私は今年英彦山に五六度登った。
 或人々は彦山はつまらぬ山だという。
 成程銅の大鳥居から四十二丁の上宮しょうぐう迄は樹海の中を登りつめるので、見はらしはなし、谿流は添わず、大英彦全体を眺める事の出来ない凹凸の多い山なので、ひととおりの登山丈では、一向変化のないつまらぬ山と思えるのもむりはない。
 だが、彦山に一夏を過して、古老から彦山伝説のかずかずをきかせられ、或は絶頂の三山を高嶺づたいによじ、或は豊前坊から北岳の嶮をよじ、或は南岳の岸壁を下りて妙義にも比すべき巨岩の林立を谷間に仰ぎ等した私は、彦山というものにいつか異常な興味と親しみを見出す様になってしまった。
 彦山には雲仙程の雄大も、国際的なハイカラ味も近代的な設備もない。彦山は天狗の出そうな感じ、怪奇な伝説の山である。彦山を代表するものは山伏道と、かの平民毛谷村六助とである。彦山権現の御加護によってかたき討ちの助太刀をした六助の姿。まずこんなものの古くさい匂いが英彦山のかもす空気であろう。
 三千八百坊が伽藍をつらねていたという名高い霊場も今はおとろえ切って、わずかに山腹の石段町に百余坊。それは皆山伏の末えいで、旅館になり、農になり或は葛根をほってたつきとしている。山坊の跡は石段が峰々谷々に今尚みちていて、田となり畠となり、全村には筧が縦横にかけわたされてそうそうのねをたてている。
 さて私は彦山へはいつも大抵一人で登るのだった。
 奉幣殿の上からは奥深い樹海の道で、すぐ目の前に見えていた遍路たちもいつか木隠れに遠ざかってしまうと、全くの無人境を私は一歩々々孤りで辿るのである。
 前を見ても横を見ても杉の立木ばかり。めまぐるしい文化と騒音とにとりまかれていきている息づまる様な人間界の圧迫感もここではなく、大自然の深い呼吸の中に絶対の! 孤独感を味わう。だが彦山を歩いている時の私は、何のくらさも淋しさもない。魂の静かさが、天地と共にぴたりとふれあっている。自然のふところに抱かるる和らぎ、じつに爽快な孤独の心地なのである。ただもう澄みきった心地で、霧をながめ、鳥のねをきき、或は路傍の高山植物の美しさにみとれ、或は地上の落葉のいろいろに目を転じつつ一歩々々とよじ登ってゆく。こうした山中の体験の楽しさに二度三度と案内しった同じ山へ幾度も私は魅せられるように登って見た。だがさすがに呑気な其私も、十一月はじめ只ひとりで英彦へ登った時にはいささか閉口した。
 山上の紅葉はもう散ってしまっていたので、登山客は殆どなく、その日の正午大鳥居で自動車を下りたものはたった私一人だった。いつもの通り奉幣殿上のくらい杉木立にさしかかった時には、どういうものか、女一人で、人気もない山道を登ってゆくのはあんまり大胆な、とつい気後れがし出すと、坂の中途で行ったりかえったり、立ちすくんでしまった。ぶきみな無人の静寂。深山の精といった感じがひしひし私を威圧する。思わずたじたじと十歩程もと来た方へ下りかけた私は、いや待て、折角ここ迄きて、上宮へのぼらず帰るのは残念だ。登ろう! こう心中に叫んで、祈願をこめつつ重い足をひいてよじ出した。三四丁こわいまぎれにとっとと上るとふいに頭上の木立のあたりから人間の笑い声がきこえてくる。急に元気が出て歩み出すと、下りてくる若い夫婦者に出逢った。その時の路傍の人のなつかしさ嬉しさ。お互に笑顔と声をかけあって、直また上下に別れたが、不思議にそれからは元気が出て、一と息にどんどん登る事が出来たが絶頂で禰宜にあう時迄は遂に一人にもあわなかった。深い落葉の道をさっささっさと歩みつづけた。中宮附近迄はまだ紅葉がのこっていた。もう何の怖ろしさもなくいつものような澄みきった心境で深山の大気を自由に呼吸することが出来た。
 絶頂にたどりつくと、禰宜が出てきて、「よくお孤りでお登りでしたね。あなたで今日は朝から十人目です」という。神前にはまだ四五枚の紅葉が残っていたが、見渡す谷も南岳も北岳も悉く枯木の眺めとなってその上に、灰色の初冬の山々がつらなり遥かに九州アルプスの盟主久住が初雪をかぶってそびえているのを見出した時、私の心は急にはちきれる程の嬉しさでおどり上った。禰宜は雲仙を指し阿蘇を教えてくれた。お台場の如き偉大なあその外輪山をその噴煙をはるかに英彦の絶頂からはじめて眺めえた時の喜び! そして根子岳も、霧島も全九州の名山を悉く今日こそはじめて完全に眺めえた興奮に、私の幽うつや不安は皆けし飛んでしまった。
 上宮ではつい二三日前に初雪が降ったと、禰宜は私を霧囲いの傍の天水桶の辺につれていって残りの雪片をさし示した。
 顔見知りの茶店の亭主は、すぐかまの下を焚き出した。ここから見る久住は一層すばらしい。私は禰宜さんと一緒にあつい番茶をすすり、六助餅をたべながら、霧氷の話をきいた。
 日輪は曇って、まだ二時過ぎたばかりなのに山頂は夕暮のようにうそ寒く、四山は枯色をしていかにも初冬が眼の前に迫ってきたのを感じさせられる。人なつかしげに語る茶屋男と禰宜さんたった二人を山上に残して私はかけ下りる様にとっとと下山した。十一月の末にはもう山上の日子ひこの宮には禰宜も登らず、茶店もとじてしまうそうな。(英彦山は天照大神のみ子天忍穂耳尊天降りの地という)
 私は三時に奉幣殿に下りてきて、今年最終の英彦山詣りを無事にすました。
 天狗のすむという豊前坊の窟。鷹巣原の枯すすき。とろろ汁。春は鶯谷の鶯。山ほととぎす。彦山葛。土の鈴。彦山名物はざっとこんなものである。
(附記)彦山はほんとによい山だ。山陽も、「彦山真に秀彦也」とうたっている。之は山陽の誇張丈でなく、山陽は耶馬渓から守実ごしに、彦山の紅葉を賞し、彦山の秀彦たるところをきっと感じたに違いない。南岳をよじる時私は、たしかにそう感じた。南岳の原生林をぬける時の深山らしい感じは、上宮道にはない。三山をきわめてはじめて彦山の真価はわかる。
(発表誌年月未詳)

底本:「杉田久女随筆集」講談社文芸文庫、講談社
   2003(平成15)年6月10日第1刷発行
底本の親本:「杉田久女全集 第二巻」立風書房
   1989(平成元)年8月発行
入力:杉田弘晃
校正:小林繁雄
2004年11月24日作成
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