○ クロポトキンの反対

 社会主義者、無政府主義者中にて、分業制度を最もにくんだものはピエール・クロポトキンであらう。エドワアド・カアペンタアの如きも、諸種の仕事を兼業する自作小農を以て社会の健全分子だとしてゐるが、クロポトキン程には分業制を排斥しなかつた。クロは多くの社会主義者がこの分業制を支持するのを見て「さしも社会に害毒ある、さしも個人に暴戻なる、さしも多くの悪弊の源泉たる此原則」と言つてゐる。分業は吾々を白き手と黒き手との階級に(ママ)けた。土地の耕作者は機械に就ては何にも知らない。機械に働くものは農業に就て全然無知である。一生涯ピンの頭を切ることを仕事にする労働者もある。単なる機械補助者になつて、而も機械全体に就て何の考へも持たない。かくて彼等はそれによつて労働愛好心を破壊し、近代産業の初期に、吾々自身の誇りである機械を創造したところの発明能力を喪失した、とクロポトキンは言つてゐる。(チヤツプマン版『パンの略取』二四七頁―二四九頁)
 更にクロポトキンは曰ふ。個人間に行はれた分業は国民間にも遂行されやうとした。分業の夢を追つて行つた経済学者や政治学者は、われ/\に教へて言つた。「ハンガリイやロシヤはその性質上からして工業国を養ふために穀物を作るべく運命づけられてをり、英国は世界市場に綿糸、鉄製品、及び石炭を供給すべく、ベルギイは毛織物を等々……加るに各国民の中に於ても各地方は各々自身の専業を持たなければならない。」併しながら「知識は人工的政治的の境界を無視する。産業上に於ても亦然りである。人類現下の形勢は、有り得べき凡ての工業を農業と共に歩一歩と各々の国内及び各地の地方に結び着けるにある。……われ/\は一時的分業の利益の数々は認めなければならないが、然し今は労働の綜合を絶叫すべき時であることを容易に発見する。」(能智修彌氏訳『田園・工場・仕事場』五頁―七頁)

     ○ セエとコント

 分業の弊害を認めた学者は古くからあつた。アダム・スミスが「分業」といふ文字を作り、それを学理的に論じてから間もなく、仏国のジヤン・バチスト・セエ(一七六七―一八三二年)は一人の人間が常に針の十八分の一の部分だけを作つて暮らすなぞといふことは人間性の尊厳を堕落させるものだと言つてゐる。ルモンテイ(一七六二―一八二六年)は又分業に関して、近代労働者の生活と未開人の広い自由な生活とを比較して、未開人の方が遙かに恵まれてゐると考へた。オーギユスト・コント(一七九八―一八五七年)も之に就て言つてゐる。「物質方面に於て、労働者が、その生涯の間、小刀の柄や留針の頭の製造に没頭する運命が悲しまれるのは当然であるが、然らば、知識の方面に於て、或る方程式の決定とか、又は或昆虫の分類のみに、人間の一つの脳髄を永続的に使用するといふことは、健全な哲学から見て、同様に悲しむべきことではないか。その道徳的結果は不幸にして何れの場合に於ても同様である。即ち解決すべき方程式の問題や製造すべき留針の仕事が常に存在すれば、世事一般の成行などに就ては悲しむべき無関心に陥らしめられるのである。」(拙訳『実証哲学』下巻一〇二頁)
 然るにコントは他の所に於ては、寧ろ分業を以て社会の優越性の徴証としてゐる。「動物学の研究によれば、動物身体の優越性は各種機関が益々分化して而も連帯するに従て各種の機能が益々専門的になるといふ点にある。社会組織の特徴もまた同じで、それが全然個人組織に超駕する所以である。各人が特殊な生存をなして或る程度までは独立でその才能とその性質とが各々異なつてゐるに係はらず、また互に評議もせずに、たゞ自分達の個人的衝動に服従するのみと信じて、最も多くの場合、大多数の人が気の付かぬ間に、自ら全体の発展の為に協力すべく傾向してゐるといふ、かうした多数個人の協調よりも以上に驚くべき事態が他にあるであらうか? ……社会が複雑になるに従て益々顕著になる所の共働と分業との調和は、家庭的観点から社会的観点に向上した場合の人間の施設の特質をなすものである。」(前掲書九八頁)

