戦後の春、こんなところにと思われる爆撃の跡に、一杯に青草が生えて来た。
 自然にとって戦争なんて、一つの物理的現象にしかすぎなかったのかとつくづく驚かされた。しかし、文化というか、十万年の人間の発生史の目指した大きな方向も決して、この五千年の歴史の制度のみに左右されてはいない。自然のこころに似た大きな広い流れが歴史の底にも流れている。
 アレクサンダーが戦を起して、多くの人々が印度とイラン地方の砂の中に骨をうずめたが、その間にも、文化のいとなみは、自然のそれの如く、その歩みを止めなかった。東西の文化はあの時一つの流れの中にとらえられ、高きものは低きものへと水圧のそれのように世界の文化の面の上に拡がった。アレクサンドリア図書館はその一つの記念塔である。それはピラミッドよりももっと大きなものを魂の中にうち立てた。後の新プラトン哲学以後の哲学の泉の源として、巨大な役割を果たしたのである。
 国立国会図書館も、長い目で見れば、遠い東のアレクサンドリア図書館なのである。この図書館はヴィジョン(夢)の中に生まれ出でている。昭和二十二年十二月十七日、衆議院議長サロンでアメリカ図書館使節クラップ、ブラウン両氏と、両院図書館運営委員会メンバーの合同打合会の議事録を見るとき、その思いを深くするのである。これまで、法律は日本では内閣で原案ができて、議員はこれに協賛していたのであるが、今度は議会が自分の力で法律を国会図書館の立法調査部の力を借りて、法律案を打立ててゆくという大きなギアの切替えが、一つの夢(これはあたりまえの事ではあるが)として、ブラウン氏から説かれている。
 更に日本全国の図書館にある本の全体の見透しをカードでもってわかるようにする綜合目録の作成、これはすでにアメリカの国会図書館がしていることであるが、これを日本で遂行しようというのである。これはまさしく大いなる夢である。今わが館は二十五年計画でこのプランの第一コースに入っている。そのためにはすぐに役に立たない、目に見えないコツコツと働く仕事が、どんなに積み重ねられなければならないか想像がつかないのである。さらにこれはアメリカにも未だないのであるが、各省に国立国会図書館の支部図書館をつくって、本の交換貸借、資料の流通、綜合目録の完成等々、立法がバラバラにならないように、セクショナリズムの鉄の窓をいかに破るかの夢が課せられたのである。
 全国の納本をわが館で一手に引受けて、その全国の文献のリストを完成すること、やがては分類のカードを印刷して、それを全国の図書館に安価に、できれば無償で配付することもすでに軌道に乗っている夢の道である。その他語られたヴィジョンは多かったのである。もちろんそれはアメリカではそれは現実なのである。しかし、その一つ一つが日本では夢にすぎなかったのである。かくしてその夢の種は、戦後の矛盾に満ちた瓦礫の中に下ろされたのである。
 私達は発生的に、その下ろされた一粒の種であったのである。右に根をのばせば鉄板、左にのばせば焼けた石というかたちでその生態を形づくり、空間を求めている。
 言語をつくってくれた、辛抱づよい人類の十万年の苦労を思い起して、鼓舞しなければ、時々途方に暮れる思いをする日がないではないが、しかし、二年足らずの年月とすれば、どうにかやっと根が下ろせたかと思うところである。アメリカの国会図書館の七十年の歴史から見れば、或いは二年目頃はこんなものであったかもしれない。
 夢を実現することは、ちょっとやそっとではない。支部図書館をつくるとき、各省から集まって議論があった。立法機構から行政機構に、一種の任命権をもつことからが無理な夢なのである。議論は全然まとまらないのである。あわや混乱かと思えた空気であった。私は思わずいったのであった。これが法的に無理である事はわが館の方がよく知っている。アメリカですらできない夢なのである。しかし、何故そんな無理を私達は課せられているのであろうか。おそらく、それは「現実」がそれを求めているからではなかろうか。世界のスポットライトを浴びて、それを完成するもしないも、みなさんの決意次第である。
 私は今、あの丹那トンネルを思い起す。十数年間それが不可能であると、あらゆる新聞からたたかれながら、黙々とあれを敢行した日本技術陣の涙は容易ならざるものがあった。私達はあの人達の思いをもう一度、この文化技術陣の者として思い返して見たいと考えたのであった。その後一年の今、二十四の図書館が、アメリカにない偉容をもって各省その他(学術会議をもふくめて)にできて、三百八十万冊の図書館資料を、一つの統一のもとに動かしつつある。この支部図書館の実験は、一つの示唆として図書館機構をして、「実体概念から機能概念へ」という一つの方向を示すかのようである。
 戦後の予算の不足から起っている悲しい一つの発見であるが(木炭自動車が世界の驚異であるように)、書庫ができなくても、図書館機構が成立するという考え方である。それは或る省で、図書課なるものが、調査局、渉外局を網羅して、精密な機構をつくるとき、リストとカードをしっかりして置けば、わが館にある十万の外国政府出版物は、その五〇%をその省が利用しているという現象が生じて来るのである。
 個人大福帳的、生辞引的なものから、工場機構ファクトリー・システムに各省も、図書館も変りつつある。その起工の起点がわが国立国会図書館でなければならない。かくしてわが館は、一般人の公開のサービスはもちろんであるが、かかる全日本の図書館界の大工場機構化に向って、大いなる準備をしつつあるのである。印刷カードも漸く完成の域へ近づきつつある。さらに保存のため映画フィルムに全新聞、貴重図書をうつすこと(マイクロ・フィルム)が始められつつある。さらに一つのカードに三十頁から百頁までの本を印刷して保存するという新しい課題(マイクロ・カード)が、図書館界の革命的実験として行なわれはじめている。
 思えば語部かたりべが、『万葉』『古事記』を記憶でもって口から口に伝えていた古代から思えば、文化の道を遠くも辿って来ている。しかし言語を発見したという、鋼鉄の意志でもって貫かれている人類の文化の足跡の一筋を追って行けば、私達が多くの命をその中に投じて悔いない巨大なる道があることを見出す。尚多くの若人がそれを踏みかためて、続かなければならない未来への道でもある。

底本:「論理とその実践――組織論から図書館像へ――」てんびん社
   1972(昭和47)年11月20日第1刷発行
   1976(昭和51)年3月20日第2刷発行
初出:「婦人公論」
   1950(昭和25)年4月
入力:鈴木厚司
校正:染川隆俊
2006年11月2日作成
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