目次
 二三日前から、東京には珍らしい大雪があった。九日に鎌倉に来ようと云う自分には、少なからぬ事の行違いを生ぜさせるのではあるまいかと危ぶまれた。七日に、戸外では北海道のようだと云う程降雪のある畳廊下で荷作りをして居ると、母上が、止めろと、再三再四云われる。あまり火の気のない廊下は寒いから、一週間程以前からぬけずに居る風邪が、きっと重ると、云われるのである。
 丁度泊りがけで鎌倉に行って居た国男も戻り、※(二の字点、1-2-22)しばしば噂にきく山田氏ツーさん等も見えたので、自分も荷作りを中止して仲間入りをした。
 けれども、九日に立つ計画を変えたのではない。
 八日。
 荷物は出来る丈簡単にと思っても、とにかく宿屋へ行くのではないし、冬ではあるので、夜具と、僅かな着換え丈でも相当にある。本の木箱、鑵づめを入れたもの等、預けるのだけでも四つ重いのが出来た。
 夜分、珍らしい事に、国男さんがこも包みを手伝って呉れる。電話室を一杯にして大騒ぎをした。清が器用な手つきで、「えぼない」を結ぶ。
 九日は金曜で、学校はどうでもよい? と云い、国男さん鎌倉へ送って来て呉れると云う。独りよりは数倍よし。
 九日、
 九時四十幾分かので立つ積りで、くるま屋が早く来て呉れた。が、荷がまだすっかり出来上って居ない。木箱の蓋が打ちつけてないのに、荷札もつけてない。到頭十時二十分の大船で乗り換えるのにした。
 国男さんが居るので、自分は何となく安心を覚え、何をまかせて居るのではないが、ひどくまかせ切った楽な気分で汽車に乗った。女性特有の心理か? プラットフォームに行くのに、あの天井の低い廊を、ひどく馳ける人がある。自分は
「もう列車が入って居るの?」
と訊いた。
「もうとっくよ。此処から出るんだもの」
「其那に時間がないの?」
「もう七分ばかり。常盤橋へ来た頃十分位ほか無かった。云うとあわてるから……」
 自分は、風呂敷包みを小脇に抱え、背は低いが、正面を見て大股に足を運ぶ彼の横顔を一寸見た。
 神戸行の列車なので、転任か何か、多勢見送り人の群って居る車室に入った。
 主人らしいフロックコートを着た三十代の人は、出発間際の手持無沙汰で、半円を描いた見送り人に対し、車外に立って居る。すぐ窓の内部では、妻らしい人が、自分も泣きそうな風で、むずかる四つばかりの娘をすかして居る。
 東京駅を出、品川辺で、乗込んで居た妹らしい若い婦人も別れを告げると、その細君は、あまり新らしくない白い手巾ハンカチを目に当て、田舎風に、而も真心をあらわして啜泣き始めた。
「可哀そうにね。彼那あんなに悲しいのかしら」
「僕、実際いやよ、あんなのを見ると堪らなくなっちゃう。別のに乗ればよかった」
 自分は、父と一緒に米国に立った時の心持を思い出した。決して彼那に涙は出なかった。
 又、Aと別れて日本に独り帰る時のことを思い浮べた。あの時は、泣くところを通り越し、少し変にもなって居たらしい。
 横浜を過ぎると、その婦人の涙も止った。何よりのことだ。
 鎌倉には、十二時一寸前に着。当にして居た倉知の川島と云う男非番で居ず。荷物も未着。紅屋でお菓子を買い、とにかく倉知に行く。因循だと云うので、国男、関さん達に評判のわるいTさん[#従妹倉知春江の結核療養のための付添人]にも始めて会う。悪意を含んで居るのではあるまいが、パッシイブに進出生活力が乏しい傾向らし。或点から云うと不幸に負けたとも見える。
 昼飯後、Tさん東京に行く。川島は荷物を運ぶに雪が深すぎるからと云って、明日にする。どうしても今夜は、倉知の世話になるほかないと云うので、一先ず、じいばばの家を見に行く。雪がひどいのに皆低い下駄でひどい目に会う。
 新らしい丈居心地はよさそうだ。青山の変に赤黄色い唐紙とは違い、西に向って一間の出窓と、南の方に相当な縁側があり、感じは、今のうちは少くとも、眩しくない程度に明るい。
 ばあさんは、五十を一寸出た位。大柄なじじむさい、平顔の、東京弁を使う女だ。快活ではあるらしいが、ヘンペックで、相当慾張って居そう。大きい、左右の口尻の下った口に、或感じがある。先ずよし。
 十日。
 昼頃やっと荷物が一柳に行く。午後二時すぎ俥で、町まで、細々した買物に出かけて見、路の悪いのに驚いた。荷車の重いのを引かせた労も思いやられる。妙に曲りくねった路を行くので何処をどう行ったのかは分らないが、なかなかハイカラーな食品店や花屋、呉服店等がある。賑やかな町並は、一寸、千駄ヶ谷辺の大通りと云った感じ。都会風と、田舎の素朴さが、どこかで入り混って居るのだ。
 垣を多く、細い竹の茎のようなもので作ってあるのは、軽く、柔らかで非常に感じよろし。借りる部屋の出窓に面したところにすぐ垣があるが、木塀や建仁寺でなく、やはり薄黄色くポカポカした竹の、或は笹の垣なので、目ざわりでないのだ。
 荷をほどくことや何かを手伝って貰い、川島の善良な性格を感じた。始め一言二言きいたのでは、母上の愛される所謂明快さ、に欠けて居たが。俥夫と云うようなことを忘れて考えられる丈、感じられる丈、自由に落付いた処がある。
 宿では、食事を見繕って仕て呉れることは出来ないと云う。なれないからと云って。一々私が指図をして呉れるようにとたのまれる。仕方があるまい。
 部屋を片づけながら、段々暗くなる戸外の雪を見、頻りに、倉知へ行って、夕飯を食べようと云う気を起す。少々寂しくなったのなり。
 けれども、今夜行ったら、又明朝が無駄になると思い、明かに我が心を励して、片づけを仕舞う。夕飯の膳に向い、福神漬の鑵を切って居ると、何とも云えない心持になって、眼頭があつくなった。
 家に落付けない者は不幸だ。落付けない家を持つ者は不幸だ。然し、不幸とは、何を云うのだろう。反対に、幸福と云うのはああ云うものだ……と心に一つの写真が浮び上った。
 京都の何とか云う人の細君で、美しく、小肥りに肥え、片手を柱にかけ乍ら佇んで居る姿だ。周囲に、幸福が鮮やかな影をつけて居た。幸福を負うて歩いて居る姿、と云うのを、自分は今理解出来る。
 夕飯後十二月以来、二ヵ月ぶりで、自分はゆっくり机に向った。そして、立つ四五日前、国男さんの買って来て呉れた此原稿紙に、日記を書き始めた。
 今年の日記は、今日から始る。
 去年の暮、Aの買って呉れた博文館の日記には、扉に、彼の不幸にして快くない筆跡で「せめて此だけでも」と云う、感傷的文字を書かれてしまった。
 日記をつけるたびに、低級な思わせぶりが目に入ってはたまらない。
 すっかり、自分の感興はスポイルされた。それ以来、鎌倉に行ったら、鎌倉に行ったら、と、真の日が自分に来るのを待ち切って居た。
 今、初めての夜を、静かに、新らしく買った椅子卓子に此を書き始めたのである。
 春江ちゃんの机の下にあった『新家庭』か何かに、松岡譲氏の書かれた、贋漱石の書画に関する記事をよみ、漱石氏の画を見、新たな風韻とも云うべきものを感じた。字の下手なのは、少くとも賤しい文字を書く者は、心情の賤しさを表すような気がした。上手下手のことではなく、まるで気魄のない文字を書く人間は、内に凜然りんぜんたる頼もしい処がないのではあるまいかと、我が筆の跡を顧み、忸怩じくじたるものがあるのだ。
「言葉は神なりき」と云う文句を心に浮べると、出鱈目が並べられない通り、その神の形式と思えば、浅間しくあわてふためいた文字は書かないだろう。
 斯う云う小さい一事でも、自分には何か生れ代らなければ、自分の理想には到底、到達されそうもないものが、血に混って流れて居るようで、歯痒ゆいことおびただし。
 やわに生れ付いて居るのか。

 昨日昼頃から春江ちゃんの処へ行った。門を入ると、垣一重を越して、誰か若い女の声で物を云って居るのが聞える。
「春江ちゃん」
と呼びかけて見た。内ではぴたりと声がやみ
「はあい」
と云う、快活な返事と一緒に春江ちゃんが玄関に出て来た。
「中村さんが来て被居いらっしゃるの」
 いつか、オペラかピアノを聴きに行った時、帝劇で会い一緒にお茶をのんだ姉妹が来て居る。彼女達の父は、ゼノア会議か何かに出かけ、帰りの船で自殺して仕舞われたのだそうだ。
 皆は其那こととはまるで知らず、神戸に出迎えたのだそうだ。いくら待っても父の姿が見えない。怪訝けげんに思って居ると船長が、彼の死と、遺骸が上海に置いてあることとを知らせたのだそうだ。
 初子さんとか云う姉さんの方などは、お骨が来ても、父上の死なれたことを信じられなかったのだと云う。さもあろう。恐らく今でも、帰らない父を、断念し乍ら待って居ると云う心持があるのではなかろうか。おかあさんに頼られ、何でも
「どうぞお願いだから仕ないで頂戴」
と云う風に泣きおとされる由。そう云う親の無理ではない主我的傾向と、若い娘達の意志とが工合よく調和して行くことを、かげながら祈る。
 音楽を聴いたり何かし、夕飯前二人帰京す。春江ちゃん少し亢奮したらしく、風呂に入った後、二時迄、Tさんと自分とを御対手にして居た。
 いつも独りで眠る為、緊張して容易に眠に入れないのに、今夜は二人で嬉しいと云う。それをきいては、国男さんに、出来る丈独りで寝ろと云ったことも実行し難いと知る。全くよろこばれるのを見、自分の病気などはまるで知らずに居るのを思うと、Tさんのように頑ばれない。春江ちゃんがあまり可哀そうなので、Tさんに
「貴女春江ちゃんとおねにならないの?」
と訊いて見た。
「ええ」
「どうして? 可哀そうね、少し」
「あちらの三畳にねつけたものですから、何だかあっちがよくて」
 Tのかたくなな処が、彼女の不幸の原因になって居るのではあるまいかと思う。
 子供を産み、それに死なれ、自分も離婚迄したら心の痛手は深かろうと同情はされる。然し、不幸だからと云って、かたくなになり、自分の不幸ほか見ず、人に、お前の苦痛でも、煩悩でも、まだまだだと云う冷淡を感じさせるのは、自身の不幸を増すことになる。その人と不幸と、いつも手を握り合って居るのを、ひとが常態だとし、自分もそう狭く世界を見切って仕舞うから。
 彼女も猪年で、二十五歳だそうだ。頭は鈍くないのだのに。万事、私の姉さんらしい挙止だ――人生は、あらまし斯うと納まった点に於て。

 十二日。
 十時頃起床。四時過まで春江ちゃんの処に居る。
 帰宅後、ハウプトマンの「寂しき人々」をよむ。感あり。古いと思う。
 丁度、夕暮の薄光が硝子窓にせまり、室内からはついたばかりの新しい電燈の光りが流れ出して、窓わくにおいたナーシサスの白い花が、非常に繊細な美に満ちて見えた。深い拡大された影が細そりした葉、純白の花弁のすき間を満し、ギリシア舞妓の線描模様のある、濃紅の花壺の中で、見とれるほど清楚な美を湛えて居る。
 打たれて、久しぶりに自由詩のようなものを作った。
 余程土地にも家の者にもなれ始めた。
 けれども、まだ新鮮な力は漲り切らないと云う感じ。小さい、鋭い、キラメク前兆はある。まだ洋々としない。が、楽し。自由なのがうれし。
 自分の為に、口先で人を使わないようにして行けば、何処でも気軽に住めるとわかり、自由さの範囲が拡がったような楽しさがある。実際、一人で生活して行く上に得た一つの新らしい自信とも云えよう。ひとの親切などと云うものも、どうかすると、地位の優越に伴う無自覚な我利から、過分に要求する場合がありそうだ。
『女性』にやる童話は、どうしても縫とりをするおばあさんだ。おしまいを光彩ある空想に包みたい。その点が未だあいまい。
 電気が右手にあり、ペンのかげとなる。よけいに眼がつかれる。十六日に帰ったら早速スタンドを持って来よう。緑のかさはいやになった。私のすきな卵黄色の耀いたのにしよう。
 チャイコフスキーの Theme の Variation 10th までありすてきだ。
「寂しき人々」をよんで居る間心に浮んだこと。
 最近、N氏から来信なし。自分の心にかかるともなくかかって物足りなさを与えて居る。
 自分がN氏に持つ感情はどう云う種類のものか。
 N氏は何故いつも大学に手紙を送らせるか。
 若し私の手紙を夫人がよまれたら、何と感じられるか。
「野ざらし」を思うこと切だ。
 もう、今の自分は、自分の心にあるぐうたらさを知らないふりすることは出来ない。
 単純な、よい Friendship に終るかどうかと云うことを、一家族の運命として、考えなければならない。いい気になって、自分の弱小さに目をつぶり、不幸の種を蒔いてはいけない。
 やや、消極的な傾向だが、謙虚に自分を顧みて、私のような生はんじゃくな人間は、真個ほんとに自分の描くような愛の生活に価しないのだと、近頃思う。
 人間として殉情的に悲惨と思われることは
 最も愛し合う近親を、各人の未完成の時に失うと云うことではないか。
 此ことも近頃自分は思う。
 自己嫌悪に満ちた時代、親に死なれたらどうしようと。――自分が困るより、唯一度ほか持てない親に、心から相ともに歓ぶ経験を与えなかったと云う自覚は、辛いことだ。Parting Hour と云う感じ。
 自分が近頃斯う云う点で敏感になり易いのは何故か。英男が大病であったこともあり、春江ちゃんのことを考える点もあり、人間が死と云う絶対をひかえ乍ら、どうして斯う怠惰な根性を植えられて居るかと、わが下根を歎く心もある。
 ノアの洪水と云う伝説の実感、
 バベルの塔の話、
 畏れ謹んで、与えられた仕事に努むべき人間は、自分は、図にのりすぎて居る。
 大きな芸術家は、人性、自然の胚心にふれ得ることによって、大宗教家と一致する。

四月二十八日

 晴れたり曇ったり。後、雨。
 今日は毬藻まりもの散髪をした。――硝子瓶に移したが、毬藻はどうも元気がわるい。よく見ると、芯は青いらしいのだが外側にずっと老廃物のような白茶色のモヤモヤが出来、自由に養分を吸収されそうもなく思われる。急に思いついて、水からとり出し、小さい鋏で、チョキチョキとそのきたない腐ったようなものを(ママ)みとって見た。案の定、すぐ下から、鮮やかな緑色が見え出した。此をくれた西村氏も、此那ことをしろとはいわれなかった。どんな植物の本にも書いてない手当の方法だろう。さいと二人で笑い乍ら試して見た。私の常識で行くと、今までの状態が悪くて、不幸に此丈の死物を出してしまった。それ等が外囲の、栄養をとるべき第一の門にあっては、生きるべきものも生きられまい。切って、活々した細胞を、空気と光に当てたら、新しい生活を始めるだろうと云う結論になったのである。少し、斑まだら乍ら、青々とした毬藻を、水の上から覗き、硝子の外から透して見て、私は、稍々ややすがすがしい心持になれた。一時の、目先きの変化でないように切望する。
 後、読みかけの、「母性の復興」を読み始める。著者が、現代の、学校生活万能的傾向を排して居るのは、自分も同感である。自分が僅か五ヵ月経験したコロンビアの寄宿舎生活の不快さが、充分それを、少くとも私には証明して居る。
 均等主義も、人性の深刻な淘冶の点から云うと、大きな問題である。アメリカ等で育てられた学者、一般人が、人類の平等、文明進度と比例した共同精神の訓練等と云うことを、無条件に肯定し強調する不快さを、著者は、心ゆくばかり、批難して居る。
 最も箇性的なものは、最も箇性的な内外の圏境の裡にのみ発育すること。精神の上品、下品のあること。その他今日の、平等主義の流行が無意識の裡に犯して居る精神界の種々な誤謬を、明快に指摘して居ることが、自分に深い歓びを与えた。
 同時に、何か自己の仕事を、妻、母と云う範囲以外に成就させようとする女性の地位の難さも痛感した。自分のように、或一点で弱さを我からアドミットした生活では、どちらも――仕事も、妻と云う地位も――満足なものとはなされないのではないか。
 エレン・ケイの霊活な筆は、家庭の尊さと意義深さとを心魂にまで銘じさせ、人間が、なまじいの根性では、余戯では、決して、それを地上に存在する価値あらしめ得ないことを思わせる。家庭の善美を完うすること、芸術的大業を遂げること、どちらも絶大な精力を要することで、心の分割や不純を、共に許さざることと感じられる。女性は、どちらかに一身を捧げる決意がいるのだ。
 今日、実に大多数の女性にとって、幸福な健全な家庭を作ると同時に、自己のみの仕事も他に成就させ得ると云う二者の麗わしい調和の境地が、一つの大きな夢想となって居ると思う。この思想は、自己の人間的良心に沈潜して反省した場合、どこ迄、安らかに肯定出来るか。
 年来、自分の心に漠然と芽生えて居た疑問が、近来、境遇の実際から一層育ち、此書によって更に或種の裏書きを与えられたように感じる。

 非常に低気圧の気味で、空気は湿っぽく、生ぬるい風が盛に吹きまくる。新緑に包まれ刺戟の強い鮮緑色の楓樹の梢や、薔薇の芽が、彼方に此方に、揉まれる。房々とし、細かい裂け目を持った楓の緑は、遠くから見ると、巨大な羊歯(ファーン)が、風のまにまに揺れて居るような美しさを感じさせる。この軟かそうな、瑞々した緑の葉が、あんなに乾いた、何処かデスペレートな感じを与える秋の紅葉になるのか。
 Aは、やや強請されて居たノスティックの原稿を書かないでもよいことになったので幸福そうに見える。珍らしく午前中からビクターをかけ、繰返し、ハンデルのラルゴを聴いて居る。起き抜けから、自分の鼓膜には、余り刺戟強く少し苦しかった。が、彼の稀有な長閑のどかさをくずすまい為、静かに、壮重な音楽をきいた。此ラルゴは、国男さんも非常に好きだ。自分も好む。Aが好きでなおよろしい。
「母性の復興」読み終る。丁度、熱心に耳を傾けて居た音楽が、次第に静かになって終っても、猶身動きが出来ず、ずっとその余韻に心をかれる通り、最後の頁を読み終り、後、自分の心に、種々の感じが遺った。
 第一。今日、幾千万の母は、何と云う目的の明かでない、頭脳の明快に働かない状態で、各々の任務に従って居ることであろう。と云うこと。
 第二。母性は、男の側からも女の側からも尊重すべく、習俗的に教え込まれ、自覚して居る。而も、余り、母性そのものの先験的価値を高く盲信しすぎて居る為、一方に於て、そのよき発育進化を促し得ないとともに、少し、理智的な者に、一種反感に似た不快を与えて居る。親の無反省、良心の鈍磨は、次代の子供達が或程度まで成長すると、必ず失望と同時の批判的傾向を助長させる。それを見て、親は必死に、親心の全知全能を承認させようとし、子は、同じ力の反動で、それを否定し、虚偽や、利己心や偽善を摘発する。ついに、子達は、自己を親と云う地位に於て楽しく、悦びを以て想像することはやめてしまう。独立、自己を立てることが、生存の唯一の光明となる。職業婦人が増え、利己的な息子が明かに増加するのは、相互的関係に於て、親が、無智から、極度まで親心の幻滅を与えることにもよるのではないか。
 日本が、過去五十年昔まで親と云うものの位置をオール・マイティーに保って居たに拘らず、僅か二三十年の間に、若い時代に対し、正反対の地位に立つ徴候のあるのは、昔の関係が、不自然な程、強制的であった大きな反動とも思われる。
 第三。若者の人生観は、自分に驚きを与える程、鮮やかな輪廓を持つ。性格の弱い、透徹した思惟力を持たない者には、決して、「果して此那になるものだろうか」と疑いを生ぜしめる丈活々した、よき意味での想像の世界を生み出すことは出来なかろう。
 此を訳した平塚さんの心の芯を感じ、打れた。彼女の生活の実際や、周囲の有様を考えると、此書につながる心の必然さに於て、感深いものがある。彼女も一人の、悩める女性であり、母である。自分としては、むしろ、訳者の心持に、多く芸術的素材を直覚する。
             ◎
 人間が、真個に正直になるのは容易ではない。
 四五日前、痛感したこと一つ。
 西村氏と丸善で会い、星に行って、茶を飲んだ。自分は四時頃迄に帰る積りであったが、話はつきず、それ迄に帰るのは、全然不可能と判ると、逆に、夕飯に帰ってAと顔を会わせるのが、しみじみといやになった。二人きりで夕食をすませ、あと、知らん顔で、何とか云って糊塗出来る性分でないことは自分にも判って居る。父上を誘おうと思って事務所に電話をかけて見た。農商務省に集りがあり今晩は駄目とわかる。母上に会って置いて欲しいしするので、真直林町へ行くことにして、星を出たその時、西村氏は、Aには、自分と会ったことを云わないがよいと云う。
「病人には、病人を扱う心持が必要だ。真直にとるべきことを曲ってとる人には、誤解を招くようなことは云わない方がよろしい。」
 然し、
「私は、意識して隠して置くようなことは出来ないわ。悪いことでもないのに」
 笑って終ったが、自分には感が深いことであった。自分の正直さにも加減が加えられて居ることを思う。西村氏の方便も、世間の人間の大多数の陥る自尊心の欠乏から来る(ママ)さと、何処かで通って居るような後味のわるさを感じる。
 正直さと云うものが、天真爛漫の間に流露する場合をのぞいては、多く、よい意味の自尊心、対者に対する真の尊敬と云うものに係る為、大事に面して、二の足を踏ずに自己の真を顕し得るものは少い。
             ◎
 私は正確な磁石と、寒暖計、湿度計のようなものを近頃欲しいと思う。漠然と自然に包まれて我を忘れて居るのもよいが、細かく宇宙の生活の模様を理解して、自分と結びつけたら、さぞ面白かろうと思う。星をぼんやり夜の空に見上げるのも興あることだが、星座の名と位置を一旦知ると、知らずに如何うして今迄平気で居られたかを思わずに居られない新たな歓びを覚えるだろう。それと同様なことが他の自然の現象にも確に云えるに違いない。
 今日は、どの位の湿度で、どの方向に風が吹き、この暖かさの為に、私の庭の小さな風景も、斯う変って見えると云う理解は、どれ程、生活を豊富にするか。これは私にとって、人を見た時、その性格や圏境を、根まで知り度いと思う熱望と、殆んど同じ、性質の傾向に属すらしい。

