一

「おばあさんがいよいよ來るんですとさ。」
 私はひとごとのやうに云つて、彼の顏色をチラと窺つた。
「來られるのかね。」
「來るときめてゐるらしいわ。」
 私達夫婦は何事につけてもあまり多くを語らない。大きな卓の向うで、彼は僅かな言葉を洩らす間も、たいてい何かを讀んでゐる。私は傳へなければならない僅かをやうやうの思ひで云つてしまふと、いつもの癖で、目を硝子戸の外に向けた。つい先達て汗だくになつて刈込をした楊梅やまももの枝枝には、茜とも鳶ともつかぬ色のつややかな葉が、可愛らしくもう出揃つてゐる。空には淡い白雲が、動くとも見えない。がその切れめには更に淡い、紗を振つたやうな一群が、押されるやうななだらかさで流れ過ぎて行く。上層にはごく僅かな動きがあるらしい。音なき音樂だなと私は思つた。と同時に自分自身の心中には、それとは凡そうらはらな雜音がもの凄く錯綜してゐるのを意識した。
 ――おばあさん、伊東へ來るといいな。
 そもそもさう云ひ出したのは彼の方だつた。
 ――こんなお魚があるのに。
 ――うちに温泉が出てゐるのに。
 さう云ふ彼の顏色を私はチラと窺ふばかりだつた。これは彼の歌かも知れない。のみならず自分自身の母を呼ぶことは、よほど考へなければならない。彼の母も私達の家へ來たがつた。そしていよいよ迎への車が着いた時には既にこと切れてゐた。私は彼の母をろくに見なかつたことで、よく心苦しい思ひを味ひ返す。おばあさんが話題になる場合はわけても心苦しくなつてくる。だから私はおばあさんに、彼がかう云つてゐます、ああ云つてゐましたと傳へただけで、是非いらつしやいと自分の言葉で勸めたことは一度もなかつた。そのうち空襲が激しくなつてきた。多摩川に近い郊外は安全とはいへない。
「老人疎開といふこともあるのだから。」
 まともに彼にさう云はれて初めて私は、自分自身の誠意も籠めて、ともかく危險の去るまで安全率の高い伊東へお越しになつたらと書いて送つた。だがその時のおばあさんには良郎といふものがあつた。風來坊の此次男はお酒と、それから四十過ぎて貰つてぢき別れた細君のことで、おばあさんにずゐぶん苦勞をかけたものだつた。がお酒のどうにもならなくなつてからは、俄然孝養到らざるなしになつてしまつた。おそらくひとり身の彼にとつては古陶のやうなおばあさんが凡ての寄りどころとなつたのであらう。茉莉花や菊をつくるのの巧かつた彼は、食糧事情が窮迫して來るにつれ、そら豆とか莢豌豆とか菠薐草とか、さういつたおばあさんの口に合ふものの方へ轉向して行つた。本業はロシア語で、アルツィバーシェフやゴリキーの飜譯もあるのだが、書架にはだんだんバーバンクとかミチューリンとかがのさばり出した。おばあさんの隱居所は長男の邸内の片隅に在るのだが、本家で百姓につくらす野菜は枯れがれなのに、隱居所の縁先はいつも青あをと、心丈夫な眺めだつた。おばあさんはかう考へたのに違ひない。良郎は自分の爲にあれほど氣を入れて畑をつくつてゐる。それを見棄てて伊東へ行くのは可哀想だ。のみならず本家の嫁は伊東から招きがあつたと洩らした時、ああ行らつしやいまし、あとは貸して、おばあさまにお小遣を送つて差上げますと云つた。すると自分が動けば良郎は住ふところを失ふわけになる。そんな想ひの果だらう、おばあさんは、やはり此處にゐるといふ返事を寄こした。
 だがその良郎は空襲の怖れもなくなつた年の暮、不意に死んでしまつた。縁先の菠薐草は雪の中でも不思議なほど青あをと旺んだつたが、たうとうそれもおしまひになる頃には圓の切りかへといふことが來た。慣れた女中がついてゐるとはいへ、九十三歳の頭で此難局に處して行くことは不可能といつてよかつた。といつておばあさんは長年のしきたりで、つい目の先にゐる長男夫妻には一切ものを頼まない。頼まない限り夫妻の方も知らぬ顏で押し通す。そのうち慣れた女中にぼつぼつ縁談がかかつてきた。それでも本家の世話になるのはいやなのださうだつた。
 ――私もこれからは三度に一度はパンを食べます。だんだんパンを二度にします。そのうちには三度共パンにしてもいい覺悟で居ります。おすがり申すのは天にも地にもお前樣よりほかないのですから、どうぞお見棄て下さいますな。