     ○ 分業是否の諸問題

 吾々はこの近代文化の本質とも見るべき分業制度を如何に取扱ふべきか。この制度は吾々の社会生活が発展して行くに連れて益々増大するであらうか。さうした極度の分業生活は人間としての尊厳を傷つけるに至らぬであらうか。或はさうでなく、或る程度に分業が達すれば自然にその分化は停止して却て綜合的にまたは兼業的に向ふであらうか。それとも自発的には分業の発展が停止しなくても人為的に防止すべく努力すべきであるか。更らにまた翻へつて、分業そのものに弊害がある訳ではなく、病的に発達した場合のみが悪いのであるか。病理学的研究によつて社会的生理を明かにし、それによつて分業制の是非を決定すべきであるか。
 凡そこれ等の問題にそれ/″\正確な答へを与へるには簡単な記述では出来ない。近代仏蘭西フランスに於ける社会学の一権威デユルケムの大著『社会的分業論』は是等の諸問題に対して先づ首肯せらるべき解決を与へてゐるが、併し、それでも尚ほ人間の社会生活の半面をしか見てゐない様な感を懐かされる。従て此論文には可なり多量にデユルケムの思想や言葉が採用されるであらうが、それに対する他の半面があり、且つそれが甚だ重要であることを断つて置く。
 私は前掲の諸問題について一々論じて見たいのであるが、それは此小紙面では到底容れられない。已を得ず、それ等に対して自ら解答になるであらうやうに、先づ人間社会に如何にして分業が起り、如何に変遷して来たか、といふ点から説明し、それから分業と社会連帯性との関係に及び、社会の進歩との関係に及び、更に進んで分業の得失を論じ、理想的分業制にまで論歩を進めたいと思ふ。

     ○ 分業の起源

 分業は何故に起つたか? 最も広く行はれてゐる説によると、分業の原因は、人間が絶えず幸福の増加を要求するところのその慾望にあるといふ。併し幸福とは何ぞやといふ問題も可なり不確定な観念を以て成立する。そこで幸福の内容如何は問はず、ただ人間が楽しみ赴くところを幸福と称するといふことにして、さてさうした心理的法則は何れの社会にも行はれてゐるが、分業制は必ずしも一様には進歩しない。勿論、幸福の慾望は分業制生起の一要素にはなるであらうが、それには他の条件が備はらねばならぬ。即ち幸福の慾望が自我意識の覚醒に伴はなければならない。デユルケムは「分業は社会の積量と密度とによつて直ちに変化する。そして若し分業が社会発展の過程に於て継続的に進歩するとすれば、それは社会が規則的により稠密になり、また一般的により大きくなるからである」といふ定則を作つてゐる。更に進んでデユルケムは言ふ、社会がより大きくより稠密になるに従つて事業が益々分化するのは、それは生存のための闘争がより緊張するからであると。それは諸人が同様な目標を立てて進めば競争が激しくなるが、異なつた目標に進む時は競争はないからである。けれどもデユルケムのこの議論は些かダア※(濁点付き片仮名ヰ、1-7-83)ニズムの一面に固着した傾きがありはしないか。
 生存競争なぞは甚だしくなくても、自我意識が発達する場合には自ら分業が起つて来たのではないか。特に工業と美術とが分離しない時代に於ては、芸術的自尊心によつて諸種の工芸がその天才の家系に一種の秘伝として伝はり、従て諸家の間に自ら分派、分業が起つたであらう。学問、知識に於ても矢張り同様に、或は陰陽術、或は文章学等の諸知識が家伝として分業的に伝はりもした。『古事記』神代紀、天の石屋戸会議の条に、「八百万神、天安之河原に、神集ひて……イシコリドメの命に科せて鏡を作らしめ、タマノオヤの命に科せて八尺の勾玉の五百津の御頻麻流の玉を作らしめ云々」とあるは、日本に於ける分業制の最も古き記録と見るべきで、これから段々「家業」といふものが伝はつてゐる。家業とは家に伝はつた職業である。

