これから私のもっている信仰についてお話をしたいと思います。私の信仰と申しますのは、いったい仏教であるか何であるかわからないのであります。私は仏教の経典というものはあまり読んだこともありませぬし、じつはよくわからないのであります。正式に仏教というものと関係があるということを申しますと、坐禅をしたことがありますが、それは正式の仏教としての修行しゅぎょうであります。けれども仏教の哲学とか経典とかいうものはよく知りませぬ。私は『出家とその弟子』というものを書きまして、仏教のほうの人間だと思われております。しかしとにかく私のもっております信仰というものは、まあ禅宗とそれから真宗、これはたいへん似ていると思うのでありますが、ことに私の宗教というものは浄土真宗の信仰というものが『出家とその弟子』を書きましたときよりも後になって、だんだんと自分の身についてまいりまして、今ではそれが私の身体から離せないものになっております。山田霊林れいりんというかたがありまして『禅の生活』というものを出しておられますが、私が『絶対的生活』という書物を出しまして、そのなかに、私が強迫観念を治した経路のことを書きましたらそれをごらんになって、これは非常に禅宗的である。禅宗の公案の解決の仕方とじつにぴったりしたものである。これくらい禅宗的なものはないというて、転載させてくれというので載っているようなしだいでありますが、そういうふうに宗教の専門のかたが横のほうからごらんになったときに、私のもっている生活の信仰というものが仏教的なのでございまして、私自身では仏教というふうにとくべつに考えているわけではないのであります。したがって私がお話申しあげますときにも言葉が、あるいは仏教のほうの言葉をかってにもってきますと、とんでもないことを使っておるようでありますがご容赦を願います。

 たとえば如来でありますが、私の信仰ではみなさんはみな如来であります。一人一人が如来であります。それでほとけと申しますのは、如来――自分がこのままで如来であるということを気づいたときにそれが仏であります。でありますからして私はみなさんの一人一人を、子どものようなかたでも一人一人が私には如来であります。それで如来というのは、その人がどういう知識をもっておるとか、あるいはどういう仕事をしたとか、どういう思想をもっているとか、あるいはまたどういう考えをしているとか、あるいは信仰をもっているということさえも、その人がどういう仏教の信仰をもっているかという関係なしに、無条件に一人一人の存在しているものはみな如来である。ただ如来ということに気づかない。気がついているかたがあるならばそれは仏さまでありますが、気がつかないかたが多かろうと思います、たとえ気がつかなくてもそれは如来であります。それが気がついたらそれがつまり仏であります。その人が仏さまになるのであります。ただそこだけの違いであります。
 しかしながらこの如来という言葉が、仏教の伝統の言葉とは違うかもしれませぬが、さながらにそこにあるものであります。そういうものがそれが如来であります。それがただ人間だけではありませぬ。動物でも、植物でも、こういうものでもみなこれが如来であります。「仏とはなんぞや」「乾屎※(「木+厥」、第3水準1-86-15)カンシケツ[#「乾屎※(「木+厥」、第3水準1-86-15)カンシケツ」は底本では「乾屎楔カンシケツ」]」かわいた馬糞ばふんであると答えた禅宗の坊さんがあったはずであります。「仏とは何であるか」「かわいた馬糞である」これはとっぴな言葉ではなくして、私はほんとうだと思います。馬糞もまた如来である。ただこれに気づくと申しましても、気づくということは心の底から気づくことでなければならぬ。気づくと申しますのは信心の目を見開いた。あるいは仏の目を開いたいわゆる開眼かいげんであります。そのときその人間は仏さまであります。それが私の信仰であります。

 それでそういうことを私が気がつきましたのはこれはまだ新しいことであります。去年の十一月のことであります。野火止のびどめという所に平林寺へいりんじというお寺がありまして、そこに大休たいきゅうという人があります。これは私のみるところでは関東一の禅宗寺であると思いますが、ここで私は坐禅をしたことがあります。坐禅と申しましてもただすわっているだけではないのでありますが、私の絶対生活というものはそれ以前にできていた生活でありますが、そのじぶんにはそのままで私というものと宇宙というものとが、離れて対立していたのであります。そのときに、さまざまのあるがままのものがすべて如来である、そうしてそれに気がついたものが仏であるということを、私が、つまり生意気な言葉を使えば悟ったわけであります。それで、それ以来私にはみなさんが如来に見えるのであります。「千億仏光り合いつつ」ということがあります。たくさんの人間がたがいに照らし合っている。ただ自分に気がつかないだけである。私はそれで、自分自身の安心立命と申しますものを、自分に何かの価値があるからとか、そういうふうなところに、自分がここに生きているということの意義を感じているわけではない。だから私はよくいうのでありますが、たとえば一匹のカエルとかミミズ、そういうものの命が宇宙において生きている。ここにいるという、その権威と同じ意味で自分の命をここに支えているのでありまして、どういう行いが良いとか、どういう学問をしているとかいう条件によって、私の命がこの宇宙においてあることを許されているのではない。如来はそこにあるがままに許されて存在している。ミミズやカエルと同じようなる命にたって、はじめて自分の存在が宇宙にたっている。それが私の命をたてるすなわち安心立命、私のはただそれが最後の、私の安心立命であります。そうして私はその立場にたつときに、ほんとうの平等の意味はそこにある。おれも同じ値うちであるという。もちろん差別のことも申しますけれども、最後の存在の理由というものは、そういう意味のものでなければならぬ、これがほんとうの平等ということである。それがすなわちその立場にたって生きる。何らの条件をへずして、そこに生に感じて生きる。それが絶対的生き方、絶対的生活であって、絶対の立場にたつときにあらゆるものは平等であります。

 たとえば自分のようなものが、はたしてこの世の中に生きているかいがあるだろうかというときに、自分は生きる望みはない。何らの楽しみもないし、前途の光明もない、自分は器量が悪い。私のような者が生きている値うちがあるだろうかというふうに、まったく生きるかいがないというふうに生きがいなさを感ずることもありましょう。自分のような者の命にどういう意義いぎがある、生きがいがないということを感じている人がありましょうが、いかなる天才、いかなるりっぱな人であろうとも、その人が生きることを許されているところの根拠というものはただ一つ、ミミズやカエルが生きている根拠よりほかにはない。それで私はこの人の権威を感ずると申しましても、この権威の出どころたとえばから威張りとか、どういうようにその人が顰面みにくいかおをしましても、自分の権威をつくろうとしましても、そういうところからその人の権威を、私は認めることができないと思います。そのものが生きている。如実に、さながらに生きている如来である、無条件に如来であるという、そこを自覚したならば、そこから湧いてくる権威は大地から出ているところの力である。
 その生命というものは地球が太陽から飛び出した勢いであります。それと同じ必然性をもって飛び出してくるものであります。そのものの絶対的権威である。つまり絶対的の価値である。自然であるとか、本然であるとかいうような相対的なものでなく、絶対的価値、宗教的価値である。そうして信仰というものはこの価値を自覚すること、これに気がつくことであります。つまり自分が如来であるということに気がつくことであります。これがほんとうの自分の思うがままの自由な自覚でありまして、そこに一たび立ちまして、そうして何物も恐れない立場から、したがってまた自由な立場から、はじめて振り返って、こんどはこの世界の差別のありさまをみる。そのときの客観的状況はいろいろに変化しておりますけれども、絶対的権威の立場から活動するときに、はじめてそのものは付け焼刃でなく、ほんとうの心からなる活動ができると思うのであります。

 しかしながらそういうように無条件の状態に自分の生命がないということは、これはつまりそれだけの自分の心と生活とが、それだけの遍歴をしなければそうなる事ができないということになります。それでありますから、じつは私のもっている信仰というものは若い人にはわかりにくいのであります。一方からいえば残念でありますけれども、すくなくとも三十をすぎた、人間の心の裏表とか、自分がこれまでにたよって、それをたよるにたりなかったとか、あるいは恋愛をしてつまずいたとか、あるいは病気をして苦しんだとか、あるいは学問の方面において理知的に懐疑してその拠りどころを失ったとか、非常に魂が遍歴いたしまして、そうしてもっているものをだんだんなくして、そうしてはじめて何物にも使われない無条件の自分というものになるのでありまして、若い人にわかるはずがないのであります。わかるはずはないのでありますけれども、しかしその人はそのときの生命をもって、そのときの信念をもって真一文字に、まじめに生きてゆくほかはない、生き方の形式は一つの道しかない。そういう自分がこれまでもっていたものがみななくなって、最後にはじめて何物をもたよりにしないところの信仰というものが、はじめて目を見開くのであると思います。

 ご承知の臨済という偉い禅宗の僧があります。この人はあらゆるものを奪っている。それで「飢児の食を奪い耕夫のウシを駆る。」飢えたる者の食べ物を取り上げ、百姓のウシを追いやってしまう。そういうふうにそのもののもっているものをすべて奪って、そうして最後の禅の悟りに到達せしむるという言葉がありますが、それは禅宗のほうでありますけれども、私なんかのようなつまり非常に欲望の多い人間は、この人世においていろいろなことを考えるのでありまして、また諦めが悪い。いろいろなものがほしい。そうしてそういうものは何でも心を引かれて、いろいろなものを求めて、そのたびにそれがなくなる。つまりこれはだめだ、これもいけないというふうに、一生懸命にもっていたものを、だんだんと奪われてゆく。そうして最後に、これは自分のものだというものが何もなくなる。何もなくなったときに無一物という境地が出てきたのであります。それがつまり禅宗のほうで申しますと奪ってゆく。浄土真宗のほうでは失ってゆくのであります。だんだん自分の握っていたもの、これこそ確かな、美しいものだというものをだんだん失って、失って、失って、そこに何にももたなくなる。そこに開けてゆくものを道という、裸の生活という。それが親鸞の信仰、そういう無条件の絶対他力の信仰であります。

 みなさんが私のこういう話をいてくださるのは、仏教に対してかなり久しい間の関心をもっておられる熱心なかたであると思いますし、六時間も長い時間を与えられたのでありますからすこしおちついてその道行きを話しますためには理屈っぽいことも申しあげなければなりませんけれども、また私は大事な心境の話をするときには、歯に衣を着せて申すことはいやでありますから、失礼なことや、危険なことを申すこともあると思いますが、たいくつでもどうぞごしんぼうなすってしまいまで聴いていただきたいのであります。
 信仰が最後までつきつまってその信仰がひるがえって現実の世界に広がってくる。そういう絶対生活の自己展開と申しましょうか、そのにぎった生活、何もなくなったところから、こんどは今まで失うたものがかえってくる。たとえば、ローマンス、恋愛というようなものでも、実際は私はそういうものはあてにしていませんけれども、そうなるというとその人間の人生は砂漠のようになってくる。荒野のようになってくる、実際そういうものである。しかし人生は舎利頭しゃりこうべに花嫁の衣裳を着せたようなものである。友情にしたところが、仲のよい友だちに借金を申しこんでもなかなか貸してくれない。そういうときに自分の感ずることは、人間というものは心の底からたよりにならないものである。たよりにならないものでありますけれども、それかといって他の人と比べてみますというと親切な人でありまして、友情というものはないかというとそんなものではない。友情というものはこの世の中では美しいものとしておきたい。それでそういうような友情はないと申しましても無視したというふうなものではないのであります。それでそういうふうなさきが見えてまいりますというと、友情というものにたよっておりませぬけれども、それだからといって、友情というものはこの人生にないというふうに否定してしまうことはできない。それは舎利頭に花嫁の衣裳を着せたように保ってゆかなければならぬ。けれどもその友情というものは、つまり単なる友情ではなくして、つまり南無阿弥陀仏という心のうえに浮かんでいる友情である。そういう友情がこの世の中でいちばん真実なのである。
 そういうようなわけでありまして、一方からいたしてまいりますと正義もなければ愛もないというふうに人生がなってしまいますけれども、そのあとからそのものは回復されてかえってくるのであります、またたとえば最後においてこの宗教的立場、いったい私の信仰と申しますものは非常に個人的、内面的なものであります。信仰というものは本来そういうものでありますけれども、そういう信仰が現実生活というものを、宗教の立場からみてどういうように批判するか。たとえば満蒙の問題というようなものにいたしましても、いろいろな見方がありますが、宗教に関するかぎり、これをどういうようにみるかというようなこと、つまり社会の現実方面のことを宗教的立場に立って、どういうようにみるかということについても話したいのでありますが、それは最後のときにいたしまして現実問題のこともいっこう始めは触れませんで、ほんとうの信仰というもの、これがいちばんたいせつなところでありますから、そのことを始め申しあげなければなりませぬ。自分のにぎっていたものをだんだん失ってゆく経路を話してゆかなければなりませぬからして、始めはそっちの方面ばかりになってしまいますが、最後までしんぼうして聴いていただきたいのであります。

 私はやっぱり禅宗の言葉に「ハマグリが口を開いてはらわたを見せる」という言葉がありますが、それはよい言葉であると思います。ハマグリが口を開いたら膓まで見えてしまいます。私は話しているうちに自然にそうなるのでありますが、恥ずかしいと思わないで本音ほんねきたいのであります。それでそんなきたない、小さなことを考えているかというふうに思われるかもしれませぬが、非常に現実的なことになるかもしれませんが、ほんとうの信仰、浄土真宗の信仰というものは、その人の本音からでなければ、けっして生じてこない。つまり「真信打発の契機」であります。ほんとうの信仰が発するところのそのきっかけであります。「真信打発の契機」というものは、その人の恥とかいうようなことをいっておられない本音であります。その本音のところ、その人の火の車の回るような真実のところが宗教的契機であります。そこにはじめてほんとうの信仰というものができるのでありますから、それはどうしても、ていさいのよいようなことをいう世界では、ほんとうの信仰というものが起ころうはずがない。したがって話しますときにはそういうような、ある意味で個人的な、小さなことから話さなければなりませぬ。それで私はこの三日間にそういうようなこともかまわずにぶちまけて話してしまおうと思っているしだいであります。

 それで私はだいたいどういうことをこの講座において話そうと思っているかと申しますと、つまり信仰というものは、どういうところが信仰の本質であって、どういうところから信仰というものが開けてくるか、それに達するところの魂の遍歴を、要点だけをお話して、それから宗教の生活の究竟きゅうきょう、宗教生活というものの最後のゆきづまりの、これ以上ないという究竟のところはどういう世界であるか。それはつまりあるがままのさながらの世界、みなさんが如来である、それに気がついたものが仏であるという、御仏みほとけとはどんなものであるかということをお話いたします。そこが私の信仰の頂点になるわけでありますが、それからこんどひるがえって如来というものは、私自身の言葉で如々としてくるさまざまのものであります。宇宙であります。この如来の自己展開、自発自展してゆくそのありさまであります。それがつまり自然法というようなものであって、つまり今の言葉でいえば歴史的発展であります。そういうような弁証法的発展(そういう言葉は使いたくありませぬが)歴史的展開、そのありさまを話して、そうしてそういうものが実際にあらわれたときに、どういうものになってくるかということを、実例をあげて具体的にお話をして、最後にいたって、そういうような宗教的生活の立場に立って、現実の問題をいかに批判するか。満蒙問題というようなものを、ほんとうの平和というようなものを宗教に関するかぎり、どういうふうにそれを批判するかということを最後に話して、とにかく六時間を与えられたのでありますから一つのまとまったものとして話してみたいと思うのであります。
[#改段]

 それで信仰というものはどうしても個人の心持というものを離れてあるものではありませぬ。それでありますからこれは始めから社会的、経済的のほうへ向かってゆくべきものではない。これは個人的、心理的の気持であります。個人の心持であります。つまり宗教というものは、信仰というものは、体験であります。理屈や思想ではありませぬ。具体的な体験であります。体験というものは個人の心持に即すべきものでありますから、信仰というものは個人の心持が広がってゆくものである。それはちっぽけなもののようでありますけれども、大きいといえばこれほど大きいものはありませぬ。個人の心と宇宙の関係、それが信仰であります。個人的心理的気持を、たとえば社会、国家、あるいは人類全体というふうに、どことむすびつけるかということによっていろいろな種類が生じてきましょう。国家というものと個人というものとをむすびつけるとファッショというものが生まれてくる。人類というものを最後のものとしてくると共産主義というものになってくる。けれどもそれを命というものと個人というものとの関係を広げて、どういうところから自分の命は芽をふいているかという、個人のいちばん深いところまでもってくると、そこに根拠をおかなければ承知できないということになると、宗教生活にはいるのであります。けれども大きなものを生ずるところの根は個人の心持である、個人の心持を離れて社会的、経済的というものは付け焼刃である。それはほんとうのその人の本心から出ているものではなく、中途から出てゆくものであります。そういう生活の最後の原動力、発源地というものは個人と宇宙との関係、そこから出てこなければならぬ。それがほんとうのものであって、それ以外のものはとかくすると嘘が出て、地金じがねが出てくるのであります。

 そういうわけでありましてこの信仰というものは、われわれの生活からとにかくすこしも離すことができない。今日においてもなお宗教がいるかという質問を発する人がありますが、これは非常にふしぎなことであると思います。私は宗教というものは、自分が生きるためにはどうしてもなくてはならないものと思うのでありまして、そういう問いはふしぎでならないのであります。宗教というものは生活と密接な関係があるということをいう人がありますが、そのくらいなことではありませぬ。生活そのものであります。それが宗教であり、それが生活と一枚の宗教でありまして、生活すること、生きることよりほかに宗教はない。だからむしろ抹香まっこうくさい感じを取り去ってしまうほうがよい。
 何でも自分の生活に必要でないものを持っているはずはありませぬ。宗教というものが人間の生活に必要でないならば、宗教というものは何も問題とする必要はない。日々の生活になくてはならないもの、人と和らぐうえにおいて、また闘ううえにおいて、あらゆるうえにおいて、宗教というものはなくてはならないものである。宗教の必要があるか、ないかということが問題になるはずがないのでありまして、生活即宗教であります。生きることが信仰でありまして、生きることと密接な関係があるくらいなことではないのであります。

