不思議の血=懦弱だじゃくと欲張=髯将軍の一喝=技手の惨死=狡猾船頭=盆踊り見物=弱い剛力=登山競走=天狗の面=天幕てんとの火事=廃殿の一夜=山頂の地震=剛力の逃亡=焼酎の祟=一里の徒競走=とんだ宿屋

    (一)昼寝罵倒ばとう

 この奮励努力すべき世の中で、ゴロゴロ昼寝などする馬鹿があるかッ! 暑い暑いと凹垂へこたれるごときは意気地無しの骨頂じゃ。夏が暑くなければそれこそ大変! 米も出来ず、果実も実らず、万事ことごと生色せいしょくを失う事となる。夏の暑いのがそれほど嫌な奴は、勝手に海中へでも飛込んで死ぬがよい。今や狭い地球上――ことにこの狭い日本では、ろくでもない人間がえ過ぎてはなはだ困っている。怠惰者なまけものや意気地無しがドシドシ死んでしまえば、穀潰ごくつぶしの減るだけでも国家の為に幸福かも知れぬ。
 吾党わがとうは大いに夏を愛する。暑ければ暑い程鋭気に満ちて来る。やれやれ、何か面白い事をやってくれようと、そこで企てたのが本州横断徒歩旅行! もちろん亜弗利加アフリカ内地旅行だの、両極探検だのに比すれば、まるで猫の額をのみがマゴついているようなものであるが、それでも、口をアングリ開けて昼寝をしているよりは、千倍も万倍も愉快に相違ない。
 出発は八月十日、同行は差当り五人、蛮カラ画伯小杉未醒こすぎみせい子、ひげの早大応援将軍吉岡信敬よしおかしんけい子、日曜画報写真技師木川専介きがわせんすけ子、本紙記者井沢衣水いさわいすい子、それに病気揚句の吾輩わがはいである。吾輩は腹式呼吸と実験から得た心身強健法とで、ようやく病気の全快したばかりのところへ、要務が山積しているので、実は徒歩発足地の水戸まで一行を見送り、そこで御免をこうむつもりであったが、さて水戸まで行ってみると、オイソレと逃げる訳にも参らず、とうとう牛に曳かれて八溝山やみぞやまの天険をえ、九尾の狐の化けた那須野なすのはらまで、テクテクお伴をする事に相成った。

    (二)奇異の血汐ちしお

 徒歩出発地は前にいう太平洋沿岸方面の常州じょうしゅう水戸で、到着地は日本海沿岸の越後国えちごのくに直江津なおえつの予定。足跡そくせき常陸ひたち磐城いわき上野こうずけ下野しもつけ信濃しなの、越後の六ヶ国にわたり、行程約百五十里、旅行日数二週間内外、なるべく人跡絶えたる深山を踏破して、地理歴史以外に、変った事を見聞けんもんし、変った旅行をしてみようというのである。
 ところが東都出発の数日以前から、ほとんど毎日のように暴風大雨たいうで、各地水害の飛報は頻々ひんぴんとしてきたる。ことに出発の前夜は、烈風いらかを飛ばし、豪雨石をまろばし、いきおいで、東都下町方面も多く水に浸され、この模様では今回の旅行も至極しごく困難であろうと想像しているところへ、ここに今考えても理由わけの分からぬ事があった。というのはほかでもない、その夜の事である。本誌お馴染なじみの断水坊、暴風雨を冒して遊びに来り、夜遅くまで、二人で将棋をパチクリパチクリやっておったが、時刻は夜半の零時か零時半頃であったろう、吾輩はなんでも香車か桂馬をばパチリッと盤面に打下うちおろそうと手を伸ばした途端である。不意に何か吾輩の食指ひとさしゆび中央まんなかにポタリと落ちた冷たいものがある。
「オヤ、雨が漏ったのか」と、熟視すると、雨ではない。豆粒程のおおきさの生々しい血汐ちしおである。
「ヤッ、変だぞ、変だぞ」と、断水坊も将棋指す手を止め、この血は鼻から出たものであろうと、二人は顔面かおはいうに及ばず、全身残りなくしらべてみたが、どこからも血の出た気勢けはい微塵みじん程もない。また鼻から出たにしたところで、鼻先から一尺四、五寸も前へ突出つきだした食指ひとさしゆびの上へ、豆粒程のおおきさだけポタリと落ちる道理はないのだ。
「それでは天井から落ちたに相違ない」
「そうだそうだ、天井で鼠が喧嘩して、その負傷した血汐の滴り落ちたのだろう」と、断水坊は御苦労にも卓子テーブルを担ぎ出してその上へ登り、吾輩は、懐中電灯を輝かして、蚤取眼のみとりまなこで天井をくまなく詮索したが、血汐は愚か、水の滴り落ちた形跡すらどこにもない。どうも分からん分からん、不思議な事もあれば有るものだと、二人は暫時しばし顔を見合みあわすばかり。鮮血は二人の身体からだから出たものでなく、また天井から落ちたものでないとすれば、空中から飛んで来たものとほか思う事は出来ない。誰か友人中に死んだ者でもあって、その暗示しらせが来たのではあるまいか。イヤそんな事もあるまいが、横断旅行の首途かどでにこの理由わけの分らぬ血汐は不吉千万、軍陣の血祭という事はあるが、これは余り有難くない、それにこの大風たいふう! この大雨たいう! 万一の事があってはならぬから、明日の出発は四、五日延期してはどうかと、断水坊平生のしゃあツクにも似ず真面目くさって忠告を始めたが、吾輩はナアニというので、その夜はグッスリと寝込み、翌朝目醒めざめたのは七時前後、風は止んだが、雨は相変わらずジャアジャア降っている。

    (三)洪水の悲惨

 上野発水戸行の汽車は午前十時と聴いたので、さっそく朝飯を掻込かっこみ、雨を冒して停車場ステーションへ駆け着けてみると、一行いっこう連中まだ誰も見えず、読売新聞の小泉君、雄弁会の大沢君など、肝腎の出発隊より先に見送りに来ている。その内に未醒みせい画伯の巨大なる躯幹くかんがノッソリ現われると、間もなく吉岡将軍の髯面ひげづらがヌッと出て来る。衣水子、木川子など、いずれも勇気勃々ぼつぼつ、雨が降ろうが火が降ろうが、そんな事には委細頓着とんちゃくない。
 やがて午前十時になったので、切符をもとめて出札口に差し掛かると、
「ドッコイ、お待ちなさい。これは水戸行の汽車ではありません。水戸行は午前十一時五十五分です」と来た。
「オヤオヤ、オヤオヤ。誰だ誰だ、水戸行を、午前十時だと言ったのは――」と、一同いた口をヒン曲げて詮議に及んだが、誰も責任者は出て来ない。元来呑気のんきな連中の事とて、発車時間表もよくは調べず、誰言うとなく十時にめておったのだ、とにかく約二時間待たねばならぬ。ボンヤリしているのも智恵がないから、不忍しのばずの池の溢れた水中をジャブジャブ漕いで、納涼博覧会などを見物し、折から号外号外の声消魂けたたましく、今にも東都全市街水中に葬られるかのように人をおどかす号外を見ながら、午前十一時五十五分、今度は首尾よく上野出発。この時から常陸ひたち山中の大子だいご駅に至るまでの間の事は、既に日曜画報にも簡単に書いたので、日曜画報を見た諸君には、多少重複する点のある事は、御勘弁を願いたい。
 汽車の旅行は平々凡々、未醒子ははや居眠りを始める。
「コラコラ、今から居眠りをするようでは駄目じゃッ」と、髯将軍の銅鑼どら声はまず車中の荒肝あらぎもひしぐ。
 汽車、利根川の鉄橋に差し掛かれば、雨はますます激しく、ただ見る、河水は氾濫はんらんして両岸湖水のごとく、濁流滔々とうとう田畑でんばたを荒し回り、今にも押流されそうな人家も数軒見える。遭難者の身にとってはたまったものではない。禿はげ頭にじ鉢巻で、血眼になって家財道具を運ぶ老爺おやじもあれば、尻もへそもあらわに着物をまくり上げ、濁流中で狂気きちがいのように立騒いでいる女も見える。融通の利かぬ巡査でも見付けたら、こんな場合でも用捨ようしゃなく風俗壊乱の罪に問うかも知れぬが、今は尻や臍の問題ではない、生命いのちの問題である。近来、殆んど連年かかる悲惨なる目に遭い、その上苛税かぜい誅求ちゅうきゅうを受けるこのへんの住民はわざわいなるかな。天公かつら内閣の暴政をいかるか、天災地変は年一年はなはだしくなる。国家のため実に寒心に堪えぬ次第ではないか。
 しかるに、走り行く此方こなたの車内では、税務署か小林区しょうりんく署の小役人らしき気障きざ男、洪水に悩める女の有様などを面白そうにうち眺めつつ、隣席の連れとぼしき薄髭の痩男に向い、
「どうです、一句出ましたぜ、洪水に女のももの白きかな――ハッ、ハッ、いかがでげす」などと、嘔吐へどのごとき醜句しゅうくを吐き出せば、かたわらの痩男は小首をひねって、
「なるほどな、秀逸でげす」などと相槌あいづちを打つ。同胞の難儀を難儀とも思わぬ困った奴らである。こんな冷酷な役人根性もまた桂内閣お得意の産物なるか、とつ

