食堂の二階には僕の外にノンビリさんと称ばれる失業中の洋服職人が泊つてをり、心臓と脚気が悪くて年中額に脂汗を浮かべ、下宿料の催促を受けて「自殺したうなつた」かう呟きながら階段を降りたり上つたりしてゐたが、食堂の娘の家出に就て、女学校の四年生に弁当の配達をさせるのがいけないのだ、と非常にアッサリ断定した。路で友達に逢うたら羞しうて気持のすさぶ年頃やさかい、かう言ふ。女学校へあげるくらゐなら竈の前でこき使ふのは構はないが、弁当箱をぶらさげて配達に使ふのは甚だ宜しくない。だから不良少女になつたのである、といふ意見であつた。成程、人各々自分の生活から掴みだした一家の考察があるものだ、と僕は感心した。
 娘は十七であつた。不良少女と言つても、大それたことの出来る年頃ではない。生意気ざかりで、ちよつと軌道の外れたことをしてゐるといふ程度であつた。気立てのよい娘で、ひねくれた所はなく、たゞ愛情に非常にあこがれてゐた。特別な親子の関係のせゐであつた。
 娘は食堂の主婦の姉の子であつた。三つぐらゐの時に主婦が貰つてきたのである。いつたい本当に可愛がつてゐるのだか、どうだか、僕には一向に見当がつかぬ。家出した娘をたうとう見つけだして掴まへて来たとき、男があるかどうか、もう処女ではなくなつたかどうか、それを僕に突きとめてくれと言ふのである。娘はその前にも一度、家出した。そのときは喫茶店でひそかに働いてゐた。親の家にゐるのが、どうしても厭だと言ふのである。そのときは、然し、なんなく事が済んだけれども、今度の場合は、娘の態度がもつと決定的なものを示してゐた。父親母親にハッキリした敵意を見せてゐる。娘は親のきくことに一言半句の返事もしない。けれども全身に自信満々たる敵意が溢れてゐるのである。かういふものは、何か外の場所に、充分拠りどころのある愛情の対象をもたなければ、決して生れるものではない。涙一滴流さずに何か深く決意を見せて無言の行をつゞけてゐる娘に手を焼いて、僕の所へ頼んで来たのであつた。
 処女? その言葉をきいた時に、僕はびつくりした。その言葉に含まれた動物的な激しい意味が閃いたからである。それは男の僕が女を対象に眺めて云々した場合の「処女」といふ意味とはまるで違ふ。たゞ専一に親だけが子供に祈つてゐる「処女」であつた。何か信仰のやうな激しい祈りが感じられて、子供を持たない僕には思ひも寄らない唐突な言葉であつた。人間の中の一番動物的なものを感じたやうな気がしたのである。人間はやつぱり動物だ。こんなにも本能的な信仰を含んだ神秘が実在してゐる。――僕はびつくりして二人の親を眺めたが、思ひもよらず眼前へ出現した二人の動物を呆気にとられて眺めたと云ふ方が当つてゐる。
 僕は万やむを得ず娘を僕の部屋へよんで訊いてみた。男は立命館の予科の生徒で山口といふ名前だと云つた。殺されてもこの家にはゐません、と娘は言つたが、たしかにそれだけの決意をしてゐた。
 僕はこの通りのことを親に報告した。隠しても仕方のないことであらう。あれぐらゐ家を厭がつてゐるのだから、縁がないのだと諦め、娘を手離した方がいゝ。僕はさういふ風に僕の意見をつけたすことを忘れなかつたが、親達はそんな言葉はてんで聴いてゐなかつたのだ。報告をきかされたとたんに、二人の親、動物、の思考がまつたく途切れてしまつたのである。二人の親はジロリ黒い目を見合せた。
「早うに、女郎に売りとばしたら良かつたなア」
 親父が言葉を洩らしたが、主婦は返事をしなかつた。多分、親父はその瞬間に今喋つたゞけの事柄しか考へることが出来なかつたに相違なく、主婦は又、余りに多く様々の恐しい想念が浮びすぎて喋ることが出来なかつたに相違ない。