 古風ながら九十三歳にしてはしつかりし過ぎたペン書きで、おばあさんはそんな手紙を寄こすやうになつた。侘しくなるとおばあさんは、もう伊東から來てくれる頃だといふことにしてしまふ。それから、明日は來る筈だといふことに一人できめてしまふ。一日待ち、二日待ち呆けるうちだんだん氣力が衰へてくる。夏の初めにはそんなことからたうとう病氣になつてしまつた。早く癒つて伊東へ行きませうねと私はおばあさんを慰めた。が病後のおばあさんに三時間餘の汽車旅行が出來やうとは思へなかつた。ところが九十三歳のねばりは案外強い。おばあさんは不思議と早く癒つて、もう足ならしの散歩を始めたと報告してきた。それから間もなく、殘暑もだいぶしのぎよくなつたから、かねての望み通り伊東へ伺ひたいが、御都合はいつがいいかと切り込んできたのである。――
「來るのなら天氣の崩れないうちの方がいいな。」
 彼はちよつと硝子戸の日ざしに目をやり、それからごちやごちや物の置いてある二間ふたま續きを見※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)して、
「おばあさんはきつと、オヤオヤ大變なお道具ですねつて云ふよ。」とおばあさんの聲色になつて笑つた。笑ひながら立つてトントン二階へ上つて行つた。さつきから硝子戸と反對の北側では、ワアワア、ホームホームと昂奮した喚きが斷續してゐる。二階の窓からまともに見下せる運動場で、スポンヂ野球が始まつてゐるのだ。東京で頭のひどく忙しい彼は休日に草野球を見ることで轉換を計つてゐるらしい。彼が二階に落着いたのを知ると私は大きな卓に書簡箋を擴げ、本家の快諾を得られたら、次の日曜の早朝立つことにして、自分は前夜からお迎へに上る旨の返事を認めた。それから、長いこと女中のゐない女中部屋に行き、部屋の半ばを占領してゐる食料品の整理にかかつた。

       二

 遺骨と喪服とで身動きもならぬ小田急だつたが、氣の毒な一團の去つたあとは急にがらあきになつてしまつた。ほつとして腰を下すと、硝子のない窓から吹き入る風が後れ毛を眼の上へ叩きつける。それを拂ふ拍子に私はふと、出入口の方から私の靴を見てゐる進駐兵のあるのに氣付いた。此服には此靴しかないと思つて穿いた紺の變り型なのだが、汚い下駄の並んだ間では目に立つ代物だつたかも知れない。私は氣付かぬ振りで別の方に目を向けた。GIがもう一人車内を睨めながら釣革でぶらんこをしてゐる。彼はふと吊る下つたまま頭を低くして窓外の雲を覗き、天候に就いて何かつぶやいた。さつきから私も雲行の不穩なのを氣にしてゐたところだつた。明日の午前中だけでも、もつてくれればいい。おばあさんは何しろ米壽の時以來電車などには乘つたこともないのだから、何處まで乘りこたへられるか判つたものではない。何事につけても降られたのでは困る。――
 雲の切れ目がすうつとひらけたと思つたら、電車はもう多摩川の上だつた。私は網棚の風呂敷包を下し、手提を左の脇に挾んで、バランスを取りとり出入口の方へ歩いて行つた。まだ釣革でぶらんこをしてゐるGIは私の近づくのを見ると、不意に手と體躯とでアーチをつくつてくれた。
「オー・サンクス」と反射的に口の中が動いただけだつたが、するとさつき靴を見てゐたもう一人は、不意に又頭の上で、
「東京まで行くのかと思つてたのに。」と云つた。東京とは新宿の意なのであらう。
「どうして?」
「その如くに見えた。」
「でも、東京の家は失つてしまつた。」
「オー、でこのあたりに住んでゐるのか。」
「さうぢやない、母を訪ねるのだ。」
「オアウ!」
 彼の青い目は急に故國の母の方に向けられたやうだつた。きつとまだ若い母親であらう。私は、訪ねる母が九十三歳だといふことが彼に考へられるかしらと思つた。それからふと彼國の大統領の母堂が、たしかおばあさんと同年で、飛行機でワシントン入りをしたといふ記事を思ひ起した。ことによるとおばあさんも案外平氣で、おばあさんにとつては長途の旅を乘り切ることが出來るかも知れない。
 目の前の扉が開いたので私は稍浩然と、振り向きもせず歩廊に降り立ち、そのまますたすたと階段の方へ歩いて行つた。

       三

 うつむいて又想ひに陷ちながら日暮の並木路に出ると、
「奧樣奧樣」とがさつな女中の聲がして、意外な近さににこにこ顏が現はれた。「御隱居樣はさつきからお待ちかねでございますよ。わたくしちよつと登録にまゐつてまゐりますから、――すぐ戻ります。」
 私は前日おばあさんから屆けて寄こした手紙に、女中と行くから迎へに來るには及ばないとあつたのを思ひ起し、さう書きながら待ちかねてゐるところはやつぱりおばあさんだなと思つた。
 玄關を開けて、