 昨夜、余り月がよいので、Aを誘い散歩に出かけた。少し風があり、一点の雲もない空には、昼間降った雨の名残りで水蒸気があると見え、円い月の囲りに、大きな大きな光輪が出来て居た。鋭く光った月の周囲幾百尺かの間、淡い憂鬱な光波が大らかに拡り、むらむらと軟かに力の籠った紫灰色の縁飾りで、暗い、果のない空の他の部分と区切りをつけて居る。仰向いて見あげて居るうちに、芳崖の悲母観音の画を思い出した。実に忘られない印象を与えた画だ。若しあの画を、一週間に一度ずつ拝されたら、どんなによかろう。心が浄められ、芸術の有難さで鼓舞される。信心深い旧教徒が、聖マリアの偶像を、一週一度拝むことで、生活の力を与えられるように、よい作品は、部門の違いを越えて、我々の心のマナとなる。
 四丁目の通り、実に細かな雑多な種類のものを、びっしり眩ゆい飾窓の中に並べた小間物屋の先を、田舎娘のように好奇心に満ち、罪のない心持で眺めて居ると、思いがけず、裏の奥さんに出会った。彼女特有の技巧的な口調で、先日の魚の礼を云われ、思いがけない時と処だったので、妙に顔があつくなるように感じた。彼女も同じ店で買物をして居たと見え、手に小さい水白粉か何かの瓶を持って居る。
 先に行ったAに追いつこうとし、屋台店の並んだ歩道を見たら、ちっとも先がよく見えず、彼も何処に居るか、見つからない。ひどく眼が悪くなったと思い、不安な心持に襲われた。
 今朝は、珍らしく早く起き、九時にならないうちに机に向った。眼が、いくら力をいれて見ても、眼球が曇ったようでよく視えないのは、なおらない。気候の故なのか。神経衰弱なのか。
 国民美術協会主催のフランス現代美術展覧会を見に行った時、五十銭の銀貨を並べ立てて買って来た、ゴオガンの手紙をよみ始む。彼の画の美は、近頃まで、まるで感じられなかった。彼のように、色彩から来る感じが、作品の主要な暗示をつとめて居る画は、よい色刷りを見ないでは、百分の一の美も味えないのではないかと思う。クアラスリシーの呉れたラジプット・ペインティングの中に集められた画との対照が、自ら心に生じる。同じ熱帯を圏境に持つ作品でも、二者の間には大きな差があるのではないか。材料の異いもある。片方は、色彩は強いが紙の上に粉絵具?(日本画で使うようなの)で描いてあるのに、片方は、油絵具で、分厚な布地に描かれたのだから。此他、大きな差は、印度土着の画師が描いたもの、ゴーガンと云う欧州人が、タイチの島に住み、爛熟した西洋文明と相反する恐ろしいような自然力を感じ、生命の力に圧せられて描いたもの、と云う点。前者には、一方から云うと、まるで精神の湧沸がない。迫り来る人間の魂の光りがない。
 印度画家の作品は、熱帯が彼等に熱帯として意識されないようになって居る処、それ程自然との同化が、面白みと同時の平凡さを与える。
 タイチが描かれた場合、そこには、哲学を知ったゴーガンと云う一つのはっきりした反射鏡があるから、まるで異う。
 彼の手紙を読んで居ると、自分迄苦しくなる。
 何だか芯の疲れたような、それで居て、あらゆる衣類などは脱ぎすて、草の上にじかに座りたいような焦心が、一層募る。
             ◎
 余り蒸し暑いので寒暖計を見ると、七十一度を少し越して居る。夏の時候だ。勿論、うちの寒暖計は、先住の人の置土産で、こわれて居るかもしれない危ういものだが。

 暑い故か、眠りのやや不足な故か、自分の気持はひどく沮喪して居る。電車の音やその他の物音がやかましく、庭の景色もつまらなく見え、どうにかして、豊かな自然に埋まって、眩ゆくない、極静かな部屋で仕事に没頭したいと云う気ばかりが激しく動く。
 静けさと、やたらに美しくはなくてよいから、樹木と草の生えた土地の広い拡りが身辺にあったら、どんなによいだろう。
 静謐せいひつな、実に活々とした自然に対する憧れは、都会の貧弱な貸家に住って一層痛烈なものとなる。
 隣りに続いて居たぼろ長屋が壊れたので僅かの空地が出来、今までは見えなかった彼方の家々の断面が、縁側から頭を一寸延すと見えるようになった。その風雨にさらされた木造の家を眺め思う。あのどっしりしない、あの樹木のない、びっしりつまった小家に棲息して、どうして人間が、堕落せずに居られよう。草の茂った地面を見ることは、瞬間的に、人間の心からあらゆる嘘や見栄を抜き去るところに、云い難い快感があるのだ。何等永劫なものの生存を吹き込まれず、ひとりでに神経の末稍が潤い敏活になる(ママ)溂たる自然の風景の展開を見ず、一方、多すぎる人間同志の我利と、死ねばそれ限りの虚栄に刺戟されて居る生存のみじめさ。
 真剣に考えれば、実に生きて居ると云う甲斐がない。真個に生きる為に必要な一種の仲介物、方便たるべきものの為に、却って人間が生命の根源まで使役されて、一生を終る。
             ◎
 さいが、台所で国から親切に送って呉れた乾物を干して居た。
 自分は湯殿に居た。
「おや!」
と驚いた声がする。
「どうしたの?」
 見ると、乾物を入れて寄来した風呂敷を見て居る。遠慮して黙って首を引込めたら、間もなく
「奥様、私変な心持になっちゃいました。この風呂敷は、私の先行って居た家のでございますもの。この継がそうでございます」
と云う。
「まあ!」
と云い、私は或感に打れた。それ程、深いつながりがあるものか。これほど、しおらしいものか。人間の心と云うものは。幾百里はなれ、苦しみの揚句、見すてはしても、一度良人と呼んだ者と営んだ生活の記憶は不死であるらしい。
             ◎
 人間は、理論をつくして考え、方法を講じ、手段をもくろんでも、到底それがその順序に従って、所謂合理的に実行され難いのを知った時、而もそのことの実行が、自己に生命的重要さを持つ時、意外な、最も無智な者のするような道をとる。他に已を得ないのだ。例えば、逃亡と云うようなこと。
             ◎
 考えが不図此事に及び、自分は駭然がいぜんとした。如何程の必然がそのように、一見非常識に見えることの裡にあるか。
             ◎
 K[#神近市子]氏が、O[#大杉栄]氏を刺す前、右のような考えが必ず頭に浮んだに違いない。彼女の場合、逃げるにも逃げられない程、自分からの執着が強かったのだろう。
             ◎
 すべて、ことの解決と云うものは、相方からの折れ合いか、一方の絶対の承認がなければなり立たない。先方が、或提議に承認を与え得ない本当の心持――理屈には非ず――もすっかりわかり、而も自分の要求、飢渇を忘れることが出来ないとき、自分を立てて眼前相手の倒れるのを見るか、直接傷つけない為、自分の方から逃げ出すか、どちらかを敢行するよりほかはない。
             ◎
 彼が自分を思って居る衷心の真心を、自分は偽とは思えない。同時に、彼の独占的な、親しい親族とも共に生活出来ない偏狭さは、極端に自分を苦しめる。彼は、私に彼を信じないことから来る窮屈さを強調する。時間の使い方の下手さから来る混雑、従って起る不平を教える。その事として正しいことは、私も承認しない訳には行かない。自分は今、彼に対していささかのひねくれも、偏見も持って居ない。細やかな親切心、ともに生活して行こうとする誠意は、恐らく何人よりも深く、真心を以て感じて居ると思う。而も、一方は依然として、私の心にまるで網をかけて居る。見えない生活の気分だ。恐らく私ほか感じられない暗示だ。私は為に、全くしんの振付を把持出来ない日常の苦しさを覚える。
 私の前には二つほか道がない。
 此苦しさに食い殺されてもよい覚悟をするか。又はAが、自棄になり、彼の一部のよさも曲げるのではあるまいかと思われる決意をするか。
(彼は、左様明言した。やけくそで、何も彼もすてるのだ。と)
「自分が此程思って居るのに判って呉れないかと思うと、全く絶望する」
 私に、その点が兎に角うそでなく感じられる丈、私も苦しむ。
             ◎
 自分が弱く、彼を憎むことが出来ないのは一層ことを複雑にする。自分は誰に対しても憎しみ丈を強めて思うことは出来ない。彼には一種の哀れさがある。顔を見ると、冷淡にし切れない。そこが一方から云うとわるい。
             ◎
 去年の六七月以来、自分は、絶えず動く波に浮いて居るように感じる。(内的に)どこかの岸に打ちあげられずには居まい。岸の遠くない直覚もある。どの岸か? 人間の生存のうちには、確かに道徳の彼岸がある。
 よい、わるい以上のことがある。性格の如きはその一例だ。彼方側まで突ぬけるべきを、此方側で、ちょこちょことまとめようとするから、大きな破綻が終に生じる。

五月一日! 五月一日! 感あり。深い感あり。
 昨晩、若い芽がしなやかに強靭な枝を飾った栗の梢に、高く遠く、小さい円い月と一つ燦く星とが(金星?)実に美しいつり合いで懸って居るのを見た。真個に、初夏の夜の空の飾りと云う心持。見て居ても、見て居ても見あきず、美しさで子供に還るような魂の爽やかさ。
 今朝は、日はよく照るが、どちらかと云えば涼しい風が吹く。空の彼方此方に雲が相当厚くある為、光線は何処かに影響を受け、特に樹木の緑色が、重みを持ち、どっしりと目を牽く。頭の苦しさ昨日と同じ。生理的には、暑苦しくない丈よろしい。
「ルノアルの言葉」や Histoire de l'art の中の画などを見、自分が絵画を見ることでどれ丈、益されて居るかと思う。趣味の拡大と云うような漠然としたことでなく、想像に、木立を浮べ文字にそれを活そうとする場合、光、陰、色の閃めきが、視覚に甦って来る。文字が画筆の先についた一粒の色のようになって、片はじから、愛する自然の美や命を写し出して行くような直接さがある。(勿論理想的な場合に於て丈だが)音楽が自分に教えるところは、人間の魂の種々な息づかいの微妙さ、熱烈さ、流動の豊麗さである。
 ともに、大きな暗示の宝庫であると思う。理屈と、文字が先に立たないだけ、此等のものはいきなり人の霊に肌みを触れ、目醒ませ震い立たせる。
 自分が一生のうち、最もすぐれた作品を書き得るとしたら、深大な思想とともに、実に生命に満ちた色彩の感覚と、音楽的な情感の波が、調和よく、而も鮮明に強く結びつけられたものであろうと思う。想像でなく、理想が其処にあると云った方が正しい。
             ◎
 夜、七時半から、楽しみに待って居たクライスラーを聴きに行く。実によい。ぼんやり印象に遺って居る、ジムバリスト、パアローと段々比較して見ると、潜精力の大きさと、情感の自由な点で、一番であるように感じた。ジムバリストの音は確かさ、厳かさ、理知の均整と云うような心持で人を打つ。襟を正さしめた。けれども、クライスラーには、人間らしい胸の鼓動が深く音の底に流れ、聴く者をとらえて、音波の裡に没入させる。ステージに立った彼のヴァイオリンや弓は、更に軽らかな小さいものに見え、ボーイングが自在なので、「弾いて居る」重苦しさなどはなく、麗しい、豊かな、変転極りない音が、雲のように湧き立って来る。
 あのデリケートな、純粋な、最高音を、何と言葉で云ってよいのか。力強く掻きならされるあの三重音の偉力! 腕の力、筋肉的な力などと云うものが、不思議に霊化されて居る云い難い優美さがあるではないか。
 エルマンの、いかにも彼の金毛の生えた丸い指で抑えるらしい音の現実的さ。パーローの、神経質な細い指が緊張し必死になって絃を走る音、皆違う。神経の鋭さ、精力などと云うものを全く超え切った、例えば、線と色との実に豊富な古画の落付き、真心ある渋味、こだわりない感性が流露して居るのだ。
 幾度でも聴き度く感じたのは、此人が自分にとって始めてである。
 今朝になっても、音全体の印象が耳につき、ソナータや、小品の美しい断片が、霊気に溶け、漂って居るように覚える。(五月二日朝)

 春江ちゃんに会った。伯父母、咲枝ちゃん[#倉知咲枝、百合子の従妹、のちの国男の妻]と一緒に。二十と十六の若い娘達は真個ほんとに可愛らしく浄く、活々して見えた。
 帝劇から、二日の切符を二枚送ってよこしたので、一枚で誰か、国男か私、に来ないかと云う。春江ちゃん一人では困ると云って。
 前から、今日はクロイッツェル・ソナータがあるので、私はどうかして聴きたいと思って居た。そのことを聞いて嬉しくなり、国男さんに、すぐじゃんけんを仕よう、仕ようと云った。勿論負けた方がゆずると云うのである。
 いやだ、後で。五度じゃんをする、と云う。ベルが鳴って、二階の席に戻る時、負けては困る彼の心持を察し、じゃんけんはしないでも、私は行かないことにしよう、ときめた。帰り途で、そのことを国男さんに云い、自動車に乗って居た春江ちゃんにも云う。
 切符のことで世話を焼かせたから、と国男さんには云った。が私の心持では、春江ちゃんと二人きりで聴く心持を感じたのだ。或、薄薔薇色の雰囲気。
 けれども、春江ちゃんの大きな、色彩の強い様子と、国男さんの黒い制服を着た、あまり美しくない様子とを頭に浮べたら、寂しい変な心持がした。
             ◎
 昨晩、廊下での印象の種々。
 日本人が、外国人と一緒に居て、外国人より賢そうに、精神に満ちて居るらしく見えることは、極く稀れと思う。特に女性同志の場合。体の大きさの差ばかりでなく、頭の中の大きさの何かで、対手の女の人を小さく、いたわり、半育ちの人間対手のように振舞って居ると感じる。

 女性の顔の美しさ。いろいろあるが、三十前後の人には観音のような容貌が好ましい。成熟した美しさ、実った重さと内に籠った力、凝っと静かに深く、おそれず物でも人でも見、而もその視線に些の害心も含まれない眼差し。
 何故此那ことを思ったかと云うと、廊下に集って居るきらびやかな婦人の多くが、顔の皮膚のつややかささえ見えない程白粉をぬり、それも蒼白く、毛は縮らし、眼は落付きなくキョロキョロ動かして居る有様を見、不自然な、暢やかでない苦しさを味ったからだ。
 一体、もっともっと自然であってよいのではないか。手の動かしかた、足の運びかた、皆圧え、控えたところが見え、音楽などを聞くに、あれで魂に入るかと怪しまれる。
             ◎
 厨川白村氏であったか、何かでチェスタートンの諷刺文に就て紹介されたのを読んだことがある。以来、私の頭から、その名が離れずに居た。先日、丸善に行き、西村氏に The unknown と云う、天文研究の発達史と云うような趣味的な本を買ってあげた時、偶然 Eugenics and other Evils と云う書籍を、新着本の部で見つけた。著者を見ると、チェスタートンで、紛うかたもない丸肥りの彼が、モヤモヤの髪の下に、心持三白の、射通す而も人間的な眼を耀かせて居る写真迄ついて居る。題目が、最近自分の心に、或問題と――良心の方から――感じられて居ることだし、著者を見ると、一層捨て難い。買って来た。
 序を読んだだけで強く感じたことは、彼の文章が如何にも直截なことである。英語が、斯うもかさばらないものか、と云う心持。語類で知らないものさえなければ、眼で読む文字が、水のようにすうっと真直に腹の(ママ)まで流れ込む。明晰で、男らしい力に満ち、一センテンスが、彼自身の体のように、円く、真率に、云うべきことをきっぱり云って居る。
 H. G. Wells が、流暢りゅうちょうな、直接な文章を書く人として知られて居るらしいが、種類に於て、まるで異うと思う。
 ウェルスのは、筆が走る方ではないか。思想、感興の熱風を孕んで、文字の小舟が、波を切って進む。彼の小説が、つまらない(私にとっては)理由も可なり其処にあると思う。新聞記事的傾向が多分に存在するらしく感じる。達弁とでも云うべきか。
 チェスタートンでは、非常に異う。人間の頭脳の中に、生れ乍ら種々のレンズを持ち得ると仮定する。ウェルスのは、直径の大きなレンズが一つだ。但しそれは、種々な方向に、素早く大きく廻転する。反射する光線は幅広く、やや黄赤色を帯びて居る。
 チェスタートンのは、それよりずっと小形のが二つ、相互に実によい焦点を結んで、一糸も乱さぬ輪廓で物象を写す。反射光線は、無色。凸面。
 緻密で、確かで、チェスタートンには、無駄なお喋りが辛棒し切れない風がある。而も生活力に満ちて、抽象名詞をこねまわして居る厭味がないから、忽ち、生きた比喩を捕え、ぴっしり、動かないところを二言三言で云う。其処に、深いシンセリティーが伴うから、読んで、文字の真実を感じずには居られない。彼が、不決断な文章の形、多くのクェスシオン・マークをつけないのも、一つの偉力となって居る。
「此等のことは、実際の上で教えることが多い」