    (四)変な駄洒落だじゃれ

 憤慨ばかりが能ではあるまいから、一つ汽車中の駄洒落を御愛嬌ごあいきょうに記そう。
 元来、今回の横断旅行は、出発地を太平洋波打際なみうちぎわ大洗おおあらいにしようか、大洗水戸間三里の道は平々凡々だから、無駄足を運ばず水戸からにしようかという事は未定問題であったので、吾輩は大洗説を主張し、
「今夜は大洗に一泊して、沖合の夜釣をやってみようではないか」と、提議すれば、未醒子羅漢づらの眉を揚げて、
「途方もない。この風雨しけに夜釣なんか出来るものか。魚は釣れず、濡鼠ぬれねずみになって、大洗(大笑い)になるまでさ」と洒落のめす。吾輩も負けてはおらず、
「そんな洒落は未醒(未製)品じゃ」
「ドッコイ、来たな、駄洒落は止しに春浪しゅんろう
 かたわらから吉岡信敬将軍、髯面ひげづら突出つきだして、
「とにかく夜釣はあぶない危い。横断旅行が海底旅行になっては大変じゃ」
「ナアニ、危いもんか。そう信敬(神経)を起すな」
「アハハハ、アハハハ」と、一同は笑い崩れる。
 その内に汽車は水戸に到着、停車場ステーション前の太平旅館に荷物を投込み、直ちに水戸公園を見物する。芝原しばはら広く、梅樹ばいじゅ雅趣を帯びて、春はさこそと思われる。時刻は既に遅かったので、有名な好文亭は外から一見したばかり。この好文亭は水戸烈公が一夜忽然こつぜんとして薨去こうきょされたところで、その薨去が余り急激であったため、一時は井伊掃部頭いいかもんのかみの刺客の業だと噂されたという事だ。

    (五)懦弱だじゃく千万

 大洗おおあらいまでの無駄足はしにして、水戸から発足と決定した。というのは、翌日は行程十五里、山間の大子だいご駅まで辿り着いておかねば、その次の日、予定のごとく八溝山やみぞやまの絶頂へ達する事は極めて困難であるからだ。その夜はすわり相撲や腕押しで夜遅くまで大いに騒いだ。ところで、水戸から膝栗毛ひざくりげに鞭打って、我が一行にせ加わった三勇士がある。水戸の有志家杉田恭介すぎたきょうすけ君、川又英かわまたえい君、及び水戸中学出身の津川五郎つがわごろう君で、いずれも健脚御自慢、旅行は三度の飯より好きだという愉快な連中だ。ところで困ったのは吾輩である。吾輩は元来ここまで一行を見送り、明日は失敬して帰京する予定なので、旅装も何もして来なかったが、新手あらての武者さえせ加わっては、見苦しく尻に帆掛けて逃出す訳にも行かない。かつは吾輩の膝栗毛もしきりに跳ね出したい様子なので、ままよあとの要務は徹夜しても片付けろと、八溝山をこえて那須野なすのはらまで、一行の尻馬にいてお伴をする事に相成った。
 翌日午前七時、昨日きのうまでの雨に引替えてギラギラ光る太陽に射られながら水戸出発、右に久慈川くじがわの濁流を眺めつつ進む。数里のあいだ格別変った事もなく、ただ汗のだらだら流れるばかり。だんだん田舎深く入込いりこめば、この道中一行の呆れ返らざるを得なかったのは、この地方住民の懶惰らんだ極まる事である。孟子の所謂いわゆる恒産無き者は恒心無しとでもうものか、多少でも財産や田畑でんぱたのある者は左程さほどでもないようだが、その他の奴等に至っては、どれもこれも、汗水流して少しばかりの金を儲けるよりは、ゴロゴロ寝ていた方が楽だといわぬばかり。どこのうちを覗いてみても、一人か二人昼寝をしておらぬ家は殆んど一軒もない。男は越中ふんどし一本、女は腰巻一枚、大の字なりになり、鼻から青提灯あおぢょうちんをぶら下げて、惰眠をむさぼっている醜体しゅうたいは見られたものではない。試みに寝惚ねぼけ眼をこすって起上った彼等のある者をつかまえ、
「暑いのは誰でも暑いのだ。ゴロゴロ昼寝ばかりしていずに、ドシドシ草鞋わらじでもむしろでも作って売ったらどうだ。寝ている暇に少しでも金儲けが出来るではないか」といえば、彼等は面倒臭いといわぬばかりに、
「この暑いに――、沢山たんともうけがねえだ」と、鼻の先で笑っている。彼等の顔は全く無気力と自暴自棄との色に曇っているのだ。そのくせ、欲はなかなか深い。一寸ちょっとした物を買っても、すぐに暴利を貪ろうとする。実に懦弱で欲張り根性の突張った奴等ほど済度さいどし難い者はないのだ。

    (六)ひげ将軍の一喝

 一寸ちょっとした実例を示せば、我等が船負ふなふという村に差し掛かった時だ。一行は朝から重い天幕てんとだの、写真器械だの、食糧品だの、雑嚢ざつのうだのを引担ぎ、既に数里の道をテクテク歩き、流るる汗は滝のごとく、身体からだも多少疲れたので、このさきの大子だいご駅まで四、五里の間、二人ばかり荷物を担ぐ人夫を雇いたいものだ、と村中駆け回って談判に及んだが、誰も進んで行こうとする者はない。
「賃銭はいくらでも出す」とそそのかせば、
「それではいくら出す」とはや欲張る。
「一人前一円ずつろう」というと、
「一円ばかしでは――、この暑いに――」と仲間あい顧みて、
「去年来た洋人いじんさんは、五両ずつくれったっけなァ」などとかす。
「四、五里の道に五円もくれる馬鹿は日本人には無い。それでは一円五十銭ずつ遣ろう」といっても、彼等はいつまでも煮え切らずブツブツいっているので、髯将軍の癇癪かんしゃく玉がたちまち破裂して大喝一声、
「黙れッ! 馬鹿野郎、もう頼まない。ウエー、ウエー、ウエー」と、将軍独特の豚声一喝を食わせ、一行は再び重い荷物を分担してテクテクテクテク。
 吾輩はあえて重い荷物を担がせられたから憤慨するのではないが、一国の生命は地方人士の朴直勤勉なる精神にありとさえいわれているのに、その地方人士の一部がかくも懦弱にして狡猾なる気風に向いつつあるのは、実に痛嘆すべき次第である。かかる傾向は決してこの地方に限った事ではなく、今や全国にみなぎらんとする悪潮流ではあるまいか。彼等朴直勤勉なるべき地方人士をして、かくも懦弱に、かくも不真面目ならしめたのは、にせ文明の悪風ようやく日本の奥までも吹き込んで、時々この辺に来る高慢な洋人輩ようじんはいや、軽薄な都人士等とじんしらの悪感化を受けたせいもあろう。苛税かぜい誅求ちゅうきゅうの結果、少しばかりの金を儲けたとて仕方なしと、自暴自棄に陥ったせいもあろうが、要するに大体の政治その宜しきを得ず、中央政府及び地方行政官は、いたずらに軽佻けいちょう浮華なる物質的文明の完成にのみ焦り、国家の生命の何者であるかを忘れ、一も偉大なる精神的感化力をば、彼等に与うるの道を知らざる為である事は疑いをれない。国家の最も憂うるところは、貧乏でもない、外敵でもない、宏大な官庁が無い事でもない、狭軌鉄道が広軌鉄道にならぬ事でもない、実に国人こくじん意気の沈滞と民心の腐敗とである。民心の腐敗その極に至れば、国家は遂に見苦しく自滅するほかはないのだ。今日我国は貧乏にして生産力に乏しいというが、富力を増し生産力を高める余裕はまだまだ沢山ある。ブラブラ遊んで暮らすのを誇りとしている一部上流社会の奴原やつばらを初めとし、ろくろく食う物も食えぬくせに、汗を流して努力する事を好まぬ下等人士に至るまで、惰眠をむさぼりつつ穀潰ごくつぶしをやっておる者共は、今日少くとも日本国民三分の一位はあるであろう。ねがわくは何か峻烈しゅんれつなる刺激を与え、鞭撻べんたつ激励して彼等を努力せしめたならば、日本の生産力もまた必ず多大の増加を見る事は疑いをれまい。こんな事は民力の発展などは眼中にない愚劣政治家共に話したとて分るまいが、真に国家の前途を憂うる人士は、大いに沈思熟考せねばならぬ問題であろうと思う。実に今日は、レオニダスのごとき大政治家づるか、日蓮のごとき大宗教家現われ、鉄腕をふるい、獅子吼ししくを放って、国民の惰眠を覚醒せねばならぬ時代であろう。区々たる藩閥の巣窟に閉籠とじこもり、自家の功名栄達にのみ汲々きゅうきゅうたる桂内閣ごときでは、到底、永遠に日本の活力を増進せしめる事は出来ない。