「お待遠さま。」と快活な聲を送ると、坐つたままのやうな姿勢でよちよちと現はれたおばあさんは、――何といふ目の輝きだ。私は胸を打たれる氣がした。おばあさんはそれほどまで此日を待つてゐたのだ。それほどまでおばあさんは侘しかつたのだ。
「まあまあよく來てくれましたね。」
「おばあさん大丈夫ですか。」
「ええ、ええ。何處といつてどうもないんですよ。自分でも不思議なくらゐ。」
「御本家では何と仰しやつて?」
「私が行くと云ふものを、何が云へるものですか。二三日温泉に入つてくると云つたら、あわててね、せつかくいらつしやるのだつたらゆつくりなすつた方がと云ふんですよ。」
「それはさうですよ。二三日ぢや疲れに行くやうなものぢやありませんか。」
「さうですかね。向うぢやとてもよろこんでるんですよ。目の上の瘤がなくなると思つてね。」
 おばあさんは九十三になつてもまだ口の毒を失つてゐない。私は包を引寄せて、
「これはあしたの朝あがるお魚、これはお辨當の甘いパン、これは疲れた時に召し上る葡萄糖、これは熱いお茶を入れて行く魔法壜、それからこれは、おさつ――」
「オヤオヤもうおさつが出ましたか。まあまあ、これだけ揃へるのは大變だつたでせうね。」
 おばあさんは冴えざえとした目にもう一度輝きを加へ、明日の遠足で心もそぞろの如くだつた。
「いつもはもうお休みの頃ぢやないの?」
「ええ、でも、――」
「今夜はいつもよりよけい休んどいていただかないと、――」
「なに大丈夫ですよ。お午にはうなぎも食べたし。」
「よくお手に入つてね。」
「美耶川さんが持つてきて下すつたんですよ。伊東へ行くのならしばらく會へないからといつて。」
「何て御親切なんでせう。」
「さうさう、お風呂が沸いてるんですよ。あなたお入んなすつたら?」
「おばあさんこそ早く入つてお休みなさい。私は御本家に伺つて來なくちや。」
「さうですね。來ると云つてあるから、待つてるかも知れませんね。」
 私は又「來るに及ばぬ」を思ひ起し、苦笑せざるを得なかつた。
 本家では夫妻も子供達も何かいそいそと私を迎へ入れてくれた。私は平素の無沙汰を詫び、接收の惧れの去つたらしい悦びを述べると、本家は財産税に就いての長い愚痴になつた。
「今度はおばあさんが御厄介になりに伺ふさうで、どうも、――」
「いえ。でもおばあさまは何と仰しやつてらつしやいましたか。」
「昨日見えてね、痒いところがあるから二三日温泉に入つてくる。そりやいい。しかしどうして行らつしやると訊いたら、伊東から迎へに來る。――でも明日は日曜で混みやしませんか。」
「通勤者はないわけでせう。私は又おばあさまがお出かけになると云つたら、こちらでお送りでも下さるのぢやないかと思つて、わざと日曜を選んだわけでもあつたのですが。何分お年のことですから、途中どんなことがないものでもない。」
「なに大丈夫でせう。」
 本家はのんきさうにさう云ふうち、ふと、追放令以來めつきり氣力を失つた顏に内心の狼狽を滲ませて、
「あつしも近頃は年でね、驛の昇降にも自信がないくらゐなんですよ。だからおばあさんをあつしがおんぶして行くといふわけにも行かない。代りに幸夫をやれるといいんだが、明日はあいにく舊師の謝恩會か何かあるとかで。」
「いいえ、いいんですよ。おばあさまには豫め事を分けて御本家にかうかう申し上げてくれと手紙を出しておいたのですが、九十三の頭ではそれをこちらへお傳へすることも御無理だつたのに違ひありません。私は親子のことですから、假令どんなことがあつても、何と云はれても、お氣持に添へさへすればそれでいいんですが、血の續いてゐないものには一應の形をつけないとと思つたものですから。その代りおばあさまが又こちらへ歸りたいと仰しやり出した時には、幸夫さんにでもお迎へに來ていただけますでせうね。」
「そりや、電報でも打つて下さればすぐ。休みの日ならいつでも、――おい、幸夫、幸夫。」
 本家は幾分何かを發散するやうに大きな聲を立てて、復員して以來妻子と二階住居をしてゐる長男を呼び下した。そして今までの話を丁寧に繰り返し、いつでもおばあさまのお迎へに行くことを約束させた。私は本家があまり素直で、弱氣で、我慢強いのを頼りないなと思つた。で出來るだけのことはするつもりだが、不屆のあつた場合の詫は先に申し上げておくと繰り返し云つた。
「しかしあんたも大變でせう。おばあさんは米しか食はんのだから。」
 伊東から運ぶのよりは樂だと出かかるのを私は危ふく押へた。そして毒の出ぬうちにといとまを告げた。