 この宗教が伝統的に抹香くさく考えられ、今日宗教のほんとうの本質が理解されていない。それを私はじつに残念に思うのであります。ですからしてこの日々の生活のどういうところをもってきても、それはかならず宗教と関係がないはずはない。たとえば満蒙の問題でも、自分の息子が満州にゆかなければならぬ。そのときには、第一にその戦争をすることがよいものであるか、悪いものであるかということがわかる人はありませぬが、これはすこしむずかしいことであります。第一満蒙問題でも、いったいこれは日本がこすいのであるか、シナがこすいのであるかそれはわかりませぬ、どういうことの現れとして満蒙問題が現われたのか。それは実相というものを、真実の偽りなき姿というものを、研究し、見極めるときにはじめてわかるので、シナでは自分の領土のなかに日本がやってきてかってなことをするというと当然のところもある。けれども満州がシナのものであるということもできない。それには別の事情がある。たとえば、これを普通の言葉で申しますと第三者が、当事者ではわからないというので国際連盟というものが出てきたのでありますから、いろいろな考えがそこに出てくるわけであります。その国際連盟というものは張学良の委任統治にしたほうが穏やかであろうという。この世の中で隣同士の人が喧嘩をしたときに、町内の人がやってきて、これが穏当だろうというような関係で、国際連盟のそういうような考えが出てくるわけでありまして、満蒙問題というものは、日本がはたして正義であるかどうかということは、人道主義の正義というものの見方からみまして、正しいかどうかわからない、そういうふうにもってきて生きてゆかなければならぬ。青年がそういうところへいって、鉄砲によって殺し合って死ななければならない。これは、はたして正しいことであるか。ファッショは正しいと申しますけれども、それと反対の考えをもっております共産主義とか、キリスト教主義とか、人道主義とかの者は正しいというふうには考えない。
 そういうふうな場合、そういうような問題をどういうように解決するか。そういうときにはどうしても何が正しいかということを問題としなければならぬ。正しいことには自分の命を投げ出さなければならぬ。しかし正しくないことのためには死にたくないという。自分を捧げて、結局、自分の個人の命を根本的に捧げて、そのもののために死んでもよいという生活にならなければ、どうしても最後の立命というものはえられるものではない。たとえば恋愛なら恋愛、その愛する者のために死んでもよいという。忠義のため、天皇陛下のためなら死んでもよいという。政党のためなら死んでもよい。あるいはファシストならば日本のために死んでもよいという。結局何ものか、これこそまちがいがない、絶対の価値あるものというものをみつけまして、そのもののために自分は死んでもよいという生活形式になったときに、はじめてわれわれの生活は立命するものであります。

 けれどもどういうものに自分の命を捧げるかということは、命を投げ出そうとするときに選ばなければならぬわけであります。そうしてこの宗教生活というものはそういう途中のものに対する懐疑をへて、これならばけっしてこわれない。これこそ最後のほんとうのものであるというものに対して、自分の命を捧げて生きるところの生活であります。信仰生活というものは宇宙というものに自分を捧げて、宇宙が自分を生かすままに自分が生きてゆこうとする。だからそのものに自分を捧げた生活であります。形式からいえばそういう個人意識以上の、宇宙に対して自分の命を捧げた生活であります。けれども何に向かって自分の命を捧げるか、何のためならば自分の命を投げ出しても惜しくはないかという問題については、われわれは選ばなければならぬと思います。窮局において確かなもの、これならばまちがいのないもの、これこそ違いはないというところに達したときに、はじめて宗教生活が起こるのであります。そうしてそういうような国のために死ぬるというようなことにいたしましても、ほんとうに本心から、自分の本心から戦うことが、自分の南無阿弥陀仏になったときに、そういう形でそのことをやりたい、そういうふうになっていくのであります。宗教生活というものは、それでありますから正、不正の問題が、自分の問題となるのでなくてはけっして起こってくるものではない。

 宗教にはいる正門は善と悪との対立である。だから自分はとにかく正しく生きたい、良い人間になりたいという。自分のすことは正しいか正しくないかということを問題とする心でなければ生じてくるはずがありませぬ。そういう心持のない人にとっては、それこそ宗教はいらないわけであります。それで自分は正しく、強く生きたい。自分はこれでほんとうに正しいかということを、いつでも問題とする。一方にまた非常に生きるということに対して熱心である。人生のあらゆる良いもの、美しいもの、清らかなものに引きつけられる。つまり逆な言葉でいえば欲の深い人、欲の深いというてもいけませぬが、この人生において美しい友情とか恋愛、美しい本でも、芝居でも、愛する心でも、生きることの内容というものに対して、たとえば芝居なら芝居を観にゆきたいという人もある、良い着物を着たい人もある、人の不幸なありさま、または弱い者が強い人にいじめられているのを見ていて、見ておられない人もあります。自分がほんとうに正しいか正しくないかということを問題としながら、そうして一方で生きることに強い人、生きることに熱心な人、その二つの原動力があるならば、かならずその人の生活は宗教というものによってゆかなければならぬ。

 最後に宗教というものに立命する、その立命たるや、そういうように自分がやっていることが正しいとか正しくないとかいう関心も、また友情とか、芸術とか、スポーツとかいうような人生に価値あるものも、そういう価値あるものも惜しいけれども、残念ながらそういうものをいっぺん捨ててしまって、そうしてその後に生活そのもの、宇宙に、生活と自分と端的にそのままに一つになってしまう。端的に一つになる。それがすなわち生活と一枚の宗教である。生活即宗教である。

 そういうような生活になりますときにはじめて禅宗でいえば一つの悟りである。真宗でいえば絶対他力、無条件の信仰であります。そういう信仰になるのであります。それで宗教というものはそういうわけで、かならず二つのものが対立してゆく、矛盾撞著というものにぶっつかって、ほんとうの信仰が起こってくるのであります。じっさい生命というものは二つのものからできているからそういうことになるのであります。私は魂(人間の魂という言葉はわかりにくい言葉でありますが)、われわれの心の魂、善悪とか、美に関する魂とかいうもの、心というものでありますが、それが二種のものからできているということを感じております。ゴーリキーの『母』という小説がありますが、あれを築地つきじったことがあります。山本安英やまもとやすえが母になって非常によく演りました。これはプロレタリア・イデオロギーの立場からみたのであります。ゴーリキーの立場はそこまでいっておりませぬが、そういうようにみて、自分の子どもがとらえられてゆくときに、母が悩み、苦しみ、そうしてその人たちに訴えて演説するところがあります。そのときの母親の苦しむ目つき、これは二つのものから出ている。それはなぜかと申しますと、たとえば動物のようなものは、肉体的苦しみは強いけれども、心の苦しみはない。ところが人間が高尚になっておりますと、心の苦しみというものは、高尚でない人よりも強い、だからして普通の人が苦しいと感じないようなことでも、その人は非常に苦痛に感ずる。そういう意味でブルジョアの家に育った令嬢というようなものは、きたないところにゆきますと、その令嬢は普通のそこの酌婦のようなものよりも非常に苦しみます。その苦しむのは確かに心が高尚であるからである。そういうような高尚さを、人間は動物と比較してみますともっております。しかしながらそういう人間の心の苦しみうるところの力というものは、二つのものからできております。一つは共同生活をしてきた。たがいに助け合って敵と闘ってきた。長い間の共同生活の同情、いっしょに暮らした共同生活から発したところの交感、そういうところからやさしいところが出てくるけれども、一方から申しますと、そういうものができたためには、片方においてつねにそういう反省をしたり、観照したりする余裕をつくるために、人間が人間らしい高尚の生活をしてまいりますためには、他の者をたくさん犠牲にしてきております。そういう高尚なる苦しみを苦しみうるということも、余裕がなければできないのでありまして、一定の段階に達しなければ苦しむことができない、だから普通のプロレタリア意識というものは自由主義から比べるというと、片方は余裕があるからそういう高尚なものを、感情生活というものをしてきたから、その感情生活というものが人間の心に発達してきた史的必然という、仏教の言葉でいえば因縁、業縁、そういうものは一方においてはかならず他のものの命を犠牲にしてきた。そういう悪というもの、犠牲があってはじめて高尚なものを苦しみうるように発達してきた。それと片方では共同生活をしてきた、その同情からきた。この二つのものが組み合って母に、母親の母親らしいところの苦しみ、それは動物的本能のほかに人類の母としての苦しみ、そういうような一人の母としての苦しみが、この二つのものからできているのであります。

 それでこれがじつに人間の生活、生命というものを理解するうえにおいて忘れることのできないかぎであります。われわれ人間は万物の霊長であるというふうに考えております。また人間の仲間でも下層階級の者よりも上層階級の者のほうが、高尚な生活をしているように思いますが、犠牲の基礎のうえに立って高尚な生活をしている。これをかりに善悪でいうならば、善の方面と悪の方面とが重なり合って、はじめてそういう意味における生活が実現しているのでありまして、それがつまりこの人類の生活というものが、過去から続いているところの業縁であります。われわれは、われわれの今日の生活状態を、人間の高尚な、豊富な感情生活を考えましたときに、そういうものがいかなる因縁のうえにできあがったかという過去の歴史を、けっして忘れてはならぬのであります。この問題を忘れますと人間本位の、自分本位の考えになってしまって、自分の生命の真実の姿というものを反省することができない。ほんとうの反省、厳粛な反省、宗教的な反省というものは、これはただ宗教的の立場からでなければできるものではない。普通の反省というものはみなのためとか、階級のためとかいうところで、とどまるのでありますが、それではほんとうの反省ではない。もっともっと心の機構が、どういう原因によってできているかというつきつめた、親鸞がしたような厳粛な反省でなければならぬ。すなわち宗教的反省のみが真実の反省でありまして、私の言葉でいえば、浄土真宗的な真剣でなければ、ほんとうの反省をするものではないと思うのであります。私たちがこの個人関係においていろいろな問題によって人と争ったり、問題を起こしたりしたときに、争った人々の仲裁をして両方のいうことを聞いてみますと、涙というものを流すことができるものではない。そういうときにそれに対して女の人はすぐに同情して涙を流すことができるのでありますが、われわれが涙に同情することができるためにも、その人がほんとうの宗教的反省に達していてもらいたい。その人が自分をほんとうに反省した、南無阿弥陀仏という気持になっているときに、はじめてその人のいうことや、その人の考えていることが我田引水でなく、ほんとうの同情に値する。そこまで達しないで不足を申しましても、それはただ一人がっての苦痛でありまして、労働争議などの場合でも、争議団と資本家と、両方にたくさん悪いことがありますが、それが宗教的反省にまで達していないならば、その反省というものは我田引水である。

 話がたいへん横にそれますが、たとえば搾取、被搾取というような関係でも、これは普通では搾取者が悪くて、被搾取者が善いというふうに考えられている。それもなるほど、たしかにある一つの考え方でありまして、たしかに一つの搾取があるときにそういう形になっております。しかしながらそれもよくよく反省してまいりますというと、搾取、被搾取という関係はむしろ棒押しのような関係であると思います。棒押しというものはこっちが[#「こっちが」は底本では「こつちが」]押すと向こうも押している。実際に現われている形はどうなっているかと申しますと、弱いものは押されております。強いほうが押しております。片方からいえば片方は押しているということになりますが、それがはたして棒押しというものでありましょうか、棒押しの実相というものはそうではない。両方押しているのであります。単純に押しておりますけれども、片方が弱いから片方が押されている。たとえば壁のきわまで押されてきているとウワッと声をたてる。その声がプロレタリアの声である。しかしもしそのほうが強ければあべこべのほうが押されるのであります。また押しているほうでも一生懸命押していなければならぬ。ある程度までそれは譲りましても、向こうが強くなるとまたどうしてもだんだんと押されてくる。ここからが「押し」でここからが「押され」であるというような境目はどこにもない。一生懸命押していなければ、いつでも自分が押されている関係になるのであります。そう申しますと私が押される位置にいないからだというかたもありましょうけれども、私は人と何か、もんちゃくが起こるとかならず押されるのであります。かりに私の家の書生としますが、そういうものと問題が起こります。そういたしますというと雇主と雇われた人でありますから、私のほうが搾取者でありますが、実際は私のほうが負けます。押されているという感じがいたしまして、談判いたしますときに押されているという手ごたえがある。自分はつまりそういう意味でだんだん位置があべこべになってゆくわけであります。そういう書生という位置にあるものが、こんどは自分を押してくるわけであります。だんだん向こうの位置が高くなるとたとえば私の娘なら娘に対する言葉でもだんだんぞんざいになって、しまいにはめかけにもしかねない。そういうようになってくるのであります。
 それでたとえば満蒙問題なんかもそういうものでありまして、日本が帝国主義で悪いというけれども、しかしそれは悪いという簡単なものではない。それは棒押しのようなものである。それでこういう人生の実際のありさまと、すこしばかりの人道的の反省と申しますものと、そのものの実際の姿、ほんとうのありさまとはたいへん違っている。宗教の着目すべきところは、そういう真実のありさま、「実相諦観」実際のありさまを諦観する。諦観というものは諦めるという。よく見るということであります。そのものの実際のありさまから洞察して、ほんとうのモメントをよく見ることであります。諦めるということはよく見るということであります。「実相諦観」というのがほんとうの反省であって、普通の人道的反省というものとか、階級的反省というものは、ほんとうの反省まで達していない。ほんとうの信仰をつかもうとするならば、それらの真実の姿、これだけは隠すことのいらないというほんとうのありさまをつかむ。だから普通の世の中を見て革命なら革命を恐れるとか、会社なら会社の帳簿を調べられることを恐れるというようなことはない。ほんとうのありさまをつかむ。自分の心のほんとうのありさまをつかむ。そこからはじめて宗教というものが、浄土真宗の信仰というものが、そういうふうにして起こってくるのであります。そういうようにしてよく眺めたところの自分の心のありさま、また自分の生き方というものは、それはかならず二つのものからできているのであります。かならず悪いことと善いことからできている。たとえば人間の生活というものはもともと悪いものであります。人間の生活というものは、他の弱いものから皮をはいだり、虫を殺したりして奪ってくる。二宮尊徳が、「天道に委せればイネはできない」というている。人間の立場から雑草を引き抜いたりしてイネを育てる。弱いものから取ってきて自分の衣食住の資をえているばかりでなく、だいたい観照生活というもの、物を見渡すところの力というものは、他から奪ってきたも同様のものであります。動物が始めから自分の生命の姿を眺めたりすることのできるものではないのであります。自分の生命の姿を見ることができなかった。それがそういうような生活をしてまいりますうちに、それだけの余裕ができて、自分の生活はこういうものであるという反省が生ずる。恐ろしい、恥ずかしい、という自分の生活を反省するようになれば宗教というものができ、自分が如来であるという自覚も、それから後にできるのでありますが、そういうような反省する能力というものは、始めからあったのではなく、犠牲をつくってその生活のうえに立って、はじめてそういうものができてくるのであります。ですからわれわれがそういうふうに人間の文化的生活をきずいてゆこうとするときに、人類の生活というものを最初の出発点としてはならない。宇宙は人生のためにあるのではない、そのなかに人間というものがあるのであって、ネズミというようなものもまた生きなければならぬ。そういうものの生活と、人間の生活というものを比較してみて、はじめて人間生活というものがどんな生活であるかということがわかってくる。どういうものを条件として人間の文化的生活ができてくるかということがわかってくる。そこではじめて人生に対する謙遜な批判もでき、そうしてまた人類のなかに現われているところのプロレタリアとブルジョアの闘い、国と国との闘いの実相も、そういうものをかぎとしなくては解くことはできないと思うのであります。偽善的な外交通用語が虚偽であるのはもちろんでありますが、普通の人道的、階級的通用語もまた実際にほんとうのことではないと思うのであります。

 この間ご承知の「亜細亜の嵐」という有名なロシアの映画がありました。「亜細亜の嵐」という映画は赤化宣伝を目的としてつくられた映画であります。結局宗教家とブルジョアなんかが結託して、モンゴールの土人が、たいせつにたいせつにしていた銀ギツネのりっぱな毛皮を、宗教家とブルジョアが籠絡して取りあげたわけであります。取りあげた皮はその商人の令嬢の毛皮になっている。そのなかにモンゴールの酋長のせがれをりっぱな服を着せて、それを政策上の目的からモンゴール王の王子に祭りあげた。ところがあるところで令嬢の毛皮を見た。それは自分の毛皮である。自分が命を的にしてとった毛皮をかけている。そこでモンゴールの王子は「これはおれのものである」と思わずいった。それがきっかけになって、その晩餐会の儀式がめちゃくちゃになって、革命が起こってくるという筋でありますが、そういうときでも私はそれを見ておりまして、どうしてもそれだけでは満足できない。土人は毛皮を私のものであるというが毛皮はキツネのものである。キツネにとっては自分のものでなく自分のからだであります。もしキツネが生きておったら「これは私だ」といったであろうと思います。
 そういうような成立からこの世界は成りたっている。それでそういうところのありさまを実際に眺めて、そうしてそれならばそういうありさまを見ないようにすることができるかどうかということであります。むしろわれわれが正しく、強く生きようとするならば、またキツネの毛皮も取らないように、そういうような無慈悲なことをしないということで、われわれが生活できるか。もし正しいということに徹底するならばそうしなければならないはずであります。ところがそれはじつはできない。それができるかできないかということも、これは真信打発の契機でありまして、ほんとうの信心が出発しますのは、こういうことをすべきかということから出発するのであります。すべきことであるならばやろう。ほんとうにできるかできないか。可能と不可能、べきの問題と、可能、不可能という問題があります。これが一つになったときに真信が打発するのであります。やれるか、やれないかということになるわけであります。当然ここにこなければならぬ。できるか、できないかということになってくる。それはやってみなければわからない。これはやってみようという人と、やってみようとしない人とは、そこに問題の解釈が違ってくる。そこが嘘をいうとか、本音をいうとかいうところの問題になってくるわけであります。べきということからいうたならば、恋愛ならば恋愛は嫉妬をおさえるべきであるが、そういう恋愛はできないのであります。それはもともと恋愛というものと嫉妬というものとは一つのものが二つに分かれたもので、べきで嫉妬というものをおさえることはできない。可能か不可能の問題になるのであります。嘘をいえば幾らでもいえますけれども、本音からいえばできない。はじめてべきの問題とできるできないという問題が分かれてくる。そこでべきはそのままで、それを受け取るよりほかに仕方がない。可能、不可能の問題になりますと、やるべきことができない。それはやるべきことである。やるべきことであるけれどもそれができないのであります。できないのは自分の意志が弱いためにできないのであるか、宇宙ができなくさしている。地球を太陽から飛び出させたところの宇宙の力が、べきということを注意せしめ、やるべきことであるということを考えさせておきながら、一方においてはできないようにさせたのであります。その力が宇宙的のものであるということをわれわれが感ずるのであります。そうしてそれから一方において、これはかならずやらなければならぬものという心が、これがまた宇宙的のものであるということ、たとえば当面の問題でいうならば、そういうことのない生活をわれわれがすべきである。事実正しい生活をしようというならどうしてもしなければならぬ。それが嘘だというのでも何でもない。やはり宇宙がそういうように考えさせたものである。けれども片方においてそれができないようにさしている。それがつまり実在は二つの矛盾から成立しているということになるのであります。

