上

 身は錦繍に包まれて、玉殿の奥深くといふ際にこそあらね。名宣らばさてはと、おほかたの人もうなづく、良人に侍り。朝夕さんかしぐ米、よしや一年を流し元に捨てたればとて、それ眼立つべき内証にもあらず。人は呼ばぬに来りてへつらひ、我は好まぬ夫人交際おくさまつきあい、それにも上坐を譲られて、今尾の奥様とぞ、囃し立てらるる。これがそも人生の不幸かや。
 春の花にも、秋の月にも、良人は我を棄てたまはず。上野に隅田に二人の影、相伴はむことこそは、世事に繁き御身の上の、御心にのみも任せたまはね。庭の桜の一片をも、我とならではでたまはず。窓の月のさやけきにも、我在らずは背きたまふ。涙は我得てこれを拭はむ、笑みはそなたに頒かたむと、世に優しくも待遇もてなさせたまふ、これがそも人生の不幸かや。まして我が良人つまは、学識卓絶、経綸雄大、侠骨稜々の傑士にして、しかも温雅の君子なりと、名にのみ聞きて、よそにだも、敬慕せし君なりしを、ゆくりなき知遇により、迎えられて、妹よ背と、呼び呼ばれ参らする中とはなりし身なるをや。もしこれをしも不幸といはば、はた何をかは、人生の幸とはせむ。
 さあれ絶対無限てふものは、かの唯一の御神とぞいふなる、大精霊大動力を除きての外になき限り、いかでか不幸の伴はぬ幸福の幸の伴はぬ不幸てふものあるべきや。もし満足を、開悟の外に求めなば、人は天地を我が有とするも、未だもつて絶対の幸福とするには足らじ。一心ここに頓悟せば、身は三界に家なきも、またもつて幸とするには足る。悟れば幸も不幸もなき世に、悟らぬ内が人生の、おもしろ、うたての人の身や。
 我も数には漏れぬ身の、差別の外には出で難く、嬉し悲しは切なるを。なまじひなる幸福に、身を包めばぞ人知れぬ涙の淵には、沈むなる。羨ましきは世の中の、人の栄華を羨むほどの、無邪気なる人々よ。繿縷つづれの袖に置く露の、そればかりが悲しき涙か。錦繍にしきの上に散る玉は、よしや生命の水なるも、飾れるものにあやまたれ、何ぞと人の問はぬにも、心は千々に砕くるなる。砕けて墜ちて、末遂に、もとの雫の身とならば、憐れを人の訪ひもせめ、珠の輿にも乗れるよと、見ゆらむほどの今の身の、歎きをそもや誰にか語らむ。天は永久とこしえに高く、地は永久に低し、しかも天の誇りを聞かず、地の小言つぶやきをしも聞かざるに。人ばかりは、束の間の、いふにも足らぬ差別を争ひ、何とて喧々囂々けんけんがうがうたる。浅ましとは知る身にも、さて断ち難き、恩愛恋慕の覊絆きづなにぞ、かくても世には繋がるなると、朝な夕なの御歎きを、知らぬ世間の口々に。さりとては、御気随意なる奥様や、世に成上りものは、これでいやでござんする。嬉しさうな顔しては、お里が知れやうと思ふてか、どこまで行つても不足な顔、ああか、かうかと機嫌を取る、旦那も旦那、奥様が、憎らしいではござんせぬか。ほんにその事、私などは、年中世帯の魂胆ばかり、晴衣一枚着るではなし、芝居も桟敷で、人らしう見せられた、覚えはさらさらござんせぬ。それでもやつぱり脹れ物に、触るやうにしてゐてさへ、またしても小言の八百。よしんば去ねといはれたところで、帰る里には父母おやもあり。兄はかなりな商法家、奉公人の三四人は、召使ふてもゐますれば、不自由は、良人の方にこそ。里へ帰れば母親が、甘いといふではござんせぬが。出戻りとても家のもの、他家よそから這入つた嫂なぞにひけとらす気遣ひは、さらさらもつてござんせぬ。それでもこれが女子の役目と、辛抱すれば、よい気になり。あなたの前ではござんすが、大事にしたは、その当座、ほんの二月ばかりの事。やれ気が利かぬ、おかめじやと、初手から知れた私の鼻が、急に低いか何ぞのやうに、高い声での悪口も、頭脳あたまの上を超せばこそ。すめばすむ、家請けまでも兄の判、母がくれます小遣金こづかひが、帯側にもなる事か。帯は帯でも、世帯の方へ、廻したは、三上山を七巻、はんぱものでもそれ位の金高にはなりまする。それを恩にも着る事か、よその乙姫探してばかり。ほほほ戯談じようだんではござんせぬ。真実女子に生まれたほど、割の合はぬが定ならば、あきらめやうもござんすが。今尾様の奥様の御噂聞きては、なぜかうも、同じ女子の運不運違ふものかと、不美貌ぶきりように生まれた身躰の親をまで、つくづくと怨みまする。それは私も同じ事、したがお聞きあそばせや。満つれば欠くる鼻位、低いところで不具ではなし。人をのろはぬ証拠の穴、二ツ揃ふてゐるからは、それでも鼻を、よも人が穴とばかりは申すまい。それがむつくり小高うて、栄耀に凝つた細工もの、手で拵らえたか何ぞのやうに、器用に出来たその尖頭さきには、得てして、天狗が引掛り、果ては世上の笑柄わらひもの美貌きりようが仇でござんする。近いためしは今尾の奥様、押出しはよし、容貌きりようはよし、御教育もあるとやら。やらやら尽くしで殿達は、近来の大騒ぎ。何でもあんな細君おくさんをと、独身ひとりものはなほの事。私といふものある前で、主人やどまでが品評め。お前なんぞはそちらの隅にと、いはぬばかりの誉め方を、致した事もござんすが。誉れは、結句譏りの基因もと。気になるからの詮索を、どなたがなさつたものじややら。今は知らぬものもない、お里方の根を洗へば、梢に咲いた花ばかり、美麗しう見えたとて、これもひよんなものじやのと。手に取れぬだけ、皆様が、思ひ切つての悪口を、主人の口から聞いた時、それ見た事かと、可笑をかしさを、わざとこちから誉め返し、誉めた口からいはせたは、浮気男によい懲らしめでござんする。ほほほまお人の悪い、してその悪口と仰しやるは。さ、その事でござんする。あの奥様のお里といふは、秋田様とは表向き、世間を繕らふ仮の親、真実まことは高利も、わづかな資本もとでの金貸業。それも父御は独りもの、偏屈か、ただしまた廻らぬ世帯の窮屈か。婢も置かぬ男手に、御飯も炊けば、金も貸す。