 おばあさんは床の中で私の歸りを待つてゐた。が、ざつと浴びて出てきた時にはかすかな鼾を立ててゐた。私は女中と小聲で明日の打合せをすませ、早くしまつて寢るやうに云ふと、座敷に※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)つて、次兄の書架の前に佇んだ。おばあさんはおそらく伊東に落着くことになるだらう。おばあさんがゐないとなれば、此家に再び來ることはないだらう。すると私には、おばあさんをあんなにも大事にし、死水まで取つてもらつた次兄の遺物を此家に置き殘すのは、しのびがたいことのやうに思はれた。彼は死ぬ一週間前、おばあさんの使ひも兼ねて伊東まで來た。二泊してくつろぐ間に、おばあさんとの生活の將來に就いて、しんみり相談をかけたりもした。私はその時の兄の何か生氣に乏しかつた面持を思ひ浮べ、少年少女の昔から何でも話し合つた仲なのにと、その人のもう亡いことがひどく悲しくなつてきた。書架の前にはおばあさんの明日着るものがきちんと重ねてある。が其處らに漂ふ書物の匂ひは兄の體臭に近かつた。私は身内に何かの滲み入るのを意識しながら、一度すつかり目を通した筈の本の背を、お名殘の心で上から順に見て行つた。數段を占めてゐる露語の大册は、とても讀めたものではない。ただモスクワからやつとの思ひで取り寄せて、しばらくは抱いて歩いてゐたミチューリンだけは直ぐそれと判つた。せめてこれだけは伊東まで、――おばあさんと私の傍へ伴れて行つてやらう。私は豪華なその一册を自分自身の胸に抱き、疊の上に寢そべるやうにして、古ぼけた洋書のつまつてゐる最下段をのぞいた。センツベリーとか、ゴルスウァージーとか、ソーローとか、私が學生時代に讀み、外遊の際兄にあづけたものが、ひどくくすんで飛びとびに挾まれてある。それらは私から離れて二十餘年、兄の生活につきまとつてきたわけである。私はその數册を拔き出して伊東へ持つて行くことにした。

       四

 五時半に仕度を終へ、臺所口から本家へ挨拶に行かうとすると、もう下駄をつつかけた本家が、送るから早く出かけろと、手と顎とでヴェランダの上から云つた。私は一度引込んで納戸から玄關へ拔け、おばあさんのしやちこばつた足に草履を穿かせた。女中はざつとお勝手を片付けて、あとから驛に走るとのことだつた。おばあさんのよちよちに調子を合せておばあさんの表札のかかつてゐる隱居所の門を出ると、早朝の並木路に本家夫妻はもうおばあさんを待つてゐた。二人はおばあさんを私の手から奪ひ、雙方から抱へるやうにして歩き出した。
 雲は低いが、立木とすれすれの東の空には一刷けのオレンヂ色が光つてゐる。風といふほどの風もない。どうやら私の望み通り、今日一杯はもつてくれさうな模樣である。次兄の靈もきつと途次を守つてくれるだらう。私は出がけに一枚掴んできた小型の座蒲團を手堤と一緒に小脇に抱へ、片手にはお辨當の包を提げて三人六脚のあとに從つた。外に出てみると、うそのやうに小さいおばあさんだつた。おばあさんの背中は直角に近いほどに曲つてゐる。曲つた背の上に眞白なオールバックがぴかぴかと光つてゐる。記憶に殘るおばあさんの母親も美しい顏立だつたが、おばあさんは九十三だといふのに、いまだに冴えた目と正しい鼻とを保持してゐる。此系統は私達の代になつて、それぞれに崩れてしまつたのだ。私は綺麗なおばあさんを伴れて行くことが誇らしくもあつた。
 驛の階段を登るおばあさんの足取は驚くべき速さだつた。左右から抱へ上げるやうにしてもらつてゐるのだが、おばあさん自身の一生懸命さで足は先走りして見えるくらゐだ。大柄な本家主人はまだしやつきりしてゐる。が本家の背中はおばあさんの輪郭をそのまま擴げたやうである。私はよく似てゐながら少しも相容れぬおばあさんと本家とが今日だけ、――永の別れになるかも知れない今だけ手を取り合つてゐるのを見て、いつたい何が原因でかうまで意地を張り合ふ仲になつたのだらうと、今更不思議でならなかつた。本家と死んだ良郎とは少年時代から犬猿も啻ならぬ間柄だつたので、次兄の生きてゐる間は孝養を盡してくれるものへの義理から本家とよそよそしくしてゐるのかと私は思つてゐた。が不幸の直後本家から一緒にならうといふ話の出た時、おばあさんは顏色を變へて、いやだと云つた。それ以來今日まで本家は隱居所の生活に指一本觸れない態度のままだつた。だが私から見れば、今は追放令下にしよんぼりとしてゐるが、一時は華かな官僚であり、有望な政治家ともみえた長男の傍から、謂はばその日暮しの末女の私の疎開先へ死にに來るおばあさんを、幸福だとは思へなかつた。おばあさん自身にしても、二三日とか一週間とか云つてみるのは、世間への本家の顏を立てる爲で、内心は未知の伊東へ死にに行くつもりなのに違ひなかつた。私はおばあさんの一生懸命な足取を見るにつけ、悲壯といつたやうなものも感ぜざるを得なかつた。