 そういたしますとこれはこの世界の生命の存在および生長の法則であります。生命というものが存在するにはどういう法則があるか、また生命が生長するにはどういう法則があるか。生命の存在および生長の法則であります。この法則というものにわれわれがぶつかってくるわけであります。そんな法則はないという人もありましょうが、そこがつまり実際にわれわれがそれをつかむのと、つかまないのとの相違であります。「生命の存在および生長」というものは犠牲というものがなければどうしてもできない。愛と正義というものはりっぱなものでありますけれども、愛と正義というものでもし生命現象というものを解釈しようとするとかならず割切れない。その犠牲というものの観念から解釈してゆきますならば、はじめて生命というものの存在および生長の法則を解くことができるのであります。この生命の生長および存在の鍵は愛と正義ではなく最後のものは犠牲であります。犠牲というものには二とおりある。一つは自分が犠牲になることであります。自分が大きなものになる。宇宙のため、国のため、人類のため、家族のため、恋人のため、学問のために自分が犠牲になるということであります。そういう犠牲であります。そうしてもう一つは犠牲をこしらえるということであります。人を犠牲にすることであります。あべこべの立場であります。つまりわれわれがイネを食ったりするのも犠牲であります。犠牲になること、犠牲をこしらえることと、この二つのことがなければ生命は存在することも生長することもできませぬ。この人類生活というものの生命の事実を解釈するのは犠牲の観念をもってしなければならぬ。そうしてこの犠牲というものこそ人類の生命を支えるところの貴いものである。それでありますからわれわれは芝居を見ても何を見ても、われわれの心がほんとうに感動するのは犠牲の場面であります。この間も文楽ぶんらく合邦がっぽう[#ルビの「がっぽう」は底本では「がつぼう」]で玉手御前が犠牲になるところを見ましたが、思想的に共鳴するとしないとにかかわらず、いちばんわれわれを動かすのは、愛と正義というもの以上に犠牲というものがわれわれの心を動かすものである。その犠牲には自分が犠牲になる。自分がそのものにあまんじて犠牲になる。それから他のものを犠牲にすることであります。われわれは南無阿弥陀仏という心で犠牲をこしらえる。どうしても犠牲をつくらないわけにはゆかない。だから片方で善と悪という心が強いのでありまして、弱い者が強い者にいじめられることが見るにたえられない。だから犠牲を見るときに心が苦しむ。けれどもどうしてもしなければならぬものであるというときに、虫なら虫を殺す。それがつまり殺すという犠牲をつくるということが、また自分が犠牲となるところの気持が南無阿弥陀仏であります。

 自分がどんなに努力してもうまくゆかぬことがある。先天的で努力してもだめである。たとえば私が碁をやりますが、私の近所に碁の天才があります。勉強からいうと私のほうが勉強するのでありますが、どうしても勝てない。十一歳でありますがどうしても、幾ら努力しても弱いからしかたがない。平常はちゃんばらなんかして遊んでおりますが、碁をやると権威がある。どうもしかたがない、位置が低くなる。そういう意味で自分が社会の下積みとならなければならぬということは幾らでもある。私なんか世の中にたってゆくときに、自分を弱者として感ずる場合が多い。そのくせ負けず嫌いで腹がたつ。努力するけれどもだめである。そういうような宿命観というものは弱々しいと申しますけれどもどうしてもある。そうしてそのいちばん最後のものはやはり宿命であります。たとえば私の最愛のもの、友だちなら友だち、妻なら妻というものが精神病になりました。本人はできるだけそういうものになるまいとして努力をする。ことにいかに努力してもだんだんそのものが悪くなる。そうして悪くなっていった結果はどうなるかというと、自分が悪いということも感じられなくなる。いかに努力してもすべて人の頭というものが弱りますと、自分がそうなるということを考えることもできなくなるのであります。これは努力主義というものに対して一つの宿命であります。努力主義の脚の届かないところであります。でありますからしていちばん普通の合理的理想主義というもの、何か善いこと、すべきことをみつけて、一種の努力さえすればできるというのはまだ浅いので、幾ら努力してもできないという一種の宿命がある。それが最後のものである。カエルがヘビに食われるような境地がある。世界がある。どうしても宇宙というものの存在および生長のために、自分がどうしても犠牲にならなければならぬ。自分が身に振りかかってくる不幸を、どうしても受けないわけにはゆかないというときに、それは宇宙の命令でありますから、それを受けているよりほかにしかたがない。だから受け取るよりほかにやりかたがないという境地が、世界が確かにこの人生にある。つまり自分が犠牲になるのであります。この犠牲になること、それから他のものをあまんじて犠牲にすることであります。そのときに私どもの心の中に、われわれが正しいか正しくないか、善悪の問題が非常に混線して、弱いものがいじめられるのを見ておられないということが強ければ強いだけしなければならぬ。どうにもこうにもならないことになる。それをあえてしなければならぬ。ところが実際にそういうふうにしてこの世界が成りたっている。

 われわれが一日の生活というものを、そういうふうな気持できてはじめて真実の和解ということもできる。また一方においてわれわれが自分の生活を拡張してゆくためには、片方にあえて犠牲をつくらなければならぬことがある。そのときには友だちとでも争わなければならぬ。いわゆる生命の根で、生活を拡張してゆこうという本能によって、われわれがこの人類の文化を支配してつくっている。そういうものがわれわれの個人のなかにもある。それによって支配せられるものであって、自分が生きて生活を拡張してゆこうとするならば国家にせよ、階級にせよ、個人にせよ、他のものと闘わなければならぬ。そのいくさをやめることができないで闘うならば、どうしても犠牲をつくらなければならぬ。それからまた人と和解するときにも南無阿弥陀仏がいります。この和解するときにもほんとうの平和というものは、前にも申しましたように両方が自分の心を捨てて向こうを圧してゆくにも私が生きるためにしかたがないという。向こうもこれに対して抵抗せざるをえない。しかしこれは気の毒だということを知っていて、そのときにはじめて和解が成りたつのであります。けれども私は正しいということばっかりで、これは正しい、当然の要求であるというふうになると、けっして和解することができない。けれどもそういうふうにわれわれが生きるために争わずにいられない。また争うということがあさましいということを知っている同士の間に、はじめて和解ということができる。ほんとうに和解することも、たたかうことも、そのときにはじめてできるのであります。そうして私らは実際にそういう境地がありませぬならば、とうていこの社会生活をして自分を支えていることはできない。私なんかはすぐにほんとうに踏みつぶされてしまいますが、生きている以上は自分の命を開展さして、発達して進んでゆかなければならぬ。またそれはあらゆる生きている者のすべきことでありまして、すべてのものが向上してゆかなければならぬ。しかし自分がそういう念仏の心があるならば、私は人と争って自分が開展してゆく力が出てこない。私が人に対して家族を支えてゆくこともできなければ、どうしてゆくこともできなくなる。それは、はっきりわかるのであります。私はいつでも口ではいいませぬ、言葉に出しませぬけれども、心の中でいつでもそういう気持にたって人とも争い人の犠牲にもなり、社会生活を送っているわけであります。それは「如来の願船なかりせばいかで苦海を渡るべき」という言葉があると思います。この社会生活というものは一方においてそういう苦海であります。心の素直な者、清らかな者にとっては、確かに世の中に生きてゆくということは苦海である。
 私の歌にこういうのがある。
頼みなき人の間に交わりて
     頼まぬとしもあらで生きなん
というのは説明するまでもありませぬ。人は頼みにならない。頼みなき間におってたがいに生きてゆかなければならぬが、頼みないといわないで、頼んで生きてゆこう。しかしそういう気持で生きてゆきますけれども、しかしそれだと自分だけは頼みになるというふうにとれます。そこでそれをやりえて、
我も人も頼みなき身と思えども
    さのみはいわじさびしきものを
そういう気持のほうが、もっと宗教的な深いところから出ていると思うのであります。そこにつまり前に申しました、舎利頭しゃりこうべに花嫁の衣裳を着せたように、ということであります。おたがいに頼みにならないけれども、そうはいわない、さびしいから。われわれはできるかぎり頼みになるようにするのであります。それ以上はわれわれが頼みになるようにしてやると口でいうても、実際にできないのでありますからしかたがない。だからしてほんとうの反省のうえにおいて、われわれが実際にできることで、やることで、そうして最後の世界はそういうもののところにくる。そういうものでこの人間同士は生きてゆく、人間共存の意識というものは、そこに立ってはじめて意識できるものではないかと思うのであります。
[#改段]




 前にも申しましたように、とにかく私たちが研究しようと思っていることは、いちばん根本的な、いちばん裸な、いちばん端的な、真理であります。でありますからして、その真理を研究しようとしているときには、私たちは、何物をも恐れないで、何物をも飾らないで、そのときにはどういう恥ずかしいことでも、どんなことでもぶちまけて、つまりほんとうを申しますと、私はこういう話は座談会のほうがすきなのであります。しかしこういう催しでありますし、人数も多いのでありますからしてやむをえませぬが、私は講演というようなことは宗教のほんとうのお話をするときにはあまり好ましくないのでありますから、私の気持はつまりみなさんと胸襟を開いて、御同行おんどうぎょうというようなつもりで話したいと思っておるのであります。私は一昨年でしたか、やはりお話を頼まれまして高野山で話をしたときに、私の内面生活というようなものは、そういうような人が期待するような清らかなものではない、私は非常に穢れたもので、それがいやみや謙遜でなく、実際そうであって、つまり恥と堕落というようなことを日常茶飯事としている。だから清い生活をしている者ではない。この浄土真宗の[#「浄土真宗の」は底本では「浄在真宗の」]信仰というものはそういう信仰であるということを話しましても、ほんとうにしてくれないのであります。やはり清らかな、美しいような世界、そういうものとして期待しているところがありますから、私のいうことがよく徹底しないような気がして、残念に思ったようなことがあるのであります。しかしながらそういうふうな穢れと恥と、よごれと堕落を日常茶飯事としているようなことは、つまり顔が赤くなる。赤くしないわけにはゆかないから、いつも赤くしているのに気がつかない。そういうような生活なのであります。そういうような生活が、すくなくとも親鸞聖人の信仰のなかでのいちばん中心のところであると思うのであります。それはいろいろなふうに現われておりますが、大谷おおたにさんの親鸞聖人というものが出ておりますが、そういうようなものによるとそうではないようでありますが、しかし親鸞聖人の実際のあり方、信仰の全体のところから申しまして、ほんとうの信仰というものはそういうものであったにちがいない。それはちょうどキリストの信仰というものは福音書ふくいんしょの中にあるようなものがほんとうの信仰でありまして、それを社会と調和するようにしたり、はなはだしきは戦争というものをもキリスト教と調和させようとしたりすることをいたしまして、聖書的でなくキリストを理解しようとする試みは、やはりほんとうのキリストの信仰ではない。もっとも私の信仰は戦争も認めるのでありますが、キリスト教のほうでは、すくなくともキリストの信仰はそうではない。それがほんとうの信仰なんだと思いますが、しかしそのキリストというものも、ああではない、こうではないといっていろいろな妥協的な、社会と調和するようなふうにいろいろとまげられていると思います。親鸞聖人も御和讃ごわさんにあるように、恥と穢れと塵との中の、赤裸々な、ほんとうの自己をきたないものとしての信仰、それがどうしても親鸞聖人のほんとうの信仰であると私は信ずるのであります。私は後にもちょっと話しますけれども、親鸞聖人という人は、私のかかりました病気から申しますと一種の潔癖性、強迫観念のなかに、普通「穢れ」と申しまして、何でもきたなくてしようがない。幾度手をふいても手がきたない。電車に乗りましてもしじゅうガーゼを持っていていちいち吊り革につかまった手をふく。本でもきれいに並べて、すこしでもゆがんだら気がすまない。一日手をきれいにすることばかり考えている。これは潔癖性という病気であります。潔癖性といわれている一つの精神上の病気であります。こういうものが一人できますと家族はとても困るわけであります。ほかの人は何でもないと思いますが、手を切って捨てたいくらいに苦しいのであります。親鸞聖人というかたはつまり道徳的潔癖性であります。罪というものに対して非常に心の清らかな、すこしの罪というものも許しておくことができない。非常に神経質であります。それでそういう強迫観念の潔癖性というものはどうなるかというと、これはなかなか治らないものであります。これは結局どうしなければならぬかというと、自分の手をあべこべに塵の中に突っこんで、それでもかまわないというふうになるよりほかにのがれることはできないのであります。強迫観念というものののがれ方はすべてそうでありまして、私なんかも強迫観念でありますが、それからどうしてものがれることができない。それと一つになるよりほかにのがれ方がない。

 親鸞聖人もそういうように罪悪に対して、非常に潔癖である。すこしの罪も気にかかる。だからほんとうの善人なのであります。トルストイがいかに厳粛であったといっても、親鸞ほど潔癖ではない。世界じゅうで親鸞ほど内省が深刻で、正直な人はないと私は思っておりますが、それは一種の潔癖性であります。普通の目から見れば、つまりほかの人が見ればそんなに悪い人ではないがと思うが、自分ではきたないきたないと感ずる。そういうような心の状態であったと思うのであります。それで親鸞がその罪の呵責かしゃくからのがれるところのたった一つの道は、つまりその罪のなかに手を突っこんで、どんなに穢れてもかまわないということにならないと、自分の生をおちつけて人さまのなかに交じって生きていることはできない。こういうような心持であったろうと私は思うのであります。でありますからそういうふうな信仰になりますまでには、私たちは始めはそういうものからのがれようとするところの努力があるべきはずである。この努力があって、はじめてのがれられないということがわかる。それが強迫観念の場合によくわかることで、たとえば私の耳がガンガンと鳴って、頭がいっぱい音ばかりになってしまう。そのときに私はもちろんのがれようといたします。現在苦しいのでありますからして、何とかしてこれをのがれることはできないかと思って、朝から晩まで、こっけいなほどそのことばかりにかかっている。その努力というものは非常なものであります。ちょうどさいの川原で石を積んでいて、これでよいと思っていると壊れる。それでまたそれを建て直す。その建て直すたびに、これでいいんだいいんだと一生懸命になる、また壊れる。そういうように努力に努力を重ねて私の病気もそういう努力をやっているうちに、そのことばかりに没頭して、からだのことを考えている暇がない。そうしているうちにからだが治ってしまった。強迫観念を治すと同時にからだも治ってしまった。そうやって親鸞聖人は、その罪からのがれようとする努力も叡山でやったのであります。あらゆる人がこの信仰、ことに浄土真宗の信仰にはいるためには、かならず自分をよくしようとして出発しなかった人はないはずであります。そういうような出発からでなくして、この浄土真宗にたどりつくはずがない。

 つまりそういうようにして出発いたしまして、霊魂の遍歴ということが起こるわけであります。そこでこの遍歴する、巡礼するということは、その遍歴の数、また深さが広ければ広いだけ、その人の世界は広くなっているわけであります。それでこの一つの社会から申しますと、人間の社会というものがあって、それがどういうような歴史をとおって今日までたどってきたかということを観察するのは社会科学上の観察であります。唯物史観というものはそういうような見方であります。そういうことは非常にたいせつでありますけれども、しかし個人の心の遍歴、個人の心の歴史があります。個人の心がどういうようにたどってきたか、どういうような運命を与えられ、どういうような境遇をへて今日になっているかという歴史というものは、精神の問題のほうではもっともたいせつなものであると思います。そういうものを扱ったのを仏教で聴きますのは「善財童子ぜんざいどうじ」というものが華厳経けごんきょうに出てくる。森から森をへめぐって、五十五人の善知識を一人ずつたずねて、これでもいけない、あれでもいけないというので、五十五人の善知識をへめぐって、最後に普賢菩薩ふげんぼさつ[#ルビの「ふげんぼさつ」は底本では「ふけんぼさつ」]に会って、阿弥陀如来に帰命きみょうするということになっているのでありますが、そういうようなことも遍歴であります。みなさんのご承知の『ファウスト』はやはり霊魂の遍歴を書いたものであります。それからストリンドベルヒの『ダマスクスへ』、イプセンの『ペア・ギュント』、トルストイの『神父セルジュウス』というものは霊魂が一つの正しい生活を求めて出発して、一人一人の求道者として出発して、遍歴を書いたものであります。それは私も「蓮池はすいけ」というものを書いております。これは『しめ立つ道』という本で岩波書店から出しておりますが、この中に「蓮池」という二部作ぶさくがありますがそのなかの「蕩児とうじちる地獄」だけを読んで、「蓮池」というきれいなほうを読まないで、私は非常に攻撃されたのでありますが、これは私の心の遍歴を書いたものであります。ともかくもそういうように遍歴というものは、その一つ一つの境地をタクシーで見回るだけでなく、そのときにおいては一つの境地が、甲なら甲の境地が一生懸命にそこに生きたのでなければ遍歴ではありませぬ。だから私たちが、たとえばこれまでやってきたことでも、一心にうちこんできたことでなければそのことが身についていない。当時の跡をいって見ましても、そこで自分が恋愛にしてもまじめに生きた覚えがありますと、一つのベンチでも胸が痛くなるくらいであります。そうでなかったときは胸に響きませぬけれども、断食したり、水行したりするために通った道は、その他の道よりも響き方が違っております。一つ一つの境地は、そのときにはとにかく一生懸命であった。これこそ自分のものであるという境地を通じて、一生懸命に生きたところのものであります。そういうものは役にたたなくっても、それを一つ一つ通りすぎていって、それがはじめて遍歴と名づくべきものであると思います。それで、
幾つもの山と思いて過ぎこしは
       目の前にして広き枯れ原
そういうように自分の現在にきているところの立場から、自分の過ぎ去ったところの、遍歴してきたところの境地を眺めてみるというと、幾つもの山を通ってきているわけであります。その後に広い人生の眺めが、そこに横たわっているわけであります。そういうような眺望は広ければ広いだけ、広い視野をもっているわけであります。前にこういうことをやってみた。こんどはこういうことをやって見た。あの境地はこうであったという。そういう境地をまだへていないところの人から何か相談を受けるとか、あるいは道を聞かれたというようなことがありましたときに、今その人はそこにいると思ってものをいっているわけであります。その人に理解させるということもむずかしいことであります。一つのことを理解するためには、それにさきだつところの遍歴をへて、それをほんとうに体験してはじめて現在の境地がわかるのでありますから、それをわからせるということはなかなかむずかしいことであると思います。私は今では前にも申しましたように、みなさんの一人一人が私の言葉では一人一人の人が如来であります。それに気がついた者が仏ということになっているのでありますが、どうしてそういう気持になったかということを一とおり話そうと思っているのでありますけれども、結局それはみなさんが私と同じようなふうに、その人その人の歩み方がありましょうが、そういうように自分自分の体験をなさらなければ、とうてい私と同感していただくことはできにくいことであろうと思います。