かすかすの利息をば、あの人に入れ揚げて、何とやらいふ女学校へ、稚い時から預け切り、廿歳の時に卒業を、そのまま其校そこに、教師三昧せられたも、思へば硝子の窓入娘、透き徹るほど美麗しい、容貌の置き場が置き場ゆゑ。くるくる巻の束髪には、惜しい姿と、今尾様、どこを廻つた手蔓やら。秋田様の嬢様とて、御婚礼のその時は、なるほど立派でござんした。おほかたそれも拵え取りの、金に飽かした衣裳なり、人形もさすが、あれほどの、御人品ひとがらゆゑその当座は、あつと人眼を眩ませた、それまではよかつたが。実父は間もなくどこへやら、引越しといふ噂も、底を探れば、逃水の、捉まえどころもない行衛。何でも高利の貸仆れに、我も仆れて、逃げたが定か。それともにも、今尾様から、こつそりどこぞに、貢いででも居らるる事か。噂はさまざま、先こそ知れね、隠居所が確かにあると、申す事でござんする。でも区役所は、失踪と相場も極まつて、表向き、通路の出来ぬ、親持つほどの御身分を、お忘れなされた僣上沙汰。栄耀の餅の皮は、あのくつきりと美麗しいお顔にへばり付いたやら。千枚張の鉄面あつかましい、お鬱ぎ顔が分らぬと、女中達まで、とりとりの噂は聞いてゐましたが。主人の口から申させれば、まさかさうでもあるまいがと、今に未練の冒頭まへおきを、残してゐるだけ、憎らしうござんする。ほほほま際どいところで、やきやきとあそばすだけ、あなたはまだもお畳の新しいと申すもの。私なぞは、土足のままに踏みあらさるる板場の扱ひ、嫉妬やくなとはさておいて、うつかりすれば、今の間も、この身躰が焚きものに、つぶされでもせぬ事かと、腹が立つそのたび毎、羨ましい種子にもしました、あの奥様の御身分も、今の委しいお話では、あんまりどつといたしませぬ。それではやつぱり御見込通り、どれ程旦那が出世をしても、まだまだといふ顔を、世間へ見せて、内実の喜びは隠しておく、これが上品高尚と思ひ違えた成上がりの、根性でござんせう。そこを思へば、叱られても、不自由な世帯に縮んでゐる、女子はまだも世間から、目指されぬのを徳にして、じつと忍耐しんぼう致しませう。ほほ、御忍耐がどんなものやら、あてにはならぬあなた様のも、旦那の方からお勤めを、羨んでゐるものが、ちつとは世間にござんする。あらまお人の悪い、それならさうと致しましよう。でも私は主人にばかし、勤めさせは致しませぬ。私からも二倍だけ。はいはいそれでたくさんでござりまする。ただし旦那の御歳費が、二千円の翌日から格別の御待遇ではござんせぬか。ゑゑもさう内輪から、火を出すものではござんせぬ。それもこれもお互いに、岡目ならば知らぬ事。その身になれば、よしこれが殖えたところで、家内の手へ、落ちるものではござんせぬ。新橋や柳橋へ安心して流すだけ、山の神の祠は破損と申すもの。川上へ潤ひが廻るほどなら、八百でも世帯は立派に固めまする。そこを思へばいよいよもつて、お気の毒なは今尾様、歳費をあてになされぬほどの、御財産しんしよもある上に、浮気一ツなさるでなく、奥様ばかりを蝶花の、離れぬ番ひとあそばすに。一人はどこを飛んでゐる、脳味噌は天辺に、上るほど香に誇る、奥様を追ひ掛けての御機嫌とりは。今度いよいよ二度目の政党内閣に大臣の御顔触れ程でもない、おむづかしい事でござんしよと、姫御前のあられもない、口も叩けば調子も、合はす。ばちはてきめん、我が事も、人の背後しりへに笑ふぞと、知らぬが花の模様もの、着た夫人おくがたの集会も、あながち長屋の女房達に、譲らぬが世の習ひなるべし。

   中

 さりとては草臥くたびれし。党務だけも忙しいこの身体を、内閣へひつぱり出されしその后は、夜ともいはぬ来客に、ろくろく休む隙はない。それもさるべき要事なれば格別なれど。名さへ覚えぬ地方の党員までが、続々人材の登録望みには恐れるから。やうやく不在と切上げても来たなれば、今宵は久し振り、寛ろげるでもあらうかと、奥まりたる書斎へ、今しも遷坐の身をゆつたりと、縁側近く端居して、しづかに髯を撫で上げたるは、かの今尾春衛なり。年齢は四十歳を、迫らぬほどの眉根濃く、眼光の烱々けいけいたるものあるにも、それとは著き風采の、温雅にもまた気高し。これを迎えてさぞやさぞ、お疲れあそばしたでござんしよにと、三尺去つて、良人の傍、先づ何よりと、団扇の風、慰め顔に侍るは、これぞ噂のその人ならむ。今日結ひたての大丸髷も、うつむきめの艶やかに、縞絽の浴衣は、すらりと肩を流れし恰好、何としてこれが女教師上がりの夫人おくさまと思はるべき。笑みもこぼるる、青葉の雫、あれ御覧あそばしませ。人工の夕立ほど、水打ちました三蔵が大働き。螢が飛んでゐるやうで、築山のあたりが、いつそう奇麗でござんする。官邸の月と御題をあそばすも、御一興でござんせう。花やお湯をと取寄せて、煎茶手前もしとやかに、滴らす玉露のそれよりも、香り床しきこの人をそもやそも誰がすまぬお顔と名づけけむ。独り居てこそもの思へ、思へる事のありぞとは、良人つまに知られじ、知らさじと、思ひかねては、墜ちも来る、涙を受けて、掌は白粉も溶く薄化粧。紅も良人おつとへ勤めぞと、物憂さ隠す身嗜み。瞼ばかりは、ほんのりと、霞に匂ふ遠山の、桜色をばそのままの、腥燕脂しようゑんじには代用して、粧ひ凝らす月と日も、積もれば人の追々に、忘るるものと思ひきや。良人の出世を見るにつけ、我が身の里の謡はるる、それもよけれど、今頃は、どこにどうしてゐたまふとも、知らぬ父上なつかしや。たとへばどこの果てとても、ここにかくての一言を、我一人には夢になり、御沙汰したまふものならば、よしや来るなのお詞を守るにしても、朝夕を、少しは慰む方あらむ。子細のあれば、身を隠す、我は現世になきものと、ひとへに良人にかしづけよ。我は元来強情すねものの、人交はりは好かぬ身を、心にもなき大都の風に、顔さらせしは、誰が為ぞ。日本一の花聟に、添わせむまでの父なりし。