一

(第一日)快晴――私は八時に起床して、いでたちをとゝのへ、首途かどでの乾杯を挙げ、靴を光らせ、そして妻の腕を執り、口笛の、お江戸日本橋――の吹奏に歩調を合せながら、この武者修業のテープを切つた。麗かな朝陽のなかには、もう春の気合ひが感ぜられる。
 これから旅へ向はうとする気色ばんだ汽関車、終夜の旅を終へて眠りのくらに入らうとする車達の入り乱れた響きを脚下に感じながら八重洲口へ向ふ長い歩廊の窓から、さて私が、これから八日の間、見聞の眼を虎のやうに視張つて訪問する筈の、お江戸日本橋の空と甍を眺めると私の胸は、恰も長い航海の後に見知らぬ国に着いたかのやうにときめいた。私は、予定の如く書店丸善へ先づ赴かなければならないのだ。予定とは? 私は、その店で一部のバースデイ・ブツクを買ふつもりなのである。そして私はこの稿のためにこの街を訪れる限り、そこで出遇つた紳士淑女に、いち/\これを突きつけて、夫々のその栄ある誕生日の日附けの下に親愛なる署名を乞はう――と計画したのである。そして私は、その冊子を記念として永く蓄へ、また、この行程の終つた節に、きらびやかな贈り物をしよう――と、妙な計画をたてたのである。
 だから私は、誰とも言葉を交へぬうちに記念帳を買つてしまはなければならなかつたから、改札口を出るかいなや伴れの者の腕を執つたまゝ傍眼も触れずに丸善へ駆けつけたのである。が、私が、中将湯の前に来かゝつた時である。背後から私の名を呼ぶ者があつた。――見ると、真新しい黒オーバをまとつた銀行員風の若い紳士である。知らぬ人だ。
「やつぱし貴方だつた。私は、電車の中からそれとなく後をつけて来たんだが、お伴れがあるし、それに歩き方と胸の張り具合が何うも貴方らしくなくも思はれたので……」
 など、彼が長い前置をしてゐるうちに、その微笑の度毎に現はれる八重歯で、私は突然少年の彼を思ひ出した。
「やあ、栄吉君!」
 と私は云つた。が、栄吉君! では失敬なことを私は知つてゐる。称ばなければならぬ苗字が思ひ出せぬのである。私は、学生の時分叔父の知合ひから、本石町の裏通りにあつた三原といふ毛糸の輸入商の三階に永く寄食したことがあつた。彼は、その頃の少年店員の一人であつた栄どんである。名前を称ばれる時代と、苗字に移る時には、或る時期が来るとその一日で急に変つてしまふ、そしてその以後若し名前で呼ばれると大きな見識に係はるのだ。その時が来ると急に袂或ひは背広に代つて、姓にさんの敬称をつけて称ばれることになつてゐたが、その規律の正しさに私は感心したことがあるのだ。で私は、
「通勤なんだね、此頃は――。そして、スヰート・ホームは何処に営んでゐるの?」
 と質問した。と彼は、勤め先と住宅が夫々誌してある「小山栄徳」といふ名刺を、鰐皮の名刺入から取り出した。
「小山君、君がそんなに立派になつたと同じやうに、街のやうすもすつかり変つたね。」
 さう云つて私が、今日の私の目的を説明すると小山氏は、冗談でせう! と一蹴した。

