本も時代によって、さまざまな風俗を成す。前述したように本はいつもその時代の趣味好尚を映じ出している。即ち、僧俗時代、貴族時代、そうした時代の本はやはりそうした時代を明示する姿を以て遺されている。燦爛さんらんたる光耀を伴うような、神への尊崇と神への敬順を具象化したような宝玉や金属で飾られた寺院本、紋章や唐草や絡み模様などでけんらんと装われた貴族蔵本などは自ら過剰な、華飾的な此等の生活と風俗を具えている。蓋し当然事である。印刷術の発明、大量化以来、本は、甚だその働き場を拡大された。私蔵装飾本は、本のうちの甚だ少数なる一部となった。そして大多数は公刊装本によるものが規準となった。現代に於ては、本も甚だ多衆的なアンチームな姿を以て世紀を縦断している。この現代である。所で日本の現在、本はどんな姿をしているか。改めていうまでもないが、一応は述べなければならないことだ。日本はその過去の本に於ては、西洋本と甚だ異る綴本装幀をもっている。巻物形式まではほぼ同様であったが、綴本形式になってからはまるで変った形式となった。即ち袋綴じであって、截口が綴る方にある、西洋の逆態である。西洋と東洋とは、いろいろなものが逆であるが、本もその例を如実に示している。表紙を本文に綴じ合せる方法は西洋では早く姿を没したが、日本ではそれが、洋風装本の渡来までそのまま存続していた。チョン髷と同様である。この和風綴本、これは現在もむろん存在する。数から云っても、教科書類のこの方式のものを加えたら、相当な量であろう、が一般公刊本にあっては極めて少数がそれであるのみである。そして本の綴装といえば、殆ど大部分の人は洋式装しか頭に浮べないであろう程、洋装が常態となった。丁度男子は、街頭に於ては殆ど洋装であるが如しだ。これ即ち日本現在の風俗に協応するものであって、現在生活の洋風化の実情をはっきりと具象しているものである。本箱本棚を考えてもたてに並べる洋式の方が普通である。和装は特殊な好み以外に普通は行われない。そして和装はその意匠を施すべき範囲が甚だ狭い。つまり和装本の形式は、丁度和服が殆ど手のつける余地のない程、完成し切った形体であると同じである。現在公刊本に此の和装の形式が変形乍ら用いられるのは、僅に箱だ。即ち、題貼り形式がそれである。稀に数奇を好んで本にも之が用いられるが、木に竹をついだ感じでおちつけない。
 折本仕立に至っては画帖、書帖の類の外は殆どないといってもいい位だ。であるから、この記述では和本仕立の装綴については之を省いて触れることをしない。

 現在行われている洋式装本をみるに大別して三種である。即ち、略装、本装、華装だ。猶、この外に仮装を分ける方がいい。これは略装に含ませてもいいが、観念が別の所から出発するから分ける方が正しい。
 仮装は、ただ糸かがりをし、簡単な上被で之を覆い、綴じ放しの截ち切らず、即ちアンカットが常道である。時にしゃれて、又は特に形を特別なものにするためには截たれるが、三方折り放しのままが本然の姿だ。之はつまり、読者が自分の好みに本装をするために用意された形式であって、刊行者は中味だけを提供するというわけ。之を截たないのは、本装の折に截断によって本が小形になることを忌むためである。紙の折都合よりももっと別の形、当然の形より変えたい場合には、非常に舌を片よって多く出したりする。それだけでみると随分変な奇態な外観を呈している。仮装は、巷間之をフランス装という程、フランスの本は仮装が多い。仏蘭西では所蔵家が自らさせる所蔵装綴が普及発達しているし、又自ら手がけて装本をたのしむの、彼国の美術心の発達によるものと云えよう。日本の仮装は一般に相当親切に綴じられているが本場の仮装の綴じは各詮自性、ただ散り散りにならぬ程度のぐたぐたなものが多い。由来から考えればそれでいいわけであって、かかる本は、再読三読するためには本装をしなければならない。フランス装の名が出来ているだけあって日本の本は仮綴でも相当丁寧にかがられているし、小口などもよくそろえてあるもの少くない。蓋し日本のように再製製本が大部分崩れた本の作りなおしやノートの合冊位にしか用いられぬ習慣や、又芸術的な製本をやる製本業が全く発達していない現状ではこうしたことも一方法であり、仮装も立派に一装本形態として独立性を多分に持って来るわけである。この仮装を、その観念を更に一層徹底させて、上被も用意せず、糸も通さない出版もある。所蔵装幀に対して一層懇切な刊行である。が之は、余り頁数の多いものや、ザツなものには余り見かけない。日本では二三あったかないかの寡少な方法である。
 略装は、簡略な装本態であって、日本の所謂フランス装などは当然この部類に入るわけであるが、余り費用をかけず、しかも綴本としてまとまったものとするための方式である。この様式では、しばしば釘綴じが行われる。糸でかがり合せるのでなく、針金で綴じるのであるが、ぞんざいなやり方の場合は、釘を表裏から打ちつけて固定する。名の通りの釘とじもある。正しく云えば釘とじと針金とじに分つべきだ。この方式では、表紙は大抵紙が用いられる。本の小口は切り整えられている場合が多い。むろん気取った場合はアンカットのも少なくない。表紙と中味の連絡は、中身のかがり糸で表紙に膠着こうちゃくされ、その上を見返し紙が抑える。ぞんざいなのは背と峰に貼付けただけのもある。之は表紙の紙が切れて放れ易い。釘とじのものは背に布、寒冷しゃなどを膠着、それが糸の代りをつとめる。略したのは、見返しで中身と表紙とを貼り結ぶ。之は見返し紙が余程丈夫でないと見返しの折目が切れて中身が離脱して了う。ヨタ本形態である。略装は近頃本を安く作る必用上、よく採用されている。が、どうも安物をつくる心得で出版者も工作者もやっつけるのでいい味のものが尠くなる。気軽で親しみ易く又読むにも軽量で扱いいい、心易い様式、好もしい姿であるのに、そうした心組で、ガラクタ本にして了う場合が多いことは遺憾である。この仮装略装本を非常に愛着して、この方式の上にいい本を作りたいといつも願っているが、前述のような事情で失望しがちである。だがこの形式は将来十分発展性のあるものと考える。愛書家もいたずらに華装ばかりを尊重したがらずに、こうした所に平明直截な美を打ち立てることに留意してほしい。