    (七)狡猾船頭

 思わず理屈をねたが、この時は理屈どころではない。疲れて足を引摺ひきずり引摺り、だんだん山道に差し掛かる。道は少しも険阻ではないが、ただ連日の大雨たいうのため諸所ところどころ山崩れがあって、時々頭上の断崖からは、土石がバラバラと一行の前後に落ちてくるには閉口閉口。一貫目位の巌石がんせきがガンと一つ頭へあたろうものなら、たちまち眼下の谷底へ跳ね飛ばされ、微塵みじんとなって成仏する事受合うけあいだ。ああ南無阿彌陀仏南無阿彌陀仏。現に久慈川くじがわのとある渡船場わたしば付近では、見上ぐる前方の絶壁の上から、巨巌大石きょがんだいせきおびただしく河岸に墜落しているのを見る。この絶壁下には先頃まで鉱山事務所があったのだが、轟然ごうぜんたる山崩れと共にその事務所はメチャメチャになり、一人の技手は逃げ損って蛙のごとくに押潰され、その片腕とか片脚とかは、かの巨巌の下に今なお取出す事が出来ず残っているという事だ。これには流石さすがひげ将軍も首を縮めて、お得意の奇声を放つこと飢えたる豚のごとし。
 この渡船場で滑稽な事があった。河水はさまで氾濫していなかったが、わたし船に乗って向うの岸に着き、
「船頭、いくらろう」とけば、
「一人前四銭ずつだ」と、黒鬼のような船頭は澄ました顔をしている。
「そうか、高い渡船銭わたしせんだな」といいながら、八人前三十二銭渡して岸にあがると、岸上の立札にはあきらかに一人前一銭ずつと書いてある。
此奴こやつ狡猾ずるい奴だ」と、兵站へいたん係の衣水いすい子、眼玉を剥き出し、
「八人前八銭ではないか、余分を返せ」と談判に及べば、船頭は一旦いったん握った金を容易に放してたまるものかと、
「この大水だで――」と頑強に抵抗したが、「馬鹿をいうな。二尺や三尺増水したとて、四倍も増銭ましせんを取る奴があるものか。癖になるから返せ返せ」と、無理無理に二十銭だけ取返せば、船頭は口惜くやしそうに、
「ケチなお客だなァ」と、一行を見送りつついつまでも口をとがらしている。こっちがケチなのではない。山男のくせに欲張るからとんだ罵倒ばとうを受けたのだ。

    (八)盆踊り見物

 それより山道をあるいは登り、或いはくだり、山間の大子だいご駅の一里半ほど手前まで来かかると、日はタップリと暮れて、十七夜の月が山巓さんてんに顔を出した。描けるごとき白雲は山腹をかす[#ルビの「かす」は底本では「さす」]めて飛び、眼下の久慈川くじがわには金竜銀波おどって、その絶景はいわんかたもなく、駄句の一つもうなりたいところであるが、一行は疲れ切っているのでグウの音も出ず、時々思い出したように、オイチニ、オイチニなどと付景気ついげいきをして進んで行くと、この山中諸所ところどころの孤村では、今宵の月景色を背景に、三々五々男女相集あいあつまって盛んに盆踊りをやっているが、我が一行の扮装いでたちは猿股一つの裸体はだかもあれば白洋服もあり、月の光に遠望すれば巡査の一行かとも見えるので、彼等は皆周章あわてて盆踊りをめ、奇妙頂来な顔付をして百鬼夜行的の我等を見送っている。ある農家の前に差し掛かった時など、ここでも確かに我が一行に驚いて盆踊りを止めたものと見え、七、八人の男女はキョトンとした面付つらつきをして立っておったが、我等の変テコな扮装いでたちを見て、
「なんだ、査公おまわりさんでねえだ」と、一人の若者、獅子鼻ししっぱなうごかしつつ忌々いまいまし気にいうと、中に交った頬被りの三十前後の女房、きいろい歯を現わしてゲラゲラと笑い、
「白い物が何でも査公おまわりさんなら、わしが頭の手拭も査公おまわりさんだんべえ」と、警句一番、これにはヘトヘトの一行も失笑ふきださずにはおられなかった。
 元来盆踊りは先祖代々各村落に伝わり、汗を流して働く農民随一の娯楽で、その唄とても、「ままになるならこの丸髷まるまげを、元の島田にしてみたい」位なもので、東京の真中まんなか、新橋や赤坂等の魔窟まくつで、小生意気なハイカラや醜業婦共の歌う下劣極まる唄に比すれば、決して卑猥ひわいなるものという事は出来ない。の舶来の舞踏など、余程高尚な積りでおるかは知らぬが、その変梃へんてこな足取、その淫猥いやらしき腰は、盆踊りより数倍も馬鹿気たものである。しかるに、盆踊りは野蛮の遺風だとかなんとかいって、一も二もなく先祖伝来の盆踊りを禁止し、に楽み少なき農民の娯楽を奪い去るとは、当世の役人や警官はよくよく冷酷な根性になったものかな。盆踊りのあと淫猥いんわいの実行が行われるから困ると非難する者もあるが、その実行は盆踊りの後に限ったことではない。芝居の帰途かえりにもある。活動写真の戻りにもある。日々谷公園の散歩中にもある。それら淫猥の実行は他の方法で取締るのが当然だ。帝都の真中で密売淫や強姦を十分に取締る事の出来ぬ警察力や、待合の二階で醜業婦共に鼻毛を読まれている当世の大臣や役人ばらに、盆踊り位をとやかくいう権能は余りあるまいテ、馬鹿な話である。
 その夜十時頃、大子駅に到着。山間の孤駅であるが一寸ちょっと有福ゆうふくらしき町である。未醒みせい子や吾輩は水戸から加入の三人武者を相手に快談に花を咲かせ、髯将軍や木川きがわ子や衣水いすい子は夜中にもかかわらず、写真器械引担いで町見物にと出掛け、折よく町はずれで盛んな盆踊りを見付けたので、今度は巡査と間違えられる気遣いもなく、髯将軍は盆踊りの親方らしき若者と交渉の上、首尾よく珍妙な踊りを二、三枚撮影したが、夜中やちゅうの事とて不意に閃電せんでんのごとくマグネシヤを爆発させて撮影するので、その音に驚き、キャッと叫ぶ女もあれば、閃光にまなこを射られて暫時しばしは四方真暗、眼玉を白黒にしてブツブツいっている男のあるなど滑稽滑稽。

