俺には名前がない、但し人間が付けてくれたのは有るが、其れを云ふのは暫く差控へて置かう。
 だが、何も恥かしいので云はぬと云ふわけでは毛頭ない。云ひにくいから云はないのだ。外になんにも理窟はない、冬になれば雪が降る、夜になれば暗くなる、腹が減つたら食ふのだ、一体、理窟と云ふ物も、あとから無理に拵へてクツ付けるので、なす事、する事、始めから一一理窟で割り出して来る物ではない。
 余計な事は抜きとして、処で、俺は今年で丁度三つになつた。とは、人間なみに云つて見たので、俺の世界には歳も何も有つた物ではない。元日が大晦日だらうが、大晦日が元日ならうが、とんと、感じの無い方だ。
 次は、俺の棲つてゐる処だが、御江戸日本橋のマン中と云ひたくても、実の処、其の隅ツ子の端ツコの、八百八町の埃や塵が抜け出す穴見たいな処だ。其の証拠には、俺が居る家の門の前を、毎朝、毎晩、雨が降つても雪が降つても、乃至、太陽に黒点が表はれやうとも、不相変のゴロ/\/\/\、百五十万人の糞を車に積んで、板橋とやら云ふ方へ引つぱつて行くのでもわかる。嘘だと思ふなら試に来て見給へ。で、この辺一体の地名は、慥か、向が岡、又、弥生が岡、一名向陵、乃至は武陵原頭なんかと、洒落れて云ふ人もある。其処に六軒、カラ/\した家が並んで立つてゐる。尤も、俺が始めて此処に来た時分は五軒しかなかつた。自治寮と云ふのが家の名ださうだ。自治の城とも云ふ人間もある様だが、其実、城処の騒か、家と云ふのも勿体ない位、何時見てもカラ/\してゐる奴で、湿り気は微塵もない、それで以て、汚い事、古い事、セントルイスの博覧会にこれを出したら、蓋し、金牌物だらうと云ふ話し。筑波おろしが、少しでも※(「走」の「土」の代わりに「彡」、第3水準1-92-51)しんにゆうをかけて来ると、ミシ/\、ミシ/\と鳴り出す仕末、棺桶で無いから輪がはづれたとて、グニヤリと死人がころげ出す事もあるまいが、もし此家が壊れたら、飛び出す者は鼠一匹処の話ではない。現に、この自治寮に住つてゐる学生と云ふ人間が、其数約六百は居る。それに俺等の仲間で、此家に棲つてゐる連中が、丁度、五十位は有るから、合計六百五十位は居るだらう。俺等も人間とイツシヨに数へると、人間が怒るかも知れんが、チツとも怖くない。俺も今年で三歳子だ、金魚なら一匹十五六銭はする頃だ。甘いも酢いも、随分心得たつもりさ。
 これから、愈※(二の字点、1-2-22)、俺の記となるのだが、扨、こー話しかけて見ると、何だかボーツとしてしまつて、遠方の方で生えかけの口鬚でも見る様に、どれが鬚だか眉毛だか、彷彿として霞の中だ。誠に、今昔の感に堪へん気持がして来る。が、まづ俺が最初此処にやつて来た、其折の頃からボツ/\とやらかさうか。なに、俺だつて、もと/\こんな処に居りはしなかつたので、矢張り店屋の軒で、ブラ/\と呑気に遊んで居たのだが、丁度、今から三年前さ、同じ仲間の奴とイツシヨに十計り、此家に持つて来られたのだ。運と云ふ奴は妙なものさね、どんな拍子で、ドー舞台が廻つて行くのだか、カイクレわけが解らない奴よ。未来と云ふ物は、思へば面白い、俺等の運命をどうにでも使つて見せる。
 此の面白いと云ふのは、要するに、未来なるものゝ性質が解らんからだ。嗚呼未来乎、未来乎だ。総て、面白いとか、怖いとか云ふ奴は、其の対称物の性質不明の点に於て、尤も多く存在する様に思はれる。人間が好んで対外マツチを見るが如く、つまり、其結果の不明な意に、趣味を持つてやつてゐるのだ。又、人間は、幽霊と云ふ奴が怖いさうだが、これもつまりは、幽霊なるものゝ性質が、尾花で有るのか、杓子であるのか、乃至は、物干台の浴衣であるのか、其辺の消息に不明の点があるによつて、怖いに違ひない。
 そんな事は、どーでもいゝとして、要するに、俺が此家へ持つて来られたと云ふのは、俺の記をして、素敵な彩色を織り出さしめた物であつた。思へば、過去三年の間、可笑しい事もあつたし、愉快な事も有つたし、或は悲しい事も、辛い事も有つた。
 処で、我輩等の今の境遇はどーだと云ふと、愉快だと云ふ仲間も居るし、中には面白くないと云ふ仲間もある。しかし、俺は、愉快だとも、乃至、面白く無いとも思はんよ。何だと思ふつて、何とも思はんのさ。と云つたからつて意志が無いと思はれては困るね。面白い事と、悲しい事と、差引勘定ぜろ。此点に於て、何も思はん事となるのさ。一と二と三と加へて、一と二と三と引けば、差引勘定零。此処に於て、何も無い事となるのさ。花が咲いて、花が散つて、何も無い事となるのだ。と云つて、此の無と云ふのは、無には相違ないけれ共、絶対的の無ではない。無にして無にあらず、では有るのかと云ふと有るのでもない、何の事やら訳のわからぬ物だ。しかし、考へて見給へ、人間が此世に生れて来て、十歳で死なうが、二十歳で死なうが、乃至、百歳で死なうが、皆死んでしまふ。即、生と死、差引勘定零となるのだが、即ちこの零、即死なるものに於ては一だが、其の死に至る間のプロセスに至つては、実に、千変万化である。どんなプロセスでも、死に至ると零となるけれ共、其零となる所以のものを考へて見るのは、面白くない事ではない。否、人生の楽しむ可き処は、そのプロセスに有るのだ。プロセスの原で、人間は操られて居るのではないか。此所に於てか、此の「零」なる物の価値や、中々重大なる物と云はねばならない。換言すれば、零は同じく零であつても、零の属性が異つて居るのだ。人間は、此の属性の異なる可き処に、多大の趣味を持つて働いてゐる。又、そーしなければならないのだ。