     ○ 階級的分業

 分業の最初が生存競争の為に起つたといふよりは、寧ろ自我意識の発達に基くと見らるべき徴証は他にもある。そして分業の発端に於ては、それは一種の独占業として又は階級として表はれてゐる。例へば一部落の長老中に特に知力と記憶力との発達したものがあるとする。太古の暦を持たない民衆にとつては呪はしい酷寒の冬の期節、即ちサムソン――サムソンはアラビア語のシユムシと語源を同じくしセミチツク語の太陽といふことである――の健康の最も衰へる時期には民衆の悲哀は極点に達したに相違ないが、その時、智能の優れた長老が、その長い経験と記憶とに基いてやがてサムソンの体力復活の時期、吾々を救ふために暖い春の日を持つて来る時期を予言したとすればどうであらう。或は初夏の「雪しろ水」を予告し、或は二百十日の暴風を予言したとすればどうであらう。心の単純な部落の全民衆はその長老を救主として神様の如く尊崇したであらう。そしてそれに自分等の持つてゐる最も善きものを捧げたであらう。かくて長老は生活のために労働もせずに専らその長じた研究に従事して益々智能を啓発したであらう。そして、その集積された学的知識は自然にその子孫に伝へられ、漸くにして特殊階級としての一家族が出来たであらう。これが或は戦争の場合の武将ともなり、又は武将と結託することにもなつたであらう。王様の起源をだづねると此くの如くである。かうして王様が出来るまでには、幾代も経過したであらうが、兎に角それが民衆一般の生活から分業的に卓出したものであることは疑はれない。
 ハアバート・スペンサーは説いてゐる。「社会進化の過程のごく初めの期間に於て、我等は統治者と統治者との間の萌芽的分化を見出すものである。……然し乍ら最初の間は、この事はまだ不定限にして不確実であつた。……最初の統治者は自分で獲物を殺し、自分で自分の武器を作つた。自分で自分の小屋を建てた。そして経済的に考察すれば彼の部族に属する他の人々と何等差異がなかつたのである。征服と諸部族集合とに従て、両者の対照はより決定的になつた。優越的権力は或る家族に世襲となつてくる。酋長は最初軍事的であるが後には政治的になつて来て、自分でその慾望に応じて獲得することをめて、他の人々から支給をうけるやうになる。」(沢田謙氏訳『第一原理』「世界大思想全集」四二八頁)これも分業が独占的階級的差別となつた原始的事例である。

     ○ 近代産業の分業

 然るに近代に至り、交通機関や印刷器械の発達につれて知識の普及が急速に行はれ、次で諸種の新産業が勃興して来たので、旧来の特権制度や、家伝的分業法はこの新興勢力と新興技能とに対抗することが出来なくなつて崩潰した。鬱然として諸種の事業が興り、様々な改革や、発明や、発見や、絶えず生起する新現象は旧来の特権的事業を破壊して諸事業は自然に新興民衆の手に帰するのであつた。かくて宗教革命から政治革命となり、旧来の特権的分業は民衆間の分業となつた。そして産業革命までを経過して、現代の立憲政治と資本主義経済組織とを成就するに至つた。殊にかうした産業革命を齎らした主要原因たる機械産業の特徴は従来の事業の種目的分割ではなくて、技術実行上の分業であつた。近代の産業革命の警鐘を鳴らせしものと称せられるアダム・スミスの『国富論』は、実に此「分業」といふ文字を初めて使用し、それによつて世界の知識人は漸く意識的にこの分業とその結果とを見るに至つたのである。前段に掲げたるクロポトキンや、セエ等の分業悲観論は主としてこの工業的労働の細分割にある。
 即ち大組織の機械を運転する補助者として使用せられる賃金労働者は、僅かに生命を維持し得るだけの賃金を受けて、一生涯、終日、極めて単純な一労作を反覆連続することを務めとせねばならぬ。そして人間としての全面的生活を味はひもせぬは勿論のこと、機械の全機構さへも了解しない。労働者は単にその機械をして多大の余剰価値を生産せしめて資本家に捧げしめる道具に過ぎなくなつた。