    (九)弱い剛力ごうりき

 翌日午前六時大子だいご駅出発。これから八里の山道を登って、今夜は海抜三千三百三十三尺、八溝山やみぞさんの絶頂に露営する積りである。そこで剛力を二人雇い、写真器械だの、天幕てんとだの二日分の糧食だけを背負わせたところ、重い重いとすこぶる不平顔。
「ナァニ、こんな物が重いものか」と、追い立てるようにして出発したが、その遅いこと牛の歩行あゆみよろしくである。仕方がないから一同その荷物の幾分を分担したが、それでもなかなか速くは歩かぬ。ことに若い方の剛力は懦弱極まる奴で、歩きながら無精な事ばかりいっている。剛力でない、弱力と呼んだ方が適当だろう。
「こんな奴はズット先へ遣っておいた方がよかろう」というので、二、三里先へ行って待っていろと命令して先発させ、一行はあるいは山水の奇勝を写真に撮り、或いはゆるゆる写生などをし、もうぎゅう的剛力も余程遠くへ行っているだろうと思い、急足きゅうあし半里はんみちばかりも進んでみると、剛力先生泰然自若と茶屋に腰打ち掛け、贅沢にも半腐りの玉ラムネなんか飲んでござる。しゃくに触って堪らぬ。ホイホイ背後うしろから追い追い立て、約二里ばかり進めば、八溝川の上流、過般の出水の為に橋が落ちている。橋が無ければ徒歩じゃ徒歩じゃと、一同ジャブジャブ水を漕いで渡るに、深さは腰にも及ばぬ程であるが、水流は石をもまろばすいきおいなので、下手をすれば足すくわれて転びそうになる。ドッコイ、ドッコイ、ドッコイショと、じい様のような懸声かけごえをしながらようやく河を渡り、やがて町付まちつきという寒村に来掛かれば、もう時刻は正午に近い。
「アア腹が減った。腹が減った」という声がしきりに起る。この昼飯ひるめし分は剛力に担がせて来たのだが、この前途さき山中に迷わぬものでもないから、なるべく食物しょくもつを残しておけと、折りから通り掛かった路傍みちばたに、「旅人宿りょじんやど」と怪し気な行灯あんどんのブラ下がった家があるので、吾輩は早速おどり込み、
「オイ、飯を食わせろ」と叫ぶと、安達あだちはらの鬼婆然たる婆さん、皺首しわくびを伸ばして、
「飯はねえよ」
「無ければ炊いてくれ」
「暇が掛かるだよ」
「三十分や一時間なら待とうが。何かさいがあるか」
「菜は格別ねえだよ。缶詰でも出すべえか」
「缶詰ならこっちにもある。そんな物は食いたくない。芋でも大根でも煮てくれないか」
「芋も大根もねえだよ」
 嘘ばかりいっている。現に裏の畑には芋も大根もあるのに、それを掘るのが面倒なのか、高い缶詰を売付けようとするのか、不親切もはなはだしいので、未醒みせい子大いに腹を立て、
せ止せ、こんな家の厄介になるな」
と、一行は尻をたたいてこのを出たが、婆さん一向いっこう平気なもの、振向いてもみない。食物しょくもつ本位の宿屋ではなかったと見える。
 三、四町行くとまた一軒の汚い旅人宿、幸いここでは、どじょうの丸煮か何かでようやく昼飯に有付くことが出来た。東京ではとても食われぬ不味まずさであるが、腹が減っているので食うわ食うわ。水中の津川五郎子八杯、未醒子七杯、髯将軍と吾輩六杯、その他平均五杯ずつ、合計約五十杯、さしもに大きな飯櫃おはちの底もカタンカタン。

    (一〇)登山競争

 町付まちつき村から、山道はようやく深くなり、初めは諸所ところどころに風流な水車小屋なども見えたが、八溝川やみぞがわの草茂き岸に沿うてさかのぼり、急流に懸けたる独木まるき橋を渡ること五、六回、だんだん山深く入込いりこめば、最早どこにも人家は見えず、午後四時頃、常州じょうしゅう第一の高山八溝山の登り口に達した。登り口には古びた大きな鳥居が立っている。ここから山道は急に険しくなるのだ。絶頂までは一里半、頂上間近になれば、登山者の最もくるしむ胸突むねつき八丁もあるとの事だ。
 例の剛力先生なかなかやって来ない。鳥居の下で待つこと約三十分、杉田子、衣水子、木川子など付添で漸くやって来た。聴けばある坂道で、剛力先生凹垂へこたれて容易に動かばこそ、仕方がないので、衣水子金剛力を出して、エイヤエイヤと剛力先生の尻を押上げたとの事。これではまるで反対あべこべだ。呆れ返った剛力どのかな。
 八溝山の登り口からは、一里半登山競走という事に相成った。凹垂へこたれ剛力などは眼中にない。あとからゆっくり来いというので、一同疲れし膝栗毛に鞭を加え、力声ちからごえを上げてぞ突貫する。初め山道は麓の村落でおどかされた程急ではないが、漸く樵夫きこりの通う位の細道で、両側から身長みのたけよりも高き雑草でおおわれている処もある。赤土の急勾配、溝のごとくになり、すべって転ぶ事も幾回なるを知らず、足を大の字なりに拡げて両側の草を踏みつつ、ヨタヨタ進まねば容易に登る事の出来ぬ場所も五、六町。巌角いわ突出つきい巌石がんせきの砕けて一面にころばっている坂道は、草鞋わらじの底を破って足の裏の痛きことおびただしく、折から雲霧は山腹を包んで、雨はザアザア振って来れば、水はこの巌石の細道を滝のごとく上から流れ落ち、さながら急流を踏んで山を登るにことならず。
 ここに奇妙な事には、昨年日光の山中旅行では、常に凹垂れの大将となり、一行の厄介者であった吾輩、今日はいかなる風の吹き回しか、その元気すさまじく、水戸の津川五郎子と前後して先頭に立っている。ああら有難ありがたし、これも腹式呼吸のおかげ、強健術実行の賜物たまものぞと、勇気日頃に百倍し、半身裸体に雨を浴びてぞ突進する。こんな場合にいつも先人を争う髯将軍はいかにせしぞとのちに聴けば、将軍、剛力の遅々ぐずぐずしゃくに触って堪らず、暫時しばし※(「口+它」、第3水準1-14-88)しった督励していた為に、思わず大いに遅れたという事だ。
 だんだん山道を高く登れば、四方にそびゆる群山は呼べばこたえんばかり、今まで遥か高く見えた山々の絶頂も、いつの間にか視線と平行になり、更に登ればはや眼下に見えるようになる。その愉快なることいわん方なく、膝栗毛の進みもますます速く、来た処は、音に名高き胸突き八丁の登り口。日ははや暮れかかり、渓谷たにまも森林も寂寞せきばくとして、真に深山の面影がある。
 胸突き八丁の登り口に近く、青い苔のした断崖からは、金性水きんせいすいと呼ぶ清泉が滾々こんこん瀑布たきのごとく谷間に流れ落ちている。これぞ八溝川の水源で、この細流に四方の水が合し、滔々とうとうとして常州の山野を流れ行くのだ。

    (一一)先登せんとうの自慢

 吾輩と津川五郎子とは、百鯨ひゃくげい長川ちょうせんを吸うがごとくガブガブ金性水を飲み、太鼓のように膨れた水腹を抱えて胸突き八丁を登って行く。頂上までほとんど一直線に付けられた巌石がんせきの道で、西側には老杉ろうさん亭々ていていとして昼なお暗く、なるほど道の険しい事は数歩さき巌角いわかどの胸を突かんばかり、胸突き八丁の名も道理ことわりだ。
 しかしこんな事に凹垂へこたれる吾輩でない、などと先頭に立っているので大いに得意になり、津川子と共にエイヤエイヤの掛声を揚げてよじ登る。雨はようやれたが、流るる汗は滝のごとく、それに梢から滴る露を浴びつつ、帽子もズボンもズブ濡れになって、やがて六、七町も登って上を仰ぐと、嬉しや嬉しや、頭上には古びた神社の屋根らしき物が見える。あすここそ頂上に相違ないと、余りの嬉しさに周章あわてたものか、吾輩は巌角いわかどから足踏み滑らして十分したたか向脛むこうずねを打った。痛い痛いとすねを撫でつつ漸くそこに達し、拝殿にも上らず、直ちにそのうしろの丘の上に駆けあがると、ここぞ海抜三千三百三十三尺、高さからいえば富士山の三分の一位のものであるが、人跡余り到らぬ常州じょうしゅう第一の深山八溝山の絶頂である。
 頂上には一個の石標があって、ここは常陸ひたち下野しもつけ国境くにざかいである事を示す。吾輩はすぐさまその石標の上におどり上り、遠からん者は音にも聴け、近くば寄って眼にも見よ、吾こそは今日登山競走の第一着、冒険和尚あざな春浪しゅんろうなりとよばわったが、音に聴く者も眼に見る者もかたわらなる津川五郎子ばかり。四方よもの山々は、なんだ人間一ぴき、蚊のような声を出すなとあざけっているように見える。未醒みせい子の漫画では、吾輩群を抜いて一着のようにいてあるが、その実津川子と同着、シカモ吾輩は裸一貫、津川子には重い荷物のハンデキャップが付いている。残念ながら正直に白状つかまつる。
 その内に髯将軍は、全身から湯けむり立てて登って来る。続いて未醒子、木川子など、一行はことごとく到着したが、例の剛力先生容易に到着する気遣いはない。
 見渡せば、群を抜ける八溝山の絶頂は雲表うんぴょうそびえ、臣下のごとき千山万峰は皆眼下に頭を揃えている。雲霧深くして、遠く那須野なすの茫々ぼうぼうたる平原を一眸いちぼうに収める事の出来ぬのは遺憾いかんであったが、脚下に渦巻く雲の海の間から、さながら大洋中の群島のように、緑深き山々の頭を突出とっしゅつしている有様は、実になんともいう事の出来ぬ雄大なる光景であった。泰岳たいがく巨峰の風物は人間の精神を雄大ならしめるというが、全くその通りに思われる。
 衣水子は山嶽さんがく志でも読んで来たものと見え、得意になってしきりに八溝山の講釈をやる。
「そもそもこの八溝山というのは、全く海抜三千三百三十三尺という不思議な高さで、山中には三水さんすいと唱える金性水きんせいすい竜毛水りゅうもうすい白毛水はくもうすいの清泉が湧き、五つの瀑布たきと八つの丘嶽おかとまた八つの渓谷たにとがあって、いずれも奇観だ。ことにこの山中に生ずるサヤハタという木は、水中に在ってもよく燃えるので、その皮を炬火たいまつとして大雨中だいうちゅうでも振回して歩く事が出来るそうだ。先刻さっき通ったあの金性水の所には、昔時むかし四斗だる程の大蛇がんでおって、麓の村へ出てはしばしば人畜を害したので、須藤権守すどうごんのかみという豪傑が退治したという口碑が伝わっている。現に今でもこの山中にはなかなか毒蛇が沢山いるという事だ、御用心御用心」と、首を縮めて腰のあたりを撫でている。

