独房

 誰でもそうだが、田口もあすこから出てくると、まるで人が変ったのかと思う程、饒舌じょうぜつになっていた。八カ月もの間、壁と壁と壁と壁との間に――つまり小ッちゃい独房の一間ひとまに、たった一人ッ切りでいたのだから、自分で自分の声をきけるのは、ひとごとでもした時の外はないわけだ。何かものをしゃべると云ったところで、それも矢張り独り言でもした時のこと位だろう。その長い間、たゞき止められる一方でいた言葉が、自由になった今、後から後からと押しよせてくるのだ。
 保釈になった最初の晩、疲れるといけないと云うので、早く寝ることにしたのだが、田口はとうとう一睡もしないで、朝まで色んなことをしゃべり通してしまった。自分では興奮も何もしていないと云っていたし、身体の工合も顔色も別にそんなに変っていなかったが、約一年目に出てきたシャバは、矢張り知らずに彼を興奮させていたのだろう。
 これは、田口の話である。別に小説と云うべきものでもない。

     ズロースを忘れない娘さん

 S署から「たらいわし」になって、Y署に行った時だった。
 俺の入った留置場は一号監房だったが、皆はその留置場を「特等室」と云って喜んでいた。
「お前さん、いゝところに入れてもらったよ。」と云われた。
 そこは隣りの家がぴッたりくッついているので、留置場の中へは朝から晩まで、ラジオがそのまんま聞えてきた。――野球の放送も、演芸も、浪花節も、オーケストラも。俺はすっかり喜んでしまった。これなら特等室だ、しッ返えしの二十九日も退屈なく過ごせると思った。然し皆はそのために「特等室」と云っているのではなかった。始め、俺にはワケが分らなかった。
 ところが、二日目かに、モサ(スリのこと)で入っていた目付のこわい男が、ニヤ/\してながら自分の坐っている側へ寄って来てみれと云った。俺は好奇心にかられて、そこへズッて行くと、
「あすこを見ろ。」
 と云って、窓から上を見上げた。
 俺はそれで「特等室」の本当の意味が分った。
 高い金棒の窓の丁度真ッ上が隣りの家の「物ほし」になっていて、十六七の娘さんが丁度洗濯物をもって、そこの急な梯子はしごを上って行くところだった。――それが真ッ下から、そのまゝ見上げられた。
 その後、誰か一人が合図をすると、皆は看守に気取られないように、――顔は看守の方へ向けたまゝ、身体だけをズッて寄って行くことになった。
「ちえッ! 又、ズロースをはいてやがる!」
 なれてくると、俺もそんな冗談を云うようになった。
「共産党がそんなことを云うと、品なしだぜ。」
 とエンコ(公園)に出ている不良がひやかした。
 よく小説にあるように、俺たちは何時でもむずかしい、深刻な面をして、此処ここに坐ってばかりいるわけではないのだ。この決してズロースを忘れない娘さんに対する毎日々々の「期待」が、蒸しッ返えしの長い長い二十九日を、案外のん気に過ごさしてくれたようである。勿論もちろんその間に、俺は二三度調べに出て、竹刀しないぐられたり、靴のまゝでられたり、締めこみをされたりして、三日も横になったきりでいたこともある。別の監房にいる俺たちの仲間も、帰えりには片足を引きずッて来たり、出て行く時に何んでもなかった着物が、背中からズタ/\に切られて戻ってきたりした。
「やられた」
 と云って、血の気のなくなった顔を俺たちに向けたりした。
 俺たちはその度に歯ぎしりをした。然し、そうでない時、俺たちは誰よりも一番はしゃいで、元気で、ふざけたりするのだ。
 十日、七日、五日……。だん/\日が減って行った。そうだ、丁度あと三日という日の午後、夕立がやってきた。
「干物! 干物!」
 となりの家の中では、バタ/\と周章あわてゝるらしい。
 しめた! 俺はニヤリとした。それは全く天裕てんゆうだった。――今日は忘れるぞ。
 雨戸がせわしく開いて、娘さんが梯子を駈け上がって行く。俺は知らずに息をのんでいた。
 畜生! 何んてことだ、又忘れてやがらない! 俺たちはがっかりしてしまった。
「六号!」
 その時、看守が大声で怒鳴どなった。
 見付けられたな、と思った。俺はギョッとした。見付けられたとすれば、俺だけではない、これから入ってくる何百という人たちの、こッそりしまいこんでいた楽しみが奪われてしまうんだ。窓でも閉められてみろ、此処はそのまゝ穴蔵になってしまう。
「調べだ。――でろ。」
 俺は助かったと思った。そして元気よく立ち上がった。
 三階に上がって行くと、応接間らしいところに、検事が書記を連れてやってきていた。俺はそこで二時間ほど調べられた。警察の調べのおさらいのようなもので、別に大したことはなかった。調べが終った時、
「真夏の留置場は苦しいだろう。」
 ないことに、検事がそんな調子でお世辞を云った。
「ウ、ウン、元気さ。」
 俺はニベもなく云いかえした。――が、フト、ズロースの事に気付いて俺は思わずクスリと笑った。然し、その時の俺の考えの底には、お前たちがいくら俺たちを留置場へ入れて苦しめようたって、どっこい、そんなに苦しんでなんかいないんだ、という考えがあったのだ。
「ま、もう少しの我慢ですよ。」
 検事が鞄をかゝえこんで、立ち上るとき云った。俺は聞いていなかった。

