黒いモロッコ皮の表紙をつけた一冊の手帳が薄命ファタールなようすで机の上に載っている。一輪※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)しの水仙がその上に影を落している。一見、変哲へんてつもないこの古手帳の中には、ある男の不敵な研究の全過程が書きつけられてある。それはほとんど象徴的ともいえるほどの富を彼にもたらすはずであったが、その男は一昨日舗石を血に染めて窮迫と孤独のうちに一生を終えた。
 この手帳を手にいれるためにある夫婦が人相の変るほど焦慮していた。けっきょく望みをとげることが出来ず、恨をのんで北のほうへ旅立って行った。そしていい加減なめぐり合せで、望んでもいない自分が、遺品といった意味合いでうやむやのうちに受取るような羽目になった。運命とは元来かくのごとく不器用なものであろう。
 今朝着くはずであった資料の行李は事故のために明日まで到着せぬことになった。いらだたしい時間をまぎらわすためにこの黒い手帳をめぐって起った出来事をありのままに書いて見ようと思う。彼とある夫婦の間の微妙なもつれについてである。
 当時、彼は六階の屋根裏に、夫婦は四階に自分は中間の五階に住んでいた。この二組の生活を観察しようと思うなら同じ数だけ階段を昇降するだけでよかった。自分は階下で夫婦と談話し、すぐその足で六階の彼のところへ上ってゆく。互いに関知せず、そのくせ微妙に影響し合う興味深い二つの生活を自分は両方からあますところなくながめていたのである。
 自分は文学者ではないから面白いようにも読みやすいようにも書くことは出来ぬ。が、ものを見る眼だけはたいして誤らぬと信じる。自分は見たままに書く。これを書く動機は充分にあるのだが、それまでうちあける気はない。懺悔のためとも感傷のためとも、勝手にかんがえてくれてよろしい。

 一、この年の中頃から為替かわせは不幸な偏倚をつづけていた。三月目みつきめにはむかしの半分に、半年の終りには約三分の一になってしまった。留学にたいする自分の年金は一定の額に釘付けされているので、研究に必要な所定の年月だけパリに止まるためには為替の率に応じて生活を下落させてゆかねばならぬ。そういう理由によって半年の間に三度移転した。一度毎に趣味が悪くなった。三度目のこの宿はこれ以上穢くては人間として面目を保つことは出来まいと思われるほどのものだった。
 手すりのかわりに索をとりつけた穴だらけの暗いけわしい階段を非常な危険をおかしてのぼってゆく。五階のとっつきに、その部屋があった。鉄棒をはめた小窓がひとつ。瓦敷の床、むきだしの壁には二三日前の雨じめりがしっとりとしみ透って、ところどころに露の玉をきらめかせている。これを人間に貸そうというのである。着想のすばらしさに感動してその部屋を借りることにした。為替の下落もよもやここまでは追いつくまい。とすると当分移転のめんどうだけははぶけるからである。
 寝台に腰をおろしてなすこともなく腕をこまぬいでいると、扉を叩いて、びっくりした子供のような一種不可解な顔をした男がはいってきた。髪は遠慮なく薄くなりかけているが、顔のほうは二十一、二歳でハタと発達をとめたものとみえる。
 自分の部屋を訪れるために無理に上衣のボタンをかけてきたのだろう。その釦を飛ばすまいとして一生懸命に下っ腹を凹ましているふうだった。通例の挨拶の後、舌ったらずな口調で「わたしはこの階下に住んでいるものです。お差支えなかったら、おちかづきのしるしに晩餐をさしあげたい」といい「なにしろ今日は、降誕祭クリスマス前夜のことだから、ひとりで夜食レウェイヨンをなさるのは、さぞ味気あじけないだろう。それに、妻も非常に希望しているから」という意味のことをきわめてぼんやりとつけくわえた。
 一、夫婦の部屋は貧困なりにやはり家庭だとうなずかせるなごやかな雰囲気があった。その中にたいへん小柄な女が立っていた。これが妻君だった。前髪を眉の上で切り揃えて、支那の女のようにしている。二十四五歳であろうか。どんな男をもどきりとさせずにおかぬような煽情的な眼付で手を握ると、「ようこそ」といった、それが自分には、Je t'aime(汝を愛す)といわれたような気がした。そんな錯覚を起させる過度なものが、たしかに抑揚アクセントの中に含まれていた。
 この夫婦はアメリカの生れのいわゆる第二世同志で、夫のほうは声楽を妻君のほうはピアノの勉強をしているということだった。
 食事と身上話がすむとお定まりのアルバムが出てきた。いずれの前例に劣らず退屈千万なものだった。その中に博徒のような無惨な人相をした角刈の男の写真があった。自分は興味を感じ、親族かとたずねると、それは布哇ハワイの大漁場主で赤の他人なのだが、二人の勉強ぶりに感激して義侠的に三年の巴里遊学の費用をひきうけてくれ、いまここで勉強しているのはこのひとの後援によるものだといった。
 部屋へ帰ろうとしてたちあがると、そのとき窓にそってはるか階上から盛んに落下する物音をきいた。尿いばりの音にちがいなかった。自分はある爽快さを感じ、どんな奴の仕業かと、たずねると、あなたのすぐ上にいる日本人がやるんです。もとは画かきだったということですが、毎日部屋にとじこもってなにか計算ばかりしているんだそうです。この宿にはもう十年以上もいるとききましたといった。
 一、一月一日の朝のことである。上の部屋で傍若無人に飛びはねる粗暴な物音で眼をさました。いったい上の部屋の住人はこれまでも夜っぴて部屋を歩きまわったり、けたたましく椅子を倒したりして悩ましたが、この朝の騒ぎはじつに馬鹿馬鹿しいもので、そのために天井の壁土が剥離はくりしてさかんに顔のうえに落ちてくる。これは我慢がなりかねた。