今尾春衛の妻はあれ、この親爺の娘とてはなき、身の上の気散じは、今より后の我世界を、破れひさしの月にうそぶき、菜の花に、笑ふて暮さむ可笑おかしさよ。忘れても世の中に、血属ちすじは一人の父にさへ、離れたる身の、宿業を謹みて、春衛殿に、愛想かさるるな。我をいづこと、求めむ心の出でなむには、それだけ多くを、良人に尽くせ。尽くして尽きし百年の、寿命は今尾の土となれ。土となりて、魂のかの世に逢はむその時にぞ、今日の子細は語るべし。それまでは、一ツの秘密を持てる身の、よしや天地に耻なきも、世にはじあらむそれよりは、身の秘密をば、社会の裡面に葬りて、悠々の天命をしも楽しむべきを。なまじひなる孝念に、我が所在を探らむは。我が志を傷つけて、我が耻辱を世人の前に、曝露するの所為たるなり。我への不孝、良人への、不貞この上あるべからず。謹んで秘密のはこたる我が行衛ゆくゑに、生涯手を触るまじきものなりと。世にも不思議の御教訓を、寄せたまひつるその后は、御音信おとづれも、幾月を、絶入りてこそ歎けども、これに濡れたる袖ぞとは、良人つまの御眼に掛けられぬ、御手紙は、生きての記念かたみ、死ぬまでは、何とも知らぬ御秘密のありと思へばなほ更に、御身の上の気遣はしく。ふり残されし身一ツに、雨をも、雪をも、御案じ申し上げれども。かくと明かせぬ切なさは、世に隔てなく待遇もてなしたまふ、良人つまへ我から心の関。父の為には隠すをば、孝と思へば、貞ならぬ、身はさながらに大罪を、冒せるものの心地して。優しきお詞聞く毎に、身を切らるるより、なほ辛きを、じつと我慢の忍耐しんぼう強く。我一人して御行衛ゆくえを、探りてもみるそれだけは、よしお詞に背いてもと。思ふ甲斐なき手がかりも、慰めかねし胸に泣き、口に笑ふが常なれど。いづくいかなる隙間より、涙の漏れて、世の人の譏りの種子とはなりにけむ。王者貴人も、恩愛の涙見せずに居らるる国の、あらばそこにて譏らるべし。何を不足の我が涙、浅い世間の推量は、まだもましかや、術なやと。世の蔭口にも謹しみの笑窪えくぼ加へて侍れば。ただおほように行衛知れずといふ事の、気には掛かれる春衛さへ、その当坐こそ慰めたれ。忙しき身の事々に、取紛れては、如才なき、妻に任せし家事心。忘れがちなるこの頃を、その事としも思はねど。やうやく見えし頬の瘠せ、思ふ事でもある事かと、春衛は妻がほそき手の、団扇いぢりをじつと見て。何とせし清子。この節は顔色も善からぬを、病気とは思はぬか。夏は格別、身体を大事に、早速医師に見せてはと、いはれて、はつと元気を見せ。ほほほこの痩せでござりまするか、これは私の生まれ性、夏はいつでも、今年なぞ、まだも肥えておりまする。夏痩せは、医師よりも、牛乳を、精出しておりますれば。秋にはたんと肥えますて、女子のあまり不恰好など、お笑はせ申しましよう。それよりもあなたこそ、この頃はお忙しい上のお忙しさを、お案じ申しておりまする。ははは乃公おれか、乃公はそんな脆弱ひよわい身体でない。いはばこれも道楽の、好きでする仕事に、疲れなんぞ出るものなら、とうに死んでゐる筈なり。まだまだ前途悠遠の、序開きといふ段で、がつくりとなる程なら、最初から政治なんぞに、くちばしは出せないさ。やうやく政党内閣といつたところで幼稚なもの、まだ二回目の最初一度は竜頭蛇尾、藩閥に回収された跡引受け。誰も初役の、勝手は分らず、議論は多し。まだなかなか国利民福を増進するの機関として、遺憾なき活動を見るまでに至らぬは、知れ切つた事なれど。一旦挫折の運命に陥つた、政党内閣の信用を、回復するが刻下の急と、気の進まぬ舞台へ上がつても見たなれど。そなたは乃公が進退の軽々しきを遺憾とし、鬱ぎ出したといふ訳かなと。意外の辺より疑問を下すも。妻の心を一転せしめて、たちまちに憂鬱の原因を、看破らむものと思へるなり。清子は夫の心は知らねど、つとめての語調はいつもの爽やかに。ほほほまおむつかしい、飛んだ事でござりまする。そんな事が分りまする私なら、あなた様の御苦労を、少しは分けて戴きましふに。政党内閣がどんなものやら、分らぬこの身の気楽さは、お忙しさをよそに見て、一人寝て待つ果報の数々。別してもこの節は、いづかたからも、あなた様のお寿、私までの面目は、勿体ない程でござりまする。でも不似合なこの身体を、どうしたものといひかけて、はつと口籠るその様子に、さてはと春衛は空とぼけ。はての、奇体な事を聞くものだの。不似合とは、何が不似合といふのかの。年齢は、乃公に十歳劣りが、今始まつたといふではなし。この髯面に、美人を配した不釣合、それを今更いふでもなからう。あ、分つた、さては乃公の入閣を、官位望みと、思ひ違えた心から、人爵には感心せぬ、妻に似合はぬ夫よと、歎いてくれるか。あさても、今尾春衛は妻にまで、疑はるる身となつたかと。わざと額に手を加え、ひそかに清子を見遣れるも、なほ奥深き一物を、探らむものと思へるなり。清子は夫の詞のはしはし、いはで砕ける心をも、角々しき生利きぞと、思召されむそれよりは、思ふ心のいくばくを、ほのめかしても見むものと。またしてもその様に、思ひもせぬ事、お調戯からかひあそばすゆゑ、真実の事を申しまする。釣合はぬと申したは、御名誉のあなた様に、私如き不束ふつつかもの。それも紳商の娘とか、申すならば格別と、人も沈黙だまつておりますれど。殿方よりは夫人おくがたの、身分たかいが流行りまする、当節柄の人気には、秋田様が真実の里方でない事を、人も知つて、とやかくの噂を致してゐるとやら。うるさい事と思ふにつけ、身の不束が数えられ、これより後のお名折になるまいものかと、何とやら、すまぬ心が致しますると、かすかにいふを打消して。ははは馬鹿な、そなたの事なら今少し、理屈立つた心配かと、思ひの外の拍子抜け。そなたはいつの間、どうした事で、さうまで主義が替はりしぞ。譬喩たとへに引くも異なものなれど、いはゆる明治の元老が、どの様な夫人を持つて、それがいかに社会から、好遇されてゐるかを知らぬ、田舎ものの、寐言ならば、いざ知らず。