「お母さん、私は何處から生れて來たの。」
「それはね、遠くの遠くの方からこふの鳥が銜へて來て、うちの煙突の中に落して行つたのです。」
 西洋の子供も、自分達が何處から生れて來たかを訝かしがつて、執拗しつつこく問ひただしては母親を困らせるさうである。まことにそれは、吾々が子供心に、飽迄も知らんと欲して、しかも遂に知る事の出來なかつた謎であつた。
 物心のついた時には、既に自分の目の前に、兄が二人、姉が一人あつた。柔かに暖く、縋りついて顏を埋めれば、顏中が埋まつてしまふ母の乳房を銜へたまま、何の心配も無く眠つた月日は短かかつた。喰ひついて離れまいとするのを苦い藥を塗つたり、騙したり、叱つたり、すかしたりして、母は永久にその懷しい乳房から自分を振放してしまつた。自分はその日からけだものの乳で育てられた。忽ちにして妹が生れた。續いて弟が生れた。又妹が生れた。妹が生れた。弟が生れた。弟が生れた。弟が生れた。弟が生れた。
「いつたい赤坊は何處から生れるのだらう。」
 幼い自分の頭腦を、此の不可思議はどんなに深く惱ましたかわからない。
「神樣が授けて下さつたのですよ。」
 とお祖母樣はおつしやつた。そのお祖母樣に連れられて戸外おもてに出ると、自分が生れた時、お祖母樣の懷に抱かれて、お宮詣に來たといふ神社の前で、
「これがお前達を授けて下さつた神樣だから、かうして拜むのですよ。」
 と拍手をうつ事も教はつて、ちひさい手を合せたが、縁日の日の外は、何時も森閑としたお宮の神樣によつて生れたのだと考へるのは、涙が溢れる程寂しかつた。
「それはね、お母樣のおなかから生れて來たのです。」
 と或時母自身の口から聞いたのが、ほんとの事に違ひ無いと思つた。
「婆やは木の股から生れて參りました。」
 と婆やは眞面目な顏付で云つたけれど、そんな事があるものか。
「ねえお兼さん、お兼さんも木の股から生れて來たんだらう。」
「えゝえゝ、兼も木の股から生れて參りました。」
 赤面あかつらの御飯たきも婆やに相槌を打つた。
「坊ちやま、銀も木の股から生れたんですつて。」
「坊ちやま私も木の股から生れました。」
 若い女中達も一緒になつて答へた。
「嘘だい。木の股から生れるなんて嘘だよ。僕はお母樣のお腹から生れたんだ。」
 自分は無理にも母のお腹から出て來た者でありたかつた。
「オヽをかしい。坊ちやまはお母樣のお腹からお生れになつたんですつて。」
 女中達は聲を揃へて笑つた。けれども矢張り、木の股から生れたとは考へられなかつた。桃太郎のやうな豪傑は別として、自分達は母親のお腹から生れたのに違ひ無いと思つた。だが如何どうして生れたのだらう。
「僕、矢張りお母樣のお腹から生れたんでせう。けれども如何して出て來られたんでせう。」
「子供を生む時は、お腹が割れて出て來るので、お醫者樣や産婆が來て、又元の通りに縫つてくれるのです。」
 母はすました顏をして答へた。
「お腹が割れるの苦しかつた?」
「えゝえゝ、子供一人生むためには、隨分苦しいおもひをするのですよ、お前の生れる時は一番苦しかつたよ。」
 母はさういひながら、自分の口をふさぐためか、愛情の發作の爲めだつたのか、自分の顏を兩手で抱へて、おもひ切つて抱締めて、接吻した。
 けれども不思議は解けなかつた。母と一緒にお湯に入る時、一生懸命で注意したけれど、眞白なお腹には子供の出て來た處を縫ひつけた痕なんか殘つて居なかつた。
「お醫者樣が上手だから傷にはならないの。」
 と母は自分の問に答へた。茲に至つて自分は全く母の言葉を信じた。さうして問題の此の解決は長年の間自分を欺き通した。たぶん、十四五の年迄自分は之を信じてゐた。
 尤も、時には、うちの飼犬のお産について疑問を起した事もあつた。犬小舍の寢藁の中に疲れた肉體を横たへ、涙にうるんだ顏をしながら、縋りつく小犬に乳を飮ませてゐる親犬のお腹は、裂けても破れてもゐなかつた。
「そりやあ犬と人間とは違ひますよ。犬は自分で傷口をなめて、なほしてしまふのです。」
 と母は云つた。ほんとに犬は、長い舌を出しておなかの邊をなめてゐた。
 或春の日の事であつた。家の前の原つぱで、近所の子供達と遊んでゐた時、それは乾物屋の鼻垂しだつたが、突然自分に質問した。
「坊ちやん。坊ちやんは如何どうして生れたか知つてるかい。」
「知つてるよ。お母樣つかさんのお腹から生れて來たんだ。」