 親父は子供に対して非常にアッサリした一つのことしか考へてゐなかつた。もともと主婦の姉の子で、親父には血のつながらぬ娘である。だから、愛情などは二の次にして、育てた代りには、老後の面倒を見て貰ふ、親子関係は極めてアッサリとたゞそれだけに限定してゐた。どこの馬の骨や分らん男にやつてしまふたら損やないか、ほんまに阿呆な目に逢ふたもんや、親父は頻りにブツ/\言つてゐる。損、といふ、異常に執拗な観念が鬼のやうに親父の頭の中を狂ひ廻つてゐるのが、分つた。
「分りました。ほんまに先生、お世話様のことゞした。もう、諦めますわ。何もかもこれで済んでしもうた。アヽヽ。ほんまに、えらいこつちや」
 主婦は苦笑しながら、こんな風に言つたかと思ふと、次の瞬間には突然血の気が失せてしまつて、畜生め、どないしてくれたら腹の虫が納まることやら……顔がひきつり、歯が顔の下半分にニュッとひろがり目が吊りあがつてしまつてゐる。女郎に売りとばすぐらゐではとても/\我慢が出来ぬ。もつと残酷に仕返してやらなくては腹の虫が納らないと親父にとも僕にともなく呟いてゐる。
 動物の本能に属するところの信仰、祈り、さういふ世界であつた。いはゞ僕はこの方面に不具者だから、戸惑ひするばかりで、てんで太刀打ができなかつた。一時の逆上が落付けば、各々の考も変るであらう。そこで双方の気違ひめいた逆上が納るまで暫く娘を二階に起居させること、両親といへども一切二階へ上らぬことにきめた。
 けれども、こんな約束は何にもなりはしなかつた。話がすんだので、僕はさつそく昼寝を始めてウト/\してゐると、主婦が跫音あしおとを殺して二階へ上つてきた。忽ちヒーヒーといふ風音のやうな悲鳴が起り、必死に争ふ気配だけれども、格闘の物音は小さく、呼吸の響が狂暴である。痛い。痛い。痛。といふ娘の声がポキン/\材木を折るやうな鈍い間隔を置いて聞えてきた。仕方がないので寝床から立上つて隣室へでかけた。
 僕は呆然、たゞ見物以外に手の施しやうがなかつた。主婦は馬乗りになり、娘の髪の毛を引きむしり、又、身体の諸方を(或ひは特定の一ヶ所であつたかも知れぬが)力一杯つねつてゐる。骨身に徹して痛む急所と見えて、満々たる敵意を見せて怖れを知らなかつた娘が、歯を食ひしばり、きれ/″\に風のやうな息のみを洩して、もはや身もだへの力もなく痙攣してゐるのである。女同志の真剣な掴み合といふものを始めて見たのであつたが、めくら滅法ぶんなぐる、さういふものとは根柢的に趣きが違ふ。日頃喧嘩に就ての訓練などは全然しないくせに、本能的に相手の急所を知悉してをり、いつたん掴み合ひが始まると無役な過程は何もなく、いきなり相手の急所へ本能的に突撃するといふ動物性の横溢した立廻りのやうであつた。
 数年前、僕は田舎に住んでをり、この時も昼寝の最中であつたが、すぐ窓のそばの梅の木の上に突然蝉の悲鳴が起つた。むなしい羽の風音が悲鳴に交つてきこえる。蜘蛛くもの巣にかゝつたのだらうと思ひ、昼寝の邪魔だからひとつ逃がしてやらうと思つて顔を出したら、驚いた。カマキリが梅の木の上で、油蝉を羽交締にしてゐるのである。背に乗り、後ろ首の一ヶ所に食ひついてゐる。そこは急所と見え、蝉は次第に気力を失つてゐるのであつた。一緒に地上へ落ちたが、羽交締は微動もしない。僕は呆れてしまつた。蝉の方がよつぽど大きく、筋骨逞しい様子のくせに、カマキリの奴生れ乍らにして蝉の急所まで心得てゐる。動物といふ奴は端倪すべからざる怪物だと思つたが、親子喧嘩を見てゐると、食堂の主婦はまつたくカマキリであつた。
