労苦界と戦争

 ヱデンの園にアダム、神の禁を破りし時、ヱホバは彼に告げて言ひけるは「汝は一生の間、労苦して其食を得ん」と。けだし労苦の世界は即ち戦争の世界なり。労苦よりして凡悩も利慾も迷盲も生ずるなれ、是等の者は即ち人生の戦争に対する肥糧なり。いやしくも労苦あらん限り、戦争の精神は尽きぬなる可し。しかれども、

     戦争に対する偉人の理想

 は、労苦を以て敢て喪敗せざるなり。高潔崇高なる詩人哲学者はこと/″\く、戦争の邪念をにくむ、しかして英雄中の英雄なる基督に至りては堅く万民の相戦ふを禁じたり。すべて人をのろふの念をいましめ、己れを詛ふ者を愛するをもて天国の極意とせり。是れを、極めて簡にして而して極めて大なる理想と言はざらめや。人し我が右の頬を※(「てへん+區」、第4水準2-13-44)たば、左の頬をも向けて※(「てへん+區」、第4水準2-13-44)たしめよとは、あに天地をまろうする最大秘訣にあらずや。

     蝸牛角上の傲児

 世は挙げて彼等を欽慕す。歴山れきざん王、拿翁なをう、シイザル、之を英雄と称し豪傑と呼ぶ、英雄は即ち英雄、豪傑は即ち豪傑、然れども胸中の理想に立入りて之を分析すれば、片々たる蝸牛角上の傲児のみ。

     人を殺して泣かざる者

 一蟻螻ひとつのありを害す、なほ釈氏は憐れみにえざりし、一人を殺す、如何いかばかりの罪に当らむ。いはんや百万の衆生を残害するをや。人を殺して法律上に罪を得ざるものは余の知るところにあらず、人を殺して泣かざる者あらば、余が鞭、之に加へざらんと欲するも得ず。

     平和主義と「八犬伝」

 平和主義を抱ける洋人某、つて余と「八犬伝」を読む。我が巻中に入れたる※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)画、なまぐさき血を見せざる者甚だまれなり。平和家なみだを啜つて曰く、往昔むかしの日本は実に無量の罪悪を犯せり、われ幸にして、当時貴邦に遊ばず、若し遊びしならば、我は為に懊悩して死せしならむと。ことば甚だぎやくに近しといへども、以て文明と戦争の関係を知るに足れり、戦争の精神、年をふて減じ行き、いつかは戦争なき時代を見るを得んか。
(明治二十五年三月)

底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「平和 一號」平和社(日本平和會)
   1892(明治25)年3月15日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2005年5月18日作成
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