目次
 一ヶ月あまりは、またそれで旅に暮しても十分とおもつてゐたのに、私は迂闊にも自分が再び相当の飲酒者に立ち戻つてゐたのを忘れてゐた為に、二三ヶ所をわたり歩いて未だ二週間も経たぬ間に、もう国元へ電報を打たなければならぬ状態だつた。私は従来何んな類の旅の経験も知らない所為か、何処に泊つても滑稽なほど臆病で、財布のことばかりを気にしてゐるにも拘はらず、毎晩十二時過ぎまでも酒を飲まずには居られなかつた。飲んでも普段のやうに威張つた風な声ひとつ立てることもなく、何か心細気に、あたりの気合ひばかりを窺つてゐる容子であつた。私は登山袋ひとつの軽装に着換へて、地図をたよりに山を越えた。竜巻村の村長から兼て噂に聞いてゐたところの、風鈴湯といふ聴くだに今季いまどきうそ寒い山峡の沸し温泉を目ざした。余程仔細あり気な理由を考へつかぬ限り、旅費の追加を申し込み憎い折からだつたので、ひたすら風鈴湯の宿料の安価なことだけを目ざして道を急いだ。あたりの山々は紅葉に色彩れて、鵙の声が谿をわたつてこだまするおもむきなど、これが若し風流な旅の上であつたならば、脚をとどめて聴きとれるであらうのに――と私は残念であつた。稀に温泉にでも落着いたならば、案外仕事も捗るに違ひないと高をくくつて、貧しい兄弟のところに同居してゐる女房を慰めておいたのに、もう私は自分だけの始末も怪しくなつて来たのかとおもふと、風物などを楽しむ余裕はおろか、今にも蝋燭のやうに消え入つてでもしまひさうにつまらなかつた。
 私は、ローレンス・スターンの「風流旅行記」“The Sentimental Journey throuth France and Italy”といふ本を一冊携へて、自分も一ぱしのセンチメンタル・ツラベラと自惚れてゐたのであつたが、未だそれを半ばまでも読まぬうちに、最早自分は“The Vain Traveler”に貌変しさうな己れを憐れまずには居られなかつた。
 ローレンス・スターンは、その本の冒頭で凡ての旅行者を次の十種類に分別して、いかにも飄逸な筆を揮つてゐた。私は、それを書き抜いた紙片を壁に貼りつけて、言葉の空想に耽りながら夜を更したが、センチメンタルを風流とこじつけた以外に、未だ適当な邦語を見出してゐなかつた。さまざまな洒落と諷刺をふくめた憂鬱作家ユーモリストの魂胆は直訳語では感じ憎いので、私はもうそれは何ヶ月も前からその紙片を眺めては頻りと首をひねつてゐるのであつたが、何処に移つても忽ち滞在費の切迫に陥入つて、おちおちと仕事にも耽つて居られなかつたのである。

(1) The Idle Traveler.
(2) The Inquisitive T.
(3) The lying T.
(4) The Proud T.
(5) The Vain T.
(6) The Splenetic T.
(7) The Delinquent and felonious T.
(8) The Unfortunate and Innocent T.
(9) The Simple T.
(10) The Sentimental T.