 話が、えらく横丁の方へ這入つて居たが、扨、俺等が、此の自治寮に持つて来られた、と直ぐ分れ/\にされて、俺は北寮と云ふ処に行く事となつた。此所にも俺の仲間が五つ計り居つたが、一処に集つて居る事の出来ないのが、俺等の性分なので、一ツ/\離れて、そして、明けても晩れても、ヂツとして居るのだ。嗚呼、俺とイツシヨに持つて来られた連中は、今頃、何処にどーして居るだらうと思ふと、さすがに初旅の、心細くないでも無かつた。それに、俺等の役目は夜働くので、盗棒では無いよ、夜と云へば、総ての物は皆、地平線下に這入つてしまふ時だのに、物好きにも、一人起きてゐるのかと思へば、つく/″\、人間が恨めしい。何だつて、俺等を夜働かせるのは、人間がそーさせるからだもの。人間位、悪好者な者はない。しかも、針の穴程の知恵を持つて居て、それで、自惚加減と来たら、まるで、御話しにならない奴さ。第一人間を製造する事が出来ない様な知恵で以て、それで万物の霊長とはどーした者だ。動物には理性が無いだの、猿には毛が三本足りないだの、大きな御世話だ。乃至、鳥は空を飛ぶ物だの、飯は食ふものだの、しかも俺等の仲間は生命なきもの、意識なきもの也と、抜かすではないか、チヤンチヤラ可笑しくつて、御臍が御茶を湧かして、煮えてこぼれてしまふは、人間が勝手にこしらへた、一人ヨガリの理窟とか、道理とか云ふものを見給へ、こんな、愚にも付かん事が、よく云はれた物さ。俺見たいな物でも思ふね。人間のする事、なす事、云ふ事、皆、何等かの(仮定)と云ふ物をゆるして居るのだ。「仮定」の二字を人間から取つてしまつたら、人間はどーする気だらう。それこそ、二進につち三進さつちも、動きが取れた物では無い。学者と云ふ人間の口から、「此の仮定をゆるして」と云ふ言葉を取つてしまつたら、後には、何が残つて居るだらう。しかも、此仮定が永久に説明の出来んものだから、猶更、面白いではないか。ゼロとは何だ、一とは何、一と一と加へて二となるとは何だ、一と一とを加へ二となると云ふ仮定を「宥す」と云ふなら、一と一を加へて三となるといふ仮定も「宥され」ないと云ふ理窟は、俺等の世界には無いのだ。
 要するに、二にならうが、三にならうが、随意に宥すのだから、泥田から出て来た足さ。こんな幼稚な事で満足して居て、しかも、俺等の事は、生なき物だと云ふ人間は、どこ迄馬鹿だらう、ズー/\しいだらう。俺等の仲間で話しあふ言葉、成程、人間には解らないだらう。併し、解らないからつて、有る物は矢張り有る。昼でも空には星がある。もし夜と云ふ物がなかつたら、人間には、美しい星の輝きは、永久に見られなかつただらう。
 人間の知恵といふ奴は、大凡、こんな物だ。こんな話は抜きにして、此の北寮には、学生が七十人計り居る。但し、女は一人も居ない。必ずやなれば、洗濯屋の婆々だらう。名は体を現はすと云ふから、北寮丈に、ホク/\してゐるかと思つたが、年中、苦虫を噛みつぶした様な婆々さ。俺が北寮へ来てから二三日の間は、只ブラ/\と、さして大変動もなく暮して居たが、いやどーも、其の騒がしい事、汚い事。笑ふ、叫ぶ、唸る、泣きはしまいが、塵埃濛々然としてゐる中で、騒ぐは/\。三日目の晩、これが、俺の生涯忘れられないと云ふ日だ。なに老爺の命日だらう。それ処の話ではないさ。その晩にあつた事は、それから、百度や二百度の事ではなく有つた。現に今ありつつ有るから、俺も追々と、怖い/\から、何ともなくなり、今では面白い方になつて来たのだ。何ンしろ、来てからやつと三日目の晩だから、どーしてまだ尻が落ちつくものか。尤も、俺の尻は何時も落付かない。丁度、嫁入つた当座の気持だか、どーだか知らないが、怖い様な、悲しい様な、それが夜中の十一時過、この頃になると、電気燈連の方は、みんな寝てしまふので、俺達ばかり、眠さうな眼付でパチクリ/\。間もなう十二時、上野の鐘がゴーンと、後高に撞いてしまふと、思ひ出した様に犬の遠吠。湿つぽい風が陰にこもつて、サラ/\/\と云ふ奴。天地万象、シーンとした丑三ツの時、此所に出て来た物は何だと思ふ。無論、幽的と云ひたいが、処がさうでない。
 俺は、其時丁度、二階の梯子を上りきつた処に、ブランコをきめて居たのだ。すると此時、すぐ家の外でワッワッと云ふ人の声、ハテナと思つて居ると、だん/\と其声が、北寮に近寄つて来る。益※(二の字点、1-2-22)近くなつて来る、足音が聞える。云ふうちに梯子を上つて来る。人数は六人計り、勿論学生、コハ/″\物で覗いて居ると、其内の一人、石臼の御化け見たいな奴が、何と思つたか俺をグツと捉へて、引きずり下した。驚いてキヤツと云つたが、例の人間には通ぜぬ奴で、俺の頭を握つたまゝで、デカンシヨ/\で三年暮す、後の四年は呑んでとほす、コリヤ/\ドン/\/\/\と、足踏みをしながら、わめき散らして行くのだ。怖い者見たしで、糞落付に落付いて、ソツと見下げると、中には、俺のよく知つた奴即、北寮に居る奴で、後から解つたが、此奴の名はニグロと云ふのだ。昼間はみんなスマシタ物で、大人しさうな顔付をして歩いてゐたが、此時の様子たら、どーだ、まるで章魚坊主の調錬、顔はマツ赤、一人マツ青なのも居た。で腹を出して、鉢巻をして、中には褌一つのも居たよ。君に見せたら何と云ふだらう。非常に酒くさいと云ふ事は無論だ。その内に、とある一室の戸をガラ/\と開けて、六人がドラ/\と転げ込んだな。俺を掲げて居る石臼君がまつ先でよ、見ると、此処は寝室さ、七八人寝て居たゞらう、すると、ドーダ、今の六人の化物は、何の事ない枕を蹴とばす、布団をはねる、机を飛ばす、夢に牡丹餅ならだが、夢に章魚では一寸噛み切れないだらう。処で、寝て居る連中は、定めて驚くだらうと思ひの外、案外だつたね、何の怒る処か、但しボンヤリした、不得要領な顔付はして居たが、起されても、寂しさうな笑ひを、無理に構造して居る、何笑ひと云ふのであるか、但し、実によく馴らした物だな、と、俺も全く感心してしまつたよ。例の章魚連は、間断なく、部屋中を飛んだり跳ねたり、なに俺も止むを得んから、イツシヨに飛んだり跳ねたりしたさ。まるで天の岩屋を眼の前に見る心地。其内、大分労れて来たと見えて、一寸、静かになつて来たと思ふと、サー大変、何と思つたか、俺を握つて居た例の石臼め、窓をあけたと思ふが早いか、ヤツと、オツポリ出した。無論俺をだ。オヤと思ふ内に、クル/\と眼の球がまはる。するとボチヤン、頭をイヤと云ふ程打ち付けた、と、それきり気絶してしまつたのだ。
 フト、生気が付いて見ると、コリヤどーぢや、自分は、何時の間にやら立派な衣服を着て、人間になつて居る。眼の前を見ると、豚や、牛肉や、西洋料理は申すに不及、栗饅、煎餅、最中、に至る迄、すつかり喰ひ頃に出来てゐる。グルリと見渡すと、こゝには瓢箪形の酒の池だ。上加減と云ふので、白い煙がフワ/\と立ち上つてゐる塩梅あんばい。何処からともなく音楽が聞えて来る。ホワイトローズの香は、室内に充ち/\て、気も心もとろけ出してしまひさう。と、こんな事は嘘さ、それ処か、実は、何時の間にやら夜があけて居て、よく/\見ると、俺は一人で草の中に寝て居るのだ。併かも、頭の処に大怪我をして居るが、余り痛くもない。雀の子が、チユー/\と二三羽飛んで来て、珍らしさうな顔付をして、俺を見て居る。「オ早つ」と云はうとしたが、声を出す元気も無い。ボンヤリして居ると、頭の中に浮んで来るのは、昨夜の大難だ。化物が踊つてゐる処から、枕を蹴り飛ばす処、それから、石臼が俺を窓から投げ出した事。俄然、グイと、俺を引つぱり上げた者がある。又かと思つて、南無阿と云ひかけたが、フト見ると、俺を捕まへて居るのは、俺と仲の好い、小使の雑巾爺さ。ヤレ/\と胸を撫でて居ると、小使の奴は、何やらブツ/\と云ひながら歩いて行く。俺は、左の手にブラ下つて居たのだが、右の手の方を見ると、それにも俺の仲間が三ツ計りブラ下つて居る。どれも怪我をして居る様だ。妙な事も有る物だと思つてゐる内、何処だか、暗い部屋へ、イツシヨに投げこまれてしまつた。