 ハヽヽヽヽヽといふ、突然部屋に爆風のやうな哄笑が起つた。娘である。腹の底からこみあげてくる、いや、全身がひとつの爆風に化したといふ哄笑である。気がふれた――さういふ単純な意味だけではとても説明はつかない。もつと腹の真底から愉快千万だといふ哄笑であつた。おまへの一番大事なものをなくしてやつたぞ。どうだ。思ひ知つたか。ざまを見ろ、といふハッキリした意味があつた。えゝこれでもか、これでもか、と歯をくひしばつて、主婦はもはや完全な気違ひである。突然頭へ手をやつて縮れ毛の頭からピンを抜きとつて逆手にもつ。その手を掴んで僕は逆にねぢあげた。蹴飛ばすやうな勢ひで、やうやく主婦を階段の下へ追ひ降したのである。主婦も下へ降り、誰もゐなくなつてからも、娘の哄笑は五分間ぐらゐは止まらなかつた。娘の部屋へ行つてみると、馬乗りになつてゐた母親の姿だけを取去つたゞけで、あとは全然さつきと変らぬ。仰向けにねて、部屋一杯にこもる爆風をたてながら、左右に身をうねらせてゐるのであつた。
 その翌日の夕方、親達が弁当の配達にでた隙に、自分の着物一包みを持つて、娘は本格的に姿をくらましたのである。

 娘が始めて家出したとき、親父が上つてきて、先生、済んまへんこつちやけれどもどないか探す手掛りおまへんかと言ふ。僕はそのとき病気であつたし、病気でなくとも不良少女の行方など探す気持にはなれなかつたので、この食堂の二階座敷が碁会所になつてをり、そこへ来る常連に特高の刑事で俳句をつくるおとなしい人がゐたから、その人に頼んだらよからうと言つた。けれども親父は僕の部屋をまるで自分の知らない家のやうなびつくりまなこで見廻したり、窓から比叡の山々を生れて始めてのやうに眺めたり、先生、あの山になんや赤い物が見えまんなア、なんやらうな、ほんまに……などゝ言つて、僕がウンと言ふまではいつかな動かない。仕方なしに娘の手紙一山、まつたく一山、とり出させて、手掛りを探した。
 不良少女同志の文通といふものを僕は始めて読んだが、度胆をぬかれてしまつた。いつたい女学校の四年生ぐらゐといふものは、一般にどんな文通を交してゐるものであらうか。僕の読んだ手紙といふのは一として僕の常識を嘲笑し、心胆を寒からしめぬといふ物はない。縁日に三度つゞけてあとをつけた予科の奴とつきあつてみると、せんど厭らしい奴でうんざりした。この前あなたが男前やなア言ふて羨しがつてゐやはつたから譲つてあげてもえゝけれど、中学の三年坊主と交換にしてくれないか、といふ商用に関する文書もある。今度スケート(このスケートが文書中へ頻繁に現れ、四条河原町のスケート場のことであるが、不良少女の取引所の様子であつた)で中学の四年坊主を近日紹介してあげるけれど、モーションかけてはいやよ。私の恋人をとつたから徹底的に復讐してあげるわといふ文書もあつた。全部不良少女同志の文通で、男からのものは一通もなく、たゞ看護婦と名乗る女から送られた長文の手紙が十数通あり、之だけが不良少女ではなかつた。あなたのスタイルが目にチラついて睡れないけれども幸福だとか、一緒に歩いた公園や街がそれだけでもう別の風景になつてしまつたとか、激しい愛情を訴へ、自分の病院の味気ない生活の日記風な報告が必ず数枚こくめいに溜息と共に書いてある。病人がどうした、どういふ出来事があつた、同僚がどうした、医者がどうしたといふくさ/″\の出来事である。
 僕はこの手紙には一杯食はされてしまつたのである。文章も字も下手くそで女そつくりであるし、同性愛の文書だとばかり真に受けてゐたら、あとでこの人物を突止めてみると、中学五年生で、不良少年であつた。つまり病院のこくめいな描写は人をあざむく計略で、全然意味がなく、たゞ一番最後の一行、何日の何時にどこそこで会つてくれと言ふのだけが重大な要件であつたのである。医者の子供ですらなく、大工の棟梁の子供であつた。不良少年ですら斯ういふ文書を発明する程だから、暗号の外交文書などいふものは、どういふ計略があるか知れたものではないのである。