     豆の話

 俺はとう/\起訴されてしまった。Y署の二十九日が終ると、裁判所へ呼び出されて、予審判事から検事の起訴理由を読みきかせられた。それから簡単な調書をとられた。
「じゃ、T刑務所へ廻っていてもらいます。いずれ又そこでお目にかゝりましょう。」
 好男子で、スンなりとのびた白い手に指環ゆびわのよく似合う予審判事がそう云って、ベルを押した。ドアーの入口で待っていた特高が、ぐしゃちこばった恰好で入ってきた。判事の云う一言々々に句読点でも打ってゆくように、ハ、ハア、ハッ、と云って、その度に頭をさげた。 
 私はその特高に連れられたまゝ、何ベンも何ベンもグル/\階段を降りて、バラックの控室に戻ってきた。途中、忙しそうに歩いている色んな人たちと出会った。その人たちは俺を見ると、一寸立ち止まって、それから頭を振っていた。
「さ、これでこの世の見おさめだぜ、君。」
 と特高が云った。
「二年も前に入っている三・一五の連中さえまだ公判になっていないんだから、順押しに行くと随分長くなるぜ。」
 俺はその時、フト硝子ガラス戸越しに、汚い空地の隅ッこにほこりをかぶっている、広い葉を持った名の知れない草を見ていた。四方の建物が高いので、サン/\とふり注いでいる真昼の光が、それにはとゞいていない。それは別に奇妙な草でも何んでもなかったが――自分でも分らずに、それだけを見ていたことが、今でも妙に印象に残っている。理窟がなく、こんなことがよくあるものかも知れない。
 俺は今朝Nが警察の出がけに持ってきてくれたトマトとマンジュウの包みをあけたが、しばらくうつろな気持で、膝の上に置いたきりにしていた。
 控室には俺の外にコソどろていのひげをボウ/\とのばした厚い唇の男が、巡査に附き添われて検事の調べを待っていた。俺は腹が減っているようで、食ってみると然しマンジュウは三つといかなかった。それで残りをその男にやった。「髯」は見ている間に、ムシャムシャと食ってしまった。そして今度はトマトを食っている俺の口元をだまって見つめていた。俺はその男に不思議な圧迫を感じた。どたん場へくると、俺はこの男よりも出来ていないのかと、その時思った。
 自動車は昼頃やってきた。俺は窓という窓に鉄棒を張った「護送自動車」を想像していた。ところが、クリーム色に塗ったナッシュという自動車のオープンで、それはふさわしくなくハイカラなものだった。俺は両側を二人の特高にさまれて、クッションに腰を下した。これは、だが、これまでゞ何百人の同志を運んだ車だろう。俺は自分の身のまわりを見、天井を見、スプリングを揺すってみた。
 六十日目に始めてみる街、そしてこれから少なくとも二年間は見ることのない街、――俺は自動車の両側から、どんなものでも一つ残らず見ておかなければならないと思った。
 麹町何丁目――四谷見付――塩町――そして新宿……。その日は土曜日で、新宿は人が出ていた。俺はその雑踏の無数の顔のなかゝら、誰か仲間のものが一人でも歩いていないかと、探がした。だが、自動車はゴー、ゴーと響きかえるガードの下をくゞって、もはや淀橋へ出て行っていた。
 前から来るのを、のんびりと待ち合せてゴトン/\と動く、あの毎日のように乗ったことのある西武電車を、自動車はせッかちにドン/\追い越した。風が頬の両側へ、音をたてゝ吹きわけて行った、その辺は皆見慣れた街並だった。
 N駅に出る狭い道を曲がった時、自動車の前を毎朝めしを食いに行っていた食堂のおかみさんが、片手にねぎの束を持って、子供をあやしながら横切って行くのを見付けた。
 前に、俺はそこの食堂で「金属」の仕事をしていた女の人と十五銭のめしを食っていたことがあった。その時、多分いま前を横切ってゆく子供に、奥の方でコックがものを云っているのが聞えた。
「オヤ、この子供は今ンちから豆ッて云うと、夢中になるぜ。いやだなア!」
 そんなことを云った。
 すると、一緒にめしを食っていた女の人が、プッと笑い出して、それから周章てゝ真赤になってしまった。
 俺はそれをひょいと思い出したのだ。すると、急にその女の同志に対する愛着の感じが胸をうってきた。その女の人は今どうしているだろう? つかまらないで、まだ仕事をしているだろうか。
 自動車は警笛をならした。そこは道が狭まかったのだ。おかみさんはチョッとこっちを振りかえったが、勿論あれ程見知っている俺が、こんな自動車に乗っていようなぞという事には気付くはずもなく――過ぎてしまった。俺は首を窮屈にまげて、しばらくの間うしろの窓から振りかえっていた。
「もう直ぐだ、あそこの角をまがると、刑務所の壁が見えるよ。」
 ――俺はその言葉に、だまって向き直った。

