夏の匂ひのする、夏の光りのある、夏の形体をもつてゐる魚――といつたら、すぐ鮎だ、きすだ、たいすずきだ。夏ほど魚が魚らしく、清奇で、輝いて溌剌と[#「溌剌と」は底本では「溌刺と」]してゐる時はない。青い魚籠びくたでを添へる、笹を置く、よしを敷く、それで一幅の水墨画になる。夏になるとその生活の半分を魚釣りで暮す故か、私にとつて夏ほど魚を愛し、魚に親しむ時はない。極端にいふと暑い夏百日は魚になつて暮らしたいほどである。
 夏は気層が暑いと水温が低く涼しい、冬は気温が寒いと水層が温い、造化のエネルギーの配電は巧みに出来てゐる。そんな時に払暁ふつぎょうよく私達は鮎を嗅ぐ、未明の靄の中で渓流のほとりを行くと、実際に香魚こうぎょといふだけあつて鮎は匂ふ、川の中から匂ふ、水面に跳ね始めたら誰にでも匂ふが、水中に群をなしてゐる時は、その川瀬の淵で匂ふ。ゐるなと思つてその雨のやうな、蓼のやうな、うすい樹の蜜のやうな匂ひを嗅ぐと、実際に釣心がぷるるとふるへる。今年はまだ試みないが、鮎釣りの愉しみは、先づこの最初の匂ひから始まるといつてよい。山のみどりもよいし、渓流のせせらぎ、朝の青嵐もよいが、感覚的に愉しいのは、この鮎の匂ひを川から嗅ぐ時だ。
 れにどんな魚でも釣つてしまつてからは、案外つまらないものであるが、あたりがあつて、ツツとあはして、ぐぐ、つつ、ぐいと持ち込まれ、それをためつこらへつ、ぢつと争ひながら、銀鱗を飛沫の中からぬく時、その瞬間ほど魚が美しく、尊く、あらゆる全機能をもつて活躍してゐる時はない。どんな魚でも七彩の虹をもつ、金銀の閃光をもつ、そして水の青冥を截つて、初めて明るい気層へ跳ね出すのであるから、魚が驚いて、怒つて、反抗して、ひれをひらき、えらをふくらし出来るだけ跳躍を試る。それが愉しみで釣りといふものがやめられないのである。
 鮎はその王者である。形から匂ひから味覚から川の女王と謂はれてゐる。今年も予報通り行けばよいが、もうかなり遠出をしないと面白い現象にぶつからない。先づ東京府よりも静岡県から岐阜県である。鮎を五十年釣つてゐるといふ人でさへ、まだ鮎の深奥の習性は解らないといつてゐるから、むづかしいこともまた釣りの王者である。そこで成可なるべく処女地らしい処を狙つて出掛ける。はりづれのしてゐない鮎といふものは、全く渓谷の処女で、新らしい、荒い、美しいものである。それを一厘柄と謂はれる透明な細テグスで引き争ふのであるから、切られたり、引こまれたり、竿先を弓なりにして、手許まで引寄せ、玉網を入れて、手に握るまで、その触覚といふものが釣りの神会である。
 然し鮎はどうしても金がかかるから、暇を惜む時は海のきすで我慢をする。鱚は海の鮎、浅瀬の三日月だと謂はれてゐる。白鱚は藤色の白銀、青鱚は緑光の白銀色をもつてゐる。海の浅瀬は金砂の極光だ。その中からひらひらとこの小さい三日月をぬくのであるから、江戸人は好んで鱚釣りをやつた。海面へ脚立を立てて釣る。船橋から千葉の方の浅瀬から始まつて、川崎沖横浜近くで終る。芥子けしの花が咲くと始める。八十八夜過ぎである。私の方では七月いつぱいは釣れる。浅瀬へ産卵にやつて来るのであらう。清水港でも伊勢でも何処でも釣れるが、東京近くが便利で簡単でよい。私達は三尋から七尋の海を船でつる。よく釣れると一日三百も出る。そして二本竿で先がかりで来る時など、忙しくつて夢中になる。昨年は悪かつたが、今年はよいといふ情報が来てゐるから、私は六月初旬から始めようと思ふ。最初が小さい白鱚、後に青鱚になり、尺近くのを釣ると、ちよつと鮎に彷彿としてゐるから、あまり遠出せず、半日の愉しみにも出られる訳である。