 私の母は子と違つて若い折から旅行好きであつたが、老境に入つて以来は家に閉ぢ寵りがちだつた。そして夙に私の旅行談を聴くことに依つて旅の夢を満喫した。私は何ういふわけか自分でも不思議と思つてゐるのであるが、近頃母に代つて屡々旅行に出発すると、その土産噺が非常に巧妙で、十分と母の徒然を慰める術に長けてゐた。尤も聴手はいつも母だけであり、その他の者が一人でも同坐すると私は決してハニカミや遠慮でもないのに、何故か言葉が出なかつたから話術家の資格は無かつたものの、一度び母の前に据ると急に私は漫談家のやうに爽やかな弁士となつて、思はず聴手の腹をよぢらせたり、美しい叙景の展開に恍惚の夢を誘つた。更に私のそれは「大法螺男爵」――泰西名著――の旅行談の如き、乃至は夢想兵衛の「胡蝶物語」等の如き荒唐無稽な筋合ひではなく、言々句々微に入り細をうがつた写実的描写に富んで円転滑達、然して自らは常に質素極まるセンチメンタル・ツラベラとしての蕭条さを忘るることなく、折に触れては大悟徹底の姿をとつた役者のやうに唸つたり、絶景を仰いで陶然たる詠嘆辞さわりをよみあげ、巧みに聴手の魂を奪つた。
「お前が旅から帰つて来るのが、わたしはほんたうに待遠しいよ。もう虫もゐなくなつたから、今度は何んな土産を持つて来るだらう……?」
 と母は私があちこちの森で採集した蝶や甲虫類の標本を見あげて、そのいちいちに絡まる息子の苦心のほどを追想した。断崖から脚を踏み外して、戸板に載せられた騒ぎまで演じて捕獲したといふ幻色のあざやかな大ムラサキ蝶やルリタテハ蝶などの数々が美しい標本となつてゐた。然し私は、大ムラサキは一羽五十銭宛で、東京の百貨店で買つたことは別段話もしなかつた。
「お前は虫採りとなると恰で夢中になるんだから、今迄はそれをおもふと心配でならなかつたけれど……」
「ええ、僕は冒険好きですからね。冒険の伴はぬ旅なんて話としたつて面白くもないぢやありませんか。今度はひとつ竜巻の村長からライフル銃を借りて、ヤグラ岳へ踏み込んで見ようといふプランを立てたんだ。あの山には今でも狼がゐるつてえんだから愉快ぢやありませんか。」
「馬鹿だね。そんな山へなんか行つて狼にでも喰ひつかれたら何うするの。止してお呉れよ、みつともない。蝶々どころの騒ぎぢやありやしない。」
 母は真顔になつて身震ひした。
「アハハハ、母さんは気が小さいな。僕は二三年前竜巻村で、狼を煮て喰つたこともあらあ……」
「ほんたうかえ、えツ? あとで気分が悪くでもなりはしなかつたかね?」
「肉は大分硬くて、多少の酸つぱ味もあつたけれど、酒のさかなには、馬よりはずつと香ばしかつた。」
「馬も喰べたの?」
「馬なんぞは……」
 と私はうそぶいた。「竜巻村ぢや、モモンガアや鼠の天ぷらなどを喰ひますぜ。」
 それらの事は皆な真実であるのに、母は容易に信じなかつた。尤も狼とは聴いて私は振舞はれたが、或ひはそれは単なる野良犬だつたかも知れない。
「おお、聞いただけでも胸が悪くなるよ。」
 母は顔を顰めて吐きさうになつた。それでも、然し母は益々好奇心を持つて“The Proud Traveler”の手柄ばなしに興味を寄せるのであつた。何故かといへば私の話は折々横道に反れたが、決して虚構はなかつたからである。母は大体、詮索好キナル旅行者(2)に属してゐた。私は、また、自家にゐるよりもケチな旅行をして、生活費の剰余を蓄へようとするゼ・シムプル・ツラベラ(9)にも似てゐた。といふのは、これこそ母に対して私の唯一なる秘密の苦心であつて、私はその剰余金を秘かに遠方の妻に送らなければならなかつたのである。私は、それ故如何にも紳士的な旅を続けてゐる風を装ひながら、或る時は馬小屋のやうな庭に寝たりして、金勘定をする眼付はまことに歴起たるゼ・シムプルであつたが、稍ともするとそんな不甲斐ない己れに業を煮して、折角の計画を覆しがちであつた。