都会に育つて、見聞も狭からず。その上天爵人爵の、差別も知つたそなたとしては、あまりなる、激語ではあるまいか。ましてこの乃公は、不肖ながらも、富貴利達を、目的とする、鄙劣漢ひれつかんではないつもり。良し経綸を施す上から、一時止むなく、入閣はしたところで。それは世俗のいはゆる出世で、乃公が出世といふものか。無位無官でも春衛は、春衛。生涯を平民主義に献身せる、一書生としての、栄誉は更に大なる日に、そなたと結婚したならば、よし大臣が総理でも、そなたと乃公の関係に、何の変はりを見る事ぞ。そなたも春衛の妻として、世に立つからは、ぐつと気を大きくして、自ら許すところを守り、あくまで世俗に反抗して。かの閨閥に依頼する無腸男子、持参にする横着婦人、この二ツをば、社会から駆逐する、大決心は持てない事か。あはは、やはり柳は柳のそなたに、無理な重荷は勧めまい。だがせめて自分だけなりと、つまらぬ事を気に掛けぬ、自信は持つて貰ひたいと、噛んで含めし言の葉に、清子は何のいらへはなくて、熱き涙を夫の膝に、月も雲間を漏れ出でて、二人が中のいつまでも、かかれかしとぞ輝きぬ。春衛は妻が掛念の種子の、解けても見えしを喜びて。分つたらばそれでよい。分らぬ筈のそなたでなけれど、さういふ事が気に掛かるも、つまりは身体の虚弱よわいから、ともかく医師に掛かるがよい。くどくいふではなけれども。全体この乃公は、最初秋田を里にといふ事から、はなはだ不本意であつたのなれど。そなたの父御が是非ともに、誰かの養女分にもせずは、自分からは縁付けぬと、たつての主張に、余儀なくも、その意に任せた一条は、そなたも知つてゐる通り。いや父御といへば、その後の様子をとんと聞かずにゐたが、今だに便りはない事か。これも気に掛からぬではなけれども、内憂外患さうさうは届かぬから、内事はそなたに任せておいたが、これは不思議に気にせぬなと。ついでながらにいひたる詞の、清子が胸にはひつしとばかり。感謝に溶けし塊の、再び込み上げ来るをば、じつと押さえて何気なく。その事なれば、かならずかならず、お案じなされて下さりまするな。かねても申し上げます通り、一体が交際つきあひ嫌ひの偏屈もの。親一人一人の、私でさへ稚いから、傍に置くがうるさいとて、学校へ預けましたその後は、日曜にも帰りますれば不機嫌の叱られるより、まだましかと、懐かしさを堪らえてゐれば、三日にあげぬ慈愛の品、送つてもくれますれば、稀には来てもくれまする、それ程可愛い私さへ、寄せ付けませぬ変はりもの。廿年から東京に住居致しておりながら、交際とて、人間が、互ひに嘘をつきあいの、それが何になる事ぞと。友人ともだち一人ないを自慢の気質には、私が身の落着きを、安心の首途かどでにして。浮世の外の隠れ家に、身を避けましたでござんせう。よしそれとても、人間の、思ひ出しては、可愛さを、訪ねてもくれましようと。父の気質を知る身には、安心致しておりまする。ついした愚痴から、お胸を痛め、御疲れの上の、御鬱陶を、麦酒びーるにでも致しましようかと。急にさゑさゑさらさらと、延ばす右手の袖軽く、喚鈴よびりん指頭ゆびさきの、かかりけるをりもよし。書生の次間つぎに畏りて、奥様にと差出す郵書。見れば名宛の我にはあれど、覚えなき手跡にて出処は、実父の名のありありと記されたり。あまりの意外に顫ふ手を紛らはさむとや、身を起こし。あのね、あちらへ行つたらば、花に来てといひかけて。あ好いよ、私が行つて吩咐いひつけましよう、貴夫人振るも、可笑おかしなもの、ねえあなた少しお待ちあそばしてと。その場を体よく、夫の視線避けけるも、書中なかの子細のあやぶまるるを、先づ秘かにと思へるなるべし。

   下の一

 七条の停車場すてーしよんといへば、新橋梅田の、それ程にこそ雑踏せざれ。四時の遊客絶え間なき、京は日本の公園なれや。諸国の人が乗降も、半ばは花に紅葉の客、夏は河原の夕涼み、流るる水の一滴が、さても東都の土一升、千万金の凉しさに、東の汗を洗はむと、西の都に来る人の、急がぬ旅も、急行の列車は乗せて運ぶ世の、一味平等、改札の口には上下貴賤なく、赤白青のいろいろが、先を争ふその中に。一人後れし丸髷の、際立つ風姿なりふり眼を注けて、これぞ好き客有難しと、群がる車夫が口々に、奥さんどうどす、お乗りやす、御勝手まで行きまひよかと。先づ京音の悠長を、つと避けて。茶屋が床几に腰掛くれば、女主の案内、特別に、奥座敷へと待遇すも煩はしく。なに急ぐんだから、ここで好いのよ、それよりか、これで手荷物を受取つて、人力車くるまを直ぐにといつて下さい。へいあのお人力車、どこまでと申しませう。はあたしか、柳原庄、銭坐村といふんだよ。へいあの柳原、それに違ひはござりませぬかと、恠訝な顔に念押せる、これも京の名物かと、走らぬ人力車促がして、ここ銭坐村といふを見れば。右も左も小さき家の、屋根には下駄の花緒を乾し、泥濘ぬかりたる、道を跣足はだしの子供らは、揃ひも揃ひし、瘡痂かさぶた頭、見るからに汚なげなるが、人珍らしく集ひ来て、人力車の前後に、囃し立つるはさてもあれ、この二三町を過ぎ行くほどは、一種の臭気身を襲ひ、えもいはれぬ、不快の感を、喚び起こせるも理や。葱の切れ端、鼠の死骸の、いつよりここには棄てられけむ、溝には塵芥ごみうづたかく、たまたま清潔きよき家ぞと見るも、生々しき獣皮の、内外には曝されたる、さりとては訝しさを、車夫に糺せば、個は穢多村なりといふ。穢多村の、そこに要あるこの身にあらず、西京には銭坐村の、この外になき事か。へいへいそれはごもつともでも、銭坐の村名は、ここに限るを、どうしたものと、車夫も不審を、引込みかぬるに。それならば是非もなし、よもやと思へど、この村に、河井太一といふお方の、ありやなしやを尋ねておくれ。へいへい宜しうござりますると、とある門辺に声掛くれば。白きものに、前掛けせし女房の走り出で。太一さんならその辻を、左へ廻つた三軒目、心易うして居るほどに、知れずば教へて上げやうと。袖なしはんてん引掛けて、馴れ馴れしくも附添来るは、この珍客の来臨を、近処へ布告ふれむ下心、家並に声をかけ行くも、かかるところの習ひかと、人力車の上なる人の身は、土用の天にも粟立ちし、身の寒さをも覚えしなるべし。