 駈け拔いて切符を求めると、私は一度三人について歩廊まで降りたが、女中の分の切符まで持つてきてしまつたのに氣付いて、もう一度改札口の方へ戻つて行つた。ちやうど其處へ、よそいきのモンペに早變りした女中が、息をはずませながら走り寄つてきた。時間はまだ充分あるのだからと劬りながらもう一度降りにかかると、オレンヂ色の薄光をまともに受けた三人が、帽子を手に持つた一人の紳士と挨拶を交してゐるのがだんだんに見えてきた。本家の世話になつたことのある人ででもあらう。
「温泉に入りたいといふのでね。ハハ。」
 本家はちよつとうつろな笑聲を立てた。紳士は本家が何か云ふ毎に、うやうやしい目禮をおばあさんの方に送つてゐる。かうした場面を見ると私は、おばあさんが知らぬ土地に行つて寂しい思ひをしなければいいがといつた氣持になつた。
 小田急の一番にはもう坐るところもなかつた。女中に手を曳かれて乘りこんだおばあさんは、まだ發車前なのに乘つた餘勢でよろよろと車臺の中央まで行つてしまつた。やつと其處で立ち止ると、目の前にかけてゐた人の好ささうな國防色が、すぐ立つておばあさんをかけさせてくれた。するうち、
「お氣をつけ遊ばして。」
 張り擧げた本家夫人の聲はまだ殘つてゐるやうなのに、電車は容赦なく夫妻を置き去りにしてしまつた。私は席をゆづつてくれた好人物に一應の禮を盡すと、
「おばあさん大丈夫ですか。」とおばあさんの上に跼みかかつた。
「何ともありませんよ。」
 おばあさんは幾年ぶりかの電車もうれしさうな面持である。
「上にお坐りになつたら?」
「この方が樂です。」
「風が入りすぎはしませんか。」
「ちやうどこれで、愉快です。」
 私は愉快ですに思はず聲を立てて笑つた。絹のワンピースで私は稍汗ばんでゐるのに、おばあさんはセルに紋附の一重羽織で涼しい顏をしてゐる。
「窓の外は見ないやうにね。お目がくらくらするといけませんから。」
 おばあさんはにこにこしたまま、素直に車内の乘客に目を向け變へた。だが、だいぶすいてきた車内の男女は、おばあさんに見られぬさきから、ともすると視線をおばあさんに集めがちだつた。九十三とは知るまいが、ともかく大變な高齡者が小綺麗に、きちんとかけて、うれしさうな顏をしてゐるからであらう。
「今日はおばあさんも御滿足でせう、あんなにしてお二人に見送られて。」
「いくらか氣が咎めてるんですよ。昨日は珍しく、お小遣はあるのかと訊きました。」
「で、なんて仰しやつたの?」
「まだ間に合ふからいいと云つてやりました。」
 おばあさんはそれで勝つたといふつもりらしかつた。私はちよつとにがい笑ひになつた。おばあさんの貯金帳には次兄の遺物ゐぶつを賣り拂つたお金が、三百圓そこそこしか殘つてゐない筈だつた。思へば彼の急死以來よくも今日まで女中を使つて暮してきたものである。おばあさんの頭の中は日日の營みの爲一時として安らかではなかつたのに違ひない。その疲れとこの行き詰りとが伊東行の望みに拍車をかけることになつたのであらう。
 小田原と熱海の乘換では、女中がおんぶする豫定で、その爲何一つ持たせず出てきたのだつたが、おばあさんは終點に降り立つと、歩くと云つて杖を持つ手に震へるほどの力を入れた。登りの階段さへ殆んど一氣だつた。私は幾年もの間狹い隱居所の中をよちよちしてゐるおばあさんしか見たことがなかつたので、何處に祕めてゐたのか此異常なエネルギーには目を見張らざるを得なかつた。
 休日の汽車は案じたほどにも混んでゐなかつた。熱海では待つてゐる目の前に貨車の廣い戸口が停つた。
「これに乘つちやひませう。此處に坐つて行つた方が却つて樂かも知れませんよ。」
 私はさつさと先に上り、小脇の座蒲團を凸凹のない通路の中央に敷いた。
「さうとも。」
 不意に背後で景氣のよい男の聲がした。
「此處に乘るのは利口者だよ。特別席なんだから。」
 見ると赧ら顏が三人、各自に一升壜を立て鼎坐してゐるのだつた。
「おばあさんはいくつかね。」
「いくつに見えます?」
「八十、――さあ。」
「九十三なのですよ。」