     二

 私は、前日海老茶ビロウドの表紙のついた最も小型なヨハン・ゲーテのバースデイ・ブツクを買つた。御承知ではあらうが、それは夫々の頁々にゲーテの言葉が二三行宛抜萃されてゐる。キーツ、シエレイ、バアンズ、テニソン――種類は夥しい、求める人の好みに依る。
 小山栄徳氏の署名頁の上空には英訳で、
「兵士の歌なり、今日は黒パン、明日は白パン――」が引用されてゐた。
 今朝私は三原に廻ると、恰度出掛けのテル子と伴れになつた。三原の娘である。今は、もう日本橋に店を持つてゐるわけではない。下谷で養子を迎へた毛糸小売店の女房である。
「昨日栄どんに遇つたよ。デパートに務めてゐるんだつてね。」
「えゝ、妾今日栄吉に用が有るのよ。」
「あんなに大勢ゐたあの時分の店の人達は大概何処にゐるの?」
「……いろ/\――。けど、大抵この辺に務めてゐるのが多いわ、うちの得意先だつたお店に――」
「ね、テルちやん。」
 私は、デパートの食堂で午飯を食べてゐた時、不図話頭を転じて呼びかけた。
「此処に署名をしてお呉れ。」
 するとテル子は鋭く舌を鳴らして、赤くなり、視線を反向けた。凡そテル子の趣味に反する出題であることは承知の上で私は、寧ろ意地悪の快をもつて、所望するのであつた。
「あんたは何うしたつてえのよ。変な声出すの止して頂戴よ、馬鹿々々しい。」
「斯ういふことが、流行つてゐるのを、知らないのか?」
 私は、仰山なあきれ顔を示した。――「今度、この屋上にベビー・ゴルフが出来てゐるから、署名が済んだら行つて見ない?」
「あゝ、妾、歯が痛くなつてしまつた。何うしよう?」
 テル子は箸を投げ出して、顔を顰めた。
「ぢや此処の歯科室に案内するからサインして呉れ。」
「此処の歯科室ツて何なの?」
「知らないだらう。友達の兄さんが其処に務めてゐるんで僕は、此間うちずつと通つてゐたんだよ。」
「ほう! デパートに歯医者があるなんて、滑稽だわね。」
 負け惜みを云つてゐるテル子を私は得意になつて案内した。デパートの歯科室は外国にも例がないらしい――と私は友達の兄さんである林さんから訊いたりした。
 私は、その六階の窓から顔を出して、河岸ふちの平べつたい赤煉瓦の製麻会社の建物と日本橋とだけが、地震前の儘である――などと思つた。あの赤煉瓦の建物が出来た当座、テル子と伴れ立つて西河岸の縁日に散歩に来た時、側面から見るのと、橋の上から見るのとでは、余りにあつけない格構ではないか、大風が吹いたら何うするつもりだらう――などと云つて嗤つたことを思ひ出したが。
 テル子のサインを求めるための頁を私は開いて、治療の済むのを待つてゐた。その頁のゲーテの詩抄は、
「今はたゞ朧に見ゆるのみ、青春の夢、失ひたる恋の悩み、いと深き狭霧の彼方――」とあつた。笑止――。三原商店のテル女は、当時近隣の評判娘で、私の悪友であつた。