 お父さま、御気分は、どの様にござりまする。一時も早うと存じましても、十五時間、やうやうただ今着きました。さぞかしお待ちあそばしましてと。破れ畳に、煎餅蒲団、壁に向かひて臥したる老爺ぢぢの、背後うしろにしよんぼり、夢心地。坐りし膝も落着かぬ、外面の人立ち、迷惑を、夕陽に寄せて、そつと締め。ま何からお話し申さうやら、存ぜぬ隙に、東京を、お引払ひのその後は、夜の間も忘れぬ御懐かしさも、御教訓の重さにはと、思ひ替えて、朝夕を、一人で泣いておりましたに、思ひも寄らぬ昨日の御たより。やれ嬉しやも、心配の先立ちまする、御重病。はやはや来いのお報知しらせは、どなたのお筆かは知らぬど、どうでお許しあつての事。お目に掛かれる嬉しさが、もし御病気の心配なしに、来らるるものなら、どれ程にも嬉しからうと存じましたは、栄耀の沙汰。早速夫の許しを受け、御介抱に、参りました上からはもうもう御安心あそばして下さりませ。これまではお一人の、御病気ではなほの事、御不自由でもござんしたらうが。かうして私、参りました上からは、ここが何なら、病院でも、お心任せの御養生、どの様に致してなり、きつと早々御全快はさせまする。思ふたよりは、御気分もお宜しさうなお寐姿、この分ならば今の間に、御全快はあそばしませふ。先づ何分にも、お心を寛やかにあそばすが、何よりのお薬と。見るからに陥ち凹みし、頬はかうでもなかりしに、さりとてはおやつれと。横顔ながら、身の痩せも、思ひ知らるる悲しさを。何事なげにいひなして、力付くるも、孝行の手始めぞとや、膝すり寄せ、脊の辺りを撫で掛かる、手を病人は払ひ退け、滅相な滅相な、どこのお女中様かは知らぬが、前刻さつきから聞いてゐれば、父御様にも仰しやるやうなお見舞は、なんとももつて合点が行かぬ。御風体なら、御人品、新平の親爺が娘に持つやうな、お人柄でもないものを、どう門違えなされたか。御身分にも※(「てへん+勾」、第3水準1-84-72)はる事、早速お帰り下されい。な、なるほどこの親爺、娘一人持つた覚えは確かにござる。でもそれは、子細あつて、父子の縁切れ、父でない、娘でない一札が渡してある筈。どう狼狽うろたえて、この様な処へ親を尋ねて来る、馬鹿ものではござらぬからの。これには何ぞの行違ひ。病気の報告があつたとは、いつさい合点が行かぬ事。恐らく誰かの悪戯に、手紙を出した事かは知らぬが。隠すより顕はるる、お前様の住所を人に知られたは、一つの災難、もうこれで、いとぐちは出来たにせよ、好んで秘密を破るでもなからう。今の間ならば、門違えでも事は済む。世間へぱつとせぬ内に、さ早う去んで下され、帰つて下され。縁は切つても、子の味知つたこの親父、よそ外の娘御でも、気にかかる。新平の子と間違えられては、お前も立つまい、お前様の御亭主はなお立つまい、それが父御の本懐か。門違えでも一言の、見舞は受けたこの親爺、養生もする、死にもせぬ、安心して帰らつしやい。これ程いふに、もじもじして、まだ立たれぬか、帰れぬか、さてさて鈍な女中じやの。ええわそれではこの親爺、叶はぬ腕にも立たせてみせる、引張り出すが承知かのと。危ふき足もとよろよろと、立ち掛けて身をばたり、あはやといたはる女は涙、親爺も残念共泣きの、涙はさすが眼に充ちて、口ばかりは強さうに、帰れ帰れと続けたり。
 折から門の戸引開けて、入来る男は羽織がけ、鄙しからぬ風躰は装へど。どうやら爛れ眼、皮のもの、煙草入れを手に提げて、どかりとばかり胡坐あぐらかき。太一怒るな了簡せい、麁相はおれじや謝罪あやまるわ。まあ女中も落着いて、せつかく来たもの聞きなさい。この中から太一が病気、それはそれは大熱で、とてもじやないが治癒なほるまいと、かういふ村でも村中は、親類交際、素人より、親切なだけ心配する。中でもおれは、小僧の時分、太一には手習ひも教はつただけ、懇意も格別。この春太一がこの村へ、廿五年の久し振り、帰つてくれたその後は、兄弟同様、人一倍案じるにつけ思ひ出し。何でもここを出る時分、一人の乳呑はあつた筈。どこへ置いて来たともいはぬが、生きてゐるなら、報告せてやれ。もしもの事があつた時、跡の思ひが憐れぢやと、何遍いふても取合はず。旅の空で困つた時、親知らず子に遣つた。生死共に分らぬ娘、打遣つておいてくれ、逢ひたいとも思はぬと、ただ一口にいひ消せど。熱が嵩じた囈言うわごとには、またしてもお清お清といひ続け。春衛さんが大臣に、ならしやつて目出たいわ。嬉しやお清、嬉しかろ、逢はれぬが残念じや、逢はれぬ親の因果を見いと。二言目には、逢はれぬと、お清お清のその中には、春衛さんの、大臣が耳立つて。はてな、何でも子細があらうと、考へれば、なるほどな。噂の高い新米の大臣は、どれもこれも、一足飛びの出世の中に、今尾春衛といふ人が、確かにあるといふ事に。これはてつきり太一めが、東京に居たとはいはぬが、詞は隠せぬ東京訛り。よくある奴で遊所へでも、娘を売つたが縁になり、その春衛とかいふ人の、傍に居るではなからうかと。な怒つてはくれまいぞ、思ひ付きの当推量。それ程恋しいものならば、逢はしてやるも功徳じやと。二三日前、医師の奴、これはと首をひねつた時。ままよ、よしんば間違ふても、これが警察行にもなるまい。当るも八卦、当らぬも、八卦を当ててみるつもり。一時も早う来てくれと、藪から棒の手紙は書いても。東京の、処は分らず。大臣の春衛が内で、お清様。これがさうなら大当り、お娘が出て来て、二人共、喜ぶ顔を見る時に、おれが手柄を吹聴しやうと。太一には沙汰なしで、手紙を出したは、猿智恵か。