    (一二)汗臭い握飯にぎりめし

 その話は面白いが、しかし吾輩は山登りの汗が引込むにしたがい、だんだんと寒くなって仕方がなくなった。それもそのはずである。吾輩は帽子もズボンもズブ濡れで、腰から上は丸裸、山頂の雲霧を交えた冷風がヒューヒュー吹き付けるのだから堪ったものではない。シャツや上衣うわぎは今朝剛力の担ぐ荷物の中へ巻入れてしまったので、暑い道中は誠に結構であったが、この寒さでは閉口閉口。ブルブル震えながら山頂に立って、
「オーイ、剛力ィ――。オーイ、剛力ィ――」と叫んで見たが、こたうるものは木精こだまばかり、馬糞うまくそ剛力どこをマゴ付いている事やら。
 その内に再び雨さえ降って来たので、コリャ堪らぬ堪らぬと、杉田子はお年寄り役だけに、若手の面々を指揮して枯木枯枝を集めさせ、廃殿の横手に穴のような処を見付け出し、しきりに焚火たきびをしようと焦ってござるが、風が吹く、雨が降る、その上燃料が湿っているので火はなかなか付かぬ。エイ生意気な雨だと怒って見ても、雨は相手にならず。
 ようやく火の盛んに燃え付いた頃、剛力先生もまた漸くあがって来たので、まず早速着服に及ぶ。何はともあれ腹が減って堪らぬから、一同は焚火を囲んで夕食に取掛かったが、これはしたり! 一行二日分の握飯は風呂敷に包んで若い方の剛力が背負しょって来たのだが、この男元来の無精者、雨が降ってもおおいもしなかったものと見え、グチャグチャに崩れた上に、雨に濡れてベトベトになっている。
「こんな物食えるものか」と、怒っても、に食う物はないので、仕方なく一口やってみたが、これまたしたり! なんだか臭いようで、その塩からいことおびただしい。握飯がこんなに塩からい理由わけはないと、よくよく調べてみると、ああ汚いかな、剛力先生数里の間汗だらけになって握飯を背負しょって来たので、流るる汗が風呂敷を通してことごとく握飯に染み込んだ次第、つまり握飯の汗漬あせづけが出来た訳だ。
 コリャ堪らん。英雄豪傑の汗なら好んでもしゃぶるが、こんな懦弱よわい奴の汗をめるのは御免である。万一その懦弱が伝染しては堪らぬと、吾輩はペッと吐出してしまったが、それでも背に腹は替えられずと、苦い顔をしながら食った連中もあった。剛力は無論自分の汗だから平気である。得意になってムシャムシャ頬張っている面のしゃくに触る事!
 吾輩等は握飯を失ったので仕方なく、コーンビーフの缶詰を切り、握飯の中の梅干だけはまさか汗漬にもなるまいと、塩からい冷肉をパク付き、梅干をしゃぶっている心細さ!

    (一三)駆落かけおちの落書

 このミゼラブルな夕食を終ったのは、午後の九時前後であったろう。は暗く、ただ焚火の光の空を焦がすのみ。雨は相変らずショボショボと降り、風は雑草を揺がして泣くように吹く、人里離れし山巓さんてん寂莫せきばくはまた格別である。
 廃殿の柱や扉には、かつてここを過ぎた者の記念と見え、色々様々の文字が記してあるが、中にこんな事も書いてあった。
「明治四十三年十月二十日、黒羽くろばね万盛楼まんせいろう娼妓しょうぎ小万こまん、男と共に逃亡、この山奥に逃込みしはず、捜索のため云々うんぬん――」
と、捜索に来た人間の名も麗々と記してある。こんな山奥に逃込むとは驚いた女もあるものかな、もしや男と共に谷間へ投身みなげでもしたのではあるまいか、どこかそこらの森林で首でもくくって死んだのではあるまいかと思うと、余りい気持はせぬ。
 その内に夜はシンシンと更けてくる。しかしまだ寝るには早い。イヤ寝るにも毛布けっとも蒲団も無いので、一同は焚火を取囲み、付元気つけげんきに詩吟するもあり、ズボンボうたうたうもあり。風上にいる者は雨の飛沫しぶきを受けるだけで我慢もなるが、風下にいる連中は渦巻く煙にむせび返って眼玉を真赤まっかにし、クンクン狸のように鼻ばかり鳴らしている。
 とかくする内に、一同はのどが乾いて堪らなくなって来た。それもその筈だ。汗水たらして激しく山登りをして来た上に、握飯には有付けず、塩からい冷肉を無闇むやみにパク付いたので、とてたまったものではない。
「ああ咽が渇く、咽が渇く」との嘆声八方より起る。なるほど八人口々に唸るのだから、これこそ本当の八方じゃ。
 なんでもこの山巓さんてんを少しくだったくさむらの中には、どこかに岩間から湧きいづ清泉せいせんがあるとは、日中ふもとの村で耳にしたので、
「オイ、その清泉いずみ所在ありかを知らぬか」と剛力に聴いてみたが、
「一向知らねえだ」と澄ました顔をしている。あとから考えてみると、数回この山に登った奴が全然知らぬ道理はない、きっとこの雨の中を汲みに遣られては堪らぬと、自分等も咽の渇くのを我慢して、焚火にかじり着いていたいため、知らぬ顔の半兵衛をめ込んでいたものと見える。
 一行は手分けをして、雨にうるお身長みのたけより高い草を押分け押分け、蚤取眼のみとりまなこで四方八方捜索したが、いかにしても見出す事が出来ない。咽はいよいよ渇いて来る。ある先生はショボショボ降る雨でも飲んでくれようと考えたものか、空を仰いで大口開けて突立っているが、雨はなかなかうまく口中へ降り込んではくれぬ。その馬鹿気た風体は見られたものではなかった。