     三

 テル子を待つ間に私は、一階に降り、その巨大な昇降機が七階までの一往復に要する時間を験べたいので、そのまゝ乗り続けてゐたかつたのであるが挙動不訝を疑はれさうなので、その辺を上の空で一回りしてから再び行列に伍して箱の中へ入り、凝つと腕時計を睨めてゐた。私は歯科室に通ふ頃験べたのであるが、この昇降機は六十の馬力を持ち満員にすると九十名までは登載せしめ得る事が出来た。私は、はじめ昇降機リフトの速力などといふものは登載物の有無に関はりはないものかと思つてゐたのであるが、詳さに験べて見ると、その軽重に依つて微妙な変化のあることを見出した。五階まで直行、そして六階に停り、七階まで或時は一分三十秒を要し、また一分十秒、さうかと思ふとたつた四十秒のこともあつた。四十秒の時は二三人の乗員であつた。
 さつきの下降の時は一分四十秒を費し、今度の上昇は恰度一分であつた。私は、完全の空と満の場合の差違を知りたかつたが、いつか一時間あまりも夕暮時にその機会を窺つたが空の場合に出会ふことは出来なかつた。私は、斯んな大きなリフトが人二三の軽重に依つて速力の影響を見るのに、つまらぬ親しみを覚へたりしたのである。この昇降機は三十分のうちに約十回の往復をする。
 そんなことを思つて私が七階の昇降口を何時までも凝つと視詰めてゐた時、私の傍で恰度私と同じやうに腕を組み眼を据て同じ角度に向つて深い思索に陥つてゐる怪し気な紳士が居ることに気づいた。そして彼は私が気づいた事も知らずに益々熱心に両眼を輝かせ、時々慎重に指折して何事かを数へたり、微かに点頭いたり、太い溜息を衝いたりしてゐるかのやうであつた。客が降りて来ると片隅に退き、降つて行くと、サツと入口の扉の所へ駆け寄つて、少しく大業に形容すると、石の落ちて行く感度に耳を傾ける芝居の丸橋忠弥見たいに首を傾げて、ギヨロリと上眼をつかつたまゝ(昇降機が降つた間際にはその辺に人影がなくなる瞬間である。)凝つと、降つて行く箱に呼吸を合せてゐるらしい不思議な深呼吸を続けてゐるのだ。私は、昇降機よりも反つて彼の挙動に興味が涌いたので、ずつと後方に退いて秘そかに彼の運動を注意してゐた。下降客が戸口に集り、1・2・3・4・5――と昇降機が再び針を回して昇つて来ると彼は、指針が7に近づくまで乗客のやうにそれを視詰めてゐるが、いざ到着すると素早く片方に身を退けて、下降の客が乗り切るまでのほんの束の間、巧に空呆けて白を切り、さて間もなく下降の段になると、またしても丸橋忠弥に早変りである。
 若しかすると自分も先程さつきは彼と似たやうな芝居を演じてゐたのかも知れない――斯んなに群衆の出入が夥しく、凡そ足跡の絶間は十秒の間もなさゝうに思へるのであるが、斯んな処で斯んな風に敏活に呼吸を窺つて、身を換してゐれば、あんな奇体な動作を繰り反してゐても誰の眼にも触れずに済むものか、斯んな合間でこそ反つて大胆な犯罪などが行はれるといふものか、実に雑鬧の流れの合間には、束の間のエア・ポケツト見たいな白々しい間隙が生じてゐるものだ――などと思ふと私は不図、先達て吾々の総理大臣が不慮の災禍を蒙つた時の、何かの雑誌で読んだ実見者の記事のことなどが思ひ出されて、あしのうらが冷たくなる感がした。
 とも角彼奴の眼つきは尋常ではない――私は、そつと、その男の背後に忍んで更に注意した。

     四

 私がその時のこわかつた感想を洩らすと樫田は、真ツ赤になつて、悲しさうに眼を伏せてしまつた。
「兎も角俺は、此奴、怪しい奴だと思つて懐ろの中で拳を固めたぜ。」
 私は、意地悪くそんなことを云つた。「漁色の悪漢といふのは就中紳士態を装ふた男が多いといふ話ではないか。――あゝは云つたものゝ無論大それた犯人とは思ひもしなかつたが、婦人をつけねらふ不良の徒ではなからうか? とは思つたね。聞いた話であるが或種の不良の徒はあゝいふ盛り場などに出入して、働く乙女の健気な様に魅せられ、様々な甘言を以て誘惑しようとする者があるさうだね。だから此奴、屹度昇降機えれべーたーのジヤンダークでも見染て、毒牙をといでゐる奴に相違ないと見極めたね。」
「馬鹿々々しい。そんな話はおそらく出放題だらうよ、あんな働き振りをしてゐる勇敢な娘達が、そんな奴の手になんて乗るものかえ。デレ/\して近寄つたりしたら小気味好くはね飛すに決つてゐるさ。」
「それは、ほんとうか、そんな場面があつたこともあるのか?」
 私は仰山に訊き返した。何故なら私は、九十人乗り、六十馬力、東洋一の大エレベーター――それほどのものを、乙女の身で、いとも朗らかに、(三十分宛の交代だから、別段疲れることもなく、寧ろ他の受持よりも愉快であるさうだ。)運転してゐるさまを見て最も健全なる魅力を感じたので、是非ともゲーテの手帳に署名を乞ひたく思つたのであるが、誤解されるおそれがあると思ひ直したからである。
「あらうと無からうと、誰もそんな下らぬ場面を想像した者もあるまいさ。」
 樫田は云ひ返した。今度は私が顔の赤くなる思ひに打たれずには居られなかつた。
 七階の昇降機の扉の前で怪し気な挙動を繰返してゐた男は、私の中学時代の友達の樫田であつた。
 六十馬力の大エレベーターは樫田の会社が拵へたのである。
「国産品だよ。」と彼は云つた。
「ねえ、樫田――」
 と私はネクタイの形を直しながら質問した。「あのリフトの昇降の速力は、乗員の数に寄つて常にまち/\だが、標準は何れ位の速さなんだ?」
 すると工学士は、突然グツと胸を反らせ、
「うむ――それだ!」
 と実に重々しく唸つた。「空が三十五秒――満載が、三分、往復で……」
 彼はこれだけ説明したゞけで、何となく憤とした顔つきに変り、間もなく静かに眼を瞑りながらハイボールの洋盃を撮みあげると、己れの胸から頤に平行に徐に頭の上まで吊りあげながら、
「俺はその時差の短縮に没頭してゐるんだよ。近々彼処にあと二台の同型が備へつけられるんだが――俺はこの仕事を単独で、それまでに完成したい念願なんだ。何しろお前今のまゝでは一回の往復に三十銭足らずの動力費がかゝるんだからな。」と云つた。
 私も彼のコツプと同じ高さまで自分のをまたエレヴエーターのやうにおもむろに持ちあげ、
「その仕事の完成を祈るぞ。」といつた。昭和通りの露地にあるアラスカの山の名前をとつた酒場である其処のスターであるお光さんは私が作る叙情詩の愛誦者である。