先刻嬶が話では、何でも立派な女客が来たとの事。しめたぞやつぱり当つたか、喜ぶ顔を見て来うと、これこの様に、羽織まで、身装みなりをつくつて来て見れば。大あて違ひ、大失策しくじり、帰れ去ねいと太一が小言。戸外で立聞く、身の辛さ。お娘が気の毒、可愛いとしさに、怒られるのは承知の上で、おれが出過ぎを白状する。な太一、新平の娘といはせまいとの心配。親の慈悲はさうでもあらうが、来たからは詮方がない。今日一日を打解けて、逢ふたからとて、このおれが、娘が男の名をいはずば。お前の娘と近所へ知れても、どこの何といふ素人に拾はれたとも知れずに済む。麁相そそうをした上、口賢ういふではないが、よ太一。天照大神八幡宮、春日明神三社を掛けて、誓ひを立てる。嬶はおろか、死ぬまでも、口から外へ出しはせぬ。安心して逢ふてやれ。なお清坊、そじやないか。お前はとんと知るまいが、おれは嘉平といふ太鼓屋、今年四十歳を出過ぎもの。お手のものだけ廿歳の頃、でんでん太鼓でお前が誕生、祝ふてやつた事もある。その時の稚な顔、これ程の女子になるとは夢じやてな。今の身分がどうであれ、我かおれかがこの村の、通り詞じや。はははは失礼のはつれいのと、詞咎めをせまいぞと。囁く際も内外に、心を配るは立聞きを、おのれに懲りて見張番。嘉平が立つ居つするを。じろりと太一は見る眼の憂さ。坐れ嘉平、今更それが何になる、とぼけた真似をするないやい。戸障子を塞いだら、世間の口が塞げるか。馬鹿めこれがどうなるぞと。怒りの声も、身の疲れ、枕抱えて吐く息の、深くも心痛むるを。お辛度からう、撫でさせてと、怖々さしよる清子が身は、心ならずも、撫でさする、父に劣らぬ憂き思ひ、さてはさうした身分かや。今までさへに里方を、謡はれしもの、この後が、思ひやられて浅ましや。よしこの上は重ねても、良人の家へは帰るまじ。身は新平のそれもよし、貴夫人と囃されて、親につかえぬそれよりは、新平とても人の子の、道は一ツを立ててこそ、人と生まれし甲斐はあれ。同じ人の子、平民を、など新旧には分ちしぞ。差別なしとは表向き、世の習はしは、新といふ、文字のすべてに喜ばるる、それに引換え、平民の上にかぶりし新の字は、あらゆる罪と汚れをば、含めるもの、世の人に誤らるるも理や。昨日までも今日までも、良人つまに連添ふ我が身とて、平民主義を上もなき、真理と採りしこの身さへ、身を新平と聞き知りては。道理の外の新しき、汚れに染みし心地もする、我さへにさるものを。まして浮き世の位山、尊きを望む人心、ひくきはよしや衣と食を、姦淫に仰げばとて、新平ならぬを栄とする、世の人口ひとびとに何として、穢多ばかりかは、人口の心の汚れ、それこそは、実に穢多なりとたださるべき。よしそれとても、今日よりは、ここを我が身の死に処。心の限り養生をさせましてのその上に、御全快にもなるならば。父子おやこ二人が身を捧げ、同じ汚れの名にも染む、人の為にも尽くすぞならば。自からなる楽しみの、その中にしもあるべきを、何にこの身を歎くべき。いやまてしばし、一筋の理屈はよしやさりとても。新平の娘を妻にもしたまひし、良人の名折れ、明日よりの、お名の汚れを何とかせむ。知らぬ昔はともかくも、知りてこの身を潔く、たとへば引いて退いたりとも、それにすすげる御耻辱が。かかる因果の身と知らば、恋しき君を良人には、持つまじきもの、なまなかに、遂げての後に、遂げずなる、恋とは知らで、恋しさを、一日一日に寄せられつ、寄せては返す浦の波、我からわれて別るるを、貞女の道と知るほどの、道理は何故に覚えしぞ。怨めしの父様や。新平ならば新平と、疾くにも明かしたまはむには。身を憚りて、世の中の、わけても名ある御方に、身を任せじを。これだけが、あなたへ不足。その外は新平ばかり継子にする、世間の人が不足ぞやと。口に出してもいひたさを、じつとらえて涙ぐむ、清子が顔を、さもこそと、太一は重き枕を擡げ。泣くなお清、改めていふて聞かす事がある、少しその手を休めてくれ。よ嘉平貴様も好きで出た角力、共々に聞いてくれ。湯なり水なり欠け椀に一杯注いでくれぬかと、しづかに咽喉をうるほしぬ。

   下の二

 あ残念や、この太一は、京も中京さる町で、人に知られし医師の子が、稚いから継母に、かかる身の習ひとて、おれは知らねど僻み性。下女下男まで弟御には似ぬ兄様よと軽蔑けなすのも、やつぱり継母の指図かと、思へば万事おもしろからず。好きで書物の一冊は、読む尻から、弟や継母の小声が気になつて。ええも止せ止せ、家に居て、こんな真似しやうより、外で少しは気晴しと、あてもなく出歩く内。悪い友には誘はれ易く、茶屋が二階の朝酒に、舌鼓打つその頃は、菓子料や薬礼も、大方おれが袂のもの。父が手許の金までも、持出したを見付けられ、もう今日限り勘当と父親の立腹も、われ悪いとは少しも思はず。おほかたこれも弟に、家継がせむ継母の讒言、欺されて無慈悲の父親怨めししと。勿体なや親心の今で思へば血の涙、勘当の意気張を、どの親類にも泣付いて、詫び言いへば済んだもの。おお出て行きませふ、出ませいでか、親のものは子のものを、使ふたからとて、わづかな金に惣領を見替えるほどの親父様こちらとても用はない。男子は裸体はだか百貫を、銭の三百持たぬとて、身の置き所ないものか。帰ると思ふて下さるなと十八歳の無分別、不孝たらだら出て見たが。さて世間は怖いもの、銭で買ふ深切は、家並にあつても、無代ただ買える人の情は、京中に品切れの札掛けぬが山。親の光は七光の、光に離れた身体では、八方塞がり、こちらから寄つても人は寄せ付けず。たまたま景物出すものが、親御様への詫び言と、敬して遠のく工夫はしても、世渡る橋は掛けてもくれぬに、始めて知つた親の庇陰かげ、雨露にも打たれぬ内、親類へも行かうかと、いくたび思はぬではなけれど。いかにしても広言を、継母に聞かれた上からは、男子がさうでもあるまいと、張にもならぬ張持つて、西も東も、行詰りたる味気なさ。