芝公園大門わきに『わかもと』の本舗ほんぽがある。その『わかもと』の事務所は、寺院の一部であった。観相家かんそうかの松井桂陰けいいん君が某時あるときその『わかもと』の某君ぼうくんを訪問した時、
「あなたのところは、どうしてこんなところに事務所を置くのですか」
 と云って訊いてみると、
「これには面白い話があるよ」
 と冒頭して話した。
「わかもと」の主人長尾欽弥きんや君がそこへ入って、製薬に著手ちゃくしゅした時には、貧乏のどん底であったが、たちまちめきめきと発展を遂げたので、狭くはあるし、寺の中にいるのもいやだから、ほかへ移転しようと思って、それを住職に話したところで、住職が因縁話をしてそれをめた。それはここへ入った者で失敗した者がない。伊東胡蝶園こちょうえんもここへ入って金を作った。その次に入ったのが不動銀行の牧野元次郎もとじろう君であった。だから引越さない方がいいだろうと云うので、何千万円と云う大資産を作り、店はますます繁昌して狭い寺の中では不自由であるが、それで出ないとの事であった。

底本:「伝奇ノ匣6 田中貢太郎日本怪談事典」学研M文庫、学習研究社
   2003(平成15)年10月22日初版発行
底本の親本:「新怪談集 実話篇」改造社
   1938(昭和13)年
入力:Hiroshi_O
校正:noriko saito
2010年10月20日作成
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