 すると、どーだ、此処にも俺の仲間が、六ツバカリ坐つて居るではないか。しかも皆、同じ様に怪我をして居るから妙だ。「イヨー」と挨拶すると、向ふは「ヨー」と気のない返事をする。何の事やら解らない。まづ、ヤツと腰が落付いた様だから、つら/\見渡すと、天窓からさし込んで来る、ボンヤリした光線の中に、俺等の仲間が、今やつて来たのも加へて、総計十二居る様だ。そろひも揃つた仏頂顔でスマシテ居る。スルト、俺の向ふ側に坐つて居た奴が、「貴様等もトー/\来たね」と云つた。其声が、馬鹿に優しかつたので、俺も元気付いて、定めて驚くだらうと、得意になつて、昨夜の一部始終を話したのだ。併し、此奴のみならず、側に坐つて居る連中も、スマした物で、丁度、生徒の講義して居るのを、先生が聞いて居る様な顔付で、解り切つた事だ、と云はぬ計り。すこぶる俺の癪にさはるのみならず、バツがわるいので、「君は何時此処へ来たのですか」と、少し大きな声できいてやつた。すると、「何時つて、今度で四度目さ」、どうだえらいだらうと云ふ鼻付、何がえらいのか俺には解らぬ。「フーン」と不得要領な返事をして居ると、中で「俺は三度目さ」と云つた奴がある。「俺は二度目だ」と云ふ声が続いて出た。五ツ六ツこんな事を云つた。どれも負けぬ気と見える。負けたつて、どーでもいゝではないか。二度なら遂に二度、一度なら遂に一度ではないか。要するに、二が一になれはすまいし、一度が二度になれはすまい。太陽と月と、どつちが好いと云つた処で、太陽は矢張り太陽だ、月は矢張り月だ。外の連中は、皆こんどが始めてだと見えて、だまつて居る。何となく座が白けて来る。沈んで来る。皆、怒つた様な面をして居る。俺はこのめ入ると云ふ程、気に向かん事はない。沈んで居つても一日、浮んで居つても一日、白けて居つても一日、黒けて居つても一日、乃至、怒つても一日、笑つても一日だ。沈んで白けて怒つて居るよりも、むしろ、黒けて浮んで笑つて居る方が、何ぼーいゝか解りやしない。徳利よりか瓢箪、と云ふのが俺の主義、さうさ。主義だから、早速、俺の左に坐つて居た奴を捕へて話しかけた。「君もこん度が始めだね」と、聞くと「そーだ」と云ふ。「どんな風だつたい」と、チヨツカイをかけると、すぐかかつたね。「矢張り君の話の通りさ。だが、君とは又、変つた事もあつたよ」と来た。「なる程」と答へると「君の時は六人ださうだが、俺の時は一人だつた。しかも其奴の色の黒い事、漆を塗つて其上に油をかけて、又、其上に磨きをかけて、そして、サハラ沙漠で一年乾かした、と云ふ奴だ」「なる程な」、「時は十二時過よ。君と同じ様に、寝室に這入つて騒いだね。しかもこの沙漠先生、頗る付の話し好きと見えて、ドツカと坐りこんだなり、いや話すは/\。笑つて見たり、怒つて見たりの一人舞台だ。此間約一時間。なに俺は、側でぢつと居眠の練習さ。スルト沙漠先生、ヒヨロ/\と立つて、ガラス窓をあけたと思ひ給へ。丁度、昨夜は十五日だ、満月さ。虫は鳴かなかつたが、皎々たる盆大の明光、中天に懸つて水の滴りさうな奴。長天繊影なく、大他閑寂たり、清爽寥然として向陵一夜秋懐深してんだ。起きて居るのは、例の沙漠先生と、憧々どうどうたる俺ばかりさ。突如、ザーと飛瀑の音を聞き得たり。何と思ふつて、小便の音さ。しかしそー笑ふ勿れだ。此の時程俺は、美くしう感じた事は無かつたよ。全く美化されたね、俺も沙漠先生も、殊に小便がだ。小便をするはすべからく此時に於てす可しだ。名月、沙漠男、慥に俳句にはなるよ。美と云ふ奴は妙なもので、とんでもない物が、非常な美と変化する事がある。尤も、裸体が美の真髄だなど云ふ、此頃ださうだからね。悪に強きものは、善にも強しと云ふと、えらく寺の和尚の説法めいては居るが、全くだ。要するに、非常な極端と極端とは、又、尤も近い物で有つて、其間の差は、到底、認める事が出来ん。咲き揃つた万朶の花と、それから、散つてしまつた花とは、一は繁栄の極で、一は凋落の極だが、其咲いてそして散る時の美、考へて見ると、分秒の間髪を入れない処に有る刹那だね。知つてるかもしらんが、「見渡せば桜の中の賭博哉」と云ふ句が有るが、此時の賭博は、ずんと美しいではないか。此の間髪を入れずと云ふ処が面白い。ヤツと云ふ間に頸が落ちる、と云ふ処が面白い。頸の有る人間と、頸の無い人間と、それが、たんだ、ヤツと云ふ間に定まると云ふ、イヤ面白いぞ/\。
 扨、其続きだが、小便の音もぢきにんでしまつた。と思ふ内、沙漠先生、何と思つたか俺を捕へた。と、それから後は君と同じ。グル/\のボチヤンさ」「オヤ/\そーかい」、中々小むづかしい事を云ふ奴だな、と思つて居ると、向うの方に居た奴が、「そーあんまり驚かない様にしろ、これからそんな事は毎夜だよ」此の赤毛布奴あかげつとめ、と云ふ顔付。古毛布め、何をぬかすと思つたが、此奴、一番眠気覚しにしてやらうと思つたから、「そーかね、君等は随分古顔だから、中々面白い事が有つたでせうね」と云ふと、遂々やり出した。「そりや有るさ。君等に話した処で、到底、まだ解らんだらうが、未だ、これから、生末の長い君等だから、随分、後学の為にもなるであらう、忘れない様に、聞いて置いたらよからうさ。俺は、此処に来てから四年になるのだ。始めて来た時は、東寮と云ふ処に居たのだ。君等は未だ見ないかも知れんが、此寮なぞよりはズツト高い三階だ。三階は三階でも、(三界に身の置き処なし三世相)と云ふ奴で、監獄と思へば余り間違ひはないよ。大きい丈に、生徒の数も二百計りは居る様だ。数が多いだけに又、変つた事も大有りだ。さうさね、随分話しになりさうな事はあるが、ヲーさうだ、君等は未だ、人間の死ぬる、勿論、自殺する処を見た事はあるまい。――なに五六遍見たつて。それはえらい。