五月六日

 雨。
 Aは、藤岡先生が、海外へ行かれる為、啓明会の書籍の事に就て、朝早く訪問に出かけた。
 午後、丸善に行く。空には雲が出、危い天候に見える。始め、自分は躊躇した。Aは、どうしても晩迄は大丈夫だ、と行くことを主張する。此前の日曜か土曜、私共は三人で、玉川に出かけた。その日も雨が今にも降りそうに見え、私は鎌倉に雨合羽も置いてあるから止めましょう、と云ったのに、Aはガン張り、途中から雨に降られて少しは困り乍ら、雨中の風景を美しく眺めて来た。雨が降って困ることと、行ってよかったと云う感を比較すると、確に出てよかった。家から雨を冒してまでは出かけまいが、途中で降れば、十中八九は後戻りをしず、平常見ない情景に接し得るのだから。(ひどく功利的な考え方のように見えるけれども)
 今日もその心持のつづきがあった。何故雨がいやかと云えば下駄や着物の裾の穢れることだけだ。惜しいようなものは身につけないがよい。本を見よう。
 そこで出かけたはよいが、電車を間違え、京橋で、ぐるっと左へ廻られて仕舞ったには困った。Aが、膨れる。自分も一寸いやだったが、自分達のとんまで間違え、二人で大真面目にむくれて居るかと思ったら可笑しく、笑い出してしまった。
 新らしい本にさほど目新らしいものも見えず。文学の部も、まあどちらかと云えば貧弱と云えよう。一寸行かないで居ると、二階に昇り切った時、心を打つ或ものがある。子供が、山盛のお菓子をはっとして見る心持。然し、一ヵ月に三四度行って見ると、その眩惑からは自由になり、一寸不満を感じる。
 自分の為、ギリシア、テキストから訳したソフォクレス二巻、□□□□□(五字分空白)二巻、チェックスロバキアの現代作家のものを集めたもの一冊、ハンデルのピアノアルバム、ヴェートウベンの歌曲を集めたもの等。
 クライスラーの弾いたラルゴーをきく「レコードで」。ハンデル or ヘンデル? が好きになった。田辺氏の本を見ると、オラトリオで、ハンデルは第一位に属す音楽家とある。自分の買ったピアノ曲は小品で、謂わば彼の随筆か。
 A、レーアブックスの処で、踏台にあがり楽しそうに漁って居る。片隅に腰をかけ、古びた牛皮の古書や、十七世紀時分の大型な、真心の籠った本の姿を見て居ると、

 私は書庫の一隅に在って
 静かに古人の声を聴く。
 窓外には都会のどよめきが波うち
 雨は巨大な建築の、鉄の骨格に降りそそぐ
 けれども此処ばかりは寂寞
 古風な冒険者の物語と
 僧院の学徒の額が
 やや黄ばみ 薄日に照って
 朦朧もうろうと私の囲りに甦る
 彼等の楯は錆び
 黒衣はしみに汚れて居るが
 好愛の若々しさはどうだ!
 二十五歳、女人の私と手を執り合わせ
 なおも真心で、共に語る。
「時間」は
 意外なめぐり合わせに眼をみは
 塵深い書棚の奥に
 彼の 白髭をしごくだろう。

と云うような心持に打れた。私にはどうしても、古書愛癖があるらしい。よしわるしなり。帰りに下で雨傘を買って、星による。例によって珈琲と菓子。
 夜、A、自分が白鳥先生に願って買ったオレアリウス? の東洋旅行記の方が、ずっと大部の編纂で而もずっと価も廉かったと頻りに悦んで居る。
「僕の本の方が大きいし、沢山ある。うまいのを見つけられたものだ」
 同情し、ともに笑い、悦んだ。彼が古本を買うとき、きっと価切るのは、傍で立って居られないような思いを私にさせる。けれども、斯うやって歓ぶ彼の心持は純粋だ。少くとも本を愛するものに丈、よさのわかるうれしさとでも云うべきものか。

五月七日

 曇。少しむし暑い。
 自分の心持には明かな、大きな変化が起った。原因は、昨晩、眠られないで居るうちに考えたことにある。
 今、日本には、妻と云う位置、母と云う位置にひかされて、仕たい自分の仕事を半分にし、而も両方の愛着を口に絶やさず生活して居る女性は実に無数にあると思う。自分と云うものを生かしたい丈生かされない苦しさ。然し、現在の社会は、女性の独立をフェボラブルにはして居ない。私の子供は私なしでは幸福でない。一見平凡な生活の中でも、自分は、出来る丈のことを自己の仕事の為に捧げよう。そう云う諦め、奉仕の尊さ、女性の神のような忍耐とか云う概念に鼓舞されて、一般の調子となって居る。
 私ばかりは、そう云う半端を承認した口実や諦めは一切ぬきにした生活をしよう。最も自由に、最も自己を守り、最も愛される女性は、今の日本で、どれ丈の力量を示し得るか、女でも遣り切ればどれほどの美と真が味い得るか、それを一生で示して見ようと、思いきめたのである。
 芸術家になり切ることである。自己に決して女だからとか、妻だからとか云う申訳は許さず、生活が曖昧な為、尊敬する人にも会えないような生活は、さらりさっと、すて切ること。
 そう云う風にやって見て、なおAが私の重荷となればもう、私は遅疑することはない。心にやましいところがなければ、私は、仮令たといAが、私の為と云って、死んでもおそれるところはない。そこまでに行くべきだ。そこまでに行った心の力の充実をいつも心に持ちたい。失いたくない。
 芸術の大きさ、遙けさが見え、上っ調子や道楽やべたくさは忘れてしまう心持。
 今の心持で見ると、去年の七月以来、私の心持は、否、結婚以来、私の心持は、妙にコンニャクを立てたようなものであったと思う。私のことだから、弾力はある。しかし、潔よく真直に立たず、ぺかぺかとゆれる。ゆれた右には母上あり、左の方にはAが在り、と云うことであったのか。ひや汗なり。
 坪内先生が、作家としての修業は容易でない。落ち切らなくては駄目だから、と云われた。その言葉は忘られない。
 〔欄外に〕バラをいけたコップの水をこぼす。
 自分は落ち切れただろうか。常套と、習慣とを突ぬいて、地面の上に落ち切れただろうか。一本の木のようになり切れただろうか。
 テムポの早い反響箱のせまい自分だから、又動くかもしれないが、ぼんやり乍ら、道はついたように思う。要はそれを見失わないことだ。(喧嘩がしたくなったら二三日どこへか旅行をすればよろし。)
 心に路のついた心持は何とも云い難い悦びだ。まして自分のように、殆ど三年の間、泣き、苦しみ、生活に疑問を持ちつづけて来たものに、この広い明りの差したことは、涙を浮ばせることである。
 Aの、ガンコな、一徹なところも私にはよいためになって居る。彼がああなので、私も軽々しく振舞えない。為に、種々の反省が起る。永い間にはよいことになる。私の心の中で、彼を踏んだり蹴ったりの目に会わせて居たことをすまなく思い、二人が一生、大きく仕事で光栄ある生活を営めることを祈る。
 これには、ミス・コールフィールドが来ると云うことも非常によい鼓舞になった。
 彼女が来れば、私は、何か二人で出来る仕事(目に見えるものはなくても、)のあるのを直覚する。遠くから、一つ共鳴し得る心が、はるばる海を越して来ると云う感じ。彼女には、自分として或忘られないよさがあり、他のアメリカの女のようでない点が強く心を牽くのだ。彼女が失明して居ることは不幸である。けれども、一方、それが彼女に、あの相当な深さや独立的な心の領域を持たせて居るのではないだろうか。視覚が閉された為、アメリカの文明の、あの機械的な悪い強さが開拓し、我ものにし切れない神秘があるとも思われる。私は、彼女が、よい仕事と、助手とを見出すことを切望する。助手なしでは、何も出来まい。
 一週間に一日、ゆっくり彼女と話し、何か一緒にするのを思うと嬉しい。
 彼女は、あのことを、どう思って居るだろう、再びめぐり会うことで忘れ得るか。そう云う性質かどうか。
             ◎
 きのう始めて、家のバラが咲いた。A、私の机の上に、插して置いて呉れる。夜、スタンドの近い明るさで、非常に美しかった。
 今朝は、まだ半開の蕾を四つばかり、青い葉と一緒にかえてある。彼の細やかな心遣いを嬉しく感じた。
 蕾の数は多いが、花の出来栄としては、あまりよろしからず。
             ◎
 机に向い、此等を書いて居ると、「キーンギョ、ア、キーンギョ」と呼び売の声がする。さいに、いそいで呼びとめさせ、門に出て、買う。相当に大きな真赤なの二つ、白がちの二つ、黒いフナのようなの一つ、目高? 三匹、ガラスのいれものと、藻一かたまり。
 実にすがすがしく、軽らかに、微風が流れて来るような心持がした。硝子のうつわの横からすかして見て居ると、心に湧くものは、歌でも詩でもなく、子供のひとりごとだ。
             ◎
 私は、家に、心ゆくばかりの話相手と云うものを持たない。
 林町に生活して居た頃は、片端から母上と喋った。今はそれがない。その代り、斯うして書くことを覚えた。
             ◎
 隣りの長屋がこわされ、あとに、新らしい家を建てる為の材木が沢山来た。子供達が、新らしい木の匂いのむせるような積重りのかげを利用してかくれんぼをして遊んで居る。ゆとりのない場所に生活して居る子供にどれほど新鮮な、活々胸を躍らせる面白さ、こわさ、広さの感覚だろう。
 西洋間が建つ頃の自分の好奇心、こわさ、知りたさの戦慄を思い出し、九つの少女にかえるようだ。
 子供にとって、大人の十坪は百坪の空間に感じられ、三尺の土饅頭は、一丈の小山の愉快さがある。自分の体が蟻位だったら、此世界はいかほど宏大に、壮麗に、無限に感じられることだろう。小さい黒い蟻や、蜘蛛が、人間の心で感じた世界と云うものは、よく私の空想をそそる。
 私共に、地からたった三尺の盆栽の楓が、彼等には梢も見えない大樹だ。星の輝く空までの高さ!
 古代ペルシアのカラ井戸に入って、星を覗いたと云う多くの天文学者は、穴の入口に逍遙し乍ら、天を仰ぐ蟻の長老に似て居るのではないか。

 昨日。A、わざわざモリソン図書館から、新らしく買ったフランスの、建築家と画家のペルシア旅行画帳(銅板)を持って来て呉れた。
 なかなか面白いものだ。パーセポリスの廃趾の柱などに記録によって色彩を施したのなどは、宛然さながら支那の宮殿図を見るようである。どちらからどちらに移入したのか自分には解らないが、彩色の方法で、周囲に胡粉を細く残して内側だけ紫や淡緑、紅などで塗こめる手段。金、碧、深紅の大胆な配色法。支那、日本の奈良朝時代、皆共通の流れを持って居る。メトロポリタン美(ママ)館に父上やAと行った時、父上と自分は、黄色地に鮮明な碧、緑で、花の咲き乱れた野原に遊ぶ二人の女子を描いたタイルを見、その構図、トーンすべて天平式であるのに驚き、深い感興を覚えた。
 あの時、父上は頻りに、研究に価するとか、百合子やって見ろ、とか云って熱中して居られたが、今でも、そのことを覚えて居られるだろうか。自分には忘られず、いつかは、Aがさいわい材料は集め得るのだから、少し目鼻をつけて見られることもありはしないかと云う期待さえ持って居る。
 Aは、惜しいことにそう云う方面に著しく頭は動かない。セサニアン朝の彫刻が、ひどくローマの風を模し、彫像の衣服の有様から、目鼻立ち、髪にリボンのついて居る様子など、言語学的立場から見ても、多く暗示する点と思われる。彼には、その方面の研究に於ても、頭の中に、ペルシアの言語は斯う、とあらかじめ限定が出来て居るらしく、そう云う活きた生活のドキュメントからヒントを掴んで、想像を廻らして見ると云う、研究上の青年らしさが皆無だ。自分は専門が違うので此批評はやや酷な、当を得ないものかもしれない。自分としては欲があり、まあ、せめてペルシアを研究するとすれば、他人の著者の引証で暮さず、一つの独創的発見でも持たせたいので、何だか歯痒く感じるのだ。
 材料の蒐集で一生終るのか。よい世界の歴史的文献の(ママ)しい日本には、後に来る者の為、此も一つ、彼の生きた意味として見るべきか。
             ◎
 ロマン・ローランの「クルラムボオ」を読み始める。
 深く考えさせられる処が多い。真の自由と云うもの(精神的に)と流行するデモクラシーの関係。文学者の、此潮流に対する態度のわかれかた。その他、p.8

 中央仏教会館の二階、ピースサロンに「クラルテ」翻訳記念会があった。珍らしく出席。此会の招待状を見ると、社会主義的傾向が強く、集る顔ぶれも異って居そうなので、出席する気になったのだ。婦人では三津木貞子氏と自分だけ。堺枯川[#堺利彦]、前田河広一郎、千葉亀雄、吉江孤雁、新居格氏その他。
 食事などもひどく、ビールやサイダーは、仙台辺で出るフジビーアと云うのが出る。
 堺氏「此あ相当ひどいんだろう」
 誰か「うん、まあ相当にね」
 〃 「おい、お前の国の産物だぜ。仙台だぜ」
   高笑
 堺氏、大阪で捕った時のことを一寸話す。心持のよい老人と云う感じがある。
 予期通り、三土会などとは、まるで空気が違う。ああ云う才人の集り、悧口な者でない人間は俺たちの仲間に非ず、と云ったような全体の調子は此処ではなく、何処か雑駁なうちに、暖い気取らない心持が通って居る。家庭に不満な者、その他、心に苦しみを抱いて居る男女が、社会主義者の群に投ずるのは無理もない。同じ文学者でも、斯う云う集りに出た時と、当代一流の作家――而も若年の――達の中に入った時と、自由さに於てひどく違うらしい。
 自分が一つの主義に捕われることさえ恐れなければ、私は悦んで彼等の集りの度々に出席するだろう。
             ◎
 小牧近江氏。
 フランスに電報を打ち、クラルテの仲間は、決してアンリー・バルビュスの想像するように十人ぼっちの者ではないし、此処に集ったアンティ・ミリタリストは今後も団結して仕事に当り、今夕、万堂一致で、再びルール占領に反対の意を表する、と云って遣ろうと発議する。皆、盛に賛成! 賛成! と叫ぶ。
 中にあり、自分は反省に打れ、厳粛な淋しい心持がした。遠いヨーロッパのライン河畔に起ったことに対して、若い、決して偽りのない青年社会主義者達は、正義を叫び、人道を強調する。然し、一朝事が目前に迫り、前田駸一郎が熱を以て説いたように、近い将来に於て、日米が衝突でもすることが起ったら、彼等は、どんな態度を以て、アンティ・ミリタリストとしての正義を体顕するだろう。平和な時、自己がその戦闘の圏外に在る時、正義や公正を説くのは、馬鹿も出来る事と思う。所謂国家は戦争を声明し、一般の人心が敵(ママ)心に燃え立って、理屈が自分達の立場をジャスティファイする為にばかり歪められるような場合、果して幾人が、精神の公平さを失わず、戦をのせて流れる人類の運命の全延長を直視して居られるだろう。
 自分の裡に、多分の曖昧さ、便宜主義の種があるのを知って居る自分は、一生のどこかに、大きな大きな地獄の門が口を開いて自分を待って居るように感じる。足許まで焔の迫ったその門を、自分は傷も負わず通り抜け得るか。
 恐れで足がすくみ、倒れて焼け死ぬか。
 そう云う切迫した時、今まで漠然たる連鎖で、コムラードがあった者は、麦の穂をしごくように淘汰されて仕舞うに違いない。
 大事に処する決心と云うものは、古典的なものだ。決心は瞬間に懸るが、その瞬間に懸るものは、箇人の全生命である。
             ◎
 昨夜の席上での話。
 八木さわ子さんが苦心して訳した大部の「谷間の白百合」は、たった一枚三十銭で新潮が買ったのだそうだ。そして、佐々木孝丸氏が、お稽古のノートを清書したりメリメエか何かを持って行ったら、
「貴方は男だから、三十五銭に買ってあげましょう」
と云ったと云う。
 貴方は「男」だから※(感嘆符二つ、1-8-75)
             ◎
 短篇の材料として面白い或心持。
 机の傍。Aと自分。
 Aは椅子により、自分は傍に立って居る。A、古い本を開いて見、自分はそれを覗き乍ら、
「ねえA、可笑しいでしょう。私、グランパと別れて仕舞うと、斯う云う本がちっとも見られなくなるかと思うと、惜しくて思い切れないの」
「馬鹿な! そんなものじゃあない」
「そうよ。欲張りでしょう。――勿論一種の自分への口実ではあるけれども……」
          ――○――
 自分の未練を本にことよせる心持。これを、まえの、ブランケットとくみ合わせ、微笑し得る小品が出来そう。
 中流人の常識で、離縁した女が、或は仕ようとする女が、
「別れるのもようございますが、あの男が買ったケットが如何にも心持よくて、もうそれが二度ときられないと思うと、真個に名残惜しゅうございます」
と云って泣きでもしたら、さぞ途方もなく感じるだろう。そこに、云うに云われない心持が流れて居る。
 去った女房の荷物をそうたやすくは渡さない心持も、表面から見ると、欲張りらしくて、芯ではそうでもないテンメンたるものがあるのではないか。
 私もAの本が可愛いうちは大丈夫か。呵々
             ◎
 クルランボウの細君の弟が、冷淡な老独身者で、世の中に、利害関係に支配されない友愛などと云うものはないと云う厭人的人生観を持って居る。が、妹の家族にだけは愛を持って居、その愛を、することなすことに難癖をつけることで表現して居る、と云う。
 人により、斯う云う風に感情が素直に流露しない性格があるものと思う。
 祖母が、父や父の家族を愛し、私も愛して居ながら、話をすると、その歓びや愛を、陰性に表現する。
 自分が、しみったれて生活するのも家の為だとか、年よりばばは、よそにつれて行って呉れるのもいやだろうとか、世間見ずで話がないとか。二時間も会って居ると、四辺あたりの空気がかび臭い程になる。たまに会い、うれしさが強ければ強い程、云い方も強く執念く陰性になり、人にきらわれる。
 母と祖母のうまく調和しないのも、そう云う点で大きな力があると思う。母は、理性で愉ぶべき場合にはよろこび、率直であるべきと云う意識から、祖母のそう云う裏心を見抜かない。母は不幸に育った故か、自己防禦の本能が発達しすぎ、他人のうちにある悪の素質を見つけることの素早さとてはなく、それをずっと大局から見る丈の芸術家的度量がないから、不幸は一層ます。自己を正しとする自負もます。悲劇的にばかり人生を感じる。真の悲劇的人格と云うべきものか。

 須田町の乗換を待つ間に買った桔梗の根、一寸ばかりの芽を出した。あまり元気がなく、根の大きかった割合に芽生は貧しい。
 四五日、薔薇の花、り切れないほど沢山咲く。美しく、部屋中薔薇の花で埋る。但、時候の故か、朝の蕾は午後満開になり、僅か一日の寿命ほかない。