 無言で扉をおしあけると、眼の前にいささか常軌を逸した光景が展開した。広い部屋の床全面に約二尺ほどの高さにおどろくべき量の紙屑が堆積し、壁にはいたるところに数字と公式が落書してあった。床の上で自在に用便するとみえ、こんもりと盛りあがった固形物が紙屑のあいだに隠見していた。
 長椅子の上には、極めて痩身の四十歳位と思われる半白の人物がいて、敵意に満ちた眼で自分を凝視していた。それは何千人に一人というような個性的な顔で、額は異様に広く顎は翼のようにつよく張りだし、房のような眉の下には炎をあげているような強烈な眼があった。
 彼は無断侵入が真に憤懣ふんまんに耐えぬようすで「貴様なんだ」と叱※(「口+它」、第3水準1-14-88)した。自分はほとんど眼も口もあけられぬ異様な悪臭に辟易へきえきし「臭くてこれじゃ話もなにもできぬ。いま窓を開けてから話す」と答えながら斜面の天井についている窓をおし開けた。
「天井の壁が落ちてきて物騒でしようがない。暴れるのもいい加減にしておけ」彼は急にうちとけた口調になって「実はナ、今日うれしいことがあってだれかと喋りたくてしようがなかったところなんだ。おれが騒いだために貴様がやってきたというのは、こりゃなかなか運命的な話だぞ……争われないもんだ。貴様があんな口調でものをいったのがおれの感情にピッタリした。忙しくなかったらしばらくそこへ掛けて行ってくれ。実はナおれの研究はまさに完成するところなんだ。間もなくおれは無限の財産を手に入れることになるんだ。無限だ。無限、無限! 突飛とっぴにきこえるだろうが、おれは狂人じゃないよ。おれはねこの十年の間ルウレットの研究をしていた。屑箱の中の屑のようなものを喰って、寝る目も寝ずに計算ばかりしてたんだ。いったい丁半ちょうはんに法則がないというのが定説だ。早い話がポアンカレとかブルヌイユなんていうソルボンヌの大数学者が精密な計算を例にひいて証明している。たとえば奇偶ハザアルの遊びで、いま出た目とそのあとの目というものはそのたびに永久に新規ヌウヴォだという。これがかれらの学説なんだ。よろしい……ところがわれわれは千回骸子さいころを振るといつも半々位の割合で奇偶が出ることをしっている。もし目がいつも新しいものなら、もし奇偶に法則がないものなら、なぜ奇数ばかり、あるいは偶数許り千回つづけて出るような出鱈目なことがないのだろう。それは不可能じゃない、と数学者はいうだろう。それア不可能じゃない」といいながら壁に書きつけた公式を指さした。「君はどういう研究を専門にやっているひとなのだね? あの公式の意味がわかるひとなのかね?」
 壁の上にはこんな公式があった。
公式
 めんどうくさくなったので、判らぬとこたえた。
「この公式はナ、たとえばルウレットのルージュノワールの遊びで、赤だけがつづけて百回出るようなことは、一世紀にたった一回しかないということを証明しているのだ。なにかしらの法則に支配されていて、けっして出鱈目なものでないことがわかるだろう。それどころか研究してみると、目の出かたはじつは秩序立った法則があることが判然する。ただしこの法則を発見するには、五十五万以上の組合せと同じ数だけの順列と取っ組まなくてはならん……五十万! どんな困難な仕事か君には想像も出来んだろう。おれは五年でやってのけるつもりでいたが、休みなしにやって十年もかかってしまった。そしておれはとうとうそれを発見したんだ。もう九分九厘というところまで行っている」そういうとふところから黒い手帳をとり出して頭の上でふりまわしながら「その公式はこの中にある。おれにとってルウレットはもはや僥倖を期待するあさはかな賭博ではない。おれにとってそれは組合せと順列の簡単な遊戯にすぎない。百万フランを勝つのはわずか半日の暇つぶしですむのだ……どうだ無限の富を握るといったわけがわかったろう。……賭博の研究に十年も寝る目も寝なかったといったらひとは笑うだろうが、これは卑劣な利慾心だけではじめた仕事じゃない。じっさいのところ選り好みしようにもほかにどんな金儲けの能力も持ってなかったからなんだ……おれはこれでも絵かきだったんだぜ。十七の年から十五年の間、不退転ふたいてん精進しょうじんをした。そして十年前に巴里パリーへやってきた。胸をおどらせてルゥヴル博物館へ飛んで行った。無数の傑作をながめておれは茫然自失した。やがて自分にいいきかせたね。これだけ優れた絵がたくさんあるのに、まだ自分の出場があると思うか……おれはその日から絵筆を折った。才能もないくせに絵の勉強などをはじめ、ろくに楽しい思いもせずに空費した青春のことを考えると、五十になってようやく十万円貯めたなんていうしみったれた儲けかたでは我慢がならなかったんだ」
 賭博の絶対的な法則などはありえない。虚在の対象を追求して十年の歳月を空費した愚かな執着のすがたをあわれ深くながめた。
 一、次の日から部屋に籠って勉強をはじめ、一週間ほど多忙な日を送っていたので、どちらの部屋もおとずれる機会がなかった。仕事がひと区切りついたので、その夕方、夫婦のいる四階へおりて行くと、夫婦は長椅子に並んで掛けていたが、夫のほうは放心したような中心のない顔をし、妻君のほうはせっかくの魅力のある眼を赤く泣き腫していた。
 聞いてみると、二人はその朝不幸な手紙を受取ったのである。布哇ハワイのれいの後援者パトロンの漁場が大海嘯おおつなみにやられ、一夜にして彼自身も無一文になってしまった。不本意ながら、援助が出来なくなったといってきた。寝耳に水とは真にこのことだ。ちょうど半年分の送金が届く定例の月で、それを待ちかねていたくらいだから手元には千フランとちょっとしか残っていない。どんなに倹約したって二タ月ともちはしない。するとそのあとはどうなるだろう。
「夫は歌をうたうほかなにひとつ出来ない能なしだし、あたしはミシンもタイプライターもだめなんです。パパがいやしい仕事だといってやらしてくれなかったのよ。アメリカならどうにかなるでしょうが、こんなせち辛い巴里じゃ日本人の働く口なんか、あるわけはないんだし、友達はみんなじぶんのことだけで精一杯で、他人のことなんかにかまっていられない、貧乏なひとたちばかりなんだから、いずれは餓死するか自殺するか、あたしたちの運命はもうきまったようなもんですわ」