 これは或る偶然の機会から暫く音信もなく遠ざかつてゐた母から許容を得て、五月のはじめから私はさまざまなる旅を繰り返して、もう半年にもならうといふ間のことである。今度こそは一ト月だとか、夏一杯だとかと力んで出発するのであつたが、半月とつづいた験もなく、何かと面白さうな土産ばなしばかりを携へては戻り、そして出直すばかりなので、さすがに母も不安の気色を浮べ、近頃では何うやら私の旅行談にも愛想を尽かしてゐる傾きであつた。あれをおもひ、これをおもひすると、私は吾から慰めては単なるゼ・センチメンタルと自任したがるのであつたが、決してそんな風流なものでも、インキヂテイウな旅行者でもなく、どうやら目にするさへ空怖ろし気な響きをもつたところの、でりんけんと、ゑんど、ふえろうにあうす(7)に相違ない――懈怠ニシテ然モ兇悪ナル旅行者の烙印をおさなければならなかつたのだ。
 私は、苦痛の表情を深く刻んでとぼとぼと山径をたどらなければならなかつた。私は路傍の石に腰を降すと携帯の消毒器をあけて、指先を拭つた。私は兼々僧侶の如き孤影を曳いて何の不足も覚えぬと自認もし、人にも告げてゐたにも関はらず、うつかりと花やかな町で、どうした風の吹きまはしであつたのか凡そ趣味にも柄にもなかつたのに三味線の音などに聴き惚れたところ、無惨にもゴノコツケンの保菌者になつてしまつた。私は、せめて母のところへでも戻つて保養したかつたが、大層体裁が悪く、また母に語れるやうな土産噺は生憎と種切れだつた。――もう木枯も吹きそめる頃ではあるし、おそらく風鈴湯の湯治客なんて皆無であらう、凝つと息を殺してローレンス・スターンを翻訳しよう、センチメンタル・ジアネイを読みながら、ヤグラ岳の月に吠える狼の声でも聞えたら、また一興とでも云ふべきであらう――と私は空元気を呼び起した。
 私は、どういふわけで斯んなに沁々と、秋風が身に沁むのかと思ふと、愚かな自分に二の句も吐げなかつたが、度胸を決め直してあたりの山々を見直すと、まさに満山の紅葉が吹雪を浴びて、火の粉の如く舞ひあがり、その華麗さは夢かと思ふばかりの光景であつた。私は、思はず脚を止めて吹雪の錦に見惚れた。いはれは兎も角、心懐の蕭条たる胸にうつる見渡す限りの晩秋の谿間から私は、こんこんとして尽きせぬ万感を誘はれて、眼がしらさへも沾みさうであつた。私はこれらの風景を所有する限りの美辞麗句を連ねて、母に語り、秋と遊子の姿を髣髴させたなら、母も玲瓏たる思ひの長けに陶然とするであらう――。
「母さん――誰も気づかないあんな山に――」
 と私は母の前で、この山の方角を指さして詠嘆せずには居られまいと呟いだ。「あんな素晴しい紅葉の山があるなんて思ひも寄らないでせう。乗物と云へば馬より他はない山径なんだけど、僕は馬に乗つて行くのも惜しまれて、うたをうたひながら歩くと、近さを嘆じた程間もなく着いてしまひましたよ。僕は、思はず、四観スレバ但ダ茫然、風悲シミテ浮雲去り、黄葉我前ニ墜ツ――とうたつたけれど、決してそれは憮然たる感慨ではなくつて、そんな壮麗さを唱へるには何かただ寧ろ悲し気に茫然たる言葉をもつてするより他は云ひやうもなかつたまでなんです。あの径なら大丈夫母さんにだつて歩けますから、是非とも案内したいね。それにあの辺の塚からは鏃や石斧の類ひが面白いやうに沢山発掘出来るんだ。木の葉石なんていふ化石も出るし――石器や土器の採集なら、見物してゐても心配はないでせう、そして紅葉の色に染つてゐるやうな静かな部屋で、大いに標本の整理を手伝つて貰ひ度いですな。」