     五

 昇つたり降つたり――。
 樫田は、夢でも、昇降機より他はない! と繰り反しながら、洋盃こつぷをそのやうに上げ下げして、苦心の程を語つてゐるうちに、感傷家になつてしまつた。そして自分は何んな部屋にゐても、ちよいとハンドルを廻すとそれがスースーと上下する想ひにばかり打たれてゐる、昨夜の夢では、月世界と地獄を往復した――などゝ沈鬱な表情で呟いだ。
「それはさうと、お光さんの姿が見えないやうだが……」
 私は、花束と目白がことことゝ動いてゐる小箱を持つてゐた。花束は先程三越の七階へ赴いて買つて来たフリジアである。目白は何時か酔つた友達が仲通りの街角で買つたと云つて――その頃私はその友達と作品の批評のことから仲違ひをしてゐたが、握手をして、小鳥を空に放つて、爽々しくなつた事があつたので、お光さんが若し不気嫌であつたら、詫の言葉と共にこれを放つにしくはない! と考へて、大道を探して買つて来たのである。私は、お光さんと、或日、テル子といふおばさんや吾家うちの細君も共々に活動を観に行かうといふ約束をして、賛成されてゐたのであるが、風を引いて二十日近くも外へ出られなかつたのである。お光さんは期待してゐたに違ひないのだが私は、明日は/\と思つてゐたので電話も掛けなかつたのである。
 お光さんのことを口にした時、酒場の人に思ひ出されて、其処の気附で来てゐる私宛の署名のない手紙を渡された。封を切つて見ると、
「あたしは結婚しました。」といふお光さんの手紙であつた。そして、結婚をして今は幸福であるが、そんな幸福には満足出来さうもない、やがてまた酒場の女になるであらう――といふ風な猛々しい放浪思想が窺はれる意味が誌されてあつた。
「おい、先程から質問の具合が何うも尋常ではないと思つてゐたんだが、お前も、昇つたり降りたりのエレベーター病にとり憑かれてゐるんぢやないか。その眼の瞑り具合で俺にはお前の頭の中が、はつきり解るぞ。」
 さう云つた樫田の声で私は目を開いて見ると、私は小鳥の箱を胸先きに構へて、洋盃のやうに、そして昇降機のやうに静かに上げ下げしながら首を傾げてゐたのであつた。――なるほど、さう云はれて見ると、小鳥の箱は、月世界に着いたかと思ふと、一分半で奈落に降り、1、2、3……の指針灯の明滅が星の瞬きに見えて、昇つたり降つたり、止め度がなかつた。乗つたり降りたりする客の中に、お光さんの姿が見えた。栄吉君もゐた。テル子もゐた。林ドクトルもゐた。樫田もゐた。そして、何時の間にか私が愉快な運転手であつた。
「やあ、面白い/\……何云つてやがるだい、彼奴は何だ、何を俺の面ばかり見てゐやがるんだ、ハツハツ……」
「おや/\、オツなことを云ふね。手前のすることが気障ツぽくて少々疳が高ぶつてゐたところなんだぞ。」
 不図私の眼の前に赤鬼のやうに怖ろしい顔の巨漢がぬつと胸を突き出した。私はその男の熱い熟柿の吐息を顔に感じた。
「馬賊のピストルといふのは俺のことだ。この界わいではちつたあ顔が利いてるピストルの前で何処の唐変木か知らねえが余り気障な寝言を吐いて貰ふめえぜ。一体手前は何処の何奴でえ!」