 いかにもしんみりと口説くどくと、同情を強要するような一種雅致のある泣きかたをしてみせた。つまるところは助けてくれというわけなのであろうが、こちらにはそんな気がない。聞くだけ聞いてひき退ってきた。
 一、それからまた三日ほどしてから、なにかの用事で夫婦のところへ行くと、発育不良の子供面が待ちかまえてでもいたようにいそいそと椅子から立ってきた。
「喜んでください。ぼくたちは餓死しないでもすみそうですよ。いやひょっとすると大金持になるかも知れないんです。まアこれを読んでごらんなさい」
 いわば、喜色満面といった風情で、前日の夕刊をさしつけてよこした。なんにしても結構な話にちがいないから、それはよかったといいながら、されたところを読んでみると「モンテカルロの大勝」という標題タイトルの下に、ウィンナムという英国の婦人が一夜のうちに二十万フラン勝ちあげ、モンテ・カルロ海浜倶楽部ビーチ・クラブがその婦人に祝品を贈呈したとか贈呈するところだとか、そういった埓もない記事が載っていた。
 夫のほうは悪いグロッグでも飲みすぎたようなしどろもどろの口調で「どうです。凄いじゃありませんか。一と晩に二十万法! ともかく最近モンテ・カルロはつづけざまにやられているんですよ。先週も三人組の独逸人に百万フラン近くやられて、三日の期限付でモナコ公国にモラトリアムが出たばかりのところなんです。それでぼくはちょっとしたシステムを知っているから、最後の千フラン賭金ミーズにして一と旗あげてみるつもりなんです。万一、負けたって自殺することにかわりはありやしない。次第によっては、まるっきり運命を変えることが出来るんだから」
 額際まで赤くなって熱狂しながら、机の上に置いてあった、れいの緑色の賭博場カジノの週報、全紙数字ばかり羅列したモンテ・カルロ新聞 La Revue de Monte-Carlo の最初の頁を指さし「一昨日、モンテ・カルロの No. 2 の卓で朝の八時から夜の十二時までの間に、こんな順序で数字ニュメロが出たんです。家内にこれを読ませて朝からシステムの実験をしているんですが、場で出た目のとおりなんだからモンテ・カルロのカジノでやっているとかわりはしないんです。だいぶいい成績ですよ。五フラン賭けで小さくやっているんですが、あらかた千法以上勝った計算になっているんです。わかりますか。五法でやって千法! 百法でやっていたら二万法、もし千法でやっていたら二十万勝っている理窟なんです。いま実験してお目にかけますから見ていてください。さアいまのつづきをやろう」と細君にいうと勿体ぶったようすで机の前に坐りなおした。
 細君は心得た顔でモンテ・カルロ新聞をとりあげると、滑稽とも悲惨ともいいようのない真面目くさったようすでしゃにかまえ、賭博場カジノ玉廻しクルウビエそっくりの声色で「みなさん、張り方をねがいましょうフェート・ウォ・ジュウ・メッシュウ」のアノンセし、無智と卑しさを底の底までさらけだしたギスばった調子で、「三十五トラント・サン……ノアール……奇数アンペア……後目パツス……」などと一週間も前に出たモンテ・カルロのルウレットの出目を読みあげていたが、頃合のところで方式どおりに「張り方それまでリャン・ヌ・ヴァ・ブリユ」と声をかけた。
 夫のほうは眼玉を釣りあげてギョロギョロしていたが、首だけこちらへねじむけて「ごらんなさい。ルージュが十回もつづけて出ている。こんなことってあるもんじゃない。こんどはノアールに崩れるにきまっています」と説明すると「黒へ五百フラン!」と叫び、賭けたしるしにノートへ N-500 と書きつけた。
 赤が出た。
「赤が出たらどこまでも赤に乗って行く約束だったじゃありませんか。勝手にシステムを変えるからいけないんです」と細君がやりこめた。夫のほうは見るもみじめに狼狽して「システムといったって博奕のことなんだから百パーセントに正確なもんじゃない。これは負ける回数をうんと少くして出来るだけ勝つ回数を多くしてその差で自然に儲けるようになっているシステムなんだから、一回や二回負けたってたいしたことはないさ。もっともいまは勝手にシステムを変えたからいけなかった。きめたシステム通り赤へ乗ってゆく。こんどは大丈夫……赤へ五百フラン
 黒が出た。自分は見かねて、六階にいる男もじつはルウレットの研究をしているのだが、十年もやってようやくものになりかけているそうだという話をした。それほど研究してもかならず勝てるとはきまっていぬというのに、こんなにあやふやな思いつきでルウレットにたちむかうなんて愚劣なことはよしたがよかろうとたしなめたつもりだったが、二人にはこれがまるで通じぬらしく、たちまちはげしい渇望の色をあらわしてぜひそいつを教えてもらうことにしようといいだした。自分は「十年もかかって研究したものをそうかんたんに教えてくれるはずはなかろう」とにがい調子でいうと、夫は「ええ、ですからただ教えてもらうんじゃない。ぼくのシステムをむこうへ公開するんだからつまり交換教授です。これなら先生もまさかいやとはいわないでしょう」
 そして夕食に招くという名目で、うまくつれだしてほしいとたのんだ。自分は事を好むほど若くはないつもりだが夫婦の厚顔あつかましさがひどく癇にさわり、無理にも六階の住人を引っぱってきて、こっぴどくとっちめてやりたくなった。
 一、彼は長椅子に寝ころがって煙草をふかしていた。部屋の紙屑は残らず消え、意外に清潔なようすになっていた。机の上にも埃がたまっていてしばらくそこに倚らなかったことを示していた。
