昔から男勝りといふ言葉がある。今やわが日本の全女性は、一人のこらず男勝りになつてもらはねばならぬ。女性には適しないと思はれてゐる仕事でも、よくその仕事の性質を吟味してみると、それはたゞ習慣的にさう思はれてゐたゞけで、実際は、女性の本能にも適ひ、女性の生理的条件に適せぬといふ理由も成立たぬものがずいぶんある。
 女性の生命は「美」であると云はれるが、この美しさといふものが、時代によつても、また、環境によつても違つてゐることはいろいろの例でこれを示すことができ、平和に慣れた社会にのみ通用する「美」なるものが、いかに戦乱の世にふさはしからぬ調子のものかは、今日、誰の眼にもはつきりわかるのである。
 男勝りといふ言葉は、主として精神的な意味に用ひられてゐるやうだが、容貌姿態に於ても、私たちは、日本の女性が、もつと、凜々しさを尊重し、手弱女などゝいふ呼び方をされることを厭ふやうになつてほしい。女はしほらしくあれといふのは、これは男だけで万事が処理できた時代の要求である。しほらしさは、むろん女の強さともなるものであるが、ひとたび方向を間違ふと、たゞ消極的な男性の玩弄物たるに甘んじるひとつの風情に過ぎないのである。
 近頃しほらしいなどゝいふ女性が一人でもあるかといふ見方もあるだらう。実際はないかも知れぬが、さうあらうと努めて、実はたゞ、なよなよとしてゐるだけの若い女性がないことはない。一方では、見たところ、だいぶん活溌で男などは眼中にないやうな、或は却つてさまざまな男性で眼の中がいつぱいになつてゐるやうな近代娘が、都会にはちらほらしてゐる。さういふ活溌組は、案外、女の「特権」をふり廻して、男の手伝ひなどはしたがらぬものである。
 新しい女性の力と美が、既にどこかに生れつゝあることを私たちは信じてゐる。
 工場に、農村に、都市のまんなかに、健かな肉体と、「仕事」をもつことを矜りとする精神とが、きりゝとした表情となつて、明るい大空のもとを、建設へ! 建設へ! と歩み行く姿を想像する時、日本の将来のために、私たちは女性万歳と唱へたくなる。
 家を守るべきか、外に出て働くべきかを考へる時ではない。何時なんどきでも外へ出て立派に働き得るやうな女性こそ、真に、これからの家庭を力強く守り育てゝ行くことができるのである。即ち、外で働くことゝ家を治めて行くことゝは、少しも矛盾しないのだといふ信念をもつて、これからの若い女性は自分自身を訓練しなければならない。(昭和十六年九月)

底本:「岸田國士全集25」岩波書店
   1991(平成3)年8月8日発行
底本の親本:「生活と文化」青山出版社
   1941(昭和16)年12月20日
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2010年1月20日作成
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