日本は自ら足れりとする乎。將た之を廣大ならしむべき乎。偉大を好む國民は、自ら進みて此の問題を解釋し、國人が發見したる新島嶼を收并するをすら拒絶して、以て退守自ら安ぜんとせる當局を刺激して、日本を廣大ならしむ。知らず廣大にせられたる此の日本をして、『世界の日本たらしめんとする乎抑もまた亞細亞の日本たらしめんとする乎
世は戰勝の凱歌に醉ふて、頻りに世界の日本と號し、地球上の大國民と號し、揚々乎として前後を察せず。然も知らずや、此中、日本を以て亞細亞に繋け、日本人民を蒙古人種に係け、日本の勝利を以て亞細亞文明勝利の兆となし、之を以て歐西人種に反抗せしめ、之を以て歐西文明を敵視せしめ、所謂る『世界の日本』をして『亞細亞の日本』たらしめんとする者あるを。『世界の日本亞細亞の日本唯だ是れ言語の相違なるが如し併かも其國民の精神に影響する所に至ては絶大の相違ある也
世界の日本亞細亞歐羅巴の地理的空名の上に超然として直ちに日本を以て世界に繋なぐる也。東洋と云ひ西洋と云ふ歴史的事實に頓着せず、其國民の偉大を養ふ要素を、世界の凡べての部分より吸收せんとするもの也。黄人と云ひ、白人と云ふ、人種的區別を顧慮せず、世界の凡べてに、恩光を賦與せんと欲するもの也。若し戰ふべくんば、世界の凡べてを相手として戰ふもまた辭せざらんとし、若し親しむべくんば、人種、地理、歴史、恩讐の別を問はずして、親しまんとするもの也。其志望や大其氣象や高其勢や順其理や適、是れ、支那海の盡くる所、太平洋の初まる所に國を起し、世界東西の文明を呼吸し、高きに據つて、亞細亞思想(若し此の如きものありとせば)の頑固なる塊土とも云ふべき支那に向つて、大打撃を與へたる時勢が生み出せる、正統の子たる也。夫れ支那は稍※(二の字点、1-2-22)我と人種を同じくし、等しく亞細亞洲中にあり、而して其文明は曾て一たび、我國民を嚮導せり。然かも吾人は、人種、歴史、地理を顧慮せず、斷々乎として撃つて之を懲らす。征清の大業中固より人種歴史地理の異同なく世界の文明により世界の勢により世界の道理により世界の利益のため世界的大運動に出でしやまた明白ならず耶
亞細亞の日本とは何ぞ世界と云ひ亞細亞と云ふ獨り其の大小の差あるのみならず性質に於て全く相反す。『亞細亞の日本』と云ふは、地理的空名の上に超然たる大國民をして、退きて偏隅に割據して、地理的空名に掣肘せられしむる者也。人種の區別に制せられざる大國民をして、人種的嫉爭の狹隘界に退かしむるもの也。東西文明の英華を食ひ、世界の高所に立つ國民をして、退きて東洋歴史の惰力に制せられしむる也。即ち世界を相手とし世界の高所に立ち世界の順勢に乘じ世界の力を消化集中し世界の道理に據るの大運動をして地方的偏安的地理的人種的ならしめ大運動の偉大を脱骨せしむるもの也。『亞細亞の日本』の『世界の日本』に於ける、豈に唯だ數量、境域の差のみならん耶。
彼の歐洲を崇拜し、恐怖し、之を中心として萬事を决定せんとする者の痴愚なる、固より云ふを要せず。然れども亞細亞の名に向つて涙を澆ぎ亞細亞の名によつて歐洲と對抗せんとする者の痴愚に至ては是よりも甚し知らず亞細亞なるものは地理的空名の外果して何ものぞ
其人種相似たりと云ふ乎亞細亞列國の人種相異なるや日本人種と歐羅巴人種の相異なると毫も異ならず。カウカサス人種あり、蒙古人種あり、マレー人種あり、ドラヴヰタス人種あり。ネグリトス人種あり、ハイペルボレアン人種あり。更らに言語に從つて區別すれば、カウカサス種あり、セミチツク種あり、印度日耳曼種あり。是れ其の概説のみ。若し最も我と同文、同種と稱せらるゝ支那に關して一層の穿鑿を施し、其風俗に見、習慣に見、思想に見れば、純乎たる蒙古種にあらずして、ヘヴリウ的形跡あるに於てをや。吾人にして若し同人種は和すべく異人種は排すべしと爲さば吾人は歐洲を排するが如く亞細亞の外國を排せざるべからず亞細亞は人種上に於ても確固たる一個の形躰を爲すものにあらざるや明か也
已に人種上の形躰にあらず然らば則ち文明の性質に於て亞細亞は一種の形躰を具ふる乎。釋迦は曾て印度より起れるが故に、佛教を亞細亞文明と稱する乎。耶蘇は亞細亞の猶太より起りしが故に、基督教を亞細亞文明と稱せんとする乎。孔子が支那山東の地に起りしが故に、儒教を亞細亞文明と稱せんとする乎。齊しく幾億萬の民心を繋ぐ。何れを以つて亞細亞的なりとし、孰れを以て非亞細亞的と爲さんと欲する乎。支那的形象文字は、亞細亞に盛なるが故に、之を以て亞細亞文明なりと云ふ乎。日本、朝鮮、滿州はフヰニシヤ人の發明したる聲音文字を用ゆること、英、佛、獨の文字が、聲音文字なると異ならず。象形、聲音、孰れを亞細亞的と爲さんとする乎。况んやアリヤン文明と云ひ蒙古文明と云ひヘブルウ文明と云ひ漫に之を區分するも其源流に遡れば則ち一のみ若し源流に遡らずして其の下流につきてのみ云はんとする乎アリヤンなく蒙古なくヘブルウなし日本あるのみ支那あるのみ波斯あるのみ英國あるのみ佛國あるのみ露國あるのみ源流に遡れば天下は一のみ支流に下れば列國あるのみアリヤンと云ひ、蒙古と云ひ、ヘブルウと云ふ、半上落下の區分あるを許るさず。此の如きは學者書齋の文字のみ、天下の活機を以て律すべきにあらざる也。