     ○ 地理的分業

 然るに以上の如く、人或は家による事業の分担と並んで、土地の事情に基く地方的分業が古から自然に発達した。自然現象に支配せられること多き古代人には殊にこの事実が著しかつた。前者を歴史的分業と称すべくんば、後者は地理的分業と言ひ得るであらう。海浜に於ける漁業、山地に於ける牧畜、熱帯湿地に於ける米作、熱帯乾燥地に於ける橄欖樹オレンヂ栽培等数へ挙げれば限りもなく多くの地方的特産事業があり、またそれに伴ふ産業が地方的に分業せられる。
 ところが地理的または歴史的の理由に因つて、或は地方間の交通が開け、或は地方住民の移住が行はれ、更に或は戦争の結果として、或る地方民が他の民族に服従するに至ると、未知の技術を持つた外来民族又は新付民族の刺激によつて、そこに新らしい事業が起り、そこにまた新らしい分業事実が増加するのである。
 かくて古代に於ては地理的自然の支配によつて職業を限定せられた人間も、近代に至つては社会的環境の影響に応じて自我意識を明確にし、自己の才能と周囲社会との関係を認識して、自分の占むべき社会上の地位と職分とを発見する。それが芸術的傾向による決定でも、生存の為の努力でも、要するに個性の発揮といふことが其間を貫く一事実である。従てかうした分業は自由を求むる心意の発露であると言ふべきである。
 然るに近代の機械的産業文化の本質たる分業制は最初に述べたる如く諸学者の批難を受けるほどに悪弊を醸し、人間性に反して徒らに労働者を虐げ、徒らに富者のみの富を益々増加して其堕落費を奉納するの手段となつた。
 そもそも、それは何故であるか。ここに近代社会の病理的研究の必要がある。然るにオーギユスト・コントは病理学の原則に就て次の如く言つてゐる。「ブルツセエの天才によつて創始せられた実証的病理学の原則によれば、病理学的状態(病症)と生理学的状態(健康状態)との間には根本的の差異はない。病理学的状態とは常態にある生物の各現象に固有な、そして或は高等な或は下等な変化の限界の単なる延長であるに過ぎない。病理学的状態は或る程度に於ては純生理学的状態との類似を持つてゐないが、決して真の新らしい現象を生むものではない(註)。」この原則は今日の病理学の原則としても是認せられるやうであり、且つこれを社会の病理的現象を考察するの標準ともなし得るであらう。
 註、拙訳『実証哲学』上巻三四八頁