 十二日の土曜日、昼頃の汽車で鎌倉に出かけた。二月に借りた家が十五日迄の家賃を払ってある。自分は行かず、林町の人々も、行けば春江ちゃんのところに泊るので、一軒の家は何のやくにも立たない。今月ぎりで返そうと云うので、その荷物とりまとめの用向を持って行ったのであった。
 暖く、初夏らしい日光が漲り、おほりの畔、新緑の色が、実に眩ゆい程鮮やかに見える。自然の素直な、意義ある美に対し、三宅坂の寺内の像は、愚にもつかないものと感じる。
「あの静かな濠の水、石崖の壮重な調和に向い、しまりのない、気魄に乏しい銅像は、何の感興も与えない。それ以上、風景に対して、のびやかな古典の愛を覚えて居た心持を、グザと打壊す現日本式悪趣味が充満して居る。芸術にたずさわり、それを愛敬するものは、日本が、自分等の心と何の関係もない軍人の工業的像ばかり得意になって立て連ねて居ることに、恥を感じずに居られるだろうか。東京中の銅像の中に一人でも大学者が居るか。幾年か後、須田町の群像の醜さを恥じて、打壊すか、作りなおすかする時代が、日本にも来ることを切望する。」
 国男さんは、ずっと鎌倉に居るらしい。
 ああやって、若い娘のひとと二人きりで、長閑に生活し、学校もいい加減にして居るのが、よいか、わるいか、道徳ではなく、深く感じる。
 近頃自分の深く思うことは、結局、道徳と云うものが人間生活の本源の力には、まるで支配力を持たないと云うことだ。
 又、自分のように、子供のうちから、弟達の上に居、父母に、道徳上の訓練を受けすぎたものは、実に身についた不自由さ、偽善、を持たされる、と云う反省。大人と云うものは、自覚しない利己主義とさもしい功利的本能で、子供に自己放擲の尊さや、他の者の為に働く美しさを注ぎ込む。自分などは、いつの間にか必要から生じた父母の便宜的(無意識でも)おだてにのって、一寸した善行に我を酔わせる悪癖を得た。真個の善意と、愛から出たことなら、勿論左様な、稍々皮肉な省察は超えて居る。問題外だ。心では他に直接要求することがあり、やり乍ら其那ことに力を注いで居る愚を苦しみ乍ら、一寸何かの暗示にかかって、仕てあげようとか、私が遣って置いてあげようとか引受ける。
 性格の弱さは、非常なものと思う。
 国男は、ひとの為に労さないことで父母、ときには私にさえも、或感じを生ぜさせる。而し、自分を偽っては居ないだろう。私のように、腹の底は煮え返るような思いをし乍ら、こらえてやっとそれをし、従って、遣ってあげたことに対する沢山の感謝を期待するようなさもしい根性はないのだ。
 日常生活に於ては、此処まで心持が細かく洞見されず、其那心持でしても、猶、親切心として買われるところに、殆んど宿命的な不純さがある。
 人には親切をすべし、と云うモラルと、或場合、自己だけを守りたい自分の本性との矛盾、衝突が、子供時代、無条件降伏をして来た道徳律に対する伝統的な盲目の譲歩――常識的善の暗示にかかり、Goodness からより、寧ろ Weakness から、表面上、よい行いと称される自己偽瞞行為に堕す。正直に、根本の衝突として他人も自分も認めず、考究し得ない精神力の薄弱さがあるのである。
 女性の場合など、特に此が多い。弱い、実力の欠けた者の本能で、何が最も安全な方法か、直覚して仕舞う。人間は、境遇の許す限り、平和と幸福を希う本性を持って居る。貞淑、自己犠牲、すべては賞むべき善行とされて居る。見えない心の深で、白いデリケートな指先が総計の和から差引きをし、ある美を壊さない程度の諦めでほんのりぼかして指をさされない一生を送る。賢い女性の大多数がそうであるように思う。
 自分は、どうかして、そう云う機械的道徳律で縛られない生活がしたい。今日の所謂善、悪は、しんに入った箇性の運命から見れば、無に等しく、はびこらせると、調帯の働きを持つのが落ちだ。――車輪自身の動力はなく、道徳と云う便宜上の調帯にかかって、帯の力でさも意味あり気に動かされ、社会生活を滑って行く。楽なことを云えば、一番楽だ。善行をして居ると云われ乍ら、自分は無にし、人間の形と、生活上の約束を心得た一つの生物の生存を続けるにすぎない。
 自分はいやだ、創造と新鮮さのない生活は堪らない。願いは、どうか自分がもっと偉い心の所持者になれ、そう云うさもしい便宜に捕われず生きて行かれますように、と云うことばかりである。
 ことに、芸術に携るものにこれはいけない――ある見ようの型と云うものを持つことは。深く人間性のうちに達せられず、例えば、祭を見物に出たのに傍の小山に立って、真黒な人間の頭だけ見たようなことに終る。
 真心で生きたい。我心の求めるところ、希うところ、そのままに生かし、我もひとも偽らずに生きたい。どんなに天は朗らかで、地は安らかに思えるか。
 Aに、恐らく母にも、此切な人間の要求、寧ろ、神への願いは判らず、為に、自分は、どっちに向っても、行為が争闘の形をとってしまうことを悲しむ。
 先、書いたように、何も持たず、ペンと原稿紙だけ持って、何処かへ逃げたくなるのは、此からだ。
             ◎
 自分が、(ママ)ついて仕事の出来ないのは無理ないと思う。自分の心が迷い、ある決定を求めて左右に揺れて居る間、どうして創造があり得るか。
             ◎
 里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)氏の、「多情仏心」の中、信之と女、女の旦那と落合い、信之が決定させるつもりで旦那に会ったとき
「此那ことを貴方の前に持ち出したのはあやまりでした。自分の心が、定って居れば、貴方に断るも断らないもない。行く処へは行って居たのですから」
「よく仰云った。する気があって道がない、と云うのは云い訳にはなりませんからな」
と云う意味のことがあった。
 自分は、読んで心を打れ、我に犇々ひしひしと堪えた。
 問題は、Aでもなく、母でもなく、自分の心にあるばかりだ。
             ◎
 此等の反省によって浮んだ一つの場合。
 或親孝行と評判の娘。仕舞いにはそう云うことで自分の要求なり、慾望なりが過度に虐げられて行くのに辛棒がしきれず、まるで人々を驚かせるようなことをして、逃げてしまう。あり得ることだ。涙を以て見てやるべきことだ。
             ◎
 島村民蔵氏の、「子供の生活と芸術」と云う論文を、注意して居る。芸術的素養に欠けた日本の子供が、もっと創意ある遊戯なり、原始芸術なり、盛に生産するようになるのは結構だ。よい指導者のあるのもよい。
 但、ドイツの、国民の芸術と云うものを非常に功利的に考えて居る人の論説を批評なしに引証するのはどう云うものだろう。
 芸術が、人間の美、真の、最高を現すものであると云う考えには異議がない。よき意味のディレッタンティズムの発達慫慂しょうようはよい。然し、あまり経済問題に結びつけ、芸術は、最も僅少の資本――原料で――多大な利益を得られると云う考えかたを無条件で紹介するのは、実に悪い。工人を数多く作るならよい。いかに高級で、自由意志から出ても、原料と利益を天秤にかけて居るうちは職工だ。
 一つの小説を、右のような立場から見たら、誰でも小説書きになるだろう。
 第一、資本の部、
 原稿紙、百枚書きあげるとして五百枚、三円迄、
 インク 一瓶  四五十銭
 ペン  万年筆のよいのでも十円
 そして、原稿料は一枚一円としても百円、
 純益八十六円五十銭也! 噫、ああ※[#感嘆符三つ、653-3]
 誰が、利益を考えて、苦しい創作の仕事に従うか! 芸術教育家などと云う専門家が、そう云う考えかたで行く間は、すばらしい芸術家は出ないとさえ云えるだろう。
             ◎
 クルラムボウと娘との心持を読み、涙をこぼした。自分と父上とを(ママ)いで居る愛情に、何か切な、彼等の心持と共通なところのあるのを感じたからだ。
 あれ程、男性と云う者に、総括的な侮蔑や嫌厭を感じて居る母上でさえ、自分の父には実に深い愛を持って居られ、汽車の中で、死んだ頃の父上に似た老人を見、懐しさ、寂しさ、娘に戻った心持であったとさえ云われた。
 自分の父上に持つ愛も、実に神秘なものであると思う。何か、人間の考え得る総ての愛を引くるめ、彼は持って居ると云うような信任と愛。彼の種々な弱点だの、芸術に関する意見の全然不一致な点などは、平常まるで忘れられ、絶間なく太陽のあると云う暖かさを心に覚えるのだ。
 結婚してから、自分の心には、何か一層哀切な新たなものが生じた。いつも一緒に居られないこと、彼が荒木の存在に、無言の遠慮を持ち、たまに自分に会うことを非常な悦びとし、わざわざ金曜には宴会も断って夕食に帰られる心持。皆、犇々と自分に来、私は、何かで、彼の真個の歓びを与えてあげたいと思う。物質には勿論、心にも、今の自分には苦しさが多く、仕事も捗取らず、思うように行かない。只、丸い、元気そうな、(しんに悲しくても、父上の顔を見て居る間それを忘れ)素振りを見せ、そばに座り、喋り、ともに笑うことだけでも楽しむほかない。
 生活は、山から掘り出したばかりの金剛石の粗石あらいしのようなものだ。種々な愛や深い神秘的なほどの理解が、処々に、キラリ、キラリと閃く。他の部分は、暗い生存の不安や苦痛に包まれて居る。然し、人はそこに燦く愛や信仰、一致のあることを、鋭い瞬間の閃きで知り、黒い塊である生活全体を捨てず守って行く。
 時に、一粒の愛、ジェニュインな金剛石の輝きは、高い遠い光明を放って、生活全体を、赫耀かくようたる光体にする。
             ◎
 昨日、父上、夕飯にいらっしゃった。Aが、買ったラール、アンティック、ドラパアス、その他の画を見せてあげるからおいで下さいと云ったのだ。
 お菓子やバラの花やレモネードの瓶づめのようなものをお土産に持っておいでになる。
 A、藤岡先生のところへ行った戻り道、丸の内ビルディングの中の Caf※(アキュートアクセント付きE小文字) 何とかによって、肉などを買って来る。父上が、私共の家で夕食など召上ったのは、此が始めてであった。私共が東京に住んでもう三年ほどになるが。
 自分に、父上の心持がよくわかる故か、彼がうちに来ては何となく落付かず居心地よくないのが知れ、苦しく、寂しい心持がした。
 Aが、エンターテンスするに下手で、自分の心持だけで進み、せわしく、小刻みに、ゆとりなく動くから。
 特に、昨夕は、何だかワインに少し酔ってでも居るようで、顔つき、素振り、一層粗野に内心の重みなく見え、厭な心持を起させた。

 自分の心を反省して見ると、実に相反する矛盾の多くを持って居る。
 性格的に、愛の静かな美しい境地を求める心、調和、謙虚、創造に対する限りない熱望。
 而も一面には、強い争闘的の力、破壊慾、もっと深く、もっと強く、求め、求め、求め、どこまでも精神の彷徨をつづけ、一つの常習に安ぜられない一種の常習がある。
 ひとに対しても、それを立て、そのものの生活を出来る丈よく発達させたいと希い乍ら、突ぬくような批評が湧き、自己の評価から見て、よしと思えない点に、強い侮蔑を感じる。世の中の故、又はそう完全にあることは無いと知り乍ら、その諦らめには落付けず、絶えず何かを期待して居る心持――他からでなく、自分の心に、何か大きな力の湧くのをぼんやり予覚し、待って居る心持。
 調和も、平和も、通一遍の安穏さを一つ掘りぬいた、芸術的重さの加った、敏感な、霊に満ちたものでなければ我慢が出来ないと感じる。理屈ではなく、私の本性のうちには、掘りさげ、掘り下げて行く、一つの地虫のような熱烈な、必死なものがあるのだ。
 それだのに、弱いことは、他の暗示や影響を受け易く、共に生活する者が、平凡で霊光に満たない時、それを変えさせず、此方が逆に変えられそうになり、然も、批評的能力から、すっかり自己をサレンダーもさせず、結局二半な生活をすることだ。
 自分の弱さを正面に承認し、よい感化がなければ潔よい人間にはなれないのだから、生徒のように、従順に、選んだ感化力の唯一なものに従って行けばよい。然るに、自分で触れて見たく、味って見たく、而も種類に限定も加えたくない。
          ――○――
 Aに対し、はっきりした態度をとれないのは、男に甘い自分の心を甘やかして居ること。
 Aの生活を思うこと。(此は気の毒さと、自棄になる人間を見る可恐こわさと相半ばした心持。何故なら、若しAが、よろしい、とずっと進んだ道を進めば、私は安心して自由にするのだから。少し、彼に芝居気がありすぎる)
 自分の生活は、此処で変ったら、すっかり変ると云う予知。――今までのように、或点まで偽善的な道徳には縛られまい。あらゆる点で。それ故、それに対して来る批評がわかり、やや躊躇し考える心持。大きな運命を呼び出す前、声を出そうか、一そ黙って仕舞うかと云う不決断。(私はきっと大きな声を出して呼んで仕舞うだろう。いつか。不思議な恐れが迫る)
 その可恐さが、私に、自分だけ立てるのは、独善的な不真面目な考えかたではないかと云う内省を起させる。それかと云って、Aに、奉仕し、彼だけの大きさ、深さで終る気は更にしない。育てるだけは育て、自分の独特さがあれば、充分それをのばしたい。心ゆくばかりに生きたいのだ。
          ――○――
 自分が半端な弱さを持つ、又他に一つの例は、与えられたよいと思う境遇に、堂々と落付いて居られず、妙に気がねをして、自己にはよすぎる、可恐しい、と云う弱気を出すことだ。
 思うままでありすぎると、境遇に恐れを覚える。
 わるすぎると、自己の腐ることを恐れる。
 どっち道、はたを見廻しすぎる。
 自分の額に炬火を立て、その勢でひた押しに押せない弱さがある。
 この弱さは、二流以下の自分の goodness から来るか、生活力の弱少さによるか。

 暫く前、早稲田大学で、軍事研究会を作ってその発会式をあげたら、反対の学生が大挙し、それを滅茶滅茶に彌次り倒したと云う事があった。
 それが動機となり、共産党員と目される学生学者すべて警視庁で拘引し調べることにしたと、今日の新聞にある。それを読み、心が或ショックを感じた。一種の恐怖だ。ロシア帝政時代の或時が又廻って日本に来たような暗い緊張。
 その恐怖を自覚し、自分の心に恥るところがあった。私の弱さ、不徹底さを此一瞬心を貫いた恐れが最もよく現して居る。頭で考え、平静で居られることに対し、先に胸の方がドキリとする。
 女性の故に亢奮し易いのか、弱いからビクッとするのか。
 感情が強くなって居ないと感じた。
 全人格を包む力が、要するに欠乏して居るのだ。

 昨夕の夕刊に、外人を人質として捕えて山塞に籠った土匪と、外交団、支那政府との交渉顛末が出て居たが、なかなか問題は複雑で、劇的胚種に(ママ)んで居る。
 土匪は、先ず支那官軍の包囲をとかせ、三年間土匪全軍の生活費を支給することと、正規軍の一部として自分等を認めよと云う要求を出して居る。
 自分達の常識で正鵠せいこくな判断は致し難いが、土匪は、馬賊に倍する残虐と、偸盗ちゅうとう、殺戮をほしいままにすることで知られて居る。
 一方、支那政府として、外交団の悪感は買いたくない。それには土匪の申出でに絶対服従をしなければならない。それでは余り無理が通りすぎ、悪例を遺すことになるだろう。きかなければ、幾人かの無辜むこの外人が、云うに堪えない虐殺に会うだろうことは明々白々の事実である。
 我々は、遠くその場所からはなれ、さほど人間的心の苦しみに同情する丈の刺戟を受けない。しかし、此ことは、政策以上、ヒューメンな苦痛を、当事者等に与えて居ることと察する。
 人間の生活は永く、今、幾人かの人を救う為に、永久の律を破るべきか、又、その人々の命は犠牲にしても、取挫ぐべきものは拉ぐべきか。
 相手が支那で、とにかく一つの政治機関が責任を負う感があるが、左様な制度的カムフラージなく、人と人とをむき出し、相向いさせて考えたら、胸のつぶれる事だ。
             ◎
 支那政府も、憐れだ。土匪の条件を入れて外人を助けてもあまりよいことはない。
 一、外交団はセルフガードを主張しよう。
 二、それが口実となり易い。
 三、土匪は、只さえシステムのない正規軍に加り、更にいよいよ支那軍隊の名声を落すだろう。
 四、何かであばれ、結局外国で圧せられることになり易い。
 ラフィヨフの云う如く、日本が暗に示唆したこととすれば言語道断だ。それほど陰険なのか。自分で悪人の本性を出さず、臆病にかげに廻って糸を引くところ、事より根性が可恐くなり、今に見て居れ、と云う声が天から来るように感じる。
 そんな日本人の片破かたわれに生れたかと思うと情けない。どうぞそんな根性だけは自分の裡にないように。
          ――○――
 人間が或程度まで、ウェル・ブレッドであることは実に大切だと思う。所謂、貴族主義の上品さではなく、率直で、物解りがよく、感情の重さ、強さのあるのは、きっと、よい育ちと共通な性質を持って居る。万人がよい育ちの人とならなければいけない。
 貧しさとか、地位の低さそれ自身は何でもないことと云えるが、貧しさ、地位の低さが、同時に人間の頭を暗くし、情操を乾かし、半分の生存とするなら、それは世の中の何よりの罪だ。貧しき人のみの罪でなくその時の社会全般の罪だ。
 此点だけ強めて行っても、人間を堕落させる富の過多と、人間を育てない貧の過多が、必ず、天道によって如何うにかされなければならないものであるのは明かだ。
          ――○――
 一夫やAを見、そう思う。心にぽっくりした点がなく、何の為に生きて居るか、半ば恐れ、悲しむ感を得る。育って来るうち、余り、食う為にせかつき、その意識から、はなれず生きて来た為、そのような境遇から脱して、充分、行く道を考え、少しは芸術的、人間的情緒に揺られるべき時になっても、安心してその力に安じきらず、自分を閉じ、矢張り、せくせくと、見えない何かに追われつづけて居る。
 仕事が充分の基礎と、道とによって支えられて居ても、それを愉しむことが出来ず、目を遠く大きなスケールで動かさない。学術的直覚などと云うものがまるで無くなるのではないか。

   掌
 小雨薄光る昼
 私は深き椅子にもたれて
 我が掌を眺める。
 心は ほのかな憂鬱にいぶされ
 外景も打湿って見ゆれば
 日頃 顧みぬわが左手の掌を
 まじまじと 瞳にささげ眺める。
 分厚く、薄桃色に
 肥脂をこめた不思議な生物の掌
 むっくりとした指のつけね
 ほそやかな指先
 小高い周囲の膨らがりは
 夢を胎む淡紅色の丘のように
 うち白み 凹んだ なかほど
 ひそやかに廻る血行にときめき
 あでやかな紫糸の静脈は
 悦び悲しみに 微妙なその色調を更える。
 それにしても
 かの淡紅の丘をよぎり
 このほの白き野をこえて
 縦横に貫き
 八方に入り乱れる
 表徴の肉線は 何の謂だろう。
 打ちながめ、私の心は震える。
 自らの知らぬ運命と宿業のかずかずが
 此線に潜み 彼の条に顕れて
 煩瑣な日常の底を流れるのを知って居るから。

 ああ、神秘なわが掌よ
 私はお前を
 黒髪の下わが耳朶に押あてる
 いそぎ
 ほそやかにも声に立てて
 私に、私の運命を語れ、
 私の定業を告げよ
 奇異な箇の生命は
 尨大な宇宙の裡に浮遊し
 異る箇と折衝し
 時に明察を失って 心 狂うではないか
 掌よ、いそげ
 我が耳に わが命の道を告げて
 世の終焉に準備させよ
 我心は、鈍重なれども
 その時の迫り、星のちたのを見たのだ。

 ああ、我に属し
 而も その認識を超えた
 わたくしの掌
 よくぞ恐れなく
 淡紅の肌膚はだえ ふくよかであることだ!
                  五、二十二

 故知らぬ 憂愁が心を喰み
 わたくしは 涙するようだ。
 何卒、わが生命に価値あらせ給え
 なにとぞ わが日常に悦びあらせ給え

 わが憐れなる情意は
 あやしくも 一人の男子に捕われ 今や
 飛翔しようと苦しくも羽搏く。羽搏けども
 執(ママ)は絶ち難く
 又も地に据えられ
 恥多き売物のように
 無窮な時の前に並べられる
 時は 醜をきらい 陋をさげすむ主だ
 大らかな歩程をゆるめもせず 顧みもせず
 眼を瞠るわが前を、過る。過て仕舞う。

 そびらを向け 遠ざかり行く姿に眼ですがり
 わが流す涙が
 何で彼に痛痒を与えよう
 全世界は 美に充ち輝きに満ち
 哀れなわが弱心一つ
 路傍に腐り果てようとも
 宝庫が貧しくなる憂はない。

 ああ、生れ出た甲斐には
 今一度、少年の日の歓喜を恵み給え。
 今一度 かの日の熱望と光明とを
 わが心窩の壇上にとぼし給え

 傲り驕った望みと云わば云え
 今こそ繩縛の身であっても
 わたくしは
 一燈の聖火を
 芸術の祭壇に捧げずには
 わが命を終るまい所存なのだ

 憂鬱に心を閉されるのを感じ、私は一日椅子によって種々な書籍を漁った。日頃愛好する詩集や、昆虫の生活を書いたもの、古風な物語集の類まで。
 中に一つ忘れられない話があった。ことの由は斯うである。
 昔、あるところに一人の偸盗が入った。あるじが怪しい気勢で目を醒し、出て行く処を討止めて呉れようと、物陰に隠れて待ち伏せた。
 障子の破れ目から覗いて居ると、盗人は、あちらこちらから物を少許ずつ取っては、持って来た袋に入れて居る。慾にかけ、あらいざらいを掻きさらう風にも見えない。やがて、ほんの僅かの物を取りためると、出て行こうとしたが、棚の上に、鉢に灰を入れて置いたのを見ると、その盗人は何と思ったのか、掴み食った後、今迄、袋にとり入れた物を、皆元の場所に置いて立出た。待ち伏せて居た主は、兎も角からめ捕りはしたが、如何にも盗人の振舞いが解せない。よくよく事情を尋ねて見ると、彼は斯う答えた。
「私は、始めから盗心があって斯様なことを仕たのではありません。この両三日、まるで食うものが絶え、何ともひだるくて堪らないので、始めて思いつき、お宅に入ったのです。
 すると、あの棚に、麦粉らしいものがのって居ります。もの欲しいままに、掴み食いはしましたが、餓えた口が、少しずつ味をわきまえるようになると、始めてそれが灰であったと判り、流石に私もあとはたべずにやめました。
 食物たべものでないものをたべたのですが、これが腹に入ったら、不思議に、がつがつした心持はやみました。思えば、此程の飢に、何も食べられなかったからこそ非道な心持になったので、灰を食べても雑作なくなおって仕舞ったわいと感じ、取った物も、元の通り戻したのです」
 主は、哀れにも、不思議にも感じ、かたの如く施物などを与えて、帰してやった。そして、後々にも、それほど途方に暮れた時には、憚らず来て云えと云って、常に安否を問ねてやった、と云う

