちぇッ――手前という奴は、てんからムクとは育ちが違っていやがらあ」
米友は思わずこの世話焼かせ者の、恩知らずの動物に、浩歎の叫びを発しました。
事実、米友がこの子熊を愛するのは、熊そのものを愛するのではない、熊によって彼は自分の無二の愛友であったムク犬のことをしのべばこそ、どんな艱難辛苦を加えようとも、この動物と行程を共にしようとの気持になったのであります。
しかるに、形こそムク犬を髣髴するものがあれ、その心術に至っては、雪と墨と言おうか、月と泥と言おうか、ほとほと呆れ返るばかりであるのです。
全く同じ四肢動物ではありながら、ムク犬と、この子熊とは育ちが違う、育ちだけではない、氏が違うと言って、先天的に平民平等観の軌道を歩ませられている米友さえが、氏と育ちとの実際教育をしみじみと味わわせられ、子熊の度すべからざるを知るごとに、ムクの雄大なるを回想せずにはおられない。といって、米友は、ムクの雄大なるを回想することによって、この熊の不検束に呆れ歎きこそすれ、まだこれに愛想をつかしているわけではないのです。愛想をつかしていないのみならず、この熊めがふしだらであればあるほど、そこに幾分憐憫の情を加えて、
「なあに、こいつだってなんしろまだ子供のことだから、丹精して、うまく仕込んで行きさえすりゃあ、立派なムクのあと嗣ぎにならねえとも限らねえわさ、今、朝顔を作ればといって、丹精一つのものだあな」
と呟いています。今ここで米友が朝顔を引合いに出したのはどういう縁故かよくわかりませんが、どこまでも被教育者そのものに責任を置かず、あらゆるものに向って、教育だの、陶冶だのということの可能性を信じているのであります。従って、しつけの悪いのは、躾けられる方の咎ではなくて、躾ける方の力の如何にあるということを信じているらしいから、そこでさしも短気な米友が、頭の上から尻の世話まで焼いて、その親切がてんで受けつけられないに拘らず、未だ曾てこの動物に向って絶望を投げつけたことのないのでわかります。
かかる親切と信念の下に、米友ほどの豪傑に三助の役を勤めさせながら、それを恩にも威にも着ないこの動物は、
「兄い、もういいかげんでいいやな、そんなにめかしたって誰もかまっちゃくれねえんだ、それよりか、おいらを少しの間でもいいから野放しにしてくんな、あんなに広い原っぱがあるじゃねえか、あれ見な、あの森には真紅な柿の実がなっているよ、栗も笑んでらあな、ちっとばかり放して遊ばせてくんなよ」
こういうような我儘で、米友の親切を振りもぎりたがって暴れているのみであります。
けれども、米友は、親としても、師としても、左様な駄々っ児ぶりは許すべき限りでないと、あがく熊を抑えつけては、ごしごしと五体を洗濯してやっています。
六
かくして宇治山田の米友は、熊を洗うことに打ちこんで総てを忘れてはいるが、実はそれと相距ること遠からざるところに、熊よりも一層忘れてはならない相手のあるのを忘れていました。
枇杷島橋の上で、ファッショイ連を相手に、さしも武勇をふるった道庵先生が、ここは尾州清洲の古城址のあたりに来ると、打って変って全く別人のように、そこらあたりをさまようて、古えを懐い、今を考えて、徘徊顧望、去りやらぬ風情に、これも自身我を忘れているのでありました。
道庵先生の真骨頂は、平民に同情することと共に、英雄に憧るるところにある。さればにや、日頃は十八文を標榜して、天子呼び来れども、船に上らず、なんてたわごとを言っているに拘らず、日本の英雄の総本山たる尾張の地に来て見れば、英雄の去りにし跡のあまりに荒涼たるに涙を流し、なけなしの旅費をはたいて英雄祭の施主となって、ために官辺の誤解を蒙ることをさえ辞さぬ勇気があるのであります。
さほどの義心侠血に燃ゆるわが道庵先生が、名古屋よりはいっそう懐古的であり、ある意味に於ては、天才信長の真の発祥地であるところのこの尾州清洲の地に来て、城春だか秋だか知らないが、葉の青黄いろくなっているのを見て、涙おさえ難くなるのも無理はありません。
くどいようだが、銀杏城外の中村では、英雄豊太閤の臍の緒のために万斛の熱涙を捧げた先生が、今その豊太閤の生みの親であり、日本の武将、政治家の中の最も天才であり、同時に最大革命家であるところの織田信長の昔を懐うて、泣かないはずはありません。
そこで、道庵先生は今し(米友及び熊の子と程遠からぬ地点)清洲の古城址の内外を、やたらむやみに歩いております。歩きながらブツブツとしきりに独言を言っているのであります。
見ようによっては、それはまさしく狂人の沙汰です。ついに、土地の甲乙丙丁はいつしか集まり集まって道庵先生の挙動に眼をとめつつ指差し合って、しきりに私語くのを見る、
「どうもあの旅の人は少し変だ――あんな原っぱの中を独言を言いながら、さいぜんから行きつ戻りつして、時々はっはと言ってみたり、石を叩いたり、木を撫でたり、おめき叫んだりしている――様子が変だ、キ印ではねえか」
物事は、当人が凝れば凝るほど、信ずれば信ずるほど、凡俗が見て以て狂となし、愚となすのは争われ難いもので、この場合の道庵先生としては、平常より一層の真面目と熱心とを以て、懐古と考証とに耽っているので、世上の紛々たる毀誉の如きは、あえて最初から慈姑の頭の上には置いていないのです。
すなわち先生がブツブツとひとり言を言っているのは、織田信長勃興の地であり、信長が光秀に殺されてから前田玄以法師が三法師を抱いてこれに居り、信雄が秀吉と戦ったのもこの城により、後、秀次の城邑となり――関ヶ原の時にはしかじか、後、福島正則が封ぜられ、家康の第四子忠吉より義直に至って――この城を名古屋に移すまでの治乱興廃を考え、従って五条川がここを流れ、天守台はあの辺でなければならぬ、斯波氏のいたのをこの辺とすれば御薗は当然あれであり、植木屋敷があの辺とすれば山吹御所はこの辺でなければならぬ、ここに大手があって、あちらに廓がある。翻って城下の形勢を観察すると、ここがやっぱり昔の往還になっていわゆる須賀口というやつは、今、田圃になっている。
酒は酒屋に
よい茶は茶屋に
女郎は清洲の須賀口に
そうだ、それから考えてみると、出雲の阿国がしゃなりしゃなりと静かに乗込んで、戦国大名に涎を流させたのはこのところだ。よい茶は茶屋に
女郎は清洲の須賀口に
須賀口から熱田の方へ行く道に「義元塚」というのがあるから、ついでがあらば弔ってやって下さいとお茶坊主が言った――義元といえば哀れなものさ、小冠者信長に名を成させたも彼が油断の故にこそ、信長が無かりさえすれば、武田よりも、上杉よりも、毛利よりも、誰よりも先に旗を都に押立てたものは彼だろう。家柄だって彼等よりずっと上だからな。そうなると信長はもとより、勝家も、秀吉も、頭を上げるこたあできねえ、人間万事、夢のようなものさ。そういえばそれ、この城から桶狭間へ向けて進発する時の、小冠者信長の当時の心境を思わなけりゃあならねえ。
人間五十年、化転の内を較ぶれば、夢幻の如くなり
ひとたび生をうけ、滅せぬもののあるべきか
世間並みのやり手は、芝居がかりで世間を欺くが、信長ときてはお能がかりだ。ひとたび生をうけ、滅せぬもののあるべきか
人間五十年、化転の内を較ぶれば……
道庵先生はこの時、異様な声を張り上げて、繰返し繰返しこの文句を唸り出しましたので、さてこそと集まるほどのものが、いよいよ眼と眼を見合わせました。この異様なる音律を、繰返し繰返ししているうちに、道庵先生の自己感激が著しく内攻して来たと見ると、音声だけでなくて、一種異様なる身体の律動をはじめてしまいました。
しかし、それとても、無学文盲なるこの辺の児童走卒にこそ、道庵先生の為すところのすべてが異様にも異常にも感ぜられるのだが、実際はお得意の喜多流(?)によって、謡につれて徐ろに、仕舞と称する高尚なる身体の旋律運動を試みているだけのものなのです。
この先生が、馬鹿噺子にかけては古今きっての自称大家であることは、知るものは誰も知っているところだが、それよりも一段と高尚なるお能と仕舞とに就いても、これほどの造詣があるということを買ってくれる人のいないのが浅ましいことではないか。
しかし、御当人は、買ってくれる人があろうがあるまいが、御当人の自己感激は、こうしていよいよ深み行くばかりで、もはや眼中に清洲の城址も無く、あたり近所の児童走卒も無く、古英雄信長もなく、今川義元もなく、ただ人生五十年の夢幻と、他生化転の宇宙実在とがあるばかり。自己感激はついに悠然として自己陶酔にまで進み入りました。
しかしながら、いつもの型の通りに、この放恣浩蕩なる自己陶酔から、わが道庵先生の身辺と心境とを微塵に打砕くものの出現は、運命と言おうか、定業と言おうか、是非なき必至の因縁でありました。
七
この場面へ、東の方より、つまり先刻道庵先生がファッショイ共を相手に一代の武勇をふるった枇杷島橋の方面からです、一梃の駕籠を肩に、まっしぐらにはせつけて来た二人の仁があります。
これは雲助です。
道中をこうして駕籠をかついで走る者に、雲助以外のものがあろうはずはありますまい。
世間では往々、雲助と折助とを混同する者がある。混同しないまでも、ほぼ同様の性質を持っていると見るものがあるが、それは大きなあやまりで、雲助にとっては大きな冤罪であるが、その事は後に談ずることとし、とにかく、この場に於ける二人の逞しい雲助は、この地点までまっしぐらに走って来たが、ただ見る清洲古城址の草の青黄色いところに、一人の狂人らしいのが児童走卒に囲まれながら、しきりに身ぶり声色を試みている体たらくを発見するや、後棒と先棒との見合わせる目から火花が散って、
「合点だ」
駕籠をそこにおっぽり出して、向う鉢巻勇ましく、やにわに走りかかって来たのは、意外にも道庵先生の身辺でありました。
右の二人の逞しい、いけ図々しい雲助らは、道庵めがけ近寄ると見れば、無茶にも、惨酷にも、あっと言う猶予も与えず道庵に飛びかかって、さながらパッチ網にかかった雲雀を抑えるが如く、左右から道庵を押し転がし、取って抑えて、有無をも言わせません。
「あ、こいつは、たまらねえ」
そうして道庵がうんがの声を揚げ得た時は、もう、軽々と引きさらわれて、道に置き放した商売道具の四枚肩中へ無理に押込まれたその途端のことで、かくの如く、有無をも言わさず道庵を取って抑えて駕籠の中へ押込んだ雲助は、群がる見物の驚き騒ぐを尻目にかけて、そのまま駕籠を肩にして、
「エッサッサ、エッサッサ」
飛ぶが如くに西の方――つまり木曾川から岐阜、大垣の方面、道庵主従が目指す旅路の方面と同じではありますが――へ、雲助霞助に飛んで行ってしまうのです。
これは実に、誰にも分らない雲助の振舞であり、今日まで、脱線と面食いにかけては、かなり腕にも頭にも覚えのあり過ぎる道庵自身すらが、全く解釈のできない、非常突発の行為でありました。
それは、つもってみても分らず、苟もファッショイ、三ぴんの余党でない限り、道庵に対して、この辺にそう魂胆や遺恨を持っている者はないはず――
また、道庵先生がもう少し若くて、別嬪ででもあるならば格別――そうでなくても、もうすこし福々しいお爺さんででもあるならば、さらわれる方も覚えがあり、さらう方もさらい甲斐があろうものを、大江戸の真中へ抛り出して置いても拾い手のなかったじじむさい親爺が、尾張の清洲へ来てさらわれるようなことになろうとは信ぜられぬことでした。
だが、世間には、好んでお医者を担ぎたがる悪趣味者がある。
京都のある方面の、仏法僧の啼く山奥へ医者を担ぎ込んで、私闘の創を縫わせた悪徒もある。
或る好奇なお大名が、相馬の古御所もどきの趣向をして、医者を誘拐して来て弄んだというようなこともないではない。そのいずれにしても、道庵の蒙る迷惑と困却とは、容易なものではないことは分りきっています。そこで、走り行く雲助霞助の中にいて、駕籠越しに有らん限りの号泣と、絶叫とをはじめました、
「友様――後生だから助けてくれ!」
八
熊を洗濯することに我を忘れていた米友は、道庵先生の九死一生の絶叫を聞き漏すことではありません。
俄然として醒めて、そうして声のする方を見ると、今し道庵が、二人の雲助のために無理無態に駕籠の中に押込まれて、担ぎ去られる瞬間でしたから、すっくと熊を抛擲して立ち上りました。
しかし、この際、米友の責任感としては、前後の事情を忘却することを許しません。わが師と頼む道庵先生が、またしてもの九死一生の危急を瞬時も猶予すべきではないが、同時に、この動物をこのままにして置いてはいけないということの、民衆的警戒性が閃きました。
なぜならば、たとえ子供とはいえ、猛獣の部類である。日本に棲む動物としては、これより以上の猛獣は無い。その子熊をこのままにして馳せつけた日には、後患のほどが思いやられる。現にただ出現したことだけによって、先日のあの講演会の席の混乱はどうです。あの時はあれだけで済んだものの、まだこいつは、躾が足りないから、人の出ようによってはいかなる猛勇ぶりを発揮するか知れたものではない。子供の二人や三人を引裂くのは朝飯前の手並であり、まかり間違えば、人畜に夥しい被害を与えないとも限らないのだ。
先生の危急は危急として、それに赴くためにはまず、この駄々ッ子から処分してかからねばならぬ。賢くも米友は、こうも感づいたのですが、そこは上手の手からも水が漏れるので、米友が道庵の声に驚いて立ち上った瞬間の隙を覘って、右の駄々ッ子が素早く陸へ飛び上ったかと見ると、通りかかった子供が三人、火のつくように泣き叫びました。
「それ見たことか」
幸いにして、まだ子供を引裂いて食っているというわけではなく、子供の方へ向って馳け出しただけのところを、米友が後ろから行って引捉えると、それを振切って、人間の子供と遊ぼうと駄々をこねる熊――そうはさせじと引き留むる米友。この際、熊を相手にくんずほぐれつの仕儀となりました。
「ちぇッ――仕様がねえ熊の餓鬼だなあ」
米友は歎息しながら熊を取って抑える。事実、米友なればこそです、子熊とはいえ、羈絆を脱して自由を求むる本能性の溢れきったこの猛獣族を、この場合に取って抑えることのできたのは米友なればこそです。
こうして子熊を取って抑えて、むりやりに檻の中に押込む米友、
「ちぇッ――聞きわけのねえ餓鬼だなあ」
全く今の場合は、熊と組打ちなんぞをしている場合ではないのです。師と頼み、主とかしずいて来たその先生が、苟も、「友様! 後生だから助けてくれ!」と、意地も我慢も打捨てて、S・O・Sを揚げている時に、熊なんぞを相手にしていらるべきはずではないのですが、いま言う通り、この場合はまさに、前門熊をふせいで、後門先生を救わねばならない苦境にいる。
ようやくのことで小猛獣を取って抑えて、檻車の中へブチ込んで、さて当の主師の方を見やれば、雲助霞助の砂煙を巻いて行く後ろ影は早や小さい。
「ちぇッ」
米友は舌打ちをして地団駄を踏みました。無論、杖槍はもう小腋にかい込んでいるのですが、この遥か隔たった雲助霞助を見ると、幾度も地団駄を踏み、歯噛みをしないわけにはゆきません。
猛烈にはせ出したことははせ出したけれども、さて、自分の足では、これをどうすることもできないという自覚が、米友の心を暗く、胸をむしゃくしゃさせました。
というのは、腕に於ては相当に覚えがあり、胸に於ては焦り切っているが、足に自信が無いのです。本来、自分の足は生れもつかぬ片輪になっている。片輪にされたところで、まかり間違えば両足そろった奴にも後れはとらないつもりだが、先方は走るのが商売の雲助ではあり、そうでなくても彼と我との距離があり過ぎる、ハンディキャップがあり過ぎる。自分の力の及ぶべきところと、及ぶべからざるところと、見境のないほどの頭の悪くない米友が、走りながら歯噛みをするのも全く無理はありません。ところが、天なる哉、この場に当って忠勇なる米友のために、偶然に助け舟――とかりに信ぜらるるところのものが米友の眼前に現われました。
九
それは、枇杷島の青物市場へ青物をつけて行った一頭の馬が、馬子に曳かれて、帰りの空荷の身軽さに蹄を勇ませて、パッタリと横道から米友の眼前に現われたものです。
それを見ると、馬鹿でない米友の頭が咄嗟に働きました。
そうだ、この場合、おいらの足では、おいらでなくても普通以上の人間の足でも、あの先生の急に赴くことはできないことだ。
これを拝借するに限る――この四足の力を借りるに限る。この時、この際、自分の眼前に駒の蹄が躍り出したのは、渡りに舟というか、迎えに駒というか、ともかくも与えられたる天の助けであらねばならぬ。
それを頭に閃めかした米友の心持は機敏なものでしたけれど、かく俊敏に感得したが最後――そこに所有権の観念が圧倒されてしまって、人の物、我が物という差別観がくらまされてしまったのは是非もありません。
少なくとも、こういう際だから、自分としては天の助けに反いてはならぬ。ただ先方として、それを諒とするか、しないか、その辺のことまでは、米友の悪くない頭も働く余裕がなかったというのは、この場合ではまた是非がなかったと言えば言えます。猛然として馬の前へ立ち塞がった米友は、
「この馬を少しの間、貸してくんな、おいらの先生が……の場合なんだから」
もうこの時には、馬子の手綱をふんだくって鞍の前輪へ手をかけて、ひらりと身軽く飛び乗ろうとする瞬間でした。
これが普通の馬子であったならば、この只ならぬ小冠者の気合に呑まれて、茫然として米友の為すままに任せて、天の助けの使命を全うさせたかも知れませんが、不幸にしてこの馬子が、軽井沢の裸松と甲乙を争うようなしれ者であって、また同時に、この辺の草相撲では後れを取ったことのない甚目寺の音公でしたから、たまりません。
「何でえ、何でえ、どうしやがるんでえ、馬泥棒の河童野郎!」
有無を言わさず米友を引きおろしにかかったのは、馬子としては当然の態度です。
「後生だから――おいらの先生が、今かどわかしにひっかかって、あっちへ――あっちへ担がれて行ったんだ、九死一生の場合だ、だから貸してくんな、ちょっとの間だから、貸してやってくんねえな、頼むよ、おじさん」
米友のこの哀求は、このままで受入れられるべくもありません。
「ふざけやがるない、こん畜生、馬に乗りたけりゃ、助郷の駄賃馬あ銭ゅう出して頼みな、こりゃ人を乗せる馬じゃねえんだ」
「そんなことを言わねえで」
「この野郎、餓鬼のくせに、馬泥棒をかせぎやがる、いけ太え畜生だ」
「おじさん、場合が場合だから、ね、貸してくんな、決して悪いようにゃしねえから、頼むから、後生だから」
「河童野郎、手前の方は場合が場合か知れねえが、おれの知ったことじゃねえ」
「わからねえおじさんだな、人助けになるんだからいいじゃねえか」
「ふざけるなよ、馬泥棒、手前の方は人助けになるか知れねえが、おいらの馬は助からねえ」
「そんなことを言わねえで、こういう場合なんだから」
「いけねえ……」
米友が再び馬の上に躍り上ろうとするのを、馬子が力任せにひきずり下ろした上に、ポカリと一つ食わせる。
「あっ! 痛え」
「あたりめえよ、手前、気がふれてやがるな、いきなり横から飛び出しやがって、人の馬に飛びついて、よこせの、貸せの、途方もねえ野郎だ、見せしめのためだ、この河童野郎、どうするか……」
甚目寺の音公は、米友を引きずり下ろしておいて、力任せにポカリポカリ擲りはじめました。
常ならば、たとえ一つでもそう擲らせておく米友ではないが、実際、この時は、もうどうしていいか思案に迷い切っていたが、急に決心したのは、どうなるものか、後で話はわからあ、力ずくでも、この馬を一時借りなけりゃならねえ、そうしなけりゃ恩人の命の危急なんだ。
そこで、度胸を据えた米友が猛然として立ち直りました。
「話はあとでわからあな」
と言って、今までポカリポカリと擲らせていた甚目寺の音公の腕を取ると、物の見事に仏壇返しに地上に投げつけてしまいました。
「あっ!」
と驚いたのは甚目寺の音公でした。たかの知れた小童、それにしてはイケ図々しい奴と、懲らしめのためにポカポカやっていたのだが、急に反抗すると、それは驚くべき腕ざわりで、油断をしていたとはいえ、甚目寺の音公ともあるべきものが、とんぼ返しで、地上へ取って投げられてしまった。
あっ! と目がくらんだけれども、そこは甚目寺の音公も、草相撲の関を取るくらいの男であり、しかも郷党の先輩、加藤の虎や、福島の市松の手前もあり、投げられてそのまま、ぐんにゃりとしてしまうことはできない、直ちに残して起ち上るや、三たび鞍壺にかじりついていた米友の両足をとって、力任せにグングン引張り、ついにやっとすがりついたばかりの米友をまたしても地上に引きずりおろしてしまいました。
それから後は、ここでくんずほぐれつ両箇の乱取り組打ちがはじまってしまいました。
人通りが黒山のようにたかり出したのは、申すまでもないことです。
十
この甚目寺の音公が相撲の手を相当に心得ているということのほかに、なおいっそう米友にとって戦いにくいことは、戦いの名分が、どうしてもあちらに取られてしまいそうなことです。
この音公は、軽井沢に於ける裸松のように、街道筋から毒虫扱いにされているというほどではないのみならず、草相撲で博した贔屓も人気もあるのに、相手にとった一種異様なグロテスクは、土地の人にさっぱり顔馴染がないのみならず、「馬泥棒馬泥棒」という相手方の宣伝が甚しく、米友にとって不利なものになります。
事実この音公は、米友を馬泥棒以外の何者とも解釈のしようがなく、見物の人々も馬泥棒の仕業とよりしか米友の仕業を信じ得べき事情を知らないから、すべての環境も、心証も、いよいよ以て米友を不利なものに陥れてしまうのです。
ただ、かくて見物しながらも、寄ってたかって米友を袋叩きにしてしまわないことは、米友の働きが俊敏であって、怖るべきものがある上に、その態度にドコやら真摯なるものがあって、左右なくは手出しのできない気勢に打たれて、そのまま見ているだけのものですから、群集心理の如何によっては、どう形勢が変化しないとも限らず、いずれにしても米友のためには百の不利あって、一の同情が作り出されないというだけのものです。
そういう事情から、米友の戦いにくいことがいよいよ夥しく、第一、自分自身の正義観からしてが、軽井沢の時のようには働きがないから、投げつけてみたところで、大地にメリ込むほどやっつける気力が減退し、相手に怪我をさせてまでその戦闘力を封じる手段にも出で難く、そこで米友としては、その力の十分の一も発揮できないでいる始末です――
こんな形勢が続けば、いよいよ以て米友の立場が悪化するばかりです。米友としては、ほとんど進退に窮する場合にまで立至って、徒らに組んずほぐれつしていましたが、相手はいよいよ嵩にかかって、小力を十二分に発揮して相撲の手を濫用して来るから、米友が怒りました。別の意味で怒りました。
こうなった上は、こっちを本当にやっつけておいてからでないと動きがとれない――
みるみる米友の眼に、すさまじい真剣の気合が満ち、
「やい――わからずや!」