 親爺夫婦に異様な執拗さで懇願され、万策つきて、当時JO撮影所の脚本部員だつた三宅君に助太刀を頼んだ。かうして手紙を手掛りに、京都一円にわたつて不良少女少年の戸別訪問を始めたのだつた。至る所で、僕達の惨敗である。みんな十七八の小娘だけれども、女といふものゝ身についた白々しさにウンザリしてしまつたのである。頑強に嘘をつき決して本当のことを言はない――それは不良少年でも同じことであつたけれども、不良少女の方は外面に頑強な所がまつたくなく、こつちの訊くことにはまともな返事をしようとはせず、娘の家出に就て実に美しい表現で長々とおくやみの挨拶をのべ、本当に親身になつて自分の方から相談に乗りだすといふ情のこもつた様子で、いつの間にか話を自分の身辺から遠い所へ離してしまひ、驚く程色々なことを教へてくれる。いづれも一応重大なことばかりだけれども、気がついてみると、この事件には何の関係もないことばかりだ。さうして娘達に別れると、結局どの娘の話をきいたあとでも、その娘だけが純良無垢なしほらしい女であるといふことを語つてゐるに過ぎないことが分るのである。全然他人にかゝる迷惑などは顧慮してをらず、娘の家出のことなどもてんで問題にしてゐやしない。不良少女は顔立の可愛い娘ばかりで、いづれも良家のしほらしい子女、いやむしろ普通よりも躾のいゝ娘としか思はれず、高貴なほど頭抜けて美しい娘もゐた。けれども、何分僕達は彼女達の驚くべき秘密文書をみんな読破してをり、いつどこで、何をしてゐたといふことをチャンと心得てゐるのだから、うま/\とは騙されぬ。とはいへ、彼女達が言ひ合したやうに美しい表現で親身の情を披瀝する術を具へてをり、色々と重大極る出来事を(それはこの場所に書くことすら出来ないほど重大な人生を含んでゐる)次から次へと呆気ないほどさり気もなく教へてくれる。それを、さて、静かに綜合してみると、これがみんな一途にたゞ自分一人の弁護のみを見事に構成してゐるのである。
 決定的な孤独な性格と平然たる他への裏切り。腹も立つたが、生れながらのものを率直に投げだしてゐる身構へには小娘ながら時に目の覚める女を感じたのであつた。頭抜けて美しい高貴な娘は、翌日友禅の着物をきて、ダリヤだの何かの花束をもち、改めておくやみに現れてきた。母親に何かと美しい慰めの言葉をかけて、又、僕達をわざ/\呼びだしたうへ、問はれもしない色々の秘密を語つてきかせ、結局又自分だけいゝ子になつて爽やかに帰つて行つた。この小娘の独立独歩の人生に対して、まるで僕達はそのツマにしか当らぬやうな哀れさであつた。僕は悲鳴をあげてしまひ、三宅君は撮影所で女優の卵に演劇史を教へてゐたが、ヤア不良少女に比べると女優の方が大根ですなア、と嘆いてしまつた。京都にはその年までフグ料理が禁止されてゐたが、四条寺町に始めて一軒できた。その晩僕達はそこへ始めて這入つて、一番死にさうな所を食はしてくれなどゝ酔ひつぶれた始末である。
 結局、僕には、この親子の愛情の実相といふものが、今もつて分らぬ。なんとも断定することが出来ないのである。家族の一人がゐなくなる。旅行にでゝ居なくなつたといふだけでも、五体の一角が欠けたやうな寂寥が目立つものである。ところが、この食堂のたつた三人家族の一人娘が家出したといふのに、その脱け落ちた空虚とか寂寥をどうにも僕は嗅ぎだすことが出来なかつた。ほんまに、あないな阿呆な奴でも、あいつが居なうなつたら、なんや、張合がなうて……と主婦はこぼしてゐる。もう、えゝわ。そないな話、やめとき……親爺が苛々と言ふ。それはたゞ泌々しみじみと、一人娘の家出のあとの風景なのである。微塵も人に見せるための芝居ではなく、一人娘の家出の暗さが歴々漂ふ風景であつた。――ところが、それですら、僕には矢張り一人の家族が脱け落ちた大きな空虚と寂寥を泌々同感することが出来なかつた。
