何か急流のように流れている世の中である。大きな潮の高まりが、せき止めようもなく、高まってゆき、何ものもがその流れの中に、身をゆすぶっているような感じである。
 この流れが何処から起り、何処に流れてゆくか、誰も見定めることができない。ちょうど潮の干満が、遠い遠い月の世界と関係があると、誰が想像し得たであろう。
 しかし、この流れの中で、一つの事は間違うことなく見定め得る。経済機構の発展につれて、この電信、電話、写真、ラジオ、飛行機等の技術の発展は、この五十年間に考えようもない進歩をとげた。そしてこの事から、人間が個人生活だけを守るという生き方が、その根柢から崩れはじめたといえる。そして、集団的な生き方が「いや」でも「おう」でも、人々の生活の中に、大浪がかぶさるように雪崩れて来たといえよう。
 個人的な生き方から、集団的な生き方に、生き方が移りつつあるといえるであろう。そして、この集団的生き方に、早くなっていった民族が、未だ個人的生き方でまごまごしている民族よりも、経済でも、軍事でも、何でも盛大になり、強力になってゆきつつある事は、よほど注意すべき事である。
 今世界の問題が米、ソ、の二国のもつ力のバランスによって、大きな影響をうけつつあることも、考え方によれば、一歩先んじて集団的生き方に民族を鍛えあげた民族が、世界の注目を浴びることとなったともいえるのである。早い話が、原子爆弾にしても、米国ではトルーマン声明によれば、十万人の人間がただ一つの集団的研究機関となって、極秘裡に研究していたのである。原子爆弾が一つの勝因ではあったであろうが、考えてみれば、勝利の決定的要素は、この十万人の研究組織をつくることのできたアメリカの国家機構の壮大なる運営才能であったというべきであろう。
 湯川、坂田、武谷の三人共著『真理の場に立ちて』(毎日新聞社)を読んでみると、原子爆弾の研究を軍部から昭和十九年依嘱されて、その見当をつけて研究の最中の武谷氏を、警視庁は思想上の僅かの疑いで検挙したのである。そして皮肉にも、取調べの最後の日、主任検事は、広島の原爆の講義を被告から聞くために検事団を召集して、黒板を前にこれを学ばねばならぬというような醜態を演じていたのである。陸軍と海軍がばらばらであり、軍部と内務省がばらばらであり、研究者と研究者がばらばらなのである。それでどうして、十万人の集団単位の組織研究をしていたアメリカに勝つことが出来よう。今にして尚、湯川博士は、アメリカに行かなければ実験組織の中に展開してゆく湯川理論を発展する事は出来ないのである。
 アメリカが日本をリードし、制している根本的なるものは、個人的なものの考え方に対する集団的なものの考え方において、遙かに一歩先んじているところにあるかと思われる。
 こういうと、嫌な顔をする人々の顔が、眼に見えるようであるが、好むと好まざるにかかわらず、この集団的な生き方、考え方を、正しくものにしなければ、世界の水準の新しい日本の位置を保つことはできないのではあるまいか。
 この激しい急流の、一方に高まりつつあるもの、そしてそれが低きにしたがって流れている大いなる流れは、この個人から集団への道であるかのようである。
 そこで、この集団の生き方、考え方として、どんな事が、私達の眼前にあらわれて来ているであろう。ちょうど、個人がものを考えるように集団がものを考える時はどうして考えるのであろう。早くいえば、学校で、会社で、議会でやっている「委員会」がそれである。
 集団は「委員会」でものを考えているのである。委員会の事務局はそれが都合よく考えるように世話をするところの、個人でいえば身体のようなものである。日本では、この集団としての研究の事務局が未成熟な場合があるのである。
 更に次に個人がものを記憶するように、集団はどうして記憶するのであろう。ここに図書館が問題となるのであるが、カード記号の組織で記録する事が集団機構のものの憶え方なのである。日本全国の図書館の綜合目録、すなわち全部の本のカードを一カ所に集めるという国立国会図書館法の命ずるところのものは、こういう考え方の中核をなすものである。
 ちょうど昔、語部かたりべというものがあって、もの憶えのよい個人が歌のようにして歴史を憶えていたのに、今、民族を単位として、巨大な組織体として、図書館が、綜合目録で、またマイクロ・フィルムによってそれを交換しながら、全記録を残すことを試みようとしているのである。もはやここでは、巨人のような機械構造が民族の語部として、立上ってゆくのである。油のよくひかれた、とぎすまされた精密機械が音もなく完全に動いてゆくように、わが図書館は自らを訓練しようとしている。これは、機械におびえている世紀の恐怖に立ち向って挑戦している眼に見えない闘いともいえるのである。
 今、C・I・E図書館が、ライブラリーと呼ばれるよりも、インフォーメーション・センターと呼ばれている事は注意すべき事である。本に関係をもつよりも、情報行動の集団的中心として、図書館はその姿をかえつつあるのである。
 私はこれまで図書館は三つの考え方をもって歴史の中に進展して来たと思う。第一は「文庫としての図書館」である。第二は「百貨店としての図書館」、第三は「情報網としての図書館」である。