     ○ 分業の病理的現象

 分業が人類の社会生活を営むための必要条件として発達せることは前段に述べたところによつて略ぼ察せられるであらうが、尚ほ一段の深い意義を分業に見出すべき事実が別に存在する。それは吾々の社会生活が、器械的の結合から漸次に有機的結合へと発達して行く主要素としての分業の役目である。吾々の社会生活に器械的結合要素が多大な時期に於ては、その結紐となつたものは刑罰法であり、従てそれを保持するものは絶対的な強権であつた。然るに個人の社会的覚醒が発達し、政治にも産業にも学問にも分化(分業)作用が行はれるにつれて、強権的刑罰法が吾々の日常生活に干渉することは漸く減少し、之に反して協同主義的或は相互主義的法規が益々多く広く吾々の生活を規定するやうになつた。民衆に与へられる自由は漸く拡張せられ、知識の普及とともに、各自が自分を大成するの希望とその世界とが開けた。
 かくて各個人は従来の族党又は藩閥、或は王侯貴族の覊絆を脱して、直接大きな国家的社会に連帯生活を始めた。各個人の分業的職能は国家的社会の有機的(不完全或は部分的ではあるが)生活に直接的連帯を形成する主要素となつた。各個人の自我意識とその自主的行動は同時に全社会の連帯生活と利益を同じくするやうに、社会発展の方針は向けられた。
 然るに、この自我意識に基く分業を全社会と連帯せしむべき流通路は再び法律によつて遮断された。それは所有権の特別的保護即ち資本主義の維持である。かく強権の保護によつて成立せる資本主義的機械産業は一般社会生活と隔離せる、換言すれば社会的連帯生活から遮断したる、特殊な独立な機械的分業制を以て営まれることになつた。それはカアペンタアが疾病の徴証とせるところ、即ち「部分的な中心が全一体に服従しないで自らを樹立拡張する」のである。資本家が社会から分立して創立したるこの分業的工業は労働者の自我意識に基く分業ではなくて、却て其自我を削殺する純機械的分業である。「賃金か餓えか」に強迫せらるゝ奴隷的分業である。かうした強迫的機械的集合生活に階級的闘争のみあつて、連帯性のないのも、相互精神のないのも当然である。そして此近代文明の主要素たる機械的強迫的分業制が全社会に反映する結果は更らに恐るべきものがある。それは総ゆる方面に於ける社会の最も新鋭分子たるべき若き人々の自我と個性を削殺するに至るのである。
 以上に記するところによつて読者は社会的分業の生理的現象と病理的状態とをぼ了察し得たであらう。即ち読者は分業制そのものは寧ろ吾々の社会的連帯生活に欠くべからざるものであるが、これを強制的に行ふことは却て反社会的の為方であり、社会連帯性の破壊であつて、階級闘争を激発するものであることが了解されるであらう。デユルケムがその名著『社会的分業論』に於て、「分業を最大限度に行へといふに非ず、必要の限度に実現せよ……」と説いたのは、かうした理由によるのである。

     ○ 分業と社会

 若し万人が同じ生業を営み、自給自足をするとせば――その様なことはあり得ないが――その人間社会は機械的の結合しか出来ず、連帯性は極めて薄弱で、些かの困難又は外患によつても忽ちに破壊されて了ふであらう。そして外来又は内発の強権力に統一される運命に陥ゐるであらう。諸生物が所謂高等になるに従て諸機関の分業的組織が複雑になり、各部が自(ママ)的連帯性を現す如く、人類社会もまた発達するに従て分業が複雑になり、諸機関の間の連絡も益々緊密になる。兎は臭覚と視覚との連絡を持たないが犬の両感覚神経には統一がある。即ち意識が発達してゐるのである。分業による自我意識の生活は、その儘にして社会に有機的に連帯し、それによつて利己は其まゝ利他と一致するに至る。社会と個人とは物質的にも精神的にも一致するに至る。スクレタンが「自己完成とは、自分の役目を学ぶことだ。自分の職務を充すべく有能者となることだ!……」と言つたのはこれだ。
 この分業的役割の思想を離れた従来の漠然たる「円満な人物」或は「人格者」といふ様なものは、自由な平等な無強権な社会生活には一種の不具者として寧ろ影をひそめるであらう。社会生活に於ける何等かの労務に服さない英雄的賢人的「人物」や「人格者」は強権時代、階級時代、英雄崇拝時代の遺物に過ぎない。
 分業による差別性によつて社会連帯性が益々鞏固になるといふデユルケムの説に対しては些かの反対意見がある。シヤルル・ジイド教授の如きはその一人だ。ジイドは「かうした差別の真理を否定しないにしても、吾々はその類似による連帯性の軽視や、差異による連帯性への乗気を正しいとは思はない。吾々は寧ろ反対に、類似性こそ連帯の為に未来を持つものであることを希望する」とて社会の各方面に於て、階級間にも、地方間にも、風俗や、言葉や、心の持方まで、旧来の差異が薄らいで益々近似すべく進んでゐると説く。そしてデユルケムは吾々の社会的結合の模型を労働組合に採らうとするに対して、ジイドはこれを消費組合に採らうとする。(ジイド、リスト共著『経済学説史』七一〇頁―七一一頁)

