酒が宴の途中で切れると、登山嚢リユツクサツクを背にして、馬を借りだし、峠を越えて村の宿場まで赴かなければならない。――私達はついこの間うちまで、そんな山中の森かげでたくましい原始生活を営んでゐた。冬のはじめから春にかけての一冬であつた。
 今、私は都の中央公園の程ちかくにあるアパートの六階の一室で、窓から満月を眺めながら四五人の友達と雑談に耽つてゐる。
「が、何時も僕は運が好くて、その使ひ番が当つたのは、たつた一度しかなかつたよ、その一冬の間で――」
 などと私は語つた。カードをまき、スペキユレイシヨンをとつた者が使ひに行くことにきまつてゐる。
 その、たつた一度私がスペキユレイシヨンを引いてしまつた晩の話――。
 臆病な私は脚のすくむ思ひがし、胸の鼓動があたかもそれまで休止してゐた時計が急に活動をはじめたかのやうに鳴りだし、酔ひは頭の一隅に固くたゝずんでしまつた。私は次の間に行つて支度をし終はると、卓子の抽出から怖ろしく古風な大型のピストルをとりだして秘かに腰にはさんだ。――このピストルは、こんな愚かな経歴を持つてゐる。私達がこの生活を始める時に、起床の合図、飯の合図などのためにこれで空砲を放つことにしよう、われ/\は朝は一勢に起き出でて一勢に朝食の用意にとりかゝらなければならない、そして健やかな一日のために、健やかな出発をしなければならない――と私が提言して、これを携へて来たのであるが、毎朝々々いとも景気好くポンポンとこれを打ち鳴らして勢ぞろひの役に立てたのは好かつたが、この音のために、あたりの森に住んでゐる鳥類が驚きの叫びを挙げて四散し去り――Hと称ふ鉄砲の名手が私達の仲間に居て、
「真に朝飯前に僕は五六羽を打ち落し、朝食には山鳥のロースト、夕食にはきじの何とかといふ工合に、とても豊満な大皿を日毎諸君にすゝめて、僕の力できつと諸君を肥らせてやるよ。」
「Hの腕なら頼もしいな。僕達はきつと町にゐる時の何倍もの美食にふけることが出来るだらう! 愉快だ、愉快だ!」
 などと喜んでゐたのが、どんなにHが夢中になつて森の中を駆け回つても、山に来て以来ヒヨ鳥を二羽落した以外に何の獲物も得られなくなつてしまつたのである。そればかりか、一同は悲しさうにうつむいていもばかりを幾日間といふもの食べ続けて、猛烈な胸ヤケに襲はれ、谷川の水をガブ/\と飲んでは胸をさすり、また腹痛を起す者さへ出来て、終ひには、あんな提言をした私に向つてのろひをふくむ眼を示す者さへ現れたのであつた。
 で私も、幾分機嫌を損じてある晩、そんなにあのピストルばかりのせゐにするにも当るまい、おそらくHの腕だつて彼自身が誇る程の見事さではないのだらう、一体に自ら己れを誇る者の多くは、その真実の力において誇りに匹敵しないといふのが常例ぢやなからうかね――といふやうなことを、横に向いて不足さうにうなると、Hは非常に腹をたてゝ、その翌朝川向ふの杉のこずゑに的をつけて、様々の方向からねらひ打ちをして的中させ、
「この通りなんだ!」と私に詰め寄つた。私は、失敬した、御免! と謝つた。
 それ以来あはれなピストルは私のテーブルの抽出に姿を潜められてしまつたのであるが、私は気分において「心晴れぬ」わだかまりが生じてならなかつた。私は、危ながり屋で実弾をこめた飛道具などを玩ぶのは胸が許さなかつたが、朝早く起き出でて、窓に向つてカラのピストルを鳴らすと、そちこちのテントや小屋から仲間の者が集まつてくる、「お早う」「お早う」と朝のあいさつを交しながら皆なで深呼吸をする――そのピストル係りが何よりも私の心持を愉快にさせて、私の意気地のない心の病ひや厭世観を忘れしめた――といへる位なのであつた。だから私は、それを禁じられて以来、森に向つて、でたらめの演説を試みたが、言葉といふものがどんなに悲しいものであるか! といふことを目のあたりの山彦のうちに見せられるかのやうなテレ臭さに襲はれて、続かなかつた。
 ……夜は既に十二時に近かつたらう。私は酒の重味を背にして、月に照された峠道にさしかゝつてゐた。行きがけは大分怖ろしくて出来るだけ馬を飛ばせたが、月があがつたせゐか、明方の道を、旅行にでも出発する見たいなすが/\しさを覚えてゐた。
「この辺でピストルでも打つたら小屋まで聞えるだらうな。久しぶりで、この峠の頂きに立つて発砲したらどんなに清々とすることだらう――彼奴等きやつらが驚いて――いや酒の到着を知つたら何も彼も打ち忘れて、向ふでも合図の叫びを挙げることだらう。」
 かう思ふと私はほとんど無意識に、腰からピストルを引き抜き、空を向けてポン/\と打ち鳴らした。――と、馬が驚いて駆けだした。私は、更に驚き、たてがみにしがみついて、
「ドリアン!」と馬の名を呼びながら悲鳴を挙げた。「待つて呉れ、待つて呉れ、酒がこぼれてしまふよ。折角夜道を走つて買つて来た酒が――」
 忠実なドリアンは直ぐに脚並をもとに戻したから好かつた。
 何でもないといへばそれぎりだが、禁を破つてピストルを打つた位で、私はすつかり清々として意気揚々と進んで行くと、火をかざしておし寄せて来た小屋の連中と小川の傍で出遇つた。
「驚いたのか、悪かつたな!」
「いや/\。待遠しくて堪まらなかつたんだよ。馬鹿にのろいんだもの。――ピストルの合図は実にうれしかつた。」
「ほんとうか?」と私は叫んだ。「そんならおれは毎晩この役目を引きうけてもかまはない。」
 回想すると空々しいが、この時私の胸はうれしさの余り涙の感じで一杯だつた。何故か解らぬがわびしい村などでうつら/\と生きてゐると、その日/\の命のせう点とでもいふ程の意味で、時々自分をびつくりさせぬと、拡がつて行くばかりの夢ばかりが怖ろしくなつて制しきれなくなつてしまふらしい。
 三升入の酒だるだから仲々重い。こいつを順々に抱へて、のみ口から酒を飲み――再びたるを背中につけた馬上の私をとりまいて、口々に何かはやしたてながら小屋へ帰つて行つた。
 ………………
 私はビルヂングの窓から月を仰いだ。都では、静かに、そつと月を見あげるのが、命のせう点である――といふやうな馬鹿気た感じを抱きながら――。それにしても、月を眺めることでは、だれにも迷惑を与へないであらう――などゝいふ安易を覚へたが、それから皆で街に出て、バアに立寄つたり、議論をしたり、舞踏場へ赴いたり、公園を散歩したりしたが、私がやゝともすればビルヂングの上に懸つてゐる月を眺めて感傷風な顔などを保つので、決局伴れの人々に迷惑を与へてしまつたらしい。

底本:「牧野信一全集第三巻」筑摩書房
   2002(平成14)年5月20日初版第1刷発行
底本の親本:「東京朝日新聞 第一五八一〇号」
   1930(昭和5)年5月10日
初出:「東京朝日新聞 第一五八一〇号」
   1930(昭和5)年5月10日
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年7月18日作成
2011年5月3日修正
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