 第一の時代は、図書館といえば、円天井のあるシーンとした、いかめしいお寺か、教会堂のような図書館である。事実外国の図書館も、必要もないのに何処でも中央に円天井をもたねばならぬ事としてその様式をとっているのである。アメリカの国会図書館ですら、旧館はその様式をとって不便をしのんでいるのである。かかる時代の図書館は、お経堂やバイブルの注釈書がそうであるように、人に見せるよりも古い本が集まっている事が大切であり、そのためには、なるべく人に見せない事が保存のためには一等よいのである。日本の大学の図書館が学生を書庫に入れないようにするといってC・I・Eの或る人が笑っていたが、全く、日本の図書館はサーヴィスについて考えはじめたのは最近の事である。
 我国の図書館には未だ「……文庫」の形式が残っていて、それはサーヴィスをするよりも保存を心がけているところの「庫」でしかないのである。一つの本をかりるのに数日間の書類と印判を要するのがある事はまことに残念である。本人達は大真面目にそうなのであるし、この啓蒙に未だ数年間を要すると思われるのである。その図書館が国民の税金でまかなわれている事がほんとうに判るまで、その人達は、昔さながらの何か特別の「位」にいると思い込んでいるのにちがいないのである。
 アメリカのベンジャミン・フランクリンのつくった図書館は、自分達の本をもちよってつくったのである。この出発こそがほんとうの二十世紀の図書館の本流の源泉である。
 喫茶店のような図書館、百貨店のような図書館、人々のもの、われわれのものという、入るのに階段のない図書館、威厳もなければ、ゾーッとするようなシメッポさもない。軽い親しい、あかるい機能的な図書館がここに新しく生まれたのである。読むための「機械のような図書館」が二十世紀の理想の図書館である。本は空気圧搾器のチューブで送られ、注文されてから二分乃至七分で、読者の手許に飛び出して来るというのが、アメリカの議会図書館の規格である。そこはもはや「読む工場」ですらあるのである。日本の図書館はまずこの考え方にまで、啓蒙され到達しなければならない。
 しかしアメリカはこの「百貨店のような、工場のような図書館」に満足し止まってはいないのである。二十世紀の半ばとなって、ここに第三の段階の新しい図書館の考え方が生まれて来たのである。それは、この「百貨店のような図書館」は只孤立しているのではなく、それは国家を単位とするところの、一大情報網として、その組織を完成すべきであるという考え方が新しく生まれたのである。その情報の中心に、国立の情報中心インフォメーション・センターとしての大図書館があるべきだという考え方がそこに更に生まれたのである。アーチボルド・マックリーシュがアメリカの議会図書館二代目の館長として館を改革し、それを整備するにあたっては、この一大新使命が、その根柢に横たわっていたというべきであろう。
 マックリーシュの下に働いていた副館長クラップ氏ならびにアメリカ図書館協会のブラウン氏が、わが国立国会図書館の出発にあたって、多くの助言をあたえられたとき、そこに未だ世界に多くその類例を見ないこのインフォメーション・センターとしての大構想が、嗣がれていたのである。この考え方は世界における新構想であるのみならず、未だ実験中の新元素機構なのである。戦後の混乱の文化機構の中に、この大組織網としての図書館構造の形成の中核として立ち上りつつあるわが国立国会図書館は、まことに容易ならざる三年間を、ここにけみしたというべきであろう。開館の六月五日を思い返して、うたた感無量なるものがある。
 日本全国図書館の本の綜合目録を造ることによって、全情報を我館に集めることは図書館法で定められると共に、私達は二十五カ年計画をもってこれを始めているのである。これはユネスコから国際的目録改良委員会を我館に委嘱していることと思い合わせて、内外の世界的スケールで、集団的情報組織の一環として、我館は東洋の一角に、そのコーナー・ストーンを、先んじて置いたというべきである。アメリカの議会図書館の姉妹図書館としての緊密な連絡は、この国際性をまことに深からしめているのである。
 この冬から出発している印刷カードの全国頒布は、これも日本としては画期的な試みであって、納本制度の確立とともに、全国の図書館のカードの単一組織化がここにその緒を見ようとしているのである[#「いるのである」は底本では「いるである」]。殊に支部図書館の二十七図書館が、その威容をととのえて、刻々新しく内容を改善しつつあるのは、未だアメリカでも試みていないところの行政、立法のセクションを越えての組織化であって、この実験の成功のあかつきは、世界的成功というべきであろう。
 かく考えてみると、ここに我館の未来は、図書館の歴史に照らして見て、まことに、重大なる課題を担っているというべきであろう。
 我館のこの三年の動きは、それはまことに遅々たる寂けさにある。しかし、この寂かな動きの底を流れるものは、世界をあの急流の中に巻き込んでいるところの大いなる流れ、個人より集団へと移りつつある世界の流れの潮騒のしるしが、ここに今、寂かに訪れているのである。
 この寂けさを、われわれは決して単なる寂けさとするべきでもなく、また断じてしてもいないのである。

底本:「論理とその実践――組織論から図書館像へ――」てんびん社
   1972(昭和47)年11月20日第1刷発行
   1976(昭和51)年3月20日第2刷発行
初出:「読書春秋」
   1951(昭和26)年5月
入力:鈴木厚司
校正:染川隆俊
2007年11月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。