二月三日(水曜)曇
いよいよ巴里パリーを離れることになつた。
朝八時、タクシイで、ケエ・ドルセエの停車場に行く。寒い。
病気で転地療養をするのに、大袈裟な用意なんかする必要はないといふパパの意見。
それでも、あゝいふ人の集るところだから、トアレツトのひと通りはといふママの意見。
ルイズ叔母さまも、ママの肩をおもちになる。
汽車の中で、正午の体温を計る。三十七度四分、気分はいゝけれど、顔がほてる。ママがのべつに「大丈夫かい」「大丈夫かい」つておつしやるもんで、ほかの人達がぢろぢろあたしの顔を見て困る。ママの膝にもたれて眠つたふりをしてゐる。
ボルドオに着いたら、日が暮れてゐた。乗換の時、前にゐた亜米利加アメリカ人が荷物をおろしてくれる。
二月四日(木曜)晴
朝、寝台車の窓から、霧に包まれたピレネエの山が見える。
七時、ポオに着く。はじめて、カメリヤが咲いてゐるところを見る。
外套を脱ぎたいほどの暖かさ。日光が眩しい。
馬車で、町はづれのサナトリウム・サン・モオルへ行く。
あたしたちが案内されたのは、西班牙スペイン風の建物の下の一室で、建物の入口には、ヴイラ・セリユバンといふ札が出てゐる。

二月十八日(木曜)雨後晴
今日はじめて、一人で散歩をする。
公園へ行つて孔雀が飛んでゐるのを見たり、野菜市場で聞きなれない土地の方言に耳を傾けたりする。
それから、アンリ四世のお城を一と廻りして、ホテル・ド・ラ・フランスの前まで来ると、ぱつたり、ムツシユウ・ロベエルに遇つた。明日、馬車で、「微笑みの谷ヴアレエ・スウリヤント」へ連れてつてやるとおつしやる。
ムツシユウ・ロベエルは、詩を書いてらつしやるだけあつて、美しい「微笑みの谷」の眺めを、眼に見えるやうに説明なさる、言葉ははつきり覚えてないけれど、冬の眠りから醒めようとする自然が、微笑みをもつてわれわれを迎へてくれる、明るい、懐かしい谷の名だといふお話。
帰つて、ママにそのことを云ふと、あたしの顔をぢつと見つめながら、「あたしも一緒に行つてよければ……」とおつしやる。
二月二十七日(日曜)晴
急に巴里に帰ることになつた。
熱は下つたのだけれど、院長さんはもう少しゐた方がよからうとおつしやるのを、なぜだか、ママは是非今日発たうと言つてきかない。それが昨日の話。
あたしはもつと此処にゐたい。一生でもいゝからゐたい。

底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「令女界 第八巻第二号」
   1929(昭和4)年2月1日発行
初出:「令女界 第八巻第二号」
   1929(昭和4)年2月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月14日作成
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