なんだ例の鐘や太鼓の調子でやるのだらうて、何の事だいそれは。芝居でだつて、馬鹿にするない、そんなケチ臭いのではないよ、赤毛布を被つてソロ/\匍ひ込む、そんなではないのだ。さすがは、高陵の健男子とか云ふ丈に、立派な物だつたよ。あゝ、今思ひ出しても、気の毒でならんわい。丁度、今から一年前だ。秋風蕭殺の気が、天地に籠つて、涼しい/\が、寒い/\にならうと云ふ時、死にそくなつた狂蝶が、まつ白な桜の返り花に、冷たい残骸を乗せて居ようと云ふ頃、一夜、矢張り十一時過ぎ、俺は三階の窓の上で、暫く無我のていだつた。ツイと、何気なく下を見ると、窓に立つてゐる人がある。青白い月光に、片頬丈ゲツソリとこけたのが、透き通る様に見える。しかも、眼にキラ/\と輝く物は、露か涙か、初めには君等の知つてる、例の化物連中かとも思つたが、容子がどーも変だ、一口も物を云はないで、立つてる事半時計り。俄然、ヒラリと動いたと思ふが早いか、窓から、大地に向けてツルリ、真つ逆様、ドタリと音が聞えたきり、向陵は、又も寂寞に帰つてしまつた。勿論、自殺さ。此時の俺は、人間では無いが恐ろしかつたね。どーして死ぬ気になつたであらう。さつきから、開いたまゝの窓の処を見てゐると、ボヤツと見えるのは、今のゲツソリ頬のこけた人の顔だしかも半面鮮血淋漓、ゾツとして眼をしばたゝくと、窓は矢つ張りあいたまゝで、斜に、月の光が画の様。三階から飛び降りて死ぬる、何としたはかない運命であつたらう。三階が人を殺す道具にならうとは、蓋し、何人も始めから思ひ付く人はあるまい。三階とて人間の棲む処だ。それが、人を殺す処となる。俺は、いろんな事を考へて見た。刃、剣、鉄砲、毒薬、病、これ等は、吾々が人を殺し得る物と、普通に知つて居る物だが、人を殺すものは、どーして、それ処では無い。手拭でも殺せる、棒でも殺せる、足でも殺せる、瀑に落ちても死ぬる、噴火口に這入つても死ぬる、戦争でも死ぬる、乃至、三階でも死ぬるではないか。地球上、至る処は死に道具で満ちて居る様に思はれる。吾々は、如何なる処でも、何を以てでも、どう云ふ方法でも、直ちに死ぬる事が出来る。吾々が呼吸してゐる、空気を吸ふのは生きる所以で、吐き出すのは死ぬる所以か、乃至、吐くので生きてる、吸ふので死ぬるのか。どつちに転んでも、すぐ死ぬるのだ。吸うたり、吐いたり、其処で吾人は生きて居るではないか。吾々は、死なうと思へば、何時でも死に得る。それを、危い呼吸で生きて居るのではないか。死ぬると云ふ事は、何だか、この呼吸の面白さを解して居ない様に見える。しかし、俺の考が間違つてゐるのかも知れない。想像は想像を生み出して、止む時がない。死ぬる事ばかりでは無く、総ての事柄は、此の呼吸でやつて行く様だ。ヤツと云ふ間に、舞台は、クラリ/\と変つて行く。過去六十年の歴史は、此のヤツと云ふ呼吸から出て来た火花だ。両国で花火を見る時、パンと音がして、サツと幾百条の赤い光線が出る。光線は即人間の歴史で、美くしい面白いが、其パンと云ふ音の方が、俺には面白う思はれる。宇宙は、総てこの「パン」「サツ」で以て出来てゐる。「パン」を知つたら、「サツ」は解る。「サツ」を見ても、「パン」は中々解らない。此の頃は、眼で殺される人間も有ると云ふが、此の「パン」「サツ」を知らないからだと思ふ。
 自殺から、とんだ話になつたが、まだ/\面白い事が有るよ。君等は未だ日が浅いから、此処に居る生徒の気質なども、よく解らんだらうが、中々、面白い処があるよ。俺はさい/\例の化物連の御かげで、と云ふのは、化物は俺を忘れて行つてくれたからで、自修室に、二三日も遊んで居た事があるが、いや中々の面白さ。君が居る北寮の、四番室と云ふ処に居つた時も、随分愉快だつたよ。あすこには、慥かに五人居たと思つたが、今でもそーか知らん、支那人も一人居つた様だ。人数は少ないが、騒いで、唸る、踊る、喰ふ、しかも議論がすさまじい、イヤ、ともすると、真に口角泡を飛ばして、まるで烏賊の墨を吹く様、汚なくて、はたには寄り付かれない始末だ。或日の事、中の騒人、頭の馬鹿に大きい男が、少々、風の気味と云ふので、切りと、猫の様なクシヤミをして居る。すると、其すぐ向ひ側に居た色の白い男が、平生、毒舌を以て自任して居るさうだが、「風邪を引く様な不景気な奴は早く寝てしまへ」と云つたのだ。処が、それから大議論さ。「引いた物は引いた物だい」と大頭が云ふ。全く怒つて居た様だ。「引かない物は引かないさ」、と白頭は軽く流す。「貴様は、風を引かないのを得意として居るけれ共、そもそも、世人皆風邪を引かざる時は、風邪薬屋は如何せんだ。貴様はドダイ個人主義だからだめだ。二十世紀は、社会(全体)主義でなくてはいかんよ。世の中は、一本立では遂になる能はず、寄りつ寄られつ、吹きつ吹かれつ、と云ふ処で以て社会あり、国家有焉さ。貴様には、自分の睾丸より外には無い物と思つてるからいかん。凡て、社会(全体)主義なるものゝ有難さを、君等見たいな個人主義者に、例を以て示してやらう」、「成可くなら食物の例でたのむよ」と、白頭が茶化す。「え、黙つて居ろ。君等も十人十色と云ふ事位は知つて居るだらう。要するに、十人十色とは「異」と云ふ事を通俗的に云つたものだ。「異」とは、即「異」で有つて「異なれり」だ。凡そ宇宙間に同じ物は一つもない。なに有る、何だつて、君と大頭とは同じ物だつて、よせ、馬鹿野郎!」白頭は笑ひながら曰くさ「それは笑談だが、実際、僕は有ると思ふ。近い処が、男と女とは同じものだ。夜と昼、天と地、美と醜、君の財布と俺の財布などは、皆同じ物だ。試に云はんだ、今世界に男と云ふ者が無かつたならば、如何なる者を女と云ふやだ。同じく女が無かつたら男も無い。要するに男と女は同じ物だ。美人と云ふのは醜人があるからなのだ。醜が無かつたら美は無い。美が無かつたら勿論醜もない。美醜こゝに於て一なりだ。君の財布と、俺の財布が同一物なる事は、君も知つてるだらう。要するに、親と云ふのは、子が有るから云ふので、子が無かつたら親は無い。親が無かつたら、無論、子は無い。即、子と親とは同一物だ。此所に於て、親の物は子の物なり、と云ふ推定に到着するのだ。も少し本を読んで来給へだ」、すると大頭、怒るまい事か「馬鹿云へ、そんな黒白同一論位は、小学校の時に読んでしまつて、今では忘れてしまつたのだ。第一、そんな拡充の異つた言葉を捕へて、俺の目を眩惑させよーとした処で、支那人とは少し違つてらい。も少し本を読んで来いだ。