 彼は元気よくはね起きて「おれが逢いたいと思ってるとかならず貴様がのこのこやってくる。おれと貴様の間には感応し合う電気のようなものがあるのかも知れぬな」といった。「じつはお前を晩飯に誘おうと思ってやってきたのだ。もっとも二人きりじゃない四階の夫婦もまじるのだが」
 案の定彼はうんとはいわなかった。女は苦手だとか、おれはもう社交の習慣を忘れてしまったとか、いろいろな口実を設けて頑強に反抗した。自分はそこで「バタを載っけた灸牛肉シャトオブリアンと鰻と、生牡蠣と鶏と……これだけのご馳走がお前のために用意してあるのだ」といってそれらの料理について精細な描写をした。
 彼は頭を抱えて呻いていたが「貴様はひとの弱点をつくようなことをする。貴様の策略にのるのは忌々しくてたまらんが、抵抗は出来ん。よし行く」といってたちあがった。
 彼の貪食ぶりは言語に絶した壮観で、挑みかかるようにありったけのものを喰いつくすと、喉を鳴らして遠慮なく※(「口+愛」、第3水準1-15-23)おくびをした。食事がすむとすぐ、亭主のほうが、自分は最近すばらしいルウレットのシステムを発見したが、座興までにここで実験して見る。お望みなら公開してもいいといって素早く机の上にノートをひろげた。彼はたちまち嫌悪の色をあらわし、険しい眼つきでこちらへふりかえった。彼は何もかも察したらしかったが、それについては一言もいわなかった。
 例の通り細君が玉廻しクルウビエになり亭主がり方へまわった。この日ははじめからだいぶ調子がよくて二十分ほどのあいだにかなりの額を勝ちつづけた。彼は頬杖をついて黙然とながめていたが、やがてとつぜん「たわけたことを! そんなのがシステムであってたまるものか」と叱※(「口+它」、第3水準1-14-88)した。子供面はむきになってノートをふりまわしながら「現にこのの通り[#「このの通り」はママ]勝っているじゃないか」と叫んだ。彼は「勝っていることも事実だが、いずれ負けてしまうのも事実だ。お前の様な馬鹿野郎を納得させるには理窟では駄目なのだナ。いま実例を示してやる。おれが読むからやってみろ」といってモンテ・カルロ新聞をとりあげた。珍妙なことがはじまった。黒へれば赤が出る。奇数へ賭れば偶数が出る。面白いほどいちいち反対の目が出た。それは、涯しないいたちごっこだった。亭主は躍起となってりつづけたが、間もなく仮想の全財産を失ってしおしおと賭博台を離れた。
「どうだ。おれは目を三つおきに読んだだけだが、こんなことで屁古へこたれるようなものはシステムでもなんでもありはしないのだ。お前の馬鹿をここでわからしてもらったことを有難くおもえ、賭博場で自分の馬鹿がわかったと来ちゃ首を縊らなけりゃならんのだ。こんなものがシステムだなんて出かけて行ったら、モナコ三界で路頭に迷うぞ、及びもつかぬことを考えぬがいい」それ自身貧困である欧羅巴では、なんの生活力ももたぬ孤立無援のこの東洋人夫婦にとって、このような場合窮死は空想ではなく、極めてあり得べき事実なのである。この能なしの夫婦にとって賭博だけが最後の希望だった。彼等は悲運ミゼールから救ってくれるはずだった唯一の希望があとかたもなくケシ飛んでしまった。この打撃はどんなにひどいものだったか夫婦は虚脱したように椅子の中へめりこんでしまった。その絶望のさまはみるも無残なくらいだった。
 彼はまじまじと夫婦のようすをながめていたが懐中から黒い表紙の手帳をとりだすと、数字のギッシリとつまったページをペラペラとはぐって見せながら「システムなんてものは無限大の数字を克服してはじめて獲得出来るようなものなんだ。おれは十年やった。しかしそのおれでさえまだいっこうにわからん。君等はおれがかならず勝つと思っているかね? そんなことはあり得ないのだ。ルウレットというのはどれほどむずかしいものかその証拠をみせてやろう」そういうと妻君に「モンテ・カルロ新聞のどこからでもいいから、勝手に読んで見たまえ」といいつけた。
 彼は妻君が読みあげるのを頬杖をついてきていたが、やがて無造作に「黒へ最高賭額マキシマム(一万二千フラン)!」といった。
 黒が出た。また黒へ賭けた。黒が出た。次は赤へ賭けた。赤が出た。たった三回で(資本の一万二千法を差引いて)五万法も勝ってしまった。彼は無頓着なようすで黒へ二度、赤へ二度、黒へ一度、赤へ三度……それからまた前へ戻って、黒へ二度、赤へ二度というぐあいに最高額をりつづけていた。
 ふしぎな現象がおきていた。われわれは遅まき乍ら、ルウレットがいま黒と赤と交互に(黒2回―赤2回―黒1回―赤3回)(2―2―1―3)という秩序立ったアッパリションを飽くことなく繰り返していることを発見した。
 この単純極まる反覆を十回もつづけた後、ルウレットは別な配列へ移っていた。今度は(赤1回―黒1回―赤1回―黒2回)……また始めへ戻って(1―1―1―2)という反覆運動だった。彼は機械的にそれに追従していたが、一時間ののち、ただの一度の失敗もなしに八十万法勝ちあげてしまった。これは仮想の賭博にすぎぬが、われわれはうず高い金貨の山と、厖大な銀行券の束をありありと机の上にながめる思いだった。
 夫婦は酔ったような赤い顔をし、はげしい渇望の色をあらわしながら荒い息づかいをしていたが、細君がだしぬけに床に土下座をして彼の手をとった。
「助けて、ください」哀切きわまる眼つきで彼を見あげながら「どうぞ……そのシステム……」といった。
 彼は守銭奴がその宝を隠すときのようにあわてふためいて手帳を内懐へおしこむと、悲哀とも憤怒ともつかぬ調子で「賭博に、システムはない」と叫んだ。そして荒々しく戸をあけて出ていった。
 一、それから二日ばかりののち、自分はまた夫婦の部屋をおとずれた。自分が入ってゆくと夫は急に夕刊を取りあげて、いまタルジュ事件について論じていたところだったといった。夫婦はたった二日のうちにひどく憔悴してしまい、眼のまわりに黒い輪のようなものが出来ていた。眼の中には刺すような光があらわれ、声には陰惨な調子がまじり、誇張していえば人相が変ってしまったといってもいいほどだった。
