後村上ごむらかみ天皇さまの皇子さまに、寛成ひろなりさまと申すお方がございました。
 まだ、ごく御幼少の時、皇子さまは、多勢の家来たちと、御一しよに、吉野川の上流、なつみの川岸へ、鷹狩たかがりを御覧においでになりました。
 川岸には、大きな岩があつて、その上に、松の木が一本、枝ぶり美しく、生えてゐました。
 寛成の皇子さまは、それが大へん、お気に入つたとみえ、おそばにゐた、中将ちゆうじやう河野実為かうのさねために、
「帰るとき、あの岩と松とを、御所のお庭へ、持つて行つて下さい。陛下に献上したいから。」と、仰せになりました。
 岩といつても、大きな岩で、どれだけの重さだか、わかりません。けれども、まだお小い、皇子さまのことですから、鷹狩を、御覧になつてゐるうちに、その岩のことは、お忘れになられるだらう、と、思ひましたので、中将は、
「よろしうございます、帰りには、きつと、持つてまゐりませう。」と、い加減なお返事をいたしておきました。
 やがて、鷹狩もすんで、みんな、御所の方へ、お帰りになりました。
 途中で寛成の皇子さまは、
「あ、あの岩を、忘れて来たではないか。」と、申されました。すると、そばに居た、忠行ただゆきの侍従は、
「あの岩は、なかなか、重うございますから、わたしひとりの力では、とても、持つてまゐる事は出来ませんが、民部大輔みんぶたいふは、大変な、力もちでございますから、あとから、持つてまゐりませう。」と、申し上げました。そして、岩と松の事は、お忘れになるやうに、いろいろ、面白いお話をいたしましたが、皇子さまは、御所へお帰りになると直ぐ、河野中将を、およびになつて、
「まだ。あの岩と松は、持つて来ないのか。」との、お尋ねでございました。中将も、困りましたので、
「岩のことは、忠行の侍従に、よく言ひつけて置きましたから、おきき下さいまし。」と、申し上げますと、皇子さまは、
「では、すぐ忠行に、ここへ来いと言つて下さい。」と、申されました。で、致方なしに、忠行を呼んでまゐりますと、
「あの岩は、どうした。早く持つて来ないか。岩には、松が生えてゐたはずだ。」と、おほせになりましたので、忠行の侍従も、困つてしまひ、
「あの岩は、民部大輔が、あとから、持つてまゐつた筈でございます。只今ただいま大輔を、これへ呼び出しませう。」と、いい加減な事を、申し上げましたが、皇子さまは、なかなか、御承知なさらないで、
「あれだけ中将に、よくよく言ひつけて置いたのに、どうして、早く持つてまゐらぬのか。」と、申されて、悲しさうに、うなだれてゐられますので、中将から、の事を、天皇さまに申し上げますと、天皇さまは、お手をつてお笑ひになり、
「それは面白い、その岩を、是非見たいものだ。民部大輔は、日本一の力もちだから、きつと、持つてきたに相違ない。早く此所ここへ、もつて来るやうに、言ひつけるがよい。」と、申されました。そこで、中将は、へやの外に出て行つて、民部大輔に、
「皇子さまが、是非、あの岩と松とを、ほしいと仰せられるが、どうしたらば、よいだらうか。」と、相談いたしました。
 民部大輔も、よわつてしまつて、しばらく、考へ込んでゐましたが、
「よろしい、よいことを、考へつきました。かういたしませう。」と、言つて、御所のお庭にあつた、小い小い岩に、松の小枝をしばりつけて、中将と二人で、さも重さうに、よいしよ、よいしよと、掛声をして、それを、皇子さまの前に持つて来て、ゑました。が、それを御らんになつた皇子さまは、
「川にあつたのは、もつと大きな岩だつた。こんな、ちつぽけな岩ではなかつた。」と、申されました。すると、民部大輔は、
「あの大きな岩が、こんなに小く、なつてしまつたのでございます。」と、真面目まじめな顔付で申し上げますと、
「どうして、そんなに、小さくなつたのか。そのわけを、おはなし。」と、皇子さまは、小いおひざを、お進めになりました。
