「博物誌」といふ題は“Histoires Naturelles”の訳であるが、これはもうこれで世間に通つた訳語だと思ふから、そのまま使ふことにした。
 フランスに於ける原書の最初の出版は一八九六年で、フラマリオン社から出てゐる。ヴァロトンの挿絵が二十枚はいつてゐるが、内容は四十五の項目しかない。
 一八九九年に、フルウリイ書店から、百部限定の贅沢版が出た。トゥウルウズ・ロオトレックの有名な挿絵二十二葉によつて飾られてゐる。
 次で、一九〇四年、フラマリオン社から、現在流布してゐる決定版が出た。項目が七十にふえてゐる。この翻訳はこれに拠つたものである。
 更に、一九〇九年、フェイヤアル書店から、近代文庫の一巻としてラヴィエの挿絵入りで出た。これは八十三の項目から成つてゐる。
 一九二八年には、ブルュッケルの所謂美術版で、ルウビルの色刷石版画を入れて出版した。
 一九二九年には、「愛書百人会」といふのが特にドルュエルモに頼んで石版画の挿絵を十六枚描かせ、百三十部限定の豪華版を作つた。項目は五十七しかなく、ピエール・ミルの序文がついてゐる。また、別に、同じ年に、フラマリオン社からも、「金の栞」叢書のなかへボオディエの口絵入りでこれを加へた。内容は一九〇四年版と同じで七十項目である。
 そして、最後に、著者の死後、全集刊行に当つて、ベルヌアアル書店が、一九〇九年版にない二項目を加へ、全体の項目を七十四に減じて新編「博物誌」を作り上げた。
 若しさういふことが許されるならば、ルナアルの「博物誌」は、いくらでも項目を追加変更することができるであらう。なぜなら、彼の日記は、無数のこれに類した「影像イマージユ」で満たされてゐるからである。
 なほ、嘗て私が訳した同じ著者の「葡萄畑の葡萄作り」の一部に、この「博物誌」のなかの数項目が既に加へられてゐることを附け加へておく。

 私が「葡萄畑……」を訳して以来、もう十六年になる。その後、「博物誌」から若干の項目を撰んで「新青年」に発表したことがあるが、それが新潮社の「世界文学全集」中に「博物誌抄」として収録された。
 昨年、全訳を白水社から出さうといふ話があり、やつと「日記」をすましたところで、少し鼻につくやうな気もしたが、面白い挿絵でも得られればと思つてゐるところへ、私の弟の友人の明石哲三君が是非やりたいといふ話であつた。明石君は昆虫の研究家であると同時に、二科会系統の新進画家なので、特にかういふ仕事に興味をもつたのであらう。非常に熱心にスケッチをとつてゐる様子であつた。ロオトレックがやつたと同じやうに動物園にも度々通つたらしい。
 ところが、私の翻訳の方がなかなか進まず、今年のはじめ、同君は遂にしびれを切らして、南洋に旅立つた。二三年印度方面をぶらついて来るといふのが別れの挨拶であつたが、同君の希望によつて、柏崎栄助氏に挿絵の校正を見て貰ふ筈である。

 ルナアルの作品としては、「にんじん」に次いでこの「博物誌」が人口に膾炙してゐるが、それにはいろいろな事情がある。
 公平にみて、これら長短七十の「スケッチ」は、云はゞ玉石混淆である。訳してみると他愛のない思ひつきや、訳さうにも訳すわけに行かぬ言葉の音の洒落やがあつて、さういふ時には少々うんざりする。しかし、いいものはやはりいい。絵画や詩のほかに、深い瞑想さへある。「樹々の一家」の如きは、レミ・ド・グルモンも絶讃したやうに、至純至高の精神のみがよく描き得る「自然」の心理風景であらう。

 ところで、嘗てモオリス・ラヴェルがこの「博物誌」を作曲したのを知つてゐるものは知つてゐる筈だが、曲目としては、「孔雀」「蟋蟀」「白鳥」「かはせみ」「小紋鳥」の五つである。
 その他ロロ・H・ミエルといふ人も「蝶」と「かはらひわ」を音楽化した。
 ルナアルの「日記」のなかに、ラヴェルとの当時の交渉が甚だ不愛想な調子で書かれてゐる。ルナアルは生来の音楽ぎらひで通さうとしたが、その作品は皮肉にも世界中の美しい喉で歌はれてゐるのである。
 序ながら、フランスの小学校では、よく書取の問題が「博物誌」から出るといふ話を聞いた。なるほどといふ気がする。
  昭和十四年七月七日
訳者

底本:「岸田國士全集28」岩波書店
   1992(平成4)年6月17日発行
底本の親本:「博物誌 挟みこみ別紙」白水社
   1939(昭和14)年7月15日発行
初出:「博物誌 挟みこみ別紙」白水社
   1939(昭和14)年7月15日発行
入力:門田裕志
校正:Juki
2011年8月27日作成
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