音公をなげつけておいて杖槍を取り上げたものだから、音公が、
「盗人たけだけしいとは、本当に手前のことだ、うむ、どうするか」
掴みかかろうとした音公が、二の足、三の足を踏んだのは、杖槍を構えた米友の形相が、今までとは全く打って変った厳粛なものである上に、両眼にアリアリと決死の色を浮ばせて来ましたから、馬方がヒヤリと肝を冷やして、思わずたじろいでしまったのです。
だが――騎虎の勢いです。米友を米友と知らない馬子は、名人としての米友の真骨頂を満喫しなければ納まらない運命になる。
だが、また米友としても、それは悲しい武勇伝の一つなのです。この時分に、偶然ではなく、もう少し早めにこの場へ到着せねばならぬ人が到着しました。
見れば前髪立ちのみずみずしい美少年――怖るる色なくその場へ分けて入りました。
その少年、岡崎の郊外で、友のために腕立てをした岡崎藩の美少年、梶川与之助というものです。
いや、梶川一人だけではない。
十一
梶川のともには、江戸からお角さんよりぬきの若い者もついている。自然この背後には宿つぎの駕籠の中に反身になった女長兵衛も控えていようというものです。それとかなり間隔を置いて別扱いの腫物が、たれも当らずさわらずのところに、乗物を控えさせている様子です。
当然、通るべくして通り合わせたこの一行のうちの、目から鼻へ抜ける美少年の仲裁は、難なく成立してしまいました。その後始末として、お角さんの駕籠の中に呼びつけられた米友の油汗を流しながらの吃々とした弁明が、かえって当の相手の甚目寺の音公を失笑させるという次第でした。
米友を相手にあれまで働いた馬子の甚目寺の音公は、米友のお角さんに対する弁明を聞くと、忽ち打解けて、かえって大きな口をあいて言いました。
「そいつはお前、ぶったくりにかかんなすったのだよ」
音公はこう言って、米友はじめお角さんの一行に向って、委細呑込み顔に説明するところによると――
道庵先生のさらわれたのは、なるほど一大事突発のようではあるけれども、内容はそれほど驚くべきことでも、憂うべき性質のものでもないということです。
街道筋の雲助は、どうかするとこのぶったくりということをやる。つまり道庵先生は、雲助の策略であるところのぶったくりの手にひっかかったのだ。
ぶったくりというのは、人間の無断横領で、常にはやらないが、稀れには行われる雲助の政策の一つであるが、危険のようで、実は危険性の更に無いものであるということを、甚目寺の音公が委細語って聞かせました。
それをなおくわしく言えば、雲助が客を送り迎えのために、かなりの遠距離を、空駕籠を飛ばして行かねばならぬ使命を帯びたとする、空駕籠というやつは実のあるのよりも担ぎにくいことを常例とする、肩ざわりから言っても、足並の整調の上から言っても、駕籠の中には、どうしても人間相当の重味のあるものが充実していなければ、遠路を走るイキが合わないという結果になる。
こういう場合に、雲助は、人を頼んでロハで乗ってもらうか、そうでなければ無警告にこのぶったくりを強行することがある。
つまり、走りながら、空駕籠の充填物にはまりそうなおとりを物色し、それを見つけたことになると、否応いわさずひっとらえて只駕籠の中へねじ込み、目的地までは有無を言わさずに担ぎ込み、まつり込むのである。目的地に着きさえすれば、忽ちつまみ出され御用済みしだい解放されるのだから、生命にも、財産にも、べつだん差障りはないのだし、何十里走らせようとも別にまた駕籠賃だの、酒料だのを要求される心配は更に無いとはいえ、ぶったくられた当人と、その身寄りの者の迷惑といったらたとうるに物がないのです。
しかしながら雲助といえども、その辺には相当の常識と、社会性とを働かせている、ぶったくりとは言いながら、その人選は無茶に行われるわけではなく、ぶったくるにしても、なるべく迷惑のかかる範囲の狭いと見られるものを選んでぶったくることになっている。
そこで、無論、優良なる階級の旅人や、善良なる土地の住民をぶったくるようなことはなく、大抵は薄馬鹿だの、きちがいだの、酔っぱらいだの、或いは仲間のうちから自選した奴だの――というのを選定して、ぶったくる。
今日の道庵先生こそは、まさしく雲助の選定を蒙ってぶったくられの運命に逢着したものと見れば、かわいそうでもあり、気の毒でもあり、いい面の皮でもあるが、一方から見れば、道庵先生自身が、雲助君のぶったくりを蒙るに該当する資格を備えていたということが、運の尽きであると見なければならぬ。
お角は、それを聞いて、
「お話にならないよ」
と横を向きました。全くそれはお話にならないことです――江戸ッ子のチャキチャキ、下谷の長者町の道庵先生ともあろうものが、木曾川くんだりの雲助にぶったくられるなんて、お話にも絵にも描けたものじゃないに相違ないけれども、一方、これが御当人の道庵先生その人になってみると、一時はあの通り、「後生だから助けてくれ!」と絶叫はしてみたけれども、今となっては、別仕立ての早駕籠を命じたつもりで、いい気になって、早くも高鼾で納まり込んでいるかも知れない。
お角は米友に向って、
「そういうわけなんだから、ありそうなことだよ、あの先生のことだから、こちらが気を揉むほど、あちらはお感じがない、お前、そうやきもきしないで、わたしと一緒においで、わたしはちょっとこの先の山吹御殿というのへお伺いをして行くから、荷物があるなら後からでいいよ、先生の方は、先生の方で何とかなりまさあね」
お角一行は米友にこう言い含めておいて、いわゆる山吹御殿の方へと急がせて行きました。
すべての人が散じて、取残された宇治山田の米友――
悄々として、熊の檻車のところまで戻って見れば、熊がキャッキャッと言って躍り上って米友を迎える。
「ガツガツするなよ」
と米友が言いました。
熊がキャッキャッと言って米友を迎えるのは、米友が無事で戻って来てくれたことを、なつかしがるわけではないことを米友はよく知っている。
この事件のために、食物をあてがう暇がなかった、それがための催促であり、不平であることを、米友はよく知っている。
「ガツガツするなよ」
彼はこう言って、用意の袋の中から、柿の実だの、栗だのを取り出して与えると、遮二無二それに武者ぶりついて、眼中に感謝もなければ、応対に辞儀もない。
むしゃむしゃと食事にありついている熊の子を米友はじっと眺めて、
「ムクはそうじゃなかったんだぜ」
と吐息をつきました。
物心を覚えてから、ムク犬は主人のお君に向っても、米友に向っても、かつて食事の催促をした覚えがない、まして不平がましい挙動を示したこともない。それは長い間には、自分たちも苦労をしたり、ムクにもずいぶん苦労をさせたが、ムクそのものがかえって我々に苦労をかけたことは一度もない。我々に苦労をかけないのみならず、我々が憂うる時は、我々と共に憂えたが、我々が喜ぶべき時に、彼を喜ばせなかったことが幾度あるか知れない。
それだのに、ついぞあの犬が、不平と反抗とを表現したことがあるか。あれほどの豪犬だから、食物だって世間並みでは不足があたりまえだのに、世間並みの栄養を給してやることができなかったばかりか、旅路の間では、二日も三日も食わせずに置いたようなこともないではなかったのだ。
その時、いつ、あいつがひもじい顔をして見せたことがあるか。食物の催促をして見せたことがあるか。今、この子熊がしたように、ガツガツして居催促を試みたことがあるか。
十二
宇治山田の米友は、こうして熊の檻車の前に腰打ちかけて、頬杖を突いて何か深く考え込んでしまいました。
今は、ちょっと立ち上る気にもなれず、立ち上ったところで、どこへどう車を引張り出していいのか、見当がつかず、深い沈黙のうちに若干の時が経ちました。
「君!」
後ろから肩を叩いた者がある。
「ああ」
茫然として米友は見廻す。そこに立っているのは、さいぜんの仲人、岡崎藩の美少年梶川与之助でありました。
「何を考え込んでいるのだ」
「何も考えていやあしねえ」
「ともかく、君、あの山吹屋敷まで来ちゃどうだね、君の尋ねるお医者さんのことは心配するがものはないそうだ」
「うん」
「生命には別条なく、これから西へ向って何駅かの間に、極めて無事に、あの先生を発見する見込みがあるそうだから――それはそれでよいとして、君には、あの先生よりも、この荷物が荷になるだろう」
「ううん」
ううんというのは、否定の意味だか、肯定の意味だかよく分らないが、そう言われてみると、この荷物が荷にならないではない、本来ならば、安否がどうあろうとも、あのことの解決のついたと同時に、道庵先生のあとを慕うて一文字に追いかけなければならぬはずのものが、ぼんやりこうして考え込んでしまっているのは、米友は米友としての深い感慨におちて、その言い知れぬ感慨が米友の頭を重くし、足を鈍くしたものには相違ないが、一方から言えば、このお荷物あればこそである。これさえなければ、ここにこうしてぼんやりと腰をかけている米友ではない。
「聞いてみれば、君がこの熊を手放せないのも尤もと思われる節もないではないが――今後もこういう場合を予想すれば、長い旅路の足手纏いが思いやられる。いっそ、預けて置いて出かけちゃどうだ」
「うん……」
米友は、そこで、少し考えました。事実、この熊を手放そうとまでは思っていなかったのだが、実際、足手纏いといえば足手纏いに相違ないのである。熊も大事だが、人は更に大事である。この熊があるがために、主と頼む先生に対しても忠義を励むことができず、自分の身体をさえ拘束されるようなことになってはたまらないことの理義を、米友がわきまえないほどに没常識ではない。
といって、あれまで苦しんで、人様にもお頼み申して手に入れたこの小動物に対して、単に厄介払いという意味で、見捨てたり、置き捨てたりすることは、人情が許さない。いや、米友特有の道義が許さない。
さきほどから頭の重かった一部分には、たしかに、その処分法についての悩みも手伝っていたのです。そこで、美少年からこういって水を向けられてみると、ついムラムラと、
「いい預り手がありさえすりゃなあ」
と、歎息のように答えてしまいました。そうすると、岡崎藩の美少年は呑込み顔に、
「そりゃ、あるとも」
「ある!」
米友はいささか頭を上げて眼を円くして、
「あるったって、香具師じゃいけねえぜ」
「そんな者じゃない」
「だって、お前、馬なら荷物を運ばせたりなんぞして、駄賃をとって、暮しのたそくにするということもあるが、熊はお前、稼ぎをしねえから、飼ったところで食いつぶしだけのもんだぜ。だからお前、やにっこい身上じゃあ、熊あ一匹飼いきれねえよ」
「そりゃ、そうだ」
「それからお前、子供だといったからって、熊は熊だぜ、犬や猫たあ違うんだからな、厳重な檻を拵えてやらなけりゃならねえ、それには家屋敷も広くなけりゃならねえんだ――」
「君の言う、そのすべての条件に叶った飼主――預り主があるのだ、わしに任せてくれないか、で、また必要の時は、いつでも君に返してあげるようにする」
「そう誂向きのところがあればだがなあ」
米友が、まだ半信半疑でいるところへ、岡崎藩の美少年は、次のように事実を証明して、米友の信用に訴えました。
それは、この清洲の城、あの背後に俗に山吹御殿という一廓があって、かなり広大な家屋敷を持っているが――こんどそこの当主が肥後の熊本へ旅立ちをする。都合によっては長くかの地で暮すようになるかも知れない。そこで相当の留守居をつけてこの屋敷を引払うことになった。その留守番に、否応いわさず、自分が引受けさせて、熊の養育を托して置いてやる。あそこならば邸内は広いし、熊一匹養いきれないほどの身上ではなし、留守居の人間も親切であり、動物好きだから、むしろ喜んで面倒を見るにきまっている。
それを聞くと、米友が深く頷いてしまいました。
やがて米友が熊の檻の大八車を引き出すと、岡崎藩の美少年が、そのあと押しをして、えんやらやあと山吹御殿に引き込んで行くのを認めます。
十三
それからまたやや暫くの後、この屋敷から現われた二人の者の一人は、空身になった米友に相違ないが、もう一人の方は、これも確かに岡崎藩の美少年には相違ないが、これだけは風采が全く変っている。
米友は依然として米友、車を曳かないだけの米友ですが、美少年は饅頭笠に赤合羽といったような、素丁稚姿にすっかり身を落している。
こうして二人は街道を西へ向って急いで行きます。
木曾路の脱線から、怠りがちであった里程表を、この辺から、名古屋を起点にはじめてみますと、
名古屋より清洲へ一里半
そうして清洲から次の丁場を一里半、稲葉へ曲ろうとする六角堂まで、変装した美少年が先に立って急いでやって来ましたが、六角堂へ来ると堂の前で立ち止まりました。これより先、そこに待合わせていたらしい一行がある。
この一行はかなり物々しい乗物二梃に、数名の従者と、それが槍一筋を押立てていることによって、庶民階級の旅人でないことがよくわかります。
ここへ追いついて、ホッと息をついた岡崎藩の美少年の物ごしを見て、米友は、ははあ、この少年はこの一行に合するために、わざわざ変装して来たのだということが充分に呑込めました。
待合わせていた一行もまた、美少年の来り合したことを会釈して、しからばいざ一刻も早く、という段取りでした。
美少年は、額に滲む汗を拭いながら、自分は休もうともせず、先に立って、
「いや、お待遠さまでございました」
その時、前の乗物の戸が細目に開いて、それに挨拶の合図のように見えたばっかりで、何とも言葉はありませんでしたが、その乗物の戸を細目に開いた瞬間に、米友は、その白い面を見ました。微笑を含んで会釈するらしい人の面をちらと見ました。そうして色の白い、髪の黒い、身分ありそうな女の人であることだけを、米友は認めてしまいました。
前なる乗物の主がわざわざ駕籠の戸をあけての挨拶にかかわらず、美少年はそれをちょいと振返ったばかりで、すっと自分が先頭をきってしまい、一行のすべてがそれに従って進みました。
この場合、米友としては、先頭をきってさいぜんの美少年と歩調を共にしたものか、それとも殿を承って、この見も知らぬ一行について行った方がいいかと迷いましたが、よしよし、やっぱり先へやって、やり過した方がいい。
こうして、このかなり物々しい一行は六角堂を乗出して、真直ぐに北へ行けば一宮から岐阜へ出る街道を、左に取って、長束から稲葉伝いの大垣街道を打たせるのです。
計らず殿を承った米友は、街道の左右を見て広い田場所だなあと思いました。見渡す限り田圃だ――おれも国を出てからずいぶん諸所方々を流浪したが、今までこんな広い田圃を見たことがないと思いました。
米友は今、名も知れぬ一行の殿を承って、茫然として進み行くばかりです。
これに従って行けば道庵先生の跡が確かまるというわけでもなく、お角さんその人はどの道をとったのかさえ明らかでないが、ともかく、あの美少年はなかなか目から鼻へ抜けている上に、お角さんとも充分に諒解のある間柄だということを信じているから、それに従って行きさえすれば悪いようにはなるまいという心だのみのみで、無心に足を運ばせて行くだけのものです。
やがて清洲から一里半の丁場、稲葉の宿を素通りして、同じような広い左右の田圃道を行くことまた一里半。
萩原――の宿で中食
萩原より起まで一里
起より墨俣まで二里――
墨俣より二里四町にして、ついに大垣の城下へ着いてしまいました。萩原より起まで一里
起より墨俣まで二里――
これを、かりに清洲からの発足としても約八里の道、女連れの旅としてはかなり急いだものと見なければならない。
ともかくも一行は、こうして無事に大垣の城下に着き、木村という本陣に宿を据えました。
米友も御多分によって、宿屋の中へまぎれ込み、一番最後に目立たないところで足をとめていると、
「友さん――」
「あっ!」
顧みて見ると、そこに立っているのはお角さんでした。
「友さん、お前、御苦労さまだがね……」
お角さんは存外他念なく、米友に対して物やさしい物の言いぶりでありました。
「御苦労さまだけれど、その足で、ちょっと頼まれてくれないかね」
「何だい」
その足で頼まれてくれというのは、今し取りかけた草鞋を取るなという命令のようなものです。米友としては、それを肯かないわけにはゆかないのです。いつもならば権柄ずくで命令されても、このお角さんだけは米友にとって苦手であって、どうともすることはできないのだが、今日はいやに生やさしく頼まれるだけ、一層いやに圧迫されるような嫌味が無いではない。
「お前、今晩ここで泊らないで、関ヶ原まで行ってくれないか」
「えっ」
米友としても身心ともに相当に疲れている――ここへ着いたのをホッと一安心と心得ていないでもないところを、その足で……と来た。
「うん」
これもまたいやとは言えないようになっていたが、いったい、その関ヶ原とはどこだ。
十四
お角さんは、最早ここに先着していたので、その先着は米友の一行に先立つこと、ほんのしばしの間――万事はかの岡崎藩の美少年としめし合わせてしたことという筋道は、米友にもよくわかります。当然、米友もあの一行に伴われてここへ落着くのだということも、お角さんは先刻心得て待っていたに相違ない。そうして、米友の到着を待ってこのことを言おうと構えていたこともたしかです。
せっかく草鞋を取りかけた米友はいやとも言えない、この際、迷惑には迷惑であるが、事と次第によっては、頼まれたことを引受けられない米友ではない。ことに自分は、ここに泊るつもりで来たのでもなければ、泊らねばならぬ勤務を持っているわけでもない。
そこで、いやとも言わず、応とも言わず、お角さんの頼みをなお念入りに聞こうとして草鞋を解く手を休めていると、お角さんは、いつもよりは角を立てないで、お気の毒だがねえと言って、米友に頼み込むわけというのはこうなのです。
実はお連れ申して来た、お前の知ってのあのお銀様が……また横紙破りをはじめて、わたしはどうしてもこの宿へ泊らない、これから先の関ヶ原というところまで行って、そこで今晩は泊るから――と言って、どうしても肯かない。
言い出したら引く人ではないが、そうかといって、わたしはここで皆さんをお待受けしている約束があるから、そんならと言って、お嬢様の思召しに従って、関ヶ原までのすわけにはゆかなかったのさ。仕方がないから、庄公をつけて、お嬢様のお気に召す通り、関ヶ原というところまでさきへお送り申すようにして置いたが、それでも心配でたまらない。そこで、友さん、お前さんが来たら、お気の毒だけれども、お頼みしようと思っていたところなのさ。
友さん、お前は、それ、あのお嬢様にはお気に入りなんだろう。そこでお前がお嬢さんについていてくれりゃあ、わたしは本当に気が休まるよ。
御苦労だが、これからその足で関ヶ原まで行っておくれでないか――
こう頼まれてみると米友は、いよいよいやとは言えないのです。
御苦労だが……とか、お気の毒だが……とか、お角さんから米友に対しても、あまり使い慣れない辞令が連発される上に、頼まれるそのことも決して悪いことじゃない、仮りにも人の身の上の保護を托されるということになれば、米友としても男子の面目でなければならない。それに今、お角さんから言われてみると、あの難物のお嬢様という人に、自分はお気に入られているんだそうだ、なにもおいらはあのお嬢様にお気に入られようとも、入られまいとも企てた覚えはないが、そう言われてみると、親方のお角さんほどの代物が、あのお嬢様には腫物に触れるように恐れ入っているのが、おいらにはおかしくてたまらねえ。
あのお嬢様なんてのは、つき合ってみりゃ、ちっとも怖くもなんともねえ、話しようによってはずいぶんおいらと意気が合わねえでもなかったなあ、なるほど――言われてみると、おいらはあの難物のお気に入りなのかも知れねえぞ。
お嬢様に気に入られるくらいなら、こっちもひとつお嬢様というのを気に入れてやろうじゃねえか――お角親方に向っちゃ、おいらはどういうわけだか、気が引けて頭があがらねえが、そのお角親方が恐れ入っているお嬢様というのには、てんで友達扱いでいられらあな――お安い御用だよと米友が思いました。
「じゃ、頼まれてあげよう。そうして、その関ヶ原というのは、これからどっちの方へ、何里ぐらいあるんだね」
「この街道筋を西へ向って行けば、二つ目の丁場がそれだとさ、この次が垂井というので、それまで二里半、垂井の次が関ヶ原で一里半ということだから、まだ四里からあるにはあるんだがね――馬に乗っておいでよ」
今、草鞋を取ろうとする時に、これから四里も歩かせられるとしたら、米友といえどもうんざりしないわけにはゆくまいが、馬をおごってくれるという親方の好意で、帳消しにならないということはない。だが、米友の気性として、
「なあに、四里ぐれえの道は馬でなくたっていいよ」
と頑張ってみました。事実、米友は従来の旅で、ここと思って突っ放され、夜道も野宿も覚えがあるのだから、その気になれば四里ぐらいの追加はなんでもないし、また馬に乗せてもらうなんぞは、自分の分として贅沢過ぎるようにも、意気地がなさ過ぎるようにも感ぜられないではない。そこをお角は透かさず、
「なあに、そんなにみえを張らなくてもいいよ、そら、馬が頼んであるんだからね、あれがそうなんだよ――いいからお乗り。あのう、姉さん、お弁当が出来たら急いでこの人に渡して下さい」
お角さんは、門の中へ引き込んで来る一頭の駄賃馬の合図と、後ろの方、台所の方面へ向って女中へ弁当の催促を一度にしました。
女中は竹の皮包の握飯に、梅干かなにかを添えて持って来たものです。
さすがに万端抜かりがない、だしぬけに人を頼むには頼むようにする、こういうところだけは親方は感心なものだ。
米友は、お弁当を貰って腰につけ、そうして勧められるままに駄賃馬に乗せられてしまいました。お伝馬で旅をするなんて洒落たことは、これが初めてでしょう。まして行先は、名にし負う美濃の国、不破の郡、関ヶ原――
十五
こうして米友は、美濃、尾張から伊勢路へつづく平野の中を、南宮山をまともに見、養老、胆吹の山つづきを左右に見て、垂井の駅へ入りました。垂井の宿へ入ると、そこで流言蜚語を聞きました。不安の時代には、流言蜚語はつきものであります。健全なる時代には、よし流言蜚語を放つ者があっても、それが忽ち健全化されて、はねかえしてしまうけれども、不安の時代には普通の世間話までが流言蜚語の翼を添えるのは是非もないことです。
今し、この夕方、垂井の宿いっぱいにひろがる流言蜚語そのものは、
「明日になると、武田耕雲斎が押しかけて来て、この宿を占領する」
ということでありました。
中仙道と尾張路との岐れ路で、清冽なる玉泉をもって名のある、平和な美濃路の一要駅が、今夕、この流言によって、多少とも憂鬱の色に閉されていることを米友が認めました。
だが、こういった程度の流言は、歴史と言わないまでも、近代的の常識さえあれば、忽ちに雲散霧消すべきはずのものですけれど、そうもいかないところに、やはり時代の不安があるのです。
武田耕雲斎が来る!