 主の心も美しいが、世に此盗人ほど清らかな魂を持った者が幾人居るだろう。わたくしども、紛々たる論議に、幼児の聖純を失った俗輩は、深く打れるところがある。

 自分の生活の基調は、非常に感性的傾向を持って居る。野上さんのは理性だ。故に、実生活の細目に対する心持が異う。彼女は、カントの通り、日々の生活は出来る丈単純に、而も頭の裡は出来る丈豊饒に暮したいと言明し、夜は七時すぎに眠り、朝は四時半に起床、午後四時頃まで、一度の談笑もなしですごす。それを単調と感じず、苦しいと思わない。何故なら、左様面白い話がいつも有るものではないのは判って居るし、如何うせ、下らないと云うことがすっかり判って居るから。好奇心に負けると云うことがないのである。社会の習慣制度の改善と云うことに就ても、彼女には光り輝き、然し実現は出来ないと云う夢想に追い出されることはないのだ。一家族の力などが、全社会に及ぼし得る力量をちゃんと知り、結局効果のない努力で一生を無にするよりは、学問なら学問の研究で、おのずから、四周まわりの改善の来る時を待とうと云う意識がある。一方から見、退嬰的と云われるのは主として此点にある。
 此に反し、自分は、本能の直覚で押し通す。幸福に充実して生活したいと云う激しい人間的欲求が、四周の事物に障害される感じに堪えず、何処までもそれを打ち破って自己の要求するものを掴得せずには置かないと云う熱情がある。それ故、活動の動機が箇性的で、或場合、野上さんと同一物に同様の見解を抱くとしても、彼女の普遍的観察の後に来るリーゾニングに依拠したものとは、性質に於て全然違って来る。
 幸、私の裡に、普遍的傾向、包括的統一に対する好愛が著しく存在して居る為、全生存が只自己目前の利害と云う一点にのみは支配されない。常に自分の場合(ケース)では、或ものを要求するにも、客観的に其は人間が必要とするものと云う知識を得て後、要望を感じるのではなく、どうしても欲しい、なくてはならない心持がする、と云う衝動が先ず自覚される。その自覚を反省、吟味して居るうちに価値の選択が生じ、同時にそれが普遍的必然性を持つならその点も明かになって来ると、云う訳である。

 自分の頭には、何とも云えず淋しい、悲しい心持が一杯になった。魂や肉体や、持って生れた本能のあらゆるものが満されず、従って、溌溂とした流動もせず、内攻した不調和が、重い、絶望的な気分の雲となって頭にこみ上げて来るのだ。
 苦しい石になったように、思惟は動かない。気分が転換する微光も、胸には感じられない。只、あらゆる力で、生活を根底から遣りなおし度い衝動を覚えるばかりだ。
 四方八方から、内外に迫る不調和の感じ、的のない憤り、生活力が適当なはけ口を見出せないで黒煙を吐く心持。
 私共の間には、殆ど気分の一致と云うものがない。思想的に、積極と消極と大きな隔を持って居る上、一日の中を満す心持に、密接な連絡がない。
 彼は、私の苦しい心持などは察しようともせず、感じても忙しい、ひまがないと云って、疎通をはからない。襖をしめてたてこもり、私を一層苦しくさせる、気勢・足音、せき払の音ばかりで刺戟するのだ。
 彼が居なければ、私の苦痛はないと同時に、此ほど彼に捕われて焦燥あせる未練さもない。
 彼が戻ると、生活の習慣は私に微かな期待と、浅間しい媚とを持たせ、笑顔を作らせる。それが裏切られ、一層内的に蓄積し悪化して行く状態。
 静かに考えて見ると、私も彼も現代人らしい不真面を(ママ)持って居るのだ。――夫婦なら、夫婦らしく、互の肉体的な慾望も正面から認め、同時にその結果をも――あるのなら――受けて行くべきであろう。
 それだのに、私共は最初、互の精神的結合を非常に強調しすぎた。それを第一義、仕事を第一義に置きすぎた。今それが、口実とされる。Aは、仕事がいそがしいと云う。私は云うべき言葉を持たない。而も、彼と自分との精神的連絡と云うものは、第三流以下に属する。彼の実際的生活上の哲学は、自分の燃える心と同じ強さ、慾・徳なしには行かない。即ち、彼の仕事を思って、そこに光明を感じられないほど、感じられなく成った程、彼の所謂「仕事」は機械的であり、会社員的である。安心の出来る丈人生に深い連関を持った直覚がない。事務家が、社会的出世の為、勤勉を抜んでると全く同じである。
 彼が英国に行きたいと云うのも箔をつけたい心持からだ。何処に、見ない世界を憧れる若々しい熱意がある。ペルシア行にしてもそうだ。
 自分が、自分と云うものの真実を見きわめず、或思想によって自己と云うものを仮装させて、結婚したのは、大なる大なる誤謬であった。
 彼の為に、自分を捨て切れず、又自己の為に截然彼をすてかねる。不徹底。
 彼も、決して、自己を捨てる性格ではない。それだのに私の為に、命がけでもと云う。ここに間違いと無理がある。
 仕事、仕事とかつぎ廻って、それを口実に、苦しい二人の人間を貫く性格的な不調和を糊塗しようとする。これは、真剣にとりあつかわれるべきことだ。
 それを、自分の感傷的傾向が決心しない。彼の暗い頭が、二人を4/10にして居る恐ろしさをちゃんと見ない。それで許し、寛容と云うようなことで、一区切、一区切をすます。
 根からこの天の許さない曖昧がとりのぞかれないうち、私の、彼の心は安住し得ないのであろう。
 彼は、性格の意地強さの一面、人道主義、犠牲、友愛、精神の力の強さ美を誇張するキリスト教の雰囲気で育ち、自己のしんのゆずらなさを見ず、そう云う後天的思想で生活をインタープレートしようとする。
 自分は、生れつきの臆病と善良さと両方から持つ小さい他愛主義、その感傷が人道主義的徳義空想であおられた誇張がある。結局自分は自分のよしとする生活でなくては安じられない。あり来りの妻としてよい生活をして居ると云う気休めは一時の役にほか立たない。
 今、自分はよしと此生活に安じることは出来ない。Aの狭い活力のない範囲に納められて居る為。それから自由になり、林町の古さから自由になるには、考えた通り、自由学園でも教えるのが最上の道であると思う。

 ○これ等を考え乍ら、自分は、この緊迫した苦しい頭を生理的にも変化させる為、音楽をききたいなと思った。林町から借りた Victor の一号と云う蓋なしの小さい蓄音器がある。四十分も身を沈めて音楽をきくと、耳から次第に内へ気分はほごれる。律動で頭のかたまりがほごれ、次第に微風に押される雲のように心が動き出す。けれどもAが勉強して居るのでこれも出来ない。
 自分は本をもって読み出した。少しも文字が切実に来ない。
 自分は、肉体的に、頭から、コチコチになり段々小さく小さく体中、全存在が収縮して行くように感じた。
 手で触れて見ると、真個に額などは、妙に肉が分厚になり、狭く低くなったようにさえ感じる。

 自分の苦しさを細かく解剖して見る。理屈は抜き、生活に対する生々した要求の程度が自分とAと、著しく違うことに、根本の源因の一を置いて居る。
 四時迄、私も相当につめて何かして居る。
 Aが、帰る。自分は知らず知らず彼とともに心から愉快な変化、笑、お喋り、心の変った弾みの来ることを、期待する。
 が、彼は、くつろぐことを知らない。暇があれば、花でもながめ音楽でも聞いて、一時間ゆっくりすることを知らない。すぐ机に向うか、大工をやる。此で、一つ、私の心は重くなる。
 夕食後にしてもそうだ。彼は私の要求する気分の変化、活溌さなどは求めないのだろう。従って、心から望まないものを装う必要はないと云うことから、努める心持はない。自分がたまにそうだと、私を一人で外に出すことも好まないくせに。
 楽しく、活々と気分を持って生活すべきであると云うことよりも、人生を変に悲劇化して、学問や努力は、宛然さながら光なきもののように、心の得度をきめるのではないだろうか。
 彼が独善的で友を求めないこと、友と云えば、只教師としその同輩と云う一時的の事務関係にすぎないのもそうではないか。
 片町に居た頃、私が苦しい寂寥と孤独に耐えかねる心持で激しく泣いたのは、この、日常の苦るしい弾みなさに食われたのだ。

 Aにかまわず、私は私で楽しめばよい。或人は斯う云う。然し、楽しんだ後、冷やかな、離反し疎隔した感の漲る人の許に戻るのは、一日の悦びを、三日の不快悲しさにすることではないか。
 遂に、引籠る。心は一層暗くなる。彼に対する自分の批評は、それにつれて峻厳しゅんげんになる。何か、自己擁護的な本能の力で、そうなるようにさえ見える。
 それを、自分から浅間しく思う。然し、此感じの幾度繰返しても消滅しない程、自分は生活を光輝あるものにしたい慾求が激しいのだろう。若しAが、一日に二時間、家庭の為に、全部の自己と云うものを和楽のうちに投げ出す人であったら、私の家庭生活に対する愛は、些か傷も負わずに育てられるに違いない。
 斯う云う心持も、或は、自分に独立的な実力がないからとも思う。私が月百円をとるものと仮定する。私が或負担をして、もっと広い家を持ち、Aの邪魔をする気兼ねなしに友達とも会え、音楽も出来るようにすると考える。Aは、それを共に悦ぶか。自分の仕たいことで自分で出来ることなら、何でも仕たらいいでしょう。始めから自由なのだから、と云う。あるこだわりが出来る。結局、私は、やはり同じ不愉、生活を、急処でピンされて居ることを感じる。
 自分が真に、自分の意慾で生活しないなら、独立的実力を示せ。そして、Aから離れよ。どうも此ほか、生きる道はなく思う。
 どうでもいいと思ってこわれるのではなく(少くとも自分の心持は)どうにかして、二人で生きて行くことを悦びあらしめたいと希い乍ら、一致し得ず、一方から云えば真心も通ぜず、争いの形をとって、別れることは、自分に実に悲しい。
 Aは、若し自分の裡にある、宿根草のような狭い自分勝手さ、自己中心を反省する自覚がなければ、一生孤独で終るだろう。
 私が「私の心持」を持ち出すのは、彼に向って要求する「二人一緒に」の心持が拒まれ、歪められてからのことだ。

 私が、自分の意欲で生活を作造しなければ安ぜられない人間であるのは、彼の為にも気の毒であった。はっきり自分がそれを見抜かず、甘い人道主義の感傷で、彼の性格をリモーデルし得るなどと思ったのは大きな、誤であった。人間の見方が浅かったのだ。

 自分が離れようとすると、Aはやっきになる。愛の言葉を繰返す。
 失おうとして、その尊さを覚えるのか、又は、失くしては惜しい、古着をため、古手紙をためて置くに類するしわさからか。

 Aが、私が断然たる所置をとったら、どうするか。彼は、すべての仕事をすてて仕舞う。と云う。
 その言葉は、私を深く考えさせる。驚かされる。その一事のためにばかり私は、幾度も決行しかねたのであった。
 然し、
 若し、彼が、云う如く私に命がけで愛を感じて居るとしたら、もう少しは私の中心要求と云うものが感じられ、私も彼に万事を許せる寛容さを、直覚し、相流通する筈だ。
 そんなことはない。
 毎日彼は幾度仕事仕事と云うか
 而も、その仕事を、私と離れたことですて得るとしたら、仕事も亦、彼の生命を代表するものではない。どこかに、自分の生命を集注しずには居られないほど強い生命、生活力を持たないと云うことになるのではないだろうか。
 憐れな人と感じる。而も憐れと感じ切れない我意、が強く彼を占めて居る。

 私は、地平線に、静かに盛上って来る暗黒の一点を見守って居るようだ。
 夏、烈しい日が照り、草いきれがし、風もない。静かに湧出して来た黒雲は、烈しい雷雨をしらせる。雲が日を覆いつくす迄、羽虫は、羽根の音をせわしく、彼方此方を飛び廻れるだろう。
             ○
「貧しき人々の群」を書いた後、自分は偶像的に、母、父に愛敬された。恐ろしい天才か何かのように買いかぶられ、世の中の人々に対して、私を特に引き立て守り示す態度があった。
 それを自分は感謝しもすると同時に、苦しく感じた。丁度、見せものの花形のように、人気や、見栄やで、窮屈に自分の生活を縛られて居る感じがした。その意識は、次第に強くなった。同時に反動的な性質を帯びた。
 無理やり妙な高い処へ上げられて、さらされて、注目されて居るに堪えないで、隙があったら、一散に、地面の上まで飛び下りたい。人々に混って、往来を歩いて見たい――注目されることなどはまるでない平の人間になり度い衝動が非常に強くなったのであった。
 其処へ、Aが現れた。自分は、感情的に、人間の不完全さ、相互的な至らなさを強調して承認した傾向があった。
 此時、経験出来る丈のことをして置かなければ、自分は一生、母の大望の偶像になって居るのみで、終らなければならないだろう。自分が世間並に結婚するなどと云うことは如何うせ母を悦ばせはしない。許しを乞えば許されないに定って居よう。そんな憐れな心持から、自分は、極度に自分をすててしまったのであった。
 母の好意、愛、よき意味の大望を、自分は、祭りあげられ過る苦しさから、皆日陰の意味にとってしまった。
 此処に明かに私の精神の弱さがある。そんなことに拘泥しないで、ちゃんと魂の真個の有場所を見つめて居る丈の力がなかった。だから、上り下りした。下った時、自分は、人間として、自分が持って生れた何ものかで永い時間には辛棒して居られなくなる低み迄、飛び下りてしまったのであった。
             ○
 鎌倉へ行こうとする時、自分は、丁度、豊島さんの「野晒し」をよんで居た。主人公の恐ろしい心持が自分の苦しさを照り返すようで、手先がつめたくなり体が震えた。
             ○
 四月十九日。鎌倉から帰って僅か十五日位にしかならない。もう自分には、苦しさが、決断すべきものが目前にあるのに、それをしない苦しさが満ちて来る。仕事も手につかない。
 言葉に現してAに怒るとか、すねるとか、その域を通り越した大決意を予測させる苦しさなのだ。
 もう自分の心持は二つに一つをとらなければ落付けない。
 苦しさが日夜のものになった。
             ○
 眠っても何か夢を見つづける。半睡半醒の間で、自分が嘗てしたことのない歯ぎしりをするのを、ぼんやり感じることさえある。
 朝、やはり昨夜の苦しい心持を持ったまま眼を覚し、同じ部屋、又同じ一日の朝に自分を見出したのを驚く心持がある。

 どちらの道を採るにしろ、自分は、後に悔を残したくない。あー、あの時ああ遣るのではなかったと思う心持を残したくない。
 どっち道、一生を、自分の心にある恥、悔、又は贖罪と云うような陰性の力で鼓舞されたくない。Aに従い、只義務を尽して居ると云う自認、Aを立てて居てやるのだと云う不純な焔を、裡に持って居たくない。それかと云って、熟考せずに別れ、Aの為の済まなさに心を焼かれるようなことがあってはならない。
 完全な協力が行われればそれに越したことはない。然し私共の間には、それを期待することは出来ない。Aは、私の為と云い乍ら自分の意志を遂行する力を持って居るから。私は主張はする。が実行になると彼に譲って仕舞う。

 子供を生まない夫婦は、あらゆる意味に於てむずかし。
一、とにかく自分達で世話をしなければ死んで仕舞うと云う哀れな、弱い、愛らしいものは持たない。
二、故に、互が互を見る。性交と云うことその他に根本的な疑問が生じる。ぼやかされる子供が居ないから。此時期、二人が真個に人としてよい結合――性的自堕落にもならず、冷淡な利己主義者とならず、心の友、自然な陰陽の一対として、浄く結びつくこと――が出来るか出来ないかの別れ道となる。
三、男は野心的な仕事熱中病につかれる。女は、家の暖さにかつえて、肝心の仕事さえ手につかなくなる――仮令子は生めず、仕事はあっても、女には少くとも自分の心には、家の輝やかしさ、明るさ、歓びに、無限の渇望を持って居る。男は、それをすっかり二義的に出来る傾向がある。女には、第一義的なものの一部分、或時は力の源になることさえある。
◎ 自然の力は大きい。嘘がつき通せるものではない。
◎ この人と自分との子なら、と云う希望の持てない者と結婚をするな。一時は糊塗出来ても一生は続かない。
  始めそう思って結婚したのに子供が生れないならよし。斯う云う欠点があっては子供に希望を持てないと云う一点があったら、恋情がほだされても結婚はするな。
  さっぱり、互の肉体を見ない友人はよし。
  すっかり一団になり切った結婚者はよし。
  中途半端は何より悪い。
◎ Aは、又友達になり、互に仕事の話に歓びを感じる生活を、始める心持はないか。
◎ 右のような考は、自由を得、而も外面に波瀾を見せない為に考える卑劣な遁路だろうか?
  そうではない。
  私の心には、真にAと平和に、良心的に、リーゾナブルに生活して行きたい望が燃え切って居る。それをするに、Aの万事を立て通すことはわが心が許さない。ではない。一点私心のない何ものかがそれをよみしない恥かしさ、苦しさ、を覚えるのだ。
◎ Aは、ものを、整然と考えることは出来ない人だ。
  感情の末梢が反抗的に反応するように発達して居る。逆し易い。裏路を向いて走り易い。
◎ 彼は、私が今のように疑問に行つまり、生活を煩悶して居るなら、一寸の旅行で、遠のき小康を得ても駄目だから、別れようと云う。別れ、彼が今までの生活によって得たものを潜精力として一層自己の道を進んで呉れるなら、自分は悦んで別れを告げよう。然し、彼は、学校も啓明会もやめて仕舞おうと云う。自分にはこれが苦痛だ。些も彼の道を阻(ママ)みたくはない。
◎ Aも、自分で意識して私の道のさまたげとなろうとは思って居ない。よくしてやり度い。安心がさせたい。その心は有難く思う。が、一つ私に何よりその道となるもの=僕のよいと思う方法によって=。
◎ Aがやめて国にかえり、兄の脛かじりとなる――独立的生活をすてる――私はいやでも考えざるを得ない。
◎ 然し、此、お前のおかげ――云いかえればお前の為――を理由として堕落(或意味の)に安ぜられ、よし、とすれば、公平に見、Aは、それと違った種類の、同程度の無反省にも平然として居られると云うことになるのではないか。
  そうだとすれば、私共の生活が、私に堪らないほど不自然なものとなっても、彼は堪えられる、と云うことになる。
◎ Aの堪える、自覚した美徳は、却って彼の悪徳となり、ひとと自分を窒息させる。
  堕落に堪え得る! 無感覚と色わけが出来ないでは大変ではないか。
◎ 私が別れて見る。田舎の兄にも気の毒だから、と云う口実で、彼はやはり同じ、或は少し位異っただけの生活を持続するのではないか。
◎ 何故なら、私が彼の仕事の発育を希うことは彼も知って居る。マンリーの人なら、二人でさっぱりし、又、どんどん互にやろうと云うだろう。Aはねじくれ、そうは云わず。何でもすてる、と云う。愛するのも、自分が満足しなければ、自己を通さなければ、まるで手を引くと云う独〔後欠〕

六月三日

(日曜)晴
 午前中、A、オムア・ハヤムの清書。自分は、新らしい『ニューヨークタイムス』を見たり、チェックの小説を一つほどよむ。珍らしく女流作家の、バルバラと云う短篇。体の大きな働きものの召使女と、人からは気の弱い半人前(体まで)と云われる男(やはり貧乏で百姓に使われて居る)との殆ど神秘的なほどの恋を書いたもの。少し、月なみの終結になり、あまり深い心理描写がないのは、あまい。やはり女特有のやさしさなどを狙って居るのか。但、景色を書いたところなどに如何にもその地方らしい面白いところはある。
 キプリングの「ジャングルブック」はよし。なのに White seal などと云うのは、或涙が湧くほどだ。子供のよみものには上々ならん。
 午後、丸善にゆき、Aのホワイトシャツ、一つ、自分のスリッパー一足、あと本を見、夕、Miss Wells のところ、夜、「江戸から東京へ」。を一寸よむ。なかなか面白い。話のたねになる。林町の母上などのよろこばれそうなものだ。