「あの川岸にありました、大きな岩を、私が両手に力をこめて、うんと担ぎ上げ、山路やまみちを登つてまゐりましたが、途中で、右と左から、山と山との、さし出た所で、岩が両方の岸に、がつちり、はさまつてしまひましたのでございます。」
「うん、あの山と山との間は、狭いから、岩が引つかかつたかも知れない。それからどうしたのだ。」
「はい。此の民部大輔、非常に困つてゐますと、うしろから大きな声で、何だつて、こんな所へ、大きな岩なんか、担ぎ込んだのだ。みちふさがつて、たれも通ることが出来ないぢやないか。と、呶鳴どなる者がありました。」
「その、大輔をしかつた者は、何者であつたか。」
「それは、あの、法螺貝ほらがひを吹いて、御祈祷ごきたうをいたします、山伏やまぶしの一人でございました。」
「山伏は、どんなことをしたか。」
 皇子さまは、だんだん、お話が面白くなつて来ましたので、御機嫌ごきげんが、直つてまゐりました。
わたしは、その山伏に、そんなに、人を呶鳴りつけるものではない。この岩は、恐れ多くも寛成の皇子さまから、天皇さまに御献上なさる大事のお土産でございますから、どうしてもこれは、御所までもつてまゐらねばならない、岩でございます。と、申しました。すると、山伏は急に、言葉を和げて、ああ、皇子さまの、お土産でございますか。それならば、私が其の岩を、少し小くしてあげませう。と、云つて、手にもつてゐた、数珠をもみながら、あじやら、もじやら、うじやら、もじやらと、呪文じゆもんを、唱へはじめました。」
 皇子さまは、にこにこお笑ひになつて、
「岩は小くなつたか。」と、申されました。
「はい、岩はだんだん、小くなりまして、たうとう、こんなになつてしまひました。そこで、わたしは、こんなに小くなつては困りますから、どうぞ元元通り、大きくして下さい。と、申しましたが、山伏は、頭をふつて、これから、御所までの途中には、もつと道幅の狭いところが、何箇所もありますから、元の通り大きくすれば、どうしても、御所まで、持つてまゐることは、出来ません。と、申しました。なるほど、それもさうだ。と、思ひましたので、この通り、小くなつたまま、持つてまゐりましたので、ございます。」
 民部大輔の話を、黙つてお聞きになつてゐました、天皇さまも、忠行侍従も、河野中将も、みんな感心してしまひました。ところが皇子さまは、可愛いお目目を見はつて、
「では、しかたがない。しかし、そんな偉い山伏に、会つてみたいものだ。早く行つて、呼び返して来て下さい。」と、申されました。それを聞いた大輔は、さも残念さうな、顔つきをして、
おほせではございますが、その山伏と申しまするは、とても、足の早い男で、ございましたから、もう、何十里先へ行つたか、知れません。今からたれが追つかけたところで、追ひつくことは、思ひもよらぬことでごぎいます。」と、申し上げました。すると、皇子さまも、残念さうな、お顔をなされて、
「残念なことをした。の山伏をよんで来たなら、民部大輔の、今言つた其のうそを、もつと、小くしてやるやうに、祈らせる筈だつたが。」と、申されました。
 まだ五歳か六歳の、御幼少なころでしたが、お賢い寛成の皇子さまは、何もかも、よく御承知だつたのです。そして、こんな奇抜なことを、おつしやつたのでございました。
 この寛成の皇子さまが、御成長の後に、御即位なされて、長慶天皇さまに、おなりになつたのでございます。

底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「童話読本 六年生」金の星社
   1939(昭和14)年2月
初出:「金の星」金の星社
   1927(昭和2)年1月
入力:tatsuki
校正:田中敬三
2007年2月21日作成
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