 私は、いつまでも、抑揚をつけた独り言を呟き、
「そんなところなら、わたしも行つて見度い、案内してお呉れな。」
 などと、母の声色をつかつたりした。
「狼の遠吠えぐらゐは聞えることはあるけれど、人家の近くへやつて来る気遣ひはなし、食ひ物だつて別段のこともなし、湯治へ行く位ゐならああいふところででもなければ落着けませんな。一ト月も入ると大概のレウマチは治るさうですよ。」
 私はそんなに呟いだが、風悲浮雲去――といふうたは、但だ私の荒んだ心懐にのみふさはしく、後悔や悪感の吹雪に目も眩みさうであるだけだつた。私は溜息を吐きながら、黄葉墜我前とうたひながら、翌日から杖を突いて錘石の採集などに出かけた。

 入湯の効目か何うか知らなかつたが煎薬ぐらゐを服用するうちに私の病ひは鎮静した。客は、私の他には夫婦伴れの退役官吏といふ恰度私のやうに痩せた、五分刈あたまの人とだけだつた。はじめ私は、亭主に比べて余り若過ぎる婦人なので、妹か娘かと思つてゐた。
 風鈴湯は客間が二つより他はなくて、二組以上の客がある場合は襖を取り外して雑居にするのであつた。男の声は滅多に聞えることもなく、隣室でも懸念してゐるのか知らと私は女中に訊ねたが、もともとお前さんと同じやうに無口な人であると云つた。女は山北の芸妓で、折々違つた男と湯治に来るが、その町では評判の美妓なのに、何故定つた旦那が無いのだらうなどと、女中は不思議がつたりした。私は生臭坊主の轍を踏んだ後であつたが、一向隣りのささやきなどには悩まされもせず、夜更けまで石コロの整理をして、どうかすると夜を明すこともあつた。そして、旅行者の種別を書きとつた紙片れを壁に貼りつけて、適当な邦訳語を空想しても、一向何もまとまらなかつた。もう病ひは弥々収まつて、酒盃を執りはじめてはゐたが、やはり心がとがめるので、宿屋の人達も済んだ頃の夜更けでないと私は滅多に浴室へ赴かなかつた。それに、この浴室は昼間でも薄暗い穴倉のやうな場所で、三人は沈めさうもないほどの小さな浴槽に混浴であつた。好く炉端にあつまる村の人達がおそろしく卑猥な冗談などを饒舌つて、混浴場ではしやぎまはつたが、私はさういふ風景は抽象的に想像する場合には多少の長閑さを連想しないこともなかつたが、実際では単に不気味に過ぎなかつた。稀に私が這入つてゐる時にも宿の娘や隣りの女が遠慮もなく現れたが、宿の二十歳あまりの快活な娘は一向恥らひの容子もなく両腕をひろげて湯の中に浮び、村ぢうで女学校を出たのは自分ひとりであり、手紙などの代書に忙しいなどといふことを話しかけるのであつたが、あまり恬淡過ぎるのに私は何となく顔負けして、横ばかり向いてゐるし、また隣りの女などは、男客の注目をいかにも疑るかのやうに要心して、厭に勿体振つて白々しい容子をするので、こちらもそんなことには頓着もないといふ自尊心に富んだ態度を執ることに、私は骨を折つた。あたしはクウさん見たいなムツツリ××な奴大嫌ひさあ――なんていふ甘つたれ声が聞えることがあり、男は何かはつきりしない低音で呟いでゐたが、浴室で出遇ふその女はいつも狐の貴族か何かのやうにとり済してゐた。私は相当の反感も加はり、滅多なことには夜更けでもない限り浴室へ赴かぬのでもあつた。余程の自惚れ女と想像された。ところが或る晩十時ごろになつても空腹を覚えぬので、私は浴室で運動を試みた後に酒にしようと思つて、入浴者の絶えた折を見はからつて凝つと生温い湯につかつてゐると、部屋に着物を脱ぎ棄てて来た隣りの女が突然、
「あなた何時の間にか這入つてゐたのね。珍らしく帳場なんかに出張つて話込んでゐると思つたら……」