亞細亞は已に人種的結成躰にあらず、また文明的結成躰にあらず。况んや政治的形躰にあらず。然らば唯だ是れ地理上の一空名の外何の實かある。詮じ來れば毫も意義あるものにあらず。ヘブルウの昔人、西方に日の沈むを見て、歐羅巴と名け、東方に日の昇るを見て、亞細亞と名けしのみ。若し日本國民にして自ら其の土に立ちて東西を顧み支那大陸より歐洲を包含して之を日西と名け南北米州を名けて日東と爲すもまた妨げず。亞細亞と云ひ歐羅巴と云ふ、畢竟古人の隨意自由に命名したるものに過ぎず。古人の隨意なる命名に、人種的、文明的、政治的意義を賦與し、一個の形躰となし、一個の意志あるものとなし、自ら其前に跪きて、興廢感慨の涙を流し、空前絶後の世界的大業を傾けて、此の空名の犧牲とせんとするものあらば、是れ千古の痴愚にあらず耶。『亞細亞の日本』を主張するの結果此の如し。故に曰く廣大にせられたる日本は世界の日本たらざるべからず
亞細亞の名、詮じ來れば漠然無意義の語なる此の如し。知らず、亞細亞説を唱ふるもの、何を以て其の理由とする乎。若しそれ世に權詐の士あり、中心支那文明を崇拜し、其國風を嘉賞し、而して其の滅亡を嘆惜し、亞細亞なる一般名目によりて之を掩覆し、囘護し、亞細亞を生かすてふ廣義の中に、支那の復活を含ましめんとするものある乎。將た或は日進文明の自由なる大氣に對して、不平を抱き、日進の文明教化が、歐洲より淵源し來ると謂ふて之を厭惡し、亞細亞てふ歴史的名目によりて、懷舊思想を挑發し、以て歐西文明と相抗爭せしめんとするものある乎。是れ吾人が共に眞面目に論ずるを厭ふ所。何となれば是れ取りも直さず新たに支那中心説を唱ふるに同じければ也。夫れ日本は、其地勢已に亞細亞大陸を離れて、太平洋心に近きが如く、其文明も蒙古人種の文明にあらず、東西南北の精英を集め、咀嚼、鍛練して、別に一個の文明を有す。若し亞細亞舊時の思想によりて、亞細亞總聯合を起さんとせば、中心は日本にあらず。最も能く之を代表するものは、即ち支那也。故に亞細亞説は即ち支那中心説とならざるを得ず吾人は已に世界に於ける亞細亞中心説を排す何ぞ况んや亞細亞に於ける支那中心説に甘心するを得ん耶
吾人は歐羅巴中心説を排するが如く亞細亞中心説を排す吾人は浮薄なる歐洲論を排するが如く陰險にして卑屈なる亞細亞説を排す吾人は日本を中心として直に世界の局面を打算すべきのみ吾人は已に世界の舞臺に上れり宜く世界を相手として飛舞すべき也
見よや、水天彷彿たる琉球臺灣の彼方よりは、混々たる暖潮、暖帶の生物を送り來り、北米の盡所、露領の極北より來る冽々たる寒流は、雪を作り霜を作りて、寒帶生物を養ふ。西南の風は齊魯の野より、風沙を薩南の地に送り、西北の風は大和の逸民を、北米の野に生ず。我自然の風物は天下の變化を集むるが如く我文明も東西列國文明の精英より成る必しもアリヤンと云ふ勿れ必しもヘブルウと云ふ勿れ必しも蒙古と云ふ勿れ天下の文明は日本國民の爲めに消化せられ鍛煉せられて此に一個新奇の撰擇文明を生ぜんとす。吾人は感情に制せらるべからず。惰力に抵抗せざるべからず。吾人は明確の判斷、強固なる意志を以て言はざるべからず。吾人は親しむべくんば、人種、文明、地理上の區分を問はず、天下萬邦と袂を聯ねて周旋すべし。吾人は戰ふべくんば、また天下萬邦を敵とするも辭すべからず。敵にせよ味方にせよ戰鬪に於ても文明に於ても漫に歴史人種地理の區分に迷ふて退縮し、『世界の日本を縮めて、『亞細亞の日本たらしむべからず吾人豈に的なきに漫りに矢を放たん耶當今の形勢により戰後の民心を卜し切言するの已むべからざるものあれば也
(明治二十八年四月十三日「國民之友」)

底本:「明治文學全集 36 民友社文學集」筑摩書房
   1970(昭和45)年4月30日初版第1刷発行
   1983(昭和58)年10月1日初版第3刷発行
初出:「國民之友 第二百五十號」民友社
   1895(明治28)年4月13日発行
※「アリヤン」の傍線と白丸傍点、「ヘブルウ」の傍線と傍線なしの混在は底本どおりです。
入力:kamille
校正:川山隆
2008年5月18日作成
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