 自分は得意になつて、母のお腹が裂けて、其處から出て來たのを、醫者や産婆が拾ひ上げ、お腹の方は叮嚀に縫直したのだと、見て來たやうに答へた。相手の鼻垂しも、同じく此の説明を承認してゐたと見えて、此の點には異議は云はなかつたが、乍併しかしながら、如何にして母のお腹に宿つたかといふ根本問題を、からかひ氣味に教へて呉れた。
 自分は極力反對した。少くとも我が尊敬する父母に、そんな事があるものかと確く信じてゐたのである。鼻垂しも亦熱心に自説を主張した。雙方ともに、その行爲を卑しいものと思つてゐたのだが、自分はその卑しむべき行爲の果實ではあり度くなかつたし、相手は意地惡く、自分をその果實に引下げてしまはうとしたのに違ひない。しまひには非常に熱して來た。
「嘘だい。」
「ほんとですよう。」
「馬鹿ッ。」
 かつとして、いきなり横面を張飛ばした。鼻垂しも負けない氣になつてむしやぶり付いて來たが、自分の方が力が強かつたので、忽ち地べたに叩きつけて泣かしてしまつた。かうして喧嘩には勝つたけれど、自分は甚しく侮辱された氣がして、何時迄も不愉快だつた。
 その頃の自分だつて、はしたない大人の男が、冗談口をきくのを聞いたり、往來の板塀などの樂書を見たりして、男と女との行爲の存在する事丈は知つて居たが、それは卑しい人間のする事で、偉い人やいい人は、そんな事は決してないものだと思つてゐた。だから、我が尊敬すべき父母に對して兎や角云はれたのは、何にも増した侮辱だつた。さうしてその時の印象は、餘程深かつたと見えて、乾物屋の鼻垂しと取組んだ野原の景色は、後々迄明瞭に思ひ出す事が出來た。菫はしぼみ、たんぽぽは風に飛散り、茅花つばなは白く穗になつて、土筆の叔母さんばかり勢ひよく延びる頃の事であつた。
 その後小學校へ通ふやうになると、ませた町つ子の口から、いろんな知識を授けられたが、何事に限らず自分自身が經驗したのでなくては信用しない性質の自分は、彼等の言葉を疑ふばかりだつた。少くとも、そんな事は、卑しい人間に限られた行爲だと確く信じて居た。大臣大將先生さては自分の父の如き、偉い人には無い事だと決めて居た。殊に内氣でやさしくて、淫らな事を云つてからかはれでもすると、眞赤になつてうつむいてしまふ女の人達には、そんな汚ならしい心持はない。若しそんな行爲がありとすれば、それは力の強い男の爲めに、いやいやながら服從されてしまふのに違ひ無いと思つた。
 或時、たしかに夏の日の事だつたと記憶するが、家の門前で近所の子供と遊んでゐた時の事である、廣々とした空地の草の原の、うねうねと一筋長い道に埃をあげて、車力しやりきが荷馬車を曳いて來た。お隣のお寺の前の大道に出て、段々家の方に來る樣子だつたが、その時ふと、お寺の門内から女中らしい女が、風呂敷包を抱へて出て來た。まるまると肥つた、頬邊ほつぺたの赤い、縮毛の女だつた。不意に車力は女の道を遮切るやうに寄つて行つた。女は身體をちひさくして擦れ違はうとしたが、車力はいきなり手綱を捨てて、兩手を擴げて相手を抱きすくめた。さうしてその儘お寺の石垣に押つけてしまつた。ほんの一寸の間の格鬪の後で、男は懷の中の女を放した。髮も衣服も亂れた女は二三間馳け出したが、車力が後から何かわめくと、口惜しさうに振返つて、胸に抱へた風呂敷包を大地の上に叩きつけた。けれども直ぐに又拾つて、泣顏をして馳出して行つた。車力は女の後姿を暫時しばらく見送つたが、無頓着に佇んで待つ馬の手綱を拾ふと、何事も無かつたやうな顏をして、自分達の立つてゐる門前を通つた。通り過ぎる時、極端に淫猥な顏付で自分達の方を見て笑ひながら舌を出した、五六間先の道端の柳の下で、どぶの中に悠々と立小便をした後で日盛りの町を遠ざかつた。
 自分はいきどほりに堪へない心持で、その車力を憎み、同時に女の身の上を氣づかつたが、子供心にも女の身は無事だつたと認めて、多少は安心した。けれども遊相手の町ッ子は、既にその格鬪の數分間に、車力は目的を達したのだといふ意味の事を口にして、面白さうに笑つた。
 此の時の光景は深い震撼を自分に與へた。如何しても男は下等だ。可哀さうなのは女である。世の中の女の幾人が、卑しい男の犧牲になつてゐるのだらうと、その特別の場合から、たゞちに一般の男と女の行爲を推測して憤慨した。自分は決して、そんな下等な大人にはなるまいと心の中で誓つた。