そんな足台の暗い論はよして、俺の云ふ事でも、筆記して置くべしだ。処で、其の何だ、宇宙間の物総べて異なつて居るのは真理なのだ、で、思ふにだな、どーして斯う異つて居るだらう。同じ物が一つも無いとは、不思議の極ではないか。しかしよく考へて見ると、此処が即我が社会(全体)主義の、尤も有難き所以なので有つて、異つて居ると云ふのが、即、御互ひに相依らなければならないと云ふ所以なのだ。今社会、少なくとも本郷辺の人間の顔付が、みんな同一恰好になつてしまつたとして見ろ、其の混雑はどーだらう。鐘や太鼓で以て「我夫わいのー」「我妻わいのー」「我兄わいのー」で、探し廻らんければならぬ。さ、かう云ふ混雑のない為に、チヤンと様々な異つた顔付に作つて有ると云ふのは、どーだ、人間が社会的、相対的動物なる可き最大証拠ではないか。未だある。此総ての点に於て、異つて居ると云ふのは、畢竟ずるに、あらゆる進歩が生じて来る処であつて、異つて居る処が、平和に、静穏に行く唯一の所以で有るのだ。笑つてばかり居る人も有らう。怒つてばかり居る人もあらう。泣いてばかり居る人もあらう。しかし、かく異つて居る処で平均が取れて行く。皆人間が笑つてばかり居たり、もしくは怒つてばかり居たらどーだ。或は、弥次くつて、饒舌しやべくり廻る人もあらう。黙つて寝て居る人も有らう。走つてる人もあらう。歩いてる人も有らう。かく異つて居るから、万事平均が取れて、うまく運びが取れて行くのだ。もし皆が弥次くり廻つたり、饒舌くり廻つたりして居たなら、其騒ぎはどーだらう。以上に述べた通り、人間がかく総ての点で異つて居ると云ふのが、即、人間は社会(全体)主義者ならざるべからず、相対的ならざる可からざると云ふ所以の物だ。君の如き白い頭にでも、大分これで解する処が有つただらう。即、我輩が風を引いたる所以も解つたであらう。風邪を引いた者もあり、引かぬ者もあり、即之、進歩のある所以、平和のある所以、平均のある所以、相対的なる所以なりだ」
「イヨー、中々くはしい説明だね。併し矢つ張り風は治らん様に見えるな」と、白頭がヘラズ口を叩いて居る時、カラ/\と戸を開けて帰つて来たのは、今迄留守で有つた仲間の一人だ。馬鹿に痩せた処が幽霊じみて居るので、幽霊とも、ネーベルガイスターとも云ふ名ださうな。今迄、ムキになつて居た二人は、俄に向きなほつて、「帰つたか」と云ふ。幽的は「オー」と云ひながら、成程、幽霊的な細い手を袂に入れて、掻き廻して居たが、「ソラ」と云ひながら、大頭の前に何か投げ出した。「何だ」と云ひ乍ら大頭は、つと其物を見たが、俄然、大きな顔に壊れる様な笑顔を見せて、「有難い、君ならなくてだ、浮んだよ」と云ふ。「其の大頭がか」、と白頭は笑ひながら、其或物を手に取つて見せたが、其処には、「風邪薬実効散」と書いて有つた。幽霊は得意気な顔付をし、傍に立つてスマして居る。成程、柄に無い親切な男だな、と俺も思つた。しかし此の親切も、金が有る時だけかも知れん。すると白頭は、矢張り口が悪い生れ付きかもしらんが、大頭に向つて「君、この薬は一服散と書いて有るぜ。一服丈呑まなければ治らないと見えるぜ」、と云ふと、「馬鹿な、一服丈なんて奴があるかい。一服で治らなかつた時は二服呑むんだ」と大頭は云ふ。「処が、そーで無い。見給へ、二服呑めばもとに帰ると書いて有るよ」、と白頭が真面目で云ふ。と幽霊が、「三服呑めば死ぬると書いてあるだらう」と笑ふ。すると三人が一時にドツと笑つた。俺も可笑しかつたから、だんまつて笑つた。
 支那人は、スマシタ顔をして、鏡と首引をして居る。スルト、又ガラ/\と戸を開けて残りの一人が帰つて来た。図書館に行つて居たと見えて本をかゝへて居る。これは又、馬鹿に色の黒い奴だ。室に入るや否や、「オイ何処かへ行かう、腹が減つておへぬ」と云ふ。「金は有るかい」と白頭が、嘲弄的の横目を見せる。「有る/\」と幽霊が、スマシタ顔付をして云ふ。話しは直にまとまつて、何だかワヤ/\と云ひながら、四人で部屋を出て行つた。隣の部屋の時計は九時を打つた。四人は何処へ行つたのか、支那人は不相変、夜だか、昼だか解らん様な顔をしてゐる。つい眠くなつたので、俺もツルリと寝込んでしまつた。
 と、云ふ様な様子さ、中々面白かつた。
 其のあくる日も愉快な事があつた。学校は二時半迄だと見えて、それ迄はソハ/\して居る様だ。二時半の鐘が打つてしまふと、四人がノビ/\した顔をして帰つて来た。一人は手紙を書き出した。一人はサンドーをふつて居る。一人は財布をひろげて居る。一人は窓からボンヤリ眺めて居る。スルト窓の外から、「ドーダイ」と云ひ乍ら、顔丈出した奴が居る。「どーした」と白頭が云ふと、「今日は旧同室会だから残つて居るのだ」、と云ひながら、肱立をして窓を越えて部屋に這入つて来た。しかも靴のまゝだから驚く。よく見ると、顔の黒い、汚い容子をして居る。しかも其背丈が約四尺もあらうか、「チビ」と云ふ名ださうなが、成程、浅草者だと、俺もつく/″\感心して、出来る事なら、親の顔も見てやりたかつた。併し「チビ」先生は、土足でも、すこむるすました者で、話す、笑ふ、煙草を吸ふ、勉強もしないで饒舌くつて居る。何だか、又、議論が始まつた様だ。
「君はそんな事を云ふが、ハイカラと云つても、必ずしも排斥す可き者では無い」、と白頭がチビに向つて云つた。「勿論、我々は蛮カラを以て自任して居る。大人君子、向陵の健児にして理想としてゐる物だから、蛮カラーは大いに賞す可しだ。が、併しだ、君だつて花見に行かぬ事はあるまい。月を賞せぬ事は無いだらう。今、ハイカラーを見るにだな、頭の髪をスツカリと奇麗に分けた処は、丁度、雌浪雄浪がドー/\と、寄せては返す如く。雪の様に白い、しかも高いカラー、折目のシヤンとした洋服で以て、スラリと立つた所は、第一奇麗ぢや無いか。我輩は敢て華美を云ふのではない。清潔を云ふのだ。清潔は我四綱領の一つを占めて居る。翻つて、バンカラーを見るにだ、尤も近き例は君さ、モシヤ/\と味噌玉に菌の生えた様な頭で、シヤツのボタンはまるで無しさ。帯は割けてゐる、袴はポロ/\さ。おまけに異様な汚臭を放つに至つては、公平な眼を以て、決して左袒さたんする事は出来ないよ。我輩、豈敢て形式のみを云はんやだ。成程、天真爛※(「火+曼」、第4水準2-80-1)は好いさ。しかし、今世界の人間がすつかり、マツ裸で往来したら何と思ふ、我輩が決して疑はない真理が有る。即「美は隠すに有り」だ。