一

 むかし、インドに、ターコール僧正そうじょうというえらいおぼうさまがいました。むずかしい病気びょうきをなおしたりおにをおいはらったり、ときには、死人しにんをよみがえらしたりするほど、ふしぎな力をそなえていられるというひょうばんでした。そしてたいへん慈悲深じひぶかくて、なんでも貧乏びんぼうな人たちにめぐんでやり、自分は、弟子でしわかいおぼうさんと二人きりで、大きな、ぼだいじゅのそばの小さな家に、つつましくくらしていました。
 そのターコール僧正そうじょうが、ある日、にわのぼだいじゅのこかげのベンチにこしをおろして、休んでいますと、みすぼらしいなりをした、年とった男がたずねてきました。かなしそうなおどおどしたようすで、僧正様そうじょうさまにおいのりをしていただきたいと申すんです。
「おいのりはわたしの仕事しごとだ。してあげましょう」とターコール僧正そうじょうこたえました。
 男はしばらくもじもじしていましたが、かおをふせていました。
「お礼のお金をもっておりませんが、ただでおいのりをしてくださいましょうか」
「おいのりはわたしの仕事しごとだ。お金がなくてもしてあげましょう」を僧正そうじょうこたえました。
 男はしばらくして、またいいました。
「ここではございません。わたくしどもの宿やどまできておいのりをしてくださいましょうか」
「おいのりはわたしの仕事しごとだ。行ってあげましょう」と僧正そうじょうこたえました。
 男はしばらくしてまたいいました。
「わたくしのためにではございません。人間のためにではございません。こわれかけた大きな人形が一つございます。そのためにおいのりをしてくださいましょうか」
「おいのりはわたしの仕事しごとだ。その人形のためにしてあげましょう」と僧正そうじょうこたえました。
 男はうれしそうに、をかがやかして、僧正そうじょうかおをながめていいました。
「ほんとうでございますか」
「おいのりはわたしの仕事しごとだ」と僧正そうじょうはほほえんでこたえました。「一もんもお金をもらわないでも、あなたの宿やどまで行って、そのこわれかけた人形のために、おいのりをしてあげましょう」

     二

 大きなぼだいじゅのあるターコール僧正そうじょうの家から、一ばかりはなれた町のはずれに、きたない宿屋やどやがありました。見すぼらしい年とった男は、そこへ僧正そうじょう案内あんないしてきました。そしてみちみち、僧正そうじょうへ自分のの上を話しました。
 かれはコスモといって、女房にょうぼうのコスマと二人で、諸国しょこくをへめぐっている人形使にんぎょうつかいでした。天気のよい日町や村の広場に人をあつめて、コスモが人形をおどらせ、コスマがマンドリンをひいて、いくらかのお金をもらい、そして方々たびをしてあるいているのでした。ところが、そういう生活せいかつは時がたつにつれて、はじめほど面白おもしろいものではなくなってきました。天気は毎日れるものではありませんし、お金はいつももらえるとはきまりません。それに方々の土地とちも見つくしてしまいました。だんだん年もとってきました。人形もこわれかけました。いっそ故郷こきょうかえって、そこで百姓ひゃくしょうをしてる息子むすこのところで、のこったしょうがいをおくろう、とそう二人は相談そうだんしました。
 ちょうどそのとき、この土地とちにたいへんえらいぼうさまがいられるということをいて、二人は、今まで自分たちをやしなってくれた人形のため、そのぼうさまにおいのりをしていただいて、そして故郷こきょうかえろうと思ったのでした。
 そういう話を、ターコール僧正そうじょうはにこにこしながらいていました。
 宿屋やどやについて、おくのせまいへやにはいっていきますと、コスマはぼんやり考えこんでいました。
僧正そうじょうさまがいらしたよ」とコスモは大きな声でいいました。
 コスマはびっくりしてびあがるようにたってきて、ターコール僧正そうじょうむかえました。
 僧正そうじょうはあまりよけいな口をききませんでした。そしてすぐにたずねました。
「人形は?」
「はい、これでございます」
 コスモとコスマは、へやのすみのくぎにさがってる人形のおおいを取りました。赤と黄とみどりと青とむらさきとの五しきしまのはいった着物きものをつけ、三かくの金色の帽子ぼうしをかぶり、緋色ひいろ毛靴けぐつをはいて、ぶらりとさがっていました。その帽子ぼうし着物きものくつはもとより、かお手先てさきまで、うすぐろくよごれていて、長年のあいだたびをしてあるいたようすが見えています。
 僧正そうじょうはそれをじっとながめました。
「おいのりをしてあげましょう」
 僧正そうじょうむらさきころもをきました。人形の前にこうをたき、ろうそくの火をともしました。そしてじゅずをつまぐりながら、いのりをはじめました。まどからさしてくるぼーっとした明るみのなかに、こうけむりがもつれ、ろうそくの火がちらついて、僧正そうじょういのりの声はだんだん高まってきました。
 人形が、びくりとうごいたようでした。はげかかってうすよごれのしてるそのかおに、ろうそくのひかりがうつって、ほんのり赤みがさしてきます。が大きくなります。今にも口をききそうです。その口もとにはもう、やさしいみをうかべています……。僧正そうじょういのりの声は高く低くつづきます。
 コスモとコスマは、びっくりしたような気持きもちで、人形のかおに見入っていました。もうをそらすことができないで、いっしんに見入っていました。僧正そうじょういのりの声と、ろうそくのひかりこうけむりのなかで、人形がうっとり笑いかけたとき、コスモとコスマのからは、なみだがはらはらとながれました。そしてなみだながしながら二人は、人形のかおを見つめていました。