 私がいちばん初め出発いたしましたのは、とにかく自分が生きているということを十九ぐらいのときに感じた。それまではぼんやりしていたが、十九のときに私は生きていることを感じたわけであります。自分の命に目覚めたのであります。とにかく自分が生きているということを非常に痛感したわけであります。生に目覚めたわけであります。
 それからこんど私の考えましたいちばん初めのことは、どういうようにして生きたら良いかということであります。それについてもちょっといっておきたいのでありますが、自分はどうしたらよいかということを考えることは、それだけの暇がある者でなければ考えられないのであります。そういうことを考えておられない者はどうするかということも考えなければならぬことと思うのであります。自分はどういうように生きて宜いかということを疑うことができないような境遇がもしほんとうにあるとすれば(それは、そういうことはないと思いますが)そういうことはつまり、諸君は有閑階級であるというふうにばかりものをいう人が、そういうことをいうのでありますが、もしほんとうにそうであるとすれば、その人は考えなくてもいいのであります。それはたとえばコップならコップがここにある。コップがここにないわけにゆかないでここにあるならば、このコップは正しい――というとへんでありますがつまりこれでよい。宇宙でこれよりほかにあり方がない。ところをえているのであります。こういうものは如来である。前に申しました「ぶつとは何ぞや」「仏とはかわいた馬糞ばふんである。」雲門うんもんの「仏とは麻三ぎんである」などと申しますのも結局そうでありまして、雲が風に吹かれて空を流れる。これは非常に宗教的な、厳粛なことであります。そういうわけでないわけにゆかないのでありますからそれでよい。動植物は自分の命のありさまを、自分で眺めたり、感じたりすることができないで生きている。そのものはそれでところをえている。また子どもは、つまり私が命に目覚めたときが十九歳であるとすれば、それまでの赤ん坊のような状態は、赤ん坊は自分の命を反省することができなくてもそれでいいのであります。それが厳粛なものであるのであります。また精神病者もそうであります。自分の命のありさまを眺めることができないのであります。たとえば私なら私がこんなことをいっておりましても、もしも自分の命の姿を眺めることができなくなって精神病者になる。いつそうなるかわかりませぬ。そうなりましてもそれでかまわない。でありますからしてもしもそういう懐疑、そういうことを考えていられない。自分は今日のパンをうるために、すぐにパンのことを考えなければならぬという人があるならば、それはそれでいいのであります。懐疑というものは、その精神の状態が迷わないわけにはゆかない。何がよいか、自分はどうして生きるか。そのときには、自分は善い人間になりたい。正しいことに自分の命を捧げたいということを考えうる人は、それを考えることがいちばんまじめなことであって、生に目覚めた人のしなければならぬことであります。それで私は、はじめは善い人間になりさえすればいい。善い人間になりたいということをたてますと、さて自分は何をしたらいいかということがわからないのであります。

 それは今ちょっと考えてみてもすぐわかることでありますが、たとえば学生なら学生がおりまして、善い人間であるためにはどうしたらよいかというと、わからないということであります。たとえば親から学資をもらって学校へきて勉強している。これは善いか悪いか。たとえばクロポトキンの「青年への訴え」というのをみると、それはいけないということである。それを非常な熱烈なる声をもって訴えたのが「青年への訴え」である。私たちが一生懸命に働いて学校を建ててやるのに、君たちは、おれたちにわからないことばかりを勉強している。けれども私たちは学校を建てて本も印刷してやった。けれども私たちの生活を君たちは見てくれない。君たちは学校をやめて私たちの生活にきて助けてくれないか。これは誰でも知っているクロポトキンの「青年への訴え」であります。そのために苦しんだ学生は幾らもあります。親からもらったところの学資、その金というものはどんなものであるかというと、いわゆる搾取したところの金でもって自分は勉強している。それならば自分はまず学校をやめて労働者の群れに投じて、労働者を助けることから始めなければならぬとも考えられるのであります。しかし一方では、自分の運命をきり開いてゆくためには、自分はもっと勉強してえたところの力をもって、みなの役にたつ仕事をすべきである。人を助けるということだけでなく、自分の欲望を獲得するために生きるということも、善いことではないかというふうにも考えられるのであります。それでその学生はどうしてよいかわからなくなるのであります。そういう懐疑の状態というものは、いったんそのなかにはいってゆきますと非常に苦しいものであります。そのために藤村操も自殺した。芥川竜之介も自殺した。ほんとうにどうしてよいかわからなくなる。これは一つの論理的、思想的な苦痛であります。けれども、これは自分の生活を反省してみますと、どうしても知識階級の者がおちいらないわけにはゆかない苦しみであります。

 そのときに私たちのいちばん為すべきことはどういうことであるかというと、正直な、善良な人々であるならば、何が善いことであるかを捜そうとするわけであります。それは自然なことであると思います。何が善いか、善いことさえわかったら、そのことを一生懸命やりたい。けれども善いことがわからない。およそ苦しみに二とおりありまして「わかればするのに」と「できればするのに」という二つであります。「わかればするのに」というほうは、私が「赤い霊魂」という戯曲を書きましたが、W子という女と、同志の女と二人あります。W子というのは革命のほうにはいっていって、市街戦をやったり、どんどん働く。同志の女のほうはそれが、はたして正しいかどうかということがわからないから、はいってゆくことができない。けれどもW子の姿を見ていると、どんなに自分の命が充実するだろうということを思う。けれども正しいということがわからないからすることができない。わかればするのにわかればするのにという苦しみであります。「できればするのに」というのは、たとえば強迫観念でこういう目の前のものが、くるくるくるくる回ります。これは確かに自分の妄想であるからと思って、これをやめようとしても、やめることができなければ弁慶でも力を用いるすべがない。一生懸命やめるけれどもそれができない。できればするのにという場合には、わかっておりますけれどもこれをどうすることもできない。この二つの苦しみが、意識して生きようとすれば自覚的になって人間に現われてくる。ここから宗教的生活に最後にはいってゆかなければならなくなる。つまりこの二つはどちらもだめになる。すなわちわかりもしなければ、できもしない。結局そのままで生きる生き方が残ってきて、宗教的生活ができるわけであります。今いっているのは「わかればするのに」というほうで、すなわち懐疑のほうであります。それで詳しく話しているわけにはゆきませぬが、それは誰でもそういうとき知識階級の人のすることは、善とは何か、ということをきめて、それがわかったらするというのでありますから倫理学にゆくわけであります。そういうことは前にも申しましたから簡単にいたしますが、私はそのときに倫理学者になろうと思いました。いちばん深い倫理学者になろうということを思いました。それは私の『愛と認識との出発』に出ておりますが、倫理学者になろうと思いました。善とは何かという発問であります。この一つの問題が解決されるためには、その方法論がなければならないわけであります。

 どういう仕方でその問題を解くかという方法論がいるのであります。
 倫理学の方法論は理性と意志との力であります。その理性の力で善とは何かということを判断してゆこう。そうしてそれがわかったならば、それを意志の力で実行してゆこう。やってゆこう。かならずやるべきことであるからやってゆこう。その生き方を名づけて「合理的理想主義」と名づけることができると思います。
 私たちがほんとうに真実に生きてゆこうとする[#「ゆこうとする」は底本では「ゆかうとする」]生き方というものは結局二つよりほかありませぬ。それは「合理的理想主義」の生き方で生きるか、それでなければ「法的自然主義」の生き方でゆくか、結局この二つよりほかに生き方がない。このあとのほうがつまり宗教の道であります。合理的理想主義は普通の倫理道徳の道であります。それで、はじめに考えますことは「合理的理想主義」であります。理性の力をもって善とは何かということを知り、どんな事が善いことであるかということがわかったら、意志の力をもって一生懸命やろう。努力して自分を鞭打ってやろう。これがどんなに苦痛なことであってもやらなければならぬ。まず一般の考え方として、いちばん穏当というふうなことを申しますならば、穏当な考え方である。それは、ほんとうは浅薄、すくなくともいちばんほんとうではなくしてかりのことでありまして、そういうことは宗教生活からみると浅はかなことでありますが、普通の世の中ではこの方法で生きるということが、まず無難なことである。私たちにしたところで子どもたちにどういうようにしたらよいかと聞かれたら、やはり、そうしろというよりほかにない。もとより善とは何かということは倫理学では答えてありますけれども、それはあらゆる倫理学の系統によってみな違っている。どれがほんとうだかわからないけれども、しかしとにかく、自分がこれならほんとうらしいというものをまずたてて、そうして生きようとするよりほかになくなってきます。これは厳粛なものにとっては、非常に不満足なことであります。よく知らないのにこれよりほかしかたがないではないか、だからこれでやろうというようなところでやるよりほかしかたがないのでありますから、非常に不満足ではりあいがないわけであります。そのときに苦しまぎれにもってきたのが、米国のロイスの懐疑の限界という思想であります。それはどういうことであるかというと、懐疑というものはどこまでいったらよいというものではない。これより以上考えることはどっちかにきめるよりはまだ悪い。どっちかきめないよりもきめたほうがよいというところまで懐疑したならば、懐疑にきりをつけなければならぬ。懐疑の限界という、これは私どもをそのとき助けてくれた考え方であります。懐疑の限界、われわれはどこまで迷っていればよいというものではない。どんなにたいせつなことがあっても、結局どうもできないようなところまで考えるよりは、たとえまちがっても、どっちかにきめたほうが、まだ考えるよりはよいという点に達するというのであります。そこまで達したならば懐疑をやめて、これが善いものであるというものは一生懸命にやらなければならぬ。それは果断の意志をもってきめなければならぬ。果断するというところに宗教的な意味があると、ロイスはいっておりますから、それに力をえて、私のいちばん好きな倫理学はリップスの倫理学でありますが、それによって、ロイスの懐疑の限界で、これでよいとしなければならぬというところで、それをうちきって私の生活をそこにたててきたのであります。それは善となることを自分が善ときめてゆこう[#「きめてゆこう」は底本では「きめてゆかう」]。意志の力でむりにきめて生きてゆこう[#「生きてゆこう」は底本では「生きてゆかう」]。そういうようにいたしまして、それからもう一つ、私たちが出発いたしますときには何がよいかというほかに、どんなものが人生に意義があるかということをどうしても考えなければならぬ。美しいもの、清らかなもの、愛、そういうようなものをもとめようとしなければならぬ。そこで私たちは、善ということと幸福ということをむすびつけようとするようになる。みなさまもご承知のように幸福主義というものは、善というものを純粋に保とうとするときには、排斥しなければならぬ。けれども一方において人間には、いちばん善人がいちばん幸福であるということを求めるところの深い要求があります。これは人間らしい要求であると思う。カントなんかの「神の要請」というのもそこからきているのであります。善と幸福とは区別されている。けれども一方において幸福ということは善人に与えたい。それであるから最高善がいちばん幸福であるようなふうに、神がさせてくれなければならぬというので、神というものをうちから要求したわけであります。それで私もそのときに「善と福との一致」ということを、つまりいちばん善い人間にこの世の中でなりたい。そうするといちばん幸福な人間になれるんだ。この世の中で私たちがすべきことはただ善い人間になることである。そうすればいちばん幸福なんだというふうに要求したのであります。
 ところがそういうようにこの世の中がなっているかどうかということであります。私はこれは人生における一つの大きな困ったことであると思う。それはかならずしも善い人間が幸福ではないということであります。善と福とは一致していないということであります。世の中には悪い人間が栄えて、善い人間が衰えて、そうしてその極端な場合は、返討ちという場合があります。たとえば自分の父がかたきに殺されて、その子どもが敵討ちをしようとして一生懸命になっていると、それがまた殺される、悪が勝って善が滅びるということは、じつに人生にあることであります。これは善に志そうとする者にとって、非常に情けないことである。なぜ世の中がそういうようにできているかという、たったそれだけで厭世思想になってももっともであると思う。これはほんとうに苦しいことであります。自分の場合もそうでありますが人の場合も同様であります。けれども世の中には実際そういうことがある。それで私はそのときに善と福との一致というものをどうしても要求したい。そうならないはずはない。しかし世の中はそうなっていないから、そのためにはさきの世があるにちがいないというところに、自分の心をむりにきめて、そうしなければ私の生活を出発することができませぬから、善と福との一致をそうであるときめて、何が善かということをリップスの倫理学できめて、それ以上の疑いはロイスの懐疑の限界で踏みつぶして生活をたててゆこうとしたのであります。それはつまりこの合理的理想主義の生活の最後の到着点であります。それ以上に達することはできない。どうしてもそこまでしか達することができないものである。そのときに私の書きましたのが『キリスト教主義とギリシア主義との調和の道』という本です。これはあまり人が読んでくれませんでしたけれども、私の生活をそれでもってきまりをつけて、そのとおりにあわせて、そうして自分の書いたとおりの生活をやってゆこうとしたわけであります。武者小路君なんかは、「とても窮屈な考え方をする。人生はもっと神秘なところがあるものである。そういう窮屈なものではない。」というふうに非難がありましたし、またいろいろ批評がありましたが、私としてはそれよりほかにやり方がないから、それでよいというふうにきめて、私は倫理学にあわせてゆこうとしたのであります。
 しかしながらその生き方というものは実際にやってみますと、これはうまくいかない。それは実際にやってみなければわかりませぬが、なぜうまくいかないかと申しますと、われわれの生活というものは、第一そういうように理屈のとおりになっていない。昨日も書きましたが生命が実際に存在し、ならびに生長してゆくところの法則というものが、そういうように抽象的、分析的になっていないのであります。つまり理性の生き方というものは、たとえば実際の生命がこういうようなコップならコップであると、まずこれを、生命というものを幾つにも分けるわけであります。壊すわけであります。理性の働きというものは分析と綜合でありますから、こまかく割って、それからまたこれを継ぎ合わせてゆこうというのであります。ところがいったんこまかく壊したものは元のとおりに継ぎ合わせることはできないのであります。またたとえ継ぎ合わせてもそれは元のコップではない。無縫の、むりのないところの具体的なものではない。それはたとえばおもしろくない例でありますが、はっきりいたしますから例にひきますが、ある学生がいるといたします。その郷里の同窓の人が宴会を開くということになります。そうするとその通知を広げてみるわけであります。どこそこで国の同窓会がある。会費は三円也。三円、すこし高いな、自分の学費がどういうようにして出ているかということを考えると高い。しかし郷里の人たちの集まるところであるから、とにかく会いたくもあるしするのでそこにゆきます。自分よりもみなさきにきている。まずきてよかったと思う。そういうような宴会で中等学校以上、大学以上になると酒が出る。そこへもってきてかならずエロ、グロな話が出る。そういう場合に、つまり合理的理想主義の態度でみましたときに、どういうように話してよいかわからない。調子を合わせることはできないし、合わせなければへんだし、どうしてよいかわからない。そうするというとそこへ一人のほかの郷里の先輩がたずねてくるわけであります。その人は自分の尊敬している人でありますが、自分の軽蔑している人といっしょにくる。ああいう人といっしょにいることはいやだと思う人と、自分の尊敬している先輩が仲良さそうにしている。そういうことから第一にわからない。そのうちに酒が出ます。芸者がきます。芸者というものをどういうように取り扱ってよいかということは、これは実際問題と理屈とは合わない。芸者というものが出たら失敬するということもできない。酒が出ると芸者が自分の前にきてすわります。第一どういう言葉を使ってよいかわからない。とにかく合理的理想主義という生き方をしているならば、人格主義でありますから、誰それさんこうしてくださいというふうに、一つの礼儀をもって取り扱わなければならぬことは自然であります。女中に対して何々さんといわないで、おくにというふうにいえる人は気の強い人であります。悪いとは思わないのでありますが、私にはいえませぬ。でありますからしてそのときにもその芸者に対して君というか、あなたというか、どうしてくださいというか、どういってよいかわからない。ほかの人たちはどうしているかというとみな楽しそうにやっている。ところが自分は何ともいえない。結局みなのいうとおり、敬語を使わないでいう。それはそうしないとぐあいが悪い。第一芸者自身が、きまり悪がる。そういうとおちつかない。かえって呼び捨てにしてもらうほうを喜んでいる。そのときはどうしても呼び捨ててしまう。そういうときにはやはり酒を飲まないとへんになるから飲む。十人のうち九人まで飲むことになる。そうするとそこにお雛妓しゃくがきまして舞うわけであります。それを見ていると美しい流れが流れてくる。可憐なものだという気がしてくる。そうしてこれは奴隷だ。こういうことはすべきものではないということを、合理的理想主義は命ずるわけであります。美しいということは感情である。しかし何かよいところがあるのじゃあないかという気がしてくる。そこでもって友だち同士でそこで話しているときには、その話というものは会話でありまして、会話というものは具象的な生命を盛り上げている。会話というものと理屈の違うところは、会話というものは自然な自由なものを含蓄したものを出すわけで、そういうものは自由自在にあっちからも、こっちからもわされる。そういう先輩が芸者、仲居に対して自由自在に話せるし、先輩同士もいろいろな話をしている。その話というものは人格主義ではどうしても割りきることができない。からかいというものは人格主義では失礼な言葉になるわけでありますが、自分ではとてもいえませぬが、そういうことをいわれたほうも平気でやっている。むしろ和気あいあいとした雰囲気が出ている。結局そうしているうちに席が乱れてまいります。そうするというとそこにだんだんいろいろなことが起こってくる。自分は何だかその席にいることが、自分にとってはそぐわないようになってきますから、そのときは自分の下宿に帰ってくるわけであります。それから今日私が行なったことはどうかということを考えてみるわけであります。そうすると何から何まで自分が想像し、また自分が実際にやってきたことは合理的理想主義になっていない。人格主義によって割りきれるようなことは一つもしていない。自分の学資というものはどこから出ているか。親の金はどういう金か。今の言葉でいえば搾取した金である。その金を出してそこで自分が尊敬している人と、尊敬していない人が仲良くしているのを見た。話した言葉は、自分の人格主義によって交わした言葉でなく、芸者に対して自分はどういう言葉を使ったか。自分は奴隷を楽しんだのだ。それならばそうしなければよかったかと考えてみますと、何処といって自分の歯のたつところがないのであります。普通の人情からいえばそうやってゆくよりほかにないということが、そのときの出来事になってゆくのであります。
 これは生命の実相というものと生命の本然のありのままの生きた姿というものと、それから抽象的な分析とが合わないところでありまして、抽象的分析によって実相をとらえることはできないのであります。でありますから、そういうことがいっぱい起こってくる。
 これは一つの例でありますが、たとえば私の家に病気でありますから寝ておりますと、労働者がどんどんやってくる。そうしてそういうふうな主義をたてるからどんどんもってゆくわけであります。しまいには私の寝ている蒲団なんかをはいで、君が病気で寝ているよりも、私の貧乏のほうがつらいからねというので、自分の蒲団をはいでゆくということになる。それは労働運動をしている人でありますが、はじめ奥さんが子どもをおんぶしてきて、私の夫は今検束されているというのであります。それで困っているからというので、私がそれにお金を出すわけであります。そうするというと、あとで聞きますとその人の夫はすぐ前にきていて、そのお金を受け取る。夫は留置場にいたはずであるがそういうことである。そういうような金を取ってすぐに酒を飲むというわけであります。これはいかぬというので、私はそのときの自分の仕事にいる金は人にやることができない。仕事によって人類全体に奉仕すべきである。仕事をするには命だけは必要であるから、生物学的に命を保つに必要なもののほかはみなにやらなければならぬ。これはそういうものをまとめて組合に寄付するということにしたのであります。私は印刷工組合に関係が深いから、まとめて印刷工組合に寄付して、そういうような個人にはしない。そういうように助けなくてもよい者を助けたことになりますから、そうしたところが、こんどはほかの組合がきて印刷工組合だけにしては困る。おれたちはどうするかというのでほかの組合がおこる。一つの例をあげればそういうようなものであります。それからそれはただ一つの例でありますが、その他のことにしましても、そのような窮屈なことをたてておりますと、一つ一つの出来事に対してどの部分に該当するかということをきめることができない。しかもその行いたるやすこしも生き生きとしていない。そのことについてみなさんのご承知の、カントとシルレルとの論争がありますが一つの善なることを為そうとすることを考えたならば、自分ができてもできなくても、それを意志の力で為すべきだというのがカントの考えであります。シルレルは自分がしようと思うときにすべきだという。義務として為すべきことだ。すべきことだからすべきだというのと、自分がほんとうにしたくなったときにすべきだというシルレルのいわゆる「美しい魂」の思想とこの二つの論争はどうしても起こってきます。トルストイでもその問題には非常に苦しんだ。トルストイの主義はカント主義であります。カントのようにしなければならぬはずのものである。論理的に申しますとまたトルストイも実際そうしなければならぬと認めておった。たとえば学生がなぜ家出しないかと責めたときに、そのときにトルストイは「家出をすべきである。けれども息のつまったものが息をしないわけにいかないようになったときに私はすべきだ、それまではしない」といいました。がこれは、トルストイの主義から申しますとそうではいけないはずです。が実際私たちが義務としていたしましたことは結果として成績をあげない。自分が心からそうしようと思った十分の一も成績があがらない。それは人間の為すべきこととして、ほんとうに使命なり、すべきこととしておかあさんが子どもを愛するような、そういうようなものでなく、それは不自然なおもしろくないことがあるということを、実際にやってみると痛切に感ずるのであります。そういうような欠点がありますし、それから第一、主義そのものから申しましても、それだけの方針をたててやってゆくといたしましても、いちいちの出来事がそれに当てはまってゆかない。そういう規則できめたことは、ちょうど円いものを曲尺かねじゃくで計ろうということになってくる。結局死んだ生活である。われわれの生活には善い生活と悪い生活のほかに生きた生活と死んだ生活とある。死んだ行為と生きた行為とある。芸術なんかはことにそれがよく出てきまして、トルストイよりもチェホフのほうが人を動かすというのは、トルストイの作は死んでいるがチェホフの作は生きている。これは生命である。生命は生きているための生命である。生きた行為であるか、死んだ行為であるかということがだいじなことになるのであります。そういうようにしてまいりまして、合理的理想主義でゆこうとすると、これはどうしてもうまくいかなくなる。
 たとえば世の中に渋沢栄一さんだとか、新渡戸稲造さんであるとか、ああいうふうの人は、とても私たちのおよびもつかない良い生活をする人でありますが、しかしながら神経質ではない。反省が深刻ではない。だから仕事のうえではなるほど人の役にたつようなことをしたり、寄付金も集めたりいたしますが、善いとか悪いとか生命の触れたところの、親鸞的な魂が薄いのでありまして、だからして非常に片一方では事務的な仕事はできる。百万円なら百万円の金を儲けて二十万円出しても、それが慈善だと思っているような人である。しかし反省というものはそういうようなほんとうの生命、命というものに達しないところで反省しますから、それは普通の意味で行いが正しい。慈悲ぶかい。みなのために役だつというふうになりますから、自分が悪いということを考えないのであります。そういうようなキリスト教はキリストの生命には触れてこない。もしもキリスト教の生命に触れたものであるならば、戦争なんかできるものではありませぬが、ほんとうの反省ということをせずに肯定するのであります。そういう人は社会には必要でありましょうが、しかしながら生命の問題、ほんとうに生きてゆこうという[#「ゆこうという」は底本では「ゆかうという」]意味を、ほんとうにつきつめてゆこうとするところまでゆきましたならば、そういうところでとどまっているわけにはゆかない。それができるならばほんとうの慈善家として、社会的人物として人からも褒められて、平和な生活もできるでありましょう。これもりっぱなことではありますが、そういうようないわゆる正しさで生きることのなかには、われわれの生命に対して、ほんとうに忠実でないということがあるということを、見のがすことができない。トルストイは非難されるような行いをいたしましたが、それはトルストイが命に対して厳粛であり、非常に燃えるような熱をもっていたから、そういうようなことが起こったのであります。私も一夫一婦ということを考えたのでありますが、そういうように無難にやっている。恋愛にいたしましても、学校を落第しない程度に恋愛して、暮らしに困らない程度に子どもを生んで、良妻賢母でゆきますならば、非難なくやってゆけるわけであります。忠実な夫、忠実な妻君であるといわれるかもしれませぬが、生命を追求してゆくことになれば、そういうようにできないところがある。その意味において善良なる市民、善いクリスチャンだというふうにならないということにも、生命の真摯さがあるということも考えなければならぬのであります。とにかくわれわれの生活はこの合理的理想主義でことがすむならば、それは安心である。何ら不満なく世間が送ってゆける、生命を生かしてゆけるような人々であるならば、その人には宗教はいりませぬ。宗教はそれに不満な人に、はじめているのでありまして、それでは満足できないもっと生命をほんとうに求める人に、はじめて宗教がいるのであります。そうして親鸞聖人のような人がそれであります。