 實際女は清淨無垢なものに見えた。良家の子には、淫らな事を、女の口から聞く機會は殆ど無かつた。たまたま下等な男どもにからかはれる女を見ても、如何にも羞しさに堪へない風情が、嘘詐うそいつはりや、慣習的の姿態とは見えず、心底しんそこから厭がつてゐるのだと信じて居た。芝居に行くと、綺麗な女の方から男を口説く場面が多かつたが、それは慾情には關係の無い愛情なのだと思つてゐた。世に謂ふ所の神聖なる戀愛を、子供の心は完全に承認する事が出來たのであらう。今になつてみれば、馬鹿々々しい程見え透いた女の技巧さへ、懷しいものとして疑はなかつたのである。
 段々生意氣になるに從つて、禁斷のこのみの味を想像する事も出來るやうになり、自分が如何にして、何處から生れて來たかも了解するやうになり、先生にも父親にも、其の行爲のある事を承認したが、それでも未だ、女にもそんな慾情があらうとは到底想像出來なかつた。
 此の子供らしい清淨無垢の觀念と結付けて、女人を神聖なものとして崇拜する心持は、自分にとつては、長年月を費して、次第々々に幻滅の悲哀と變つた。姿美しく、心柔しく、麝香の香の沁みてゐるものだと思つてゐたのが、胴中のふくらんだ、足の太い、嫉妬深くて奸譎な、腐つた魚のはらわたの匂のするものになつてしまつた。殊にその清淨無垢だと思ひ込んでゐた女といふものが、下等だと思つてゐた男よりも、もつと助平なのには心底から驚かされ、崇拜憧憬の念の深ければ深かつた丈、激しい反動が來てしまつた。女人崇拜の甘い夢の後に、女人輕侮の忌々しい心持が、根強くわだかまつて來たのである。
 けれども、自分の如きは、まだまだ幸福なる理想家であつた。清淨無垢なものとして崇拜したのは、子供の心に過ぎなかつた。今になつては胸が燒けて、とても喰べられない燒芋さへ、子供の時分には隨分おいしいと思つて喰べたが、こいつもそんなものなんだと考へて苦笑した。女といふものは、本來魚の腸だつたのだと、流石に殘念には思ひながらもあきらめてしまつた。僅かに昔の夢をなつかしんで、未練たらしく輕蔑しながら、平氣なつらをしてつきあつてゐる。
 然るに一人、自分の友達で、此の幻滅の不愉快と寂寞に堪へられないで、此の世の中に生甲斐を感じなくなつた人があつた。彼は遠い西の國から出て來た學生だつた。自分とは、僅かに一年半ばかり同じ教室に机を並べたばかりだつたが、その一年半の終りの三四ヶ月の間に、かなり親しくつきあつた。彼は級中で一番よく出來た。うるさくなる程念入りな性質で、教師がもてあます程質問好きだつた。中學時代からその學校にゐた自分と豫科に新入の彼とが、どうしてちかづきになつたのかは忘れてしまつた。彼も人づきあひのいい方ではなかつたが、當時の自分は誰人とも口をきくのさへ嫌だつた程だから、先方からちかづいて來たのに違ひ無い。彼は基督教の教會に出入してゐたが、實は恰も信仰が破れて、苦しんで居た時代だつた。自分にむかつて、曾て神を信じた事があるかと訊いた事があつた。無いと答へると、
「それは何よりも幸福ですね。信仰の破滅程苦しい事はありませんよ。」
 と、眼鏡の下の目をくもらせて云つた。
 冬の試驗の近づく頃の事である。その頃しきりに怠け始めてゐた彼は、突然學校に姿を見せなくなつた。一週間たち、十日たつても出て來ないので、病氣で寢てゐるのだらうと思つて、見舞状を出してみた。するとその返事は、學校が厭になつたからやめるつもりだといふ意味のものであつた。自分は驚いて彼を訪問した。霙に近い雨の降る日で、初めて訊ねる牛込の奧の貧しい町の、その素人下宿を探し出すのは隨分難儀だつた。烟草屋の奧の四疊半に、火の氣の乏しい火鉢をはさんで向ひあつた時、彼が著しく陰鬱な顏附をしてゐるのに驚かされた。雨漏のする縁側に出してある盥に落ちる水の音は、今でも耳に殘つてゐる。
 先づ、どうして學校をやめる氣になつたのかと口を切つて、いろいろ話をしてゐるうちに、相手は非道ひどく眞劍になつて、此の頃の心の惱みを物語つた。さうしてその惱みの原因は、意外にも、女人崇拜の夢の破滅であつた。
 彼は幼くして母を失ひ、妹と共に父親の手に殘された。數年の後新しい母が出來たが、その新しい母親には妹と同い年の女の連子があつた。繼母は優しく、美しく、彼にとつては亡き母と同じく、親しみ昵む事が出來た。鑛山に手を出して父はいつも留守勝だつたから、彼は殆ど女ばかりの間に育つた。さうして彼の目に映る女といふものは、世にも美しいものであつた。生れつき憧憬の念の強い彼は、自分の憧憬の對象を、極端に神聖なものとして考へなければ承知出來なかつた。人の卑しんで見せる慾情が、神聖なる女性の心にあり得よう筈が無いと思つたのは無理では無い。