     青い褌

 自動車は合図の警笛をならしながら、刑務所の構内に入って行った。
 監獄のコンクリートの壁は、側へ行くと、思ったよりも見上げる程に高く、その下を歩いている人は小さかった。――自動車から降りて、その壁を何度も見上げながら、俺はきつく帯をしめ直した。
 皮に入ったピストルを肩からかけ、剣を吊した門衛に小さいカードと引きくらべに、ジロ/\顔をしらべられてから、俺だちは鉄の門を入った。――入ると、後で重い鉄の扉がギーと音をたてゝ閉じた。
 俺はその音をきいた。それは聞いてしまってからも、身体の中に音そのまゝの形で残るような音だった。この戸はこれから二年の間、俺のために今のまゝ閉じられているんだ、と思った。
 薄暗い面会所の前を通ると、そこのたまりから沢山の顔がこっちを向いた。俺は吸い残りのバットをふかしながら、捕かまるとき持っていた全財産の風呂敷包たった一つをぶら下げて入って行った。煙草も、このたった一本きりで、これから何年もの間モウのめないのだ!
 晴れ上がった良い天気だった。
 トロッコのレールが縦横に敷かさっている薄暗い一見地下室らしく見えるところを通って、階段を上ると、広い事務所に出た。そこで私の両側についてきた特高が引き継ぎをやった。
「君は秋田の生れだと云ったな。僕もそうだよ。これも何んかのめぐり合せだろう。僕から云うのも変だが、何よりまア身体を丈夫にしてい給え。」
 ずんぐりした方が一寸テレて、帽子の縁に手をやった。
 ごじゃ/\と書類の積まさった沢山の机を越して、窓際近くで、あごのしゃくれた眼のひッこんだ美しい女の事務員が、タイプライターを打ちながら、時々こっちを見ていた。こういう所にそんな女を見るのが、俺には何んだか不思議な気がした。
 持ちものをすッかり調らべられてから、係が厚い帳面を持ってきて、刑務所で預かる所持金の受取りをさせられた。捕かまる時、オレは交通費として現金を十円ほど持っていた。俺たちのように運動をしているものは、命と同じように「交通費」を大切にしている。――印を押そうと思って、広げられた帳面を見ると、俺の名から二つ三つ前に、知っている名前のあるのに目がとまった。それは名の知れている左翼の人で、最近どうして書かなくなったのだろうと思っていた人だった。ところが、此処にいたのだ。この人も! そう思うと、俺は何んだか急に気が強くなるのを感じた。
 それから「仮調所」に連れて行かれて、裸かにされた。チンポも何もすっかり出して、横を向いたり、廻われ右をしたり、身体中の特徴を記録にとられた。俺は自分でも知らなかった背中のホクロを探し出された。其処そこで、俺は「青い着物」をきせられたのだった。
 青い着物を着、青い股引ももひきをはき、青いふんどしをしめ、青い帯をしめ、ワラ草履ぞうりをはき、――生れて始めて、俺は「編笠あみがさ」をかぶった。だが、俺は褌まで青くなくたっていゝだろうと思った。
 向うのコンクリートの建物の間を、赤い着物をきた囚人が一列に並んで仕事から帰ってくるのが見える。
 俺は始め身体がどうしても小刻こきざみにふるえて、困った。
「どうだ、初めての着工合は……」
 と看守が云った。
 俺は、知らないうちに入っていた肩から力を抜いて、ゆっくり、大きく息を吸いこんだ。
「この廊下を真ッ直ぐに行くんだ、――編笠をかぶって。」
 俺は看守の指さす方を見た。
 長い廊下の行手に、沢山の鉄格子の窓を持った赤い煉瓦れんがの建物がつッ立っていた。
 俺はだまって、その方へ歩き出した。

     アパアト住い

「南房」の階上。
 独房――「No. 19.」
 共犯番号「セ」の六十三号。

 警察から来ると、此処は何んと静かなところだろう。長い廊下の両側には、じょうの下りた幾十という独房がズラリと並んでいた。俺はその前を通ったとき、フトその一つの独房の中から低いしわぶきの声を耳にした。俺はその時、突然肩をつかまれたように、そのどの中にも我々の同志が腕を組み、眼を光らして坐っているのだ、ということを感じた。
 俺は最初まだ何にもそろっていないガランドウの独房の中に入れられた。扉が小さい室に風をあおって閉まると、ガチャン/\と鋭い音を立てゝ錠が下り、――俺は生れて始めて、たった独りにされたのだ。
 俺は音をたてないように、室の中を歩きまわり、壁をたゝいてみ、窓から外をソッとのぞいてみ、それから廊下の方に聞き耳をたてた。
 誰か廊下を歩いてゆく。立ち止まって、その音に何時でも耳をすましていると、急にワクワクと身体が底からふるえてくる――恐怖に似た物狂おしさが襲ってきた。その時、今でも覚えている、俺はワッと声をあげて泣けるものなら、子供よりもモッと大声を上げて、恥知らずに泣いてしまいたかった。
 しばらくして、赤い着物をきた雑役が、色々な「世帯道具」――その雑役はそんなことを云った――を運んできてくれた。
「どうした? 眼が赤いようだな。」
 と、俺を見て云った――
「なに、じき慣れるさ。」
 俺は相手から顔をそむけて、
「バカ! 共産党が泣くかい。」
 と云った。
 ほうき。ハタキ。渋紙で作った塵取ちりとり。タン壺。雑巾。
 ふた付きの茶碗二個。皿一枚。ワッパ一箇。はし一ぜん。――それだけ入っている食器箱。フキン一枚。土瓶どびん。湯呑茶碗一個。
 黒い漆塗うるしぬりの便器。洗面器。清水桶。排水桶。ヒシャク一個。
 縁のない畳一枚。玩具おもちゃのような足の低い蚊帳かや
 それに番号のきれと針と糸を渡されたので、俺は着物のえりにそれを縫いつけた。そして、こっそり小さいるい鏡に写してみた。すると急に自分の顔が罪人になって見えてきた。俺は急いで鏡を机の上に伏せてしまった。
 雑役が用事の最後に、ニヤ/\笑いながら云った。
「お前さん今度が初めてだね。これで一通りの道具はちゃアんと揃ってるもんだろう。これからこの室が長い間のお前さんのアパアトになるわけさ。だから、自分でキチン/\と綺麗きれいにしておいた方がいゝよ。そしたら却々なかなか愛着が出るもんだ。」
 それから、看守の方をチラッと見て、
「ヘン、しゃれたもんだ、この不景気にアパアト住いだなんて!」
 と云って、出て行った。