     六

 私は、昇降機がスイスイと天上する面白さに恍惚として、お光さんの夢を追つてゐたところだつたので、そんな親父の啖呵なんて耳にも入らなかつた。親父は再び一隅の自分の座に戻つて、両眼をすゑて、さも/\憎たらしげに此方を睨めてゐるのだが、陶酔者の頭なんてものは、我ながら思へば不憫なもので、それも、何だか此方のしぐさをたゝへて、感心してゐる者のやうに思へたりしてしまふのであつた。――さう云へば、もう其処は先程の酒場ではなくつて「大関」のナダヤであつたのだ。此処は去年の夏頃友達の小林秀雄に依つて知らされたのみやで、二階の座敷には先の若槻宰相の筆になる扁額が懸つてゐたと思ふ。おそらく毎夕四合壜を一本宛晩酌にとるといふ先の宰相は、この家の「大関」酒を愛好さるゝのであらう――だがたしかに宰相の額であつたか何うかはウロ覚えであるが、私は時々お光さんのゐた酒場へ行くには未だ時間が早いと思はれる明るいうちなどに、杉の葉の目印の格子をあけて此処の土間の飲み場に現はれることがあつた。
 この時土間の腰掛けにゐた客はその疳の高ぶつた親父と、風船的陶酔者の私と樫田とだけだつた。――然し、三つ四つの露路を何うして越えて来たのか、もはつきりしなかつたのであるから、見当だけでなだやではなかつたのかも知れない……私は、たゞ、妙な細い声で、
「おゝ、私は何処の窓からこの痛ましい小鳥を放したら好からうか――」
 と、思ひ詰めてゐた事なので、つい/\口に出しては、ぼんやりと天井に眼を放つてゐたのだらう。
 と、一度落ついたらしかつた親父は、また堪らなくなつて、
「やい/\/\!」
 と角頤をしやくりあげた。――「ヘツ、嗤はせやがら――馬鹿野郎!」
 私は、慣ツとして、止せば好いのに、
「煩えや!」
 と、急に強さうに音声の調子を落して唸り返した。「何だつて、ピストルだつて! 何方が嗤はせやがるんだい。さあ、そこに、そんなピストルを出して見やがれ。」
 すると親父は、妙な当惑顔を示して、鋭く舌を鳴した。
「何処まで感の悪い野郎だらう。馬賊のピストルてえのは俺らの仇名なんだよ、知らねえのか?」
「知らないね。知らないといふ絶対的事実は決して恥と思はんね。」
「知らせてやらう。俺らは此辺の……(凄い巻舌で開きとれなかつた。)だが、十年このかた満洲の山をごろつきまはり……」
「能書は聞きたくないぞ。江戸ツ子の癖に満洲くんだりまで出かけて、ピストルを……」
「違ふてえんだよ。間伸びのした野郎にかゝつちや此方がてれちやふぞ――。満洲と云つても、それは少々わけが違つて……えゝ面倒臭せえな!」
 と彼は焦れ、咳払ひをした後に改めて物々しく、
「こいつが!」
 とコツペ・パンのやうな腕を突き出して詰め寄つた。「ピストル程にも物を言ふ株屋町の馬賊で通る男なんだ。手前えは何処から現れた風来坊だい?」
「シヤーウツドの森から出て来たロビン・フツドの党員だ。」