早い話が、今もし僕が君に向つて、「大馬鹿め、死んでしまへ」と云つたら、仮令たとい、友人の情で怒らぬかもしらんが、面白くないだらう、さ、其れを心に隠して居て、何も云はない、知らん顔して居る、と云ふ処で何事も美くしう行くのではないか。美は隠すに有りだよ。なんだか矢たらに形式にばかり走ると思ふかもしらんが、そーではない。と云ふのは、此ハイカラなる者は、僕は無邪気だと思ふ。即悪気と云ふ物がない。即悪う云へば、少々御目出度い方かも知らんが、天真だと思ふ。頭を分けて、たのしんで居る処は無邪気ではないか。以て愛す可しだ。反対で、蛮カラーと云ふ奴は、表裏は天真ラシイかも知れないが、僕はどーも陰険だと思ふな。かう云ふと君は蛮カラ也、故に陰険也と来るかもしれんが、君丈は例外だ。之は証明するのは苦しいが、慥に、一筋繩では行かぬ人間だ。えらい奴も有らうが、悪党もきつと蛮カラーに有るよ。だから僕は蛮カラー親しむ可からず、ハイカラー愛す可しと云ふのだ。どうだい」、水でもほしいと云ふ顔付だが、可愛さうに、此の大議論に誰も耳をかたむける者がなかつた。
 かれこれする中に、四時になつた。すると「チビ」は「僕はもー行かう、失敬」と、又、窓から出て行つた。まるで猫だ。「ヤイ、余り呑むな」、大頭が首を出して笑つた。室の中は、今の「チビ」が穿いて来た靴の泥で、すこむる汚なくなつた。「汚いなー、どうも通学生は個人主義でいかん。自分が居らんからつて、まるでメチヤだ。通学生位、癪にさはる奴は無いよ」と、コボしてゐるのは大頭だ。しかし実を云ふと、俺の見てる中に、此の大頭先生も窓から出た事があつた。
 人間と云ふ者は、得手勝手な者だな、と、俺はつく/″\思つた。得手勝手と云ふ事は、欲目と云ふ事だ。贔負目ひいきめと云ふ事だ。贔負目と云ふのは、善い事が悪う見えたり、悪い事が善く見えたりする事だ。自分がえらく思へたり、露西亜が自分で強く見えたり、月が太陽より大きく見えたり、星が笑つて居る様子に見えたり、菫が泣いてる様に思つたり、昼よりも夜が明るく見えたり、西瓜が幽霊と思へたり、汽車よりも自動車が早い様に思へたりするのも、皆、此の得手勝手から生ずるのだと思へば、得手勝手も、中々詩的な物だと、俺は一人考へて居たのであつた。
 扨、こんな様子で、俺は二三日、四番室で遊んで居たが、目に見えて感心したのは、此の四人だ。そりや中々悪口もつくし、悪戯もするが、もと/\悪気が有つてゞは無いので、其中のいゝ事は、まるで一心同体だ。起きるのも諸共、騒ぐのも諸共、甘い物を喰ふ時も諸共、寝るのも諸共、俺もつく/″\羨ましい位であつた。話しは、中々これ位な事ではない。併し、随分長話をした様であつたが、少しは君等には解つたかい」と、これで四年目の先生の話は終つたのであつた。「いやどーも大したもので」と、実は俺も内心此奴の経験の複雑なのに、少々感心してしまつた。他の若い連中も、皆感心して居る様だ。すると、又、口を切つた者がある。
「俺も君等に、自慢話をして聞かせようかな。俺は四年君とは、少々方面の異つた方で、四年君が旅順と云ふなら、俺の方は沙河とでも云ひたいね」鬚があつたらひねりたいと云ふ処だが、生憎あいにく、鬚もなければ手も無いから致し方がない。「其れは聞き物だな」、一同がおだてると、其の話しは次の様であつた。
「実は、俺がこれ迄行つてゐた方は、小使部屋、雪隠、湯殿、などの方面だつた。俺が初めて来た折は、西寮の小使部屋へ持つて行かれたのさ。勿論小使部屋だ、マツチ箱の様な中に持つて来て、角火鉢、大薬鑵、炭取、箒、寝台、布団、机、鈴、乃至茶碗、土瓶、飯箱、鉄串に至るまで、まるで足の踏み処も無い始末、もし火事が始まつた時には、小使はキツト焼け死ぬるに異ひないと思つた。秋小口はさうでもないが、追々と、富士山が白うなつて来る頃になると、小使部屋の火鉢にだん/\と、炭をたくさんつぎ出す、それと共に、生徒がこの狭い小使部屋に押しかけて来る。小使の椅子をチヤンと占領してしまつて、火鉢をグルリツと取りまく。尤も、こんな事をやるのは古い生徒ばかりだが、すると小使は、法螺貝の中から追ひ出されたヤドカリと云ふ見えで、傍にシヨンボリと、斑になつた小倉服を衣て、寒さうに立つて見てゐる。コツチは一向頓着なしで以て、笑つたり、うなつたり、小使なる者の存在は、もとより眼中に無いので、時によると、国から可愛い息子に送つて来た餅だの、魚だのを持つて来て、鉄串で焼いて喰ふ。皆、狼の様な連中だもの、御溜りコボシが有るものか、あはれ息子に、あの可愛い息子に喰はせようと、はる/″\送つて来た餅は、支那の様に、見る間に蚕養せられてしまつて、肝心の息子様は、ヤツト一つ、呑みこんだか呑み込まんかと云ふ有様、もし、ソロ/\噛んで居ようものなら、それこそ、半分も此の息子は喰はなかつたであらう。俺はつら/\考へたね、決して江戸に出て居る息子なぞに、餅を送つてやつたりする者ではないと。
 或日の事で有つたが、朝から、ドン/\と云ふ大雪、小使部屋は従つて素敵な人数、小使は壁の方に押し付けられて、小さくなつて居る。も少し押したら、小使は大方、壁の中に塗り込まれてしまふだらうと、心配した程だつた。従つて、話も随分始まる。一番火鉢の傍にかまへて居た、化物見たいな生徒が、「そー、メチヤ/\に云ふ程でもない、酒を呑むつて、決して害計りは存在して居ないよ」と云つた。調子が、馬鹿に高かつたので、フイと耳を傾けると、「総て君、物には両面ありさ。楯の表裏も古い話しだが、行くと云ふ裏には帰ると云ふ奴が隠れてゐる。上ると云ふのは下ると云ふのを意味して居る。要するに、燗徳利主義と云ふのだ。とは、其れ燗徳利は銅壺の中に、這入つたり又出たり、出たり這入つたり、這入るのは即出るにある処、出るは即這入る処と云ふのさ。何しろ、善い処と悪い処とは必ずクツ付いて居る物だ。一がいに、冬を寒いと云つて炬燵に尻を焙つて居る快楽を無視するのはいかん。成程、酒はストーム、始めてか知らんが、昨夜、君等が見たと云ふ化物連の事を、ストームと云ふのだ。其のストームの玉子かも知れん。だが、ストームの快不快、利不利は別問題としてもだ、酒なる物が、所謂、大人君子連に、与へて居る利害の点に関して、ストーム以外に、猶大なる物があるであらうと思ふ。我輩は、酒その物が悪いと云ふ事を、しば/\聞かされたが、此のその物が悪いと云ふ事は、根本的に云ひ得ない事だと思ふ。これは丁度、太陽その物が好いとか、悪いとか云ふのと同じで、全く、ノンセンスの話さ。即、我輩が述べたいのは、酒と吾々大人君子の境遇と、此の相互間の接触上に出て来る利害だ。其利害を云ふに付て、一応、我輩の所説、勿論、酒以外の、に付て聞いてもらはんければならない。