     長い欧州航路

 監獄に廻わってから、何が一番気持ちがよかったかときかれたら、俺は六十日目に始めてシャボンを使ってお湯に入ったことだと云おう。
 湯槽ゆぶねは小じんまりとしたコンクリートで出来ていて、お湯につかっていながら、スウイッチをひねると、ガチャン、ガタン、ガチャン、ガタン、ゴボン、ゴボンとスチームが入ってくるようになっていた。
入浴時間  十五分
 規定の時間を守らざるものは入浴の順番取りかえることあるべし
 警察の留置場にいたときよく、言問橋のたもとに住んでいる「青空一家」や三河島のバタヤ(屑買い)が引張られてきた。そんな連中は入ってくると、くさいジト/\したシャツを脱いで、しらみを取り出した。真っ黒なコロッとした虱が、折目という折目にウジョ/\たかっていた。
 一度、六十位の身体一杯にヒゼンをかいたバタヤのお爺さんが這入はいってきたことがあった。エンコに出ていて、飲食店の裏口を廻って歩いて、ズケ(残飯)にありついている可哀相なお爺さんだった。五年刑務所にいて、やっとこの正月出てきたんだから、今年の正月だけはシャバでやって行きたいと云っていた。――俺はそのお爺さんと寝てやっているうちに、すっかりヒゼンをうつされていた。それで、この六十日目に入るお湯が、俺をまるで夢中にさせてしまった。
 そこは独房とちがって、窓が低いので、刑務所の広い庭が見えた。低く円るく刈り込まれた松の木が、青々とした綺麗な芝生の上に何本も植えられていて、その間の小径の、あちこちに赤い着物が蹲んで、延び過ぎた草を呑気のんきそうに摘んでいた。黒いゲートルを巻いた、ゴム足袋の看守が両手を後にまわして、その側をブラ/\しながら何か話しかけていた……。夕陽が向う側の監獄の壁を赤く染めて、手前の庭の半分に、煉瓦建の影をななめに落していた。――それは日が暮れようとして、しかもまだ夜が来ていないひと時の、すべてのものがその動きと音をやめている時だった。私はそのなごやかな監獄風景を眺めながら、たゞお湯の音だけをジャブ/\たてゝ、身体をこすっていた。ものみんなが静かな世界に、お湯のジャブ/\だけが音をたてゝいるのが、何かしら今だに印象に残っている。
 次の日は「理髪」だった。――俺はこうして、此処へ来てから一つ一つ人並みになって行った。――こゝの床屋さんは赤い着物を着ている。
 顔のちっとも写らない壊れた小さい鏡の置いてある窓際に坐ると、それでも首にハンカチをまいて、白いエプロンをかけてくれる。この「赤い」床屋さんはこぶの多いグル/\頭の、太い眉をした元船員の男だった。三年食っていると云った。出たくないかときくと、なアに長い欧州航路を上陸をせずに、そのまゝ二三度繰りかえしていると思えば何んでもない、と云って笑った。
「アパアト住い」と云い、又この「欧州航路」と云い、こゝにいるどの赤い着物も、そんなことを自分の家にいるよりも何んでもなく云ってのける。
 用意が出来ると、この床屋さんが後に廻りながら、
「バリカンで、ジョキ/\やってしまうぜ。」
 と云った。
 それは分っていて……しかし云われてみると、矢張りギョッとした。
「頼む! 少しは長くしておいてくれよ。」
「こゝン中にいて、一体誰に見せるんだ。」
と云って、クッ、クッと笑った。
「そうか、そうか、分った。面会に来るひとがあるんだろうからな――」
 それで俺の髪だけは助った。然しこの理髪師はニキビであろうが、何んであろうが、上から下へ一気に剃刀かみそりを使って、それをそり落してしまった。
 俺がヒリ/\する頬を抑えていると、ニヤ/\笑いながら、
「こゝは銀座の床屋じゃないんだからな。」
 と云った。

     赤色体操

 俺だちは朝六時半に起きる。これは四季によって少しずつ違う。起きて直ぐ、蒲団を片付け、毛布をたゝみ、歯を磨いて、顔を洗う。その頃に丁度「点検」が廻わってくる。一隊は三人で、先頭の看守がガチャン/\と扉を開けてゆくと、次の部長が独房の中をのぞきこんで、点検簿と引き合せて、
「六十三番」
 と呼ぶ。
 殿しんがりの看守がそれをガチャン/\閉めて行く。
 七時半になると「ごはんの用――意!」と、向う端の方で雑役が叫ぶ。そしたら、食器箱の蓋の上にワッパと茶碗を二つ載せ、片手に土瓶を持って、入口に立って待っている。飯の車が廊下を廻わってくるのだ。扉が開いたら、それを差出す。――円るい型にハメ込んだ番号の打ってある飯をワッパに、味噌汁を二杯に限って茶碗に、それから土瓶にお湯を貰う。味噌汁の表面には、時々煮込こまれて死んだウジに似た白い虫が浮いていた。
 八時に「排水」と「給水」がある。新しい水を貰って、使った水を捨てゝもらい、便器を廊下に出して掃除をしてもらう。(これが一日に二度で、昼過ぎにもある。)
 それが済むと、後は自由な時間になる。小さい固い机の上で本を読む。壁に「ラジオ体操」の図解が貼りつけてあるので、体操も出来る。
 独房の入口の左上に、簡単な仕掛けがあって、そこに出ている木の先を押すと、カタンと音がして、外の廊下に独房の番号を書いた扇形の「標示器」が突き出るようになっている。看守がそれを見て、扉の小さいのぞきから「何んだ?」と、用事をきゝに来てくれる。
 昼過ぎになると、担当の看守が「明日の願い事」と云って、廻わってくる。
キャラメル一つ。林檎 十銭。
差入本の「下附願」。
書信 封緘ふうかん葉書二枚。
着物の宅下げ願。
 運動は一日一度――二十分。入浴は一週二度、理髪は一週一度、診察が一日置きにある。一日置きに診察して貰えるので、時にはまるで「お抱え医者」をはべらしているゼイタクな気持を俺だちに起させることがある。然し勿論その「お抱え医者」なるものが、どんな医者であるかということになれば、それは全く別なことである。
 夜、八時就寝、たっぷり十一時間の睡眠がとれる。