     七

「ようし、外へ出ろ!」
 彼は、さう云つたかと思ふと、矢庭に腰から拳銃を引き抜く真似をして、筒先を天井に向け、口で、ドン・ドン! と叫んだ。そして勢ひをつけて立ち上らうとすると、恰で脚がふら/\として、今迄の凄い科白とは凡そ反対に意気地なく危く倒れかゝつた。私は、思はず飛びついて彼の胴仲を支へた。
「よし/\、もう解つた/\!」
 と彼は忽ち好意の微笑を浮べて私の肩をつかんだ。「ハツハツ……日本橋の真ン中で山賊と馬賊が渡り合つても仕様がねえ。なあ、ロビン、見たところ金火箸見たようなチビ男だが、俺の科白に驚かなかつたのは、さすがに山賊らしかつたぞ。兄弟分にならないか。」
「顔だけは大分前から知つてゐたが、妙なことから口を利いたものだね。驚いたよ。」
「俺の家に遊びに来ないか、直ぐ其処だ。」
「未だ時間が早いな。俺はこれから日米に寄つて踊つて来るんだ。一処に行かないか。」
「絶対に厭だ。――ぢや俺の家の近所に来い、綺麗な昔ながらの踊りを見せるよ。」
 藤田氏は盃を少々遠慮しはじめた私の口に突きつけて、大いに飲み、そして俺の家に泊れ、と云つて諾かなかつた。――夜の、日本橋の此方側の酒場風景で、凡そ見失ふことのない点景人物の名前が藤田五郎といふ自称の「馬賊」といふことを私は、この宵にはじめて聞かされた。
「おい、そんな鳥の箱なんて此方に寄越せ、どうもお前えがそれを持つてゐると、眼つきが気になつてやれきれねえ。」
 藤田氏は、おでんの鍋から串にささつたうで玉子をとり出して、之でもくらへ! などと強制した。いつか私達は、たこやす、おでん屋の段といふ長い名前の家に紛れ込んでゐた。此処には何時も私達はバアを追はれる時刻になると、飲み足りなさ、語り足らなさ、空腹さを抱いてよろけ込む家である。酒通の友人美浦君の言に依ると此家の生烏賊の何だつたかは推賞に価する逸品の由であるが、私の出鱈目の口は何時でもその玉子ばかりを貪る。藤田氏はそれを知つてゐると云つた。私には珍味だ。
「外を通つたら声が聞えたのよ。やつぱしさうだつた。」
 私が串ざしの玉子を構へてゐるところに、私の細君とテル子がのぞいた。テル子の夫君も一処だつた。
「よしツ、橋を渡つて向ふ側に行かう、朝まで飲まう! なんて云つてゐたのは誰?」
 テル子が此方には通じぬ皮肉気な笑ひを浮べながら囁いた。
「案内しませうか?」
 テル子の夫が附け足した、よし町の花街の謂であるらしかつた。私は、断髪洋装の細君の思惑を気遣つて、激しく辞退の首を振り、
「日米のダンス・ホールへ行く約束だつたね。」
 と云つた。実地踏査と称して毎日出歩いてゐながら、おでんやの段の周囲にばかりうろついてゐたことが顧みられた。で今度は私が藤田氏の腕を囚へて無理矢理に立ち上り、私は物々しい口調で、河岸のすし屋が、いらつしやい/\と呼んで呼び込む変な事になつてしまつたとか、それにしても、これらの風景の真中にあるキリンの橋に明治四十四年三月と残つてゐるのは感慨無量ではないか――などと独白しながら、幾分もう春めいた夜気の大通りに出た。細君はテル子夫妻の案内で、今宵はぢめて中華亭の金ぷらを知つた――などと私にさゝやいだ。藤田氏は途中で巧みに逃げてしまつた。