六月四日

(月曜)晴
 A、啓明会で買った本が此方に大部たまり、若し火事でもあると困ると大学に運ぶ。
 今日から、宮原氏を通してたのまれた、新聞への小説に着手、去年十一月頃始めて中止したスーラーブの伝説、「ふるき小画ミニエチュア」と云う題。頭がしまりうれし。いろいろ書きかたを考えて居るうち、自分もやっと、伝説的に書くか、主人公の心理描写を主として、現実的に書くか、と云うようなことを考えられるようになったことだと、感じる。先「日は輝けり」を書いた時分の無茶を考えると驚く。作の態度にも不純なところがあったに驚く。ひどく云えば、無茶で不純で、傍の見る目もおそろしい、と思われたのも無理なし。
 野上さんから、先日の手紙に対し、実に親切な、返事を送られた。うれし。うれし。実に、母などに知られない理解がある。実に彼女を友人に持つことの出来たありがたさ。
             ◎
 昨夜、犬が自動車にかれ、妙に前にのめり乍ら、鳴き乍ら、人道の方に逃げて来るのを、半町ほどの距離で見、眼がまわるほど哀れに感じた。Aが見、前脚がすっかり折れてしまって居たと云う。あわれ、あわれ、死ぬまでああやって鳴き苦しむのかと思ったら、ブダが人間の笞に打れて、その救いの道を見出そうとした動機の万分の一が直感された。私に、あの憐れさで一生自動車にのらない発心が出来ようか。

六月五日

(火曜)晴
 軽らかな冷風が流れ、快よい朝。きのうの晩九時頃、才の編物教師のところで会ったと云う陸軍大学生の妻、明日離婚し、九州大分の国にかえる、再び上京して昼働き乍ら夜勉強するとき口を心配して呉れと、初めて来る。眉の濃い、九州地方特有の顔つきをした女の人が、ひどい悲しみをぐっと堪え、蒼ざめ、而も容儀を崩さないで居るのを見たとき、自分の心も千仞せんじんの谷底にとび降りたような心持になった。良人が陸軍の大尉になろうとして居、名誉職としてほこり、妻の国元から金を送らせ、それを滞らせたから、とか何か、感情上の行違いが基で、破綻になったらしい。見ず知らずの者のところへ行末の相談に来る心を考えると、あわれなり、何だか、ひどく不幸で自殺でもしてしまいはしないかと思われる相貌であった。

六月六日

(水曜)晴〔予記〕Mr. & Mrs. Perrce を横浜へ送ること。夜、帝劇を見ること。(玄文社の用)
 横浜に行くのはやめ。A一人でゆく。彼のすることは何でも、自分の気がすむように、と云うところまでゆかない。先方が此だけしたのに対し、自分は此だけしたのだから充分だ、と云う考え。友達に対し、ほんとうに集って時を忘れ話したいと云うような愛がなく皆或境界線を作って居るから、しんの親友と云うものはないのだ。A、学校から持って来た賀川春子氏の女中、女工生活記をよむ。あれ丈、いやみなく、率直に書いてあるのは、彼女の信仰の力によって来るものか、つまらない小説家などのものよりずっと純粋で心持よく読めた。境遇でそう云う生活はしても、敏感なところがあったのだと思う。夜帝劇、古田中さんの夫人に会う、かえりの電車の中で、本野未亡人に会う。二三日なかなかあつく単衣で汗をしぼるほど。

六月七日

(木曜)晴
 ○動物の生活には、人間の常識で考えられないことが多くある。今朝、才が、一匹金魚を、大きな二匹でしきりに追い廻して居るのに心づき多分病気なのを労って泳がせようとして居るのかと思ったら、そうでなく、いじめ、只さえ弱ったのを瀕死にしたと。この間、犬が自動車に轢かれた時往来を歩いて居た犬が二匹、カヮンカヮン鳴き乍ら倒れた犬をかむようにした。どう云うものか、
 武藤泰子さんから来信、妙に抱き込んだような調子で、段々私が好きになって来た、手古摺てこずるほど行くかもしれない、などと云って来る。あわれ。友情の大切な謙抑などと云うことを彼女は考えず、空虚な胸を、ぐっともたせかけて来ようとするのか。そう云うところが彼女の所謂「失敗」の原因であろう。少し自惚うぬぼれがつよすぎるか。一人も打ちあける者もなければこれも無理はない。

六月八日

(金曜)晴〔予記〕野上さんのところへ十時頃迄に行くこと。
 パリで自動車衝突の為死去された北白川宮成久王の御葬儀の為、A学校は休み。却って朝おそくなり急いで電車を間違えたりしたので、野上さんのところへ行ったのは十一時すぎて居た。上野行で須田町で乗かえるのが一番速いらしい。いろいろ仕事の話、あとでは野上臼川氏[#野上豊一郎]も出て来られての雑談。夫妻とも実に学者的であるのに興深く感じた。彌生子さんは「澄子」の続きを少し持てあましで、一枚書くのに一日つぶし、胸がわるくなるほど疲れると云う。彼女のひどい近眼が一層頭にわるいのだろうと思い、不安を覚えた。ああやって放っておいて大丈夫なのか、段々疲労が頭まで犯しはしないか。能の話、翻訳についての話。夏目先生のところの木曜会の話、五時すぎ林町に行く。雨がふり始めた。

六月九日

(土曜)雨
 林町に泊る。昨夕迄、スエ子、ゼンソクを起し、母上二晩も眠られなかった為、大瀧叔父上の博士になったお祝は、今日ある筈のところをおやめになった。
 スエ子の相手をしたり国男さんと、Duet の練習をしたりして七時頃俥でかえる。母上は夜、父を誘って東洋キネマに行かれる。俥夫が一人やめ母上達の迎えの時間に間に合わせる為、私が少し早く帰らなければならなくなったら、斯那ことを云われた。
「折角楽しみにして来て留守番をして貰うのもお気の毒だから、私居てお前行ったらいいだろう?」「どうして? ちっともかまわないことよ、そんなに楽しみにして居た訳でもないし」母「私もね、あした清が温泉へ行ってしまうと当分又」私「そうよ。だから、行っていらっしゃい」私は部屋を出た。ああ云う云い方は、いけない。如何にも年をとった女らしい、複雑さが出たと情なく感じた。

六月十日

(日曜)晴後雨
 才の妹てる、田舎の生活に不満で再度上京した。気の強い、生活力の豊かな女の子だから、田舎の気がねの多い沈滞した生活気分に堪えないのだ。東京のよい圏境が与えられれば、進取的なよい女性の一人であろうのに、田舎から来ては女中ほか出来ない為、とげられるだけの発達をし得ない。惜しいことだ。
 カントの「実践理性批判」の序にある伝をよみ、彼の哲学が如何ほど箇性と密接な関係を有するかを感じ、彼の哲学追従者が、彼と、自己との箇性的差異をどこまで考えるかと云う疑問に打れた。哲学と云ってもつまり或独特な箇の上から、過去の認識を素材とし、独特のその人の火を導として立つべき焔なのだ。実に、抽象的な学であって、而して同時に箇性的な創造であると思う。一見如何に普遍的な論理の排列のようでも、徒に、体系の異動で、如何ともしがたい各人の価値の世界があるのだ。
 野上さんが、(臼川氏)哲学はプラトーで、文学はギリシア悲劇で、他は皆それのインタープレテーションだと云われた。それもその言葉だけをきけば真だ。けれども知識、芸術を愛するものは、そのインタープレテーションの種々相にあらわれる箇性の栄光を認め、愛し、美に打れずには居られない。

六月十一日

(月曜)曇
 ○『新演芸』に、劇評を送る。
 となりの建築がやかましくもう少しで悲観したくなる位だ。あれでも人間は主我的で若し自分の家を建てて居るのだったらあれ程いやにうるさがりはしまいと思い、空想を描き自分の家が建つものとして、肝癪をしずめる。頭つかれを覚ゆ。
 自分は癖であれの前夜は眠れないことが多い。今日も昨夜が不眠であった為、一層疲れるのだ。
 それでも近頃はそのことについて平気になったので頭の影響少なし。
 結婚して間もない女性が、あれに対する心持、深い、女ほか知らない感情を思う。

六月十二日

(火曜)曇
 隣の職人は、八時頃から仕事を始めるらしい。四時すぎに起きて、それまで三四時間仕事をしたいものと思い、昨夜九時前に眠り、それでもおくれ七時すぎに目をさました。机に向って居ると、林町から電話で相談したいことがあると云う。国男さんが過日来、肋膜の工合がわるいらしいと云うのでそのことと想像し行った。母上は、春江ちゃんの結核がうつったものと心配される。父が、自業自得の病気なのだ、どうにでもなるようになれと云われた、国男が絶望的になりはしまいかと心配し、父と争ったと云われる。為に疲れたのか、少し意地わるで、親切は判るが、如何うハンドルしてよいか判らないと云うような心持がした。夜、九時頃床につこうとして居たら思いがけず京城の今村氏、アメリカに立つと云って来。十二時になった。紀平さんの「認識論」をよむ。「実践理性批判」の前には、「純粋理性批判」がよまれなければならず、その前には、基礎的な二三の哲学的書籍のよまれる必要を感じた、ああ云う書物は仕事(自分の)をするに頭を細かく落つけてよろし。

六月十三日

(水曜)曇
 昨日ラフィヨフ氏来られなかった為、今夜来。才、お菓子を買いにゆくと云うので頭が疲れて居るから、一緒に五丁目迄行った。道路の梧桐が形よく繁り、一丁目の方から五丁目を見渡すと、広い静かな灯かげも多くない道路が弓のように見晴らせ、或感じがあった。
「古きミニエチュア」、やかましいので落筆する気にならず。困る。
「認識論」、少し。李白の詩

六月十四日

(木曜)曇
 夜早く床に入ることは不可能なことだ、さくやも十二時。
 今朝、フト目をさまし思わず耳をそばだて、四辺が案に相異する静けさなので、すっかりうれしくなった。
 六畳の方がよろしいらしい。庭の方と、表の方と、両方にかかって居るから、日によって八畳、六畳とまわり歩くべきなのだろう。『職業婦人』を送って来る。とにかく結構なことと思い、あれは少し寄附もしたい。奥むめお氏も何かしたいと思ってああ云うことを思い立たれたのだろうが女の仕事は、資本が少ないのに団結しないから大きなことが出来ない。何故今の女と云うのは、貧しいものばかりが熱意と正直さとを以て生れて来て居るのか。貧しさで一方から云うと目があけられるのか。何にしても持続させたく、母上からでも少し寄附させようか。一度、帝劇を割愛されれば十五円は送れよう。

六月十五日

(金曜)曇
「スーラーブ」、書き始む。
 昨夜、横浜でケーブル氏が死去された報道を新聞で見た。
 ロシア公使館の一隅で淋しい一生を学問にささげて死んだ彼のこと、並に久保氏のことを思うと、深い劇的な感に打れる。先日野上氏のところで久保さんのことをきいたので、一層その雰囲気がわかり迫って来るものがあるのだろう。
 仕事、
 手をつけ始めだから、例によって苦しく、やっと一枚と少し行く。

六月十六日

(土曜)雨
 二三日前から梅雨に入ったと見え、本式の霖雨りんうが始った。いやだ。然し周囲が静かになり、大工の音も少しはやわらげられるのは嬉しい。
「スーラーブ」。久しく書かなかった為、な(ママ)むずかし。ばつと思う。
 午後から丸善にゆき、エジプトの話、物語(パピリから訳した。)集を買って来た。バッジの Egyptian literature の中にあると同一のものもあり。

六月十七日

(日曜)雨
「スーラーブ」やっと、一回出来、よんで見れば奇もなくこれであんなにうなったのかと思われる。
 一夫来、又此処にも一つのプロフェッショナル教師が出来るのかと云う感、
 動植物を専攻し乍ら、自然に親しむ人間のうまみが何処にもなく、研究と自己がまるで切はなされて居る。
 自分が少しでも金がほしくてしたことは、皆工合がわるく行って居るのを知り深くさとるところあり、例えば『新潮』の方の一、童話(『女性改造』)一、等。今度もこんな気を出したら又駄目になるとおそれ、つつしむ。よい教訓なり。

六月十八日

(月曜)曇
「スーラーブ」。まだ一にかかって居る。何だかすらりと自分の調子にならず、どこか、堅苦しい、うまくしようとしてならないような不調和を感じる。
 それに、題材が、現実的でない為、具体的にし難いと云う欠点がある。僅かの点だが、モデルがないと云うことだ。
 書き易さの点から云うと、自分の周囲で、自分ではない者が一番よい。
 午後から二人で林町に行く。幾月ぶりのことか、半年位になるだろう。十一時迄居る。国男さんが肋膜から水をとったと云う。母上、女中の居ないことや何かでヒステリックになり、バシバシ国男に云い気の毒に感じた。

六月十九日

(火曜)曇
「スーラーブ」。やっと一がとにかくまとまった。書いて居て額がかきたいように感じては決してよいものは出来ないと思う。心ひろく、体ゆたかに、ゆっくり心から、糸を繰出すようにして行かなければいけない。頭と筆との連絡より、筆と心がしっくりすることが大切である。暫く小説を書かないと、そのいきがうまく行かず、心と筆、気分と文字が生硬にはなればなれになろうとする。
 大切、大切。
 又、自分の所得税のことで、告知書が来た。A、その為いろいろ面倒を見てくれる。先方の云い分は創作などをする人は正確な帳簿などはつけて居ないからと先の見積りを強いるらしい。彼が細かくつけておいてくれたのは幸。
 ラフィヨフ、梅雨で体の工合わるく来られないと云う。無理もない。天地がしめりぬき蒼くよどみ、あらゆる薫香や光輝や溌溂のない近頃、ペルシアの砂漠近くから来た人が、その気分だけでも病気になるのは、無理ない。

六月二十日

(水曜)〔予記〕スーラーブ
 小説を書くことと、論文を書くことの違いを非常に悟る。
 小説を書く心持は、心にまるで底がないほど落ち切り、どん底で自在に動かなければならない。よいわるいではなく、よい、わるいと論じ得る根底の心を描くのだ。自分の感じでは棚がなく、泉のような感。
 論文では、或地盤の上に、材料を、配列させ、その間を頭で、連絡させ、比較し、或ディシジョンを下す。これは底なしではいけない。小説を書くに、論文に用る Brain の力の入用なのは、総体のコンストラクションを定める場合と、深い感情に、適宜な言葉を持って来る場合。
 元、物を書いて居た時、一時に、相当の量が書けたのは、頭のリズムによって、今の自分で考えれば、論文式にやって行ったからだ。
 心持の必然の発展をトレースせず、ある筋を主にたどり、人間の心持はこれに適合させて行く。故に単純で、一から二へうつるのは筋の拡がりのみを意味したのだ。
 自分が、論文を書くことをおそれ、且それ丈で満足出来ないのは、前に云った、論文には、棚がいると云う一点にある。
 自分は、よいわるいを絶した人間の心に打れる。従って、近頃婦人の書く人の一部にはやるように、簡単に、片方にきめられず、彼方此方から見、考え、同感することになる。その間から、人間の、絶えない、ある望み、生活意志、神の美と力とを示して行こうとするのだ。


六月二十一日

(木曜)〔予記〕「スーラーブ」

六月二十二日

(金曜)〔予記〕「スーラーブ」

六月二十三日

(土曜)〔予記〕   〃

六月二十五日

(月曜)
 林町へ来る。やかましくて、仕事が出来ないから。

七月六日

(金曜)
 意外にはかどり、「スーラーブ」九をすっかりすます。

七月七日

(土曜)
 時候が妙に寒くなった故か、腹をこわし、ひどく下痢し、仕事出来ず。

七月八日

(日曜)曇
 起きて食堂に行くと、新聞を見て居た母上が、「有島武郎さんが心中した」と云う。おどろきに打れ、新聞を見、彼が六月下旬に軽井沢の別荘に或婦人と行き、死んで居たのをつい昨日になって発見したと云う。ことを知った。
 感に打れ、自分は云う言葉を知らなかった。彼が「星座」、否、「或女」を書いた頃から作品の上にもあらわれて居た或変化、近頃書けなかったこと、人生と云うものに対する深刻な苦しみ等、余程のことがあったと思い、人間の生活の恐ろしさに圧せられた。考えれば、人間への殉死者であった。臆病さと、胡魔化しとですぎて居る毎日と云うものがつきつめるとどんな恐ろしいことになるか
 昨晩夜中に目をさまし、人間の向上しようとする意志について考えたことを思い合わせ、厳粛な心持に打れた。彼が死んだとは思われない。彼の死が与える影響は深く広い。鴎外先生では、勤勉意志の強さを知らされ、彼によっては、如何程真剣であるべきかを知らされる。彼が四十六歳で、あれ程学識があり、而も死なずに居られなかったことを思うと、人生、人間の心、思うこと深し。
 自分は、どうかして、その深さ迄達することが出来、これ等、人間の故に苦しみ、悦び、そして死ぬ、多くの魂の記録を止めたい。
 芸術の道でどう云う方向を持た(ママ)ろうか、持つべきか、時に思い惑った自分は、はっきりその行く先を知り得たことを思う。善悪を越え、その底に徹し、人間を生き死にさせる心に迄触れたい。

七月十四日

(土曜)〔予記〕「スーラーブ」(十)(十一)の半

七月十五日

(日曜)〔予記〕「スーラーブ」、十一後半、十二

七月十七日

(火曜)◎〔予記〕「スーラーブ」十三、十四、十五、前半

七月十八日

(水曜)〔予記〕「スーラーブ」、十五後半

七月十九日

(木曜)
 今日は珍らしく空が晴れ渡り、夏らしい風景になった。
 遠くの物売の声などの朗らかに聞え、幼い、さほどやかましくない蝉の声がする。ピアノがしめって、まるで音が出ないようになった。暑さで「スーラーブ」前進せず、前の手入れ。

七月三十一日

(火曜)
 福井に来る。
 夜、汽車。例によってよく眠られず。
 箱根越えに、山の墨色の起伏と、チラチラ見える灯かげとに、温泉らしい趣を味う。

八月二日

(木曜)
『新家庭』千葉先生の印象
「弟子の心」
 を送る。

八月十九日

(日曜)
 今日、よき日なり、野上さんのところから、清子さんが二十二日、神戸着と知らせて来た。
『女性日本人』に、秋景を題して二三枚の短文を送る。

八月二十一日

(火曜)
 今年の秋は、不思議に、皆海外に居る友人がかえって来る。
 今日、今村氏より(New York)来信、
 浜中氏九月十五日の天洋でかえると云って来る。
「スーラーブ」二十一回送り出す。
 いつも原稿紙が払底になり困る。

八月二十三日

(木曜)
 一夫今朝東京立つ。
 小さき村の生活、人を偽善的にすること夥し。
 女性は、本性、他愛的傾向を持つ上に、実際的に育てられる為、犠牲となるべきものとして育てられる為、無自覚の偽善で一生を送ることになるのはおそろし。

八月二十九日

(水曜)◎

九月一日

(土曜)
 東京、横浜、房総の大震災。

九月四日

(火曜)
 午後四時五十分福井出発
 家兄、豊一氏等送ってくれる。
 金沢で乗換え、信越線廻り、
 切符は大宮迄、川口の鉄橋が落ち、多分徒歩連絡だろうと云うこと。

九月五日

(水曜)
 午後九時半田端につく。
 日暮里で降りようかどうしようか。灯がなくて不安だろう。その他興亢(ママ)した心持で林町について、門のところで関が椅子に腰かけて居るのを見て、父上かと歓びの叫びをあげた。清、私の手を握り、「如何うだえ?」と云うのに「やっと命をつないで居ると云うばかりよ」と云った言葉忘られず。英男変な、キョトキョトした風で居る。被服廠あとの焼死体の写真を『日日』の号外で見、おそろしくうなさる。
 倉知の叔母上[#倉知貞]、季夫[#貞の末息子]、不幸な圧死をしたことを知る。渡辺仁氏見舞に見えて居た。
 本田道ちゃん、大瀧一家やけ出されて居る。英ちゃんの大働きをした話、

九月六日

(木曜)
 石井、木村四人同胞、その他多くの人々見舞に来た。本田道之の宿の婆さん、来、祖母上の衣類をやる。自分がまだ眼をさまさなかったうち、鎌倉へ自転車で模様を見に行った小南の兄、叔母、季夫の始末の模様、国男の自筆の手紙をもたらして来る。国男の手紙の調子が落付き、自分の体もいたわって居るのが知れて安心。地震は大船のステーションで会い、プラットフォームに居たら死んで居たところであったのだ。
 笹川春雄氏、来。父上が二日に事務所に行かれた時の話、死体が神田辺の通にまでころがって居たとのこと。たまらず。
 A、早朝、徒歩で青山にかえる、三時間。
          ――○――
 林町は大瀧一家族、本田、田舎から来たもの、吉川さん、前の交番への炊き出し、三十人分以上なので、米を用心しなければならず、勘定して、大体、三週間は持つ予定。食事は、飯、汁、つけものだけ。水道出ず、瓦斯出ず。手を洗うのにも一人で水をすてず。
 野上さん、関さんに安否をきいてやる。無事の由うれし。