 タルジュ事件というのは、妻君が※(「くさかんむり/宕」、第3水準1-91-3)ろうとうの煎汁を飲ませて夫を殺したつい最近の事件であった。病中の躁暴そうぼう状態が異様だったことを女中が近所にいいふらしたので発覚した。
 かなり夜がけてから部屋へ帰ろうと、たちあがるとピアノの上に一冊の見なれぬ本が載っていた。なに気なく手にとって見ると、「摘要毒物学」R. A. Witthaus, Manual of Toxicology という標題がついている。奇異に感じて思わず夫婦のほうへふりかえると、妻君が、私は以前探偵小説を書いたことがある。さいわい「探偵ヂテクチーヴ」という雑誌の編輯者と懇意であるから、またそれをはじめて生活の足しにするつもりだ。そのためにいま速成の勉強をしているのだという意味のことを沈着な口調で説明した。
 一、帰るとすぐ寝床へはいったが、夫婦が殺人を企てているのではなかろうかという疑念のためにどうしても眠りにつけぬのであった。強いて頭を転じようとしたが、どうしても、どういう動機によって疑念をおこすにいたったか考えて見ることにした。
 第一は夫婦の部屋にはいって行ったときの印象である。自分が入って行くと、いまタルジュ事件について話していたところだったといった。しかしその時の実感によれば、明らかにそれ以外の非常に険悪ななにか犯罪に類したことを話しあっていたのではなかったかというような気がした。
 第二はタルジュ事件に対する夫婦の興味のもちかたである。普通にわれわれがもつ社会的な興味の度を超えた異常な熱心をあらわし、しかも話題の中心は毒殺とかというところにあった。第三は毒物学の本である。自分がこれをとりあげたとき、夫の眼にはあきらかに狼狽の色がうかんだ。しかるに妻君はそれがこの場所にあるゆえんを沈着に釈義した。それはあまりに沈着すぎるためにかえって相手に疑念を抱かせるような種類の沈着で、妻君の意志を裏切ってその説明が虚偽であることを明白に申し立てていた。するとあの毒物学の本はどういう目的のため購求されたのであろう? 人間の頭の発展の仕方に幾通りも特別なスタイルがあるものではない。悲境を打開する方法を勤勉に求めずに賭博に求めるような困憊こんぱいした性格においては、渇望するものを手に入れる方法として容易に殺人を思いつくであろう。
 さてここまで考え来たったところで、また新たな想念に煩わされることになった。それは一種異様なもので、われながら不快を感じたのであるが、そのアイデアとは、殺人を遂行するまでの経過を冷静に観察して見たいというそれであった。いま一人の人間を殺そうとしてある人間が計画をたてている。それは細心に考案され、徐々に対象の命に迫ってゆく。さまざまな曲折を経たのち、それは成功する(或いは失敗する)。いま自分の眼前で謀殺の全過程と全段階が展開されようとしている。人間が徐々に殺されてゆく経過をこの眼で見るなどは、千載一遇の機会であらねばならぬ。しかも殺人と被殺人者の両方の面からこれをながめ、「運命」のあやつり手を楽屋から見物し、運命のやり方というものを仔細に観察することが出来る。しかし自分は悖徳者はいとくしゃではないから、殺人に加担するのではない。あくまでも観察にとどめるのは無論である。殺人者に対していかなる誘導もいかなる示唆も与えず被殺人者にたいしてはいかなる同情も憐憫も感じない冷酷な心を用意しておかねばならぬ。殺人者を嫌悪せず、被殺人者を嘲笑せぬ公平な心が必要である。自分は出来るだけ冷静に観察するつもりであるが、かならずしも殺人の成功を望んでいるのではない、結果はどうあろうと教訓になる。
 よりよく観察するためには両者にもっと接近しなくてはならぬ。彼のほうはいいとしても、夫婦のほうへ毎日出掛けていく口実がない。しかしこんなぐあいには出来る。不便だという名目で夕食の世話をして貰う。相当以上の費用を払ったら承諾するにちがいない。
 さいわい自分の放心ぶりは彼等に愚直凡庸な人物であるかのような印象を与えているから、彼等に気兼ねなく振舞わせることが出来るであろうと思う。
 観念内の遊戯としてもてあそぶぶんには一向無難であるが、実行に移した場合のことをかんがえると倫理りんり感情は一種不快な圧迫を受ける。殺人にたいして、いかなる積極的な意味においても共犯以外のなにものでもないからである。
 一、翌朝になっても観念にたいする熱望は一向に薄らいでいない。自分は階下におりて夕食の件を依頼した。案の定妻君は快諾した。殺人計画の進行を仔細に知るためには、対抗上、毒物学の知識が必要であるとかんがえ、その足で図書館に行き、妻君の手元にある、
 Witthaus, Manual of Toxicology, Kunhel, Handbuch der Toxilogie その他二冊を借りだした。
 一、一月十三日、いよいよ今日から観察を開始することにきめ、手帳を一冊用意して、医家の臨床日記のような体裁で、夫婦の言動にあらわれた犯罪的徴候を逐一書きとめておくことにした。詭計きけいを用いて意図をさぐりとることは容易であろうが、自分は飽くまでも観察者の位置にとどまることを欲する者であるから、その方法は好まない。自然発生的にあらわれた外部的徴候と、多少の心理的打診による以外に状勢を察知する手段がないが、自分の専門の研究はあたかも一段落をつけたところなので、一日の全部の時間を観察にあてることが出来る。それで一日を三分し、午前を毒物学の研究のために割き、午後は六階の住人の部屋で、夜は夫婦のところで過すことにきめた。
 ところでここに一つの困難というのは、毎日六階の住人を訪問する口実がないことである。彼はすぐれた洞察の才をもった男であるからいい加減な言いぬけでは意図を見抜かれるおそれがある。大人気ない思いつきから、不快をあたえたあの夜以来彼に逢う機会がなかったがその折の陳謝をしながら、適当な口実を見つけようと思って六階へあがって行った。