 それでそういう合理的理想主義の生活にゆきづまってまいりまして、法的自然主義の生活が始まるわけでありますが、それをどういうようにして始めましたかと申しますと「後ろを見る目」ができたのであります。何でも初めは善いことはどこにあるかというふうに前ばっかり見ておったのであります。後ろを見ることをしなかった。前にも話しましたが「ふけばふくほどよごれる物は何か」という。そうするとその答えは「雑巾ぞうきん」であります。これははなはだわからない。私はわからなかったのでありますが「ふけばふくほどよごれる物は何か」というと「雑巾」であります。それはつまりわれわれが後ろを見たからであります。それで私はそういうように善とは何かということを、前にばっかり目を皿のようにして、頭をひねくって考えていたのでありますが、やり方がないから、どうも困ったと思っているときに、後ろを見るということに気がついたのであります。だいたい私は今日までこうして善とは何かということを求めてきたけれども、それは私の力で求めてきたようでありますけれども、私をそうさしたのは、つまり私がもともと出発したところからみますと、私は生み出された。つまり私の命は与えられた命であります。はじめ、とにかく生きようと思って生きたわけではないが、何にも知らない赤ん坊であった。父が子どもを愛するように、可愛がられるようにできている。子どもが人間に可愛がられて、何のことかわからないでいた。十八、九のときになってはじめて、私は生きているんだなという、命に目ざめて驚いたわけであります。そのときにはじめて、つまり一人まえの物心がついた。自分で命を反省することができるようになって、そのときになって、これは私だということになった。それまではこれは私だというふうに思わないで生きてきたのを、そういう命というものに目ざめてきたわけであります。
 それでそういうふうなものが目ざめてきて、そうしていろいろな考えが浮かんでくる。これも私が考えたようでありますけれども、よく考えてみますとわかるようになってくる。これを仏教的に申しますと、私の生まれる前からの業縁ごうえんであります。前の原因であります。それが祖先からずっと前にあって、生まれ生まれして私という命ができてきた。それが善とは何かということを求めている。私をして善が何かと求めさして、あとから押してここまでもってきている大きな手がある。その手が私をここまでもってきていろいろなものを求めさしたりしている。その証拠には私が自我の命というものをたてて、命をたいせつにすると、割りきれないものがたくさんある。私はそういうように善とは何かということを、苦しみもがいて捜しているけれども、善とは何かと、私をして求めしめたところの力が、あとから私を生かしている。この力は何か。そういうように後ろを見たわけであります。それがつまり後ろを見る目であります。これからが宗教的になるのでありまして、この法的自然主義、宗教的な生き方をしなければ[#「しなければ」は底本では「しなけれは」]満足できなくなるのであります。後ろを見る目というものは、単なる理屈のうえからでなく、押しているところの力である。その力がないならば、それは理屈をいっている。そういうようなものはないといって否定する。そのものがなければ私の存在もない。風がなければたこはない。たこが幾ら威張っても風の力で揚がっている。後ろの力ということを考えて、はじめて受身ということがわかってくる。ものを受身に考える。受身というと消極的のようでありますが、われわれの命は受身であるからしかたがない。このことにいったん目ざめたならば[#「目ざめたならば」は底本では「目ざめたならは」]、どうしても合理的理想主義では満足できないで、法的自然主義になります。そういうようになりまして、私のこれまでの生き方というものはなるほど大きなまちがいをしておった。大きなものを考え落とした。だから私はいろいろなことを迷っている。けれども私を迷わせて、善いとか、悪いとか、私の存在を制約される、私の存在の制約者が、私を生かすように生きてゆくということを根本にしなければならぬということが、当然の生き方であります。そういうようなことをちょっとも用いずして生きようとしておった私は、大きなものを見のがしておったから、こんな困ったことになった。よく考えてみると、はじめていろいろなことがわかってくる。つまり花なら花がさいております。これは意志がしているわけではない。だからといって無意味ではない。そういうことも受身に考えてみると、こういうものを生かしている力がわれわれをも生かしている。そういうようにこれは実質的でないかというと、そうも考えられない。また赤ん坊の命が無意義だということも考えられない。それでそのときにどういうように考えましたかというと、つまり私たちがああしたらよいか、こうしたらよいかというように迷いますから、この私たちの自由意志というものは、こういうつくったものにかえしてしまわなければならぬ。いったんかえしてしまう。私の命というものは、そのものによってできているのでありますから、私の自由意志で、私の自由でやろうと思う。意志をいったんつくったものにかえしてしまわなければならぬ。花がさいているということ、花がそのものによって生かされているということ、これがつまり法的に善である。これは自分がこうならないわけにゆかない。これはこれでよい。それと同じように私たちの生命の生き方も同じような根拠をおいたならば、私たちも正しく生きられるというふうに考え出したのであります。

 それで私が、はじめて善悪というものを横にる。「善悪を横に截る道」というのを、私の『絶対的生活』の書物の始めに書いてありますが、善悪の解決は縦には截れぬが、横には截れる。そこでこれを「善悪に関する態度主義」と申します。宗教の態度は横に截る態度であります。横超おうちょうという言葉がありますが、横には截れるが縦には截れぬ。縦に截ろうといたしますと生長の法則と生命の存在と合わないところができますから、横には截ることができる。横に截る道とはどういうものであるかというと、つまり行いが善いか悪いかということはしばらく問わないで、私の心がそれをつくったところの神とか、宇宙とか、アルファーというものに、自分を捧げてしまった心になりますというと、それを私は清浄心というのであります。
 清浄心といって善とはいわない。それは天理教祖は、非常に偉い人であると思いますが、「とうどこの度胸のうち澄みきりましたが ありがたい」ということがある。縦に截るとすみきることがない。いつでも不満がある。ひっかかりがある。これで何でも澄みきるということがない。不満とひっかかりと、残ったものがあって、無礙むげ[#「無礙むげに」は底本では「無礎むげに」]ならない。天理教祖が「胸のうちなるこの泥う早う出してもらいたい」といいました。自分をつくってくれたところの神、造主、宇宙、そういうようなものに対して、どこまでもそのものが自分を生かすように生きようという心の態度になりきることであります。それならばわれわれは理性の力を借りずにできますからして、そうすると私をつくったものの心が現われてくる。夏目漱石さんの「則天去私そくてんきょし」は、漱石さんのつもりでは天に則して私を去るのであります。私というのは泥であります。泥を去る。漱石さんと安倍能成さんとが会ったときに施しということについて私はどうも困る、どうしたもんでしょうというふうに漱石さんにたずねた。僕はやる気があればやるし、やる気がなければやらないと答えました。それは利己主義のようでありますが、それは言葉のうえの話でありまして、やる気があればやるし、やる気がなければやらない。といってもそのどうしようか、ああしようかということをしないで、天に則するという、この気持から出てきているのであります。漱石さんの意味もおそらく同じ意味でありましょうけれども、自分の心を天というものに捧げて生きている。かえした心になる。そのものが自分の心を生み出してくれたのであるから、そのときに自分の心に湧いてくるものは、それは悪いものが湧いてくるのではない。善悪の形のうえからみると批判されますが、しかしながら、それはわれわれの理性でみているけれども、善いとか悪いとかということはわからなくなって、だからそれを捨てた。そうしてその清浄心となりきれますならば、そのときに自分の心におのずから催してくる。なかから催してくる。催促してくる。催促し促してくるところの、われわれの観念なり、欲望なりというものは、われわれの心が私を去って天に則しているかぎりは、清浄心になっているかぎりは、それは悪いことはない。そういうように善悪をきめていこうというのであります。前とはすべて違った態度であります。これを善悪は横には截れるというのであります。

 それですから自分の心で、私がやったところがどうかということが、理屈できめることはできませぬけれども、自分の心の態度を忠実にしているか否かということはわかるわけであります。でありますから自分の心をそういたしますと、心から出てきた行いがみな善い。みな正しい。そうでないものは不正だということになります。われわれの了解することのできない自然の催しである。そういうような善悪に対する態度主義があるわけであります。それは清浄心と名づけまして、それのすることは何でも清らかになる。一つ一つのものをこしらえおいて清らかというのではありませぬ。はじめにこういうことは悪いということをきめておくのではない。それはきめておかないのであります。それをきめておいては縦に截るのであります。そういう一つ一つの現われるところの行いを見ずして生み出すところの心一般、そういう一般的な心の態度そのものを問題とするのであります。

 そういうふうなやり方が宗教的なやり方でありまして、そのときまですこしも知らなかったのでありますが、中江藤樹などのいわれた儒教というものはほんとうはそういうものであったのであります。普通日本の倫理道徳は儒教から出たものであるとされております、が儒教のほんとうの趣旨はこういう趣旨であったのであります。普通にこの権道と王道というものは、権道は策略で悪いことになっておりますが、もともと儒教の趣旨というものは、中江藤樹のいうところによると、儒教のいちばん至奥所しおうしょというものは権道である。権というのは何かというと秤の重りというわけで、重りが左右に動いて(みなさんご承知でしょうが、私はあとで知ったのでそのときは知らなかったのでありますが)量の均衡をとることができる、重りという意味で権という字を使う。われわれはどういうように生きたらよいかということをきめますときに、儒教のほうでは普通の倫理道徳とか、五常とか、礼法というようなものは、そのときの社会状勢によってかりに設けられているものでありまして、それは儒教の本意ではない。儒教のほんとうの真意というものは心であって、中江藤樹のいうところによりますと、心の主人の翁に面会する。ああいうことをしてはいけない、こういうことをしてはいけないというようなふうにきめてはいけない。そういうようにして道を求めてゆくことは、儒教ではこれを「空鐺くうとうを煮る」といって忌む。空鐺ということは水を入れないところの鉄瓶をかけて、幾ら熱心に焚いても、焚けば焚くほどいけない。道はそういうようにみてはいけない。たとえば弓を射るにはどういうようにやるかというと、始めはなかなか当たらないけれども、とにかくまず的をきめなければやるわけにはゆかない。そのまとは心の的を、一つ一つの行いでもそれには現在の欲に動かず、物に拘泥せずして、恭敬惺々底セーセーゼンたるところをもって道の種とする。そしてその種をだんだんと育ててゆく。つまり前申しました態度主義であります。そうして行為の善悪ということはみない。問題にしないというのであります。
 それで聖人というものはおのずからにしてその行いが権道にかなっている。周の文王は自分の主人を殺して革命を起こしたのでありますけれども、権道からいえば正しい。それはこのなかにかなった行いをしたのである。行為からいうと不忠でありますが、権道からいえば正しい。たいせつなところは心を一度そういう「心の主翁しゅおう」に面会させることである。この主翁は何ぴとの心にも生き生きとして存在している。そうなってからはその行いがみな世の中にかなうというのであります。キリストのやり方はやはりそうであります。キリストのしていることは一つ一つの行いがみなそのときその場で違っております。だからキリストのやったことによって、まねようとすれば、きっと懐疑にかかります。なぜかというと、たとえば神のことをするときには人間のことを捨ててしまってさきにせよという。かと思えば、まず兄弟と和らいで後にせよという。あるときにはパンの一切れでもたいせつにしなければならぬといったかと思うと、あるときには高価なものを使ってはいけないといっている。あるときには嘘をいってはいけないといわれる。あるときは自分を隠すためにはつごうのよいことをいってその場をのがれる。その他種々さまざまなことをいって、あっちでやったこととこっちでやったこととは矛盾している。それはそのときどきの世の中にかなっている。われわれがそれにならってきめてゆこうとすると、そのときにはこっちでやるが、このときにはどっちでやるかジレンマにおちいる。けれどもキリストはああいうようにできたのはなぜかというと、一つ一つの聖霊を見ている。聖霊に導かれてああいうふうにことをきめていた。聖霊の命ずるようにした。キリストは一つ一つの場合が世の中にかなうように聖霊に導かれているから、ぴったりと世の中にかなっているのであります。

