歳の市の売り物は正月用意のものです。父の売ったものはこれは老人自身のひと趣向なので巾八寸位の蒲鉾板位のものに青竹を左右に立て、松を根じめにして、注連縄を張って、真ん中に橙を置き海老、福包み(榧、勝栗などを紙に包んで水引を掛けて包んだもの、延命袋のようなもの)などを附けて門飾りにしたものです。
これは、大小拵えた。ちょっと床の間などに置いても置かれるもので、どっちかといえば待合式のもので待合の神棚とか、お茶屋の縁喜棚に飾ると似合わしいものです。
歳の市の方は酉の市とは違い、景気附け一方でする気合い商売でないからです。つと質素になります。縁日商人の方で、「流れ」ということをいいますが、これはチラリホラリ見物の客が賑やかな場所から静かな方へ散って来るはずれの場所に店を出して客の足を留めるので、飴屋などはこの「流れ」の方のものに属するのだそうです。
「大流れ」というのは、さらに離れてポツンと一つ店を出して置くなど、なかなか、こういうことにも、気を働かさねばならないものと見えます。父のやった門飾りの売り物なども流れの方へ属したやり方でありました。
歳の市は浅草観音の市が昔から第一、その次は神田明神の市、愛宕の市、それから薬研堀の不動の市、仲橋広小路の市と、この五ヶ所が大きかった。
薬研堀と、仲橋広小路の市は、社寺の境内でなく、往来に立ったのだから、その地割がその筋でやかましく、いろいろ干渉されますので、土地の世話役は旨く極め合いを附けるのが骨が折れたものです。
それは往来の許す限り大小店が数多出来て、自然往来へはみ出すからです。警察がやかましく、世話役を呼びつけ、彼所をもっと、どうかしろと、棒を出すと、ハイハイといって置いてそのままにして置く。すると、また呼び出される。今度は別の男が行く。同じことを注意されると、畏まりましたで引き退る。また呼ばれるとまた別の男が出る。その不得要領の中に縁日は済んでしまうのだそうです。
仲橋広小路の市は、ちょうど鰌屋の近辺が一番賑やかであった(江戸の名物鰌屋は浅草の駒形、京橋で仲橋、下谷で埋堀、両国で薬研堀この四軒でいずれも鰌専門で汁と丸煮だけである)。仲橋は下町でも目抜きの場所であるから、市などの景況も下町気分で浅草とはまた変った所がありました。
歳の市は飾り松、竹、〆縄、裏白、橙、ゆずり葉、ほん俵、鎌倉海老など、いずれも正月に使用するものですから「相更らず……」といって何事も無事泰平であるように、毎年同じ店で馴染の客が同じ品を買うという習慣などもあった。それでも、海老などは気合ものの方に属し、形の大小、本場のよしあしなどで時々の相場があって、品ふっていになると、熊手の売り方と同じように買い手の慾しがる大きさのを一つ位ほん俵の上などにとまらせて、客を引いたりして、これにもなかなか掛引があるのだということです。
私の父はこういう縁日商人のことについてはなかなか詳しく、自分もまた若い時は自ら手を下して地割などのことにも関係したので、時々他の縄張りのものとの間に出入りを生じ、生命の遣り取りというほどのことには至らなくても、際どい喧嘩場などに一方の立物となったりしたことがあります。上野の三枚橋を中にして、双方が睨み合ってる中に、父の弟分なり乾児なりであった肴屋の辰という六尺近くもある大男の豪のものが飛び出して、相手を一拉ぎにしたので、兼松の名が一層仲間のものに知られたという話もあります、こんな話は数々あるがまず略します。
底本:「幕末維新懐古談」岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日第1刷発行
底本の親本:「光雲懐古談」万里閣書房
1929(昭和4)年1月刊
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:網迫、土屋隆
校正:noriko saito
2006年9月8日作成
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