 それからたいすずき、本来なら魚としても、釣りとしても鯛と鱸が第一であらう。然しアマチユアにはちよつと環境の関係で、さう容易には出掛けられないから、多く職釣者の手にあるやうなものの、近来はアマチユアの釣技が進んで来たから、いよいよ夏は鯛と鱸だ。鯛も一貫目近くのもの、鱸も二尺以上のものになると、もう海上のスポーツである。その剛快、その爽絶、ちよつと鮎や鱚のやうなデリケートな女性的でない。然し、その環境がなかなか赦されないのと、比較的ブルヂヨワー的に金がかかるから、まだ日本では全釣徒の二三分といふところであらう。
 れに各人には魚によつて好みがあるやうに、釣りのコンデイシヨンにも各人の好みがあつて、勢ひ一種の魚を専攻的に釣るやうな傾向になるから、鯛、鱸と進んでゆくのはなかなか容易でない。地方へ行くと実際にその環境に恵まれてゐる処が多いから、すぐにでも鯛にかかれるが、東京付近の下級層ではさうは赦されない。先づプチブル級が、横浜から先、浦賀、三崎、館山、外房、或は西伊豆と出て行かないと、ぐぐとはかからない。現在では先づ横浜の先の野島から船を出すか、逗子か江の島から出るのが一番近い。赤鯛は四十尋から百尋、鱸も十尋以上七八十尋といふので、テグスだけでも容易でないが、引かける、慣らす、釣りあげるとなると、その魚の跳躍、えら洗ひといふものは素晴らしく、釣り上げてからも一尾四五円の価値がある。その他江の島沖の金目鯛、逗子沖のソーダ松魚かつおといふやうなものになると、一日何貫と釣れることもあるから、力の強い、剛快な人はやるのもよいが、真に竿で釣りを愉しむ者にはどうかと思はれるのである。
 そこへ行くと、より夏は親しみ易いのは黒鯛である。一口に黒鯛と云つても、多くは茅沼ちぬ鯛と称し、東京から伊勢まではカイヅといふ小形のものだ。小は二三寸(東京ではチンチンといふ)大は一尺七八寸、当歳、又はデキ、二年、三年物、四年、五六年、年なしなどと称へるが、年なしとなると五六百匁から、尺七八寸のものである。これは房州でも逗子でも昼船で釣るが、面白いのは竿で夜釣りをする方がよい。沼津でも館山でも富津洲でも、横須賀でも、横浜鶴見、品川、大森の岩壁へさへ来る。こいつは月夜の銀のおうぎだ。竿は三間でも四間でもよいが、私は二間半までである。片手で持てない竿は愉快でない。沼津あたりでは車竿で、倫糸みちいとも百尋近くのばし、ウキで釣るのも面白いし、清水港の岸壁で、お味噌の団子で釣るのもよいが、然し東京附近では品川沖道隆杭の大名釣り、横浜鶴見の防波堤のふかし釣り、近々四五尺の浅い岩礁の上で、夜そつと釣るほど面白い味はない。私なども夏は百夜ほど必ず夕涼みとして、このカイヅ釣りに出掛ける。今年も六月末から始めようと思つてゐる。
 右の竿は二間半、七尺の手竿を左に、コンクリートの岩壁のすぐヘチを釣る。四五寸の二歳ものならすぐグツと来て、ぐぐとぬける。メバル、アイナメ、海タナゴなどもよく交るが、カイヅは十月池上のお会式えしきまで釣れる。乗合船で防波堤へゆく、上は海風で涼しい、月が出る、銀河がさつとかかり、汽船のサーチライトが明滅する。足許へざざと波がくる。そこを流してゐると、一尋の倫糸いと[#「倫糸いとへ」は底本では「倫系いとへ」]一尺もある奴がぐつと来るのだからたまらない。竿が満月だ。巧みにあやして引ぬく、魚は黒銀の生きた扇だ。鰭がトゲのやうに開く、バザバザといふ奴を腰の魚籠びくへ叩き込む。去年は品川の道隆の大名釣りが当つて、夕方から百艘も船が出て、私も二三度通つたが、然し船で釣るのは面白くない。ぎの晩より少しほやほやと南風の吹く晩がよいので、それにはコンクリートの海の城壁の上で、月を迎へながら魚を待つ方が静的である。