 そういうようなことを見て、古来の偉い宗教家、偉い人のやり方というものはみな善悪を横に截る仕方であります。清浄心というやり方であったようにみえるのであります。それでつまり私の生き方が宗教的になったわけであります。それでそういうように私がやっていったのでありますが、しかしこのなかにもまだがあるのであります。そのときにはそれでよいと思いましたがまだがあった。それはなぜかというと、私は強迫観念にかかったからであります。私は善悪を横に截るという道を第一巻の巻頭のところに書いたのでありますが、そのときに、私の友だちで禅宗の信仰の深い人がある。その人がそれを読んで、どうもこれは君のゆき方は、私たちとだいぶん近づいている。ずいぶん私たちに近づいてきたがどうも違うという。しかし私は私のようにそう生きるよりほかなかった。それはどういうわけであるかというと、自分を清浄にしようということだけは、自分がどうしてもしなければならぬということになるからであります。ほかのことはしなくてもよいがこれだけはしなければならぬ。神に対する義務であるから清浄にしなければならぬ。「神流れ今入る我はとこしえの命の水と流れゆくなり。」今まで生命の流れのそとにいたものが飛びこんだ、限りなき命の流れのなかに今私は飛びこんだ。飛びこんだからはその流れが私を流してくれる。それで私はよろしいのである。普通の人間が見てまちがったことをしていても、私は許されているのだ。けれども自分が流れのなかに飛びこむことだけはしなければならぬ。その自分の心を清浄にしようということは意志の力でしなければならぬ。それによってわれわれは愚であるとか、あるいは知恵があるとか、悪いことをしないとかいうことではなく、神なら神に捧げる。帰命きみょうするということ、そのことだけによって救いになる。けれどもそれだけはしなければならぬ。それは自分の意志の力で自分の心を磨いて清浄にしてゆかなければならぬというふうに私は思っていたのであります。
 ところが一朝にして強迫観念にかかって、自分がこうすべきだと思ったことは、どこまでも意志の力でもってやろうとする。その心から強迫観念が起こったわけであります。たとえば強迫観念というものにいたしましても、自分の為すべき、先刻書きました「できればするのに」、できればするのにできない。こうすべきだということがわかっているけれども、それができないという問題を与えられた。それがすなわち私の強迫観念であります。たとえば親鸞聖人が自分を清浄にしようとして、できないという問題にあったわけであります。強迫観念の話については、あまりいうのでいやになっているのでありますが、強迫観念と申しますことは、たとえば眠れないという強迫観念の場合とすれば、自分の心を静かにしようとすることが、私の心を静かにさせないわけであります。しかしほうっておけばよいということは現在が静かにないのでありますからそのままでほうっておきますからやはり眠れない。静かにすべきだということがわかっているが、それが眠らせない原因であります。そのままにほうっておいても眠られない。静かにしようとしても眠られない。どうもやり方がない。ジレンマというわけであります。それならばどうしたらよいか、どうすることもできない。それで結局どういうようになるかというと、眠るときのことから申しましても、時計の音なんか聞こえないようにつぎの室にやりますし、目に何も見えないようにする。それでも見える。こんどは目の中が見える。しまいには自分の目が見える。自分の目で自分の目を見ることができるということがあるそうであります。自分の目が自分で見える。ですから眠られるわけがない。絶対に眠られない。目をあけていても眠れないから閉じております。目をあけてはいられないから眠ると目の中が見える。ますます見える。それを禅では繋驢※(「木+厥」、第3水準1-86-15)けろけつという[#「繋驢※(「木+厥」、第3水準1-86-15)けろけつという」は底本では「繋驢楔けろけつという」]言葉があるそうであります。くいにロバをつないでおきますと、ぐるぐる回りますと綱が短くってどうすることもできない。強迫観念と申すものは、これは禅病とも申すそうであります。白隠禅師はくいんぜんじもこれにかかった。禅病というものは治らないということになっているそうであります。治そうとすればするほど治らない。ロバが逃げようとすればするほど杭にくいつく。こうすればよいということがわかっていてもそれができない。逃げようとすることが、だんだん逃げられない結果になるわけであります。それで私は目を見たまんま目をつぶって、目の中を見ているようなふうになって、見ないわけにはゆかない。見えている。そういう状態で、あらゆる心の態度をとり尽くしている。どうしても見ないわけにはゆかない。それが「はからい」であります。見まいとするはからいであります。はからいというものははからいの業縁ごうえんが尽きるまではやまないもので、それがやむとすなわち「あるがまま」が現われる。

 これはじつに最後のものであります。はからいがやめばよろしいのでありますが、はからいというものは業縁が尽きるまではやまないものであります。はからいをやめるということは自分の意志の力ではできない。とまったときにはじめてやむもので、これは禅宗のほうでもそうでありますが、始め題を出しまして、「趙州じょうしゅう」という題を出す。狗子くし仏性ぶっしょうがあるかないか。と問われて、趙州が無といった。その無というものはなにか、それを答えろというわけであります。
 その問題を解くために非常に苦心をする。これこそほんとうと思ってもってゆく。だめだといわれる。そこでまた苦心してもってゆく。これこそほんとうだというときにそれがいけないといわれる。それで遍歴するわけであります。それであらゆる遍歴をして、ながい間籠もりきりでもって幾らやっても通じない。だからそれは強迫観念をもっていて、それを治そうとするのと同じことである。そういうあらゆることを遍歴して、最後に何もかも、結局手も足も出なくなってしまう。そのときに、はじめて無というものに禅宗のほうではなるわけであります。浄土真宗のほうでは、与えられた運命が、与えられた公案となって、日々の実際生活において遍歴をするわけであります。強迫観念でも目は見まい見まいとするが見えてしまう。が実際のはからいが尽きてしまったときに、ぐっすり熟睡したのであります。それ以来不眠というものがなくなって、時計をつぎの部屋にやっても、目を閉じても目の中が見えてどうしても眠れないものが、今はどんなことがあっても眠れる。絶対的の不眠のときには目を開いても眠られるということがわかった。はからいがやんだときに、強迫観念があるままそれを通過することができた。私の力でなくそうさせられてそうなった。それは私として大経験であったのであります。そのはからいのやむおもむき、はからいというものはどういうようにしてやむのかといういきさつが、手にとるようにわかったわけであります。業縁ごうえんが尽きたときに、はかろうとする気なんかなくなったときに、はじめてはからいというものがなくなる。そこにあるがままという状態が現われるよりほかにない。そのままが出てくるわけであります。それでそのときに私は思ったのであります。「光雲無碍如虚空こううんむげにょこくう」というのがありますが、これは「雲があるけれども、さわりにならなくて、虚空のようだ」というのであって、ただの虚空とは違うのであります。強迫観念の場合には、さわりがあるままで、それがないのと同じような虚空のようになる。これはつまり煩悩を断絶して、煩悩によって生きている不安というものがなくならない。それがあるままで、しかもないのと同じ結果になってくる。西行さいぎょうの、

雲にただ今宵こよひの月をまかせてむ
    いとうとてしも晴れぬものゆえ

 いとうても雲は晴れないから、今宵の月を雲に任せようという、「光雲無碍」ということであります。私も耳鳴りで苦しんだときにこのさわりがありながら、そのさわりを取り去るのでなくそういう境地になれるのだがなということを願ったわけであります。幾ら願いましても、わかっていても、どうしてもいけない。そのはからいの業縁ごうえんが尽きましたときに、そのはからいというものがやみまして、そのときに私は耳鳴りというものから救われた。そのときの私の境地というものは、この歌や、和讃の文句の、このとおりになれたわけであります。真宗の親鸞の信仰というものはきっとこれだなということを感じたのであります。
 それで私は清浄心というものにもまだはからいがある。それがつまり禅宗というものと真宗と違うところであると思う。真宗のほうでは清らかにする。そのままのところでそれが救われる。そういう親鸞の境地を悟ったということがわかったわけであります。なぜかというと、その強迫観念というものが治らなければ、私は廃人にならなければならない。そういうようなわけで、寝ていなければすぐにからだが悪くなることはわかりきっている。第一生きてゆくこともできませんし、まったく困ったことになるわけであります。その私がそういうようにして助かったのであります。そうして単にそういう心のみならず、からだまでがすべて変わってしまったのであります。それからその生き方を今日までずっと続けているわけでありまして、そういうようにして私はこの善悪を清浄心から横に截り、強迫観念を截って、だんだんと真宗の信仰のだいぶ深いところまでいったように、自分では思って喜んだ次第なんであります。ところがまだそこにはからいがあったわけなのであります。
[#改段]

 つぎにお話をしようと思いますことは、信仰のいちばんたいせつな極致のところであります。前に善悪を横に截る道、強迫観念にかかってそのままで生きるよりほかなくなって、あるがままの世界が現われたところまで話しましたが、とにかく私は思うのでありますが、われわれはいろいろこせこせしたことをどうしても考えて暮らさなければならぬのでありますが、実際にそういう衣食住のこともやらなければならぬし、いろいろなことに対して腹だたしいこともありますし、こせこせしたことが幾らでも起こってくる。しかし私は去年埼玉県の野火止のびどめ平林寺へいりんじというところへ籠もって坐禅していたのでありますが、そのときに思ったのであります。食べる物でも、みなさんもご承知のとおり、たくあんとムギ飯とのほかはまったく何にもない。一日の食費は十銭で生きているのであります。そういうふうにして暮らしておりますけれども、考えることは何を考えているかというと、仏になることを考えている。仏になるにはどうしたらよいかということを、とにかく朝から晩まで、それは精進している人も、怠けている人もありますけれども、とにかく成仏じょうぶつするか、しないかということを問題としている。それで私たちはとにかく実際はこせこせしている。けれどもこの世に生まれてきて、五十年なら五十年として死ぬものである。どういうことが起こりましても、自分が生きて死ぬことより大きいことはない。よく演説をするときでも、聴衆が一人だと思って話せということをよくいいます。この世にはたくさんの人がおります。けれども現実にある苦しみは一人の人の心の中にあるのである。だから何億人なら何億人の人が苦しんでいるとしても、現実の苦しみの存在しているのは個人個人の心の中である。だから自分が命を投げ出しておれば、それより大きいことは起こらないわけであります。それでありますからして、どういうように自分の身がなるにしても、どういうことがこの世に起こりましても、真っ裸になって逆立ちをしても、そういうことは新聞に出るでしょう。そのときは妙な、ふしぎなことが起こったと思いましょうが、そういうことはすでにこの世の中に行なわれたことである。それはすこしもふしぎのないこととして、煙突男が出てきてもそういうわけで、誰かがここに食うに困って五人の者が死んでしまったということがあった、そういうことも起こっておりますし誰か私をピストルで打ったとしても、そういうこともすでに起こっております。この世の中にどんなことが起こっても、これが自分の生きてゆく問題になりますから、非常に大きなことになりますが、しかし自分がとにかくこの世の中に生まれてきたのだから、どうせ信仰なんか一つの身を投げ出して、どうでもなれという捨てばちの気持とは違いますが、命をいっぺん投げ出す気持が信仰なんでありますから、そこを私たちはいっぺん通ってしまえばそういうこせこせした問題にとらわれておりません。心を永遠の問題に、大きな問題に、仏になるかならないかということを問題としてゆかれないはずはないと思うのであります。
 それは他の信仰もそうでありましょうが、ことに浄土真宗の信仰は、自分の恥も外聞も忘れてのり出して、自分を仏の前に投げ出したところに起こるところの信仰であります。それでありますからして、その投げ出すということがどうしてできるかということになるのであります。それは投げ出しうるような環境にならなければ投げ出せない。そこがつまりむずかしいところであると思うのであります。

 前にもトルストイと親鸞と比較してちょっと話しましたけれども、トルストイと親鸞と比較すると、私はトルストイのほうがあまいと思う。トルストイがなぜ親鸞のように現実の生活をみつめて、深刻でありえなかったかというと、それはトルストイの境遇が、親鸞のように厳粛な反省を起こさせるだけの境遇にならなかった。つまりトルストイのなかでもっとも厳粛なるところは、トルストイの自己内省の部分であると思います。トルストイが自分を批判している部分は、すこしも呵責かしゃくするところなく批判しておりますから、そこに触れますと、トルストイの厳粛さにうたれますけれどもそこからのり出して、こういうようにしなければならぬ。社会はこういうようにしなければならぬというようなことになってきますと、トルストイの生活が地主の生活でありますからどうしてもそれが身についたものとなって出てこない。そこの点がわれわれをうってこない。私はこの環境というものと、人間の心境というものとが、非常に密接というよりも、たとえば手が熱いというのは火の中に手をつけているという環境と、熱いという心境とは同時に起こっているわけであります。それで私はそういう意味でマルキストのいうことを、その点尊重するのでありますが、環境がさきにあって、あとから心境が起こるというわけではない。心境というものがさきにあって、あとから環境が起こるというわけでもなく、同時にある。その環境と心境とは同時に起こっている状態であるということであります。それで私が強迫観念にかかりまして、前にお話をしましたのは眠れないときの話でありましたが、それがどうしても、はからうにもはからうことができなくなるまでは、いろいろなことをやって、のがれようのがれようとしました。どうしてもはからうことができないような環境に私がなりましたときに、そのときに私には、はじめてはからいがやんだ、そうしてそのままという状態が現われたわけであります。そこで私は次に信仰の生活の話をいたします。

 虚偽と真実。私は真実と虚偽ということが非常にだいじなことであると思います。これは仏教の言葉でいえば虚仮こけというのだろうと思います。虚偽と真実であります。これは自分が意識してうそをつくという虚偽はもちろん虚偽でありますが、無意識的な虚偽、嘘だと気がつかない虚偽、そういうものも嘘であります。付け焼刃というようなものも嘘でありますが、自分で気がつかないで嘘になっているという嘘。それと真実。ほんとうのことと嘘との区別があると思います仏の前に持ち出されて、取り上げてもらえるものは真実だけである。嘘ではだめと思います。たとえば私の例にいたしますと、私は、金があって贅沢にやっておったときがあった。そういうときには私のところへ労働者や、ほんとうは労働者ではないが、そういうような人が金をもらいにくる。そうしますというと、私は、私の家の畳が黒くよごれていてくれればよいと思う。じっさいそう思った。それはもうすこし自分の家が貧乏に見えればよいという気持でありますが、それよりもすまないという気が私にあるから、そう思ったのでありまして、それは嘘ではない。すまないという心が起こったのは、私のほんとうの心である。けれどもだんだんと自分が畳の表替えをするということをずいぶん考えなければならぬようになってきますと、こんどは畳がもっときれいならよいと思う。この二つの心は前と反対でありますが、前にはよごれていてくれればよいと思い、こんどはきれいならばよいと思う。これはどちらの気持もほんとうでありましょう。すくなくとも欺いたものではない。しかしながらこの二つの心が、どっちがより真実であるか、どっちが根深いほんとうの本音であるかということになってまいりますと、私はあとのほうが本音だと思うのであります。つまり貧乏なら貧乏ということで、いわば貧乏がいやで貧乏であるときに、はじめてそれは貧乏なのであります。貧乏に見られたいという心は、それと比較すれば非常に浮いた気持だと思います。その意味で有島君のやったことも、有島君の優しい、善良な、人道主義者としての気持はわかりますが、しかしながら、結局それは無意識的な嘘であったと私は思うのであります。それで親鸞聖人などがすべてのこと、「そらごと、たわごと、まことあることなし」といった。その嘘というのは、そういうような心理を洞察していった言葉であると思います。ほんとうに貧乏な者はすこしでもよく見られようとする心がある。それは貧乏の本心であって、よいものを悪く見られたいというのは非常に浮いた、まるで真実さが、根深さが違うと思うのであります。それらは嘘と真実との一つの例でありますが、そういうような例は幾らもあります、だからして二人の人を比較すると、一人の外見ひどいことをいうている人のいうことがほんとうで、片方の正しいことをいっているほうが嘘であるということも幾らもある。
 たとえば、まあ、私のところへくる学生、青年たちの例をあげてみても、一人の人は、自分はプロレタリヤ文学をやるんだという。プロレタリヤの文学がほんとうの文学だという。そういう文学をやるんだというふうに一人の青年はいうけれども、その人の境遇をみると大きな印刷屋の息子である。一人のほうはそれよりもずっと貧しい青年でありますけれども、しかしそれはそういうようにはいわない。文学はそういうようなものではないと主張している。そういうような場合に、私なんかは、その人がどういうように変わってゆくかということをよく見ておりますと、かえって前のプロ文学をやろうといったほうの人のほうが浮いたものである場合が多いのであります。だからといって私はかならずしもブルジョア的のことが真実であるというのではないのであります。私のいうところはブルジョアであると、プロレタリヤであるとを問わず、その人の考えていることが、ほんとうであるか嘘であるかということがたいせつであり、ほんとうと嘘との意味がそういう意味であるということをいったのであります。