     ○ 差別と平等

 デユルケムも人間の類似による結合を無視した訳ではない。「同類相集まる」といふ俚言を引いて、さうした事実を認めてゐる。けれども彼が重点を置いたのは差異性による社会連帯にある。同じ目標を持つた者の間には生存の闘争があるが、目標を異にするものの間には闘争が少ない、といふのが彼の観点である。
 併し、交通機関の発達によつて、従来著しかつた民族間又は国民間の諸差異が漸次抹削されつゝあることは事実である。併し又、その差異が抹削されるのは民族間或は階級間のそれであつて、その差異が除去されると同時に自然人としての個人間の差異が著しく眼に付くやうになる。また政治的歴史的地方色に代つて自然的地方色といふものが顕はれてくる。
 かうして現はれる自然的差異は却て国境を超え、階級を無視して、人類としての平等観を顕揚するものである。なぜなら同じ階級人にも自然人としては非常に異り、却て他階級人に酷似する者を見出し、同国人と異国人との間にも同様の事実が見られるからである。そして国民間又は階級間の差別が意義のないことを示すからである。
 差異観は平等観によつてのみ明白にされるのである。平等は差別の鏡である。外国に行つて初めて祖国が明知される如く、社会的連帯を見て初めて自己の地位が分る。分業は自発的な連帯によつてのみ維持されるのである。個人の自由は相互主義の道徳によつてのみ保持されるのである。連帯なき分業は翼のない飛行機のやうなもので、発動機は如何に運転しても社会といふ大気の中に有機的に浮ばない。生産のない消費はあり得ない故に、生産者の組合を斥けて消費者の組合のみを模型にするといふのも、片輪である。

     ○ 分業と農業

 尚ほ大機械工業に於ける分業制の弊に就ても、シヤルル・フウリエの如きは今から百余年前に注意し、労働の班列制を考案し、園芸と工業とを種々の部分に別けて、一定時間に交替すべきことを説いてゐる。また此頃大機械工業そのものも、或る種類にあつては、却て小規模組織に変ずるを利ありとする意見が出て来た。電気動力の使用の如きは、その主要原因をなすであらう。
 フウリエは大機械工業主義を賛成し、その代り右の如き交替制を案出したのであるが、それは農業に於ても、同様な案を立てゝゐる。然るに工業に於ては細かな分業制も已を得ぬと認める人々も、農業の分業制は不利の場合が多いと説くものが少くない、クロポトキンも、カアペンタアも、それである。
 カアペンタアは言つてゐる。「私の経験では、小農者は地方住民中で最善、最優なるものである。私がこゝに小農者といふのは、四十エーカー以下の地を耕作する者を言ふ。(一エーカーは約四反歩)彼等は一般に多芸多能であつて、種々な仕事に変通自在で器用である。そして是れは、狭い場所にて一切を自分で処理せねばならない処から、その必要に迫られて器用にもなり、変通自在にもならしめられる為なのである。かうした人達は、農耕の外に牧畜や斬毛にも携はり、多少は鍛冶屋の仕事も出来る。自分で小屋の修繕もすれば、新らしく建てもする。(自作農の場合には)……若し其耕地が充分でない場合には外に出て労働もする。或は石屋の仕事もすれば、左官屋の仕事もする。此種の人達は多く技能に富み、仮令たとへ読み書きの方には不得意でも、或る意味に於て、善く教育された者と言ふことが出来る。」(カ翁著『自由産業の方へ』九九頁)更に言つてゐる。「大農制に於ては、大抵分業が過ぎる。例へば一人は牛方、一人は犁持、一人は馬力、といふ工合に種々に分業が行はれる。そして其結果として、彼等はその分業の溝の中にはまつて了ひ、その限界と活動とは制限される。……その結果として、彼等本来の事務の大部分に就て無知になり、才能も亦萎縮して了ふのである。……ただ此理由によりて、小農は大いに奨励すべきである。」(同前書)
 クロポトキンの『田園、工場、仕事場』に説くところも矢張り同様である。

