「作は人なり」といふ言葉は、言ひ古された言葉だが、これは正面から解釈をすると当らぬ場合がある。作品の一つ一つを取つてみても、ある作家の作品全体についてみても、この人にしてこの作ありとは、聊か意外だと思ふやうなことがある。それはつまり、ある作家は、自分のうちに「有る」ものを直接に現はさず、自分の心に「映る」ものを、好んで表面に出さうとするからである。その「映り」方や「出し」方に、その作家の「人」が浮び出ると云へば云へるのだが、さういふ種類の作家は、往々、好んで、自分のうちに「無い」ものを求めて、これに興味をもつものであるから、作品の姿や、調子からでは、その「人」の姿や調子は掴み出せないのが骨である。前者が「生み出す作家」だとすれば、後者は「作り出す作家」であると云へよう。
 さて、わが山本有三は、極めて例外的な作家で、この二つの傾向を、創作の二つの過程に取り入れ、「生みながら作り出す」非凡な事業に成功してゐるのである。彼の作品が、厳粛で、壮年的で、渋味を貴ぶにも拘はらず、誰にも興味をもたれるだけの普遍性があり、誰をも感動させる熱と力とがあり、従つて、今日、「最も勢望ある作家」の一人となつた所以は、しかし、たゞ、そこにあるのではない。
 彼は、その作品に、彼自身のあらゆる美徳――日本人が、古来、最も愛して来た美徳の数々を盛つてゐる。彼の作品に、一つの顕著な風貌を与へるとすれば、それは、恐らく、「頼母たのもしさ」であらう。われわれの歴史は、実に、この一語に、あらゆる道徳的陶酔の秘密を託して来た。私が、彼の戯曲の悉くにいまいましくも涙をしぼらされ、「何故に泣いたか」を考へてみると、それら戯曲中の人物が、あまりにも「頼母しすぎる」からだと云ひきれるのだ。
 だが、こんなことばかり云つてゐてはならぬ。私は、彼の戯曲家としての才能――日本近代劇山脈の高峰として、彼の傑作が、如何なる美学的特色をもつて現はれたかを語らなければならないが、残念ながら、紙数に制限がある。
 彼の劇的作品は、手法の上からみて、二種類に分けることができる。第一は、所謂伝統的ドラマツルギイの定石を踏んだストリンドベリイ的作品、第二は、新しい戯曲美の要素から成り立つチェーホフ的作品である。「嬰児殺し」「同志の人々」「坂崎出羽守」等は前者に属し、「女中の病気」「海彦山彦」「西郷と大久保」等は後者に属してゐる。そして不思議なことには、この分類は、必ずしもその制作年代の順を追つてゐないことだ。この事実は、彼の芸術的霊感が、徒らに理論と時流に左右されず、常に独自の面目を発揮してゐる証拠である。
 最後に、彼の小説「波」が、この集に加へられたことをよろこばなければならぬ。なぜなら、この一作によつて、大劇作家山本有三は、忽如として、大小説家たる一面を示し、わが文学史に、貴重な頁を増すこととなつたからである。
 戯曲に於て、人間有三の眼ざしを感じ得なかつた読者観客は、この小説で、明かに、鮮やかに、その「頼母しき」作者の心に触れ得るだらう。そして、その「心」は、諸君に、「人生の光」を与へるだらう。

底本:「岸田國士全集21」岩波書店
   1990(平成2)年7月9日発行
底本の親本:「現代日本文学全集第二十篇 改造社文学月報第三十六号」改造社
   1929(昭和4)年12月13日
初出:「現代日本文学全集第二十篇 改造社文学月報第三十六号」改造社
   1929(昭和4)年12月13日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2007年11月20日作成
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