 抑、吾々人間は、嗜好性と云ふ物を有してゐる。嗜好性を有して居ない人間は決してない。其嗜好してゐる物の、性質が高尚だとか、卑しいとか、高いとか、低いとか、そんな事は別問題として、兎に角に、人間には嗜好、何等かの嗜好がある。否、此嗜好が無ければ、人間は生存して居る事が出来ない、と云つても過言では無いと思ふ。吾々が、朝から晩迄、嫌ひな物計りやらされて居つた日には、どうして生きて居たいと云ふ考は出て来ない。此の嗜好、自分が好きな事をやる、と云ふ点で以て、人間は生存して居るのだ。所謂、生きがひが有るのだ。此の嗜好は、人間の生命と云つてもよい。斯様な大切な物であるからして、もしかゝる嗜好が、他人からして奪はれる、取られてしまふ、もしくは、無くなると云ふ様な場合には、必ず、第二の、それに相応する、或は、それ以上の嗜好を求めんとして、働く、否遂に求めなければ止まないのだ。これは、事実を以て示さなくとも、解る筈だ。処で、吾々の今の状態はどうだ。成程、大人君子には相違ないけれ共、此の大人君子は、青年と云ふ大人君子だ。青年とは、他の言葉で以て云ふと、嗜好が非常に多い時代だ。何でも一寸気に向いた物は嗜好してしまふと云ふ時代なのだ。猫も来い、杓子も来い、と云ふ時だ。成程浅いかもしらぬが、広いさ。かう云ふ時代に当つて、所謂、大人君子なるものに、酒と云ふ嗜好を与へて見るとする。すると其結果はどうだらう。此所で一寸、酒の性質に付て云ふ可き必要がある。酒ぐらゐ微妙な物は無い。詩的な物はない。酒を呑むと云ふと、妙に気が大きくなる。六大洲は掌位にしか見えた物では無い。酒を呑んで中には泣く奴も有らう、怒る奴も有らうが、まづ大抵の者は、非常に愉快になつて来る、面白くなつて来る、無邪気になる。千鳥足になつて来る。こんな一種云ふ可からざるミステイカルな性質を以て居る物は他には有るまい。扨、斯う云ふ素敵な、面白い、愉快な酒なる者の趣味を、嗜好の馬鹿に多い、吾々大人君子に持つて来て与へるのだから、猫に鼠だ。忽に酒が好きになるのと云ふのは、無理もない話だ。其結果はどうだらう。勿論、学生の境遇だから、毎日はやれないが、一週間に一度位宛、金の有る時は、同好を誘つて、酒を呑みに行く。愉快になる、無邪気になる、豪傑気取になる、大きくなる、菓子が嫌ひになる、シルコが厭になる。凡そ、僕が知つてゐる酒党連中の経路は、以上の通りになつて行くのだ。此処で又考へて見るに、吾々の今の境遇で、酒の外に、猶、一層、強い嗜好力を有してゐる物が他に無いであらうか、と云ふと、それが大に有るのだ。しかも、大に危険なる物が有るので有る。処でだ、今此の酒党から、酒を呑むと云ふ嗜好を奪つてしまふと、其結果はどうで有らう。到底、其嗜好を取ると云ふ事は出来ないかも知れぬが、まづ出来るものとして見ると、其結果は、それ、酒以外に於て、それ以上に危険な嗜好を求めなければ遏まない、と云ふ事になるは必定だ。かく云ふと或は君等の内に、そんな浅薄な議論はやめにしろ、小供に菓子をやつて置くのは、決して最後の目的では無い。君の云ふ事は、甚卑劣な、弥縫びほう策に過ぎない。君は、酒の嗜好を奪へば、他の危険なる嗜好に走ると云ふけれ共、元来、酒を呑まぬ者はどうする。況んや、酒が、吾々の身体、脳力、理性、品格等に及ぼす大害に至つては、到底、容易たやすく云ふを得ない。近くばストームを見よ、などと、我輩を攻撃するかも知れないが、我輩は尚、君等の説に、賛成する事は出来ない。酒を呑まぬ人間とは、即酒を呑んでも呑めない、遂に酒の味を解する事が出来ない人間であるから、こんな人間は、酒に付て、かれこれ云ふ資格の無い者である。盲目は遂に向島の桜を語る可からずだ。一寸、云つて置きたいのは、酒を呑むと云ふ事と、大酒をすると云ふ事を混用してもらつては困るよ。過度と云ふ事は、総てに於ていかん。豈独酒のみならんやだ。それから、君等が云ふ酒が身体等に及ぼす害だ。此の害と云ふ奴も、随分六かしい説明を要する事だらうと思ふが、少なくとも、僕の知つてる処では、酒(大酒ぢやないよ)は、決して吾々の身体に、害を及ぼさないと確信して居る。医師が云ふ事などは勿論、吾々の眼中に無い。と云つて、頑冥インノセントブライド野蛮人、ガリ/\亡者と思つては困る。要するに、医師と云ふ者は、出来る丈命を延ばしたいと云ふ処を目的として、割出すによつて、少しでも身体に、害になりさうな奴は、ドシ/\、否定してしまふのだ。しかし吾々人間が、如何なる状態に於てもかまはず、匍つて居ても、寝て居ても、出来る丈、長命をすると云ふを以て、最終目的とす可きであらうかどうかと云ふ事は、中々むつかしい問題だ。僕に云はせればだ、春雨に叩かれながら、猶、枝にクツ付いて、まつ青に恨めしさうな梅の花よりも、寧ろ一夕の狂風に、満枝をアツサリと辞して去る桜花をこのむのである。現に医師の身知らずを実見するに至つては、御本人も、桜花をこのむと見える。短かい小便を垂れて、小さい糞をして、百迄生き延びた処で何になる。大飯を喰つて、大糞をたれて、定命五十年で、アツサリとやりたいではないか。かうなつて来ると、物の利害と云ふのは、君等の云ふ利害とは、少しく性質を異にして、来はしないかと思ふ。僕の云ふ処は、或は間違つて居るかも知れないが、僕は自ら好む処に随つて行くのみだ。糸瓜となつてブラ下らんよりは、西瓜となつて喰はれたいと云ふ奴だ。余けいな事だが、我輩が、屡※(二の字点、1-2-22)、禁酒会員とか、禁酒会とか云ふ事を耳にする、この位可笑しい物はないと思ふ。酒屋連中と喧嘩する考へかも知れないが、甚以て意を得ない。早い話がだ、我々が、生徒会と云ふ物を作つて学校に行くとして見る、こんな馬鹿な事が有らうか。学校に行くのは、生徒会員でなくとも、生徒会員であつても行くのだ。生徒会が無けらねば、学校へ行かないと云ふ奴は、余程の馬鹿では無いか。禁酒会員なるものは、意志薄弱会、とでも改名した方がいいだらう」。酒でも一杯飲みたいと云ふ顔付。此時、「ヲイ食堂があいたぞ」と云ふ者がある。此一声で、蜘蛛の子を散らす如く、小使部屋は見る間に寂寞としてしまつたのであつた。