 この食堂の親爺夫婦が正真正銘の夫婦であるといふことを信じる迄には相当の時間が必要であつた。親爺は六十三だけれども、七十三、いやもつと老けて見える。五尺に足らない小男で、前歯が落ち、脱け残つた歯が牙のやうに大きく飛びだし、顔中黒々と太いしわで、その中にトラホームの目と鼻がある。年中帯をだらしなく巻き、袖ではなをこすりながら、弁当の配達に歩いてゐる。街を歩いてゐる時は左程でもないが、自宅へ辿りつくとグッタリ疲れてしまふらしく、食堂の内部ではウヽウヽウヽと唸りで調子をとりながらうろつき廻り、新聞だの煙草だの部屋の中の離れた場所にあるものを取りに出掛けて行く時には、坐つた場所から這ひはじめて、又這ひ戻つてくるのである。
 主婦の方は四十三。これは年齢相当の年配に見えて、然し親爺に比べると、どうにも娘としか思はれぬ。却々なかなかの美人、身の丈は五尺四寸以上、姿はスラリと綺麗だけれども、髪の毛が赤い縮れ毛で、クワヰのやうに結んでゐる。年中駻馬かんばの鼻息でキイ/\声をふりしぼりながら、竈の前で親爺をこき使つてゐるのである。顔も姿も綺麗だけれども、痩せてゐる胸のあたりは女の感じではなかつたし、動作にも、気質にも優しさがなく、そのくせ、最も頻繁にウチ女やよつてに、とか、気が弱うて、とか、凡そ飛んでもない述懐を本気で泌々こぼしてゐる。薄気味悪くなるのであつた。
 この二人がどういふ因縁によつて同棲を始めたのだか、僕はハッキリ知らないが、昔、主婦がどこかの売店で売子の時分、親爺が熱を上げて口説き落したのだと云ふ。当時親爺には妻子と立派な店舗があつたが、それをみんな投げだして、この商売を始めたのである。その頃は人並以上の情熱児であつたであらうが、その面影はもはや一切残つてゐない。残つてゐるのは醜悪な老躯ばかりで、死損ひといふ感じが全てゞあつた。
 この食堂の二階座敷の碁会所の常連や食堂の馴染客は、親爺に面と向つて死損ひだと言ふのであつた。棺桶に片足突つこんで置いてからに、却々いきをらんで。ほんまにシブトイ奴ッちやないかいな、と、一日に一度ぐらゐは誰かしら斯う言ふのである。さうして、後は引受けるよつてに、早うに死んだらどうかいな、と冷やかしてゐる。言ふまでもなく冗談である。悪意どころか、お前の女房は美人だといふお世辞のつもりであるかも知れず、こんなに羨しがつてゐるのだからお前の果報を喜べといふ好意のつもりであるかも知れぬ。然し、実際親爺が死んだらどういふ事態になるであらうか。伏見の石屋といふ豚のやうな肥つた男が、一ヶ月に一度づゝ酒を飲みにやつてくる。十五年ぐらゐ、かうして確実に一ヶ月に一度づゝ見廻りにくるのである。その日は朝から深夜まで十五六時間ゆつくり飲んで、親爺がまだ死なゝいことを見届けて帰つて行く。すると又、稲荷山へ見廻りにくる香具師やしの親分といふのがあつて、時々子分をひきつれて威勢良く繰込んでくる。主婦は俄に化粧を始め、外のお客は一切奥座敷から締めだされる。親分が酔つ払ふ頃になると子分は帰つてしまひ、親爺も二階の碁席へ引下がる。親爺は押黙り、異常な速度で傍目もふらず碁を打つてゐる。あゝ、又、例の客だな、と常連達は忽ち察しがつくのであつたが、誰も同情する者はない。全然気にかける者もない。この親爺が世にも不似合な女房をもち、その結果斯ういふ事態にならなかつたら、その方がこの世の不思議といふものだ、とみんなが思つてゐるのである。
 然し、親翁が死んだら……多分、主婦自らが最もそれを希つてゐたに相違ないが、然しながら実際親爺が死んだら……主婦とても全く自信はないのであらう。ふとつた石屋も香具師の親分も老後を托すに足るだけの誠意でないことは自明であるし、第一主婦は、すべての大人といふものが世の辛酸表裏を知りつくしてゐるために、大人達と老人達に本能的な嫌悪を懐いてゐた。さうして、弁当の得意先であるところの鉄道の独身者の若い従業員に親切にし、娘の婿にと心掛けてゐるのであつたが、実際は、それが娘のためではなく主婦自らの最大の慰安であつた。が、それとても、真実の未来の光明となり得ぬことは痛切に思ひ知つてゐたのである。