 俺だちは「外」にいた時には、ヒドイ生活をしていた。一カ月以上も元気でお湯に入らなかったし、何日も一日一度の飯で歩き廻って、ゲッそりせてしまったこともある。一週間と同じ処に住んでいられないために、転々と住所をかえた。これ等のことが分らずにいて、長いうちにはウンとこたえていた。――それで、警察に六十日居り、それから刑務所と廻ってくるうちに、俺は自分の四肢がスンなりと肥えてゆくのを感じた。俺の場合、それは運動不足からくるむくみでも何んでもなく、はじめて身体が当り前にかえって行くこの上もない健康からだった。
 俺だちの仲間は、今でも刑務所へ行くことを「別荘行」と云っている。ドンな場合でも決して屈することのないプロレタリアの剛毅ごうきさからくるほがらかさが、その言葉のうちに含まさっているわけだ。然し、そればかしでなしに、俺だちにとっては本来の意味――いわばブルジョワ的な「休息」という意味でも、此処は別荘であるということを、俺は発見した。俺だちは、だから此処で、出て行く迄に新しい精気と強い身体を作っておかなければならないのだ。
 だが、さすがにこの赤色別荘は、一銭の費用もかゝらないし、喜楽的などころか、毎日々々が鉄の如き規律のもとに過ぎてゆくのだ――然し、それは如何にも俺だちにふさわしいので、面白いと思っている。
「さ、これから赤色体操を始めるんだぞ。」
 独房の中で「ラジオ体操」をやる時には、俺は何時でもそう云っている。こゝが赤色別荘なら、こゝでやるラジオ体操も従って赤色体操なわけである。
 俺は元気よく、力一杯に手を振り、足をあげる。

     松葉の「K」「P」

 運動場は扇形に開いた九つのコンクリートの壁がつッ立ッていて、八つの空間を作っている。その中に一人ずつ入って、走り廻わる。――それを丁度扇のかなめに当る所に一段と高い台があって、其処に看守が陣取り、皆を一眼に見下している。
 俺だちの関係で入ったものは、運動の時まで独りにされる。ゴッホの有名な、皆が輪になって歩き廻わっている「囚人運動」は、泥棒か人殺連中の囚人運動で、俺だちの囚人運動は矢張りゴッホには描けなかったのだろう。
 俺はその中で尻をはしょって、両肌もろはだぬぎになり、おイちニ、おイちニ、と馳け足をはじめる。二十分だ。俺は運動に出ると、何時でも、その速力の出し工合と、身体の疲労の仕方によって、自分の健康に見当をつける素朴な方法を注意深く実行している。
 走りながら、こっちでワザと大きな声をあげると、隣りを走っている同志も大きな声を出した。エヘンとせき払いをすると、向う端で誰かゞ、エヘンと答える。それから時にはひじで、壁をたゝいて、合図をした。
 そのコンクリートの壁には、看守の目を盗んで書いたらしく、泥や――時には、何処から手に入れるものか白墨で「共」という字や、中途半端な「※[#「共」の最後の画のない字、149-15]」「※[#「党」の5画目までの書きかけの字、149-15]や、K・P(共産党の略字)という字が幾つも書かれている。看守が見付け次第それを消して廻わるのだが、次の日になると、又ちアんと書かれている。雨の降った次の日運動に出たとき、俺は泥をソッと手づかみにして、何ベンも機会を覗ったが、ウマク行かなかった。俺はどうもそういう事では、ボンくらかも知れない。
 或る朝、運動場の端の方にある焼木の柵の割れ目に、松葉の一本々々を丹念に組合せて作られた「K」と「P」を発見した。俺はその時の喜びを忘れることが出来ない。俺は急に踊るときのような恰好をして――走り出した。看守が高いところから、俺の方を見た。看守の眼を盗みながら、どの位の用意と時間をかけて、それを作ったのだろう。その一つ一つの動作をしている同志の気持が、そのまゝ俺に来るのだ。
 同志は何処にでもいるんだ、何よりそう思った。一度、本を読むのに飽きたので、独房の壁の中を撫でまわして、落書を探がしたことがある。独房は警察の留置場とちがって、自分だけしか入っていないし、時々点検があるので、落書は殆んどしていない。然し、それでも俺はしばらくして、色んな隅ッこから何十という「共産党」や旗やK・Pを探がし出すことが出来た。俺の前にこの同じ室に入っていた同志はどんな人であったろう。俺はそれらの落書のにおいでもかぐように、そこから何かの面影でも引き出そうとした。「書信室」へ行くと、そこは机でも壁でも一杯に思う存分の落書きがしてある。俺も手紙を書きに行ったときは、必ず何か落書してくることに決めていた。
 成る程、俺は独房にいる。然し、決して「独り」ではないんだ。