 彼は窓に倚って茫然と暮れかかる巴里パリーの空をながめていたが、こちらへ振返ると当惑したようすでだまって椅子をさし示した。なにか都合が悪そうだと見てとったが、それには拘泥せず「この間は失礼した。あの浅薄なやつらをたしなめてもらうつもりでちょっと詐略をしたのだが、意外な結果になって不快をかけてしまった。どうもすまなかった」と詫びをいった。
 彼はあの夜のことに触れたくないようすで始終そっぽを向いていたが、唐突だしぬけにこちらへ向きなおると、なんとも形容のつかぬ愁然たる面もちで、「そんなことはどうだっていい。あらたまって詫びるほどのことでもないが、おれはあの晩、異常な経験をして、そのためにまたはじめから研究をやりなおさなけりゃならないことになったんだ」といった。そうして極度の失意をあらわしながら、「哲学的な意味で、賭博をリードするシステムなんてものはありえないというが、それはたしかに真理だ。おれはあの晩愕然とそれを悟った。おれの今までの研究はなんの価値もない。この黒い手帳に書きつけた公式や法則はそれ自身無にひとしいということを発見したんだ……おれはナ、あの晩夫婦の愚かな計画を思いとまらせるためにわざと負けてみせてやろうと思ったのだ。十年も研究したという男がだらしのない負けかたをしてみせたら、いかに無謀な夫婦でもルウレットで一旗あげようなんてことは思い切るだろう。そこでおれは出鱈目な組合せをつくって、どこまでも機械的に押しとおしてやろうとかんがえた。この方法では、絶対に勝つはずがないのだ。『まず黒を頭にした(2―2―1―3)という組合せを何度でもくりかえしてやろう』そこでいきなりはじめたところがご覧の通りの結果になった。(1―1―1―2)というでまかせな組合せで抵抗することにした。するとどうだ。またその通り目が出るじゃないか。負けようとあせればあせるほど勝ちつづけるのだ。おれがなにをいいだすつもりか貴様にはもうわかったろう。勝負にたいして絶対に無関心な人間だけがルウレットを征服出来るということだ。ルウレットと戦うにはシステムだけではなんの役にもたたぬ。それと同時に、勝負にたいする絶対な無関心……純粋に恬淡てんたんなところが必要だ。システムを活用できるのはそういう破格な精神の持ち主にかぎるのだ。仮りに賭博にシステムがあるとすればそのような微妙な状態においてのみ存在するのだ……しかるにこのおれはまるで餓鬼のように勝ちたがっている。おれはどんな守銭奴よりも強慾だ。このおれがシステムなんか持って出かけていたらかならず、やられてしまったにちがいない。慄然としたよ……おれはこれからそのほうの研究をはじめる。修業しぬくつもりだ。そういう心の用意ができるまでは絶対にルウレットはやらん……しかしだナ」といってニヤリと笑うと、「そういう高邁な精神を持つようになったら、ルウレットなんかやる気はなくなるだろう……あの晩の貴様のやりかたは愉快でなかったが、この点では感謝してもいい。それからもうひとつ……いや、これはいうまい」
 なぜか頬を紅潮させて窓のほうへ眼をそらした。憔悴した頬が少年のそれのように生々とかがやき、あたかも真紅の二つの薔薇が咲きだしたかの如き印象をあたえた。やがて彼はいった。「ひとりでしゃべったが貴様の用はなんだ」自分は、これから毎日、話しにきたいといった。「むしろ忝ない」と彼がこたえた。
 一、五日目にはじめて彼を訪ねた。毎日訪問することにしておいたが夜を除く以外の時間をもって大急行で毒物学の知識を摂取する必要があったからである。今日の主たる目的は殺される人間というものは直前どんな人相をしているものかそれを見届けるためであった。一般に上停じょうていに赤斑が現れるのは横死の相だという。そんなものがあらわれはじめているであろうか。
 彼は頭を抱えて長椅子に仰臥していた。その顔には苦悩の影がやどっていたが、不吉を感じさせるようなものは見られなかった。彼はチラリと目だけうごかして自分のほうを見ると、「おい、おれはみょうなことになったよ」ととつぜんにいった。「おれは熱烈にあの妻君を愛するようになってしまった。これだけは君にも告白しないつもりだったが苦しくて我慢できぬからいう……どうしてこんなことがはじまったか説明は出来ぬ。おれは過去にこんな経験を持たぬので、これを恋愛だと認めるのさえだいぶ暇がかかった。はじめおれはたぶん情慾だけの問題だとかんがえたのでスファシクス(巴里の公認女郎屋の名)へ出かけてみた。そしてこの感情は肉体の飢餓でなく、心の飢餓によってひきおこされたものだということを知った。
 四十三歳ではじめて恋愛をしたといったら貴様は笑うかもしれぬ。しかしどういう激烈な状態ではじまるものかそれだけは察してくれるだろう。この十日の間どのくらい悶え悩んだか、説明したところで通じるはずはないからいわぬ。ただおれは人間が経験するであろう苦悩の最も深刻なものを経験したとだけいっておく。率直にいうが、おれはあの細君に愛されたい、おれのものにしたい。おれはあこがれ、渇望していまにも気が狂いそうになる。しかし、それはもとより不可能だ。芸術と賭博と、二つの愚かなもののために恋愛する資格を消耗してしまった。おれにはもはや青春も健康も精力も残っていない。のみならず彼女は人の妻だ。これは厳粛なことだ。おれの道徳はどんな理由があろうとそれを侵すことはゆるさぬ……非常に苦痛だが、なんとかしてこの感情を圧し殺してしまうつもりだ」
 自分はついにひと言でも発することができなかった。低調な精神をもってこの壮烈な魂になにをいいかけようというのか。そしてここに明瞭な運命の初徴を見た。依怙地いこじなまでに無器用なやりかたを。