なるほど、水戸の武田耕雲斎が、手兵を引具して、京地を目指して乗込んで来るという事実と、風聞が、東山道沿道の藩民の心胆を寒からしめたことは昨日のようだけれども、もうその事が結着してから、少なくとも今年は三年目になっている。
信濃路から侵入して来た耕雲斎の手兵が、大垣の兵に遮られて北国へ転じ、ついに一族三百余人が刑場の露と消えたのは誰も知っているはずであるに拘らず、その幽霊が、かくもこの辺の人心を脅している。
垂井の宿の入口でその流言を聞いたのが、宿の中程へ来ると、
「上方からは毛利大膳大夫が来る!」
ということになっている。
そうして、二つの結合点が、東から武田耕雲斎が来り、西から毛利大膳大夫が来て、明日にも関ヶ原で戦がはじまる、垂井の宿はその昔、天下分け目の関ヶ原の時にあわされたと同様な運命に落ちて焦土となる――というようなことになってしまっているようです。
これもまた、常識を加えるまでもなく、おかしいことです。西から毛利がやって来て、武田耕雲斎を相手に天下取りを、名代の関ヶ原で行うということは、少し釣合いがとれない。
今の毛利は、一族を以て日本全国を相手として戦い得るほどの力を備えているに拘らず、それが単なる武田耕雲斎を向うに廻さねばならぬというのは滑稽なことです。
果して、進むにつれて風聞がまた拡大してきました。
東から来るのは武田耕雲斎だけじゃない、水戸の中納言が、武田耕雲斎を先陣として乗込んで来るのだ。いや、引連れて来るのは武田耕雲斎だけではない、武州、相州、野州、房州、総州の諸大名が、みな残らず水戸様に率いられて来る!
それからまた一方、西の方から来るのは単に長州の毛利だけではない、備州[#「備州」は底本では「尾州」]も来る、雲州も来る、因州も、芸州広島も来る。薩州の鹿児島までが、後詰として乗込んで来る。それが関ヶ原で再度の天下を争うのだ!
そういうふうにまで変化してくると、いささか釣合いは取れてきたわけだが、それにしても、一方の毛利はよいとしても、東軍の総大将が水戸様はおかしいじゃないか。
尾州とか、紀州とかいうことならば、長州征伐のむし返しが関ヶ原で行われるという理窟にはなるが、水戸徳川は、むしろ長州はじめ勤王党のお師匠格である。
しかしながら流言蜚語は、認識や弁証の過不足については、なんらの責任を持たないのを常とする。
こういう空気の中を米友が垂井の宿を抜けきる時分に、宿を覆うた不安の雲が、哄笑の爆発で吹き飛ばされてしまったというのは、流言蜚語の正体の底がすっかり割れてしまったからです。
それは、この街道筋の東西の雲助という雲助が、明日という日に関ヶ原で総寄合を行うということの訛伝でありました。
雲助には国持大名が多い――彼等は長州と呼び、武州と呼び、因州と呼び、野州、相州と呼ぶことを誰人の前でも憚りとしてはいない。国持大名の二十や三十の頭を揃える分には、彼等の社会に於ては朝飯前の仕事である。
つまり、明日の何時かに、斯様の意味に於ての国持大名たちが、関ヶ原に勢揃いをして、しゃん、しゃん、しゃんとやろうという、その訛伝が、こんなことに伝えられたものと見える。
そういう空気のうちに、米友は関ヶ原の駅へ乗込もうとして、その間の野上というのを通りかかったものです。
そこにかなりの混乱を見ました。
とある店前に篝を焚いて、その前で多数の雲助が「馬方蕎麦」の大盤振舞にありついているところです。
女中たちが総出で給仕をしてやっているが、その奥の屋台に控えて、
「さあ、みんな、遠慮せずに食いな、うんと食いな、ここは桃配りといってな、家康公が桃を配ったところだ。ナニ、桃じゃ無え、家康公のは柿だと――どっちでもいいやな、今夜は蕎麦配りの山だ、うんと食いな。お代り、お代り、あちらの方でもお代りとおっしゃる、こちらの方でも……おいきた、若衆、こっちへ出しな。さあ、お待遠さま――」
大盤振舞の施主自身が、大童になって盛替えのお給仕の役をつとめている。
それを見て馬上の米友が、あっ! と仰天しました。
この大盤振舞の施主は、ほかならぬ道庵先生でありましたからです。
それとも知らぬ道庵先生は、
「さあ、遠慮をせずと、いくらでもお代りを言ってくんな、今日はお蕎麦でたんのうしてもらうんだが、明日という日は白いおまんまを炊き出して、兵糧をうんと食わせるから、すっかり馬力をかけて石田三成をやっつけてくんな、毛利も、浮田も、何のそのだ、さあ、お代り、お代り」
道庵が声をからしてどなっている。メダカが餌にありついたように、無数の雲助は寄りたかって、ハゲ茶瓶を振り立てつつ馬方蕎麦を貪り食っている。
十六
呆れ返って、馬から飛び下りて来た米友に向って道庵は、いかにこの場に集まった雲霞の如き雲助という種族が、愛すべき種類の人類であるかということを、滔々と説いて聞かせました。
道庵の昂奮した頭で説明された雲助礼讃は、言葉そのままで写すと支離滅裂になるおそれもある。よってこれを散文詩の形式で現わしてみると、こうもあろうかと思われる――
嗚呼、愛すべきは雲ちゃんなる哉。
わが親愛なる雲助諸君こそ、現代に於ける最も偉大なる自然児の一人である。
悪口は君達の礼儀であり、野性は君達の生命である。無所有が即ちその財産で、労働が即ちその貨幣である。家は無しと雖も、天を幕として太平に坐し、一本の竹杖がありさえすれば万里を横行するの度胸があり、着物が無ければ傘を引っぺがして着るだけの働きがある。
しかるに世間には往々、この愛すべき自然児たる雲ちゃんをつかまえて、道中筋の悪漢の代表でもあるかの如く讒誣する心得違いが無いではない。甚しいのは、この愛すべき雲助をかの卑しむべき折助と混同する奴さえある。
わが雲助こそは、天真流露の自然児であるのに、かの折助は、下卑た、下等な、安直な、そのくせ小細工を弄する人間の屑である。
雲助諸君こそは、天地の間に裸一貫で堂々たる生活を営むに拘らず、かの折助は何者だ!
由来、道庵と折助とは反が合わないものの型になっている。雲助を礼讃する一面が、自然、折助の弾劾となるのは免れ難い因縁かも知れない! 自然、雲助を引立てるために折助のアラを数え立てることを、道庵先生はちっとも遠慮をしていない。
折助は暗いところで
まあちゃんと戯れ
夜鷹を買い
緡を折り
鼻を落し
小またを掬い
狎れ合い
時としては
デモ倉となり
時としては
プロ亀となり
まった、風の吹廻しでは
ファッショイとなり
国侍となり
景気のいい方へ
出たとこ勝負で渡りをつけ
お手先となり、お提灯持となり
悪刷を売り
世を毒し、人を毒する
要するに下卑た、下等な
安直な人間の屑は折助だ
道庵の見るところでは、折助はかくの如く下等なものだが、わが親愛なる雲ちゃんに至っては、決してそんなものじゃない。まあちゃんと戯れ
夜鷹を買い
緡を折り
鼻を落し
小またを掬い
狎れ合い
時としては
デモ倉となり
時としては
プロ亀となり
まった、風の吹廻しでは
ファッショイとなり
国侍となり
景気のいい方へ
出たとこ勝負で渡りをつけ
お手先となり、お提灯持となり
悪刷を売り
世を毒し、人を毒する
要するに下卑た、下等な
安直な人間の屑は折助だ
銅脈もかつて、雲助の出所の賤しからざることを歌って、
雲助是何者、更非雲助児、尋昔元歴々……
と言っている通り、この素姓が賤しくねえから、貧乏はしても、折助あたりとは品格が違わあ。およそ、当代の下劣なる流行と、野卑と煽動と冒涜とは、ほとんどすべてが折助の手によって為されぬというのは無いけれど、雲助に至っては、いったい何を悪いことをしましたか?
調べてごらんなさい、道中筋の悪漢の代表でもあるかのように見られているわが雲助が、今までに何を悪いことをしている。彼等は天真な自然児であると共に、善良なる労働者である。彼等あるが故に、箱根八里も馬で越せる。越すに越されぬ大井川も鼻唄で越せる。荷拵えをさせては堅実無比であり、駕籠の肩を担いでは、お関所の門限を融通するの頓智もある。雲助唄を歌わせれば、見かけによらず、行く雲を止めるの妙音を発する者さえある。強いて、彼等が為す悪いこととして見るべきものがありとすれば、それは酒料をゆするくらいのものだろう。だが、その酒料をゆするにしてからが、無法なゆすり方は決してしない、こいつはゆするべき筋があると睨んだ時に限るのである。それも、その際、旅人が自覚して、相当に財布の紐をゆるめさえすれば、彼等は難なく妥協してこだわりがない。彼等は強盗をしない、小細工をしない、見かけは鬼のようであって、実は淡泊にして、親切にして、且つ苦労人であって、同情ということを知っているが、決してそれを押売りはしない。
彼等は、落ちたりといえども一国一城の主をもって自ら任じ、決して親のつけた名前なんぞを呼ぶものはない。
試みに、天下の街道から、この愛すべき雲ちゃんを取去ってみると――
交通はぱったりと止り、景気はすっかり沈んで、五十三次の並木の松には不景気が首つりをする。雲助があって天下の往還があり、天下の往還があって雲ちゃんがある。
嗚呼、敬愛すべきわが自然児雲助諸君、おらあほんとうにお前たちに惚れたよ。
おおよそこういったようなもので、道庵先生の雲助に対する礼讃ぶりは最大級のものに達しているのは、一つには、これは折助の卑劣なるものに対する日頃の反感が手つだっているとはいえ、また今日のぶったくりなんという振舞が、すっかり道庵の気に入ってしまったものと思われる。当時泣く子も黙るところの長者町の大先輩ともあるべきものを、一言の挨拶もなく、いきなりふんづかまえて、手前物の駕籠の中へ押込み、約十里というがもの宙を飛んで、ところも嬉しい関ヶ原の野上へ持って来て、さあ、どうでもなりゃあがれとおっぽり出した度胸なんぞは、まことに及び易からざるものじゃないか。
一も二もなく雲助のきっぷに惚れ込んだ道庵が、ここで彼等の溢れ者をすっかりかり集めて、大盤振舞をした上に、明日はこの勢いで関ヶ原合戦の大模擬戦を行って見せるのだという。
すなわち、自分が雲助の大将として、大御所の地位に坐り、一方、石田、小西に見立てた西軍を編成して、あちらに置き、そうして明日はひとつ天下分け目の人騒がせをやるのだということを、道庵がしきりに口走っている。
ははあ、垂井からこっちへの流言蜚語の火元はこれだな!
東は水戸様が出馬し、西は長州侯が出陣し、東西の国持大名が轡を並べるというのはこれだ。
米友は、道庵の雲助礼讃が終るのを待ち、清洲以来の自分の行動を物語って道庵の諒解を求めた上に、親方のお角から頼まれて、これから関ヶ原まで行かねばならないことの承諾を求めたけれども、雲助にのぼせきっている道庵の耳には入らない。
「ああ、いいとも、いいとも」
「ああ、いいとも、いいとも」
道庵は一切無条件で、米友の申し出を受入れてしまうものだから、米友としては手のつけようがなく、そうかといってこうまでのぼせ切っている道庵を、この多数の雲助の手から取り上げて、常道に引戻すことは不可能のことだ。
それともう一つ、今晩このところから道庵先生をテコでも動かせないことにしたところの理由が、まだ存在する。というのは、この野上の地点というものが関ヶ原合戦の時、まさしく大御所家康が本陣を置いたところなのです。桃配りという名は、家康が桃を配ったからだというのは道庵一流のヨタだが、この地点に徳川家康が百練千磨の麾下の軍勢を押据えて、西軍を押潰したという史蹟は争えないものがあるのです。
そこで、道庵先生、雲助に共鳴してはしゃぎ切っている一方、自分はいつしか大御所気分になって、のぼせきってしまって、ここに今晩の本陣を押据えて、明日は西軍を微塵に踏みつぶして、小関のあとで首実検をするという威勢に満ち満ち切っているのですから、米友が何を言うかなんぞは全く耳に入ろうはずもありません。
しかし、米友としては、この先生の気象は呑込んでいることだし、相手に心酔し、共鳴してやる仕事だから、危険性のないという見極めがついているから、道庵の為すがままに任せるよりほかはないと思いました。
「じゃ先生、おいらは先に関ヶ原へ行ってるよ」
かくて、てんやわんやの野上駅の騒ぎをあとにして、米友一人はまた馬に跨って、関ヶ原へ向けて出発しました。
十七
大垣より垂井へ一里十一町
垂井より関ヶ原へ一里半(その間に野上)
お角から指定された宿の恵比須屋へ米友が到着しました。垂井より関ヶ原へ一里半(その間に野上)
恵比須屋の上壇の座敷を二間も占領して、頑張っているのはお銀様でありました。お銀様はあの事あって以来、ことにお角との同行を好まないらしい。あの事というのは、お角がぜひなく岡崎藩の美少年と相駕籠で、自分の先をきったということでありましょう。それに、今日は、あの美少年としめし合わせて、どうやら、別にまた一行の他人と旅を共にする約束が出来たらしい。
相手の何者かはわからないが、ただでさえ毛嫌いをはじめたお銀様が、それをうべなうべきはずはない。お銀様は一行の頭をおさえて自由気儘な行動をとる。それだから無論、六角堂で待合わせて、大垣で落合うというようなことは知らない。
ただ、今晩はどうしても大垣でお泊りなさるようにと、お座敷まで取ってあるのを聞き流してお銀様は関ヶ原まで打たせてしまいました。お角、及び新たに加わった一行の空気と相触れることはお銀様としては絶対に許せない。お銀様としては、このまま全く自分勝手の自由行動をとって、行くところへ行ってしまいたいのだが、それは、旅慣れないお銀様の気持が許さないのではなく、保護者として、預り主としてのお角さんの立場が許さない。そこで、眼にも余り、手にも負えない我儘いっぱいの自由行動を黙認しながら、しかもお角さんは、お銀様に対する監視の眼だけはちっともゆるめないのです。
今夕も、関ヶ原まで伸すという行動には一切干渉しない代り、心利いた若い者の庄公を目附として、ここまでつけてよこしました。
庄公は宿の一間、いつもお銀様へ眼の届くところに部屋をとって、監視の任に当っていたが、旅の疲れで眠りこけてしまいました。
夜更け、人静まった時分、お銀様は籠行燈の下で関ヶ原軍記を繙き出しました。
お銀様は、まだ知らない行先の土地のことをよく知っている――これが、この行中もお角さんの最も驚異するところの一つでありました。
自分はかなり世間を歩いているのに、世間を知らないことが多い、はじめて旅に出たお銀様が一から十まで、まだ踏まないさきの土地のことを知っている。このことの驚異が、お角さんとして、お銀様というものを、いよいよ底気味の悪いものにしている。人は自分の持たぬものを見るのに過大な影を置くもので、まのあたり眼でみ、耳で聞くことのほかに知識の鍵をもっていないお角さんが、一室に閉籠って蓄えていたお銀様の読書の知識というものに思い及ばないからこそ、大きな驚異と、怖れとがある。
それにしても、お銀様の知識というものは、単に普通の人のする読書や見聞から来る知識以上に豊富なものがあり、また同時に読書の知識と、旅の実際とを考証してみることに、少なからぬ興味を持っていたものですから、到るところの名所古蹟に対する予備知識に加うるに、その土地土地に於ての参考資料をおろそかにはしなかったのです。
名古屋にいる時にもうすでに、関ヶ原に関する史料を相当にととのえて持っていました。いま関ヶ原軍記を繙いているのは、明日は指呼歴々の間に、軍記の示す配列を実地に眺めようとの下心に相違ない。
だが、お銀様の関ヶ原に興味を持つのは一日の故ではない――お銀様は関ヶ原合戦の歴史に於て、どうしたものか、西軍に同情を持っている。石田、小西に勝たせたいという贔屓が、物の本を読むごとにこみ上げて来るのを如何とも致し難い。それだけに家康を嫌います。或いは家康を虫が好かない故にこそ――西軍に贔屓が出るのかも知れない。けれども、あの時に於て、お銀様の贔屓とか、興味とかいうものが、石田、小西に集中しているわけではない、その人は別にあるのです。
およそ関ヶ原軍記のうちに、お銀様をして、この人こそと、無上の共鳴と、同情と、贔屓を与えている人がたった一人あるのです。常の時でさえ、お銀様はその人のことを想い出でると、涙を流して泣くだけの同情と、贔屓とを持っている。それは誰人ぞ、大谷刑部少輔吉隆その人。歴史上の人物で、お銀様がこのくらい自分を打込む人は、唯一とは言わないまでも、稀れなる例であります。
まして、この時、この場へ来て、夜更けて人静まった時分です。冴えきった眼の前に、朦朧としてその人が現われて来るのは是非もないことです。
十八
お銀様は、今ここで次のような大芝居を見ている。
宏大なる一室に紙帳を釣らせて、その中に敷皮を敷いて、白絹の陣羽織に白金物打った鎧を着て、坐っているのが大谷刑部少輔吉隆である。
紙帳がよく透き通っているから、芝居の土間の二三あたりで見るよりも、はっきりとお銀様は、刑部少輔の科白から表情の一切を見て取ることができる。
かく身体はいかめしく鎧っているのに、頭は法体で、面目が崩れている。お銀様としても、それを、崩れているとよりほかは見ようがありませんでした。眼だけは爛々として輝くものがあるのに、鼻梁は落ち、顔面はただれ、その上に蛆が湧いている。
誰人も、この名将の面影に、その無惨なる天刑(?)の存することをまともに見るには忍びないはずであります。然るにお銀様は、じっと瞳をこらして、それをまともに見ているのであります。こうして大谷刑部少輔は紙帳の中に、ひとり端然と控えていることしばし、これも武装をした一人の使者が眼前に現われました。
「石田治部少輔の家来、柏原彦右衛門にござりまする」
使者の者がこう言って頭を下げる。刑部少輔吉隆は頷いて、
「うむ、彦右か、大儀であった、さいぜん治部殿から御手紙であったが、重ねて、そなたを使者としてつかわされた次第は?」
「主人よりの申附けにより、刑部少輔殿を、枉げて佐和山の城へ御案内申せとのことにござりまする」
「それは心得ぬ、我等このたびの出陣は、内府公の加勢をして会津発向のほかに用向はこれ無きはず、治部少輔がこの際、我等を途中より招かるるは、さだめて何ぞ別段の思惑もあることであろう、そちは使者を命ぜられたほどの者である故に、その仔細を存じておらるるはず、申し聞かせられい」
「主人事、私共へはなんらの申し聞けはござりませぬが、内府公の御手前の儀は、我等主人に於て何分にもおとりなし仕るべきにより、枉げて佐和山の城へお立寄りを願いたい、我等主人胸中には、刑部少輔殿に格別の御相談を申し上げたき儀もあるやに察し申しておりまする」
刑部少輔吉隆は、それを聞いて、暫く打吟じて思案に耽っていたが、
「よろしい、然る儀ならば、これより佐和山の城へ同道いたそう」
と言い切って、面を上げた大谷刑部少輔の崩れたその顔面。深い覚悟の程も、思い切った表情の程も、その崩れ爛れた面には、更に現われてこないことが悲惨である。それをお銀様は悲惨として見ないで、かえって自分の顔として見ているようです。
石田治部少輔三成のために――単なる一友人であるところの石田のために、せっかく越前の敦賀から踏み出して来て、江戸の家康の手にはせ加わって、会津の上杉征伐に向うつもりとばかり期待して軍勢を引連れて出て来た身が、ここでガラリと向きをかえて、江州なる佐和山の城――つまり石田の居城への招請を甘んじて引受けたこの名将の心理が、少しもその顔面の表情に現われてこないことを、お銀様だけが痛快に感じ、その崩れかかった顔面の中に大谷吉隆を見ないで、かえって自分の面体を見て、お銀様の心がよろこび躍りました。
舞台がそこで暗転の形となる。
十九
ここはいわゆる佐和山の城の大広間であろう。大谷刑部は以前と同じ姿形で一方の敷皮の上に胡坐している。
それと相対して、烏帽子大紋の容貌優秀なる大名が一人、同じように敷皮の上に座を構えている。これが当城の城主――石田治部少輔三成に相違ない。
かくて、両者の対話と問答がはじまる。
「実はこのたびの会津反乱というは仮りのこと、実は我等、多年思い立ち候事なり」
多年の企画がここに火蓋を切って、いよいよ徳川家康を向うに廻して天下分け目の大謀がその緒についたことを、三成が逐一、大谷に向って打明ける。会津の上杉にすすめて兵を挙げさせ、家康がその征伐のために伏見を立って東下する――という表面の事態、裏には石田と直江山城との策動が熟し切っていて、家康の東下を待って、そのあとを覘おうとの方寸を三成が吉隆に打明けたのであった。
それをいちいち聞いていた大谷刑部は、例の崩れかかった面を燈火に向けて言った、
「これは以ての外の不了見でござる」
「以ての外の不了見とは?」
心さわぐ三成を、吉隆は制して言った、
「貴殿という人は、江戸の内府を並大抵の人と見ておらるるのか。この点は我等よりはいっそう認識のことでござろうに、今更あの人を向うに廻そうなどとは、途方もない無謀である、拙者には貴殿の胸中がわからない」
「家康とても鬼神ではござるまい」
「なかなか以て。故の太閤ですらも我々へ常々申し聞けらるるには、家康の儀は知勇共にそなわりたる人であるによって、我等のよき相談相手と思って馳走いたすのじゃ、お前たちの合点のいくことではないと、事毎に言われたものだ。太閤ですら、それほどに遠慮を置いた人物を、貴殿がいまさら相手に取って弓矢に及ぶとは沙汰の限りのことでござる、左様な無益の儀を思い止まって、我等と一緒に会津表へ下向なさるがよろしい」
三成はそれに答えて言った、
「それはそうでもあろう、貴殿の諫言に従って思いとどまるのが道理かも知れないが、今はもう退引のならぬ事態になっている。というのは、我等上杉景勝の家老直江山城守と堅く申し合わせ、当春より直江が主人景勝をすすめて旗を揚げさせ、そこで、家康父子をはじめ徳川一味の諸軍がみな景勝退治とあって会津発向のように仕組んで置いた仕事が、予定通り今日の段取りとなって現われたものである。この際拙者が思いとどまって、景勝一人を見殺しにできようか、できまいか、武道の本意によりて推察ありたし。合戦の勝負のことはどうあろうとも、この儀を思い止まることは、三成としては決して罷りならざるの儀でござる。貴殿御同意なきに於ては是非に及ばぬ儀でござる故に、急ぎ関東へ参陣あらせられるがよろしい」
三成は存外、失望することなく、右の如く吉隆に応答した。
それを聞き深めていた吉隆は、沈痛な返事をもってこれに答えた、
「意見の相違、是非に及ばぬことだ、然らば貴殿は貴殿の計画に任じ、思うように計り給え、拙者は拙者として、このまま会津征伐に馳せ加わるのみじゃ」
「全く以て、是非に及ばぬこと」
ここで舞台が暗くなると共に、幕が落ちた。
お銀様は関ヶ原軍記を前にして、自分が見ようとする芝居の筋書を、こんなふうに胸に描いているのでありました。
二十
やがて幕が下りたのではなく、やはり暗転の形で次の舞台が現われたのであります。
それは前の大谷刑部少輔吉隆が手勢を引きつれて出て来たには相違ないが、この時の装いは全く違っている。練の二ツ小袖の上に、白絹に墨絵で蝶をかいた鎧直垂は着ているけれども、甲冑はつけていない、薄青い絹で例の法体の頭から面をつつんでいる。そうして、四方取放しの竹轎を四人の者に舁がせて、悠然としてそれに打乗っている。前の場の石田との会見から垂井へ戻るにしては、胆吹山の方角が違っている。物のすべての面目が変っていることを、お銀様は奇なりとしました。
かくて大谷の一行が街道の並木の中を上に向って行くと、ハタと行会ったところの一隊の軍勢がありました。
五七の桐の紋の旗じるし。
さんざめかした、きらびやかな一軍の中の総大将と見ゆる錦の鎧直垂――まだ年少血気の一武将であった。
「金吾中納言殿」
大谷刑部少輔の左右の者が言った。大谷はうなずいた――やがてこの両隊は行きあいばったりとなる。大谷吉隆はそれを知らざるものの如く眼をつぶって行き過ぎてしまった。
これは実に違礼であった。秀秋は高台院の猶子で、太閤の一族、福島正則ほどの大名でもこれと同席さえすることのできなかった家柄である。刑部は何故に礼を忘れた。それは顔面が崩れて、もう物を見る明を失うていたのか、そうでなければ深き物思いのために、つい礼を失したものであろう。