まさか死なふと思はねど、桂へ行つてもおもわくの違ひし足の遣り端なく。夜深の人も通らぬを、幸ひの思案場処。桂の橋の欄杆に、水音聞いてゐるところへ、通り掛かつた人こそは、後に舅となるほどの、深いゑにしか。その時から他人ではない深切に、我を身投げと思ふたか。是非とも家まで送らふと、強ひられては包まれず。帰るに家なき勘当の身と断れば、なほの事、それはどうでも見離せぬ、いつまでなりと逗留と、連れられたは闇の夜の、月にも見離されたる身、まさかに此村ここであらうとは、心注かぬももつともか。座敷の装飾かざり、主人の風体、夜明けて見ても一廉の大商人が夫婦して、親にも勝る親切づく、お顔がさしてもなるまいと、店の方はしめ切つて、何商売と分らねど、座敷にばかり待遇さるる身は詮索の要もなく。一日二日の休み場と思ひの外の逗留も、娘に弾かせし琴の音が、我心をも引止めしか。ままよ帰れといふまではと、腰を据えしが一期の不覚。素人を陥すあなとは気も注かず。冷たい母の懐に、人となりたるこの身には。世に珍しい人々の情に月も日も忘れ。身を忘れたるその後に、素生をかくと悟りしも。もう遅かりし、行末を、娘に契つた後の事。つらつら思へば世の中に、この仙境もあつたもの。外を奇麗に、内心は如夜叉によやしやの中に住まむより、人は穢多ともいはばいへ。人の心の花こそは、かういふ中に咲くものを、折つて棄てるが素人の、穢多にも勝る根性かと。理屈はどうでもつき次第、日が経つにつけ、浅ましと、見た眼も曇つて、皮臭い匂ひもとんと鼻にはつかず。そのまま此村に入聟の、実を結んだは、そなたの一粒。見るにつけても思ひ出す、親様はさぞ心外。いかに若気の誤りも、一生此村の芥になれと、勘当はなさるまい。人間の屑、男子の屑、親兄弟を笑はせて、生まれた子まで屑にする、おれは所詮仕方もなけれど。穢多の唱えも、平民の時節になつて生まれた子を、何の遠慮に一生涯、此村に育ててよいものぞ。先祖の遺体、せめてはこれを、人並々の世に出して、償ひをせふものと。思ふ心を悟りたる、妻も同意は、乳呑子の、そなたを置いて病死の際。どふぞこの子が穢れた血を、あなたのお手で洗ふて下され。河井の家名はどうでもよい、家庫いへくらはこの子のもの。素人を父様に持つたお蔭でこの子まで、清まる事なら先祖とて、何の否やを申しませふ。この子の祖父祖母二人共、きつと冥途で喜ぶ顔、私は今から眼に見えて、嬉しふ死んで行きますると。につと笑ふたその顔は、生まれに似合はぬ、美麗しい心のものであつたぞよ。そこでおれが心も決定きまり、家庫を金銭かねにして、東京へ引越したその後は。我が出所をば知られじと、籍も移して家も買ひ、身持律義にしてゐたれば。誰穢多村の出身と、知らぬを幸ひ、学校へそなたを預けて。我一人金貸世渡とせいも、手を広げず、人交際もせぬ理由わけは。ついした談話はなしの、いとぐちに、身柄を人に悟られまい、無益むだな金を使用つかふまいと、その用心に、なにもかも、一心一手におさめて置き。天晴れの男に添はせむその時に、拭えぬ曇りは是非もなし。諸芸はもとより、衣類や調度、金で買はれる光だけ、せめては添えてやらふものと、一心込めた親心。廿余年を、何楽しみの偏人生活、友にも、血にも、関係かかはりはたへた一人のそなたまで、傍には置かず、すげなうしたは。どうで嫁入りさする時、親と名告らぬつもりの身体、初手から離れてゐるがましと。可愛さを、人並の可愛さにはせぬ心の錠。三年五年はともかくも、廿年をその癖は、これが真実の偏人に、ならずに居らるるものかいやい。さこそは無情すげない父様と、不審も立つた事であろ。泣きも怨みもした顔を、見ぬとて見えぬ親の眼が、偏人は偏人の、泣きやうもした廿年。その甲斐ありて、ありとある、男の中にも、男との、その名ばかりか、ただ一度逢ふても知れる心ばえ。器量はおれが鑒識めがねにも過ぎた男に渡したからは、もう用のないこの身体。親も別に拵らえて、河井といふ名の出ぬやうにしてあるからは、すつぱりと役済みのこの親爺。親とはいはぬ親ながら、近所に居るはそなたの妨げ。どふぞ世間の人の眼も、耳も届かぬ処へと、思へば急に故郷の懐かしさはまた格別。乞食の三日が忘られぬ人のこころの不思議さは、そなたを此村ここに置くまいと、他国に苦労したおれが。自分ばかりはこの村の土となりたさ、多からぬ余命を隠れて住むつもりが。頭隠して尻隠さぬ、不念が基因もとのこの失策しくじりを、何とそなたに謝罪あやまらう。かうと知つたら、かねてより、身の素性をばそなたにも打明けておいたなら、その心得もあつたもの。知らせては一生を、心に咎めて暮さうかと、生中の可愛さを、残しておいたが、失策の種子となつたか残念や。もうこの上は詮方がない。たとへ嘉平はいはずとも、物事万事小細工に、包めるものと思ふたは、おれの誤り、どこぞから、世間へぱつとしてからは、聟殿がなほ気の毒。親爺一人は怨まれまい。父娘二人が同腹で、これまで乃公を欺したかと、痛まぬ腹を探られては、この后のそなたが心も済むまい。思ひ切つて今の間に、そつと離縁を取つて来い。それともにも聟殿が、男を立てて離縁せぬ、新平でも構はぬといはるるならば、それこそ重畳。この親爺はもとより亡いものと思ひ捨て、百千倍も身を責めて、並の女子が貞女には、万倍貞女の手本になり、新平の娘が汚れたか、見ん事世間に見てもらへ。今の思案はこの二ツ。さ、一刻を後れては、一人の噂を増す道理。嘉平人力車のある処まで、荷物を持つて送つてやれと。病苦をものの数ともせぬ、老の一轍金鉄の詞に籠る慈愛の数。さりとてはかくまでも、我を思召すぞとも、知らぬ心の子心に、今も今親を怨んだ勿体なさ。父様許して下さりませ。お道理はお道理でも、これ程のお煩ひ、親を見捨てて帰るのが、まこと貞女の道ならば、孝行はどの身体でいたしませう。かういふ身分が気に入らず、このままに御介抱申し上げたが、済まぬと夫が申すなら、それは先方から違えまする、道はこちらの知らぬ事。