一

 私が、G・L・マイアム氏から私の作品に寄せる最も好意ある手紙を貰つたのは昨年の冬の頃だつた。その後頻繁に手紙の往復をするやうになつてゐたが、初めて言葉を交す機会を得たのは今年の春頃の或る晩、偶然にも銀座裏の小さな酒場でゝあつた。私は怖ろしく酔ふてゐた。
「マキノ君? ――若しや君は、僕のマキノ君ぢやないかしら? 僕、G・L・マイアム――」
 たしか彼が最も流暢な日本語で斯う云つて僕の肩をつかんだのだつたと思ふ。G氏は私の想像を裏切つて、拳闘選手でゝもあるかのやうな素晴らしい偉丈夫であつた。芸術に趣味を持つ医学士だと予ねて聞いてゐたので、そしてその手紙の文中には何時も多くの憂鬱な古典語が用ひられたりしてゐるところから私は、篤学の蒼ざめた青年を空想してゐたのである。が彼は、四十五六歳かと見ゆる逞しい紳士であつた、その場のことは記憶にないが(作家にとつての最大の悦びは、自己の芸術に理解を持つた友に遇ひ、忽ち何の隔てもなき雑談を始められるあの花やかな心象である――)私は彼に送られて、その頃居た麹町の宿に帰つた――が私は、その翌日大森のホテルの一室に私自身と妻とを見出した。
「昨夜Gさんと話したこと覚えてゐる?」「全然覚えがない。」
「あの人は大変な学者なのね。あたしには好く解らなかつたけれど、博物と哲学と、そして医科のドクトルで……」
「何うしてそんなことが解つたの?」
「だつて、その家へ行けば誰にだつて直ぐ解るぢやないの――大変な本と、標本と、機械があつて……三つのドクトルであることは自分でも云つてゐたけれど……」
「あの家だつて!」
「Gさんの家へ行つたのを忘れてしまつたの、まあ?」
「……今から、もう一度出直して昨夜の詫びを云はなければならない。案内してお呉れ。」
「家は覚えてゐるけれど、あたしも道は解らないわ。」
「Gさんの家は大森にもあるのかしら――」
 彼のアドレスは横浜山手である筈だ。
「えゝ、たしかにこゝの近くだわ、あたし達も近いうちに家を借りたいと思つてゐる――と云つたら、ぢや大森にしなさい、僕の処の近所に探しませんか――と云つてゐたもの。」
 私は妻と対坐して朝の珈琲をのみながら、不思議な思ひで、そんな会話をとり交してゐた。
 そして妻の云ふところに依ると、G氏は最近猛烈な不眠症に悩まされて、そのために時間的生活が一切無茶苦茶になつてゐる! といふことだつた。
 その不眠症の原因は一切の学究に対する疑問に根ざしてゐる、自分は命限り宇宙の神秘と闘はなければならぬ、自分が収めた幾つかの学問はこの闘ひのための弓であり、楯であり、矢である筈だが、これらの武器では何うしても飽き足りぬ、自分は詩を索めて止まぬ。有機的武器を索めて止まぬ――はつきり訳は解らなかつたがG氏はそんな意味のことを、興奮のあまり私と妻を一抱へにして呟いたかと思ふと(この部屋まで来て)、
「然し世界には驚くべきことが充満してゐる。」と叫びながら立ち去つたさうである。妻は、Gさんも余程お酔ひになつてゐたらしい! と付け加へた。