     ○ 吾等のコムミユン

 併し、クロポトキンでもカアペンタアでもすべて一律に自給自足せよといふのではない。都市の理想的組織でも、農村のそれでも、個人でも、集団でも、画一的に生活し得るべきものでなく、環境と利害とに従て千差万別の形体を持つべきである。そして、それ/″\の分業的差異が実現さるべきである。
 クロは言つてゐる。「吾々の需要は非常に多様であり、非常な速力を以て発生し、それはやがて、只一つの聯合では万人を満足させることが出来なくなるであらう、そのとき、コムミユンは他の同盟を結び、他の聯合に加入する必要を感ずるであらう。たとへば食糧品の買入れには、一の団体に加入し、その他の必要品を得るためには第二の団体員とならねばならないであらう。次で金属品のためには第三の団体、布や芸術品のためには第四の団体の必要があるであらう。……生産業と種々の物産の交換地帯は相互に入り込み、互に縺れ合ひ、互に重なり合つてゐる。同様にコムミユンの聯盟も、若しその自由な発達に従つたならば、やがて互に縺れ合ひ、互に入り乱れ、互に重なり合つて、『一にして不可分な』網を成すであらう。」
「吾々に於ては、『コムミユン』は決して地域的集団ではない。寧ろ境界も、防壁も知らない、通有的名詞である、『平等者の集団』と同意語である。この社会的コムミユンはやがて画然と限定されたものでなくなるであらう。コムミユンの各集団は他のコムミユンの同種の諸集団の方に必然的に引寄せられるであらう。そしてそれ等の集団と、少くとも同市民に対すると同程度の強い関係で結合し、一つの利益を目的とするコムミユンを構成するであらう。そして、その加入者は多くの都市や村々に分散してゐるであらう。」(以上、拙訳『反逆者の言葉』七四―七六頁)
 以上によつて、クロポトキンの理想するコムミユンが、消費組合としても労働(生産)組合としても、決して単一に地域的にのみ形成されるものでなくて、同時に分業的又は種別的に構成されるものであることが分るであらう。かくすれば、前段に紹介したジイドとデユルケムとの意見の相違点はここに自ら融合せられるであらう。蓋し、諸々の生産労働組合は各々地位を異にし利害を異にするが、消費組合は一般的に同類であつて、全社会を包容する資格があるといふジイドの説にも不都合は生ずるであらう。そして自然発生的に成立する自由の消費組合にはまた色々な種類が現はれるであらう。されば吾々は言ふことが出来る。以上の如くしてこそ、生産団体と消費団体は互に縺れ合つた連帯網を構成して、そこに有機的無強権的自治的にして而も極めて鞏固な社会生活が成立するのであると。

底本:「石川三四郎著作集第三巻」青土社
   1978(昭和53)年8月10日発行
初出:「ディナミック」
   1931(昭和6)年3月1日
※「(註)」は底本では、直前の文字の右横に、ルビのように付いています。
入力:田中敬三
校正:松永正敏
2006年11月17日作成
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