そうしてやり過した並木道。
刑部少輔の手の者が山蔭に形を没してしまった後、金吾中納言は、畦道に馬を休ませながら、家老にたずねた、
「あれは大谷刑部少輔ではないか」
「御意にござりまする」
「無礼千万な奴、会津征伐に加わるために東下すると聞いたが、どこへ行くのだ」
「不審に候」
家老の松野主馬が答えると、他の一人の家老の稲葉正成が言う、
「大谷刑部も存外、目先の見えぬ愚将じゃわい」
「愚将とは?」
「あれは志を翻して、石田三成を助けに行くのでござる」
「治部少輔へ加勢にか……」
「螳螂の軍に加わるきりぎりすのようなものでござる」
一軍の間に嘲笑が起ろうとする時に、家老の松野主馬がそれを遮った。
「大谷ほどの者がなんで成敗の道を知らぬはずがござろう、あれは石田を助けに行くのではない、三成に首を与えに行くのだ」
「首を与えに」
「あの汚ない首を……」
一軍の間に嘲笑の色が動くのを、松野主馬がまた抑えた。
「事の成るを知りつつ事を共にするは尋常のこと、わが不利を見て相手に節を売るは売女の振舞――成敗を眼中に置かず、意気を方寸に包んで、甘んじて弱きに味方する英雄の心情、それは英雄のみが知るものに相違ない、偉なる哉、刑部少輔――」
嘲笑の色が、この悲壮なる讃美の声で圧倒されてしまった。
小早川金吾中納言秀秋の血気の上に、愴然たる雲がかかる。
家老松野主馬は、それに附け加えて、全軍に諷するところあるが如く、主人に諫むるものあるが如く――またいささか自ら絶望の気味あるかの如く、次のように言う、
「彼は、上杉征伐に従うべく、居城越前の敦賀を出て、この美濃の国の垂井の宿まで来た時分に、石田三成から使者を受けたのだ。年来のよしみで、石田に加勢を頼まれたのだ。彼はこれを意外とした。彼ほどの聡明な武人が、敵を知り、我を知らぬという法はござらぬ、今の世、徳川内府を向うに廻して歯の立つ者のござらぬという道理を噛んで含めるように三成に説いて聞かせたものだ。三成も、大谷が説くくらいのことは知っている。知ってはいるが、今、思い上っている――意見の相違。ついに物別れになって、かれ大谷は垂井の陣へ引返したのだが――彼は成敗の理数を知ると共に、朋友の義を知っていた、そうして垂井へ帰った後に、三たび使者をやって三成に反省を促したものだ。その効無きを知って、ついに一身を抛って三成に与えるの覚悟を決めたものなのだ。そうして今日は垂井の陣を引払って、ああして佐和山の城へ三成を助けに行くところなのだ。あの顔色を見給え、彼は気の毒に病気ではあるが、あの無表情な面に深刻な反省があり、決意が溢れきっているのを見遁してはならない。事の敗るることを万々承知の上で、甘んじて友を助くるの魂を見て置くがよろしい」
松野主馬はそれから、主人金吾中納言の馬前に膝を突いて、言葉を恭しくして次の如く言った、
「あれをごらんあそばしませ、ただいま軍勢に向って申しました通り、あれは大谷刑部少輔が、石田のために命を与えに行く道すがらでござりまする。まことにもののふの鑑と申すべきではござりませぬか。恐れながら、わが御先代の小早川隆景公は日本第一の明将でございました。御一身の栄達を犠牲にして毛利の本家の礎を据え、筑前五十万石を、太閤殿下よりの御養君たるあなた様のために残し、御身は何物をも持つことなくして生涯を終りになりました。この御陰徳がいつの世か報い来らぬことの候べき――豊臣は亡び、徳川は衰えるとも、毛利の家は動くことなかるべしと人が噂をするのは、一に隆景公の御陰徳と申しても苦しうござりますまい。太閤殿下の御血筋を引き、この小早川の名家を御相続あそばされた我が君――畏るべきは後代の名でござりまする、あやかりあそばしませ――いま目のあたり見る大谷刑部が義心を御覧じませ、事の成らざるを知りつつ一身を友に与うるは、もののふの鑑にござりまする、我等武人としては、この後塵を伏し拝むべきでござります」
松野主馬はこう言って、主人の馬前から向き直って、ただいま大谷吉隆が過ぎて行った馬印の後ろかげを合掌して伏し拝んでいる。一軍粛として声がない。夕陽が松原のあなたに沈む。お銀様も、もらい泣きというにはあまりに溢れる涙を如何ともすることができない。袖と袂を押当てて、面をあげられない気持になってしまった。
その時、関のかなたで鶏が啼くような声がしたが、まだ夜明けではあるまい。
ああ、いい芝居、わたしはこの芝居を見たいために関ヶ原へ来た。
三成も悪い男ではないが……
吉隆はいい男ですねえ。
わたしは、日本の武士で、まだ大谷吉隆のようないい男を知らない。
今は、その人の討死した関ヶ原の駅頭に来ているのだ。あのいい男の首塚が、ついこの辺になければならぬ。
わたしは、何をおいても、あの人の墓をとむらってあげなければならぬ――明日、明朝――いいえ、今夜これから――ちょうど、月もあるし……
大谷吉隆の首塚を、わたしは、これから、とむらってあげなければならない。
二十一
あの晩、道場へ逃げ込んだために虎口を遁れたお雪ちゃんは、おりから道場の中で居合を抜いていた宇津木兵馬のために擁護されました。
しかしお雪ちゃんも、それが兵馬であると知って救いを求めたのではなく、兵馬もまたお雪ちゃんと知って、その急を救ったのではありません。忽ち続いて起ったあの兇変のために、おたがいの見知り人などは飛んでしまいましたけれども、翌日になれば、それは当然、あいわからなければならないことであります。
わかってみれば、それは上野原以来の相識れる人でした。すなわち、道に悩んで一杯の水を求めた人が兵馬で、快くそれを与えたのみならず、温き一夜の宿もかしたのがお雪ちゃんであります。
兵馬とお雪ちゃんとの名乗り合いがあり、その後のおたがいの変化のある身の上話があり、結局は再び相応院へ送られては来たが、その住居には竜之助がいないのみならず、貸本屋の政どんが来た形跡があり、それと同時に何者にかいたく踏み荒されて行った跡が歴々であります。けれどもお雪ちゃんは、器用にそれを兵馬には押隠し、自分の生活は、久助さんのほかには水入らずだということを示し、同居人、すなわち竜之助のことを兵馬に語るはずのないのは、その以前から二人の間にわだかまる何物かを察しているからのことです。
そのうちにお雪ちゃんは、いろいろの方面から、それとなく聞き込んだところによると、どうも、あの代官を殺し、妾を奪うたという大悪人が、自分と生活を共にしていた竜之助ではないか、あの人に相違ない――というような心に打たれて、身も世もあらぬほどに驚き、同時に、竜之助はもはやここへは決して帰って来ないということを信ずるに至りました。
竜之助はいない――ということをお雪ちゃんが見極めてしまって、兵馬を迎えるような順序に知らず識らず落ちて行ったことは、兵馬も強いてこちらへ来るつもりもなく、お雪ちゃんも決して兵馬に来てもらうつもりはなかったのですが、この際、一人の生活の不安と、それから兵馬としても頼まれた新お代官というものが、ああいう羽目になってみれば、代官屋敷うちに居すわりにくいものがある。その両者の雲行がどちらから誘うとも、求めるともなしに、兵馬はお雪ちゃんのいるところへ暫く身を寄せていることにし、お雪ちゃんも否応なくそれを迎えてしまったものです。
二人がこうしているのも、偶然、旅路の一つ宿へ泊り合わせたようなものだから、決して長い間ではないということを二人は心得ながら、暫しの生活を同じうしました。
代官殺しと、お蘭誘拐の一切の検分をして、自分相応の観察があるらしく、兵馬は朝早く出て行って、帰りは不定であります。
飛騨、信濃の高山が鳴り出したのは、その前後のことであります。
今日も兵馬は、何か心当りあって早朝に出て行きました。あとに残ったお雪ちゃんは、イヤなおばさんの着物を縫い直すために針を運びながら、「死」ということを考えさせられておりました。
ああ、わたしたちの行く道は、「死」というものよりほかは何物もないのではないかと。
お母さんも死んだ、姉さんも死んだ、誰も彼もが死んで行く、あたりまえに死ねない人は殺されてしまう。
どちらにしても、人間には死というものが待っている。若い身空のお雪ちゃん、無邪気な生の希望に満ちみちていたお雪ちゃんが、今日は死ということの予想に、かえって幾分の慰めを感じているのです。
この世の中は、そんなに長く生きているところではない、人を離れてよく生きようとか、山へ遁れて楽しく生きようとか、憧れていた自分の思いというものは一切空想で、行けば行くほど重しが加わってくるのが、結局この世の習いではないか、それで、早くこの世を去るということが、かえって人間のいちばん幸いなことではないか――
お雪ちゃんは、それを空想ではなく、現実眼の前に眺めました。
ほんとにそうでした。よく生きようの、好きに暮そうのと思えばこそ、一層の重荷が負わされるのでした。死んでしまいさえすればこんな重い悩みが、すっかり取れてしまう――自分の苦も、死ぬことによって一切解放されるから、人もみな同じこと、よく活かすよりは、よく死なせることが本当の親切ものではないかしら。
お雪ちゃんは、このことを厳粛に考えながら針を運んでおりましたが、やがて自分の針を進めている縫物の品が、例のイヤなおばさんの遺物であることを見ると、
「おばさん――あなたはまだ本当に死にきれていないのではないのですか」
と、着物に向って呼びかけずにはおられませんでした。
それと同時に、お雪ちゃんは、この着物がどうしてこうまで自分の手を離れないでいるのかと、それとこれとをじっと見くらべておりました。
二十二
そうして、もう日も入りかけて、兵馬も帰って来なければならない時刻になっても、お雪ちゃんは頭をあげませんでした。その時、不意に縁側に人影があって、
「お雪ちゃん」
「まあ、弁信さん!」
縫物も、針も、物差も、香箱もけし飛んでしまいました。
「お雪ちゃん、わたくしは、そうしてはおられないのです、これからまた直ぐに出かけなければなりません」
してみると、この僧はお雪ちゃんばかりを当てにして……来たのではないらしい。
「え!」
「どうぞ、おかまい下さいますな、そうしてはおられません」
「どうしたのですか、弁信さん、そうしてはおられないとおっしゃるのは」
「この足で、また出かけなければなりません」
「どこへですか」
「どうも、なんとなく、わたくしの気がせわしいのです」
「だって、弁信さん、わたしじゃありませんか……あなたの落着きなさるところと、わたしの待っているところとが、ここのほかにあるのですか」
「あります」
「おや――では、弁信さん、あなたはわたしを訪ねておいでになったのではないのですか」
「もちろん、あなたに引かされて、ここまで参りましたけれども、このままでは気がせいて、落着く気になれませんのです」
「まあ……」
お雪ちゃんは全く呆れてしまいました。夢のように待ち焦れていた弁信さんその人が、現にここに来ているではないか。それだのにその人は、わたしを物の数とも思っていてくれないというのは、何という異った世界になったのでしょう。
「では、お雪ちゃん、わたくしはこれで失礼して、これから急いで、ともかくも行って見て参ります」
「どこへですか、弁信さん」
「どこへというのは、お雪ちゃん、わたくしの方であなたにお尋ねすべきところで、わたくしの方から答えるのは、逆問答になるのでございます」
「弁信さん、あなたの言うことがわかりません、以前の弁信さんなら、わかり過ぎるほどにわかっているくせに、ほんとうにあなたは僅かの間に別の人になっておしまいのようでございますね」
「いいえ、別の人になったわけではございません、お雪ちゃんが昔のお雪ちゃんなら、弁信もまた昔の弁信でございます、もしまたお雪ちゃんが、昔のお雪ちゃんでないならば、自然、この弁信も昔の弁信ではないことになります、変ったとすれば、それはどちらでございましょう」
「わたしは変りません」
お雪ちゃんは意気込んで言いました。
そうして、なお附け加えて言うことには、
「弁信さんは眼が見えないから、変ったとお思いになるかも知れませんが、わたしはこの通り、少しも変りません」
「そうですか、でも、わたくしにはどうしても昔のお雪ちゃんを懐かしがるように、懐かしがる気にはなれません」
「どうしてですか、弁信さん」
「どうしてだか知りませんが――わたくしのこの心が落着きません、わたくしの尋ねるお雪ちゃんという人の声は、ここでしているのには相違ないが、魂に触れることができません、お雪ちゃんの魂は……」
「弁信さん、久しぶりにお逢いしたのに、のっけからそんな理窟をおっしゃるものじゃありません。わたくしのほかにわたくしは無いのですよ、もし、あなたが、わたくしの声をお聞きになったのなら、それが本当のわたくしじゃありませんか。神様のように鋭い勘をお持ちなさるくせに、弁信さんは」
「そうではありません、わたくしは現在ここで声を聞くお雪ちゃんのほかに、もう一人のお雪ちゃんがあって、それが行方定めぬ旅に出ているとしか思えてなりません。しかもその行方定めぬ旅というのが、火の坑へ転げ込んで行く、お雪ちゃんの赤ん坊そのままです――あなたは自分の赤ちゃんが、地獄の火の坑へ這入って行くのをそのままに見ておられますか。でも世間には、自分の可愛ゆい片身を、罪の塊りだなんて闇から闇に送る親もないではありませんが……」
「ほんとにいやな弁信さん、昔の弁信さんはさっし入りがあって、親切で、有り余るほどの同情をすべてに持って下さったのに、今、久しぶりでお目にかかった最初に、まあ、なんといういやなことばかりおっしゃるのですか」
「いやなことを申し上げるつもりで言っているのではありません、わたくしの尋ねるお雪ちゃんの片身が――片身というのもおかしいようですが、やっぱり、魂と申しましょうか、その魂がここにおりませんのです」
「ほんとに困ってしまいます」
ああ言えばこう言う弁信の着早々の理窟に、お雪ちゃんは何と挨拶していいか、悲しい面をして立ち迷うよりほかになくなっているのを、弁信は、そっけないもののように、
「では、わたくしは、これからそのお雪ちゃんのあるべくして、あるべからざるもののために出かけてまいります」
と言って、腰を一つかけるでもない弁信は、さっさと歩き出してしまいました。
「まあ、待って下さい、弁信さん」
お雪ちゃんは、たまり兼ねて跣足で飛び出したところへ、出逢頭に宇津木兵馬が帰って来ました。
宇津木兵馬は、そのあわただしい光景を見て非常に驚きましたけれども、追いかけるお雪ちゃんよりも、追いかけられる当人が、あまりに痛々しい、弱々しい、見すぼらしい、おまけに盲目としか見えない小坊主でしたから、それを遮りとどめようとする気になれませんでした。
いったん跣足で飛び下りたお雪ちゃん、それでも草履を突っかけたまま、坂路を下りて行く弁信のあとを、息せき切って追いかけました。追いかけると言ったところで、相手が、七兵衛でもがんりきでもありませんから、お雪ちゃんにも雑作なく追いつくことができました。
追いついてさえしまえば、ここでお雪ちゃんが、弁信を手放してしまうはずはないにきまっております。
二十三
それから暫く経つと、宮川の岸の人通りの淋しい土手の上を、極めて物静かに肩を並べて歩いているお雪ちゃんと弁信とを見ることができました。
「よくわかりました、弁信さんのおっしゃることが、すっかり呑込めてしまいましたから御安心ください……わたしも、こうして、あなたを追いかけて来たのは、この辺でゆっくりとわたしからお話をしたいことがあったからなのです、あの寺ではくわしいお話のできない事情がありましたものですから」
「左様でございましたか」
「弁信さん、ほんとうにわたしは、物語にも書けないほど奇妙な縁に引かされて、きわどいところに身を置かされており、どちらにも同情を持たなければならないのに、そのどちらもが敵同士とは、因果なことではありませんか」
「そうでございますね」
「昨日までは、わたしはあの人のために、身を捧げて介抱をしておりましたが、今日はそれを敵と覘う人の情けを受けて、知らず識らず生活を共にしてしまっているのです、そうしてわたしは、どちらも憎めないばかりでなく、弁信さんだから申しますが、わたしはどちらをも愛しているのです、どちらもわたしは好きな人で、どちらをも憎めないでいます」
「あなたのそれは、世にいう娼婦の情けというようなものではありません」
この言葉が、お雪ちゃんにはよくわかっていなかったが、
「そういうわけではありませんが、今度の人は宇津木兵馬さんというのが本名で、それも今日にはじまった縁ではなく、上野原以来、奇妙な縁がつながっているのです。でも、あの人がいては、弁信さんに限っての話ができませんから、こうしてあなたの後を追いかけて、こんなところでゆっくりお話のできるのがかえって安心だと思いました。まあ、何からさきにお話ししていいかわかりませんから、思いついたまま、順序なくお話をしますから、弁信さん、ゆっくり聞いて下さいな」
お雪ちゃんはこう言って、なんとなく暢々した気にさえなったのです。先程からの急促した気分はようやく消えて、ここではじめて、昔馴染に逢って、心ゆくばかり話のできるような気分にさえなりました。
だが、あたりの光景を思い合わせると、決して左様な暢気なものばかりではないのです。ただ、今日は不思議に噴火の爆音が途絶えたような気がする。毎日毎日連続的に聞かされていた焼ヶ岳方面の火山の音というものが、今日に至って終熄したというわけではないが、噴烟はここ十里と隔たった高山の宮川の川原の土手までも、小雨のように降り注いでいるのです。
ですから、天地はやはり晦暝という気持を如何ともすることはできません。弁信の方は最初から、それは滞りがありませんでしたけれども、このごろ怖れおののいていたお雪ちゃんが、今はそれをさえ忘れて、春の日に長堤を歩むような気分に、少しでも打たれていることは幸いでした。ここで、弁信に向ってお雪ちゃんが、一別以来のことを、それから宮川の堤の長いように語り出しましたが、いつもお喋りの弁信がかえって沈黙して、いちいちお雪ちゃんの言うことに耳を傾けながら、緩々として歩いて行くのであります。お雪ちゃんとしては、白骨山中のロマンスや、グロテスクのあらゆる経歴を説いて、いかにあれ以来の自分の身の上が数奇を極めたかを、弁信の頭の中に移し植えようと試むるらしいが、弁信としてはいっこう感じたようでもあり、いっこう感じないようでもあり、ただ不思議に、あれほどのお喋りが一言も加えないで、お雪ちゃんの話すだけを、長堤の長きに任せて、話させて、歩調だけを揃えているのです。こうして、長い時の間、弁信はお雪ちゃんにお喋りの株を譲って、自分は全く争うことをしなかったが――その甚だ長い時間の後に、
「お雪ちゃん、ちょっとお待ち下さい、誰か人が来るようですから」
そこで、お雪ちゃんが、はじめて長いお喋りの腰を折られました。
「え」
と言って、四方を見廻すには見廻したけれども、ここは長堤十里見通し、その一目見た印象では、誰も土手の前後と上下を通じて、人の近づいて来るような気配はありません。人の気配には気がつかなかったのですが、お雪ちゃんが、そのとき愕然として驚いたのは、直ぐ眼の前の宮川の岸辺に漂うた破れた屋形船であります。
ああ、思い出が無いとは言わせない、この屋形船――あの大火災の時の避難以来。
それと同時に眼を移すと、遥かに続く蘆葦茅草の奥に黒い塚がある。
あ、イヤなおばさん――お雪ちゃんの面の色が変りました。
「たれか人が来ますねえ」
それに拘らず、弁信は、長堤十里見通しの利くところで、人の臭いの近いことを主張してやみません。
その途端のこと――思い出の屋形船の一方の腐った簾がザワついたかと見ると、それが危なっかしく内から掻き上げられると、ひょっこりと一つの人間の面が現われました。その思いがけない人間の面の現出が、お雪ちゃんを驚かすと同じように、先方の面の持主をも驚かしたと見えて、現わすや否やその面を引込めてしまいました。
この場合、先方よりはこちらの方が予備感覚のあっただけに、認められることが遅く、認めることが早かった勝味はありました。
先方の当の主はおそらく、こちらが何者であるかということは突きとめる余裕がなくて首を引込めたことがたしかと見られるのに、こちらはその瞬間にも、存外よく先方の面体を認めることができたのです。
お雪ちゃんは、その瞬間の印象では、この辺で、ちょっと灰汁抜けのしたイナセな兄さんだと認めると共に、どうもどこかで見たような男だと感じました。
だが、わざわざ物好きにあの捨小舟を訪れてみようという気もせず、むしろこんなところは早く通り過ぎた方がよいと考えて、今までよりは急ぎ足に弁信の先に立ちました。
しかし、その捨小舟の近間を通り過ぎたかと思うと、また以前よりも増した緩々たる足どりで、弁信に話しかけながら、悠々として堤上を歩いて行くのです。
二十四
お雪ちゃんが、弁信に向ってまたこういうことを言いました――
「弁信さん、わたしはこのごろになって、つくづくと人間は慾だと思いました、親兄弟だとか、親類だとか言いますけれど、詰るところみんな慾ですね」
「どんなものですかね」
「あの、イヤなおばさんだって、家に財産があったからああなったのです。その後の騒動が、この高山の町を焼き払ってしまうまでになったのも、元はといえばみんな慾じゃありませんか。親が子を可愛がるのも慾、友達が助け合うというのも慾、みんな真実の皮をかぶった慾で、世の中に本当の思案だとか、親切だとかいうものは無いものじゃないかしらと、わたしはつくづくこのごろ、それを考えますよ」
「さあ、どんなものでしょうか」
「慾を離れて人間というものは無いのです。それを考えると、わたしはたまらないほど情けなくなりました、すべて人間は、物が無いほどしあわせなことはないのじゃないかしら、と考えるようになりました」
「なるほど」
「ですから、人間は、自分のものとしては何も持たないで、その日その日に食べるだけのことをして、それからできるだけ自分の好きなことをして、それでいけなくなったら、楽に自分の手で自分を死なしてしまうのが、いちばん賢い生き方じゃないかと思ってみたりすることなんぞもありますのよ。自分ひとりで死ねなければ、自分のいちばん好きな相手と一緒に死を選ぶのが、いちばん賢い生き方ではないか、生きているということは、そんなに幸福なことでも、価値のあることでもない、と思ったりすることもありますのよ……」
「お雪ちゃんとしては、珍しい心の持ち方ですね。わたくしも、生きているということが、そんなに幸福なこととは思いませんが、それでも、強いて死のうという気にもなりません。生を貪るのはよくありませんが、それよりも、死を急ぐのはよろしくありません」
「ああ、人間はほんとうに、みんな慾のかたまりではありますまいか。恩だの、義理だの、人情だのと言いますけれど、自分の取分をほかにして何が残りましょう。恋というようなものも、慾の変形といったようなものです。弁信さんのように、神様仏様の信仰も、やっぱり根本を洗ってみると慾から来ているのじゃないか知ら、なんて疑ってくると、わたしは浅ましくてなりません」
「…………」
「慾ですよ、慾を離れたところに人間はありません。わたしは、慾を離れて人間界の別の天地といったようなところへ落着きさえすれば、それが白山の上であろうとも、畜生谷の底であろうとも、どこへでも行ってみるつもりでしたけれども、いま考え直してみると、どんな山奥へ行ったからとて、どんな谷底へ下ったからとて、慾のない世の中は無いのじゃないかしらと、つくづく悟りました」
「なるほど」
「そうして、まあこうして人間がすべて慾のかたまりで、親も、兄弟も、親類もなく、結局、持っているものを奪い合うという浅ましい世の中が、どうなって行くものでしょうかねえ」
「左様……」