九月七日

(金曜)
 A、午後一時頃来、
 青山は壁が落ちたぎりで無事であった由。地震のとき、さい驚き慌てて門外に逃げ、フェイントして倒れて居たところを、鈴木と云う人に助けられ、ブランデーか何かを与えられて我に還った由。可哀そうに。予期しなかったことと云え憐れだ。
 自分まだ疲れぬけないので、A一人、かんづめ類半分を背負ってかえる。
 英男亢奮して居、いくら眠れと云っても眠れず。夜番して居る。本田の道ちゃんは又、ちっとも共同精神を持たず、ひとりで勝手にふるまい皆の不快を買う。
 お雪、日本橋の務めさきをやき出されて来、米をくれと云う。こちらもないところなので一升やる。
 たか子供づれで来、金十円を貰ってかえる。

九月八日

(土曜)晴
 朝三時頃、基ちゃんに起して貰い、夜警の人々にパン、暖いのみものを配り、自分達の食事をし、五時すぎ林町を出、二人で青山に帰る。白山の坂を降るともう模様はがらりとかわり、指ヶ谷、餌差町、辺の電車通りに、小屋がけをし、避難民が住み、往来は、草鞋がけ、旅装束の人で絶え間ない。春日町、壹岐坂辺、何処が何処やら見当もつかず。水道橋に出て、右へ麹町の方、左へお茶の水の方を眺め、涙も出ない心持になった。まるで、郊外の坂路のようだ。神保町までにいやな人のこげた臭いがする。神田の古本屋、一握の灰燼、爼橋通れぬ為、ずっと右を廻って九段上からずっと下町を見渡したら、両国の国技館のドームの骨が、きなくさい霞の間に見えた。ポツポツやけのこりの鉄骨が立って居るばかり、櫛比しっぴした通並は一目で本所まで見晴せそうだ。三宅坂へ出て、半蔵門辺のやけ跡を見る。
 赤坂見付で、国男さんのオートバイやをさがしたら、皆つぶれ、形もなし。表町へ来ると、中山氏の煉瓦壁、御所の堤くずれを見る。今度は鉄骨のない煉瓦建築は多くの人を殺した。
 往来、まるで大混雑、立往生をして居る電車に一杯、尋ね人、被害地図、政府の告示等貼ってあった。
 A、藤沢の安否をたずねに浅草にゆき青くなるほど疲れてかえる。無事であった。溝などに死人があった由。
 青山では五日頃から野菜もあるので、基ちゃんに、青菜一束、バター一斤持たせてかえす。

九月九日

(日曜)
 元禄、安政の大地震のときにも、スイトン、ゆであずき類大繁昌であったらしい。きのうも到るところに、スイトン一杯十銭、奉仕的努力などと云う旗を出した小車の店を見た。梨西瓜、ゆであずき、リンゴ等往来に並んで居る。
 英国大使館前の、この春夜桜を見たところの片隅に死骸収容所が出来て居た有様忘られず。俥、殆ど通らず。自動車、オートバイ皆大きな、各省、団(ママ)救護班の布をはりまわして疾駆す。びっしり兵をのせたトラック、騎馬の一隊、混乱の間で、軍隊の整然と秩序ある行進が非常に心づよい頼りある感を与えた。ひどいほこりで話にならないが、其那ことに頓着出来ず。自分でもぐうとも云わず三里を歩いた。
 A、さいの弟の立のきさきをたずねに又浅草に行く。次手に寺田氏の焼跡も見る。
 弟は赤羽に居る由、
 寺田氏は埼玉県下に避難

九月十日

(月曜)小雨
 基ちゃん来、国男が午無事で帰って来た由をきく。悦ばしさに堪えず。親切に教えてくれたことを感謝し、小雨を冒し、紺がすり元禄袖の着物にはきすての下駄で出かける。電車塩町から市役所まであり、三橋まで徒歩で動坂まであると云う。早い交通機関の恢復をおどろく。日比谷辺まるで何処だかわからず。事務所によって見ると、彼方此方の建築敷地にひなん民が入りこみ、溝に用便するため臭気堪え難し。地下室にやけ出された所員ローソクで何かして居た。電車は六時までなのでとうてい間に会わず。三橋へ出ず、須田町、お茶の水、順天堂わきを通って本郷に入る。本石町辺では焼け切れた電線がたれ下り、うっかりすると引かかる。ペーブメントは凹凸だらけ穴だらけ、電車の軌道も石がはね上って居るので危険。
 陰気なビショビショ雨の中で、段々四辺がくらくなり、本石町辺を通って居るときは、何とも云えず凄く、さびしかった。お茶の水は、本校正面の柱列が少しのこって居るばかり。all gone だ。実に果敢はかなく思われる。
 日比谷から歩いたので八時近く林町着。
 国男元気で血色よく(ママ)米で健康をそこねなかったのは何より。

九月十一日

(火曜)
 国男の話はまるで恐ろしかった。お貞さんも機敏に逃れば助ったのに! 季夫は母に抱きふせられて死んだのであった。咲枝さんが一馬さんに救い出されたのは驚くべきものだ。
 引き出した死体を、壊れ板、トタンで、飢えた犬猫にあらされないように囲って花を供えたと云う光景、その場に居合わせはしなかったが涙の出るものがある。お貞さんのように咄嗟とっさに死んだのはまだよい。被服廠あとでやけ死んだものの生きたがった心持を思うと、全く、囘向一遍南無阿彌陀仏を称えずには居られない。生きたい思いが、微かな声となって耳に響いて来るようだ。午後、A、大学へ来たかえりによる。又電車がなくなり三橋から歩く。二重橋前をぬけて。
 父上、海上、郵船その他関係したビルディングの破損を苦しく思って居られる。ライトの帝国ホテルが倒れなかったのは不思議又、日本橋のある妙な形の建築も。吉川氏、歩いて研究。

九月十二日

(水曜)
 さい、弟が赤羽から千住へ行って居ると云うので、たずねに出かける。

九月二十二日

(土曜)
 A、福井へ置いて来た荷物をとりかたがた米を貰いに、出かける。
 珍らしく一人きりの夜、心細かった。

九月二十三日

(日曜)
 林町の母上スエ子、安積から帰京。
 今度、彼女等が彼方に居たのは、非常によかった。一日のショックだけでも、スエ子母上は大した打撃を受けたろう。
 母上が開成山に居られた為、食料を送る点で非常に好都合であった。
 二日に市次郎が関と来、すぐかえり、又留蔵と二人で食糧を負って来る。(五日)
 又あとで別府兄弟、もちその他を運ぶ。皆母上が配慮されたことだ。

九月二十五日

(火曜)
『女性』へ、覚え書を送る。

九月二十六日

(水曜)
 少しあるきれを集めて、子供のものなり何なり縫おうとする。ふだん縫わないのでようすがわからず、子供のようだ。

九月二十七日

(木曜)
 三宅やす子、金子茂、坂本真琴、平塚明子、赤江米子、西川文子、その他で、災害救済婦人団の仕事を始る。例によって自分は、一切講演などには出ないこと、表面でさわぐのはおことわりと云う前提で小さい内の仕事だけ助力することにする。

十月九日

(火曜)
 林町へ行く。少し泊って、巖本さん、安藤さん、野上さん、あの辺の会いたい人に皆会って来る心算つもり
 途中、商科大学附近の建物を爆破するので、九段の中途で電車立ち往生。わきにやけ出されの女、ナーバスになって居て、こわがり此処に居て大丈夫でしょうか、としきりにきく。皆さんが居なさるから大丈夫でしょうが、と自分につぶやいて居る。今度の火事のとき自分の頭で考えず、皆さんの行く方居る方をばかりたよって何人殺されたかと、人間の集団をたのむ心を恐ろしく感じた。又わきに一かたまりの中老人、口をきわめて、社会主義を罵倒し、甘粕の行為を賞めたたえて居る。中の一人が、手帳を出し、節をつけて文句を繰返し繰返し読んでは二三字ずつ、何だか「一度肉体死するや霊魂は、々々」と文章らしいものを綴って居る。鉛筆をなめなめ。冒頭に、霊魂、滅と云い不滅と云い皆痴人の妄語なりとか書いてあった。枯れたような脳髄にぼんやり反映する生死の問題!

十月十日

(水曜)
 朝おそく起き、午後野上さんのところへ行く。丁度『読売』の記者が来、野枝さんのことについていて行ったばかり涙をこぼしたので、と疲れたふけた顔をして居られた。一日には、野上氏まだ日光で、彌生子氏は子供をつれ、渡辺町の公園に逃げ、三日に上野の山に火がついた時には、小石川まで逃げた由。公園に蚊帳をつり、二人の子供が膝に突ぷし「母様、地球の終りじゃあないの、終りじゃあないの」と、強い揺り返しが来る度に云ったとき「其那ことがあるもんですか、大丈夫! 大丈夫!」と心強く云い乍ら、心には実に恐れに満ちた、と話される。本当にそうだろう。子供の恐怖した心持は、切な、ファントムに追われるような、大人の感情に対してよりずっとモンストラスなものだろう。
 今日、甘粕事件の公判開始、世人の痛ましい好奇心をそそること大だ。九月十六日に、憲兵大尉の甘粕、大杉栄、野枝、甥、宗一を縊り死して、証拠をかくそうとした事件。

十月十一日

(木曜)
 野上さんのところから帰るにしとしと雨がふり始め、低い下駄で心持がわるいのでいそぎ却って曲る道を間違え、変な粂邸の裏の高い石垣の下の人通りもない坂道に出、まるで気味わるく、丸善の横へ出るまで息を弾ませて急いだ。
 約束通り、野上さんと二人、庚申塚の巖本善治氏方へ、お清さんを訪ねた。前晩引越しをし、北海道の良人の郷里訪問から帰ったばかりで三日ねむらないと云う。その故か、やつれ、皮膚があれ、あの人特有であったノーブルな点がなくなった。二人の子供はあの人がこんな子を持つかと思われた位。何となく寂しいような、云うに云われない、人間の人のよさをあわれに感じた。野上さん※(二の字点、1-2-22)いよいよ彼女の外へ外へと行く傾向に失望したらし。六年目の対面であった。
 きのう、アンドレーフの「心」、上田敏氏訳を野上さんから借りて来る。心理的経過がぴしぴしと書いてある。

十月十二日

(金曜)暴風雨
 きのうは、午後三時すぎお清さんのところから帰ってから、一寸宅へよって後、清水町へ安藤さんを訪ねた。神経が疲れて居たと見え、逢初橋を間違えて八重垣町で降り、散々歩いた。安藤さんのところで思いがけず村瀬さんに会う。あとできいた話。リーベで結婚したのに、二人の生活も出来ない夫であるとのこと。安藤さんは私共四人の仲で一番すらりと心持が延びて居る。千谷さんは妙に嫁根性になり、元のように朗らかな軟み、感情のはずみがない。情熱が変に押えられた結果を考えると恐ろし。午後三宅さんのところへ行き、ひどい雨どしゃぶりになったが久しぶりで国男さんも林町へかえると云うので、濡れそぼけて四谷から青山を素通りして林町に戻った。

十月十三日

(土曜)
 青山へかえる。途中停電し、九段下で一時間以上待った。
 母上と Okabe 氏との感情。母上の自己を主張することの強い、感情的なところ、若々しい独断的なところが岡部氏にとって魅力あるのか。彼は、西村先生の娘で彼女があること。自分も興味ある方面の先覚者であったと云うことで、母と同年代に生れなかったのを寧ろ不思議と思う位、運命のつながりを感じると、云うと話される。もっと家庭に入れて貰い、お母様と呼ぶような親密さが欲しいとのこと。彼女は、四十、五十に殆ど近い女性の落付いた心持と、彼女の裡で未経験な恋愛的雰囲気の予感とで、私の目には、人らしい、しおらしい、同時に畏ろしい動揺にある。暫く黙って何かして居ると思うと、「本当に岡部さんはロマンティックだね」とか、「一体どう云う心持なのだろう。面倒くさくなってしまう」などと我知らず口に出される。林町から帰って来たら、その印象が私の心持を妙に沈ませ、夜、涙を流させた。
 岡部氏夫人佐和子劇しい嫉妬家で夢中になり、彼に怪我迄させるとのこと。私の直覚は当った。特に夏会った時に執拗なわるい感を受けたのだ。
 自分で縫った着物、ちゃんちゃん総て十三点、女子学習院に送り、都下の警官への配給へ志ばかりの助力をする。

十月十四日

(日曜)
 夜、二人で吉田さんのところに行く。星野さんもやけ出され、もう一人の人と来て居るので四人の彼女等の所謂ヤング maid が集って居る。丁度横浜に居て、家はつぶれたが、髪の末も梁に触らなかったと云う女の人、子供良人とともに来て居、五寸も家が地面からとび上った話をする。ひどい有様であったらしい。
 横浜、鎌倉は上下動であった。そのとき、Miss Wells が話したが、房州と、大島との間に「後家場」と称するところがある。安政の大地震のその日、二百幾人かの漁師が、その地点で大漁をして居る最中、海岸から見ると大島の方に、非常な火柱が海中から上った。何事と思って居るうちに、地震になって来た。大島の方から見ると、房州の浜に見え、丁度その漁師の居た地点で海中爆破があったらしい。もう舟はかえって来ず、一時に多くの後家が出来た。後伝説として、そこで漁をしなかった。が、九月一日、冒険ずきの一隊がそこに舟をとめ、食事をして居ると前方に、大火柱が立ったので、驚きあわてて、漁そっちのけでこぎかえったら、あの大地震であったと云う。「後家場」の話。

十月十六日

(火曜)
 夜、藤沢に持って行く毛織ものを買いに塩町まで二人で出かけたら、電車を降りないうちにボツボツ雨降って来た。ぐっしょりになったが、到頭シャツ三枚、女の肌着三枚ととのえる。
 洋品店にまるで白と黒の毛の美しい、眼のつやつやと黒い大きなモルモットを見た。
 通って気をつけて見ると、夜はよく、大きな肥った立派な白黒毛の猫や何かが、店のカウンターに出て居る。
 モルモットの印象は忘られず。兎のように段々鼻先から高まって真丸のような背の線、長めな毛で艶やかに包まれた全身の感じが、実際の大きさより感じに於て、遙に豊富な強ささえ与えた。

十月十七日

(水曜)晴
 A、藤沢行。
 一日、藤沢夫婦居ず、二人の子供ばかり留守番をして居たそうだ。いそいでかえって見ると、細い露路は左右からつぶれかかった家で通れない有様なので、きっと二人は死んだものと思い込み、妻君は「子供に死なれては生きて居る瀬がない」とぼんやり気を失いそうになったところを、近所の者が、大丈夫大丈夫生きて無事で居る、と云われたので、ほっといきをつき、娘と二人で先ず上野ににげたのだそうだ。娘のりんも家中やけ出され。今夫の郷里に居る由。
 A、Bed Stead のペンキ塗。自分 The Forsyte Saga をよむ。

十月十八日

(木曜)晴
 Aが米国で知り合いになった持田文三郎と云う人来、昼食を一緒にし夕方まで居る。
 この人、四十歳でまだ独身、頻りにひとの結婚のこと、情事のことを熱心に、興味をもって話す。Aのアメリカンの女友達の写真を見「これも O my Kid か」とはしゃぐ。卒業して居ないことをつくづくと感じた。十八九二十の男の子が、少しデ調になると、稚い、アモアの話を熱烈にする心持がよくわかった。荒木はよい女房を当た。さぞ稼ぐだろうと思われて居る由。荒木も気の毒なり、下らないことを推察するに敏い種類の友人ばかり持って居るのではやりきれず。
 所謂流言言は、横浜の山口正憲と云う壮士が云い始めた由。されど、その流言を信じるあれだけの暗示、先入主が、市民、国民にあったことの悲しむべき恐るべきことは、誰も強調するものはない。

十月十九日

(金曜)
 午後一時より、三宅氏のところで集る。午前中、やす子さんわざわざ来訪。松本の講演会で、吉永さんと云うあの美貌の女の人が、婦人連盟へ寄附しろと演壇から云い、二百円も金を出して居るから、この位のことはよいだろう。児玉真子さんもそう命じた。とたんかを切ったとのことで、ひどく感情を激させて居られる。自分は、こんな天災に対する事にまで、陰険な手段で党派のあらそいをするような女の仲間で何も仕事をしないでもよいのだから、午後から会って話して見、模様によってやめようと話す。金子茂さんふんガイして、婦人連盟の諸木さんにつめよせる。後から来た何とか云う感じのわるいもう一人につめよせる。要点がわからず、ずるく、頭のわるいのに驚く。児玉さんは、何とか云って来ない。平塚さんは、きっとこんなことが起るだろうと思いましたと、あの人のサブデュードした声で云った。
 林町より祖母上来。お貞さんに死なれ、泉沢に死なれ、すっかりもうろくしたごんだ、と云う、彼女の述懐も無理ではない。母上があまり痛わっても居られまいから、淋しく侘しいのを、被来いらっしゃいと云ったので、大悦び。私が帰って来たら、新しく組立てたダブルベッドにうずまるようにして休んで居られた。

十月二十日

(土曜)晴
 朝起きてすぐ林町に行き、古雑誌、古本その他五百冊ばかりまとめ、小港に、明日俥夫にもたせて三宅氏のところへ届けるように手配して貰う。行くと母上着物などをきかえ、今日は土曜日だから、岡部さんも来るだろう、と云って居、食堂に居ると、いつの間にか見えなくなる。西洋間に岡部さんが来たのであった。彼女の変化する態度、優しく、愛らしく、又少し悲しいようだ。いつもの押しの強さが減り、少しぼんやり、ふわりとする。思いがけず国男倉知から来る。印袢纏を着、きながし、素足。妙に頭がわるいと荒っぽい言葉をつかう。印袢纏でいなせがるような心持は確かに地震後若者の心に生じた現象だ。一緒に、万世までかえる。帰って見ると、祖母上、せっせと縫いものをして居られる。
 彼方此方の花やでは、今菊が満開だ。白菊の大輪すがすがしい芳香を晴れた秋日にただよわす、が蠅の多いこと。日だまりに、七八匹の蠅を見る。死人から生れた蠅かと思うと白菊のすがすがしさと云うに云われない対照をなす。

十月二十一日

(日曜)晴
 D. Bed まるで心持わるく、眠りからさめた第一感が疲れた不満な感情だ。二人は苦笑いをし、早速又元の古道具やにかえしてしまう相談をする。さい行ったら、よろしいが場所がないからとって置いてくれと云う話。又もとの Single を出す。さわぎなので自分はどうせと、髪を洗い、珍らしい天気なので祖母上をつれて青山六丁目の活動へ震災情況の映画見物に行く。一杯の人であつさこの上もなく、自分は立って祖母に弁士となる。満足し、これを見た丈で出、通りをブラブラ買物し乍ら歩いてかえる。ひどく祖母上疲れたらしい。この時一寸新派映画を見たが、まるでなって居ず。(一)画面が明るくない。(日本の空気によるか)(二)筋ばかりたどりすぎ芸術的のゆるやかさ、美しき余裕小説で云えば本当の叙景叙情がない。(三)役者に性格が現れず、動作が小さすぎこせつき、まるでその味のないことお話しになったものに非ず。
 ひどく暑し、まるでお話にならない。袷で汗だくだく。あまり晴て居るので髪を洗う。あとで国男さんにきいたら、春江ちゃんも、やはり髪洗いをした由。東京中で此日は幾千人女が髪を洗ったかと微笑まれた。
 余りあついので、又地震にでもなるのではないかと活動写真館でひどく不安を感じ、非常口の場所を見た。万一のことがあったら祖母上をつれ出すに危険とまで思う。これ丈神経質になって居るのだ。

十月二十二日

(月曜)晴
 祖母上、さいを伴につれ、十時半すぎ倉知の自動車で林町に戻られる。独りになったので表の格子をしめ、丁度W、C、に入ったら、誰か門をあけた音がする。基ちゃんかと思い、急いで出て見たら国男。思いがけず嬉しく、顔が赧くなるのを感じた。上げ、ゆっくり二人で昼餐をすませたら、Aかえり、機嫌よし。いろいろ仲なおりさせる必要を感じ苦しいこともあった近頃なので、自分は本当にうれしかった。やがて基ちゃんも来る。市庁へ行ったら本所深川ではまだこんな設備も出来て居ない由。やはり日比谷図書館に送るしかないか。二人夕方かえる。夜、A啓明会とプライヴェートの金の勘定を混同し、手伝い、くさくさしたので一寸散歩に出、シャロッテ・ブロンテの Jane Eyre を70銭で買って来る。
 さい林町で黒紋付、帯等をかりて来る。
          ――○――
 埼玉県その他で、自警団の行った殺人行為が法規によってただされ始め、県知事の内訓の過激なこと等曝露される。