 と云ひながら危な気に梯子段を降りて来たのである。煙つたランプが一つ点いてゐるのみで上からは人の顔など誰にも解らなかつた。私はあまり咄嗟のことで、否定の言葉も吐き損ひ、後ろを向いたまま黙つて縮こまつてしまつた。加けにうつかり、飛び出したら風邪を引くに決つてゐる程のぬるい湯であつた。女は流し場で無造作に湯を使ひながら、
「あたしね、いつでも、何だか隣りの野郎が気味が悪くつて、夜なんかとても独りぢや這入れないわ。加けにあいつは毎晩遅くまで何をしてゐるんだか知らないが、もづもづしてゐて、ほんたうに変な奴だわね、わざと遅くなつてお湯に這入つたりして――屹度、こつちのことでもが気になつて眠れないのかも知れないわ。ハハハハハハ! からかつてでもやり度いやうな気がするわ、仲の善いところでも聞かせてやつて――。それに彼奴つたら、うつかりお湯なんかで一緒にならうものなら、おつに気どつてゐる見たいにふくれてやがる癖にして、こつちの隙を見はからつては、それあもう変てこな眼つきで、じいツとひとの方ばかりを視詰めてゐるぢやないの。失礼しちやふぢやないの。何処に行つても、目触りな唐変木つていふものは居るものね。」
 と手巾の洗濯などをはじめて、息も切らずに饒舌りはじめたのであつた。未だ未だ続きさうであつたが、私は這々の態で逃げ出してしまつた。その晩の隣室は忽ち灯りも消して、全く空房に等しい静けさであつたが、夜があけると間もなく私がうとうとしてゐるうちに、倉皇と出立した。
 一日一円といふ宿料で、町には五里も離れてゐたし酒は十銭くらゐであつたから別段電報を打たないでも辛棒された。
「私はそんな山の中で、一日三円もかかるといふやうな湯へ入り度いなどといふ好興は持てませぬ。いつそ熱海か箱根に行つた方が増であります。尤も御身の場合は余程の物好きからでもありませうから別段に何とも申しませぬが、最早物好きなる旅も程好く打ち切つて負債の返却に取りかかつては如何かと老婆心をめぐらせます。」
 母からの手紙は暗に鬱憤を晴らさんと云はんばかりの皮肉まじりで、私の漫談を期待する意味などは元々皆無であり、面白さうに聴いたのはただ馬鹿息子の機嫌を慮つた上の世辞であつたのだといふ風な調子であつた。負けずに私も空呆けて風景描写の手紙でも書かうかと試みたが、すつかり魂が滅入つて抒情味など涌かなかつた。敢て母への便りとせずも、遥かな天地の悠久に呼び掛け度い一片の嘆きの感投詞さへもが困難であつた。私は、沼男ニツケルマンのやうな顔つきで穴倉の湯に蹲つては、過剰金の嵩ばかりを計算してゐる吝嗇シムプルさ加減を見れば見るほど、慨歎の至りと感ずるだけであつた。そして※(「りっしんべん+空」、第4水準2-12-51)々たる面上には、次第に狼のやうに深刻気デリンケントな皺が深まつた。“Sentimental”を風流と書き換へたが、これには多分の憂鬱味が勝つてゐるので更に異様な重苦しさと陰影に富んだ訳語を案出すべきが当然であらう。

底本:「牧野信一全集第六巻」筑摩書房
   2003(平成15)年5月10日初版第1刷
底本の親本:「新潮 第三十三巻第二号」新潮社
   1936(昭和11)年2月1日発行
初出:「新潮 第三十三巻第二号」新潮社
   1936(昭和11)年2月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2010年10月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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