親爺夫婦は僕に妻帯をすゝめたが、そのとき主婦はいつも僕にかう言つた。どない女かて宜しうをすわな、あんたはんかてもう五ツ六ツ老けてごらうじ、一人やつたら味気なうて、ほんまに生きられえへんどつせ。多分主婦が最も痛切にそれを感じてゐたのであらう。人間には年齢の思考といふものがある。頭の思考に独立して年齢自身が考へはじめ、その抜きさしならぬ暗さ、のしかゝつてくる思考自体の肉体的な目方の重さといふものを僕も薄々感じることが出来たのである。老醜の恐怖といふものが今まざ/\と主婦の眼前にひらけ始めて、どのやうな男でもいゝ、死損ひでも構はない、何かしらに縋りついてゐなければならぬ。狂気のやうに自分を愛す親爺である故、うるさくて憎くて仕方がないが、縋りつかずにもゐられない。それは愛情の声ではなく、衰へはじめた年齢の又肉体の声だつた。最大の不信、親爺の死滅を祈りつゞけてゐながらも、縋る手を離すまいと動く手を自ら断つといふことが出来ぬ。
 娘に婿をもらつて静かな余世を、と言つてゐるが、大嘘だ。主婦みづからの血潮の始末に身もだへて、あがきのつかぬ状態だつた。いゝ加減なことを言ふな、と、僕の目がいつも冷めたく光るのを、どうすることも出来なかつた。あの娘をどれほど愛してゐるか、それは知らぬ。娘の家出がどのやうな寂寥を与へたか、それも分らぬ。或ひは僕如き人生の風来坊には見当もつかないやうな荒涼たる心事であるかも知れぬ。けれども、如何ほど深い寂寥であるにしても、それが何程のことであらうか。自分一人の始末だけでもするがいゝ。情緒の問題は末の末で、この食堂では、家出した娘の脱けた空虚などは一向に目立たず、四十女の肉体が亡魂となつて部屋いつぱいうろつき廻つてゐるではないか。

 本格的に姿をくらました娘も、十日目ぐらゐに奇妙なことでつかまつた。
 僕と三宅君は例の如く親爺に頼まれて申訳ばかりに二日間ぐらゐは心当りを探してみた。立命館の予科の山口といふのを頼りに、この学校には友達二人教師をしてゐるし、予科の名簿をみんな見せてもらつたけれども、それらしいのが見当らない。僕達が名簿を睨んで唸つてゐると、何を教へてゐる先生だか知らないけれど、体格のいゝ先生が心配さうに近寄つてきて、娘はいつごろ家出しましたか。昨日です。それぢやア、あなた、と先生は声に力をこめて、まだ間に合ふ。さつそく神戸と下関へ手配しなきやアいけませんぜ。こゝを堅めてゐりやア大丈夫つかまるですよ、と一人で勝手に頷きながらさつさと向ふへ行つてしまつた。不良少女の巣のやうな喫茶店も廻つてみた。不良少女の足を洗つて大人になつた女給がゐて、これが娘の姉さん株の関係だつたが、流石に大人だから、自分だけいゝ子になるのは変りがなくとも、嘘でないことも教へてくれた。あれぐらゐの年頃の不良少女は男としよつちう遊んでゐても、めつたに肉体的な関係にはならないものだ、といふのであつた。さういふ危険性のある男は本能的に避けてゐる。けれども、肉体的な関係になつても別に不思議ではないのだから……姐御は僕達の目をヂッと見てゐたが、自分の知つてゐる限りでは、娘のつき合つてゐた男のうちに、さういふ事態になりうる男が二人ゐるから、と言つて住所と姓名を書いてくれた。京都の端と端であつた。一人は予科生、一人は中学生だつた。僕達の話の途中、姐御の馴染客が二組も来て頻りに合図するのであつたが、姐御は平然として黙殺し、不良少女や少年の内幕に就て様々な細い注意を与へてくれる。さうして、別れる時には、ほんまにお母さんは御心配のことゞすやらうなア、暇やつたらウチも行つてあげたいのやけれど。――勘定もチップも受取らなかつた。頼もしい女だと思つてゐたら、後日娘がこの話をきいて、あの人、狸やわ、冷然とさう言つた。