十月二十三日

(火曜)晴
 今日倉知で、お貞さん、季夫の告別式があった。ほんの内輪ばかりと云っても百人近く集った。わざわざ金沢から来たと云う僧、禅宗にしては、いやになまぐさい感を与える男、導師となって、五人で式を営む。新築の二階二間を使ったが、自分は僧が、如何に寺の中だけで浄げに、尊く見えるかつくづく感じた。せまい俗家の区切りかたや、模様ある襖は、僧服の濃い色彩とひどく相殺する結果になり、ほの暗く、大きく、宏い寺院の本堂で見る美、宗教的優美が全然欠ける。
 誠夫氏頻りに、来てくれた名士の名をあげ、母上頻りに、食物のもてなしを受る。ともに寂しかった。咲枝さんが泣いたのを見たら誘われたまらない心持になった。一馬さんと夕食後、となりの燈で互の顔が見えるパーラーでいろいろ話す。八時頃帰宅。
 午後十時二十分頃、かなりの地震あり、今暁五時頃も。

十月二十四日

(水曜)雨後はれ、
 午前、朝日週刊の瀬良文蔵と云う人、原稿をたのみに来る。
 一時から三宅氏のところへ行く。集ったもの四五人、中に伊藤朝子と云う人(愛聖と云う雑誌をして居る。)が居る。あの法城を護る人々の中にある女らしい。その人は愛の聖きことを高唱して居るのだろうが、顔にはちっともそう云う美しい純粋なところがなく、やりてらしい。権高な、古びた肉感があるばかりだ。少し心持わるし。
 A夜番なのをやめ、一夫さんを呼んで代って貰う。去年の冬体が悪かったので、要心の為と云うので私も反対は出来ないが、弱さで身を庇うことから、心持まで、卑怯になることは悲しい。一夫さんとしてはたのまれていやと云えまいから、なお気の毒なのだ。
 夜、風つよし、白い叢雲が吹きちらされていく空に、月が冷たく、寧ろさむく、照って居る。
 ○災害救済婦人団は、講演四ヵ所で、五百円を得た。

十月二十五日

(木曜)晴
 婦人団からパンフレットを出す計画又もち上り、多分実行するのだろう。自分はあのためにはどちらかと云えば楽な位置に居、他処に出歩くこともしないから、せめて短篇位新らしいのを出さなければ気の毒と思い、材料を見る。二十枚位のは却ってむずかしい。ノートをくって居ると、あのスイートピーのことを思い出し、それときめる。二三日祖母上が来られたり外出しつづけたりしたので、ゆっくり机に向ってものをよみ書くことうれし。少しなおざりにされて居た日記もまたつける。
『女性』に、里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)氏、何事にも動じない偉さを震災に対する感想として書いて居られる。待合かどこかの二階で小さい体をころがされ、起き上って、自若としたのかと思うと微笑。
 一夫さんを送り出すため五時に一時起きる。五時では、まだうす明りも漸々と云う暗さだ。夜の闇先へ行けば行くほど深し。暁のやみ――明るみとところまだら。底から迫る光あり。

十月二十六日

(金曜)曇
 朝、『朝日』にやる感想を書き始めた。が思うように進まず。がまんしてじっとこたえて居るうちに、その形式をぐっと変ったものにすることを思いつく。つまり自分の云い度い要点だけをつかみ出して活かし、印象つよい対話、読む戯曲的排置にする方がよかったのだ。神々の名その他を考えて一日かかる。
 夜。さいの英語の稽古はじまる。
 買物がてら歩き青山五丁目近くまで行って、祖母上の袖を作る毛糸などを買う。
 西洋の女はよくあみものにクレージーなのがあるが、やり始めて見ると、面白いものだ。が断念して手につけず。ああ云う細かい、精力のエキスターナルに浪費され、一方雑作なく一つまとまる仕事は本当の仕事に根気なくさせる不安がある。
『女性』に小山内の劇、あれ丈芝居を知って居ても、此那ものを麗々しく出すのか、又知りすぎて居るから斯うなのか、わる達者で舞台の変化にばかり向けて居る。

十月二十七日

(土曜)晴
 A、久しぶりで腸の工合悪いと云って、床に屡※(二の字点、1-2-22)つく。夕方基ちゃん来、母上が私に遊びに来るようにとのことづて。又、林町の方は、なかなか火事について神経質になって居るとの話をきく。気の毒と思う。傍ら、ないほど楽なことはないとも思う。
『朝日』のをする。適当な題が見つからず、一枚だけ。
 夜、正木不如丘の、著をよむ。彼の文章の面白さは、短いものに含まれる科学者的鋭りさにある。三宅恒方氏の旅行に関する文と、やや精神の系統は似た皮肉の面白さだ。少し長いもの、又種類によって面白からず。
 長与善郎氏の小説、めでたしめでたし、妻君が流産したことをああ云う風に書いて平気で居られるのは(そのお坊ちゃん的変さに於て)彼一流だ。
 森先生の「ファウスト」脱帽の外なし。偉いものだ。実に偉いものだ。あの訳を、少しクラシックの知識をもってよめば「ファウスト」は判りよいものと云う感を与えるから、訳者の力はおそろしい。

十月二十八日

(日曜)晴
 朝スエ子遊びに来たいと云う電話、可哀そうだがいそがしいので断る。十一月の二十一日頃迄は到底駄目だ。
 A、松宮春一郎氏の会に出、内田魯庵氏の風格に愛をもってかえって来た。
 朝、島氏来、神田の工場、家全焼、少し神経質に見えた。
 仕事すすみ、十一枚、但、始め軽く考えて居たのとは違って進んだので、考をなおさなければならない。神々が天上で只号令をかけたのではすみそうもない。ギリシア式に、神々も出動するらしい。
『太陽』の仕事を受けた。いそがし。

十月二十九日

(月曜)
 仕事、五六枚行く。きのうよりむずかし。先の目当がつき、たのもし、すっかりで二十五六枚になろう。
 明日ですませ(一通りでも)三十一日から、救護団のパンフレットを書き始め、「スーラーブ」すっかりまとめてしまいたし。
「スーラーブ」で自分が後半気に入らないのは妙に心につっこみが足りないからであった。今度はやり易かろう。
 十五日後から、『太陽』へのをまとめる。
 一昨日切った庭のバラ、昨夜の美しい半開の姿と色とは言葉にあらわせなかった。今日はやや開きすぎ白っぽく疲れて見える、剪った花にもあんな命がこもって居るのだ。

 夜、一寸さいと町へ歩きに出かける。夏の頃、散歩の人は小ぎれいで誰も美しく見えたが、この頃はみなじじむさい傾向。
          ――○――
 見て居ると命のしずかな絶えない流れを感じる。

十月三十日

(火曜)
 今日は私共の三年目の結婚記念日に当る。大きい目から見ると、私共二人が結びついたことに何の天日かかわりある、と思われる。然し、ハムブルに人間の生活の絆を考えると、又意味ないことはない。夕食のテーブルを、新鮮な菊の花と、輝く二本のローソクとで飾った。
『朝日』に送るもの、二十八枚ばかりとにかく終る。
 夜、散歩し、五丁目の本屋で、ハリスンの Growth of the soil を買った。
「大地の成長」なかなか立派。書くのに影響を受けそうだ。Great Hunger といつぞやリテラリー・サップリメントでよんだ自叙伝を見たい。ロシア人と又異う力強さ、自然に対する愛。

十月三十一日

(水曜)
 一時までに三宅氏のところへ行く。其処で『読売』の記者に会い、婦人参政権問題がビートされたことに対しての感想を書け、とたのまれる。二三枚のものと思いうけ合う。
 林町に行き、夕食を皆と一緒にすませ疲れてとまりたいのを、とにかく、これも自己修養の一つと考え、小南に須田町まで送って貰って九時頃帰宅。一馬ちゃんへの詩の本を送るようにし関さんにドイツの詩のことについてきき合わせの手紙を出し、事ム的のことを片づける。
 きのう母上の誕生祝であったのに、行けなかったので、今日行った。バラの花をお土産に持って。近頃、私のゼイタクは、一二輪のバラの美しい花をテーブルの上に置くことだ。三つ、持ってかえったら、家の蕾が二つ、剪ってあった。買った方が香はよい。只このうちの花の色と云ったら! バラの高貴と愛らしさを充分あらわして居る。

十一月一日

(木曜)晴
 室内で七十四度と云う暖かさだ。心持がわるい程熱い。九月一日以前にもひどい暑気がつづいたので、おそろし。まして祖母アサカに、父上大阪に行くと云うので不安なり。
 余りあついので、かたかった昨夜のバラの蕾すっかり開ききり、夜の間にしぼんでしまった。

十一月十二日

(月曜)
 救護会のために「小景――ふるき市街の回想」と、「母の膝の上に」This Freedom の紹介を書き終り三宅氏に渡す。

『中央公論』に「顔」を送る。
 大学正門前でAと会い、松屋で原稿紙を買って、青木堂による。自分は青木堂の二階に上ったの初めて。塵っぽいがさがさしたまるでバーレンなところ。
 それでも、夜など、煙草の煙のこもった、ガタガタの床、ハダカの卓子で、学生達が気焔をあげるのによさそうなところだ。

十一月三十日

(金曜)
『ウーマンカレント』の為に、埃及エジプト神話のセトナと魔法の書を訳してあげる。(三十枚)

十二月十五日

(土曜)
「スーラーブ」四十回まで送ってやってしまう。

十二月十六日

(日曜)
 この頃の午後五時以(ママ)七時すぎ位までの電車のこむことお話にならず。
 須田町、万世橋辺は、行列を作って、七八丁つながって居る。市街をその人間の列で貫かれる為、車やなぞは大困りだ。
 毎日こう云う電車にのって事ム所に行きかえりする父上のことを思い、気の毒に不安になった。
 英国へビーンを注文した由。まあそれでよい。
 河井酔茗氏にたのまれた手紙を書く。

「スーラーブ」、全部すむ。五十二回と少し。
 肩のかるくなった、のうのうとした心持と同時にげんなりした寂しい心持がして来た。殆ど四月からずっとこれにかかって居たようなものだ。夏じゅう福井で書いたところをよみなおして見ると、まるでなって居ず。表面的にまとめようとした失敗がまざまざ見え、この一月ほどで、二十一回分からすっかり百二十幾枚書きなおしてしまったのだ。
 作品として成功か失敗かはわからず。中途でぐらぐらしたのだから、そんなによくはないだろう。然し、これで、自分は或、仕事の上の納得をした。――小説の材料と云うことにつき、又、目のつけ方と云うことにつき。
 題材に、特別なロマンティック、Strange なものを選ぶのが第二流的芸術であることは、「スーラーブ」を書いて居るうちにつくづくわかった。日常の心持を深くほり下げること――日常に小説を見出す敏感な心、要は此一点だ。

十二月二十二日

(土曜)雨
 ひどい雨。朝早く起き、午前中林町にゆき、午飯を一緒にたべて一時すぎ野上さんのところに行く。会うごとに野上さんのよいところ偉いところがわかり自分は益される。
 野上さんを、世間が見て居る点とあの人自身の心持の大層違うところは、例えば彼女が貞淑であると云うことにもあらわれる。
 彼女は、自分に最高道徳を強いられ、それに向って努力するのは結局自分をそれ丈高めると云う強い自信で耐え静にし、反抗しないのだ。良人に云われ命ぜられるのとは思わず、ずっと客観的に見てしまう。そこにあの人の立派な素直さ――天に対して――がある。私の帽子をぬぐところだ。私には母ゆずりの情熱的な、僻見めいたものがあり、ときに、悪い方の直覚を働かせ自己まで低下させる。
 夕方、林町に戻りAと会い、食事を一緒にし、十二時近くかえる。
 ひどい Fog で、林町の前の通りまるで見えず。岡部氏も見えた。彼は確に、私の思って居たより清い――未通女的な――ところがある。何も彼も知って大らかと云うのでなく、ややキャソリック的に。

 クリスマス day 朝Aと二人で青山の三越にゆき彼のマント代として何とか云う人にあげる商品券とおわんとを買う。おわんを買うのは、私共の結婚以来これで二度目だ。せんのは、肴町の角の漆器店で買った。(あの時分の家具を買うエキサイトメント!)
 教文館に行って見たら休み。
 Aの兄、夜九時すぎにつく。洋服をき。みちがえるようだ。彼の出京は始めてなのだが一体にAほどせかつかず、みっしり、しんなり(福井方言)かまえて居るのでよろし。Aのように余裕なくせかせかするのが二人になっては大変。
 Aの兄の居る間夜は本などよめないから、とし子にやる肩かけを喋りながらあむことにする。
 家族的特質と云うのは面白いものだ。Aの一族は皆一つの共通した傾向を持つ。陰性に属す――食事なども、積極的に味い、うまい、まずいを云い賑かにたべると云うのでなく、何と思ってたべて居るのか、と云う風に黙ってたべる。林町の方は、美味さ、不美味さを云い、ときに口やかましいほど各々が発表的だ。そして却って軽く、心持にしみ込んだところは少い。

十二月二十六日

(水曜)晴
 午前中一寸英国の Days Ltd. に本の注文を打ちかけ、一時頃三宅さんのところに行く。伊藤さんぎり。三人で喋り、お茶をのみして居るうちに、金子、西川氏来。
 伊藤さんは、自分ほど面白いものがない、自分の話ばかりする、と云う。(彼女自身が)
 三宅さんのところに居る変な男のことを話す。彼女は、まるで無邪気らしいが、ひどく無神経なところと下びたところがあり、すっぽこに絹の袷をきたり、裾から赤メリンス無地の長襦袢などを出してぞべぞべして居るところがある。あの男を家族と同じ炬燵に当らせ、自分の鏡のあるところに居さ(ママ)る等、私の気持でさっぱりしないことを、只感じなくして居るのだ。彼女が、自分を多情と云った人があると云って居たが、そうだろう。そう見られ得る。それで居て事実私が手をとっても意味を尋ねたそうな顔をする。
 まるで暖か。ことしの冬は例年にない暖かだそうだ。Aの話では、今頃とれなかったサバが海でとれブリがあまりないよし。
          ――○――
 夜、皆で青山の通りを散歩し、佐藤氏の『都会の憂鬱』、光太郎訳ベルハーラン、春夫『一九二二年の詩文集』等を買う。

十二月二十七日

(木曜)晴
『朝日』の記者が来る前号外号外と外をよび歩き玄関に投入して行ったのは知って居たが放って置いた。夕食のとき、議会開院式にお出かけの摂政宮が虎の門のところで狙撃されたが無事と云うことをきき、愕然とした。
 日本も斯うなったかと云う感。又、自分の心には若い熱心な Prince に同情があるから、憤おろしい気もした。何にしろ日本が始ってから始めてのことだ。今年は大きな事が日本国民の上にふりかかった一年だ。最後にこれは、最も重大な現象と云える。私の心持では、日本などはまだまだ壊つべきものにせっせと目をつけるより、若いジェネレーションが、もっともっと賢く深刻になるべき心持を要する時代と思う。撃ったものは、本当の思想は持たない中岡艮一式の若者ではないのか。そうだろう。そうだろうときめて片をつけるのはやさしいが、そう云う種類の人間が、ああ云う人に対して dare to do になったと云うところに根底的の考えるべきことがある。
 ひどく暖し。
 夕方、かなり強い地震があった。Aの兄、四畳半で餅を切ってくれる。Aかえって来たとき、人によったと見え、不機嫌であった。『朝日』の記者来写真をとって行く。

 今日Aが狙撃者は或代議士の息子だときいて来た。大河内正敏の子がアナーキストであるのと好一対だ。私共中流の、所謂健実な同時に呑気なアンポンタン式の圏境に育ったものにはわからない或雰囲気が、ああ云う華族、政治商売人の家庭にあるのだろう。
 夜、靄がこめて居る外苑内をぬけ塩町に散歩にゆく。権田原の崖のはずれに、葉をふるいおとした何かの大木が一本あり、下に冬の夜霧の間に灯のちらちら見える工合が、まるで田舎の風景のようであった。山のはざまの谷間に、小さい民家の灯が見えると云う趣。
『新潮』を買った。
 A、Austen の Sense & Sensibility を買って来る。
 Aの兄、芝の方に見物にゆく。
 Day's library に注文をタイプライトする。

十二月二十九日

(土曜)晴
 A、一日外出。Aの兄、浅草の藤沢にゆく。十二時少し前英男来る。久しぶりでうれしく、うちでこしらえた親子丼を幾杯もかえる。花を作ることに関連して、いろいろ面白いことを云った。例えば、土の粗密の比と云うことなど。小さい種には土をこまかにする必要があり、大きい種に土をこまかくすると却って、比例で土が重くなり、工合わるし。その話を蟻などについて見るとよくわかる。蟻の土を掘る力に対する地面の粒は、それ丈小さくそれ丈軽い。人間の掘る地面はそれ丈多量だがそれ丈重い。若しそうでなかったら蟻などに地面が掘れるものではないだろう、等。
 あとから国男来。三人で茶をのむところへAの兄帰。英男、私の足炬燵をひっくりかえす等、さわぎを演じ楽しく、六時少し前かえる。
 夜、三人で青山六丁目に宵火事のあったあとを見に行った。往来が水でびしゃびしゃになり、やけた家の木組みが黒くぼんやり、そこだけ真暗な空に見える。こちら側に出した荷物がころがり、近所では、亢奮した風で、すしや酒を、手伝に来たものにふるまって居る。
 夜、昨晩買って来たハナかるたを遊ぶ。Aの兄の性質の奥が見えいやになった。(自分の趣味では)消極に守って、三十二点以下で皆をくずそうとかかるのだ。いつでも。妙な陰性な男。
 内閣総辞職。難波代議士は辞任した。Prince に鉄砲を打った者の父親、苦しい立場と察せられる。

十二月三十日

(日曜)晴
 一昨日と昨日、夜ひどくさむいのに外出したため、風邪で気分わるし。思い切りあつぎをし家にとじこもる。さい、又不眠になり腰がひえると云って四五日、二時間位しか眠らず。困る。今日薬を買うと云う。
 Aさいの体につき、細かく注意し、夜、洗滌をすすめてやった由。さいもAに比較的遠慮せず、又Aがそう云うことに突こんで行くところ、面白し。ディフェレント・セックスの微妙な点、又一方Aの厚顔な点。
「都会の憂鬱」、佐藤氏は何と上手な書きてか。頭の明かさと、詩人らしい品よさ、憂わしさとが実に美しく調和して居ると思われる節が多い。江森渚山との感情、同感される点多し。私の場合では宮原氏だ。夜、一夫来。四人で骨牌カルタをし、珍らしく熱中した様子を見、――AとAの兄との――晴々と心持よかった。実際二人のサブデュードした調子は私に張合ない感をもたせるのだから。
 今日Aと兄とは二人とも家に居、朝食前、近くの材木やから木を買って来、湯殿のすのこを作りにかかった。
 晴れた風のない日だが、ゆうべはなかなかひどいさむさであったため、手洗鉢に厚い氷がはり、北側の霜柱はひるになっても消えない。
 二人で湯殿のすのこ完成。二十年近く別々に生活した兄弟がああやって二人で働く心持を想像する。

十二月三十一日

(月曜)晴
 風のない静かな大晦日だ。少し自分は風邪の気味ではあるが病気と云う病気ではなし。同胞三人皆よっての暮はAのために楽しそうでよい。
 午前中自分は床に居、午後、おせち煮を大晦日フィットで手伝う。Aと兄と二人はあちこちの大工。夜、一夫来。三人で神楽坂にゆく。私は留守番。
 近頃は兄が来て居るのでがたがたし、私の部屋も私のものではなくなって、一日に机に向うこと少時。ひまを見て本もよむ有様だが、心の中でしんと落付いたものはくずされないのが本当にうれしい。
 三人かえって来てからカルタをし、夜、除夜の鐘をきき、ひとりでに一座がしんとした。今年は、始めて自分等の家で、楽しい気持で越年をした。去年は二人とも落付かず、一昨年は Miss Wells のところ、その前の年は林町。
 Miss Wells が猪なべをすると云って迎えに来てくれたがことわる。母上、英男と青山墓地へ来たとて、石屋の角で車をとめ英男に兄の在、不在を見させによこさせられる。二日に蒲郡に行くよし。誘われるが行かれない。

底本:「宮本百合子全集 第二十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年5月20日初版
   1986(昭和61)年5月20日第5刷
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:柴田卓治
校正:雪森
2013年4月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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