私の敬愛する先輩、内藤濯氏の近著「思はざる収穫」について何か書けといふ本紙編輯者の命である。
 先づ内容は「静観と逍遥」「人と作」「印象と追憶」「読後」「身辺雑事」「十二人一首」の六項に分類され、これに四葉の叙情味あふるゝ写真が添へてある。
 各項目はまた、それ/″\豊富な標題を含んでゐるが、その一つ一つについて、こゝで述べてゐる暇はない。たゞ若干の例を挙げれば、「仏蘭西文芸の味はひ」といふ文章は、今日まで、恐らく如何なる専門家も触れ得なかつた問題を懇切に手際よく取あげたものであり、「素心の詩人ヴエルレエヌ」及び「商船テナシチイの作者」の二つは何れも稀な理解と愛情を以て綴られたものであり、「印象と追憶」の項は、殊に著者の愉しげな、しかも感動に満ちた眼差を想像せしめる好個の随筆で、主として、巴里の芝居が裏表から語られてゐる。
「身辺雑事」は、氏の善良なる「パパ振り」を発揮した、しかも、なか/\哲学的な瞑想録で、子女の教育に当るものは、均しく興味を以て読むことができるであらう。
 最後の「十二人一首」は、氏が予て得意とせられる仏蘭西詩の翻訳中、多分会心の一ダースを収録されたものであらう。
白き月
森に照り
枝ごとに
洩るゝ声あり
 と、読み上げたゞけで、ヴエルレエヌの魂が自ら、氏の魂に蘇つてこの句を生んだとしか思へない。
 要するに、内藤氏は、専門家のノオト臭を離れて、文学を語り、文学に遊び得る大通の一人である。従つて、何等の予備知識なくしてこの一巻を繙くものにも、十分の理解と、それ以上の感銘が与へられるであらうし、一個の趣味の書として、近代の教養ある人々に悦び迎へられることを、私は固く信じるものである。

底本:「岸田國士全集22」岩波書店
   1990(平成2)年10月8日発行
底本の親本:「一橋新聞」
   1935(昭和10)年4月26日
初出:「一橋新聞」
   1935(昭和10)年4月26日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2009年9月5日作成
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