 それは「あるがままの呈露」、あるがままの状態、浄土真宗の信仰はあるがままになる。あるがままで、よかろうが、悪かろうが、赤裸々な身を投げ出して、仏とあい対するところに浄土真宗の信仰が起こるのでありますが、あるがままというのはそこに現われてくるのでありまして、出そうとするのではない、呈露するのであります。あるがままがそこに現われてくる。あるがままをいろいろな飾りけをなくしてつまり「無一物。一物不将来いちぶつふしょうらい絶対無ぜったいむ。」というような、禅宗のほうでいえば無一物。一物不将来。であるとか、あるいは絶対無というような、禅宗のほうでいえばそういうような状態になるわけであります。それで私たちがすこしでも自分を隠そうとする。あるいは自分の見栄を考えている間は、何か一つでも自分のあるがままのほかに隔てをおいている間は浄土真宗の信仰に、流れに触れることができない。それで私は強迫観念にかかりましたということは、私がこしらえたことではなく、これは私に与えられた、課せられたことであります。そのままに私はいたのであります。つまり人間が自ら好んで自分を悪い境遇におとそうとする本心をもっているものではない。強迫観念にかかりましたときに、これは自分に課せられたたいへんな、大きな公案である。これを突破したならば自分はほんとうの信仰をつかむことができるということを頭では考えますが、ほんとうはのがれようのがれようとするばかりで感謝をするような心はなかったのであります。人間が自分の境遇を悪い境遇、いやな状態におくということは、われわれの本心ではないのでありましてそれは課せられたことになる。そこではじめてそういう境遇にわれわれはおかれることができるのであります。いったん課せられたならば、自分の環境からどうとかしてそれをのがれようとして悶え苦しむ。そうして悶えてどうにもならなくなる。それはわれわれの本心からそれをするのであります。それがどうにもこうにもならなくなって自分を投げ出したときに、そこにあるがままの姿が現われてくるのであります。

 それならばわれわれはどうしてそういう境遇が自分にくることを待ち望むことができるか。われわれは待ち望むべきものではないと思います。われわれは心では幸福になるということが本心で、苦しくなるということを待ち望むものではない。どうしてもいやいやながら不幸になってゆく。苦しいからどうしてものがれようとする。その結果救いの光に触れるわけであります。それを「弥陀の誓願不思議に助けられ参らせて」というふうに親鸞がいっているのは、私はその意味であると思います。私が強迫観念にかかりましてそれからのがれますまで、初めからしまいまで、私の努力はすこしもなく、弥陀のはからいにはからわれて強迫観念にかかり、それをのがれようとして苦しみ、そのままでいるよりしかたがないからそのままになった。そうして強迫観念からのがれることができた。それは初めからしまいまで私の努力ではなく、それはつまり私ならぬもののはからいにはからわれてそうやっていったのであります。

 私はそこに絶対他力という意味があるのではないかと思うのであります。そういうふうな状態が一度私の体験になりましてから、私の生き方がこういうようになってきたのであります。「念仏申さるるように」というのであります。「この世の渡りようは念仏申さるるようにすべし」というのが法然上人ほうねんしょうにんのいわれた言葉であります。つまり何が善であるか、何が悪であるか。また何が自分にとって益であるか損であるか。そういう善悪とか得失とかいうもの、そういうものによって、われわれが何か選ばなければならぬ。何かきめなければならぬ問題が起こってきますときに、私たちは何でそれをきめるかというと、いろいろな方法でそれをきめようとするわけであります。そのときにそれは念仏申さるるようにきめる。善悪とか、是非得失で自分をきめて、こうすべきか、ああすべきかという選ばなければならぬ場合に、念仏申さるるようにきめるわけであります。これがつまり念仏者のイデオロギーであります。プロレタリヤのイデオロギーというものは、自分の何かをきめるときに、プロレタリヤ階級として利益であるかどうかということでいっさいの善悪標準をきめようというのがプロレタリヤ、イデオロギーであります。念仏者のイデオロギーは念仏申さるるように、こうやるほうが善いか、ああやるほうがいいかそれをきめるときに、普通には善いか悪いかということできめられるわけであります。それが世の中の普通のきめ方であります。けれども浄土真宗の信仰に立った者のきめ方は、そのときに念仏申さるるかこうやったことが南無阿弥陀仏という気がするか、こっちをやったほうが南無阿弥陀仏という心がいちばん起こるか、それによってどっちかにきめる。私はそういうきめ方をするようになったのであります。それはこれまで経験いたしましたなかで、とにかく強迫観念というものは絶対境であったのであります。一つのどん底であったのであります。どん底にもいろいろありまして、貧乏のどん底があり、愛と憎しみのどん底もありますが、とにかくそれは私の一つのどん底であった。確かに一つの絶対、すなわち善と悪、得と失、二つのものが成立することのできない、二つのものの相対、二つのものがあい対するということが、成立することができない環境であったのであります。そういうことを感じたのは、私のこれまで経験したなかで一つの大きな、いちばん深い、いちばん厳粛な経験であったのであります。そのときの私の気持より厳粛な気持を私は経験したことがないのでありますから、何かをきめようとするときに、こうきめたときがいちばん念仏が申さるるというふうにきめよう。これが私にとっていちばん本心からの、偽わらないきめ方であるということを確信したのであります。もっとも念仏申さるるようにきめると申しますのは、これは、法然上人がそういうように申されたので、親鸞聖人がそういうように申されたわけではありませぬ。そうしてこれは私自身の体験をいっているわけであります。これは禅宗のほうの人もそういうように考えられるかわかりませぬが。

 とにかく私はすべてのことに迷ふときに、念仏申さるるようにきめる。それはこういう抹香まっこうくさくない言葉で申しますと実相感であります。こういうようにきめたほうが、実相感がいちばん生き生きと感ぜられるようにきめるのであります。そうすると実相感というものはどんなものかということになります。実相というものは、これはまことに、こういうものが実相であるということは、話すことがむずかしいものであります。つまりこれはその人の体験において、その実相というものがどんなものであるかということをつかむ。あるいは芝居であるとか、小説であるとか、芸術のうえにおいてこういうようなのが実相だという、芸術的直観、あるいは宗教的直観によってこれをつかまないというと、実相とは何かということは、それはこういうものだというて、私が示すことはできがたいのであります。けれどもそういったのではわかりませぬから、そういう具体的の例をいってみるよりほかないと思います。
 芸術なんかでもって、私たちを感動させるものは、かならず実相が出ていないと、私たちを感動させるものではありませぬ。そのなかにどんなに正しいとか、理屈とかいうものが盛りこんでありましても、それが実相になっていないならば、私たちをほんとうに動かすものではない。だからトルストイの「闇の中に輝く光」という作品が私たちを動さないのに、チェホフの作品が私たちを動かすということは、実相が出ているからであります。みなさんはおすきかどうかしりませぬが、曾我廼家そがのや五郎の芝居は非常に通俗的なものでありますが、五郎にはああした実相を出すいいところがあります。ですから民衆の心を捉えて、昨今の不景気のときに満員になるのでありますが、実相感が出ているからであります。何といったらよいでしょうか、善悪、理屈を離れて人生の機微といいますか、人間の心の実相の現れで、そのままに肯定するよりほかにしかたがないものが実相であります。こういう歌があります。

いかにせん共になめといひて寄る
       いもにかそかに白粉おしろいにほふ

これは松倉米吉というある鍛冶屋の息子がありまして、肺病で難儀をした。一人の恋人がおって、それがなかなか貧乏でありまして、会うということは容易ではない。旅費をつくることも容易ではない。松倉君が肺病で非常に弱っている。命も長くないようになった。

いかにせん共に死なめといひて寄る
       妹にかそかに白粉にほふ

そういうような境遇で、自分は今別れたらまた会うことができない境遇のときに、もちろん恋人もやっとのことで旅費をつくってきたというのであります。これは一つの実相であります。まあしかたがないから死のうじゃあないかという、死んでくださいというふうにしてやってくるわけであります。非常に貧乏で着物も粗末で、飾りなんかすることはできないが、やはり白粉はつけている。そのときに松倉君は性欲なんということは考えられないほど弱っている。けれどもやはり白粉をつけてくる。そのときにどういうように松倉君が感ずるかというと、説明することはできませぬけれども、これは人間の心の実相で、善いとか、悪いとか、何とかいうようなことをいってはおられない。動きのとれないものであります。ですからこの歌を読みますと、それを責めるとか責めないとかいうことでなく可哀そうであります。しかたがないではないかという気がします。動かすことのできない。善いとか悪いとかいえないものであります。それが一つの実相であります。「実相観入」ということは、芸術のほうではよくいいます。つまり実相をみてそのなかにはいる実相というものはどんなものか。これが実相だということはできませぬが、とにかくある。ないならばそういうことはいえませぬが、実相とは何かというと、どうしても答えられない。それがほんとうである。言葉というものは概念でありまして、ものを抽象的に分析して、はじめて成立するものである。けれども実相というものは具体的な、概念で分析しない。是非善悪を判断しない。そこにあるがままの丸彫りの状態であります。言葉は概念でありますから、それで現わすことができないのは当然のことであります。
 こうした実相の現われた芸術や歌が、われわれをなぜ動かすかということを考えてみましても、実相というものにはある不可説な、言葉でいえないある感じがあるからであると思います。それはどういうようにいったらよいか、たとえば私が熱海におりますときに釣り堀がありまして釣りにいった。そうするとそこにタイがかかったわけであります。ところが小さいイワシがそのなかにいっぱいおった。いかにも生き生きとして泳いでいる。しかもイワシでありますから群居生活をしている。群集になって自由自在に泳いでいる。ところがイワシが何のために入れてあるかというと、タイのえさになる。釣る人はイワシを釣るのではないのでありますが、タイを生かすためにイワシを必要とする。タイが必要であるのでえさのために入れたのでありますが、そういうふうにされているイワシでも、イワシならイワシの生命があって、集団生活をして勇ましくりっぱである。釣り堀のおやじの目から見ればタイのえさである。タイとイワシと比較すれば比較にならない。そういうりっぱな魚のために、餌食として犠牲になっているわけであります。そこへもっていって、人間である私がタイを釣りにいっているわけであります。私が無慈悲だといえばいえますが、そのときは病気でいっていたので、釣り堀はおもしろいと思っていったのではなく、すこしでも慰められると思っていったので、私を責めることはないといえばいえます。おやじさんもやっとのことで暮らしているので、もうかっているのではない。そのじいさんの生業なりわいで、タイがあってイワシがある。これを見てどうすることができますか。これを替えようとしてもしかたがないではありませぬか。それは一つの実相であります。
 もしもそのときに私が感じた心のありさまは何であるかといえば、南無阿弥陀仏という気持であります。そういう気持がするように、そのときになってやはりやめようかと思って迷うならば、それは何できめるか。もし迷うならば何できめるかというと、南無阿弥陀仏という感じがよくするようにきめようというのであります。それが念仏を申さるるようにきめるのであります。私はそのときにどうしたかというと釣ったのであります。私は病気のときに国の池で釣ったとき、それをすぐ元に流してやったものであります。しかしそういうことは自分の生活のためには、もっと悪いことをしなければ生きられませぬから、魚のことにだけそういうことをすることは、かえってあまいことでありますから、今はそういうことはしませぬ。南無阿弥陀仏で釣ったということであります。それは一つのことでありますが、それは一つの実相というものは、そういうものであるということをいおうとしたのであります。それですこしは実相ということが説明することができたと思いますが、たとえばまだこういうようなことがある。私が藤沢にいるときに、私の家の下にどっかの官吏の下のほうの人が住んでいる。私の家の二階からその人がかまどで火をたいているのが見える。主人が非常に掃除ずきでありましていつもきれいにして、狭い庭でもよくきれいにする。その家にいるカナリヤがとてもよい声である。それはたいへん高い、身分不相応に高い、ぜいたくなカナリヤがいるわけであります。その声が私のところに聞こえます。私のところへきた人がむしろ虫の声に近いねというふうに、スズムシのような声で鳴く。そのときに、私はその人がカナリヤを飼っているということを、非常に美しいことと感じたのであります。それはぜいたくにしているのではありませぬ。きれいずきにして、小さな家でだいじにカナリヤを飼っている。そのときにそんなりっぱな、身分不相応なカナリヤを飼わなくてもいいじゃあないか、家賃なんかもたまっていながら、片方でそういうカナリヤを飼っている。それを売って家賃を払ったらいいではないかということもいえます。私は以前鳥を飼うことと花をさすことは非常に気がとがめたものであります。鳥を逃がしてやったらよいではないかと、人がいいやしないかと思って気になったほどであります。ですから善いとか悪いとかいうことでいうと、悪いともいえないことはありませぬが、しかしそこのところが私は実相というものであると思うのであります。鳥を飼っているということは、その官吏の人が惨酷な性質を現わしているかというと、むしろ優しいほうを現わしているのではないか。なるほど自由の鳥が籠の中に入れられているということは、鳥にとって無慈悲なことでありましょう。しかしながらそこには鳥というものの命と、人間というものの命と、つまりもちろん鳥が人間より強いものでありましたならば、籠を破って出てしまいます。強いところの人間が弱い鳥を籠に入れたに相違ない[#「相違ない」は底本では「相達ない」]。それが鳥というものの命と人間というものの命の業縁ごうえんからいいまして、鳥と人間との間の関係における一つの実相なんであります。鳥が人間にそういう犠牲にされる。考え方はいろいろありますが、そういうことは結局理屈でありまして、結局人間が可愛いから鳥の自由を束縛しているのでありますが、鳥の生命と人間の生命の間における実相であります。その官吏を非難する人があるならば、けちな、やぼな人ではないかと思われるのであります。それは許してよいというふうに思うのであります。その人間が鳥を可愛がってやるけれども、逃がしてはやらないつまりそういうように可愛がって餌はやりますが逃がしてまではやらない。それが人間という生命と鳥という生命との、宇宙のなかにおける運命といいますか、宿縁があって、それはどういうふうにもすることができないようになって、そういうものもやはり一つの実相といっていいと思うのであります。
 それからまたもう一つは、水戸みとのときにも話したと思いますが、魚の頭が落ちていた。そこへハエがたかっている。それを見たときにやはり実相感を感じました。くそバエが魚の頭にたかっているたかり方が善いとか悪いとかいえない。ハエがそうするのはそれよりほかにどうすることもできない。その魚はハエが食っている。その魚の頭はどうしてそこに転がっているかというと、ある一人の巡査なら巡査の人として、息子が学校から帰ってきたので、ひとつ一杯やろうじゃあないかというので、酒を飲んでみんなで喜んで吸い物の魚の目だまをはしでつついたわけであります。その魚というものは、巡査と子どもとの間の一つの喜び、祝いというもののために役だったわけであります。けれどもそこには生き生きと泳いでおった魚の生命がある。それを漁師がその日の生業なりわいのために取ってきたわけであります。それをまた市場から買って、それを切ったのを買ってきて煮て、それが人間のために役だって、その滓を捨てた。その滓にハエがたかった。これはそういうことを考えてみますと、これはどうしても絶対としての生命の姿というものは、単に善悪とか、そういう生きたものを殺すというふうなことできめることのできないような、もっと大きなものでなくてはならないと思います。

 つまり前にも申しましたように、犠牲というものによって生命、絶対の、生きているものを理解することはできますけれども、しかし正義というようなことでこれを解釈しようとすると、みな不正になってくる。それも一つの実相であると思います。それでそのときに、「生けるものの命はなべて供へ物己が身一つを惜しまめやゆめ」その魚の頭を見たとき、

生けるものの命はなべて供へ物
     わが身一つを惜しまめやゆめ

その魚の命はみな供え物である。大きな宇宙のための、みなが生きるための供え物である。それは魚だけでなく、私自身も供え物である。だからわが身一つを惜しまめやゆめ。私のからだも供え物である。もちろん供え物としても、それいたします私自身も、供え物であるタイやイワシを食いますが、タイは人間の供え物である。大きなものの供え物、宇宙における供え物であると思う。自分の身を惜しむまいというふうに、そのつもりでつくったのでありますが、ともかくもそういうようなものも一つの実相であります。

 それで今ちょっといいかけましたが、鳥の命と人間の命との間の実相といいましたが、それは私が何でも弱いものをいじめるのが許されているというふうにいうのではありませぬが、二つの命がどういうように、その間の関係が成りたつかといえば、それはそのあとで話したいと思いますが、その生命のもっているところの生命、値のつりあいによって、それを定めるよりほかにしかたがないと思うのであります。知識とか、徳とかいろいろな意味の、そのもっている生命価の全体、人格、タイなんかは人格ということがいえませぬから生命価。その生命の団体なり、階級なり、そういうもののもっているところの生命価。二つのものの生命価のつりあいによって、どういうように従属するか、たとえばどちらをリードするかということがきまってくるのであります。それはおのずと天然がそうさしていることでありまして、しかたがないことであります。それで生命価ということは何ではかるかというと、はかることはできませぬ。知恵の力とか、腕力の力とか、いろいろな力が集まって、そのもっている生命の値うちとなるのであります。その生命の値うちがどういうふうにきまってくるかというと、遺伝、歴史、努力の結果、いろいろな事情がありましょうが、とにかく現在における生命価のつりあいによってきまるよりほかにしかたがない。地球が太陽の周囲を回っているということも、ほんとうは地球と太陽と引き合っているというだけであるが、質量が違っているから、地球のほうが太陽にリードされている形になっておりますが、実際は引き合っているにすぎない。質量が違うだけでそうなっているのであります。こういうような状態も、これも一つの実相であります。