 君等も、一度は小使部屋に這入つて見る可しだ。中々面白い事がある。だが、門衛の処も随分愉快だよ。全体、八時で禁出入とか云ふのださうだが、大嘘だ。九時になつても通る、十時になつても通る、十一時、十二時になつても出入するよ。なに、札なんか裏返すものか。門衛の奴も、余程、呑気な奴でなけらねば出来る商売ぢやないね。朝から晩まで、壁を眺めて居たり、小便をしたり、人形を書いて見たり、新聞広告を読んで見たり、それで、夜中に寝てから迄、起きて出て戸を開けねばならないなんて、目出度い奴さ。それで以て、時には、生徒に虐待せられる事も有るのだもの。さうだ昨年であつたか、或晩、十一時も既に打つてしまつたので、門衛君が今や門を閉ぢようとした時、ヒヨロリ/\と帰つて来たのが、生徒の奴さ、イキナリ「ヤイ門衛、俺の名を消せ、ケケケ消さぬか、野郎!」、門衛の、其のテカ/\した頭を、ポカリと御見舞申さうとした時、又、やつて来たのが一人の生徒さ。これは酒に酔つて居ないと見えて「ヤイ、待て/\、何だ」と、酔つて居た奴を抑へると、「放せ、放せつたら放せ、門衛の奴、自治の何たるかを解せない、見ろ、俺の名を消さんとぬかすのだ。かるが故に、一本ポカリと」、「まー待て、そりや君が悪いよ、大人しく帰つて寝ろ」、「何、俺が悪い、貴様も又、自治を解せないと見える。俺の言ふ処を暫く聞けだ。夫れだね、夫れ自治なるものは、一年や一年半、寮に居たとて、解る物ではない。少なくとも三年、多くは、四年居らんければ解らない。之を換言すれば、自治は無規則なり、規則無き也だ。而し、只之丈では、君見たいな一年級は、誤解を来すだらう。無規則とは、要するに之、一種の規則であるのだ。『規則が無い』規則と云ふ規則なのだ。抑、自治には三階級がある。第一は真正の自治だ。第二は半自治だ。第三は似而非自治と云ふのだ。勿論、自治の目的は、この真正の自治となる処にあるのだけれ共、到底、吾々は真正の自治と云ふ物を見る事は出来ない。如何となればだ。追々むつかしくなるよ。如何となれば、前にも云つた通り、自治とは、無規則なりだから、人間の社会に於て、規則も何もなくなる。換言すれば、全くの平和的社会、理想的社会、トルストイが云ふ様な、無規則な社会と云ふものが、眼の前に現はれる時があるだらうかと云ふに、之は決して無いのだ。人間が二人以上、生存して居る間には、決してかゝる社会は出て来ない。即、真正の自治と云ふものは、人間消滅後に於て、実現し得可きものであるのだ。処で、其次が半自治と云ふ奴だ。吾々の自治寮は、即ちこの半自治の状態に有るのだ。半自治とは、換言すれば、規則が有つたり無かつたりと云ふ状態なのだ。我が自治寮の自治と云ふ奴は、今云ふ様な朦朧体である。ボンヤリした物である、以て行はれ易き所以なりだ。併し、此のボンヤリ体、行燈体と云ふのは、尤も面白い奴で、自治はどうしても、此の行燈体でやらなくては成功しない。馬鹿に大きな火をおこすと餅が焦げてしまふ。ヌル/\と焼く処で甘く出来るのだ。あつちに寄つたり、こつちに寄つたりで、舟は航海が出来る。天気になつたり、雨が降つたり、照つたり降つたり、降つたり照つたり、ボンヤリした処で、甘く調子が取れて行く。此所に尤も味が有る処で、此処を一つ考へなければならないのだ。甚だ、君等には要領を得にくいかも知らんが、大賢は市で騒ぐと云ふ事もある。瓢箪の様な、ノラクラした中に、チヤンと腹のククリが有る。あの、括りがえらい処なのだ。動中の静、静中の動だか、よくは知らないが、人の顔立でもさうだ。目付が勝れていゝとか、耳がすぐれてよいとか、鼻がスラリとして居るとか、さう云ふ事は無いけれど、ボンヤリした顔全体その物に於て、立派な顔とか、美くしい顔とか、認める事が出来る。我自治は、半自治なりさ。此に於て、消したり、消さなんだり、門衛の頭を殴つたり、殴らなんだりと云ふ、面白いだらう。ヤイドーダ」と、矢鱈に舌なめずりして居る。云ふ中に又、ドヤ/\と這入つて来た四五人の生徒に取まかれて、酔つた人も、酔はない人も、遠くの方に行つて仕舞つた。こんな事は、毎晩の様にあるよ。えらい饒舌つて、少々くたびれた様だが、誰か又、話しをする奴はないかな」とこれで第二の先生の話しも終つたのであつた。
 が、皆思ひ合した様に黙つて居て、何とも云ふ奴はない。こんな話しを聞いたり、聞かされたりして居て、此の暗い部屋の中に、二週間位も居たであらう。すると或日、小使がやつて来て、皆を連れて、怪我を治しに連れて行つてくれた。二三日もして、怪我も全快したので、又、寮へ帰つて、職務につく事になつた。
 思ひ起せば、この事があつたのは丁度三年前、それから、二度冬を越して、又、二度春を向へたが、其間、或は、東寮に居つた事もあるし、南寮に居た事もある。小使部屋にも居つた。怪我も五六度やつた。が、まだ、人の死ぬる処は見た事がない。尤も、妙に思ふのは、俺が来た時に、一番胆をつぶした、ストームが、其後、何十回となくやつた性か、今では至極、愉快になつて来て、三日に一度位無いと、何となく物足らない気がする。従つて、生徒の中には、随分、昵懇な連中が出来た。尤も仲のいゝのは化物、狼、ニグロ、辨慶、幽霊、章魚なぞだらう。云ふ内、今夜でも、此の連中が来て、連れて行つてくれはしないだらうかと、心待ちに待つて居るのである。これで今日迄の「俺の記」は終りとする。
 最後に、俺の名前も、既に解つたで有らうが、念の為に、人間が俺に付けてくれた名はランタンと云ふのだ、と云つて、そして筆を擱かう。 (終)
三十八年二月十九日

底本:「尾崎放哉全集 増補改訂版」彌生書房
   1972(昭和47)年6月10日初版発行
   1980(昭和55)年6月10日増補改訂版発行
   1988(昭和63)年10月20日増補改訂二版発行
※底本編集時に編集部の入れた注記(誤植が疑われる語句の正しい形、または編集部の追加したルビ)は除きました。注記のあった箇所は以下の通りです(底本ページ数―行数 該当語句)。
○P171―L1 「盗棒」全体
○P171―L3 「悪好者」の「好」
○P176―L11 「黒けて」の「黒」のルビ
○P178―L10 「生末」のルビ
○P197―L9 「性か」の「性」のルビ
入力:門田裕志
校正:高柳典子
2006年1月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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