     二

 或晩私はG氏の書斎で、博物標本の映画を観てゐた。その中に私は二本の「レントゲン映画」――と彼が云つた――といふものを観た。G氏の云ふところに依ると彼は十年も前からこの仕事を研究してゐるが、未完成のものばかりである、とのことだつた。
 その一つは「骸骨の運動」であつた。
「この被写体は僕の娘である、こんなことは云ふ必要もないのだが、君は小説家だから説明しよう。」
 彼は云つた。「妻は僕のこの研究に恥を感じて、先年帰国してしまつた。ローマ旧教の信者である彼女は、僕の仕事を罵らずには居られなかつた。然しさすがにヒツペウス族の血を引いてゐる彼女は、僕のこの仕事が或る完成を遂げたら再び相見るであらう――と云ひ残して行つたが。」
「で、このモデルの方は?」
「彼女は科学には興味は持たぬが、普通のモダン・ガールだから、こんなモデルになる位のことは、何とも思つてゐない。」
 そしてG氏は、扉をあけて、
「ミミー、ミミー!」
 と呼んだ。「技士になつて下さいな。パヽは、お客様に説明だけをしなければならないんだから――」
 娘は、無愛嬌な様子で入つて来た。そして直ぐに父と代つて映写機の傍らに立つて、撮影を続けた。娘の顔は、映写機から漏れる光りを浴びて、薄暗がりの中に、はつきりと浮んでゐた。――金髪が殆ど白色に見えた。青い瞳とローマ型の鼻を持ち、がつちりと結んだ唇の――横顔が、無言のまゝ画面を視詰めてゐた。
「余程僕の仕事に深い理解と同情を持つて呉れる友達にでなければ頼むわけには行かないのだが――」
 G氏は、この仕事に関する様々な抱負や経験や実験の説明をした後に、臆病な調子でそんなことを云つた。――「君も近いうちに、このモデルになつて呉れないか。僕は撮影技術のことばかりでなく、様々な骨格の運動状態を撮らなければならないのだ。例へば、貴婦人の動作、運動家の姿勢、重い荷物を担ぐ人、踊る人……と、それはもう数限りはない。――やがて僕は、この撮映機が僕の期するやうな完成に至つた時には、僕は白昼凡ゆる場所にロケーシヨンに出かけて、一切の生物の運動上の骨格状態を撮映しようといふ念願を持つてゐる。――だが今のところは、モデルに承諾を乞ふた上でなければ事が運べぬといふ不完全な機械だから――」
 私は、スクリーンの上で、しきりにスパルタ風の体操の模範運動を試みてゐる不気味な人体と、技士をつとめてゐる娘とを見くらべながら、
「研究台に昇つても関はないが、僕は何の特殊な運動術を持つてゐるわけでもないからね――」と云つた。
「フエンシングは何うなの?」
「それはおそらく君の方が、レギユラアな型であらう。」
「それはさうかも知れぬ。では僕の希望を云ふが、誤解しないで呉れ給へ。」
 私の手を握つたG氏の腕は微かな震へを帯びてゐた。そして酷く、口ごもりながら云つた。
「酔漢の骨格の運動状態を――詳さな、標本に撮りたいのだが――」

     三

 狭量な私は、憤つとしてしまつた。
 その後私はG氏に会ふ機会を失つてゐる。あの時も私は酔つてG氏に伴はれ、また帰途も同じ状態だつたので、未だに私はG氏の家が何処に在るのか知らぬのである。
 G氏からの手紙は、相変らず横浜のアドレスで来てゐる。そして私は、今、大森山王に家を借りて住んでゐる。はじめてG氏に遇つた時に、妻がG氏にすゝめられたといふ話を機縁にして私達は、この辺に家を借りたのである。
 この辺は外国人の住宅が殊の外多い。私は妻と共に時折散歩に出かけて、妻にG氏の家らしい道の記憶を訊ねるのであつたが、決して妻も思ひ出せぬと首を傾げるばかりである。
 私は、あの晩のことを未だ妻に話してはなかつたが、そして自分がモデルになることは断然厭なのであるが、G氏のあの仕事に対して日増に熱烈な興味を増しつゝあるのであつた。その上私は、G氏も亦私にとつては芸術上の得難き友であるといふ思ひに打たれてゐるのであつた。
 そして私は、是非ともG氏をモデルにした小説を書きたいと憧れはじめてゐるのである。それには、何うしても更に、少くとも四五回は、白面で、G氏のスタデイオを訪れなければならない。私は、G氏をモデルにすることを、G氏の承諾を得た上で、彼に訊ねなければならない数々の疑問を持つてゐる。G氏の承諾を得なければ描くことの出来ぬ場面だからである。
 だがG氏は果して私の申出をいて呉れるであらうか。何故なら私が彼に訊ねることは学術上のことは別として、余りにプライべイトな話に立ち至るであらうから。
「若し君が僕の申し出を諾いて呉れるならば、僕も亦――」とG氏は、若しや交換条件を持出しはしなからうか。それを思ふと私は深い嘆息を吐かずには居られぬのであるが、
「止むなくば――」とさへ思つてゐるのである。――空と共に酒の香り益々高き秋たけなはなる今日此頃私は、余裕さへあれば嘗てG氏に出遇つた酒場に赴いては、空しく酔ふて帰路を踏んでゐる。そして私は、自分の、その姿の、フラ/\とよろめきながら首を振つたり、手をあげたりして歩く、スクリーンに映し出た時の、骨格の運動を想像すると、稍ともすれば酔ひを醒まされ勝ちになる。酔つてゐる間の自分の運動状態などは知る由もないが常々私は周囲の者から、それはたしかに異なものである――といふ嘲笑を買ふてゐるのだ。その度毎に私は、今後酔はぬことを誓ふのである。あゝ、酒は止むべきだ。
 だが私は一日も早くG氏に廻り遇はなければならない。
「デビルズ・デイクシヨナリイ」「ユニバーサル・マジシアンス・ブツク」「ヒストリイ・オヴ・デビルズ」
 この三冊の本は、あの時G氏が、両側が一杯書物で埋つてゐる廊下の書架から、「無選択で――」と云つて取り出して、私に呉れた本であるが、G氏に遇へる時まで酒を止めて、これでも読んでゐようかしら――などゝ思つてゐる。

底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
   2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「読売新聞」読売新聞社
   1930(昭和5)年11月13日〜15日
初出:「読売新聞」読売新聞社
   1930(昭和5)年11月13日〜15日
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年1月17日作成
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