 一、その夜部屋へひきあげようとすると亭主が、「このごろ南京虫がふえてやりきれぬから、部屋を密閉して燻蒸消毒をするつもりだ。ついでだからあなたの部屋もやってあげましょう。二日だけ近所のホテルへでも行ってくれればすむのだから」と云った。「やってもらってもいいが、燐などを燃されては標本が駄目になってしまうが」というと、「いや、そんな心配はありません。ピュネリマという無害の燻蒸薬です」とこたえた。
 部屋に帰るやいなや、ピュネリマとは、いかなるものかを調べて見た。それはシャン化物で燻蒸する際に発する水シャン化酸瓦斯ガスの微量を吸いこむともはや絶対に助からぬ。そして極めて周到な解剖と精密な毒物検出試験によるのでなければその死因がなんであるか証明することが出来ぬのである。オリヴアの「中毒死及その実例」に、六年前ニースのホテルで起った事例が記述されている。ホテルの支配人は空部屋に燻蒸消毒を施したが、二階の部屋に寝ていた男がわずかばかり階下から洩れて来た瓦斯のために死亡したのである。死因は全然不明であったが、ある個人的な理由によって、再三、精密解剖と毒物検出の実験が施されたすえ、辛うじて判明した。自分の部屋でシャン化の燻蒸を行い、その瓦斯の微量が上の彼の部屋へ洩れて行ったら……その結果はきわめて明瞭である。
 階下の部屋を消毒することがその階上の人間の死を意味するなどと誰が思いつくものだろう。巧妙な夫婦の計画には驚嘆の念を禁じ得ない。その意図を知りつつ部屋を明けわたせば、積極的に彼等の計画を助けたことになる。次の朝、いま至急の勉強中であるから部屋を動くわけにはゆかぬと謝絶し、その足で六階へのぼって行くと、彼は風邪の気味で赤い顔をして寝ていた。そして、これでは食事にもさしつかえるから、妻君に病中の用事を達してもらいたい、君から頼んでくれるわけにはゆかぬかと、臆し、赤面しながら、極めて遠廻しにその意味をいった。
 彼の不憫な恋情がいとしまれてならぬ。その苦しい心の中はもとよりよくわかるが、夫婦にむざむざ機会を与えるような取り計いは出来ぬ。「それくらいのことで、妻君を煩わす必要はない。おれがやってやる」といった。果して彼は落胆したようすで、以来非常によそよそしくするようになった。無情を怨むような眼つきをし、時には自分の来ることを好まぬような態度さえ露骨に示す。
 一、三日ほど後の夜、妻君が六階の住人を夕食に招きたいから言づてを頼むといった。自分さえ喰えないやつらがなんで人を招く。また新奇な方法を案出したと見てとったので、彼は風邪気味だから招待には応じられまいと告げた。夫婦が彼に接触する口実になりはせぬかとおそれたのである。
 次の夜、はいってゆくと妻君が寝床で丸薬を飲んでいた。丸薬の箱にポリモス錠と書いてあった。病気かときくと、「このごろ何となく元気がないから強壮剤をのんでいる」とこたえた。食事ののち、夫婦に背を向けて新聞に読み耽っていたが、そのうちになにげなく顔をあげ、ピアノの黒漆に映じている異様なものを見た。夫婦は互に目でうなずき、瞋恚しんいと憎悪のいり交ったるごとき凄じい視線を自分のほうに送っているそれであった。
 生れて以来、いまだ感じたことのないような深刻な恐怖のうちに夜を明かした。徴候を察知しようとするあまり、いささか打診しすぎ、そのために夫婦に企図を察しられてしまったのである。それはまだ疑いという程度のものであろうも、危険の程度は同じである。夫婦の計画を知っていると感づいたら、たぶん生かして置くまい。そのためには機会はあり余るほどあるのである。
 一、翌朝「売薬処方便覧」でポリモス錠の処方を調べ、その丸薬には強壮素として亜砒酸あひさんの極微量が含まれていることを知った。彼女がなんの目的で亜砒酸の極微量を服用しているか、その意図はすでに明瞭である。それを極微量から大量へと漸次増量服用し、われわれと共に致死量を飲んでも生命に危害を及ぼさざらんとする目的である。自分は急いで亜砒酸の解毒薬を調べてみた。最も効果のあるのはメチレエヌ青 Bleu de M※(アキュートアクセント付きE小文字)thyl※(グレーブアクセント付きE小文字)ne の静脈注射である。メチレエヌ青……しかしそれをどうして手に入れるか。残された方法としては、対抗的に自分もまた亜砒酸の極微量を増量服用することである。命を賭けてまで観察にふけるほど愚ではない。
 一、入ってゆくと亭主が飯ごしらえをしていた。妻君はとたずねると六階の看護をひきうけてそっちへ行っているとこたえた。役にも立たぬ一冊の古手帳のために夫婦は惨酷なる機会をつかんでしまった。彼が毒殺されるのはもはや時間の問題である。たぶん亜砒酸の過度の定服によって身体の諸機能を退行させられ、消えるように死んで行くのであろう。六階へ行くと彼は額にうっすら汗をかいて眠っていた。はかない冬の夕陽が顔にさしかけ一種蒼茫たる調子をあたえている。顔は急に彫が深くなり、鼻が聳え立っているようにみえる。抜群の精神と少年のごとき純真な魂をもったこの男は低雑下賤な夫婦のために殺される。自分は心のなかでいった。貴様はもう死ぬ……交会の日は浅かったが年来の友と死別するような悲哀の情を感じた。この男も薄命であった。
 つぎの日の夜あけごろ。
 前の廊下を駆け歩くあわただしい足音をきいた。をあけて走ってゆく妻をつかまえてきくと、彼が頑固な嘔吐をはじめたので医者を迎えに行くところだとこたえた。
 行ってみると彼はとめどもなく嘔吐しつづけていた。もはや吐くものがなくなり薄桃色の液を吐いていた。
 夜あけ近く六階へあがって行った。扉をひきあけると思いがけない光景が展開した。夫婦は睡眠不足で赤く眼を腫らして緊張したようすで動きまわっていた。妻君は湯タンポを入れ換え、襁褓おむつをひきだし、亭主のほうは裸の胸へ彼の足をおしつけて体温で温めようと一心になっていた。ときどき彼の顔のほうへ耳をよせ、彼の呼吸がすこしでも安まり、彼の顔から苦痛の色がうすらぐと夫婦は涙ぐんだ眼でうれしそうにうなずきあうのだった。困惑した頭では、この成りゆきに解釈をあたえることができず茫然たる心をいだいて部屋へ帰った。