「人間が、あんまり慾一方で浅ましいものですから、それだから山が裂けて、この世が一体に火になってしまうのじゃないかと言う人もあります。なかにはこんな浅ましい餓鬼のような人間は、一度、大掃除をしてしまった方がいいなんて言う人もあります」
「見ようによっては、そうも見られないではありませんね」
「人という人が、恩を忘れ、慾のために人を売るようになってしまっては、全く神様や仏様が、人間に水だのお米だのを与えて、生かして置くことがおいやになるのも無理はありませんね」
「なるほど」
「まあ、お聞きなさい、弁信さん、また山鳴りの音が轟々と高くなってきました。あなたの眼には見えますまいけれども、どうです、実に怖ろしい唐傘のような雲が湧き上ったことを、これこんなに灰が降って来ました」
こう言ってお雪ちゃんは、東の空に濛々と立ちのぼる車蓋の如き雲を眺めながら、弁信の法衣の袖にかかるヨナを、しきりに払い除けてやっていました。
今日の弁信は、おとなしいもので、いちいちお雪ちゃんの言うことに受身になって、それに異議を挟むこともなければ、その意見を訂正したり、訓戒したりすることの絶えてないのが変っています。
つまりお雪ちゃんの人生観が、珍しいほどの変り方を示して、生存の否定と、死の讃美に近いところまで行っているのを知りながら、それに異見を加えない弁信の態度が、変っているといえば変っているのです。
「ねえ、弁信さん、世間の学者たちは、世の中がこんなに悪くなったのは、それは江戸の幕府の方が堕落してしまっているからだと申します。その堕落しきっている幕府の力を倒して、本当の天朝様の御代にすれば、この世の空気もすっかり立て直り、人間もみんな正直にかえるのだ、そうしてその堕落した江戸の幕府というものも、どちらにしても長い寿命ではないから、そのうちに天朝様の世になって、世界が明るくなると――今はその夜明け前だとこう申す人もございますが、それが本当なのでしょうか」
「さあ――そのことも、わたくしにはよくわかりませんが、政治向が変ったからとて、人心はそうたやすく変りますまい。人心が変らない以上は、いくら制度を改めたところで、どうにもなりますまい。慾にありて禅を行ずるは知見の力なりと、古哲も仰せになりました」
弁信の返事は、お雪ちゃんのピントに合っていないようでしたが、さて、お雪ちゃんは、ちょっとその後を受けつぐべき言葉を見出し得ませんでした。
二十五
「それはそうと弁信さん、あなたはこれから、わたしを捨てて、何の用があって、どこへ行くつもりですか」
「さあ……」
お雪ちゃんに改めてたずねられて、弁信法師が返事に当惑しました。
「さあ、そう改まってたずねられると私は困るのです、白骨にいてどうも動かねばならぬ気分に追われて動いて来ましたが、ここでわたくしの頭が、わたくしの足を止める気にならないのが、不思議なのです」
「わたしに逢いに来てくれたんではないのですね」
「いや、やっぱりあなたに逢いたい一心で、命がけで白骨まで来たのですから、ここで逢いたいに違いないのですが、どうもわたくしの足が、この地にわたくしをとめてくれないので、どうにもなりません」
「どうしたのでしょう、わたしは、弁信さんが二人あるように思われてなりません、今ここにいる弁信さんは、弁信さんに違いないけれど、わたしの弁信さんは、まだほかにあるような気がしてなりません」
「そう言えば、わたくしもお雪ちゃんが二人あるように思われてなりません、ここにいるお雪ちゃんも、わたくしの尋ねて来たお雪ちゃんに相違ないけれども、まだ別に一人のお雪ちゃんがなければならないし、わたくしはそれを尋ね当てなければ、本当のお雪ちゃんに逢っているのではないというように思われてならないのです」
「ほんとうに、二人とも、おかしい気持ですね、まさか夢じゃないでしょうね。夢であろうはずはありませんが、二人ともに、逢えると思う人に逢っていながら、逢えないでいるのですね」
「そうです、わたくしは、もう一つ本当のお雪ちゃんを探すために、前途を急がねばならぬような気持に迫られているのです」
「どうも、おかしいですね。そうして、どこへ行ったら本当のわたしが見出せると思いますの」
「その見当はつきませんが、わたくしのこの足は、南の方へ、南の方へとこの飛騨の国を走れと教えているようです。飛騨を南へ走れば、美濃の国ですね――美濃の関ヶ原へ向けて、何はともあれ、急いでみたいという気分に駆られておるのです」
「美濃の国の関ヶ原――」
「ええ」
「関ヶ原といえば、古戦場じゃありませんか」
「そうです――その美濃の国、関ヶ原という名が、今のわたくしの頭の中にピンと来ているのは、そこへ行けばなにものかの捉まえどころがあるという暗示――ではないかと、私の経験が教えますから」
「それだけなのですか、その関ヶ原とやらに、あなたの知っているお寺だとか、昔のお友達だとかいうようなものがあるのですか」
「そんなものは一向、心当りはございません、ただわたくしのこの頭が、関ヶ原、関ヶ原と何か知らず私語いて、見えない指さしが行先を指図してくれているんですね」
「なら、弁信さん、わたしもその関ヶ原へ行くわ」
「え」
「わたしも、その関ヶ原へ連れて行って下さい」
「でも、あなたは、わたくしのように身軽には歩けません」
「歩きます――このままでもかまいません、弁信さんと一緒ならば」
「困りました」
「何を困ることがありますか。では弁信さんは、わたしを振捨てる気でそんなことを言うのでしょう」
「そうではないのです、そうではないけれど、このままあなたを連れ出すということが、すんなり行くかどうかを考えさせられずにはおられません」
「ようござんす、弁信さんがわたしを連れて関ヶ原へ行かなければ、わたしはわたしでひとりで行きますから」
「では、やむを得ません、あなたと一緒に関ヶ原へ参りましょう」
「ああ嬉しい」
「わたくしはここに待っておりますから、おうちへ帰ってお仕度をしていらっしゃい」
「それはいけません、弁信さん」
「どうしてですか」
「わたしがあそこへ帰れば、わたしはきっと引きとめられてしまいます、決してひとりで旅に出ることなんぞは許されるはずがありませんもの」
「でも、そのままでは仕方がないでしょう」
「だって、弁信さんだって――いつも着のみ着のままで、旅に出るではありませんか」
「わたくしは違います――わたくしは世間の人と違って、旅が常住ですから……」
「なら、わたしにもその真似をさせて下さい」
「それはあぶないです」
「あぶないことはございますまい、不自由な弁信さんが着のみ着のままで出られるように、ともかくも五体満足な、女の身ではあるけれども若い盛りのわたしが、着のみ着のままで出られないはずはありません、もし、間違っても、それはあなたの責任ではありませんから」
「よろしうございます、では、このまま出かけましょう」
「出かけましょう」
二人はこの場の出来心――というよりも、非科学的であることの甚しい弁信法師の頭だけの暗示をたよりとして、一種異様なる駈落を試みようということに、相談が一決してしまったのです。
「弁信さん、わたしが死ぬ時は、あなたも一緒に死んで下さいますか」
「死にますとも」
弁信は事もなげに答えました。異様なる縁に迫られて、二人は駈落の相談から、合意の心中をまでも、事もなげに話し合い、こうして二人の行先はきまりました。
美濃の国――関ヶ原、関ヶ原。
二十六
二人が長堤を閑々と歩いていた時、屋形船から首を出して、お雪ちゃんに認められたところの男が、あわただしく首を引込めてから、船の中で大あくびをし、
「いやどうも、忍んでいると日が長い、日が長い」
これは、がんりきの百蔵という野郎でありました。
がんりきは大あくびをしてから、船の中を見返したが、薄暗い捨小舟の中には、いま自分が枕にしていた小箱のほかには何物もない。何だか知らないが、この狭苦しい舟の中へさえも、ひしと迫る言い知れぬ倦怠のような、淋しいようなものが漂うて来るのに、うんざりしたものらしい。
ともかくも黄昏時ではあるが、この男の出動する時刻にはまだ間もあるものと見え、いったん眼を醒まして、破れ簾をかかげて外の方を見渡した。とろんとした眼を据えて、そのまままた小箱を枕にゴロリと横になり、半纏を頭から引被って寝ころんでしまったものです。
相応院の入相の鐘がしきりに、土手を伝い、川面を伝って、この捨小舟を動かしに来るのだが、がんりきの耳には入らないと見えて、暫くすると、またいい寝息で寝込んでしまいました。
この時分、捨小舟とは程遠からぬ川原の蘆葦茅草の中の、先達てイヤなおばさんの屍体を焼いた焼跡あたりから、一つのお化けが現われました。
がんりきの出動するのさえ早い時刻だから、お化けの出動はいっそう早過ぎると見なければならない時間に、お化けがうろうろしている。こんな業の尽きないおばさんの魂魄が、焼いても焼ききれるはずはないから、その焼跡にまだうろうろしていることも一応は不思議ではないが、ここに出現したのは、あの脂身たっぷりなイヤなおばさんの幽霊としては、あんまりしみったれで、景気のないこと夥しい。それは自分の焼かれた焼跡をしきりにせせくって、舐めたり乾かしたり、何ぞ落ちこぼれでもありはしないかと、地見商売のような未練たっぷりのケチケチしたお化けぶりです。
いっそ、こんなしみったれな真似をしないで、思い切って娑婆気を漂わせ、幸い、最も手近なるところにがんりきというあつらえ向きの野郎がいるのだから、そこらへ一番持ちかけて行ってみたらどんなものだろう――イヤなおばさんのこってりした据膳を、がんりきの奴がどうあしらうか、これは浅公なんぞよりはたしかに役者が上だから、おばさんとしても多少の歯ごたえはあるだろう……たぶんその辺の当りがなければと、あらかじめイヤなおばさんはイヤなおばさんとして、相当のおめかしもしなければならない。いいかげん水びたしにされたり、焼かれたりしたずうたいを、なんぼなんでも、このまんまで色男の前へ出されもすまいじゃないか――そこでおばさんは焼跡の土をせせくって、何やら相当の身じまいにうきみをやつしているものだろうか。
ところが、蘆葦茅草の中の一方がガサガサとザワついて、そこから、そろそろと忍びよる一つの物がある。
幽霊もまた友を呼ぶのだろうと見ていると、その蘆葦茅草の中がザワついたと見る瞬間、身じまいをしていたはずのイヤなおばさんのお化けが、びっくり仰天して立ち上るや、転がり、震動して、その場を逃げ出してしまったのはあんまり意気地がない。
その意気地のないお化けの図体が、こちらの水たまりのところで踏み止まったのを見れば、なんの……これはイヤなおばさんその人の亡霊でもなんでもない、以前、一度見たことはあるが、根っから見栄えのしない、いつぞやあちらの焼跡の柳の下で、どじょうを掬っていた紙屑買でありました。
この紙屑買の名を、この辺ではのろま清次と言っている。察するところ、この紙屑買ののろま清次は、あの晩、ああして焼跡をせせくった味が忘れられず、何でも焼跡と見ればせせくって、ものにしなければ置かない性分と見える。そこで今晩は、イヤなおばさんの焼かれ跡へ眼をつけて、ここまで忍んで来ていたなどは、のろまどころではない、生馬の目を抜く代り、死人の皮を剥ごうという抜け目のない奴であります。
何となれば、あの焼跡では、あんな怖い思いをしたけども、同時に、相当なにか獲物にありついた覚えがある。今はもう、掘りつくし、せせりからしてしまったあとへ、バラック建築がひろがってしまったから、しゃぶってもコクは出て来まいが、それに就いて思い起したのは、あのイヤなおばさんの焼跡である。本来、この町の目ぬきのところを、あんなに焼いて、自分にも多少儲けさせてくれた恩人というものは、一にあの穀屋のイヤなおばさんの屍体の処分から起っている。
そのくらいだから、その本元をせせってみれば、まだ何か落ちこぼれが無いとも限らない、あのおばさんの屍体は、とうとう河原の中で焼き亡ぼされる運命におわってしまったが、その焼跡の灰を安く入札したものがあるという話も聞かないし、おばさんの屍体を焼いて、粉にして、酒で飲んだものがあるという噂も聞かない。
身につけたもので、金の指はめだとか、パチン留めだとか、銀の頭のものだとか、煙草入の金具だとかいうものを、焼灰の中からせせり出す見込みはないか。
紙屑買ののろま清次は、今晩それに眼をつけて、イヤなおばさんの焼灰の跡をせせりに来たものに相違なく、決して最初想像したように、おばさんの亡霊が、心やみ難き未練があって、うきみをやつして化けて出たものではない。
そうなってみると、一方から、この小胆にして多慾なる紙屑買をオドかして、蘆葦茅草をガサガサさせたいたずら者の何者であるかということも、存外簡単な問題であって、それは貉でした。
二十七
土俗の間では、貉と狸とは別物になっているが、動物学者は同じものだと言っていることは前巻にも言った。ともかく、このせせこましいうちに、多分のユーモアを持った小動物は、東方亜細亜特有の世界的珍動物の一つとして学者から待遇されている。人を化すとか、腹鼓を打つとかいう特有の芸能を見る人は見る人として、犬族としては珍しく水に潜り、木にのぼる芸当を持っているということを学者は珍重する。食物にも選り嫌いというものが少なく、小鳥も食い、蛇も食い、野鼠も食い、魚類も食い、昆虫も食い、蝸牛も、田螺も食うかと思えば、果実の類はまた最も好むところで、木に攀じ上ることの技能を兼ねているのはその故である。
ただ、かくの如く、器用であり、魅惑的の芸能を持ち、食物に不平を言わない当世向きの性格を持ちながら、自分が自分としての巣を作ることを知らない、他動物の掘った穴の抜けあとを探しては、おずおずとそこを占領して自分の仮りの住家とする、追い出されれば直ちに出て行く代り、岩の穴でも、木のうつろでも、身を寄せて雨露を凌ぐところさえあれば、そこに身を寄せてまた不平を言わない代り、いつまで経っても自分の力を以て文化住宅を営もうなんていう心がけはないのです。
この原始的にして、進取の心なく、抵抗の力に乏しい小動物は、今し夜陰、こうして食物をあさりに出たものと見える。その出動がはからずも、紙屑買であり、焼跡せせりであるところの、のろま清次の仕事を脅す結果になったとは自ら知らない。
自分が人を脅して、かえって自分がそれにおびやかされている。
紙屑買ののろま清次は水たまりのところまで息せき切って避難してみたが、この敵は存外手ごたえがなく、いつぞや焼跡で見た幽霊であり、辻斬の化け物であり、柳の下で組み伏せられた若衆のような手硬い相手でないことに気がつくと、またそろそろと、おばさんの最期の焼跡の方へ立戻って来ました。
立戻って来て見ると、もう、あの東亜細亜特有の小動物はいない。
胸を撫で下ろすと共に、紙屑買ののろま清次はカンテラをつけて、またも現場のせせり掘りをはじめました。
現場をせせくっているうちに、のろま清次も変な気になったものと見え、
「へ、へ、へ、この後家様、これがなア、ずいぶん罪つくりの後家様だなあ。話を聞くと、屍体とはいえまだ脂っけがたっぷりで、腋の下の毛なんぞも真黒けだってなあ。生かして置けば、まだまだどのくれえ男をおもちゃにしたことかわからねえ。ほんとうに天性の淫乱というのが、この穀屋の後家様だあな。へ、へ、浅さんもかわいそうに腎虚で殺されちまったなあ。高山の町からもえらいのが出たものさ。この穀屋の後家さんが関で、それに続いちゃ、あの嘉助が娘っ子のお蘭さんだなあ。あのお蘭さんなら、イヤなおばさんのあとはつげらあ、後生おそるべしだなあ。昔、上つ方に、すてきもない淫乱の後家さんがあって、死んでから後、墓地を掘り返して見たら、黄色い水がだらだらと棺の内外に流れて始末におえなかったと、古今著聞集という本に書いてあるとやら。この穀屋の後家さんの屍体なんぞも土葬にすりゃその伝だろう。イヤ、土葬にしなくても、いやにこの辺がじめじめしてきた、イヤにべとべとした泥が手につきやがらあ、いい気持はしねえなあ」
こんなことをつぶやきながら、もしや金の指はめでも、もしも銀の髪飾りでも、もしや珊瑚樹の焼残りでも――当節は貴金属がばかに値がいい、江戸の芝浦で、焼あとのゴミをあさって大物をせせり出して夜逃げをしてしまった貧乏人があったそうだが、成金になって夜逃げもおかしいが、この不景気に大金を手に入れた日にゃあ、夜逃げでもしなくちゃあ――仲間に食い倒されてしまう、としきりにひとり言を言い、広くもあらぬ屍体の焼かれあとを一心不乱にせせり散らしている。
「イイ気持はしねえ、どうもイヤな気持になったなあ、穀屋の後家様、お前はしてえ三昧をして死んだんだからいいようなものの、その焼跡をせせくっている、この紙屑屋の清次なんぞは、してえことをしたくってもできねえんですぜ、イヤな気持になったよ、穀屋の淫乱後家さん……」
のろま清次が、うわずったたわごとを吐きながら、地面をせせくっていると、
「わっ! 貴様、そこに何しとる」
お国なまりの大喝。
「へッ!」
のろま清次は腰を抜かしてしまいました。
今度のは東亜細亜特有の小動物ではない、まさしく、日本の国の或る地方の作りなまりを持った人間の声が、自分の仕草を見届けた上に、一種の威圧を以て頭から一喝して来たものだから、のろま清次はほんとうに驚いてしまい、ヘタヘタと腰を抜かしたけれど、その抜かした腰のままで、いざりが夕立に遭ったように河原の真中へ逃げ出してしまいました。
紙屑買ののろま清次が、一たまりもなく逃げ出した後で、その置きっ放しのカンテラを取り上げて、
「ザマあ見やがれ」
苦笑いしながら、現場を一通り照らして見ている男。これが、さきほどまで捨小舟の中で、うたた寝をしていたがんりきの百蔵でありました。
それにしてもたった今、うしろからかけたおどしの一喝、
「わっ! 貴様、そこに何しとる」
何しとるというような訛りは、甲州入墨で江戸ッ子をもって任ずるがんりきの地声ではない、特におどしを利かす場合のお国訛りに相違ないでしょう。
「のろま!」
がんりきはカンテラを持ち上げて、清次が逃げて行った方を冷笑気分に見廻し、
「ぼろっ買い! だが、のろまがのろまでねえ証拠には、ぼろっ買い、とうとう味を占めやがった、抜け目のねえのろまめ! 消えてなくなりゃあがれ、うふふ」
見ればいつのまにか、もうキリリとした道中姿になっていて、四通八達、どちらへでも飛べるように、ちゃんと身拵えが出来て来ている。
がんりきが、カンテラを提げて、宜しく河原の中に立って、暫く四辺を見廻していると、四辺はひっそりしたものだが、東の方は炎々と紅く燃えている。
昼は黒く見える爆烟が、夜はああして紅く見えるのだ。
二十八
まもなくこのやくざ野郎のキリリとした旅姿が、宮川筋の芸妓家の福松の御神燈を横目に睨んで、格子戸をホトホトと叩くという洒落た形になっている。
「今日もお茶よ」
委細心得て、長火鉢の前にがんりきを引据えた福松の投げつけるような御挨拶、この芸妓はこの間の晩、やっぱり柳の下で、だらしのない、しつっこい芸当をしきりに演じていた兵馬なじみの芸妓であり、お代官の思われ者であり、当時、高山では売れっ妓の指折りになっているのだが、昨今の天災続きで、ここ随一の流行妓も、このごろはお茶を引かざるを得なくなっている晩である。
「いやんなっちゃあな」
米友の口調めいたことをがんりきが言う。
「全くいやになっちゃいますね、ただ不景気だけならいいが、人気がすっかり腐って、世の中がこわれちゃいそうなんだから」
福松はこう言いながら、吸附煙草をがんりきにあてがう。
この野郎、もう僅かの間に、このぽっとり者へ渡りをつけてしまったものと見える。ぽっとり者の方でも、この高山の土臭いのや、郡代官のギコチないのより、口当りだけでも、きっぷのいい江戸ッ子気取りの兄さんを用いてみたい心意気があったものと見える。
がんりきは、抱え込んで来た小箱の包みを下へ置いて、長煙管を輪に吹いていると、芸妓の福松が頬っぺたを兄さんにくっつけるようにして、
「兄さん、もう疑いが晴れたから、許してあげよう、今晩からここへお泊りな」
「う、ふ、ふ、何かお前に許していただくような悪いことをした覚えがあるかねえ」
「大ありさ。だが、少し罪が軽くなったというまでのことで、まだ無罪放免というわけじゃないんだから、ここへ泊めて上げるには上げるが、ひとりで出歩きはなりませんよ」
「おや、何とか言ったね――どうやらおいらは兇状持ちででもあるかなんぞに、お前という人からイヤ味を言われるのは、きざだけじゃすまされねえぜ」
「そういうわけではないんですよ、わたしは皮肉に出ているわけでもないのですが、御縁だから兄さんを大事にして上げたいとこう思っている親切気から、そう言ってあげるのだわ。内実のところは、わたしゃ、てっきり兄さんと睨んでいたのよ。というのは、お代官様のあの一件ね、あんなすさまじいことをやる人は……もしやわたしの兄さんじゃないかしらと、もっぱらこう疑っていたんですけれど、堪忍して下さい、わたしの的が外れました、うちの兄さんは、決してそんな悪党ではありませんでした」
「何を言ってるんだい――おれがお前、お代官の首をちょんぎったり、それをお前、中橋の真中で曝しにかけたり、そんなだいそれた芸当のできる兄さんと思っていたのかい」
「でも、ほかに、あれほどの事をやりきる人は、まずこの高山にはありませんからね、それで、もしやと兄さんを疑ってみたんですが、その疑いがようやく晴れたから御安心なさいと、そう言ってあげているんですよ」
「自分勝手に、ありもしねえ疑いをかけておきながら、疑いが晴れたから安心させて遣わすなんぞは、あんまり有難くねえ」
「ですけれども、すっかり疑いが晴れてしまったわけじゃないのよ、まだ充分に疑いの解けない点もありますのよ」
「疑いの解けない点と来たね、その点を、ちょっとつまんで見せてもらいてえ」
「お代官様をあんなことにしたのは、お前さんの仕業じゃないにしても、お蘭さんを連れ出したのは、どうも臭いよ……そればっかりはまだ疑いが解けないねえ」
「へえ、してみると、あのお蘭さんというみずけたっぷりなお部屋様をそそのかして連れ出したのが、この兄さんだろうと、今以て疑念が解けなさらねえとこういうわけなんですか」
「ところが、実のところは、それもすっかり疑いが解けてしまったはずなんですけれども、どうも、それでもなんだか臭いところがあると思われてたまらないのさ」
「御念の入ったわけだが……どうもわっしにゃ呑込めねえ」
「それじゃ、疑いのすっかり晴れた理由と、まだ晴れないわけとを、よく説きわけて上げるから、お聞きなさいよ」
と言って福松は、がんりきの手から長煙管をひったくるように受取って一服のみ、
「わたしは、お代官をやっつけて、お蘭さんはどこぞへさらって行って隠して置く悪い奴は、最初のうちは、てっきりお前さんのした仕事のように思われてならなかったのさ、ところが、きのうになってようやく確かな筋から聞いたところによると、お代官を殺したのは、ある腕の利いた浪人者で、それがお蘭さんとかねて出来ていて、お蘭さんが手引をしてあんなことをさせ、そうしてあらかじめ早駕籠を用意して置いて、人が追いかける時分には、もう国境を出てしまって、手がつけられなくなっている、ということを聞いたから、それで安心しましたの」
「なるほど――それで、このお兄さんの冤罪というものは晴れたわけだが、そうなると今度は、お兄さんの方でお聞き申してえのは、いったいその、お蘭さんと出来てだいそれた主人殺しをやり、国を走ったその浪人者というのは、どこのどういう奴なんだえ」
「それがさっぱりわかりませんのさ」
「わからねえ、お代官の役人の手でも?」
「ええ、もう少し早いと、国境を越す前に捕まえてしまったんだそうですが、うまく国境を出られてしまったから、どうにも手が出しにくいんだそうです」
「国境を出たといったところで、お前、女連れで遠くは行くめえし……それに、日頃お蘭さんと出来ていたっていう浪人なら、たいてい当りがつきそうなものじゃねえか、きのうや今日のことじゃねえ、どのみち、お代官に居候か何かしていた覚えがあるという代物なんだろう」