「九十三? そいつあ國寶ものだ。へえ、九十三! 人間はうまいものを食つて長生するに限る。」
「とんだ食ひつぶしもので。」
 おばあさんは横からひよいと口を出した。
「そんなこたねえ。しかしおばあさんはうまいものを食つてるね。あつしや食物商賣だから、入つてくる人の顏を見りや、およそどんなものを食つてるか、ちやあんと判る。こいつを一つ食べて下せえ。砂糖入りの乾パンだ。」
 堅さうだつたが受取つて渡すと、おばあさんは端の方をちよつぴり折つて早速口に入れた。それをふくんでおばあさんはおちよぼ口を目立たぬほどに動かしてゐる。海から來る光線を受けてその唇は赤兒のそれのやうに美しかつた。かうまで年をとると食物も幼兒のと似たものになるから、肉體の組織も赤兒に還つて行くのかも知れない。さういへば私は、母といふよりは子を伴れて汽車に乘つてゐるやうな氣持でもある。おばあさんは幼兒の如く無心にそして安全に、隧道一つ越せば二驛めがたうとうもう伊東なのである。私は數日來の肩の凝りが少しづつ解けて行くのを意識した。

       五

 扉を引きながら
「ただいま。」と我ながら歡喜に充ちた聲を放つと、顏から先に彼は唐紙の蔭から現れた。
「やあよくいらつしやいました。豫定通りにいつたわけだね。さあ早くお上んなさい。」
 彼は今朝までのあひだに二間續きの模樣を變へ、次の間の窓際に經机を置いて、おばあさんの席をつくつておいてくれたのだ。おばあさんは初めて通る家のさまに、ちよつとの間きよとんとしてゐたが、席に坐ると稍自分を取り戻したらしく、
「とんだ御厄介ものが上りまして。」と丁寧に白い頭を下げた。
「やあ、御覽の通りの侘住居でどうも。」
「どう致しまして、大變お立派な。まあまあ大變なお道具でございますね。」
 私達は顏を見合せて笑つた。
「どうぞおくつろぎなすつて。」
「一週間ばかり温泉に入れていただきます。」
「さう仰しやらないで、御ゆつくりなすつたらいいでせう。少くとも寒い間は。」
 おばあさんは彼の打診を終つてほつとしたらしかつた。
 女中がしこたまつくつてきたお握りを皆で食べ終ると、私はおばあさんを無理に寢かしつけ、寢不足の女中も女中部屋で休ませた。彼は又二階へ野球を見に行くといふ。では表を締めて出るからと、私は本家へ安着のウナを打つべく臺所口に靴を※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)した。石段の下に寢そべつてゐたクロは氣配に勘付くと、むくむくした胴體を破れた毬のやうに彈ませ、とたんにゲーゲーといつもの咳になつてしまつた。もう十四年も私達と生活を共にしてゐる彼は、そのうちの十年間胸にフィラリアを飼つてゐるわけなのである。目が醒めればゲーゲー云ふ。うれしいことがあつてもゲーゲーが始まる。何か食べたいとか、玄關に入れてくれとか、夜中に用を足しに出たいとか、さういつた要求の表現もゲーゲーなのである。ごく稀にワンと聞えると、
 ――あら、クロがワンて云つてるわ。
 ――なまいきに。
 私達は目を見張つて、そして笑ひ出すのである。前日からの何かを賭してゐるやうな心勞で私は相當まゐつてゐたが、クロと歩くことで、――一晩寂しい思ひをさせたあと一緒に歩いてやることで、私はいくらか立ち直るのを覺えた。行人はゲーゲーに吃驚して振り返る。ゲーゲー犬が聾なのを知つてゐる惡童は不意に横から石を投げつけたりする。これはおばあさんと同樣守つて行かなければならない存在なのである。
 ゲーゲー云ひながら、そのわりには元氣よく先行するクロを私は久しぶりにしみじみと見て、犬としたらクロはおばあさんより上かな下かなと訝つた。若い間は芝犬の標準に近い形の、喧嘩にひどく強い犬で、そればかりでなく鷄を殺したとか、兎の檻を壞して盜み出したとか、武勇傳も決して少くない方だつたのだが、今は耳も折れ、尻尾も垂らしがちで、やつと歩く子供達にまで無害な生物と信じ込まれてゐる。頭にはだいぶ白いものが混つてきたし、昔はピンとしてゐた脊骨も今はおばあさんのとは反對に、土の方向へつてきた。人間の背中の曲るのは頭骸の重量に堪へなくなる爲だと聞いたことがあつたが、クロの脊骨は内臟の重みを支へきれなくなつてきたのかも知れない。私は子のない代りに老犬と老女の面倒も見ようといふ自分自身に苦笑せざるを得なかつた。
 歸途は學校の運動場を拔けて、そこから二階の彼に何か合圖をしてみるつもりだつた。が、ちやうど自家の二階と向き合つてゐる横門の間に立つと、遙かな窓に低く現はれてゐるのは、彼ではなく、おばあさんの白い頭だつた。