 教へられた不良少年を京都の端へ訪ねて行つたが徒労であつた。その日はまさに一年の大晦日に当つてゐた。街々は暮の飾りで充満し、さういふ飾りの物陰で、呼出した不良少年を威したりすかしたり、死にたくなるやうなものである。一人だけでウンザリして、もう止さう、僕が言ふと、三宅君も実に簡単に賛成した。不良少女の方だつたら出掛けて行つてもいゝのだが、などゝ笑つてみるが、益々異様にガッカリするばかりで、笑ふこともできなかつた。三宅君は新年早々入営することになつてをり、その晩は、立命館の先生福本君、山本君、四人集り、三宅君の壮行を祝して越年の酒宴をひらく筈であつた。僕達は京都の端で訊問を片づけると、疲労困憊、予定の時間を大分遅れて、やうやく会場に辿りついた。京都では大晦日の深夜から元旦の早朝へかけて、八坂神社の神火を三尺ぐらゐの縄にうつし、消えないやうに調子をつけて振りながら之をブラ下げて家に帰り元旦の竈の火をつけるといふ習慣がある。僕達が酔つ払つて外へでると、道の両側の人道はすでに縄の火をブラ下げた人達が蜿蜒と流れつゞいてゐる。家すらもないといふこと、かつてそのことに悲しみを覚えた記憶のない僕だつたのに、なぜか痛烈に家がないといふことを感じたのだつた。おい、ギャングに会はふよ。ギャングのゐる酒場へ行かうよ。福本君が怒鳴る。よからう。ギャングに会はふ。僕達は蜿蜒たる縄の火の波を尻目にどこか酒場のたてこんだ路地に曲りこみ、ギャングはゐないか、ギャング出てこい。まつたく、だらしのない元旦だつた。この日から、もう、捜索は金輪際やめてしまつた。
 娘をつかまへてくれたのは大工の棟梁の一族だつた。大工の棟梁といふのは例の「看護婦」の家族のことで、始めて息子の不埒を知り、お詫びの意味で、心掛けてくれたのだつた。娘の情夫は硬派の与太学生で、看護婦先生が殴られたことのある男であつた。そのツナガリがあるために、案外簡単に見つけることが出来たのである。
 その晩は三宅君が入営のために故郷へ旅立つ日であつた。僕を訪ねて来てくれて、食堂の奥の座敷で一緒に酒をのんでゐた。そこへ棟梁の一族が男女の罪人を引きたてゝ、どや/\と流れこんで来たのである。酒席は忽ち白洲となり、罪人男女は案外冷静、突き刺すやうな鋭い視線で何かしらヂッと凝視みつめてゐるばかりだが、棟梁一族のうるさいこと、あれを言ひ、これを言ひ、男を叩き切らんばかりの見幕で、喧々囂々、僕の俄か奉行では何が何やら一向に納りがつかぬ。大変な騒ぎのうちに、汽車の時間が来て、三宅君は慌てゝ停車場へ飛んで行つた。僕は好漢の出征を見送ることすら出来ないといふ始末であつた。
 男は二十一であつた。中学を四年でやめて放浪にでゝ、名所旧蹟の写真師をしてゐたが、家に帰り、許されて、京都の学校へ這入つた。然し、授業料を滞納して、目下休学状態であつた。
 二人だけ別室へよんで訊いてみると、二人は知合つて二週間ぐらゐにしかならないのである。ある晩、娘がスケート場で遊んで遅くなり、帰ると叱られるので途方にくれてゐると、かねて知合ひの三人の中学生に出会つた。そして中学生の下宿へさそはれ、三名から暴行を受けた。翌朝、半狂乱の状態になつてゐる所へ、偶然この男がやつて来たのである。この男は三人の中学生の親分であつた。男は娘を自分の宿へ連れて帰つて介抱し、力づけてやるために努力した。五日間そこに泊つてゐたけれども、男は娘を肉慾の対象にはしなかつた。娘は身体も恢復し永遠にこゝにゐたいと思ふやうになつてゐた。買物に出掛けた所をつかまへられて家へ連れ戻され僕が訊問したわけだつたが、そのとき娘の恋心が決定的なものになつた。翌日の暮方、家人の隙を見て、一包の着物をもちだし、今度は男の所へ押しかけて行つたのである。