 それでそういう実際感が、こうしたほかの世界を眺めますというと、実相感がもっとも生き生きと感ぜられるように物事を見てゆこう。どっちかわからなくなりましたときに、実相感が生き生きと感ぜられるようにきめてゆこう。今日の言葉でいえば、そういう言葉でありまして、それを宗教的にいえば、念仏申さるるようにきめるという。そういうふうに私は物事のきめ方をしてくるようになったのであります。そうなりますと、これは宗教生活のなかにはいったわけでありまして、つまりあるがまま、そのまま、善いとか悪いとかいわないで、そのままを肯定する。実相肯定、つまり実相の肯定であります。実相肯定の生活であります。また実相肯定の生活が念仏に生きる生活であります。そうして私は、親鸞聖人の気持もそういう気持ではなかったろうかと思うのであります。つまりあるがまま、そのままに肯定している。そういうような生活になってきたわけであります。そういうようになりましたからして、私はつまり私の身にどんなことが起こってこようとも、とにかくそのまま受けよう。どんなことが私の境遇に起こってきても文句をいわないでそのまま受けよう。つまり強迫観念をやめることはできないから、回るままで受けようというような生活の仕方になったのであります。そのときに私はちょっとまた別のことを考えました。それはどんなことであるかというと、私は念仏申さるるように生きようとするのでありますから、どんな場合でも念仏を申さなければいけない。そうするというとある一つの場合に私は念仏を申されないことがあるということを感じたのであります。それは何かというとつまり剣難であります。刀で斬られる、そのときに念仏が申されるか。念仏のために汽車のまえに飛びこむことができるか。もし飛びこめないならば、そのときには念仏を申さないことになりはしないかというと、どうも不安になってきた。そうすると、どんな場合にも通ずるイデオロギーではない。イデオロギーというものはいかなる場合にもその原理できってゆかなければイデオロギーにならない。しかし念仏申さない場合があるではないか。それならば唱えるときと唱えられないときがあるではないかということになって、私は自分もどうしたらそれができるかということを求めて、横浜の非常に偉い坊さんのところにいったことがあるが、あなたはそんなことをいって、いつでも念仏を申されるようにしたい。ほかのことは理屈も何も捨ててしまったけれども、それだけは捨てたくない。そのためには白刃をもって斬りかけられても、念仏を申されるようにならなければいけないから、ただ私の命を安心立命をさせること、ただそれだけのために、それはそうなりたいというたことがあったのでありますが、結局話があわなかった。

 それで私はぎょうということをした。今まで行ということをぜんぜん捨てておった。例の、みなさん、ご承知の「信不退しんふたい」「行不退ぎょうふたい」というものがありまして「もろもろの雑行ぞうぎょうてて」というて行を忌むわけであります。信仰が純真であれば純真であるだけ行を捨てなければならぬ。行を捨ててすこしも顧みなかったのであります。がこんどはその浄土真宗の信仰をほんとうのものとするためにはいかなる場合にも念仏申さるる勇気をえんために、自分を鍛えるよりほかにないというので、行ということがいるのではないかということを考えたのであります。それで成田なりたにいって断食をしたり、水をかぶったり、初めは渡れませんがあぶない橋を渡ったり、それくらいなことは行でも何でもないのでありますから、自慢するわけではありませぬが、そういうことをやろうということになった。これは真宗の伝統的にいいますと、またそんなことをするようになったかということになったと思いますが、私自身としてどんなことをも受け入れるということになれば、それをも受け入れなければならぬ。それはなぜかというと、強迫観念が非常に苦しかったから、これ以上精神的苦しみはないと思った。病気と比較しても強迫観念は非常に苦しかったのでありますから、いろいろなことを想像してみて、そういうことを自分は堪えられる。精神的なことに何でも堪えられる。けれども病気の経験はいたしましたが、肉体的の苦痛という経験はない。そのときに堪えられないという気がした。それを鍛えるために行をしなければならぬ。それで私は成田にいっていろいろなことをしましたが、しかしながら私が行ということをやめましたのは、そこでやめたのではありませぬが、それだけで行が十分であったというのではありませぬがとにかく行というようなことも、どうしても環境を自分でつくり出すものではない。行というものは自分で与えられないことを自分でこしらえようとするのでありますから、ある程度のことは、たとえば三七日の間断食をするということはつらいのはつらいけれども、それをする人は幾らもありますが、それより大きなことは、やはり自分でやりたくないことはやらない。そこには、てかげんというものがあって自分にできることしかしやしませぬ。それはつまりこしらえるのでありますから、ちょうど強迫観念というものを自分が与えられたからしたのであって、永久に牢獄にいったような生活を誰も好んでしやしませぬ。行ということは自分でこしらえてするのでありますから、できるだけのことしかしませぬ。てかげんをする。いいかげんにするわけではないが、どうしてもそうする。環境というものは自分の力でこしらえるということはできない。坐禅というものは行の一つであります。禅宗のほうでは行の一つとして坐禅をするのであります。私はそのときにそのほうの行をするつもりで平林寺へいりんじにいったわけでありますが、じつは私はこういう問題をもっているのでありますが禅でできますかというとできるという。他の人に、出口でぐち王仁わに三郎さんという人にも聞きましたが、誰としてはっきりといってくれた人がなかった。ところが平林寺の人は禅でできるということをはっきりいってくれたもんですから、禅をやる気になってやったのであります。ところがそのときに私は(禅のお話をここでする必要はありませぬが)その平林寺の坐禅にはいって、小僧さんたちといっしょにやったわけでありますが、そのときにいちばん最後のやつにあったわけであります。つまり私がこれまでいろいろなもっていた思想だとか、いろいろなものを捨てて、ただ一つ受け取ることだけをすればよいという、受け取ることだけはしなければならぬということになって、そのために私は行もしたわけでありますが、しかしながら受け取るということは、これだけはしなければならぬという、最後に残っていた受け取るということはこれはじつはいらないことだということを知ったのであります。それはなぜかというと、受け取るということをなぜ私がそういうように考えたかというと、そのときには二つになっているわけであります。宇宙を私が受け取るということはどういう心理であるかというと(コップを指さして)、宇宙というものがここにあるわけであります。そして私がここにいるわけであります。それでありますからこれがこの宇宙を受け取らなければならぬ。これだけはしなくてはならないというふうになって、そのために行というものも必要であったわけであります。ところがそれならばそのときに私は宇宙の外にいるわけであります。それは宇宙と私と対立したものであって、私の前に宇宙というものがあって、私は宇宙の外にいる。だから宇宙を受け取るということが必要になってくる。けれども私は宇宙の中にいる。私というものを含めて宇宙であります。ですからして受け取るということはいらないことであるし、できないことである。つまり川の中に命の流れが流れている。これから川の中に飛びこもうとする。私が今川の中に飛びこもうという、それだけはしなければならぬ。飛びこむときに私はどこにいるか、足場がある。その立場がある。たとえば堤というものがある。これから川の中にはいる。だから飛びこむということだけはしなければならぬことになるわけでありますけれども、私が初めから流れの中にいるのであれば、飛びこむということはできもしなければ、しなくてもよいことであります。

 私はそのときに、私がこの宇宙の中にいるからして、私は受け取ることができもしなければ、しなくともいいのだということを知ったときに、ほんとうに、とても歓喜雀躍いたしました。そのときに自分と宇宙とが対立していない。私と仏が対立していない。私も宇宙の中にいるのでありますから、私が宇宙なのでありますから、受け取る必要はないしまたできもしない。私がしなければならぬことはたった一つ残っていた。私の安心立命のためにしなければならぬことは、たった一つ受け取ることだけであった。それをしなくてもよいとすれば何にもすることがない。これがすなわち放下とか手放しとかいうことであります。つまり私は何にもしなくてもよい。私は宇宙の中にいる。そのときに私と宇宙とは一つものであります。向き合っているのではありませぬ。それで私はそのときに老師にその見解を呈すると、「そらごらん、受け取ることもどうすることもできますまいが」といわれた。老師は私と三十も年が違うのでまるで私を子どものようにみておりますが、そのことは私にとってとても大きなことなのであります。生活と一枚の宗教と申しますのは、つまりその私と宇宙とが離れていない。一枚である。初めから宇宙の中にはいっている。仏の船の中に初めから乗っているわけであります。つまり私はいっぺんも宇宙の外にいたことはなかった。初めから宇宙の中にはいっていたのであります。

神流れ今入る我はとこしえの
        命の水と流れゆくなり
とこしえの命の水と流れゆく
    身はかくのみにあり経しものを

ですからして、私がその前に「善悪を横に截る道」と申しましたときにも、私の気持は、これがそのときの、善悪を横に截るときの気持であったのであります。限りなき命の、生命の流れの中へ今私がおどりこむ。それから川にはいるときに、そこにはとこしえの命の水と一つになれると思って

神流れ今入る我はとこしえの
        命の水と流れゆくなり

こういう気持になりましたときにも、前に申しましたときにはたいへんな悟りであった。そのときには非常に喜んだ一つの大きな悟りであったのであります。ところがこんどはそうではない。

とこしえの命の水と流れゆく
    身はかくのみにあり経しものを

 つまり私は初めからその命の水の中にはいって、これまでいっぺんも命の水から出たことがなかった。初めからずっと命の水の中にはいって流れていたのである。これがつまり「天地乾坤一枚」と申します。ほんとうの最後の、何もしなくてもよい「無事むじ是れ貴人」という言葉があります。これはシナの臨済りんざいの言葉であります。貴人ということはかならずしも貴族という言葉ではありませぬが、無事は何もすることがないわけであります。安心立命のための、自分はこれでよいのか自分の命はこれで生きがいがあるのか、これで許されているのか、安心立命のためには何もしなくてよいわけであります。三浦参玄洞さんげんどうという人がありますが、私が「恥以上」というものを書きましたときに、ばかの一つ覚えとか、旧思想をもっているというた。なぜかというと、受け取ることだけをいっておったのでありますが、そういうように罵った。けれどもばかの一つ覚えでよいと思った。けっこうである。私といえどもいろいろな本を読んだけれども、自分の安心立命のために、そういう理屈なんかは捨ててしまって、「念仏申さるるように生きる」という、それに寄りすがっているわけであります。ばかの一つ覚えでありましょう。そのことばっかりを頼りにしているのでありますから。私はそういうようにいわれても、悔いなかった。受け取るということであります。私がしなければならないのは念仏申さるるように生きるというたった一つのことであった。がそれもしなくてもよい。念仏申さるるようにということはやはり一つの当為であります。これがやはり私の一つの当為癖であります。それは自分がすべきだというくせであります。あるいはゾルレン臭。自分と仏との間でいえば一つの水くささ、信仰のうえからいえば、かすであります。法然上人ほうねんしょうにんが、念仏を申さるるようにといわれたことは、阿弥陀仏に近づいているようでありますが、それでもまだ当為である。それだけはしなければならぬ。念仏申さるるように、それだけはしよう。当為のくせであります。ゾルレンの臭気、仏と自分との間の水くさいかすが残っている。それがこんどその最後のところにゆきまして、私が仏と一つになって、私と宇宙とが離れていない。対立していない。つまり絶対であります。対立がない。私と宇宙私と仏という対立がなくなったところの絶対であります。つまり一枚であります。かすも何もない。それがすなわち放下、手放しの状態で、私はすることがなくなったわけであります。それでそこに現われてくるのは何かといいますと、つまりあるがままということであります。そこで念仏申さるるように生きるということが変わってくるわけであります。こんどは「事ごとに念仏申さるる」わけであります。念仏申さるるように生きるのではなく、念仏がからだにくっついてきたわけであります。物が上から落ちるのも、雲が流れるのも、私が前に願ったところの「ただにあり、ただに行なう」という生き方であります。「ただにあり、ただに行なう」雲がずっと風が吹いて空を流れてゆく。川の水が流れてゆく。これは前にも申しましたように、そのままで法的に善である。そのままで宇宙の中にところをえている。われわれ自由意志をもっているものが、そういうような生活になれば、それでいいのだということを申しましたが、一枚の生活というと「行雲流水」雲水、雲や水のように私がなったわけであります。雲水というものは、雲水のように生活をしないで、どんな生活をしても、雲水のようになっているわけであります。そんなものこそ、はじめて動物とか、岩とか山川草木というようなものが、宗教的意味を発見してくるわけであります。それは如来であります。そうして私が宇宙にいるところの私の立場というものは、そういう山川草木、あるいは動植物と同じだけの根拠しかない。それでもってそれと同じように宇宙の中にいる。私がああというのと、火山がぱっとやるのと同じものであります。それで私はほんとうにそのときに嬉しかったのであります。それでこの信仰というもののいちばん最後はあるがままであるという意味は、こういう意味でなければならないと思います。またこういうことになってこそ、はじめてあるがままということになると思うのであります。それでこういうことは、それこそ他人の体験でありまして、私は受け取ろう受け取ろうとすることだけはしなければならぬということを、それだけはしなければならぬということを、背中に負っていたわけであります。背中に負っていたからこそ、それをしなくてもよいということになると、非常にらくになる。受け取ろうということ、それが必要であるということをお感じにならなかったならば、何でもないとおっしゃるに相違ないと思いますが、しかし私にとっては、念仏を申さるるように生きるということは、私がどうしてもしなくてはならないたいせつなことであったのでありますから、そのことを私がしなくてもよい。つまり背中に背負っている念仏を前におろしたわけであります。何もすることがないことになって、はじめてそのものといっしょになるのであります。そういう状態になってきますと、実際にこの一つ一つのものが、世界がずっと一つに見えて、自分が目を開いている、自分が宇宙の目であるという感じがするのであります。トンボの目は複眼であります。たくさん目があります。みなさんにも目がありますけれども、この宇宙の中でこういうもの(机をさして)は目がないわけであります。私はぱっちりと目を開いている。私が宇宙の代りになって目を開いていて、世界を一目に見ている。そのときにほんとうに私は嬉しかったのであります。それで老師のところへいったところが、「そら受け取ることはできますまいが」といわれた。受け取ることはできないし、またしなくてもよいという。そうなると非常にみんなが親しく感ぜられる。これまでもそうであったのでありますが、そういう人間がすこしも考えられなかった動植物、虫けらというものと、自分の命が同じものであると思う。そうすると非常にそういうものと親しい、一つのものという感じがしてまいります。それで私は非常に孤独な人間でありますけれども、とにかく人の中に出たいという気が非常に起こってくるようになっております。これは歌としてはよい歌ではありませぬが、

坐禅せば四条五条の橋の上
      往き来の人を深山木みやまぎと見て

という歌がありますが、四条五条の橋の上にたくさんの人が往き来を[#「往き来を」は底本では「住き来を」]しておりますが、それは深山の木だと思って、橋の上で坐禅しなければならぬというふうに、一人の悟った人が歌ったわけであります。そうすると他の人が、それはすこしよくない。

坐禅せば四条五条の橋の上
     往き来の人をそのままに見て

それはそのほうが確かによいと思います。深山木と見てということは、自分で何か細工をするのでありますが、そのままに見て、ずっと往き来をしている、それをそのままに見るのでありますから、そのほうがよいと思います。私はそれをこのごろからやるようになっております。歌としてはよいのではありませぬが、

坐禅せば四条五条の橋の上
     往き来の人の中に交じりて

そのままに見てと申しますと、自分と向こうの人との関係がついていない。それは観照の生活のほうからみますというと、そのままに見て。芭蕉とか良寛とかいうような人は観照生活のずいぶん深いところで生きている。芸術の世界の極致のようなものである。

坐禅せば四条五条の橋の上
     往き来の人をそのままに見て

というふうに、そのままに見ているわけであります。芸術に書くときに、そのままにというのが実相肯定の芸術であります。そのままに見たときにいちばん深い芸術ができるわけであります。

坐禅せば四条五条の橋の上
     往き来の人をそのままに見て

というのは、ずいぶんよいと思いますけれども、そのときには自分はここにいて、人が銀座通りなら銀座通りのところを通っているのを、それを見ているというふうに、それと自分が離れている。それで私は往き来の人の中に交じりて、みなといっしょに[#「いっしょに」は底本では「いっしよに」]そこを歩きたい。坐禅は歩くもすわるも、そうしなければ坐禅ではないというのではありませぬから、歩いていろいろなことをする。非常に私はそういうような気持になってきたのであります。

 それはつまり私と相手とが対立でなく、私と宇宙とが二枚になっていたものが、一つになって一枚になったということからして、したがって向こうとこちらとを離して考えることがだんだんできなくなって、それでその人の中にはいっていっしょにゆかなければ、気持がすまないようになってきた。芝居でも舞台でもって芝居をやって、観客はこの席で観ているわけであります。ところがこのごろは観客席と舞台との席を分けないでやるようなことを、ロシアのほうでやっている。それとこれとは話が違いますが、とにかく自分がそのままに生きている。あらゆる人間が、あらゆる無生物と自分とを一つにして、いっしょになってゆこうという。そのなかで自分がどういうことをするかというと、それはどういうことをするにしても、自分の安心立命のためには、自分は何もしなくてよいのだ。それで許されているのだという、こういう気がするようになってきたのであります。私はこれがこの宗教の極致でありまして、あるがままの世界の生まれてくる最後のものであると思います。そういうようになりますと、一つ一つのものはみなそのままで如来である。その人にどういう観念が動いてくるにしても、それが如来であります。また私にとって痛切なことは精神病であります。自分の親しい友だちが精神病になって、ひどいものになると、非常にえらかった者が柱の周囲を回るばかりである。いわゆる同一症である。それだけしかしないようになることがある。自分の愛している者がそういうようになりましても如来であります。どうすることもできない。それをそうしまいとしてもできない。拝むよりほかにしかたがない。それがつまりそういうようになりまして、あらゆる人間が、人間ばかりでなく動物も植物も、如来である。ただ自分が如来であることに気がついたのが御仏みほとけであります。これでいいんだということに気がつきませぬ。だからしてそのままでいいんだというてもわからない。わかりはしませぬけれども、それはそれで如来であります。それではじめて赤ん坊の生活、虫けらの生活が理解できる。無機物と有機物の関係が、程度の差別にすぎなくてもそれでいいんだということがわかってくる。そういうようにいたしまして、どんなものもあるがままのもの如々にょにょとしてきたるもの、すなわち如来である。それが、自分はこのままでいいんだということに気がついたときに、御仏であります。そういうふうになりまして、私は非常に喜んでいるわけであります。

底本:「世界教養全集 10」平凡社
   1963(昭和38)年5月31日初版発行
   1970(昭和45)年3月25日18版発行
※疑問点の確認、修正に際しては、底本の親本と思われる「仏教研究叢書8 生活と一枚の宗教」大東出版社1932(昭和7)年12月10日発行を参照しました。
入力:kamille
校正:大野 裕
2013年1月30日作成
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