「ところが、それが全くわからないのですよ」
「わからなければ、草の根を分けても尋ねたらよかりそうなもんだ、国境を出たからといって、たいてい道筋はわかっているだろう……悪い者をふんづかまえるに、近所近国といえども遠慮はなかろう」
「ですけれど、今の時勢で、この高山はお代官地でしょう、近国はみんな城主のものになっていますから、思うようにいかないんだっていうことよ」
「まだるい話だな――じゃ、お蘭さんの奴、色男に手引をして、お主を討たせた上に、手に手をとって、今頃は泊り泊りの宿で、誰はばからずうじゃついているという寸法なんだな――畜生!」
「ほんとに憎いわね、その色男より、お蘭さんという人がいっそう憎いわね」
「お蘭……悪い奴だなあ」
「お前さんなんて、傍へ置こうものなら忽ちちょっかいを出すだろう、出すんならまだいいが、出されちまいまさあね」
「ふん、たんとはいけねえが、一度はお近づきになっておいても悪くなかった奴さ」
「その口をつねるよ」
「だがねえ……そこんとこにも、ちっと腑に落ちねえ節があるんだ、お蘭様というお部屋様の素姓のほどは、おいらも聞いていねえじゃねえが、このいろという奴がどうも怪しいものだぜ」
「そりゃ怪しいにもなんにも」
「怪しいといったってお前――お前はかねて、この怪しい奴とお蘭さんと出来ていて、二人がしめし合わせてやった仕事のように言うが、おいらにゃ、そうは思えねえ」
「どうして」
「どうしてったって……お前、その証拠をひとつ見せてやろうか」
と言って、がんりきの百は、後生大事に船の中からここまで抱えこんで来た小箱の包みを今更のように持ち出し、福松の鼻先に突きつけて早くも結び目を解きにかかりました。
「何なの、いったいそれは――」
福松が覗き込むのを、がんりきは取りすまして、
「こりゃ、その、何さ、おいらが特別にあのお蘭さんからのお預りの一品さ。まあ、どうしてこちらがあのお蘭さんから特別のお預りを持たされるようになったかってえことは聞かないでおくれ、とにかく、あのお蘭さんから、この兄さんが特別に頼まれた一品をお預り申していると思召せ、それがこの箱なんだ。ところで、この玉手箱の中身を、ほかならぬお前のことだから、見せてあげようという心意気だ、そうれ、よくごらん」
と言って、結び目を解き終ったがんりきが、怪訝と呆れをもって見つめている福松の鼻先で、包みの中から出た蒔絵の箱の蓋を取って、いきなり掴み出したのが金包であります。
「そうら、百両包みが三つ――都合三百両、これがお蘭さんの当座のお小遣さ。ほかにそら、持薬が二三品と、枕本、手紙、書附――印籠、手形といったようなもの」
「おや、おや」
「どうだ、こういうものをお蘭さんが人手に預けっ放しにして置いて、駈落というはおかしなもんじゃねえか、色男と手に手を取って逃げようとでもいう寸法なら、さし当り、この一箱をその色男の手に渡して置かなけりゃ嘘だ、昔から色男になる奴は、金と力が無いものに相場がきまっている、そいつがお前、お蘭さんのつれて逃げたという色男の手に入らねえで、ほかならぬこの兄さんの手に落ちている――してみりゃ、かねてその色男としめし合わせて今度の駈落、というのは嘘だあな」
「じゃ、どうしたの」
「お蘭さんはお蘭さんで、かどわかされたんだね、決して出来合ったわけでも、しめし合わせたわけでもないんだ」
「そうだとすれば、かわいそうね」
「うむ、かわいそうなところもある、第一、駈落には、金より大事なものはあるにはあるが、金が先立たなけりゃ身動きもできるものじゃねえのさ、その大事の金を一文も持たずに連れ出されたお蘭さんという人も、たしかにかわいそうな身の上に違えねえから、ここは一番……」
がんりきは意気込んで、小箱の蓋で縁を丁と叩き、
「何とかしてやらざあなるめえ」
と見得をきったのです。福松は少々白けて、
「では、どうして上げようというの」
「頼まれたわけでもなんでもねえが、男となってみりゃ、お蘭さんの難儀を知って見遁しはできねえ、これから後を追いかけて、この路用を渡して上げて、ずいぶん路用を安心させてやるのさ」
「え、え、兄さん、お前さんがこのお金その他を、わざわざお蘭さんに届けに行ってあげようというの?」
「まあ、そんなものさ、そのつもりでこの通り、身ごしらえ、足ごしらえをして来たんだ、時分もちょうどよかりそうだし、ところも美濃路と聞いたから、旅には覚えのあるこの兄さんのことだ、あとを追いかけりゃ、蛇の道は蛇というわけでもねえが、下手な目あかしよりはちっと眼は利いている、ここ幾日のうちには、首尾よくお手渡しをした上で、またお前さんのところまで舞い戻って来てお目にかかる。ところで……」
がんりきはこう言って、はや出立もし兼ねまじき勢いを見せ、箱を包み返しにかかりながら、呆れ返っている福松の前へ、切餅一つをポンと投げ出し、
「三つあるうちの一つだけは、骨折り賃に天引としてこっちへ頂いて置いても罪はあるめえ、御神燈冥利というものだ、遠慮なく取って置いてお茶の代りにしな」
百両の金を気前よく――いくら人の物だといっても、そう気前よく投げ出されてみると、何はともあれ女として、見得も、外聞も、怖れも忘れて、有頂天とならざるを得ない。
「まあ、こんな天引をいただいて、ほんとうに罰は当らないか知ら――そうさねえ、もともと元も子もないと思い込んでいたものを、お前さんがそれを届けに行ってやる御親切から比べりゃ、なんでもないわねえ、済まないねえ――わたし、嬉しいわ」
百両の金包を額に押当ててこすりつけた福松。
その時、表の御神燈の方をハタハタと叩く音がして、
「福松どの、福松どの――」
その声は不思議や、宇津木兵馬の声です。
二十九
思いがけなく、外からおとのう人の声を聞くと、家の中の二人が一時大あわてにあわてたようであったが、そこはさるもの、がんりきの百は早くも裏口から脱兎のように飛び出し、芸妓の福松がなにくわぬ面で格子をガラリとあけ、
「まあ、数馬様でいらっしゃいましたか、こんなに遅く、どうあそばしたのでございます」
「実は……」
兵馬が閾を跨がないで何をか言わんとするのを、芸妓は、
「まあまあよろしいじゃございませんか、わたしのところだって鬼ばっかりはおりません、少しお上りあそばせよ」
「いや、ここでよろしい、ちょっと耳を貸してもらいたいのだ」
「まあ、そうおっしゃらずに、少し……」
「いや、ここがよろしい、ちょっと聞いてもらいたいことがある」
何か内証話があるらしいそぶり。福松は引寄せられて、
「何でございますか」
「あの……」
兵馬も面を突き出して福松の耳に口をつけようとすると、紛として白粉の匂いが鼻を打ちました。
「あ、よろしうございますとも、それはよう心得ておりますから、そういうことがあり次第、何を差置いてもあなた様にお知らせを致します」
兵馬の囁きを、芸妓の福松は委細諒承してしまっての返事がこれです。
「では、頼みます」
「まあ、よろしうございます、もうこんなに遅いのですから、お泊りあそばしていらっしゃいましな。あら、わたしのところじゃおいや……」
「そうしてはおられません」
兵馬はこう言って、御神燈の下を辞してしまいました。
うつらうつらと、宮川の岸を歩きつつある兵馬の心頭に残っているのが、あの脂粉の匂いです。目先にちらついているのは、御神燈の光へ横面を突き出して、兵馬の方へ耳を寄せたあの頬っぺたの肉づきと、それから島田の乱れたのです。
兵馬は、なんだかうなされるような気になりました。吉原で魂を躍動させたような血が、どうやら巡り来って自分を圧えつけるような気持がしただけではありません、「泊っておいでなさいましな、あら、わたしのところじゃおいや……」と言ったのが、なんだか耳の底に残っていてならぬ。
泊って行けと言われたなら、泊って来たらよかったじゃないか――そんなにも兵馬は考えました。
だが、宿所にはお雪ちゃんが待っている。待っていないまでも、用向以外に人の家へ寝泊りして来るいわれはない。泊って行けと言ったのも[#「言ったのも」は底本では「行ったのも」]、「あら、わたしのところじゃ、おいやなの……」と言ったのも、先方の単純なお世辞で、こちらがそれに甘んじて、のこのこと芸妓家へ泊り込んだりなどしたら大笑いだ。今晩福松を訪ねたのは彼女を利用せんがためであって、その好意に甘えんがためではない。
兵馬は、この間の代官屋敷の兇行者を、がんりきの百蔵だと睨んでいないまでも、彼が有力な芝居をすることを前後の事情から推察している。だが、がんりきをがんりきとして目星をつけたのではない。代官屋敷に宿直をしている時、自分とお蘭さんとを間違えて口説きに来た悪党めいた奴があった。その時、取っつかまえてやろうとしたが、存外すばやい奴でとり逃したが、あいつがこのたびの事件に有力な筋を引いているように思われてならない。代官の首を斬るというほどの役者ではないが、お蘭さんをかどわかすぐらいのことをやり兼ねない。時を同じうしての出来事だから、代官を斬ったのと、お蘭を奪ったのとが同一人の仕事のように見えるけれども、どうも別々の事件のように思われてならない。
そうして、代官を斬った奴はもうとうに国境を出て行ってしまっているかも知れないが、お蘭さんをかどわかした奴は、ことによるとまだ町の内外に隠れて、ほとぼりの冷めるのを待っているかも知れない。
今晩、その辺の当りをつけるために、わざわざ福松の御神燈の下に立ったのは、商売柄こういう女を利用すれば、何かきっかけが得られないものでもあるまいとの用意でした。
そこで、今、兵馬はお雪ちゃんと宿所を共にしているところの相応院の坂を上りながらふり返ると、まさに草木も眠りに落ちている高山の天地――宮川筋にまばゆき二三点の火影のみがいやになまめかしい。
「泊っていらっしゃいな、あら、わたしのところじゃおいやなの……」と言った声が、油地獄の中の人のように兵馬の耳へ事新しく囁いて、甘ったるい圧迫がまだ続いている。泊れと言われたら、泊って来たらいいじゃないか――ばかな……
というようなうつらうつらした気持で後ろの夜景を顧みながら、足はすたすたと相応院の方へのぼりつめている。
「いま帰りました、おそくなりました」
軽くお雪ちゃんに挨拶したつもりなのだが、返事がありません。返事が無いのは眠っている証拠だから安眠を妨げないがよろしいと、ひそかに井戸端で足を洗って、座敷へ通って見たが、いつもある有明の燈火が無く、兵馬が手さぐりに近づく物音にも、お雪ちゃんはいっこう驚かず、やっと火打をさぐりあて、カチカチときった物音にも、パッと明るくした明りにも、お雪ちゃんはいっこう醒めず、その行燈で兵馬が一応室内をあらためて見た時、いずれの部屋にもお雪ちゃんの姿を見出すことができません。それでも室内は出て行った時のまま整然として、誰も踏み込んだ形勢はない、お雪ちゃんのよそゆきであるべき衣裳すらが、そっくりと衣桁に掛けたままです。
三十
お絹の世話で、砂金掘りの忠作は、ついに異人館のボーイとして住込むことになりました。
ここで、親しく異人の生活の実際に触れてみると、忠作としては、今までの想像に幾倍する経験と知識とにあがきを感ずるほどです。
敏慧なこの少年は、ここで一から十までも学び尽さねばおかないという気になりました。
まず、異人館の間取間取を覚え、その器具調度の名を覚え、かの地から持ち込まれた商品と器械とを逐一に見学して、頭と手帳に留めてしまいました。
その間に西洋人というものの気風をすっかり呑込まなければならないと考え、西洋人にも幾通りもあることを知り、そうして、日本人の大部分が、それを毛唐という軽蔑語で一掃してしまうことの無知を今更のようにさとり、異人の気風を知るには、まず異人の国々を知り、その国々の歴史と成立ちをも知らなければならないということに気がつくと、その方面の学問を、多少に限らず頭に入れておかなければならないと知ったのはあたりまえです。
そういうふうに頭の働く少年にとっては、見るもの聞くものが、ことごとく新知識となって吸入されぬということはなく、忠作の得た結論は、どうしても、今の日本人よりは毛唐の方が遥かに進んでいる――日本人は獣類同様、或いはそれ以下に異人を見下しているけれども、事実、仕事をする上に於ての大仕掛と、金儲けの規模の世界的なることに於て、今の日本人は梯子をかけても及ばないことを知り、異人が必ずしも日本の国をとりに来たというわけのものではなく、談笑の間に商売をしに来たのだということの方面が、忠作にはよくわかり、そうして将来の商売はどうしても、この異人を相手にしなければ大きくなれないということを、すっかり腹に入れてしまいました。
だが同時に、この少年を憂えしめたことは、商売をするといったところで、向うから買うべきものがうんとあるが、こちらから売るべきものは何がある、向うから買うべきものばかり多く、こちらから売るべきものがなければ、やがてこの国の富はすっかりあちらへ持って行かれてしまうではないか。
忠作は、今この貿易学の初歩について、つくづく考えさせられています。そうして今日の午後、自分の部屋で、コックさんから貰った一瓶のビールを味わいながら、忠作は、この酒は異人が上下となく好んで飲む酒だが、なんだか苦くって、大味で、日本人には向きそうもない、自分は利酒ではないが、どうも将来とても日本人が、こんな苦くて大味な酒を、好んで飲むようになれるかなれないか考えものだと思い、それと同様に、異人がまた日本酒の醇なやつを、チビリチビリと飲むというような味が分って来そうにもない、どうも、日本の酒と、異人の酒とは、趣味のドダイが違うから、将来、あっちの酒をこっちへ持って来て売るようにはなれまいし、こっちの酒を向うへ盛んに売り出すようにはなれまい、そうすると、異人を目当ての酒の交易は、まあ当分、見込みはない、なんにしても今時、向うから持って来て、こっちへ売れるのは鉄砲だ、酒と違って、向うの鉄砲だってこっちの人間を殺せる、しかも殺し方が遥かに優れている、鉄砲を持って来て売り込むことは的を外れないが、それだって、日本の鉄砲は向うへ向けて売り物にならないから片交易だ。
忠作は、こんなことを考えながら、一杯一杯と好きでもないビールを呑んでいるところへ、突然扉を叩く者がある。
「どなた」
「忠ボーイさん、御在館でげすか、ほかならぬ金公でげすよ」
おっちょこちょいの金助が来たな、と忠作は直ちに知りました。
「金さんですか、お入りなさい」
難なく扉があいて身を現わしたのは、例によって野幇間まがいのゾロリとしたおっちょこちょいの金公でゲス。
忠作は本来、こいつはあんまり好まない奴であるけれども、自分がここに住込むことになったに就いては、お絹を通しての最も有力なる橋渡しの一人でもあるし、これが持ち込む情報がまた、外国人に取入る好材料となったりすることもあるし、また或る意味に於ては、お絹を代表して、忠作と共通みたような儲け口の組合員ともなっているのだから、こいつの、なれなれしくやって来るのを、無下に斥けることもできないようになっている。
身を現わした金公は、例によって、いや味ったらしい表情たっぷりで、早くも卓子の上のビール瓶に眼をつけ、いま忠作が代り目をつぎ込んで、まだ泡の立っているのを見ると、図々しく、
「これは乙りきでげすな、黄金色なす洋酒のきっすいを、コップになみなみと独酌の、ひそかに隠し飲み、舶来のしんねこなんぞはよくありませんな、金公にも一つそれ、口塞ぎというやつを――なあに、そのお口よごしのお流れで結構でげす……」
こう言って咽喉から手を、そのコップのところへ出したものです。
「いや、コックさんから一瓶貰って、ちょっと仕事休みに飲んでみただけのものなんだよ。なんだか苦くて、大味で――わしゃ酒のみじゃないけれど、それでもあんまり感心しないと思って、ながめていたところだから、金さん、よければみんなおあがり」
と言って忠作は、瓶の栓を抜いて、注ぎ置きのコップの上へまた新たに注いでやると、シューッとたぎる泡が、コップの縁いっぱいにたぎり出しました。そうすると金公が大仰に両手をひろげて、
「あ、結構、有難い、何てまあ、この黄金色なす泡をたぎらす色合いの調子、ビールってやつでござんすな、ビール、ビルビルビルと一杯いただきやしょう」
物にならない駄洒落を飛ばしながら、金公はそのコップを取り上げてグッと一飲み、ゴボゴボとせき込みながら、
「なるほど――苦くて大味、というところは星でござんすな。但し、すーうと胸に滞らず、頭に上らず――毒にもならず、薬にもならずというところでげすから、泡盛よりは軽い意味に於て、将来、こりゃなかなか一般社会の飲物として流行いたしやしょう」
金公は、ホンの口当りにこんなことを言ったのだが、忠作はまたそれを先刻の胸算用に引きあてて聞きました。なるほど、金公の出鱈目も聞きようによって算盤になる、苦くて、大味で、日本向きではないと、自分はさいぜん独断を下してみたが、金公のような、その道の奴に言わせると、胸に滞らず、頭に上らず、毒にもならず、薬にもならず、軽い意味に於て、将来一般に流行る平民的飲物としての素質を持っているとすれば、この酒も将来、日本人にとって、一種の無くてならぬ嗜好物になる資格があるのではないか――人によって言を捨てずということもあるから、たとえ金公の出鱈目でも聞いて置くことだ、なんぞと考えながら、
「よかったら、みんな飲んで下さい」
コップにまた泡を吹かせて、忠作が酌をしてやりました。
金公は妙な手つきをして、それをおしいただき、満足して、それから徐ろにへらず口と用件とを並べる。
三十一
「忠さん、例の一件が、その名儀借用てなことで、埒が明きそうでげす」
「ははあ」
「ははあは張合いがござんせん、金公がここまで漕ぎつけた苦心労力のほどを、ちっとお察し下さい」
と言って金公が自讃するところは何かと言えば、今まで素人の娘が異人の妾になることは罷り成らぬということになっていたのを、今度、たとえ素人の娘であるにしてからが、しかるべき商売人の抱えということにして名儀を借りさえすれば、西洋人の妾になることも差支えない、という御制度に改まったから喜んでいただきやしょうということです。そして、そのここにまで至らしむることは、金公らの内々の運動というものが隠然として多きをなしているという吹聴でした。
忠作はそのことを、金公が自讃するほどに身を入れても聞かず、そうかといって、全く閑却するでもなしに聞いていると、金公は得意になって、ベラベラと喋り出しました。
これでまあ、我々も運動甲斐があって、自分の働きばえというわけだが、このことたる、単に我々の利益ばかりじゃない、日本の国のためにも、どれだけためになるか知れない、これで素人が、大っぴらで洋妾になれるということになると、何といっても異人は日本人より気前がいいから、たった一晩にしてからが、洋銀三枚がとこは出す、月極めということになれば十両はお安いところ、玉によっては二十両ぐらいはサラサラと出す。
そこで、仮りに日本の娘が一万人だけ洋妾になったと積ってごろうじろ、月二十両ずつ稼いで、一年二百四十両の一万人として、年二百四十万両というものが、日本の国に転がり込む……
「これがお前さん、元手いらずでげすから大したもんでげさあ、仮りに吉原がはやるの、新町がどうのと言ったところで、相手はみんな国内の貧乏人でげすからなあ、大きく日本の国に積ってごろうじろ、共喰いの蛸配みたようなもんでげす、それをお前さん、元手いらずで毛唐から絞り取ろうというんでげすから、国のためになりまさあね、そうしてお前さん、元手いらずで現ナマを絞っておいてからに、なお毛唐人の精分を残らずこっちへ吸い上げてしまえば、結局、いながらにして向うの国を亡ぼし、攘夷の実が挙るというもんでげす、どうして日本人が、もっと早くここんとこへ目をつけなかったかと、金公、不思議に堪えられねえ儀でござんす」
計算好きな忠作も、この計算には面負けがしたらしく、苦笑いのほかにしょうことなしでいると、金公いよいよいい気になって、
「今時、お前さん、尊王攘夷のなんのといって、日本の国の愛国者はおれたちが一手専売てな面をして浪人共が東奔西走、天晴れの志士気取りでいるけれど、お前さん、攘夷という攘夷で、今まで儲かった攘夷がありますかい。早い話が、生麦の事件でござんさあ、薩摩っぽうが勇気凜々として、毛唐二三人を一刀に斬って捨てたのはまあ豪勢なもんだとして、ところでその尻拭いは誰がします、罰金四十四万両――拙者共は身ぶるいがするほどの金でござんさあ、この罰金四十四万両というものを、薩摩っぽうが毛唐を二三人斬った罰金として、公方様から毛唐の方へ納めなけりゃならねえ、運上所から夜夜中、こっそりと大八車へ銀貨を山ほど積んで幾台というもの、ミニストルへ引きこんで、只納めをして来た有様なんて、見ない人は知らないが、見た人は涙をこぼしてますぜ。それに限ったことじゃありません、長州でも、土佐でも、みんなそれなんでげす。およそ攘夷という攘夷で、儲かった攘夷は一つない上に、莫大な罰金を毛唐に取られ、公方様へ御心配をかける。そんならば何が儲かるかということになるてえと、正直、今の日本の国なんぞでは、万端むこうから買うものばっかりで、こちらから売って金にしようなんて代物は滅多にはありゃしません――ところで、洋妾ときた日にゃ資本いらずで、双方両為めの、いま言った通り年分……」
「もうわかりましたよ、金さん」
さすがの忠作も、金助の洋妾立国論は受けきれないらしい。金公もまた減らず口はそのくらいにしておいて、洋妾の口二つ三つの周旋方を忠作を通して、ここへ出入りの西洋人に頼みこむことを依頼しておいて、
「何しても、若い頭のいいところにゃかないません、こんな話は、金公直取引とおいでなされば、たんまりと口銭にありつけるんでげすが、なんにしてもペロがいけませんからな。忠さんなんぞは、若くて、頭がよくっていらっしゃるから、ホンのここへ来て僅かの間、ペロの方でも、もう誰が来ても引けはとらねえ、応対万事差支えなしとおいでなさる――当世は、若くて頭のいいところにはかなわねえ、何しろこれからはペロの世の中でげすからな」
忠作に向ってこんな追従を言いました。
忠作をつかまえて、若くて頭がいいと持ち上げるのは、必ずしも過当とは思われないけれど、ペロがいけるとか、いけないとか言うのは、会話が出来るとか、出来ないとかいう意味で、忠作としては、金公が推薦するほど会話が出来るわけではないが、敏慧なこの少年は、ここへ来て僅かの間に、もう朝夕の挨拶や、簡単な用向などは、用の足りるほどに外国語を聞きかじり、覚え込んでいる程度です。それが金公あたりの眼から見れば、確かに非凡過ぎるほどの非凡の頭に見え、もうこの少年に頼めば、立派に通弁の役に立ち、異人との交渉は一切差支えなくなっていると見えるほどに、買いかぶってしまっているらしい。
結局、金公の用向は、洋妾立国論を一席弁じた上に、洋妾両三名を西洋人に売り込むことの周旋方を、忠作に頼み込みに来たのだという要領だけで、ビールの壜を傾けつくし、ほろよい機嫌でこの室を出て行ってしまいました。
三十二
誰も、金公の話なんぞを取り上げて、あげつらうものはないが、それでも忠作は、忠作として考えさせられるところのものがありました。軍艦であり、鉄砲であり、羅紗であり、器械類であり、外国から買うべきものは無数にあるのに、外国へ売るべき物はなんにも無い――洋妾にもとで要らずで稼がせるほかに良策はないという言い分は、いかに金公のたわごとにしても、あんまり悲惨極まるたわごとではないか。
忠作はもとより、憂国者でも志士でもないにはきまっているが、甲州人の持つ天性の負けず嫌いが、金助のたわごとに対して、知らず識らず愛国的義憤のようなものを起させてしまいました。
事実、日本の国に、外国へ正当な商売をして、そうして我を富ますところの品物は無いのか? 無いはずは断じてない!