    (一四)暗中水汲みずくみ

 いよいよ山巓さんてんに近く水が無いものとすれば、胸突むねつき八丁をくだって金性水きんせいすいまで汲みに行かねばならぬ。オオ金性水よ! 金性水よ! そこには氷のごとき清水が瀑布たきのように落ちているのだ。それを考えただけでものどがグウグウ鳴る。しかしこの疲れた足で金性水を汲みに行くのは容易な事ではない。この暗い夜! 胸突き八丁の険阻。ことにこんなジメジメした夜中やちゅうには、まむしが多くくさむらから途中に出ているので、それを踏み付けようものなら、生命いのちにも係わる危険であるが、咽の渇きもとてこらえる事が出来ぬので、一同は評議の上、留守師団は水汲み隊の帰ってくるまでの間に、天幕てんとを張り、寝る用意をすべて整えておく事とし、未醒みせい子、杉田子、髯将軍の三人は、身を殺して仁を為すといわぬばかりに、甲斐甲斐かいがいしく身支度を整え、水筒はただの三個のほかはないので、こればかりの水では足らぬと、廃殿の中を捜し回り、古びた花立のような長い竹筒を見付け出したので、それ等をぶら下げ、懐中電灯に暗い険しい胸突き八丁の道を照らしつつ、雨を冒して金性水のかたへと降りていった。
 跡に残った吾輩等は、焚火に燃ゆる枯枝を松明たいまつと振り照らし、とある大木の下の草の上に天幕てんとを張り出したが、松明は雨で消える、鉄釘は草の中へ落ちて見えなくなる、その困却は一通りでなかったが、の殿様然たる剛力どのには、水を汲みに行こうとはいわねば、天幕を張る手伝いをするでもなく、ただ焚火にかじり着いてはや居眠りを始めてござる。
 三、四十分も掛かってようや天幕てんとを張り終り、むしろを敷いてそこへ覚束おぼつかなくも焚火を始めた頃、水汲み隊は息を切らしヘトヘトになって帰ってきた。
「万歳万歳」の声は四方に起り、一同はあり甘味あまきに付くように水汲み隊の周囲まわりに集り、のどを鳴らして水筒の口から水をあおる。そのうまい事! 甘露ともなんともたとえようがない。
 スルト今まで居眠りをしていた剛力先生、二人共ノソノソやって来て、吾輩等の背後うしろから猿臂えんびを伸ばして水筒をつかもうとする。
「コラッ、貴様ッ、ろくろく働きもせぬくせに、生血いきちのような水をただ飲みしようとは、しからん奴だ」と呶鳴どなり付けたが、考えてみればあれも人の子、咽の渇くのは同じだろうと惻隠そくいんの心も起り、
「皆飲むなよ」と、長い竹筒の水を渡してやれば、先生竹筒に口を当てるが早いか、逆様さかさまにして皆ゴボゴボと飲んでしまった。イヤ腹の中へ飲んだのならまだいいが、やっこさん一口でも多く飲んでやろうと周章あわてたため、水汲み隊が汗水流して汲んで来た大事な水をば、大半ゴボゴボとこぼして地面に飲ませてしまったのだ。よくよくしゃくに触る奴等であるわい。

    (一五)巨大な天狗面

 しかし小言こごとをいったとて帰らぬ事、一同はいささのどの渇きもとまったので、
「サァ明朝あすは早いぞ、もう寝ようか」と、狭い天幕てんと内へゾロゾロと入り込んだが、下は薄いむしろ一枚で水がジメジメとうして来る。雨はますます激しく、開放あけはなしの入口は風と共に霧さえ吹込んで来るので、なかなか以て横になる事も出来ない。その内に焚火は天幕の一隅に燃え付いて、天幕は鬼火のように燃え上がる。
「ヤア、火事だ火事だ」と、周章あわてて揉み消す。火の粉は八方に散る。
「これはとてもいかん。むしろ廃殿の中で眠った方が得策だ」と早速天幕を疊み、一同はまたもやゾロゾロと、のきは傾き、壁板は倒れ、床は朽ちて陥込おちこんでいる廃殿にのぼり、化物の出そうな変な廊下をつたわって奥殿へと進み、試みに重い扉を力任せに押してみると、鍵はかかっておらず、扉はギーといたので、これは有難いと、懐中電灯の光に中をてらしてみると、奥殿の床板は塵埃ちりほこりの山をし、一方には古びたおお太鼓がよこたわり、正面には三尺四方程の真赤まっかな恐ろしい天狗の面がハッタとこちらを睨んでござる。一人でこんな場所へ来てこんな恐ろしい面を見たら、キャッと叫んで逃げ出すかも知れぬが、一行は大勢なのでチットも驚かない。
「ハハァ天狗様がまつってあるのだな、これは御挨拶を申さずばなるまい」と、そこで髯将軍はうやうやしく脱帽三拝し、出鱈目でたらめ祭文さいもんを真面目くさって読み上げる。その文言もんくいわく、
「コレ、天狗殿、吾輩は東京天狗倶楽部の一にん、吉岡信敬なり。あえて閣下の子分にあらずといえども、また多少の因縁なきにしもあらず。今夜ここに泊る。もし猛獣毒蛇きたらば、その眼玉で睨み殺して賜われ。猛獣ならばその皮は吾輩有難く頂戴ちょうだいする。終りッ!」
スルトそばから水戸の川又子、俳号を五と申す、宗匠気取りで、
 ああら天狗一夜の宿を貸し給え
駄句だくれば、
「アーメン」と誰か混ぜ返した者がある。
「コラ、そんな事をいうと、天狗様の罰が当るぞ」と、未醒みせい子は眼を剥く。先生の相貌、羅漢に似たる為か、アーメンはよくよく嫌いと見えたり。

    (一六)拝殿の[#「拝殿の」はママ]一夜

 サア天狗様へ御挨拶あいさつも済んだというので、一同は奥殿の片隅を拝借し、多くはビショビショに濡れたまま、雑嚢ざつのうや新しい草鞋わらじを枕によこたわったが、なかなか以て眠られる次第ではない。下は毛布けっと一枚敷かぬ堅い床板なので、腰骨や肩先が痛くなる。深夜の寒気さむけにブルブル震えて来る。その上得体も知れぬ虫がウジウジ出て来て、誰かの顔へは四寸程の蚰蜒げじげじあがったというので大騒ぎ。あっちでもブウブウ、こっちでもブウブウ、その内にゴーゴーと遠雷のような音響ひびき、山岳鳴動してかなり大きな地震があった。
「ソラ、天狗様の御立腹だ」と、一同は眼玉をまるくする。ヌット雲表うんぴょう突立つったつ高山の頂辺てっぺんの地震、左程の振動でもないが、余りい気持のものでもない。しかしこんな高山絶頂の野営中に地震に出逢うとは、一生に再び有る事やら無い事やら、これも後日一つばなしの記念となるであろう。
 とにかく寒気さむさと虫類のウジウジ押し寄せるので、吾輩はいかに日中の疲労つかれがあっても容易に眠る事は出来ず、早く夜が明けてくれればいいがと待つばかり。その内に一時間位はウットリしたのであろう。なんだか悪魔に腰骨でも蹴られたような夢を見てハット驚き目をくと、眼前には真赤まっかな恐ろしい天狗の面。まさに消えなんとする蝋燭ろうそくの光は朦朧もうろうとそれをてらしている。時計を出して見ると午前三時。まだ夜の明けるにはがあるが、いつまでもこんな所に寝ていられるものかと、吾輩は突如いきなり跳ね起き、こぶしを固めてそばおお太鼓を、ドドンコ、ドンドン、ドドンコ、ドンドンと無暗むやみに打叩けば、何人なんびとも満足にねむっていた者はなかったものと見え、いずれもムクムクと頭をもたげて、
「何時だ何時だ」
「まだ三時だが、もうそろそろ出立と致そう」
「よかろうよかろう」と、一同も起上おきあがり、着のみ着のままで寝たので身仕度の手間は入らず、顔を洗おうにも水はない。また握飯にぎりめしはオジャンとなったので朝食あさめしの世話もないが、今日の行程は七里以上、なにも食わずでは堪らぬと、昨夜ゆうべのどを渇かしたにも懲りず、またしても塩からいコーンビーフにいささか腹を作り、氷砂糖などをしゃぶりつつ、出発の用意全く出来上ったが、ここに困った事には、例の剛力先生、今日のお伴は真平まっぴらだといい出した一件で、
「こんな苦しいお伴をした事は生れて初めてだ。荷物の重いばかりでなく、箆棒べらぼう前途さきばかり急いで、途中ろくろく休む事も出来ねえ。どこまでも付従くっついて行ったら生命いのちを取られるかも知れねえだ。俺達はここから帰る帰る」
とダダをねている。
「そんな事をいっては困る。この深山で置いてきぼりを食っては、麓へ降りる道も分からぬではないか。今日は荷物もウント軽くしてやる。ゆっくり休ませてもやるから、ぜひ行ってくれ」と頼んでも、
いやいやだ、ここで御免こうむるだ」と、いつまでもグズグズいっているので、吾輩大いに腹を立て、
「勝手にしろ。山を降りれば何かあるに相違ない。何かに付いておりれば、どこかの村につくきまっている。汝等なんじらごとき懦弱漢はかえって手足てあしまといだ。帰れ帰れ」と追い帰し、重い荷物は各自分担して、駄馬のごとく、背に負い、八溝山万歳を三呼して廃殿を立ちでた。