     せき、くさめ、屁

 の音で隣りの独房にいる同志の健在なことを知る――三・一五の同志の歌で、シャバにいたとき、俺は何かの雑誌でそれを読んだことがあった。此処へ来て初めて分ったのだが、どの監房でも皆がよく屁をしていた。――然し俺の場合一日に四十から五十、いやそれ以上の屁が出るで弱ってしまった。これではかえって隣りにいる同志はキット俺の健康を気遣きづかっているかも知れない。
 俺はどうしたのかと思った。診察のとき、屁のことを医者に云った。
「それは醗酵はっこうし易い麦飯を食って、運動が不足だからですよ。」
 と、このお抱え医者は事もなげに云って、それでも笑った。
 そのことがあってから、俺は屁の事について考えた。此処にいると、どんなに些細ささいなことに対しても、二日も三日もとッくりと考えられるのだ。そして、これからは次々と出くる屁を、一々丁寧ていねいに力をこめて高々と放すことにした。それは彼奴等きゃつらに対して、この上もないブベツ弾になるのだ。殊にコンクリートの壁はそれを又一層高々と響きかえらした。
 しばらく経ってから気付いたことだが、早くから来ているどの同志も、屁ばかりでなく、自分独特のくさめせきをちアんと持っていて、それを使っていることだった。音楽的なもの、示威的なもの、嘲笑的なもの……等々。
 夜になって、シーンと静まりかえっているとき、何処かの独房から、このくさめせきが聞えてくる。その癖から、それが誰かすぐ分る。それを聞くと、この厚いコンクリートの壁を越えて、口で云えない感情のこみ上がってくるのを感ずる。
 俺だちは同志の挨拶をかわす方法を、この「せき」と「くさめ」と「屁」に持っているワケだ。だから、鼻の穴が微妙にムズがゆくなって、今くさめが出るのだなと分ると、それを実に大切にするんだ。
 ――俺もしばらくして、せきくさめに自分のスタイルを持つことに成功した。

     オン、ア、ラ、ハ、シャ、ナウ

 高い窓から入ってくる日脚の落ち場所が、見ていると順々に変って行って――秋がやってきた。運動から帰ってきて、扉の金具にさわってみると、鉄の冷たさがヒンヤリと指先きにくるようになった。
 俺は初めての東京の秋の美しさを、来る日も来る日も赤い煉瓦と鉄棒の窓から見える高く澄みきった空に感じることが出来た。――北の国ではモウ雪まじりのビショ/\雨が降っている頃だ。――今までそうでもなかったのに、隣りの独房でさせているカタ、コトという物音が、沁みるような深さで感ぜられる。隣りの同志は「全協」だろうか、P(無新)の人だろうか、Y(無産青年)だろうか、それとも党員だろうか……?――秋深く隣は何をする人ぞ。
 扉が突然ガチャン/\と開いた。
「どっこいしょ!」
 蒲団をかづいできた雑役が、それをのしんと入口に投げ出した。汗をふきながら、
「こんな厚い、重たい蒲団って始めてだ。親ッてこんな不孝ものにも、矢張りこんなに厚い蒲団を送って寄こすものかなア。」
 俺はだまっていた。
 独りになって、それを隅の方に積み重ねながら、本当にそれがゴワ/\していて重く、厚くて、とてつもなく巾が広いことを知った。
 その後、俺はそとの人に「夜、蒲団があまり重くて寝苦しい時には、この重さが一体何んの重さであるか位は考えてみないわけでもない。」そんなセンチメンタルなことを書いたことがあった。
 蒲団と一緒に、あわせが入ってきた。
 二三日して、寒くなったので着物をき換えたとき、袂に何か入っているらしいので、オヤと思って手探ぐりにすると、小さいカードのようなものが出てきた。
卯の歳
   文珠菩薩
守本尊
 金と朱で書いた「お守」だった。
 マルキストにお守では、どうにもおさまりがつかない、俺は独りでテレてしまった。
 中を開けてみると「文珠菩薩真言」として、朝鮮文字のような字体で、「オン、ア、ラ、ハ、シャ、ナウ」と書かれている。
「オン、ア、ラ、ハ………………。」
 俺は二三度その文句を口の中で繰りかえしている。
 却々スラ/\と云えない。然しそれを繰りかえしているうちに、俺は久し振りで長い間会わないこの愚かな母親の心に、シミ/″\と触れることが出来た。
 俺たちはどんなことがあろうと、泣いてはいけないそうだ。どんな女がいようと、れてはならないそうだ。月を見ても、もの想いにふけってはいけないそうだ。母親のことを考えて、メソメソしてもならないそうだ――人はそう云う。だが、この母親は俺がこういう処に入っているとは知らずに、俺の好きな西瓜すいかを買っておいて、今日は帰ってくる、そしてその日帰って来ないと、明日は帰ってくると云って、たべたがる弟や妹にも手をつけさせないで、しまいにはそれを腐らせてしまったそうだ。俺は此処へ来てから、そのことを、小さい妹の仮名交りの、でかい揃わない字の手紙で読んだ。俺はそれを読んでから、長い間声をたてずに泣いていた。
 俺には、身体の小さい母親が、ちょこなんと坐って、帯の間に手をさしはさんでいる姿が目に見える。それが、何時でも心配事のあるときの、母の恰好だったからである。