よも春衛とてそれ程の、没理漢わからずやではござんすまい。幸ひ昨日のお手紙を、見せましたその時にも、乃公は行かれぬ身体だけ、そなた二倍の御介抱を進ぜてくれ。誰なりとも手助けに、一人二人は召連れてと、心添えてもくれましたれど。かねてからの御教訓、御秘密といふ中に、どういふ事もあらうかと、用心に用心して、供をも連れず参りました上からは。さう早速にこの身分の漏れる事もござんすまい。ともかく四五日御介抱申し上げてのその上に、これならば安心の御容体が見えての事に致しまするも、さほど遅うはござんすまいと。口には平気を装へど。思へばこれが一年か二年に足らぬ契りでも。普通の夫婦を見るやうに、人手任せの気も知らず。出雲の神様、はあこれが、私の夫か妻かとて。合はせられてのその上に、無理に合はせた縁ではなく。他人で逢ふて、贔負眼も、ない間にちやんと見ておいて、許し合ふた上からは。添ふたが一日半時でも、身体ばかりが双棲の、一生涯を連添ふて、生涯気心も知らずにしまふ、雛様の夫婦とは違ふもの。千万年の馴染にも、まさると思ふその中で。夢見たやうな身の素性、これだけは、私も存じませなんだ堪忍してと。打ちつけに、我から破れる相談が出来やうものか。おめおめと、良人に顔が合はせる程なら、離縁との、決心も要らぬ事。それよりも合はせぬ顔を、このまま此村ここに御介抱。一生を、これにて果てるつもりにして、手紙だけにもそのよしを、通じて置かば、二度再び、夫の顔は見ぬとても、生涯を憐れのものよと、思はれて、暮せるだけがまだしもの本望とは、私が愚痴は勝手にせよ。廿余年の御高恩、私ばかりは人並のものになれよと御養育、海山の御慈愛も、親はさうしたものにせよ。子は子の情もあるものを。このままにお傍離れて帰宅かへつた上、もしその素性構はぬといはるるならば私とて、無理に離れる気も抜けやう。さうした時は夫へ不貞、あなたには、かねてよりの御気性。私ばかりの仕合はせを御本意の、親でない子でないと、お便りも絶えての後は御孝行も、どうしてしやう様もない、それが本意でござんしよかと。いはれぬ心の数々を、思ひ残してもじもじする清子をはつたと太一は睨み。まだ行かぬ馬鹿めが。おれが病気が気に掛かるか。定命ならば娘の手で介抱を受けたからとて、このおれの寿命が一日延びやうか。ひとまづ帰宅つてともかくの話を極めて来るまでは、かねて娘でないそなた。たとへ一椀半杯の白湯も汲ませて飲むおれか。そちが介抱しやうとて、こちらが受けぬ介抱に、逗留して何になる。嘉平をはじめ、村のもの、深切な中なればこそ、帰りもした。それをまだ気遣ふて、うかうかする半※(「日+向」、第3水準1-85-25)ときは、このおれが何十年の苦労を無にする半※(「日+向」、第3水準1-85-25)と、心注かぬ馬鹿者めが。あれ程いふたにこのおれの心が分らぬ大馬鹿もの、もうその馬鹿ものに用はない。どうなと勝手にしおれいと。枕を取つて投げ棄てる、力は抜けても、中に立つ柱の際に嘉平は喫驚びつくり。ひやあ太一さうまでも怒らぬものじや。病気の毒じや勘忍せい。悪いはおれじや、ま、待てやい。お娘はおれがいひ聞かす、いひ聞かすから、聞け太一、待つてくれこれお娘と。間違ひだらけ一息吐き。さてもさてもむづかしい、義理も理屈もあつたもの。余計な事をして退けた、おれが失策。聞く程にの、見る程にの、どう謝罪らうやうもない。悪いはおれじやが、謝罪つて済まぬこの場じや、なお清坊、聞き分けて立つてくれ。頼む拝むこれお清坊。お前が此家ここに居る内はの、太一は怒る、お前が泣く。どちらももつとももつともと聞いてはおれが堪まらぬじや。おれがせつぱを助けると、思ふてちやつと出立たつてくれ。その代はりにはこのおれが、どこまでも、太一の身躰は引受けて、お前の代はりに介抱する。な太一そじやないか、お娘が孝行しやうといふに、お前が怒る法はない。共々にお前も頼め、おれもいふ。素直に出立てくれるのが、これお清坊、孝行といふものじやと。嘉平がその身に引受けて、先に立つたる出拵え。太一もさすが見ぬ振りに、見送る眼、はつたりと、見返る顔に出逢ふては。なう悲しやの一雫、道の泥濘ぬかりも帰るさは、恋しき土地の記念かたみかと。とかくは背後うしろへひかるる跡を、心深くも印せしなるべし。

 幾日もなく、今尾大臣辞職の飛報は、世人の耳を驚かしぬ。そは今尾夫人が、新平の出身、世に隠れなきと同時に。さる身をもつて、畏き辺りに、拝謁の栄を辞しまつらざりしは、いかにもいかにも恐れ多き事なりとの。至つて至つて小児こどもらしき感情問題をもつて、敵党の乗ずるところあらむとせしを。時の総理は一笑に付し去りて顧みざりしも。今尾大臣は、これに対して、大いに悟るところあり。文明の器に盛るに、蛮野の心もて、争奪を事とせる渦中に投じ、生涯を空しき声に終はらむそれよりも。人は女々しと笑はば笑へ、人道の為、しばらく身を教育事業に転じつつ、おもむろに時機を待つべしとて。あらゆる資産と共に、身を北海道に移しけるも。稚きより境遇が生む自棄の子の、あはれ全国そこここに散りしけるを、移民学園てふ名の下に一括し。土地と共に心さへ新らしき民にして育てむとて。あらゆる新平の子女を我が手にあがなひ得つ。おのれは父よ、清子は母よと笑語一番。衆家族を率ひて出で立ちしを。上野にだに見送りしは、二三の高士のみとぞ聞こえし。(『文芸倶楽部』一八九九年八月)

底本:「紫琴全集 全一巻」草土文化
   1983(昭和58)年5月10日第1刷発行
初出:「文芸倶楽部」
   1899(明治32)年8月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2004年9月20日作成
2005年10月31日修正
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