戯曲界不振の声を聞くことすでに久しい。一見、まさにその通りである。本紙記者からその問題について書けと言われた時、私は書けばどうなるのだろうと思った。が、よく考えてみると、なるほど戯曲は小説ほど人目にたゝないけれども、この一、二年来、決して不振とは言い切れない、ある新しい気運をはらみ、私などの眼からみると、これまでにない活発な動きを示しだしているのである。
 もちろん、まだ、新劇団の多くは、相変らず外国劇の上演によって乏しいレパアトリイを埋めているし、結果から言えば、イプセン、チエーホフ等の西洋近代古典の再演が圧倒的に人気をさらい、更にアメリカ・ブウルヴァル劇の新鮮味が観衆の心を強く捉えたことは事実である。
 しかし、それにも拘わらず、おのおのの新劇団は、以前にもまして創作戯曲の力作を求めつゝあり、われわれ戯曲家もまた、奮ってその要求に応えようとしているのである。たゞ、この需要供給の原則だけでは、問題が解決しないところに、すべての悩みがある。
 それなら、問題は一歩も解決の道へ進んでいないかというと決してそうではなく、その上、更に、戯曲文学への時代的な関心という好条件がこれに加わって来たことを見逃してはならない。
 まず、極めて顕著な現象として、第二次大戦後の欧州ことにフランスの文学界を通じて、最も華々しい活躍をつゞけている作家が、サルトルにしろ、カミュにしろ、揃いもそろって、小説家であると同時に戯曲家であるということ、そのことはまた、戯曲なる文学形式を大戦後の新文学運動の主流にまで押しあげたということを注意すべきである。
 この傾向は、あたかも、かつてのロマンチシズムの運動が、ユゴォの戯曲「エルナニ」の上演によって火蓋を切ったのとやゝ共通するところがあるようだけれども、それはむしろ外観の類似であって、本質的には、非常に違ったものである。即ち、彼にあっては、劇は時の方便であり、今日のそれは、劇は小説とその領域を判然と分ち合っている。一つの進化である。そして、それは、バルザックやモォパッサンやゴンクールなどが試みて失敗した散文の劇化とはまったく異質のものであり、クロォデル、ジュウル・ロマン、ジロォドウウの流れを汲んで、しかも一層民衆的な演劇の創造を目指したものゝように思われる。
 時を同じくして、わが戦後の文学界にも、演劇に対する一種の関心、久しく打ち絶えていた戯曲への興味が、局部的にではあるが、そろそろ眼ざめかけた気配が感じられる。
 私は必ずしもこの原因を「小説」の行きづまりにあると断じるつもりはないが、少くとも、文学におけるジャンルの限界の再認識、更に、戯曲というジャンルの可能性への新しい期待から生れた気運ではないかと思う。
 そう言えば私の記憶にある限りでも、例の関東大震災の直後、小説家の数多くが戯曲を書いた時代があった。それがほんの一時の現象にすぎなかったことは、今から思うと残念であるが、当時はまだ、新しい演劇運動はほんとに地についていなかった。築地小劇場に外国劇万能の主張をかゝげ、微々たる創作劇には目もくれぬ風があった。私たちは、新劇協会という貧弱な劇団に拠ってそれらの新作を取りあげはしたが、反響は少かった。今日は事情はまったく違っている。
 われわれ戯曲を本業とするものにとって、現在ほど力の入れ甲斐のある時代は未だかつてなかったのみならず、小説家で戯曲も書ける人が現在ほど求められている時代も、また、これまでにはなかったのである。
 戯曲家が戯曲を書くのは当り前だが、詩人や小説家が戯曲を書くということを、必要以上に特別なことと考える習慣がなくもない。これは旧い観念だから是非とも打破しなければならぬ。しかし、実際問題として、それには、なにか十分な動機があればこれに越したことはない。一般的に、その有力な動機となるのは、ともかくも劇場に足を向けることであり、最初は面倒でも、多少は楽屋裏の空気を吸うことである。俳優の生態を知ることは、舞台のイメージを豊富にする手っとり早い方法である。
 私たちは、現在の一つの気運に乗じ、これを更に有効に発展させるために「雲の会」というグループを結成し、着々仕事のプログラムを実行に移しつゝあるのだが、新しい演劇を育てる道はこれ以外にないという私たちの信念の現われである。いささか宣伝めくが、われわれの努力がどういう形で実を結ぶか、近く同会編集の雑誌「演劇」の刊行によって一般演劇愛好者と固く手を結びたいと希っている。

底本:「岸田國士全集28」岩波書店
   1992(平成4)年6月17日発行
底本の親本:「読売新聞」
   1951(昭和26)年5月7日
初出:「読売新聞」
   1951(昭和26)年5月7日
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年2月19日作成
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