 本装は、まず本らしい。本として一人前な、制服をつけたといった所の様式である。略装の紙表紙がボール貼りに代ったものといっていい。このボールは、厚薄によって、本の味が大変違って来る。薄手のものか例えばマニラボール、芯地など用いたものは、略装の味に近くなり、心易さが増して来るし、翻読にもおっくうな気持が来ない。ポケット辞書類が大抵この薄表紙であるのはその間の性質の自然な利用である。又その逆に極端に厚いものもある。これは併し稀な例であって、特殊な好みの外は用いられぬ。板のようにどっしり堅固な感のほしい時には適当である。此の場合、ボール紙の三方にかんなをかけて斜に落とす所謂面をとるのが普通であって、その仕上りは一つの稜を増すわけであるから、重厚であり複雑な味を附加される。又この稜を厭うてカマボコ形に円味でおとす場合もある。これは敦厚とんこうな感じである。これと似たのはボールと被装物との間にやわらを入れて、つまり綿入れ着物のような柔い盛り上がりをやるものがある。この種のものは日本では、大形の写真貼[#「写真貼」はママ]などの外は刊行本には殆どない。近刊拙著詩文集はその方式でやることになっている。本装になると背が一つの重要な働きをもって来る。綴じつけにいろいろな種別が出来て来るからである。これは二大別して、綴じつけと、貼りつけの二種になる。Binding と Casing とであって、「とじつけ」と「くるみ」である。とじつけは、表紙の板紙へ綴り糸を固着して後に装表の材料を被せ装飾する。一般に所蔵本の丁寧なものに用いるもので古くは此の法によったもので堅固の点では遥に後者を凌ぐものである。「くるみ」の方は表紙と中身とは別々に仕上がって、それが繋ぎ糸で連結されるもの、今日の大部分の刊行本が拠っている方法であって操作の簡単なことを長所とするが堅牢の点は前者にはるかに劣るものである。その連結法の差異の外に、も一つ背の別様を述べる必要がある。それは背の形と、背が浮いているか、密着しているかである。浮いているのは腔背であって、本の開きが、らくである代りによい技術でないとすぐにふらふらになる。刊行本には最も一般的に見る方式。膠着しているのは丈夫な点はいいが、その硬いもの、硬直背(Tight Back)のものは開きが窮屈である。それを避けるために軟撓なんとう骨(Flexible B.)がある。これは開きがずっとらくである。が、背に箔など入れてある場合離脱したり、皺が寄ったりして、美術的なものには不可である。形の上から見ると丸形と角形になる。丸背には、大山(強孤形)、中山(緩孤形)それと、角丸(かまぼこ形)とある。普通見る丸背は前二者であって、角丸は、技術の未熟のために余り日本では少ないが西洋本は多くがこれである。本の品もこれが最上である。角背は、背が平面なのでフラットバックと云われるが、角背は多くの場合裏打を固くしてその特長を強化する。その折れ目、耳を立てたのを角山という。角背の腔背は耐久力に難点がある。余程優秀な技術が要る。角背の、特に硬直背は釘とじ式のものに適応するわけである。(釘とじは、針金などの金属が腐るのを避けて麻糸等によるものがある。之は針金とじというよりも、やはり総称である打抜き綴じという風がいいわけ)角背を俗に南京(ナンキン)と呼ぶ。角背は保全上と開きの点に難があるが、視形としてはキッカリとした角形を成すので、そういった好みには適合する。
 連結の法に、も一つの方法がある。突着け綴附というので、表紙の平(ヒラ)と背との間の仕切り押のないもの、背からすぐ平へ移行する方式、表紙をミミの根までつき込んで連絡するのである。之は仕切り押を忌む様な平から背まで続いた装飾などある場合には此の法によるより外ないが、一寸締りのない様な感じである。場合によってはこの装飾の関係がなくとも用いて良果がある。又之と同様の外容となるものだが、一枚の芯紙をのべて貼附けたものなどもある。小形の聖書などにみるあれである。
 以上で大体装綴様式を略述したことになるが、各々その工程形態によって、性質があるから、装案者はそれを味識して配慮することが必要である。書の品格、仮りに書格といおうなら、その書格を構成する分子としてその綴装様式は重大な役割りをもつものである。例えば背皮を採り乍ら、打抜き綴じなどにするが如きは、やむを得ない場合は致し方なしとして、全く以てちゃちである。又丸背の強いものに対して余り直線的な感じの文様を附するが如きである。
 さてそこで現在の日本の出版物をみてみる。色とりどり姿さまざまである。全く雑然たる風俗図である。これ即ち現代日本を反映するものと云えばそれまでであるがも少し何とかおちついた流れを成さないものか、誠に書店店頭に立ってみるならば、この感はそぞろに深いものがある。

底本:「日本の名随筆 別巻87 装丁」作品社
   1998(平成10)年5月25日第1刷発行
底本の親本:「恩地孝四郎装幀美術論集 装本の使命」阿部出版
   1992(平成4)年2月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年1月18日作成
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