     プロレタリアの旗日

 コツ、コツ、コツ………………。
 隣りの独房から壁をたゝいてくる。
 コツ、コツ、コツ………………。
 こっちからも直ぐたゝきかえしてやる。
 隣り同志の壁のたゝき方は色々に変った。それはみんな我々の歌の拍子になっていた。俺ときたら「インターナショナル」でさえ、あやふやにしか知っていないので困った。相手のたゝいてよこす歌が分ると、そのしるしに、こっちからも同じ調子で打ちかえしてやる。隣りはその間、自分のをやめて聞いているのだ。そして俺のが終ると、
 ドン、ドン、ドン………………。
 と打ってよこす。――これで二人の同志の意志が完全に結ばれるんだ。
 毎日々々が同じな、長い/\退屈な独房で、この仕草の繰り返えしは一日の行事のうちで、却々重要な場面をしめている。ある同志たちが長い間かゝって、この壁の打ち方から自分の名前を知らせあったり、用事を知らせあって連絡をとったときいたことがあるので、俺も色々と打ち方の調子をかえたり、間隔を置いたり、ちゞめたりしてやってみようとしたが、うまく行かなかった。
 俺だちはお互に起床のときと、就寝のときと、飛行機が来たときと、元気なときと、クシャンとしたときと、そして「われ/\の旗日」のときに壁を打ち合った。――ブルジョワ階級が色んな「旗日」を持っているのと同様に、もはや今では日本のプロレタリアートも自分自身の「旗日」を持っている!
 ところが、どうしても残念なことが一つあった。それは隣りの同志が実によく「われ/\の旗日」を知っていることである。……いや、そうでなかった。それなら俺だって却々負けずに知っている。実は、その日になると、俺は何時でも壁を打つことで、隣りの同志にイニシアチヴを取られてしまうのだ。今度こそ俺の方から先手を打ってやろう、と待っている、だが、その日になると、又もしてやられるんだ。――九月一日も、十月七日も、残念なことには「十一月七日」にもやられてしまった。
 その日――十一月七日の朝「起床」のガラン/\が鳴ったせつな、監房という監房に足踏みと壁たゝきき上がった。独房の四つの壁はムキ出しのコンクリートなので、それが殷々いんいんとこもって響き渡った。――口笛が聞える。別な方からは、大胆な歌声が起る。
 俺は起き抜けに足踏みをし、壁をたゝいた。顔はホテり、眼には涙が浮かんできた。そして知らないうちに肩を振り、眉をあげていた。
「ごはんの用――意ッ!」
 俺はそれを待っていた。丁度その時は看守も雑役も、俺のいる監房(No. 19.)から一番離れた(No. 1.)のところにいるのだ。――俺はいきなり窓際にかけ寄ると、窓枠に両手をかけて力をこめ、ウンと一ふんばりして尻上りをした。そして鉄棒と鉄棒の間に顔を押しつけ、外へ向って叫んだ。
「ロシア革命万歳※(感嘆符二つ、1-8-75)
「日本共産党バンザアーイ※(感嘆符二つ、1-8-75)
 ワァーッ! という声が何処どこかの――確かに向う側の監房の開いた窓から、あがった。向うでも何かを云っている。俺の胸は早鐘を打った。
 飯の車が俺の監房に廻わってきたとき、今度は向うの一番遠い監房――No. 1. あたりで「ロシア革命万歳※(感嘆符二つ、1-8-75)」を叫んでいるのが聞えた。看守はむずかしい顔をしていた。――誰か口笛で「インターナショナル」を吹いている……。俺は飯をそのまゝにして置いて――興奮し、しばらくつッ立っていた。
 丁度、飯を食い終る頃だった。デッキになっている階上の廊下をバタ/\と誰か二、三人走って行く音がした。何処かの監房が荒々しく開けられた。そして誰か引きずり出されたらしい。突然、もつれ合った叫声が起った。身体と身体が床の上をずる音がして、締め込みでもされているらしいつまった鈍い声が聞えた。――瞬間、今迄やかましかった監房という監房が抑えられたようにシーンとなった。俺は途中まではしを持ちあげたまゝ、息をのんでいた。
 と、――その時、誰か一人が突然壁をたゝいた。それがキッかけに、今度は爆発するように、皆が足踏みをし、壁をたゝき出した。
 われ/\の十一月七日を勇敢に闘った同志は、そのなかを大声で何か叫びながら、連れて行かれた。俺だちはその声が遠くなり、聞えなくなる迄、足踏みをやめなかった。

     出廷

 寒い冬の朝、看守がのぞきから眼だけを出して、
「今日は出廷だぜ。」
 と云った。
 飯を食ってから、俺は監房を出て、看守の控室に連れて行かれた。皆は火鉢ひばちの縁に両足をかけて、あたっていた。「火」を見たのは、それが始めてだった。俺はその隅の方で身体検査をされた。
「これは何んだ?」
 袂を調べていた看守が、急に職業柄らしい顔をして、何か取り出した。俺は思わずギョッとした。――だが、それはお守だった。
「あ、お守だよ。」
 俺はホッとして云った。
 看守はあやふやな、分らない顔をして、
「へ――? お守?……どうしたんだ?」
 と独り言のように云った。
「おふくろがね……。」
 俺がそう云いかけると、その年寄った看守はみんな云わせず、
「あゝ、そうか、そうか、――そうだろう! 勿体もったいないことだ!」
 と云って、それを額へもって行って頂いた。それから元通りにして、丁寧に袂にもどした。
「さ、両方手を出したり。」
 看守が手錠の音をガチャ/\させて、戻ってきた。そして揃えて出した俺の両手首にそれをはめた。鉄の冷たさが、吃驚びっくりさせる程ヒヤリときた。
「冷てえ!」
 俺は思わず手をひッこめた。
「冷てえ?――そうか、そうか。じゃ、シャツの袖口をのばしたり。その上からにしよう。」
有難ありがてえ。頼む!」
「こんな恰好見たら、親がなんて云うかな。不孝もんだ!」
 年を取って指先きが顫えるらしく、それにかじかんでいるので、うまく鍵穴に鍵が入らずガチャガチャとそのまわりをつッついた。向い合いながら、俺はその前こゞみになっている看守の肩を見ていた。
 その日の出廷はもう一人いた。小柄な瘠せた男で、寒そうに薄い唇の色をかえていた。「第二無新」の同志らしかった。
 俺は半年振りで見る「外」が楽しみでならなかった。護送自動車が刑務所の構内を出てから、編笠を脱ぎ、窓のカーテンを開けてもらった。――年の暮れが近く、街は騒々しく色々な飾をしていた。処々ところどころでは、楽隊がブカ/\鳴っていた。
 N町から中野へ出ると、あののろい西武電車が何時のまにか複線になって、一旦雨が降ると、こねくり返える道がすっかりアスファルトに変っていた。随分長い間あそこに坐っていたのだという事が、こと新しい感じになって帰ってきた。
 新宿は特に帰えりに廻わってもらうことにして、自動車は淀橋から右に入って、代々木に出て、神宮の外苑を走った。二人は窓硝子に頬も、額も、鼻もぺしゃんこに押しつけて、外ばかりを見ていた。青バスの後に映画のビラが貼られているのを見ると、一緒の同志が「出たら、第一番に活動を見たいな。」と云った。
 時代錯誤な議事堂の建物も、大方出来ていた。俺だちはその尖塔せんとうを窓から覗きあげた。頂きの近いところに、少し残っている足場が青い澄んだ冬の空に、輪郭りんかくをハッキリ見せていた。
「君、あれが君たちのなつかしの警視庁だぜ。」
 と看守がニヤ/\笑って、左側の窓の方を少しあけてくれた。俺ともう一人の同志は一寸顔を見合せた。――警視庁と云えば、俺は前に面白い小説を読んだことがあった。
 警視庁の建築工事に働きに行っている労働者の話なんだが、その労働者がこの工事をウンと丈夫に作っておこうと云ったそうだ。ところが仲間に、よせやい、自分の首を絞めるものではないか、いゝ加減にやッつけて置けよとひやかされてしまった。すると、その労働者が、
「馬鹿云え。政権ひと度われらの手に入らば、あすこはゲー・ペー・ウの本部になるんだ。そのために今から精々立派な、ちっとやそっとで壊れない丈夫なものにして置くんだ!」
 と云った。そういう筋のものだった。
 小説嫌いの俺も、その言葉が面白かったので、記憶に残っていた。
 その警視庁の高い足場の上で、腰に縄束をさげた労働者が働いていた……。それが小さく動いているのが見えた。