忠作は、ここで、今に見ろという意気込みに充ち満ちて、自分の掌を握りつめて、自分ながら何の意味かわからないほどの昂奮に駆られている時に、デスクの上の呼鈴がけたたましく鳴りました。
これは支配人からの呼鈴である――と心得て、忠作は急いでこの部屋を出て廊下を通ると、庭がしきりに混雑しているのを見ました。
ははあ、そうだそうだ、今日はこの庭で午後から、蒸気車とテレガラフとの試験をするのであった、その準備と、見物の人で、あんなに混雑している。
と思って、支配人の部屋へ赴いてみると、支配人のホースブルが、
「これから蒸気車の試験ある、あなた手伝うヨロシイ」
「承知いたしました」
「ソレから、マダム・シルクここへ来る、早く庭へ通すヨロシイ」
「はい」
と言ったけれど、これは実は忠作にはよく呑込めなかったのですが、西洋人はグズグズしているのを嫌うから、多分、お客が来たら庭へ通して、蒸気車の実験を見せてあげろという意味だろうと受取って、目から鼻へ抜けるように、イエス、イエスで片附けてしまいました。
忠作も、その他の雇人と共に手伝い、支配人も世話を焼き、技師も出て来て、形の如く最新蒸気車の模型を動かして見せる実験がはじまりました。
見物人には、外人よりは日本人が多い。特に公開したというわけではないが、それぞれ渡りをつけて、しかるべき身分の人のほかに、各階級にわたっているようである。
この実験は見事に成功して、見るほどの人を、アッと言わせずには置きませんでした。
あとで技師が事細かに説明するのを、日本人の通弁が、汗水流して翻訳をして聞かすのだが、それでも一同を傾聴せしめるだけのものはある。
それは、今から八十年ばかり前、インギリスのワットという人が発明した蒸気機関によって、現代の西洋では、船と車を動かすことになっている。蒸気船は現在、皆さんが横浜その他で見る通りだが、まだ皆さんは、目下、西洋で行われている最新の蒸気車というものを御存じはあるまい。
その実物は、今ここで走らせたものの数倍のもので、これが機関という万力によって、このあとへ、人ならば二十四人乗りの車が三四十輌つながる、そうして、車輪も鉄であるし、特別の道路をこしらえて、これに鉄の二筋の輪道を置いて、その上を走らせる、だから鉄道を敷く費用は、日本の一里について三万両もかかることはかかるが、一度こしらえてしまえば永久に持つから、その利益は計るべからざるものであること――こうして一定の鉄路の上を走るから、車のとても重いのにかかわらず、速力は非常に早く、蒸気船よりももっと速い――一時間に三十哩、急用の時は五十哩は走らせることができるから、仮りに十二時間走り続けるとして、五百哩走ることができる。
江戸から京大阪を通り越して芸州の広島まで、一日のうちに往って戻ることができる――こういう説明が、見物のすべての魂を飛ばしてしまいました。
そうして、この原動力としては、単に鉄瓶の蓋をあげる湯気に過ぎないということ。ワットがその鉄瓶の湯気を見たばっかりに、この大発明が出来上ったということ。そうして蒸気の力というものは、単に船と車にばかり応用するものではない、川を渡るにも、水を汲むにも、山を登るにも、田を耕すにも、銅鉄の荒金を精錬するにも、毛綿の糸縄を紡績するにも、材木をきるにも、あらゆる器具を作るにも、すべてこの力を応用し、職人は自分自身手を下さないでも、機関の運転に気をつけてさえいれば済む、そうして一人の力で、楽々と数百人に当る働きを為すことができるのだ――
こういうような説明を、実験のあとで聞かされた時に、誰しもその荒唐を疑うの勇気がありませんでした。
一方の隅にかたまって、陪観の栄を得ていた忠作は、特に心から感動させられずにはいなかったらしい。この点に於ては、たしかに毛唐と日本人とは頭が違う、なにも我々だって卑下するには及ばないけれども、それにしても、今の日本人はあちらの人を知らな過ぎる、これではいけない、それではならない。忠作はまたここで、自分ながらわからない敵愾心の昂奮し来るのを覚えました。
事が終って支配人のところへ行くと、支配人がまた、
「マダム・シルク、今日来ル約束、来ナイ、どうしました」
「左様でございます」
「マダム・シルク、せっかくジョウキシャ見ナイ、残念」
「左様でございます」
忠作はなんとなく、自分の返答がそぐわないものを感じたのは、支配人の言うことがよく呑込めなかった自然の結果で、そうして、語学の出来ない者が、へたにそれを問い返すことは、西洋人の御機嫌を損ねる結果に終ることを知っているから、そのままテレ隠しを上手にやって、珈琲茶器を持ってコック部屋の方へ行きました。
三十三
コック部屋へ来ると、コック見習をしていた六さんというのが、いきなり言葉をかけて、
「忠さん、今日はお絹様がおいでになりませんでしたね、それでマネージャがたいそうがっかりしていましたね」
「あ、そうでしたねえ」
「マネージャは、今日の実験をお絹さんに見せたかったんだね、そうしてその交易に、お絹さんの顔を見たかったんだよ」
「そうか知ら」
「そうかしらじゃねえね、うちのマネージャときちゃ、すっかりお絹さんに参ってるんだぜ」
コックの六さんが、だんだん小声になって言うから、
「そんなことはあるまい」
「ないどころか、日本の絹は世界一だってね、それと同じことに、マダム・シルクの年増っぷりが、飛びきりの羽二重なんだとさ」
「マダム・シルク?」
その時に、忠作がハッとしました。そうだ、最初に自分が行った時に、今日はマダム・シルクが来るはずだが、来たら早速庭へ通せとマネージャが言った。
実験が済んだ後に、今日は来るべき約束のマダム・シルクが来ていない、残念と言った。
その何であるかは、忠作の頭にその時までピンと来なかったのだ、多分知合いの西洋人の友達だろうぐらいに心得て、お茶を濁した返事でごまかしていたが、今こう言われてみると、ヒシと思い当るのだ。そんならば、そのように返事のしようもあったものを――自分ながら何という血のめぐりの悪さだ、何が若くて頭がいいんだ、そのくらいの気転が利かないで、どうして外国人のお相手がつとまる!
何のことだ、ばかばかしい。
忠作は、一時、全く自分というものが、やっぱり低能児のお仲間でしかあり得ないのではないか、と歯噛みをしてみたのです。
事実、この支配人が、お絹さんにまいっているのかいないのか、そんなことは詮索する必要はないが、お絹さんをマダム・シルクと呼ぶことは洒落にしても、立派に筋の通った洒落だ。まして、あちらは洒落でも揶揄でもなく、多少の熱情と敬意を持つ真剣の呼び名であるとしたら、そのくらいのことを心得ないで、外人相手の奉公なり、商売なりが勤まるか、つとまらないか。
忠作は自分ながら、それを歯痒さに堪えられないでいたが、そうかといって、いつまでクヨクヨと物案じをしている男ではない、コック部屋からまた給仕部屋へ帰ってから、このことがきっかけに、妙な方へこの少年独特の頭が働き出してきたことです。
日本の絹は世界で第一等だ――とここのマネージャが言っていると、今もコック見習の六ベエが言った。それに違いない、そのことは常々自分も聞いていたのだ。聞いているのみではない、各地から、いろいろの絹と絹織物をマネージャが取寄せて、自分も手伝ってその整理に当ったことがある。その時に、もっと自分に語学が分りさえすれば、この絹の質はどうで、産地はどうで、織りはどうだということを、事細かに説明してやれるのだが、言葉の不自由から、その方面の知識は多分に持ちながら、如何ともすることのできなかったのを、もどかしがったことがある。
順序を追うてそれを思い返しているうちに、発止とこの少年の頭に閃いたのは、そうだ、この絹だ、この絹をまとめて、外国へ売ってやることはできないか。
いま、日本に来ている外国人なぞは、本国はおろか、たいてい世界の各地を渡り歩いて来ている人たちだ、それが特別に日本の絹を珍重がるからには、日本の絹には、たしかに世界の何国のものも及ばない特質がある証拠に相違ない、そうだとすれば――そうして日本の国では、絹なんぞは、そんなに珍しくないのみならず、こしらえればいくらでも出来る。桑を植えて、蚕を飼いさえすれば無限に生産のできる品なのだ。現に自分の故郷の甲州なんぞでも、山畑の隅々までも手飼いの蚕のために桑を植えてある。いかなる賤の女も、養蚕の方法と、製糸の一通りを心得ていないものはない。
これを買い占めて、外人向きに精製して売る――これはたしかに商売になる、そうして仕事が大きい、生産は、天然に人力を加えるだけだから、無限にあとが続く。
そうだ!
忠作はついに、マダム・シルクをこんなようにまで算盤にかけて、おのずから胸の躍るのを覚えました。
三十四
駒井甚三郎が最新の知識を集中してつくり上げた蒸気船よりも、七兵衛の親譲りの健脚の方が、遥かに速かったのは是非もないことです。
磐城平方面から、海岸線を一直線に仙台領に着した七兵衛は、松島も、塩釜もさて置いて、まず目的地の石巻の港へ、一足飛びに到着して見ました。
駒井の殿様の一行の船はどうだ――もう着いているか知らと、宿も取らぬ先に港へ出て隈なく見渡したけれど、それらしい船はいっこう見当りません。
でも、七兵衛はガッカリしませんでした。何しても前例のない処女航海ではあり、極めて大事を取って船をやるから、到着の期限は存外長引くかも知れない。万一また、途中、天候その他の危険をでも予想した場合には、不意に意外のところへ碇泊してしまうかも知れない。それにしても目的地は石巻に限っているから、船に進行力のある限りは、石巻到着は時間の問題である――先着した時は、多少気長に待っていてもらいさえすればよろしい――その打合せはおたがいによく届いていましたから、船が港に見えなくても、七兵衛は心配するということなく、相馬領から鉄を買い出しに来た商人のようなふりをして、石巻の港のとある宿屋に宿を取りました。
そうして当座の仕事というものは、毎日毎日海を眺めることです。海を眺めて目指す船の影が見えるか見えないかという当りをつけることが毎日の日課ではありますけれども、この日課は、仕事としては実に単調過ぎたものであります。
そこで七兵衛は、副業としての、この近辺の名所古蹟を見物して歩くということが、本業のようになってしまいました。
名所古蹟を見るつもりならば、この辺は決してその材料に貧しいところではありません。その頭と興味とを以て臨みさえすれば、数カ月この辺に滞在したからと言って、さのみ退屈するところではないのです。
早い話が、この石巻の港にしてからが、奥の細道を旅した芭蕉翁が、この港に迷い込んだことがあるのであります。
「終に道ふみたがへて、石の巻といふ湊に出づ。『こがね花咲く』と詠みて奉りたる金花山海上に見わたし、数百の廻船、入江につどひ、人家地をあらそひて、竈の煙たちつづけたり。思ひがけずかかるところにも来れるかなと、宿からんとすれど、更に宿かす人なし。やうやうまどしき小家に一夜を明かして、明くればまた知らぬ道まよひ行く」
なんぞは、今の七兵衛の身に引かされもするし、旅情及び詩情の綿々たるものを漂わせないではないけれども、七兵衛は、日頃あんまりそういうことに興味を持っていないのです。それから、石巻の港は河村瑞軒が設計したとかしないとか――尾上川の河口が押し出す土砂で、せっかくの良港を埋めてしまう、これを何とかせぬことには、この東北第一の名をうたわれた港も、やがてさびれてしまうだろう――なんという心配も、七兵衛には少し縁遠い。ただ、名にし負う奥州仙台陸奥守六十八万石の御城下近いところであることによって、仙台の城下はおろか、塩釜、松島、金華山等の日本中に名だたる名所は、一通りこの機会に見ておこうと企てました。
だが、塩釜も、松島も、金華山も、仙台の城下も、ここを根拠として渡り歩いていれば、普通には優に二十日や三十日の暇をつぶすに充分でありますけれども、七兵衛の迅足をもってしては、まことにあっけないものでありました。それでも瑞巌寺の建築を考証したり、例の田山白雲が憧れている観瀾亭の壁画なんぞを玩味したりするだけの素養があればだが、それも七兵衛には望むのが無理です。
なるほど、いい景色だなあ、たいしたものだなあ、さすがは仙台様だ――といったような、赤毛布が誰もする通り一遍の感嘆のほかには、七兵衛として、別段に名所古蹟を縦横から見直すという手段はありません。
金華山へ行って見たところで、野飼いの鹿がいる、猿がいる、それを珍しがって、やがて頂上へ登って見ると、そこの絶景に感心するよりは、更に一段の高所に登ったために、まず心頭と眼底に映り来るのは駒井の殿様の船の姿であって――それを眼の届く限り、内外の海の面に向って当りをつけて見たが無駄であった、というだけのものでありました。
多賀城の石碑へも、名所の一つだからと案内されるままに行って見ましたけれど、これが日本有数の古碑であることの考古的興味からではなく、碑面に刻まれた、
「多賀城去京一千五百里、去蝦夷界一百二十里、去常陸国界四百十二里、去下野国界二百七十四里、去靺鞨国三千里」
とあるのをおぼろげに読ませられ、「はて、京を去る一千五百里――これは、ちっと掛値がありそうだ。蝦夷境を去る一百二十里のことは知らないが、常陸の国界を去る四百十二里は飛ばし過ぎる。これは現に自分が歩んで来た道だが――四百十二里はヨタだね。それからすると、無論下野の二百七十四里もいけない。従って京の一千五百里もあてにならぬことの骨頂だが、靺鞨国というイヤにむずかしい国名はあんまり見かけないが、唐天竺のことでもあるかな。せっかくの石碑がこうヨタで固められては有難くねえ――だが待てよ、これは昔の里数かも知れねえぞ――それとも支那里数で行っているのか」
七兵衛としての興味と疑問は、そんな程度のものでした。
ですから、僅々数日の間に、すべての名所古蹟といったようなものを見尽してしまうと、彼の天性の迅足の髀肉が、徒らに肥えるよりほかはせん術がなき姿です。
でも、その数日の間に、駒井の船が姿を見せないことは前日の如く――それで退屈のやる瀬なき七兵衛は、風物を見、海面を睨めていることに屈託した彼は、やっぱり、人を見ることの興味によってのほかに慰められそうなものはない。
人といったところで、この辺の人とは気風もしっくりしないし、それに第一、まるっきり言葉がわからない。
何といっても仙台の城下は東北第一の都であるから、人を見るには、あれに越したことはないと、七兵衛は今日しもまた漫然と、すでに概念は見つくした仙台の城下の賑やかなところへ立戻ろうとして、塩釜神社の下まできた。そこでゆくりなく、塩釜芸妓の一群が、藤色模様の揃いを着て、「塩釜じんく」を踊っているのを見ました。
塩釜かいどう
白菊垣に
何を聞く聞く
ありゃ便りきく
白菊垣に
何を聞く聞く
ありゃ便りきく
三十五
塩釜での盛んな景気の中を足早に抜け去って、早くも仙台の城下へ着いたけれども、
「塩釜じんくが、今日はどうも妙に心を惹いて、耳に残っている」
常盤町というところへ入るともなく足を踏み込んだ七兵衛が、そこでまた仙台芸妓の一群が取りすましてやって来たのにぶっつかりました。
「今日はいやに芸妓に突き当る日だ」
七兵衛は、その取りすまして行く芸妓たちの後ろ姿をながめておりました。
七兵衛とても、年甲斐もなく、女にうつつを抜かしたというわけではない。がんりきの百に言わせると、
「仙台てところには、美い女は生れて来ねえんだそうだ、というのはそれ、昔、仙台様のうちの誰かが、高尾というすてきないい女をつるし斬りに斬ってしまった、その祟りで、仙台には美い女が生れねえということなんだ、だから……」
それをいま思い出したが、七兵衛には必ずしもそれを肯定するわけにはゆかない。仙台だとて、決して婦人の容姿は他国に劣ったものではないのだ。現にこの芸妓たちだからといって、江戸前と言ったって恥かしくもないのだ。といって、特別に七兵衛の眼を惹くほど綺麗だとも、イキだとも感心したわけではないのだが、今日は芸妓日だ――とでもいったように、芸妓を眼の前につきつけられることの機会が多いのと、それから、出がけに見た「塩釜じんく」の妙に威勢のよい情調が、何か七兵衛の心を捉えたと見え――
そうだ、そうだ、ここの名物として「さんさ時雨」というのがあったっけ、退屈凌ぎに名所古蹟だけは見通したが、まだ耳でもって名物を味わうことはしていない、せっかく仙台へ来たことに、「さんさ時雨」を聞いてみないことには話にならないというものだ。
七兵衛がふと、妙なところへ力瘤を入れる気持になって、一番、今夜は奮発して、あの芸妓たちを総あげにして「さんさ時雨」を唄わしてみるかな。
七兵衛はふと、こんなことを考えながら、賑やかなところを、芭蕉ヶ辻から――フラフラ、青葉城の大手の門の前に来てしまいました。
この間も来たところだが、ここまで来ると、七兵衛はまた、ゆっくりと、このお城の見物人となり、なんにしても素敵な城だ、お江戸の城からこっち、これほどの城は見たくも見られねえ。
そのはず、二十一郡六十八万石とは言うが、それは表高で、実収は百八十万石とのこと。
この城を築いた伊達政宗公というのが、まかり間違えば太閤秀吉や、徳川家康に向っても楯を突こうというほどの代物だから、それ、今時、薩摩や長州がどうあろうとも、こっちは仙台陸奥守だというはらが据わっている。
太閤様、権現様、信玄公、謙信公と同格の家柄だというはらがあるから、この城の家相を見てからが――以前にもちょっと出たことがあるが、これが七兵衛は一種の家相見であります――全く立派な貫禄で、どこへ出してもヒケは取らねえ、奥州の青葉城、うしろに青葉山を控えて、前は広瀬川がこの通り天然の塹壕をなしている。城下町と城内との連絡もよくついて、大軍の駈け引きも自由であり、いざとなってこの広瀬川を断ち切りさえすれば、後ろは山続きで奥がわからない、そこで城だけが天険無双の構えとなって独立自給のできる仕掛になっている――見かけから言っても、実地から言っても、これだけの要害な大城というものは、ほかにはちょっと思い当らない。日本一の青葉城――といってもいいが、ただ一つ不足なのは水が足りない、水分が乏しい。なるほど、この広瀬川が天然のお濠になっている、この切り立った岩、こういう天然のお濠が出来ているという城はほかにはなかろうぜ。江戸のお城でも、大阪の城でも、名古屋はなおさら、みんな平城で、お濠というのは人夫の手で掘りあげたお濠なんだ。ここのは天然の切岸と、川の流れそのままがお濠になっている――優れているのがそこで、また足りないところがそこだ。これだけのお濠にしては、水があんまり少な過ぎる、これだけの城を前にしてはもっと漫々たる水が欲しいなあ。たとえば江戸のお城のお濠にしても、人夫が掘ったお濠には違いないが、関八州の水が張りきっているという感じがするね。大阪はもっと水の都だ――この青葉城に、江戸や大阪のような豊かな水分がありさえすれば、それこそ日本一――水気が不足だなあ。ここに水沢の気があれば、天下の運勢は奥州の伊達へ傾いて来るのだが――
七兵衛は、こんなふうに自己流に青葉城の城相を見ていたが、そのうち、ふと彼の頭に閃いたところのものがありました。
奥州仙台、陸奥守六十八万石のお城、ただここで、こうして拝見している分には誰も咎める者はない代り、誰にもできる芸当だ、誰も見られないところをひとつ、この七兵衛に見せてもらうわけにはいくまいか、奥州仙台へ来れば、誰でも拝見のできるところを拝見して、誰も感心するところだけの感心をしていたのでは、七兵衛が七兵衛にならないではないか。
ここで七兵衛の間違った野心と、自覚とが、ムラムラと頭を持上げて来たのは、持った病とは言いながら、不幸なことでありました。
なあに――江戸のお城の、御本丸の紅葉山までも拝んで来たこの七兵衛だ、奥州仙台であろうが、陸奥守であろうが、枉げて拝見の許されねえという掟はあるめえ。
狂言で見た先代萩――そうだ、そうだ、あの、きらびやかな御殿や、床下がこの御城内にあるのだっけ。仁木弾正は鼠を使って忍びの術で入り込んだが、七兵衛は七兵衛冥利だ、こいつは一番、このお城の中の隅から隅――六十八万石の殿様のお居間から、諸士方の宿直部屋、飯炊場も、床下も、書割で見るんじゃねえ、正のものを、正でひとつ、後学のために見ておいて帰るのも話の種だ。
七兵衛は、これを考え出すと、今まで青葉城をながめていた眼の色が変ってきました。そうして、今まで退屈し切っていた心の緒が、急に張りきったのを感じたようです。
駒井の殿様のお船が着くまでの睡気ざましだ、なにも物が欲しい惜しいというわけのものではない、七兵衛は七兵衛冥利に、誰にも見られねえところの、六十八万石のお城の内部の模様を、一通り拝見すればいいのだ。
それだけのことなら、こっちにとっては朝飯前と言いたいが、夜食の腹ごなしに、持って来いの前芸だ――今夜は一番、それをやっつけよう。
七兵衛としては、この際、別段に路用に困っているという次第ではなし、人の急を救うために危うきを冒さねばならぬ義理合いがあるというわけでもなく、ただ閑々地にいて、つい不善を心がけるという心理からではないにしても、持った病の虫が、むらむらと頭をもたげたのは情けないことと言わねばなりません。もともとこの男は、慾で盗みをするより、手癖でする、好奇でする、興味でする。本能が、つい心と手とを一緒にそっちへ向けて、曲げてしまうことが多い。
前に、芸者のあだ姿を見て、そぞろ心を動かしてみたが、今は、そのがらにない要らざる遊興心が、すっかり吹っ飛んでしまい、今お城を見て動き出した本能心だけは、どうしても分別と反省が無い、のみならず、ムラムラといっそう昂上するばかりで、久しく試みなかった腕が鳴り――なあに、江戸の本丸、西の丸へでさえも御免を蒙れるほどのおれが、奥州仙台六十八万石が何だ――
という慢心を、もはや如何ともすることができませんでした。
三十六
明日は、どう間違っても、仙台湾に無事入港という確信を得た駒井甚三郎は、全く重荷を卸した喜びに打たれました。
この重荷を卸したというのは、いろいろの意味にとることができます。自分の創製が全く試験済みになったというのと、自分の船によっての前例の無い処女航海を無事に果したという成功の喜び――それから最近、この船を王国か民国か知らないが、自分たちの新しい領土をめがけての世界的遠征の可能、そんなような複雑した感情で、前の晩、駒井甚三郎は、船長室の燈明を以て前途の光明を見つめつつ、なお油断なく船を進めて行きました。
しかし、一つ越ゆればまた一つの難所――がある、人生にはそれからそれと連続して関門のあることを、駒井は決して忘るることができません。一つの成功の次には他の魔障、しからずんば難関がもう待ち兼ねて目白押しをしている。