     三

 ターコール僧正そうじょうのおいのりで生きあがった人形……活人形いきにんぎょう……。
 そういううわさで、町はわきかえるようなさわぎでした。そしてその活人形いきにんぎょうおどりを見ようとおもって、町の人はもとより、近在きんざいの人まで、うつくしくかざって、町のにぎやかな広場に集ってきました。
 見物人けんぶつにんたちがうつくしくかざってるのにくらべて、人形使にんぎょうつかいの方はひどく粗末そまつななりでした。コスモはなんのかざりもない色のあせたくろふくをつけ、まんなかにすりきれたふさのついてる大黒帽だいこくぼうをかぶり、木靴きぐつをはいていました。コスマは、赤茶あかちゃけたふくをつけて、古いマンドリンをかかえていました。そして広場の中には、うすいむしろがしいてあるきりでした。
 けれども、コスモもコスマもいっしょうけんめいでした。その日にやけた年とったかおには、いつにない若々わかわかしい元気がうかんでいました。かれひたいあせをにじましながら、つよい調子ちょうしでいいました。
「わたくしは、もう人形使にんぎょうつかいをやめまして、故郷こきょうかえるつもりでおりました。この人形も、もう人様ひとさまにお目にかけないつもりでおりました。ところが、ターコール僧正そうじょうさまのことをききまして、わたくしどもを長いあいだやしなってくれましたこの人形のために、一いのりをしていただきたいと考えました。そして僧正そうじょうさまにおねがいいたしました。僧正そうじょうさまはすぐに承知しょうちしてくださいました。わたくしどもの宿やどまできてくださいまして、人形のためにおいのりをしてくださいました。そのおいのりのさいちゅうに、この人形はいきいきとしたかおになって、わたくしどもにわらいかけました。わたくしは、わたくしどもは、それをはっきり見ました。ほんとうにわらいかけました。生きあがりました。わたくしどもは、ただうれしきにきました。……そして、人様ひとさまのおすすめによりまして、この人形を、ターコール僧正そうじょうさまのおいのりで生きあがったこの人形を、さいごに一だけ、みな様にお目にかけることにいたしました……」
 それは、いつも人をびあつめるこっけいな道化どうけたあいさつとは、まるっきりちがった調子ちょうしでした。見物人けんぶつにんたちはへんな気がしました。そして、コスモが人形をそこへもちだしたのを見ますと、ふしぎでした。古いはげかかった人形のかおが、なるほど、いきいきとしていて、わらってるようです……。
 その人形のおどりが、またすばらしいものでした。年とったやせたコスモの手であやつられてるとは、どうしても思えませんでした。をみひらき、はれやかにわらいながら、だんだんはげしく、しまいにはまるで気でもちがったように、おどりまわりました。日の光に、金色の三角帽かくぼうがきらきらとかがやき、五しき着物きものにじのようにかがやきました。どう見ても、生きた人形が自分でおどってるのでして、コスモはただそれについてまわってるだけでした。マンドリンをひいてるコスマも、人形をおどらせるためにひいてるのではなく、人形からむりにひかせられてるようでした。
 見物人けんぶつにんたちは、人形のおどりに見とれて、ゆめをみてるような気持きもちになり、声をたてるものもなくただうっとりとしていました。コスモもコスマもむちゅうでした。もういきもつけませんでした。そしてとうとう、おどりのさいちゅうに、コスモは力がつきてぱったりたおれてしまいました。同時どうじに、コスマのマンドリンも、ぷつりと糸が切れました。
 人形だけが、はれやかにわらいながら、ひとりで立っていました。

     四

 コスモとコスマとは、人形を大事だいじにかかえて、故郷こきょうかえっていきました。たくさんもらったお金を、半分ばかり、ターコール僧正そうじょうへおくりました。
 ターコール僧正そうじょうは、お金をたくさんもらっても一もんも、もらわなかったときと同じように、べつにふしぎがりもしませんでした。そしてそのお金をみんな、貧乏びんぼうな人たちにめぐんでやりました。それから、二人の人形使にんぎょうつかいのためにおいのりをしてやりました。
 ターコール僧正そうじょうがおいのりをしてるとき、コスモとコスマとは、故郷こきょうへのたびをいそいでいました。コスモはいいました。
「ありがたい僧正そうじょうさまだ」
「ほんとにありがたい僧正そうじょうさまです」とコスマはこたえました。コスモはしばらくしてまたいいました。
「この人形は、わたしたちのためには、大事だいじな人形だ」
「ほんとに大事だいじな人形です」とコスマはこたえました。
 そして二人は、うちれた日の光をあおいで故郷こきょうへのたびをいそぎました。

底本:「天狗笑い」晶文社
   1978(昭和53)年4月15日発行
入力:田中敬三
校正:川山隆
2006年12月31日作成
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