 その日、予審廷の調べを終って、又自動車に乗せられると、今度は何んとも云えないイヤな気持ちがした。来るときは、それでもウキ/\していたのだ。
 新宿は矢張り雑踏していた。美しい女が自動車の前で周章てるのを見ると、俺だちは喜んだ。――だが、何故こんなに沢山の「女」が歩いているのだろう。そして俺が世の中にいたとき、決してこんなに女が沢山歩いていなかった。これは不思議なことだと思った。女、女、女……俺だちの眼は、痛くなるほど雑踏の中から、女ばかりを探がし出していた……。
 刑務所との距離が縮まって行く。俺だちは途中色んな冗談を云い合ったものだ。然し二人ともだん/\黙り込んできた。
「街を見たし……又、坐ってるさ……。」
 俺はそれだけをポツンと云った。そして、それっ切り黙ってしまった。
 今はモウ自動車は省線のガードをくゞって、N町へ入っていた。
 今年も、あと五日しかない。

     独房小唄

「……私この前ドストイエフスキーの『死の家の記録』を読んでから、そんな所で長い/\暗い獄舎の生活をしている兄さんが色々に想像され、眠ることも出来ず、本当に読まなければよかったと思っています。」
「でも、面会に行く度に、兄さんはとてもフザケたり、監獄らしくない大声を出して笑ったり、どの手紙を見ても呑気なことばかり書いているので、――一体どういうワケなのか、私には分りません。」
 俺はこの手紙を見ると、思わず吹き出してしまった。ドストイエフスキーとプロレタリアの闘士をならべる奴もあるもんでない、と思った。俺も昔その本を退屈しいしい読んだ記憶がある。成る程、人道主義者には此処はあんなにも悲痛で、陰惨で、救いのないものに見えるかも知れないが未来を決して見失うことのないプロレタリアートは何処にいようが「朗か」である。のん気に鼻唄さえうたっている。
 時々廊下で他の「編笠」と会うことがある。然したッた一目で、それが我々の仲間か、それともコソ泥か強盗か直ぐ見分けがついた。――編笠を頭の後にハネ上げ、肩を振って、大股おおまたに歩いている、それは同志だった。暗い目差まなざしをし、前こゞみに始終オド/\して歩いている他の犯罪者とハッキリちがっていた。
 それどころか、雑役が話してきかせたのだが、俺だちの仲間のあるものは、通信室や運動場の一定の場所をしめし合せ、雑役を使って他の独房の同志と「レポ」を交換したり「獄内中央委員会」というものさえ作っている、そして例えば、外部の「モップル」と連絡をとって、実際の運動と結びつこうとしたり、内では全部が結束して「獄内待遇改善」の要求を提出しようとしているそうだ。
 彼奴等がわれ/\をひッつかんで、何処へ押しこもうとも、われ/\は自分たちの活動を瞬時の間だって止めようとはしていないのだ。――「独房」「独房」と云えば、それは何んだが地獄のような処でゞもあるかのように響くかも知れない。そのために、そこにち込まれることを恐れて、若しも運動が躊躇ちゅうちょされると考えるものがいるとしたら、俺は神に(神に、と云うのはおかしいが)かけて誓おう――
「全く、のん気なところですよ。」と。
 第一、俺は見覚えの盆踊りの身振りをしながら、時々独房の中で歌い出したものだ――
独房どくぼうよいとオこ、
誰で――もオおいで、
ドッコイショ
………………
附記 田口の話はまだ/\沢山ある。これはそのホンの一部だ。私は又別な機会に次々とそれを紹介して行きたいと思っている。
(一九三一・六・九)

底本:「工場細胞」新日本文庫、新日本出版社
   1978(昭和53)年2月25日初版
初出:「中央公論 夏期特集号」中央公論社
   1931(昭和6)年7月
入力:細見祐司
校正:林 幸雄
2006年12月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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