    (一七)山中マゴツキ

 この時は午前の四時少し過ぎ、東の空はようやく白んで来たようだが、濃霧は四方を立てめて、どこの山の姿も分らない。もし濃霧れて、東天に太陽の昇るのを見たならば、その絶景はいかばかりだろうと思うが、今日到底その望みはないので、一行は濃霧中に道を捜しつつ山をくだって行く。
 登る時には長い時間と多くの汗水とをついやさせた八溝山も、そのおりる時はすこぶる早い。しかしり道も決して楽ではなかった。濃霧は山をおりるにしたがい次第次第に薄くなって、緑の山々も四方に見えるようになったが、道はしばしば草に埋没して見えなくなる。崖の崩れて進むにかたところもある。赤土の道では油断をすると足をすくわれて一、二回滑りおち巌石がんせきの道ではつまづいて生爪を剥がす者などもある。その上、あぶの押寄せる事はなはだしく、手や首筋を刺されて閉口閉口。
 絶頂から一里ほどおりると、はたして急流矢のごとくに走っている。急流の岸には一軒の水車小屋もさびし気に立っている。一行は今夜、那須野なすのはら黒羽くろばね町に一泊の予定で、その途中、有名な雲巌寺うんがんじへ回ってみる積りなので、急流の岸の水車小屋に足を運び、
「ここから雲巌寺まで何里ある」とけば、
「二里位だ」と答える。有難ありがたし有難し、二里位なら一足飛びだと、くわしく道を聴き、急流に沿うて、あるいは水をわたり、あるいは岩角をえ、ようやく道らしい道に出たので、一行は勇気数倍し、髯将軍真先まっさきに軍歌などをうたい出し、得意になってだんだん山をくだること一里半ばかり、むこうから樵夫きこりらしき男が来たので、
「雲巌寺へはこの道を行けばいいのか」とけば、
「滅相もない。この道を行けば棚倉たなぐらへ出てしまう。雲巌寺へはズット後戻りして、細い道を右へ曲がって行かねば駄目だ」と、くわしく道を教えられて有難いやらガッカリやら。一同はその教えられた通りにまたもや一里半ほど進むと、今度は頬被ほおかむりの馬士まごがドウドウと馬をいてやって来たので、もう雲巌寺も間近だろうと胸算用をしながら、
「お寺へは何里だね」と軽くたずねると、
「そうさね、二里半もあろうか」といい捨てて行き過ぎる。
「ハテナ、来れば来るほど道が遠くなるとはこれ如何いかに」禅宗の問答ではないが分からぬ事限りなし。初め雲巌寺まで二里と聴いた水車小屋からは、二里はおろか無駄足をして既に四、五里は来たのに、この先まだ二里半あるとはガッカリガッカリ。孔明こうめいの縮地の法という事は聞いているが、このへんに伸地の魔法でも使う坊主でもいるのではあるまいかと、一同はにわかに疲労つかれを感じてきた足を引摺ひきず[#「引摺ひきずり」は底本では「引摺ひきずりり」]引摺り、更に半里ほど歩んで、路傍みちばたの農家にチョンまげの猿のような顔をした老爺おやじが立っていたので、またしてもしょうなく、
「雲巌寺まで何里だ」と問うと、
「二里半だ」と相変らずである。これでは歩いているのだか、ツクネンと立っているのだかさっぱり分からぬ。
「いくら歩いたって駄目だ。まだ二里半あるなどと、そんな馬鹿な事があるものか。道を近くいう奴は可愛らしいが、遠くいう奴は憎らしい。あの老爺おやじつらしゃくに触るではないか」と、老爺どのとんだおにくしみを受けたものだ。けだし足の重くなった旅行家の真情を暴露したものだ。

    (一八)焼酎しょうちゅうの御馳走

 一行は多少ヤケ気味に、それよりはブラリブラリと牛の歩みよろしく、またもや一里あまり進んで、南方みなみかた村という寒村に来掛かれば、路傍みちばた開放あけはなされたる一軒家では、ふんどし一本の村のじいさん達四、五人あつまって、しきりに白馬どぶろくか何か飲んでいる。ここでもまたまた雲巌寺へ何里あると問えば、
「そうさね、一里には近かろう」との答えだ。
善哉ぜんざい! 善哉! この爺さん達はエライよ」と、一同はホッと一息。時刻は正午ひる間近なので、朝飯の不足に腹が減って堪らず、ここは掛茶家ではないが、一同は御免そうらえと腰を下し、何か食う物は無いかと聴くと、何も食う物は無いが、焼酎に漬物位なら有るという。
「焼酎でも結構結構」と、焼酎五、六合に胡瓜きゅうりの漬物を出して貰い、まだ一缶残っておった牛肉の缶詰を切って、上戸じょうごは焼酎をグビリグビリ、下戸げこは仕方がないので、牛肉ムシャムシャ、胡瓜パクパク。漬物は五、六杯お代りをすれば、もう一家中にあるだけことごとたいらげてしまったので、今度は生の胡瓜に塩をつけて丸噛まるかじり。減腹すきはらに焼酎をあおった連中はフラフラして来る。吾輩も白状すれば大いに参った。
 何しろ重い荷物を引担いで山道は迷う、炎天には照りつけられる、その上昨夜ゆうべの睡眠不足も手伝って、一行の足の重きことおびただしく、いささか意気消沈の気味にも見えるので、こんな事ではいかん、反対療法にくは無しと、その実吾輩も大いに凹垂へこたれているくせに、
「ここから雲巌寺まで約一里、クロスカンツリーレースをろうではないか」と威張り出せば、誰も凹垂れたと見られるのは厭なものと見え、
「賛成賛成」といずれも疲れ切ったる毛脛けずねを叩く。
「お前様達、一里かけッこをするのかね」と爺さん達は眼をまるくしている。
 そこで農家の爺さん達にお頼み申し、重い荷物はことごとく駄馬に着けて、近道を黒羽くろばね町まで送り届けて貰う事とし、黒羽町の宿屋は△△屋というのが一等だと聴いたのでそこと取極とりきめ、さて一行は半身裸体なるもあればシャツ一枚となるもある、内心困った事になったと思いながらも、程よく一列に並び、一、二、三の掛声で砂塵を蹴立てて一目散に駆け出した。

    (一九)一里競争

 先頭は誰ぞと見れば、腕力自慢の衣水いすい韋駄天いだてん走り、遥か遅れて髯将軍、羅漢らかん将軍の未醒みせい子と前後を争っていたが、七、八町に駆けるうちに、衣水子ははや凹垂へこたれてヒョロヒョロばしり、四、五町にいた水戸中学の津川五郎子、非常なヘビーを出して遥か先頭に進み、続いて髯将軍、羅漢将軍等、髭面ひげづら抱えてスタコラ走ってく有様は、全く正気の沙汰さたとは思われず、田畑の農民等は何事ぞと、腰を伸ばして眼を見張っているばかり。
 吾輩はいかにと自分で自分を見れば、これはいかなこと! 昨日きのう登山第一の元気はどこへやら、焼酎しょうちゅうは頭へのぼって、胸のあしき事はなはだしく、十二、三町走るか走らぬに、とてたまらず、煙草たばこ畑の中へ首を突込んで嘔吐へどく。焼酎と胡瓜きゅうりことごとき出したが、同時に食った牛肉は不思議にも出て参らず、胃のもなかなか都合好く出来たものかな。
 そこに背後うしろに人の足音が聴こえたので、南無三宝! 見付けられたかと、大急ぎで煙草畑から首を突出してみると、幸いに嘔吐へどはくところは見付けられず、そこには六十ばかりの梅干ばあさん眼玉をまるくして、あっちに駆け行く一行を眺めつつ、
「何事が起っただね」と、さも驚いた顔。
 吾輩は空惚そらとぼけて、
「泥棒を追掛けているのだ」というと、婆さんなるほどといわぬばかり、
「あの髯生えた黒い洋服ふく、泥棒だんべい。お前様方刑事かね」と、ここから真先まっさきに逃げているように見える髯将軍は泥棒と間違えられ、吾輩等は刑事と相成った次第。
「そうだよそうだよ」と、吾輩焼酎を吐出してしまったので大いに気持もよく、またもやスタコラ走ってようやく雲巌寺の山門に着いてみると、先着の面々は丸裸となり、山門前を流るる渓流で水泳などをやっている。元気驚くべし!
 一着は水中の津川五郎子で、一まいるの時間十五分十二秒、二着は髯将軍、三着は羅漢将軍、四着は走れそうもない木川子が泳ぐようにして辿たどり着いたという事で、吾輩はビリの到着。昨日きのうの第一着は差引きでゼロと相成った。残念残念。
 雲巌寺は開基五百余年の古寺ふるでらで、境内に後嵯峨ごさが天皇の皇子おうじ仏国ふつこく国師こくしの墳墓がある。山門の前を流るる渓流は、その水清きこと水晶のごとく、奇巌きがん怪石の間を縫うて水流の末はここから三里半ばかり、黒羽の町はずれを通っていると聴くので、足の重くてたまらぬ吾輩は一策を案じ出し、
「どうだ、大きなたらい八個やっつ買ってそれに乗り、呑気のんきに四方の景色を見ながら水流ながれうかんで下ったら、自然に黒羽町に着くだろう」と、そこで新しい盥でも古い盥でも構わん、人間一ぴき乗れそうな盥を売ってくれぬかと、そこらをウロウロ捜し回ったが、こんな寒村に大盥が八個やっつもあろう筈はないので、せっかくの妙案もあわれオジャンと相成った。
 しかし雲巌寺を出発してから行く途々みちみち、渓流に沿うて断岸の上から眼下を見れば、この渓流には瀑布たきもあれば、泡立ち流るる早瀬もあり、また物凄く渦巻く深淵などもあって、好奇ものずきに盥に乗ってくだろうものなら、二人や三人土左衛門と改名したかも知れぬのだ。盥が無くて仕合しあわせ仕合。