       六

 一月經つた。おばあさんは彼のつくつてくれた一隅にすつかり腰を落ちつけ、紙を揉んだり、絲を捲いたり、今しまつたものの在所を忘れて探しものをしたり、一坪弱位のところで行儀よく生活してゐる。私は經机のあつた窓際に箪笥を半分だけおばあさん用として出し、その上に亡兄の寫眞を飾つた。すると彼は木肌が白じろしてゐると云つて、スマトラの布をかけてくれた。彼とおばあさんとは不思議にうまが合ふらしい。老年の域に入りかけてゐる彼は、九十三歳といふものに一つの興味を感じてゐるのも事實だ。
「まだまる四十年も生きなくちやならないんだよ、君。」と彼は訪ねてきた社の人に云つた。「君はあと五十年か、ハハ。それも大人になつてからの五十年だぜ。」
 客は困つたといふやうな表情になつて、
「お耳も遠くないやうですね。」
「ええ。目も針の針孔めどが通らないくらゐのことで、新聞ぐらゐは讀めるんですよ。」
 朝はよく彼が自分で珈琲を淹れる。その都度おばあさんの分と稱して小型の茶碗も用意する。或朝珈琲を飮み終つた私が、
「そろそろおばあさんのお粥をかけてこなくちや。」と臺所に立つと、彼はぢき追ひかけてきて、
「なんぼなんでも早すぎやしないかい?」とおばあさんのうれしい時の目のうつつたやうな表情で云つた。「時計を見違へたんぢやないのか?」
「九時、――半ぐらゐでせう。」
「九時半で、もうお午か。」
「知らなかつたの? 朝六時、午十時、晩四時、――」
「へえ。自然に挑戰してるやうなのが長生の祕訣かな。」
 おばあさんには彼の野球好きが染つたのか、ともするとそろりそろり梯子を登つて行く。此年になつて初めて見る野球は解らないけど面白いのださうだつた。
「おばあさん、三味線が始まりましたよ。」
 彼が知らせると、
「オヤオヤ、朝から勿體ないですね。」
 おばあさんは立ちぎはにちよつと衣紋を直して、いそいそとラジオのある應接間に出かけて行く。
「ああ面白うございました。今のは常盤津の角べえで、私の娘の頃初めて出來たのを、芝翫と誰かとで踊つたんですよ。私も夢中になつてお稽古したものでした。」
 つい最近までのおばあさんはともすると遠慮が過ぎ、「來るに及ばぬ」に類した表現で慣れぬものはまごつかさせられたものだつたが、伊東に落着いてからはひどく素直にものよろこびをするやうになつてきた。生きた伊勢海老とか、一本のわらさとか、山ほどの早生蜜柑とかを見ると、おばあさんは、
「冥土の土産」とうれしさのあまりそわそわしてくる。そしてそれらを嬉々と食べ、嬉々と温泉にひたつて、明るいうちに眠つてしまふ。
「かう、かうして頬ぺたを撫でてみると、皺が觸らなくなりましたよ。ちよつとの間に肥つたんですね。」
 おばあさんはつるつるした象牙色の頬を何遍も撫で※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)してみる。
「さう仰しやられればお顏つきも隱居所にいらしつた時より生きいきしてきたやうですよ。」
「さうでせう。ほんたうにいい氣になつて。」
「結構ぢやありませんか。伊東にいらしつてお痩せになつたんぢや、私としても御本家に合せる顏がありませんわ。さうしてお元氣にしてゐて下さるのが子孝行といふものですよ。」
「何とお禮を申しあげていいのか、ほんたうに私は幸せものだと思ひますよ。ちひさい時に、此子はいい耳をしてゐるからきつと幸せになるとよく云はれたものでしたが。」
「さういふお氣の持ちやうがお幸せといへばいへるのでせうね。上には上で、人間の慾にはきりのないものですから。」
「だつて此上のことはないでせう。かうして朝晩好きな温泉に入つて、おいしいものばかりいただいて。もういつ目を眠つても思ひ殘すことはありません。」
 おばあさんは外交辭令を竝べてゐるのでもなささうだつた。
 一月の間に女中はおばあさんの身の※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)りの物を運び終ると、いよいよの縁談で暇をとつて行つた。おばあさんの留守宅には本家の長男夫婦が安心してもう住みついてゐるらしい。私自身もおばあさんとの日常に慣れて、着るもののことになど氣を配り出した。おばあさんは死んだ兄の唐棧の半纏を袷に直して、ぼろだからと前掛をかけてゐる。