駒井は、船の構造と、航海の技術との第一成功と共に自信は得たけれども、この処女航海の内容全部が、必ずしも成功とは言えないことを認めずにはおられません。失敗とは言わないが、工業として、技術としては成功のみが全部ではない、人心の和というものが一大事であることを、忘れるわけにはゆきません。
この清新な門出の一歩に、もう船の中に悪い空気が湧いている。この悪い空気は、とりあえず兵部の娘の船室から起っていることを、駒井はよく知っております。
お松という子に於て、駒井は最もよき秘書と助手とを得ました。駒井がお松を信任すること、お松を信任せざるを得ないほど、お松そのものの素質が適合していることが、兵部の娘にとって不平であり、嫉妬でもあり、反抗の源ともなろうとしている空気が、駒井にはよくわかるのであります。そうして、兵部の娘はその鬱憤のためにマドロスを近づけていることもよくわかります。
殖民には女子が無くてはならぬ、婦女子を伴わぬ殖民は、結局、海賊に等しいものになって、永遠の成功は覚束ない、なんぞということは、駒井も研究しておりました。このたびの船出に当っては、単純に、自分の身辺に居合わす人々を授けられたもののようにして、格別吟味もせずに収容しました。駒井としては人間性にさのみ甲乙を認めるということがありませんから、かえって環境によってねじけさせられたり、荒ませられたりした人間を伴って行くことが、別の世界の陶冶の一つの趣味であるとさえ考えられていたのです。田山白雲はまた一種の豪傑の徒であり、七兵衛は実直な農夫とも見えるが、またなかなか食えないところもある苦労人とも見られるが、頼めば頼もしい人間であり、つかえる人間であることは駒井が認めています。ことに彼が農業に堪能であるということは、新天地を拓くのに無くてならぬ素養だと思いました。
マドロスもまた使いようによって、至って大きな便宜を供してくれる。房州で集めた船夫たちは、普通の船夫以上には毒にも薬にもならないが、その道にかけては安心でもあり、上陸して善良なる土着民となり得る。清澄の茂は一種の天才であり、あの存在が一般の芸術をつとめる。金椎は黙々として聖書を読み、旨き料理を一同に提供することを使命としている。
登があれば乳母がなければならない。おのおの、その様によって集められた人材は、用い方でみな無くてはならぬものになる。
ひとり、岡本兵部の娘だけがいけない。これがいけないのではない、その娘だけを船中へ単独で収容して置けば何のことはないのだが、お松という娘がいるためにいけない。ではお松が悪い女か。悪いどころではない、その良き女性なるがために、一方がますます悪くなって行く。女では手を焼いた経験の多い駒井甚三郎が、この雲行きを見て、少なくともこれが新殖民最初の悩みとなるのではないかと思いました。
男子はおのおのその職に於て用ゆれば用い得られざるものは無いと信じているが、女子にはその法則が通らない。
これは寧ろ、後日の禍根のために、兵部の娘をこの船から隔離してしまうか――それはできない。
では、何かの威圧か、才能かによって、あの娘を使いこなすか、それも容易ではないことだと駒井は感じました。
女子と小人は養い難し――駒井は、やっぱりそうしたものかなあ、そうして、自分たちが必ずしも大人君子というわけではないが、ともかくも理想の天地を拓こうとする途に向っても、必ずしもその理解者のみが集まるものではない、かえって、その目的と全く齟齬した仲間を、同志のうちに加えて行かねばならない――たとえば女子と小人とは養い難いものであるとも、結局は大人君子の背負物であって、度し難いものであるに拘らず、背負いきらなければならないのが人生の約束か知らん、とも思われてくるのです。
駒井甚三郎は、当面の欣喜と、前途の希望のうちに、明らかにこの悪い空気の醸を見てしまいました。それを考えているところへ、清澄の茂太郎がやって来ました。
三十七
茂公は例によって、般若の面を小脇にしながら、突然に船長室を驚かして、
「殿様」
「何だ」
「明日はいよいよ、仙台石巻の港へ着くそうでございますね」
「うむ」
「嬉しいな、石巻で、お米や水を積込んで、それから南洋諸島へ渡るんですってね」
生意気な! 南洋諸島なんていう地名を誰に聞いて来た。
「南洋諸島ときまったわけではない」
「どこでもかまいません、あたいは嬉しくてたまらない、涯りないこの海を眺めるのが好きです、アルバトロスもいます、鯨もお友達です、明日は仙台石巻へ着けば、そこに七兵衛おやじも待っていましょう、田山先生も乗込んでいらっしゃるでしょう、そうしてまたこの限りない大海原を乗り切って行くのが嬉しい、嬉しい」
「茂太郎、勉強しなさい、とにかく、これからみんなして気を揃えて新しい国を作るのだから、お前も歌ばかり唄っていないで、皆の手助けをして、よく働くことを覚えなくてはならない」
「働きますとも――今でも学問は、あたいが一番よく覚えます、それから、水夫さんの手助けでもなんでもして働いていますから、みんなから憎まれません」
「それはよいことだ、船中で誰にも可愛がられ、誰のためにも無くてならぬ人になるように心がけなければいけない」
「あたいは憎まれてやしません」
「一つの船に乗組む人は、陸上の一家族の者よりも気を揃えなければならないのだ」
そこへ、お松が静かに入って来ました。
「茂ちゃん、船長さんのお邪魔をしてはいけませんよ」
「お松様、あたいはお邪魔なんぞはいたしません、今、殿様と、一つの船の中にいる人は、一つの家族であるよりも親密でなければならないということを話していたのです」
「ほんとうに茂ちゃんは、ませた口を利きますねえ。ですけれどもその通りよ、みんなが全く気を揃えて、大船に乗ったつもりで、船長様を頭に戴いて、船の中が一つの領土にならなければ、新しい国は作れません」
駒井の言うことも、お松の言葉も、茂太郎に対しては、知らず識らず教訓になってくる。駒井をそれを、やっぱりわが意を得たりとして、
「皆のおかげで、処女航海もこうして無事に済んだことが、わしとしては嬉しいが、それよりも嬉しいことは、お松どのの言われる通り、船中みな気を揃えて、よく働いてくれたそのことが、わしとしては何よりも頼もしい」
駒井がかく言って船中一同に向っての感謝の意を表した時に、こまっしゃくれた茂太郎が、おとなしく受入れませんでした。
「殿様、それは違います」
「何だ」
「殿様のおっしゃることは、それは違うとわたしは思います」
お松が聞き兼ねて、たしなめました、
「何を言うのです、茂ちゃん」
茂太郎は屈せず、
「いいえ、本当のことを言うのです、いま殿様は、船の中の者がみんな気を揃えて働いてくれることが何より嬉しいとおっしゃいましたけれど、それは、或る人には当っていますけれど、ある人には当りません」
「茂ちゃん、お前、その物言いは何です、生意気だと言われますよ」
「あたいは本当のことを言っているんですよ、お松様、今この船の中の人は、みんな船長さんのために気を揃えて働いているようですけれど、そうばかりではありません、働かないで楽をしている人があります」
「そんな人はありませんよ、一人だって。みんな、それ相当の持場で何か働いておりますよ」
「ところが、働かない人が少なくとも一人はあります、それは、あたいのお嬢様です」
「あ、もゆるさんのこと」
「そうです、そうです、あのお嬢さんだけは、ちっとも働きません、お嬢さんばっかりは働かないで、遊んで食べています」
「もゆるさんは御病気なんですもの」
お松が取りなして言うと、茂太郎はそれを打消して、
「いいえ、病気ではありません、病気でもないのに、みんながそれぞれ一生懸命働いているのに、あの人ばかりが働かないで、遊んで食べています」
駒井も少し苦い面をしました。お松は、茂太郎に、そんなにぐんぐん言わせまいと思うけれど、ちょっと手が出せないでいるのを、茂太郎は一向ひるまずに続けました、
「それにマドロス君もよくないと思います、お嬢さんが病気でもないのに、横着をきめて遊んで寝てばっかりいるのをいいことにして、マドロス君が、おいしいものを運んではお嬢様に食べさせているのです」
「そんなことはありません、茂ちゃん、ほんとうにお前は、よけいなことを言いつけ口するものじゃありませんよ」
「よけいなことじゃないのです、本当のことを言ってるのです。で、かわいそうなものは金椎さんです、せっかく丹精して、皆さんに御馳走して上げようとして拵えたお料理のいいところを、いつか知らずマドロス君に持って行かれてしまっています。マドロス君はそれを持って行っては旨そうにお嬢さんと二人でばっかり食べてしまうのです」
「茂ちゃん、およしなさい、そんなことも一度や二度あったかもしれませんが、それを殿様の前で素破抜いてしまうなんて」
「一度や二度じゃありません、いつでもそうです、ですから初物のおいしいところは、二人でみんな食べてしまっているのです、金椎さんも苦い面をしますけれど、あの人は耳が悪いのに聖人ですからね、また機嫌を取直して、誰にも何とも言わないで、またお料理をこしらえ直して皆さんに食べさせてあげるのです」
駒井も、お松も、茂太郎の素破抜きを、もはや何ともすることができないで、言うだけは言わせてしまわなければならないような羽目になっていると、
「この間もあたいが、何の気もなく部屋へ下りて見ると、マドロス君とお嬢さんとが旨そうにお饅頭を食べていました。あたいが行ったので二人はちょっときまりの悪い面をしましたけれど、お嬢さんが、茂ちゃん、お前も仲間におなり、そうしてお饅頭を半分お食べな……と言いましたけれど、あたいはいやですと言って甲板へ出て来てしまいました。あたいは人の悪口を告口するわけではありませんけれど、一つの船の中でみんなが気を揃えて働いているなかに、寝ていて人の拵えたお饅頭を食べているお嬢様の行いはよくないと思います。それもよくないが、せっかく金椎さんが丹精して皆さんに旨く食べさせようとしてこしらえたお料理やお饅頭を、盗んで来て食べたり、食べさせたりするマドロス君の行いも、道に外れていると思います」
「茂ちゃん、もうおよし、そうしてお前は、あちらへ行って登様のお守をなさい」
お松はついに、厳しく叱りました。叱られて船長室を飛び出した茂太郎、上甲板の方で、早くもその即興の出鱈目歌が聞えます――
お饅頭をこしらえる人と
それを盗む人
せっかく、殿様が
新しい国をこしらえても
汗水を流して働く人と
寝ていてお饅頭を食べる人とが
あってはなんにもなりますまい
駒井甚三郎は船を作り
田山白雲は絵をうつし
裏宿の七兵衛は耕し
お松様は教育をやり
金椎君は料理をし
治郎作さん父子は船頭をし
乳母はお守をし
登様は育ち
清澄の茂太郎は歌う
それだのに
兵部の娘もゆるさんは
病気でもないのに
寝て旨いものを食べています
それはマドロス君が
持って行ってやるからです
お饅頭の掠奪は
パンの搾取ということには
なりませんか
いい着物を着たり
旨い物を食べたりするために
みんなが気を揃えて
働くのはいいことだが
旨い物を食べるために
盗んだり
誘惑したりするのは
それはよくないと
あたいは考えます
お嬢さんと
マドロス君とが
この船の中での
賊でないと誰が言います
ドンチャ
ドチ、ドチ
ドンチンカンノ
チマガロクスン
キクライ、キクライ
キウス
チーカ、ロンドン
パツカ、ロンドン
それを盗む人
せっかく、殿様が
新しい国をこしらえても
汗水を流して働く人と
寝ていてお饅頭を食べる人とが
あってはなんにもなりますまい
駒井甚三郎は船を作り
田山白雲は絵をうつし
裏宿の七兵衛は耕し
お松様は教育をやり
金椎君は料理をし
治郎作さん父子は船頭をし
乳母はお守をし
登様は育ち
清澄の茂太郎は歌う
それだのに
兵部の娘もゆるさんは
病気でもないのに
寝て旨いものを食べています
それはマドロス君が
持って行ってやるからです
お饅頭の掠奪は
パンの搾取ということには
なりませんか
いい着物を着たり
旨い物を食べたりするために
みんなが気を揃えて
働くのはいいことだが
旨い物を食べるために
盗んだり
誘惑したりするのは
それはよくないと
あたいは考えます
お嬢さんと
マドロス君とが
この船の中での
賊でないと誰が言います
ドンチャ
ドチ、ドチ
ドンチンカンノ
チマガロクスン
キクライ、キクライ
キウス
チーカ、ロンドン
パツカ、ロンドン
足踏み面白く、上甲板でダンスをはじめ出したのがよくわかります。
三十八
一方、飛騨の高山から朝まだきに出発した二人連れの労働者がある。そのうちの一人はお馴染の紙屑買いの、のろまの清次であり、他の一人はがんりきの百蔵であります。
ただ、お馴染の紙屑買いののろまの清次は相変らずだが、一方がんりきの百の方は、今日はすっかり変装を試みて、山奥からポット出の木地師に風を変えて、そうして天秤棒を一本だけ、お鉄砲かついだ兵隊さんのように、肩にのせてすまし込んで歩いている。
百は、百として、例の音羽屋まがいの気取った風で、当節の日を歩けないことをよく知っているだけに、そこは抜け目のない変装ぶりに、かてて加えて、のろまの清次という、この辺ではかなり売れている面なじみの相方を連れているから、こうしてすまして道中もできる趣向となっているようです。
この道は、先夜――机竜之助と淫婦お蘭が、美濃の金山へ下りた道と同じことであります。そこを、百と清次は悠々として通過しながら会話をしました。
百の方は用心して、なるべく関東弁を出さないようにしているので、清次はいいことにして、山言葉、里言葉を、ちゃんぽんにして、しきりにはしゃいでいるのです。
清次はこう言いました、
――わしも、いつまでもこの飛騨の山の中に暮す気はござんせん、京大阪の本場へ出て一旗あげるつもりでございやす。
やっぱり向うへ行っても、当座は紙屑買いをするよりほかは心当りがござんせん。
だが、紙屑にもよりけりで、高山の紙屑なんぞは、高いと言ったところでせいぜいお代官の年貢帳ぐらいなもんですが、京大阪となれば、同じ紙屑にしても、紙屑のたちが違いますから、儲けもたっぷりあるというわけなんでござんしょう。
お公家さん、学者、大商人といったところの紙屑を捨値で買い込んで、これを拾いわけてうまく売り出しやしょう。
ところで、商売は、すべてひろめが肝腎ですからな、つまり宣伝てやつを大袈裟にやらないと、今時の商売は成り立ちませんな。
そこで、捨値で買い受けた紙屑を、これは大納言様の直筆で候の、このほうは大御所様で候の、これはまた少し御安値ではございますが、当時大阪第一の学者――といったように、広告、ひろめ、つまり宣伝てやつでおどかして、ウンと高く売りやしょう。
紙屑を紙屑として売った日には、それこそ二束三文にも足りませんが、これを大納言だの、大御所様の御直筆だのと言って売り立てれば、大金になりやしょう。
それを土台に、次から次へと大儲けを致そうと存じますが、いかがなもので……
こういうたわごとを、がんりきが黙って聴いていてやると、この紙屑屋、なかなか抜け目のない奴だと見直さないわけにはゆきません。
土地では渾名をのろまの清次、のろまの清次と言い、当人もそれで納まっているらしいが、どうしてどうして、のろまどころではない、ああして深夜、焼跡せせりをやろうという冒険心から見ても、こいつ、上べはのろまに見せて、儲けることにかけては油断もすきも無い奴だ。
こんなのに、京大阪へ出て紙屑を売り崩されては、紙屑の相場が狂うに違いない――なんぞと、がんりきが考えました。
だが、なんにしても、今まで単純なるのろまの紙屑買いだとばかりタカをくくっていた奴が、ひとり喋らせて置くと、講談師以上の雄弁家であることに、がんりきもほとほと面負けがしないではありません。
この紙屑買い、のろまの清次の哲学は、何でも仕事をしようとすれば、一も二もおひろめである、広告である、宣伝である。いくらいい物であっても、吹聴しなければ人が知らない、人が知らなければ商売にならない、それは本当にエライ人は黙っていても名を隠すことはできないが、自分なんぞは、のろまの清次だから、そんなに気取っているガラではない、なんでもかんでも、自分で自分を吹聴してあるかなければ、人が知ってくれない――ということにあるようです。
こうしてがんりきは、のろまの清次の講談師以上の雄弁を聞かせられながら、くすぐったい思いをしたり、冷汗を流したりなんぞしつつあるうちに、話が盛り沢山なために、けっこう暇つぶしになって、そうして、例の街道を楽々として、美濃の金山へ突破してしまいました。
三十九
こうして、がんりきと、のろまの清次は、飛騨の国の境を出で、その晩に、竜之助と淫婦のお蘭が一夜を明かした本陣の宿まで来てみたが、がんりきは、そこで得意の一応の偵察を試みたけれども、ここで、幾日か前の晩、女が一人、吊し斬りにされたという噂もない。亭主や女中に鎌をかけてみても、要領を得ないこと夥しい――水を飲むふりをして裏庭から、土蔵、裏二階をまで横眼で睨んだけれども、人が隠れ忍んでいるような気色は一向ないから、がんりきは先を急ぐ気になりました。
この調子で、がんりきの百と、のろまの清次とは、相連れて美濃路の旅をつづける。がんりきとしては、国境を出てもやっぱり変装は改めず、ただ、もどかしいのは、のろまのために足の調子を合わせてやらねばならないことで、それでも二人はこうして、ついに美濃の国、垂井の宿まで無事に来てしまいました。
垂井は、美濃路と木曾路の振分け路――垂井の泉をむすんで、さあ、これから関ヶ原を越えて近江路と、心を定めて宿をとったその晩に、巷で風説を聞きました。
明日、関ヶ原で合戦がある――片や長州毛利、片や水戸様。
慶長五年の仕返しが、明日からこの関ヶ原に於て行われる。
がんりきも、のろまも、変な気になりました。なるほど、その風説がかなり人気にはなっているが、土地の空気というものは、あんまり緊張もしていないし、さのみ殺気立っているというわけでもない。慶長五年の時は、この辺はみんな焼き払われたものだそうだが、今日はそのわりに人が落着いている。
なおよく聞いてみると、合戦は合戦だが、模擬戦に過ぎないということ。
こんどお江戸から、さるお金持の好奇なお医者さんが来て、この関ヶ原にあんぽつを駐め、道中の雲助の溢れをすっかり掻き集め、それにこのあたりの人夫をかり出して、昔の関ヶ原合戦の型をひとつ地で行ってみようとの目論見だ。
知っている人が聞けば、お金持の江戸のお医者さんがおかしい、お金持にも、お金持たずにも、今時そんな酔興をやってみようとするお客様は、道庵先生のほかにあるまいことはわかっているが、がんりきも、のろまもそれを知らん由はない。
なるほど、そんなこともありそうなことだ、好事癖の人が、昔の関ヶ原合戦の地の理を実地に調べようとして、模擬戦の人配りをやってみようとは、ありそうなことだ。研究とすれば感心なことだし、お道楽としても悪いこととは言えない。
「まあ、金の有り余る奴は何でもやるがいいや、こちとらは……」
と言って、がんりきは先を急ぐこなし。のろまはそれと違って、
「そいつは、面白い目論見でござんすね、後学のために、そのなれ合い合戦をひとつ見物さしていただくことに致しやんしょう」
ここで、二人の意見が二つに分れました。一人は、そんな酔興は見たくもないから突破して前進すると言うし、一人は、こういう目論見に出くわすことは二度とない機会だから、一日や二日逗留しても見物して行きたいと言う。意見が二派に分れたが、前進論者は存外淡泊に、
「では、屑屋さん、お前はひとり残って合戦ごっこを見物して行きな、わっしゃあ一人で、一足お先に行くから」
それで、両説が円満に妥協しました。
がんりきとしては、のろまを引っぱって歩くよりも、もうこの辺で振切って、放れ業の馬力をかけた方がよろしい。だが、そこには一応のお愛想もある。
「それから屑屋さん、関ヶ原を越すと美濃と近江の境にならあ――あそこに、それ、寝物語、車返しの里という洒落たところがある、わっしゃ一足さきに行って、寝物語へ陣取っているつもりだから、見物が済んだら、尋ねてみてくんな、またあそこいらで落合えるかも知れねえ」
こう言って、その翌朝、がんりきひとりは垂井を出立の、関も追分も乗りきって、近江路へ向ってしまいました。
四十
中仙道を近江から美濃へ越すところに、今須駅というのがある。
関ヶ原へ一里、柏原へ一里というところ、なおくわしく言えば、江戸へ百十三里十六町、京へ二十二里六丁というほどの地点に、今須駅というのがあるのです。
不破の中山とか、伊増の明神とかいって、古来相当にうたわれないところではなかったけれど、番場、醒ヶ井、柏原――不破の関屋は荒れ果てて、という王朝時代の優雅な駅路の数には、今須駅なんていうのは存在を認められなかったようなものの、でも、ここがまさしく美濃と近江との国境になるという意味のみからではなく、王朝時代から、ここに寝物語、車返しの里なんていう名所が、心ある旅人に忘れられない印象を与えるところのものになっておりました。
寝物語の里というのは、一筋の小溝を隔てて、隣り合った一軒は近江に属し、一軒は美濃に属して、国籍を異にした二軒の家の者が、寝ながら物語りができたという風流の呼び名とはなっている。試みにその由来を両国屋という宿屋で尋ねてみると、次のような一枚の絵入りの刷物をくれる。
「一、此所を寝物語と申すは、江濃軒相隣り、壁を隔てて互に物語をすれば、其詞相通じ問答自由なるゆゑなり。むかし源義経卿、東へくだりたまひしとき、江田源蔵広成といひし人、御後をしたひ奥へ下らんとして、此所に一宿し、此屋の主と夜もすがら物語りせしうち、はからず其姓名をなのる。隣国の家に泊り合はせし人これを聞き、さては江田源蔵殿なるか、我こそ義経卿の御情を受けし静と申すもの也、君の御後をしたひ、是まで来りしが、附添ひし侍は道にて敵の為にうたれぬ、我も覚悟を極め懐剣に手をかけしが、いやいや何とぞして命のうちに、今一度君にまみえ奉らんと、虎口の難をのがれ、漸くこれまで来りしなり、おもひもよらず隣家にて其方のねものがたりを聞くうれしさ、これ偏へに仏神のお引合せならん、此うへは我をも伴ひ給はれとありければ、源蔵聞て、さては静御前にてましますか、此程のおんものおもひ、おしはかり御いたはし、此上は御心安かれ、是より御供仕らんと、夜もすがら壁を隔てて物語し、翌日此所を御たちありしよりこのかた、此所を美濃と近江の国境、寝物がたりとは申伝ふるなり。其のちも度々、ねものがたりの叢記名所たるにより上聞に達し、辱くも御上より御恵被成下置、不易の蹤蹟たり。
江濃両国境寝物語 両国屋」