    (二〇)とんだ宿屋

 雲巌寺から黒羽町くろばねまちまでは炎天干しで、その暑い事は焦熱地獄よろしくだ。半身裸体の吾輩などは茹章魚うでだこのごとくになり申した。疲れに疲れし一行は、途中掛茶屋さえあれば腰をおろして、氷水を飲む、真桑瓜まくわうりを食う、饅頭まんじゅうをパク付く。衛生も糸瓜へちまもあったものではないが、こんな蛮勇には病魔の方から御免を蒙るのだから、途中腹を下すような弱虫は一人もなく、牛の歩みも一歩一歩黒羽町に近づき、この前途さきもう半里はんみちばかりというところまで来かかると、ここにもあめン棒など並べて一軒茶屋。一行はまたもや一休みして、
「黒羽でい宿屋はどこだ」と試みに問うと、将棋を指していた四、五人のじじい連、
「そうさね、新しくできた花月がよかんべい。あのうちは堅えだ。お前様方どこへ泊るね」というので、
「△△屋がいいと聞いたので、荷物も先回しに遣っておいた」と答えると、
「へへへへへ、あの家もよかんべい。うめたにみたいなあまも二人いるだで――」と妙に笑う。形勢はなはだ穏やかならん。よくよく聴きただせば、△△屋というのは女郎屋と背中合せの曖昧あいまい屋で、我が一行の荷物は先回しに、淫売宿いんばいやどへ担ぎ込まれた次第と分ったり。
「サア大変じゃ!」
 第一に敦圉いきまき出したのはひげ将軍、
「これはいかん! これはいかん! 淫売屋などへ泊れるものか、堅いという花月へ行こう」
「荷物はどうする」
「荷物なんか構うものか。△△屋の前は知らん顔に素通りして、あとから宿屋の者を取りに遣る。ぐずぐずいったら査公おまわりに持って来て貰うさ」
「そうじゃそうじゃ」と評議一決。やがて黒羽町に入込いりこむと、なるほど、遊廓と背中合せに、木賃宿に毛の生えたような宿屋が一軒、のき先には△△屋と記してある。
「これだな」と、一行は澄ました顔をしてその前を素通りしながら、そっと横眼を使って店内みせうちを眺めると、有るわ有るわ、天幕てんと、写真器械、雑嚢ざつのうなど、一行の荷物は店頭に堆高うずたかく積んである。宝の山に入りながらではないが、我が荷物ながらオイよこせと持出す訳にも行かず、知らぬ顔に一、二町スタスタ行き過ぎると、たちま背後うしろからオーイオーイと呼ぶ者がある。振返ってみると、なるほど、梅ヶ谷のような大女おおおんな、顔を真白まっしろに塗立てたじんばけ七が、しきりに手招きしながら追っ掛けて来る。
「ソラ来た」というので、一同ワッと逃げ出す。その速い事! 今までの足の重さもどこへやら、五、六町韋駄天いだてん走りに逃げ延びて、フウフウ息を切らしながら再び振返ってみると、これはしたり、一行中の杉田子は、くだんの大女につかまって何か談判最中。救助隊を出さねばなるまいという者もあったが、ナァニあの先生が捕虜になる気遣いはないと、一同は一足お先に那珂川なかがわに架けたる橋を渡り、河畔の景色けいしょくき花月旅店りょてんに着いて待っていると、もなく杉田先生得意満面、一行の荷物を腕車わんしゃに満載してやって来た。聴けば、杉田先生はお年寄役だけに、三十六計の奥の手も余り穏かならじとあって、単身踏みとどまり、なんとかかんとか胡魔化ごまかして、荷物をことごとく巻上げて来たとの事だ。鬼ヶ島から帰って来た桃太郎よりも大手柄大手柄。
 黒羽の宿屋で久し振りのビール一杯。ペコペコに減った腹に鰻飯うなぎめし! そのうまかった事! のどから手が出て蒲焼きを引摺ひきずり込むかと思われた。
 翌日あすは茫漠たる那須野なすのはらを横断して西那須野停車場ステーション。ここで吾輩は水戸からの三人武者と共に、横断隊に別れて帰京の途に着いた。横断隊は未醒子、髯将軍、衣水子、木川子、これから日本海沿岸まで山中の突貫旅行をやるのである。
 小山おやま駅で水戸の三人武者とも別れて、あとはただ一人、にわかにさびしくなれば数日以来の疲労も格段に覚えて、吾輩は日光の鮮かにてらす汽車の窓から遠近おちこちの景色を眺めていると、吾輩に向い合って腰掛けていたのは頬骨の高いハイカラ紳士、物もいわず猿臂えんびを伸ばして、吾輩が外を眺めている車窓の日除けを閉ざす。これはしからん奴じゃ、ひとの領分の扉を無断で閉ざす奴があるものかと、吾輩は用捨なくすぐに開けると、暫時しばらくしてまたノコノコ手を伸ばして閉める。
「何をする」と呶鳴どなり付けると、
「日が射して困る」と、ハンカチーフなんかで鼻の頭を撫でている。
「馬鹿をいうな、太陽おてんとうさまは結構じゃ」と、吾輩は遠慮会釈もなく再び扉を開け、今度は閉められぬようにと窓の上にひじもたせて頑張っていると、これには流石さすがのハイカラ先生も閉口し、ブツブツいいながら日の当らぬ方へと退却に及んだ。こんな奴は自分で自分の身体からだを弱くしようしようと掛かっている馬鹿者と見える。太陽の光線ひかりに当るのが左程さほどこわければ、来生らいせい土鼠もぐらもちにでも生れ変って来るがいい。日陰の唐茄子とうなすしなびているごとく、十分に大気に当り、十分に太陽の光線を浴びぬ奴は心身共に柔弱になる。東京の電車に乗ってもそうだ。大の男や頑強なるべき学生輩に至るまで、窓から太陽が射して来ようものなら、毒虫どくちゅうにでも襲われたように周章あわてて窓を閉ざして得意でいる。ことしょうなりといえども、こんな奴等も剛勇を誇る日本国民の一部かと思うと心細くなる。半死半生の病人や色の黒くなるのを困る婦女子ではあるまいし、太陽の光線ひかりがなんでそんなにこわいのだ。現代の所謂いわゆるハイカラなどという奴は、柔弱、無気力、軽薄を文明の真髄と心得ている馬鹿者共である。こんな奴はついには亡国の種を糞虫くそむしとなるのだ。太陽は有難い! 剛健強勇を生命とする快男子は、すべからく太陽に向かって突貫し、その力ある光勢を渾身こんしんに吸込む位の元気が無ければ駄目じゃ。
 午後三時半、上野に着く。実に今回の旅行は愉快であったが、思えば初めから終りまでしゃくの種も尽きぬ旅行であったわい。
付記。吾輩の今回の旅行はこれで終ったが、横断隊は勇気勃々ぼつぼつとして突貫旅行を続けている。髯将軍と衣水子の快筆は、未醒子の漫画、木川子の写真と共に、必ず痛快に本誌の次号を飾るであろう。

底本:「〔天狗倶楽部〕快傑伝 ――元気と正義の男たち――」朝日ソノラマ
   1993(平成5)年8月30日第1刷発行
底本の親本:「本州横断 癇癪徒歩旅行」雑誌<冒険世界>、博文館
   1911(明治44)年9月号掲載
※旧字「彌」「嶽」「疊」の使用は、底本通りです。
入力:H.KoBaYaShi
校正:伊藤時也
1999年11月30日公開
2009年9月16日修正
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