 この顛末は僕だけしか知つてゐない。棟梁の一族にあらゆる悪人呼ばゝりをされたが、この男は一言の申訳もせず、父母に向つてたゞ丁寧に詫びたゞけであつた。この男は数年間歯を磨いたことがないのであらうか、口臭が堪へがたかつたが、それ以外には不愉快な印象はなかつた。驚くほど、目が深く澄んでゐた。いさゝかの気怯きおくれも宿さず、狡猾も宿さず、色情も宿してをらぬ。ひとたび心をきめた時には、最大の苦痛にも立ち向ふ精神力が溢れてゐた。珍らしいほど澄みきつた目だと僕は思つた。精悍な南方人を思はせる男性的な美しい顔だつた。
 娘の方が、男に、身も心も捧げきつてゐるのであつた。このやうに身も心も捧げ、一途に信じきり頼りかゝつてゐる女の姿といふものを、僕はまだ見たことがない。大人の世界にはなからうと思つた。十七の娘の世界、八百屋お七の世界だと思つた。
 今迄の行きがゝりを離れて、今夜一晩改めて考へて、本当に結婚したいと思つたら明日出直して来るやうに言ひ、男を帰した。男は、明日は来ませんが、明後日は必ず来ますと答へた。
 約束の日に男は来た。男は学生証をだしてみせた。まだ生々しいその日の日附であつた。金策のため帰郷し、滞納の授業料を納めて学生証を貰つて来たのである。まだ二十一の予科の生徒である。この二人の愛情が永遠のものだとは元より考へてゐなかつた。けれども、この男なら、やがて二人の生活が破れる時が来ても、娘は二人の生活から何かしら宝をつかんで別れることが出来るであらう。僕は心をきめて父母を説いた。父母は詮方なく承知して、娘は着物の包みを持ち、僕にだけ見送られて、二人は永遠に去つてしまつた。
 その後、着物が欲しいといふ手紙があつて、僕が二度届けてやつたことがある。捨てゝきた古い家、父母のことを、娘は全然念頭に置いてゐなかつた。あんまり鮮やかに念頭に置いてゐないので、正直なところ、いさゝか感動した程である。

 僕が京都を去る直前であつたが、三度目の手紙が来て、最後の着物を届けてくれないかと言つてきた。娘にはもう会はない、死んだものだと思つてゐる、といふ主婦であつたが、一緒に行つてみたいと言ひだした。僕は賛成ではなかつた。けれども、止したまへ、と言ひきるだけの自信もない。娘はそのころ銀閣寺に近い畑の中の閑静な部屋に住んでゐた。主婦は一丁ぐらゐ手前の所で待つことにして、荷物は僕が届けた。お母さんがそこまで来てゐるぜ、と言つてきかすと、娘の顔、娘の全身は恐怖のために化石した。おど/\して、この部屋へくるでせうか、ときくのである。なつかしさ、さういふものは微塵といへども気配がなかつた。僕は主婦に一言の報告もせず、すぐさま別れて銀閣寺をまはつて帰つたが、銀閣寺は箱庭のやうにくだらぬ庭で腹が立つた。
 おせつかい。それを気に病むことがなかつたのである。変に、自信があつた。二人の若い恋人達の未来に就てのことではない。そんなことには、全然、責任を感じなかつた。僕はたゞ食堂いつぱいに漂ひさまようてゐる主婦の肉体の亡魂に就て自信があつた。情緒は末の末である。銀閣寺界隈の娘の侘び住居へ忍び寄つてほろりとしてゐる等といふのは悪趣味も甚しい。そんな所に、あなたはゐない。あなたの血液は食堂の中で煮え狂ひ、亡魂は重なる呪咀と悔いのために歯ぎしりしてゐる。――それを僕はむしろ甚だ可憐だと思つた。親爺も亦最も可憐であつた。京都を去るとき、主婦はたしか甘栗と八橋を汽車の窓から投げこんでくれたやうだ。かうして僕は京都に別れを告げた。可憐なる人々よ。さようなら。

底本:「坂口安吾全集 03」筑摩書房
   1999(平成11)年3月20日初版第1刷発行
底本の親本:「真珠」大観堂
   1943(昭和18)年10月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2008年10月15日作成
2012年5月30日修正
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