 實際彼は、その時既に中學を卒業して、しかも同級の生徒達よりも二ツ三ツ年長だつたが、自分自身は春の目覺めに惱みながらも、女性にその慾求があらうとは如何しても思はれなかつたさうである。清淨無垢な女に對して、時に卑しい心の起る事を、いかに恥ぢ、いかに惱み、いかに苦しんだかわからなかつた。
 何にしても、すべて世の中の女は、姿も心も崇拜に價した。女がある爲めに、此の世の中は、僅かに最後の審判を免れてゐるのだとさへ考へられた。就中自分が愛する母、妹、並びに義妹は、比ぶべくもない清いものに思はれた。さうして彼は今日迄、女人崇拜の夢に醉ひ續けて來た。美しい繼母は年をとつたが、妹も年頃になり、義妹は殊の外美しくなつた。
 然るに今年の夏休に故郷へ歸つた時、彼は到底信じられない一大事を、目前に見せつけられた。妹と義妹が、一人の男を戀してしかも義妹はおなかが大きくなつてゐたのである。相手は彼も知つてゐる、教會に出入する青年であつた。
 彼の苦惱はその日から始まつた。義妹の醜穢な姿、それに對して狂氣のやうに嫉妬する妹を目の前にして、清淨無垢の女の世界に憧れた彼の夢想は、無慚に破壞されてしまつた。世の中には醜惡そのもの以外に存在しなくなつた。
「君はその義妹に戀してゐたのではないのですか。」
 自分は、涙ぐんでうつむいた彼の言葉の切目を待つて訊いた。
「サア、それは自分でも疑つたのです。けれども如何どう左樣さうとは考へられません。」
 と彼はきつぱり答へた。明確には意識しない戀といふ事も想像したけれど、女人崇拜の夢の破滅として、自分は十分同情する事が出來た。
 話の終るのを待つて、自分は自分自身も同じ意味の女人崇拜に耽つた事もあつたと話した。しかし今では、女の生ぐさい臭ひを承知してゐて、曾ては小汚ないものに思つた男よりも、もつと汚ならしいものとして見てゐられる事を話した。
「世の中はね、輕蔑し、冷笑して見てゐれば氣樂ですよ。」
 自分は小悧巧らしい事を云つてなだめたが、
「しかし僕には、僅かに清淨なものと思つてゐた女性が、そんなものだとしたら、生きてゐ度いといふ欲求はなくなりました。」
 と相手は沈んだ聲で答へた。
 清淨無垢といふ觀念の誤謬をも説いたが、それは勿論無駄だつた。彼にとつては、彼が抱いた理想をうら切る事實が堪へられなかつたのだ。
「僕は自殺しようかとさへ考へました。」
 黄昏の迫つて來た部屋の中に、沈みかへつた相手は吐息と共にかうも云つた。ほんとに死んでしまひさうな一本氣の人であつた。
 自分は冷笑の方丈に立籠る事を無益にも長々としやべつたが、相手は到底とり合はなかつた。冬の日は暮れ切つて暗い電氣のついた時、餘りに壓迫されるやうな室内の空氣に堪へられなくなつて、自分は後日を約して別れた。
 それつきり彼の行方を自分は知らない。一度は故郷へ歸つたらしいが、恐らく其處にはゐたたまれなかつたらう。或はほんとに自殺してしまつたのかもしれない。思ひ込んだら、何事でもやり兼ない男であつた。
 乍併しかしながら、その時から既に十餘年の歳月は過ぎた。彼も亦魚の腸の腐つた臭ひに馴れてめとり、或は親と呼ばれる身になつてゐるかもしれない。だが、どうしてもそれは自分の臆測に過ぎないやうに直覺される。彼は自分のやうな、中途半端な幸福者ではなかつたらしい。
 何れにしても、自分は彼の行方を知らない。さうして此の行方を知らないといふ事によつて、此の話の餘韻を保つて置かう。(大正八年十一月十五日)
――「三田文學」大正八年十二月號

底本:「水上瀧太郎全集 九卷」岩波書店
   1940(昭和15)年12月15日発行
初出:「三田文學」
   1919(大正8)年12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:柳田節
校正:岩澤秀紀
2012年5月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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