 一、二週日にわたる夫婦の看護で、彼は類似赤痢から奇蹟的に命をとりとめ、寝台のうえに坐っていた。自分を寝台の横にかけさせると唇のはしに皮肉な皺をよせながらいった。
「おれは自殺するつもりで、毎晩あの雨受けの腐れ水をのんでいたんだ。これ以上生きながらえていると、賭博の研究で次第に消耗してしまう。そんな死に方では死にきれなくなったんだ。おれのシステムが完成して千万の金をもうけたっておれの肉体は過労で困憊して、その金をバラ撒く力さえ残っていないだろう。芸術の夢と、賭博の幻にとりつかれ、四十三年、恋愛一つせずに克服してきたが、たとえどのような富が将来に約束されていようと、このうえこんな生活をつづけるのがいやになった。自分の胸にいささかでも恋愛を感じ得るやわらかな情緒の残っているうちに、人間らしい死にかたで死にたくなった。賭博のためでなく、恋愛のために死にたくなったんだ。生涯たった一度の恋愛をし、愛人に看護されながら死ぬなら、それこそ本望でないか、それを、あの夫婦が無闇に介抱してとうとう治しちまいやがった」といった。
 一、二日ほどのち、夫婦がお別れだといって部屋へはいってくると細君のほうが、懺悔したいことがあるといいだした。
「あたしたち六階の先生を殺そうと思っていたんです。なんの目的かいわなくともおわかりでしょう。でもそれはかんがえるほどたやすいものではありませんでした。いざやろうとなると、二人で顔を見あわせて溜息をついてしまうんです。そのうちにあのかたを看病することになっていつでもやれるようになりましたが、そうなるとあたしのいないうちに夫がやりはしまいか、容体がすこし悪くなれば自分が毒を飲ましたと思われはしまいかと、お互いにさぐりあい監視しあって、敵同志のようになってしまったんです。そのうちに、こんなに苦しむならたとえ餓死をしてもよそうといいだしました。そこへあの急変でしょう。このまま死なせると、あたしたちの思いで殺したようになるので死に身に看護してとうとうなおしてしまいました」
 亭主はこれから白耳義ペルジックのスパ(温泉場)へ行って自分のシステムでルウレットをやって見ること。大勝する気なぞない。毎日細く食べて行けるだけ勝てば満足であること。「もしいけなかったらそのときは夫婦心中をするんです」といって細君のほうへ振返った。細君は夫の手の上に手をのせた。それが同意のしるしでもあるように。
 次の夕方、夫婦は白耳義へ発っていった。タクシーの窓の中で手を振りながら。
 一、五日ほどのち六階へ上ってゆくと、彼はたぐまったような恰好で寝台で横になっていた。非常に痩せ細り、顔などは、びっくりするほど小さくなっていた。自分が入って行くのをもどかしそうにながめながら、癇癪をおこしたような声でいった。「おい、おれはこうやって三日も貴様を待っていたんだぞ……おれは動けなくなったんだ。手も足もえてしまって、身動きひとつ出来やしないんだ」どうしたのかとたずねると、彼は忌々いまいましそうに唇をひきゆがめながら、「なあに自殺するつもりでいろんなものを出鱈目に飲んでやったんだ。眼薬だの煙草の煮汁だの写真の現像液だの……そして眼をさまして見たらこんなことになっているんだ」そういうと火のついたような眼で自分の眼を見つめながら「貴様を待っていたのは、おれを窓から投げだして貰いたいからなんだ。手足がすこしでもいたら這って行ってもじぶんでやる。死ぬのにひとに手数をかけたくないが、いまいったように指一本動かせやせぬ。だから貴様にたのむのだ。金もなく身よりもない外国で中風よいよいになって生きているのは、どんなに悲惨か貴様にもわかるだろう。余計なことをいう必要はない。友達がいに最後のいやな役をうんといって承知してくれ。遺書は書いてあのとおり机に載せてある。どんな意味でも貴様に迷惑のかからないようになっている……そしてへんないいまわしをすれば貴様に投げだしてもらえたらどんなにうれしいだろうと思って……なにしろ、フランスくんだりの、この汚い部屋で一人で壁をながめながら死ぬんじゃあないから……最後に、貴様の手の温みを身体に感じながら……」
「よし、投げだしてやる。いますぐでいいか」
 彼はうなずいた。自分は猶予なく彼を抱きあげた。これが肉体かと思うような軽さだった。彼は満足そうにつぶやいた。
「システムは完成した。とうとうポアンカレをとっちめてやった。どんな方法か、読めばすぐわかる。手帳は胸のかくしに入っている」
「おれにくれるというのか」
「やる」
 自分は彼のかくしから手帳をぬきとって上着のポケットへ放りこむと、彼を窓框に立たせて、巴里パリーの屋根屋根をしばらく眺めさせてやった。彼は顔を顰めて、「もういい」といった。
 自分はうしろから強く突いた。彼は勾配の強いスレートの屋根の斜面を辷り、蛇腹の出ッ張りにぶちあたってもんどりをうち、足を空へむけたみょうな恰好で垂直に闇の中へ落ちて行った。
 空が白んできた。このへんでやめよう。手帳はストーヴへ投げこみ、この出来事にキッパリとした結末をつけるつもりだ。二度と思いだすまい。

底本:「久生十蘭全集 1[#「1」はローマ数字、1-13-21]」三一書房
   1969(昭和44)年11月30日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1937(昭和12)年1月号
入力:tatsuki
校正:伊藤時也
2010年1月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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