目次
 むかし、関東地方を治めてゐた殿様がありまして、江戸えどに住んでゐられました。その殿様が、病気にかかられて、いろいろ手当をなさいましたが、病気はおもくなるばかりで、いつ亡くなられるかわからないありさまとなりました。
 家来たちはたいそう心配しました。ことに、江戸から遠いところにゐる家来たちは、殿様のごやうすがよくわからないので、ひどく心をいためました。
 秩父ちちぶのおくにゐました秩父のつかさも、たいへん心配しまして、ある日、三峰山みつみねさんの中に、三峰の法師をおとづれました。この三峰の法師といふのは、祈りのみちにくはしく、またいろいろな薬にもくはしいとの、評判のたかい人でした。
 秩父の司は三峰の法師にたのみました。殿様のご病気がなほるやうに、お祈りをしていただきたいし、また、お薬をととのへていただきたいと、たのみました。
「七日の間お待ちください。」と三峰の法師はいひました。「七日かからなければ、私のちからではどうにもなりませぬ。」
「それでは、八日めには、かならずととのへていただけますね。」
「承知いたしました。」
 その約束で、秩父の司はいくらか安心しました。けれど、七日の間が待ちきれないやうな思ひでした。江戸からのたよりでは、殿様はますますわるくなられるばかりです。
 その七日のあひだ、三峰の法師は、朝は日の出る前二時間、夜は日が沈んでから二時間、いつしんにお祈りをして、守り札をこしらへました。それから昼間は、秩父の山や谷をあるきまはつて、りつぱな薬草をさがしあつめ、それを夜の間に乾かしました。
 そして八日めに、守り札と、調合した薬とを、秩父の司のところへとどけました。
 秩父の司の喜びは、たとへやうもありませんでした。
 ところが、殿様のようだいはあぶないのです。ひと時も早く、その二品を江戸までとどけなければなりません。どうすれば、一番早くとどけられるでせうか。
 秩父の司は、人人を呼び集めました。
 その集まりの席で、私が江戸へまゐりませうと申し出たものがありました。
「馬をかけさして行きます。馬が倒れたらこの足でかけて行きます。命のあるかぎりとんで行き、殿様のおやかたへ、その品をかならずおとどけいたします。」
 それは、秩父のはやといふ若者でありました。馬術にすぐれ、ことに、足が早いので知られてゐました。
 秩父の速ならば、みごとこの役目をはたすであらうと、秩父の司も思ひましたし、ほかの人人も思ひました。
 さつそく、評議はまとまりました。
 秩父の速がお使ひとして、貴い二品をあづかりました。ほかになほ四人の者がついて行くことになりました。
 秩父の速がひき出した馬は、つやつやとした鹿毛かげのけなみもうつくしい、たくましいもので、鬼カゲと呼ばれてゐる名馬でした。ほかの四人の馬も、それぞれすぐれた馬ばかりでした。
 そしてこの五人は、江戸へむかつて遠い道を、いつさんに馬をかけさせました。