「だんだんお寒くなるけど、此次には何をお召しになるの?」
「なにといつて、これのほかには、よそいきが一枚あるだけなのですよ。」
「でもこれは良ちやんが死んでから出來たお召物でせう。その前には何を召してらしつたの?」
「それが、――なにか着てゐたのには違ひないんでせうけど、何を着てゐたのかさつぱり憶えちやゐないんですよ。」
「たしか八丈を召してらしつたのを見たことがあると思ふんですが。」
「さうですかしら。でもそんなもの、影も形もありやしません。」
 私は急に暗然としてきた心中を隱しきれない氣がした。その時どきの應酬はどうかすると吃驚させられるほどテキパキしてゐるのだが、どうかすると又、あれと云ひたくなるほどよく知つてゐる筈のことを忘れてゐる。私には影も形もなくなつたものが着物だけとは思へなかつた。何といふ哀れなおばあさんになつてしまつたのだらうと私は涙ぐんだ。
「よそいきは躾のまま生遺物いきがたみだといつておくばりになつたやうでしたけど、不斷着が一つもないといふのはをかしいですね。ともかくそいぢや、うちのぼろを出してみることにしませう。」
 私は早速二階に上つて、彼の腰の拔けた八丈や、何年にも着たことのない羊羹羽織を出してきた。おばあさんは、こんな立派なものをと、又そわそわし出した。急いで仕立に出さなければと私が云ふと、お正月におろすのだからゆつくりでいいと、夢見るやうな目をした。

       七

 その晩も彼はおばあさんの寢たあとへ歸つてきた。
「これ、社に來てゐたよ。」
 ポケットから出したのは私宛の電報だつた。良郎氏の住所を教へてくれ、ゴリキー全集に彼の「母」を入れたいといふ長い假名書だつた。私は目を大きくして唐紙越しにおばあさんの寢てゐる方を見た。出版社では良郎のとうに死んだことさへ知らないくらゐだから、おばあさんの此處にゐることなど判る筈はない。使ひ果して裸にまでなつたおばあさんに、萬といふお金が入ると云つたら、おばあさんはクロのやうにゲーゲーとでも云ひ出しはしないだらうか。私はもう一度死ぬ一週間前に此處を訪ねた兄の生氣に乏しかつた面持を思ひ浮べ、良ちやんも生きてゐたら好きなお酒を飮めるのにと、胸を締めつけられるやうな悲しさだつた。ことによると出版社が同姓の本家を無視して彼の社に私宛の電報を打つたのは、亡兄の靈の導きによるのかも知れない。――夢心地の數瞬が過ぎると、私は打電の主に、亡兄と老母の爲ならいかなる勞もいとはない旨の返事を認めた。
「おばあさん、吃驚しちやいけませんよ。」
 さう前置して私はおばあさんに「母」上梓のニュースを解り易いやうに傳へた。がおばあさんは九十三年の鍛錬のかひあつてか、さして目の色を變へもしなかつた。
「一周忌の間に合ひますかしら。」
「このせつのことだから、豫定通りには行くかどうか判りませんが。」
「それまではどうしても生きてゐなくちや。」
「その調子なら、ほほ、百まで大丈夫ですよ。でもどうして? 良ちやんにお酒でもお供へになりたいの?」
「それもさうですね。ですけど私はそれはそつくりこちらへお禮に差し上げたいのです。」
「何を仰しやるの。そんなのいやですよ。うちは御本家と違つて財産税の苦勞といつたやうなもののあるわけぢやありませんけど、それでゐて別に何不自由なく、のんきに暮して行けるんですもの、慾得づくでお世話してるとでも思はれちや、をさまりませんからね。」
「誰がそんなことを思ふものですか。でも私にはほかに御恩の返しやうがない。朝晩好きな温泉であつたまつて、おいしいものばかりいただいて、何の屈託もなく、――東京にゐた時はほんたうに毎日毎日――」
 おばあさんは初めての愚痴で、整つた顏をゆがめ、ワッといふ聲こそ立てなかつたが、制御を失つた泣き方になつてしまつた。
「そんなお泣きになつては、幸せでも何でもなくなつてしまふぢやありませんか。」
「いいえ、うれし泣きです。」
 おばあさんはいつも卓の下に置いてある手拭で涙を拭きふき、苦しさうに笑つて見せた。
そして又不意に冴えざえとした目に戻つて、いたづらさうに云つた。
「いいですよ。私はちやんと遺言に書いておくから。」

底本:「ささきふさ作品集」中央公論社
   1956(昭和31)年9月15日発行
初出:「苦樂」発行所名
   1947(昭和22)年1月号
入力:小林 徹
校正:林 幸雄
2008年7月20日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。