     八

 いつもなら夫と伴れ立つて下谷の店に出かけるテル子であつたが、もう一日休む――と云つた。テル子の家は、呉服町の、とある一間幅の露路にある小さな二階家である。私達はこの二階に五日も逗留してしまつた。
「斯んなところに住んでゐながら、デパートに歯医者があることやら何とかゴルフが出来たことやら、あべこべに教つたりして……」
 テル子がそんなことを云つて嗤つたので私は得意気になつて、
「テルちやんも、もつとダンスを習つたら何うなの。僕は日米しか知らないけれど彼処の昼間を知つてゐる?」などと水を向けると、
「藤田さん――でしたわね、昨夜の人? 途中で逃げちやつたわね。」と話頭を転じた。彼女は何時でも私が幾分でも得意気な顔をすると相手にしないのが習慣である。
「昼間の切符は半額で十枚一円だよ、レコードで。練習は昼間が好いよ。」
「そんな暇なんてないよ。槙町の綺麗な人なんて来るでせう。」
 二階の壁に私が学生の時分に描いた「三味線を抱へてゐるテル子」のスケツチ板が何うして残つたものか古びたまゝ懸つてゐた。あれはテル子が二十歳位の時であつたか? などと私が細君に説明すると感心して眺めた後に、
「聞かしてよ。」と望んだ。
「本郷座に出かけて(日本橋)の芝居を観たのはあの時分だつたね。花柳のお千世にお前がのぼせて、困つたことがあつたね。」
「勘弁してよ、そんな話……」
 テル子は顔を赤くして、非常に含羞んだ。
 八重洲通りに去年の秋頃から失業者のための夜店が並び出た。二三日前の晩に私はこの三人で散歩に出かけ、中将湯に寄つて皆なで「中将湯」を喫まう、男だつて差支へないと云はれて、私は紅茶々碗ですゝめられる薬湯を見たりして間もなく二人を撒いた。私は、向ひ側の馬賊の縄張りに踏み込むために、何だかうら寒い感の夜店通りを素通りしてゐる時、不図傍の露店で、非常な能弁を弄して往く人の脚を止めてゐるのがあつたので覗いて見ると達磨が梯子を転落する玩具だつた。私は、オヤと思つた、仔細に見聞して見ると、案の条これは私の小田原の知人である内田銀三君が、震災後の没落を回復する念願から三年間といふもの好きな酒を神に断ち、全く嘗胆の想ひで発明した玩具である。私はその頃銀三氏の近くに住んだ日があつたのだが、この発明品が外国輸出となり、それまでは禅堂のやうに静寂であつた堀立小屋がモーターの音凄じい作業場と変り、夜毎/\祝盃の歓声が挙るのを耳にした。踊る、喚く、立廻る、万歳/\の騒ぎに圧倒された。――露店の弁士の言葉に依ると、今ドイツに留学してゐる物理学の泰斗内田博士の発明になる――と云つてゐたが彼は幼少からの木工職で、大酒の博士だ。そして今度始めてこの日本橋に輸入された由であるが、売行は速かではないかのやうであつた。主にドイツに行くのだ。
 テル子が手持無沙汰にとりあげた三味線の爪弾きを聞きながら私は、「達磨の梯子降り」を繰り反し繰り反し弄んでゐた。いろ/\な署名やメモを誌したあのゲーテの手帳を昨夜紛失してしまつて私は洞ろな心地であつた。だが時々、薄曇のした空を窓から見あげて徒然の絃器の音などを聞いてゐると遊楽の巷で遊び疲れたかのやうな陶酔を覚えた。
 八重洲口があいてから気のせいなんだが汽笛の音が、とても耳近く聞こえるやうな気がしてならない――などとテル子が呟いだ。

底本:「牧野信一全集第四巻」筑摩書房
   2002(平成14)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「時事新報(夕刊)」時事新報社
   1931(昭和6)年2月21日〜3月1日
初出:「時事新報(夕刊)」時事新報社
   1931(昭和6)年2月21日〜3月1日
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年1月17日作成
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