 ひろびろとした武蔵野むさしのを、江戸の方へむかつて、五人のさむらひをのせた五頭の馬が、風のやうにかけて行きます。通りがかりの人人は、あきれたやうにそのあとを見おくりました。
 まつ先にたつてゐるのは、秩父の速がのつてる鬼カゲです。少しおくれて、四頭の馬がつづきます。どの馬もみな、たいへん疲れてゐます。乗りてもつかれてゐます。それもむりはありません。遠い秩父のおくから、かけどほしにかけて来たのです。そしてなほ、馬も人も、力のつづくかぎり、かけつづけるつもりのやうです。
 その力も、だんだんつきてきたやうです。おくれるものがでてきました。おくれては、また先のにおひつかうとしますが、それもよういではありません。入間川いるまがはのてまへで、たうとう、一頭の馬は倒れました。入間川をのりこして、なほ進むうち、つぎつぎに倒れるのがでてきました。そして大井をすぎるころには、まつ先の鬼カゲだけとなりました。
 鬼カゲも、さすがに、体ぢゆう汗にまみれてゐます。息もけはしくなつてゐます。それでもなほかけつづけます。かなた、江戸の方向に目をむけながら、かけつづけます。乗つてゐる秩父の速も、汗にまみれながら、かなた、江戸の方向に目をすゑてゐます。その馬と人との、おなじ方向にむいてる目が、おなじ一つの決心を現はしてゐるやうです。馬と人と一つになつて、江戸までかけつづけるぞと、決心してゐるやうです。
 やがて、大和田まで来ました。それでも鬼カゲは、休みませんでした。大和田を通りぬけると、大きな杉の木が、道ばたにそびえてゐました。そのそばを、うす暗いかげの中を、突つきりました。だが、突つきるとたん、その杉の根が少し高く出てゐるところへ、鬼カゲはつまづいて、ばつたり倒れました。
 鬼カゲは倒れました。だが、横だふしにではありません。なほ主人を乗せるつもりか、四つ足をまげて、かがむやうに倒れたのです。倒れるといつしよに、はりつめてゐた力もつきて、頭をがつくり地面におとしました。
 秩父の速も、力がつきかけてゐました。鬼カゲが倒れると、地面になげ出されて、気がとほくなりました……。
 ふと、秩父の速はわれに返りました。杉の木によりかかつて立つてゐました。そばには、鬼カゲがつつ立つて、はるか江戸の方向を見つめてゐます。
 秩父の速も、鬼カゲとおなじ方向に目をむけました。さうだ、死んでもなほ果さなければならない役目があるのです。秩父の速は元気をとりもどしました。鬼カゲの頸をなでながらいひました。
「さあ、もう一息のしんばうだ。たのむぞ。」
 秩父の速は鬼カゲにとび乗りました。鬼カゲはかけだします。秩父の速はもうむちゆうでした。息もつけないほどの早さで、武蔵野を突つきり、江戸につき、殿様のやかたへかけつけました。
 殿様のやかたの前で、秩父の速は大声に呼ばはつて、門をはひり、背中にしよつてゐた箱をさし出したまま、そこにがつくりとかがみこんでしまひました。
 箱の中には、三峰の法師がととのへてくれた二品がはひつてゐました。守り札は、殿様の枕もとにそなへるもので、薬はせんじて、殿様にさしあげるものなのです。それからなほ、その二品について、秩父の司からのくはしい手紙がそへてありました。

 秩父の速は、みごとにその役目を果しました。そして、貴い守り札と薬のおかげで、殿様のなやみも早くうすらぎ、まもなく全快されることとなりました。秩父の速は、てあついご褒美はうびをいただきました。
 ところが、ふしぎなことがありました。
 秩父の速は、大和田からこちらも、鬼カゲにのつてかけて来たつもりでゐましたが、その鬼カゲが、どこにも見つかりませんでした。殿様のやかたの人たちにきいても、門番にきいても、秩父の速は馬に乗つて来たのではなく、ただ馬のやうに早くかけて来たのだと、いひました。
「馬のひづめの音がしたやうでもありますが、いやたしかに、馬の姿は見えませんでした。」
 それでも、秩父の速はなほ、鬼カゲをさがしましたけれど、やはりどこにも見つかりませんでした。
 そのうちに、秩父の司のところからいつしよに出かけて来て、途中で馬をうしなつた四人のものが、おくれて江戸へつきました。その人たちの話では、鬼カゲはたしかに、大和田のあたりに倒れてゐたさうだといふのです。
 秩父の速には、どうもなつとくがいきませんでした。鬼カゲに乗つて江戸へ来たとばかりおぼえてゐるのです。
 そののち、秩父の速はまた、秩父のおくへ帰ることになりました。それで、大和田を通る時に、よくしらべてみますと、あの鬼カゲはたしかに、大和田の町はづれの杉の木の根もとに倒れてゐて、そこの人たちのなさけで、近くに葬られたといふことがわかりました。
 鬼カゲが葬られた場所には、そのしるしに、大きな石が一つ置いてありました。
 秩父の速は、その石の前にひざまづいて、涙をながしました。
「鬼カゲ、おまへは死んでもなほ、だいじな役目を私といつしよに果さうとの一念から、私を江戸まで乗せて行つてくれたにちがひない。鬼カゲ、私は心からお礼をいひます。」
 そして秩父の速は、この名馬の魂をなぐさめるため、馬頭観音ばとうくわんのんの像を石にきざませて、鬼カゲが葬られた場所にまつりました。
 ――この馬頭観音は、鬼カゲさまといはれて、のちのちまで長く祭られました。

底本:「日本児童文学大系 第一六巻」ほるぷ出版
   1977(昭和52)年11月20日初刷発行
底本の親本:「先生の心・長彦と丸彦」新潮社
   1942(昭和17)年12月
初出:「幼年倶楽部」講談社
   1942(昭和17)年4月
※初出時の表題は「おにかげさま」です。
入力:菅野朋子
校正:門田裕志
2012年1月3日作成
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