 釣暦から云つても、七月にはもうあらゆる魚が釣れると云つてよい。どんな池でも川でも、そして鮒でもタナゴでも、或はハゼでもイナでも、女子供のピクニツクの好伴侶になる。その点でプロ的な釣りは、ダボ釣りと川エビ釣りであらう。
 野薔薇が咲くと川エビ、魚類は人間よりも季節に正しい。あの愛すべきグロ味のある手長エビといふ奴は、初夏より八月頃まで池や川の浅い処を這ひ廻つてゐる。これは三銭の竿で、木綿糸、一銭に三本のはり、二三分の蚯蚓みみずで釣れる。半日もやると晩のお菜に四五十は釣れる。此奴の釣り味といふものは、実に静かで、優雅なところがある。ツンツンと上つて来て、草の上へ釣りあげると、ツサツサと小さい鋏を鳴らす。飯鮹いいだこはよく人の指を敵だと思つてからみつくが、エビは人の指を鋏む。大きいのになるとちよつと痛い、この釣りは環境がよいので、誰にでも出来るし、又出掛けるに都合がよく、京浜間の池や川なら何処にでもゐる。少し凝つた男は、この川エビを夜釣りにする。多摩川、鶴見川あたりでは、失職者の父がエビを釣り、その子供がダボを釣つて、一日のお惣菜を稼いでゐる。
 夫れに、少し海でも近かつたら、もうそろそろ夏のハゼが釣れるし、田舎だつたら、なまず釣りが面白くなる。鮒やタナゴ、ハヤなどは釣れてももう匂ひがしてたまらない。どじょう釣り、うなぎの夜釣りなどもちよつとよいが、面白いのは鯰釣り、長竿で太糸で、大鉤へ蛙をつけて、夕暮の沼や川の藻の中を、ぽかんぽかんと叩く、すると貪婪な鯰がガバと来る、一名ポカン釣りといつて滑稽な釣りの一課目である。そんな意味から、面白半分に変つた釣りをやらうといふなら、工場地帯などの橋の下では、蟹が釣れる、シヤコも釣れる、江東や京浜地方では、もうイナが始まる。川では流しのウキ釣り、潮入りの池ならネリといつて米糠の団子で釣る。小さいのが走りといつて、此奴は釣れないが、オボコとなるともう四五寸あるから、夕方の上げ潮なら何処どこの川口でも釣れる。それ以上になるとイナ、ハシリボラが交る。この釣りも蘆荻あしおぎの間にあつて、昼顔の花の上に坐り、握り飯でも食ひながら釣れるから、足の達者な人にはよい。金を払つて、生白い釣堀りのものを釣つてゐるより、いかにも野趣があつてのんびりしてゐる。赤い夕雲が出て静かな夕方など、私はよく自転車をとばして、海岸近くの小池へ出掛ける。
 前夜に天気予報を聞いて、静かな日曜などには、これから十月まであじに凝る人がある。およそ暑い釣りで、経木の帽子に浴衣ゆかた、一日舟の上で潮風に吹かれてゐるのであるから、健康にはよいかも知れない。六月から始まつて、七八月、横浜沖から横須賀まで、小舟が蟻のやうにつづく、乗合もある。そこで腕の強い男は二貫目以上釣ることもあつて、帰りにはその魚を売つて来る。殊に横浜が盛んだ。東京附近では、はぜかカイヅ、或は投網でイナをやるくらゐであるが、横浜から先は海も深くなるし、大鰺やメゴチ、或はソーダ、鱸、大だこ、ガラ、カンパチ、ボラ、メナダ、といふやうなものが釣れるから、皆ハネ竿で、倫糸いとも長く、先づ半職釣といつた人が多い。
 この鰺は船頭が、魚の游泳たな層を見てくれるから、コマセを撒いて、脈をとつてゐればよいのであるから、ゐれば誰れにでも釣れる。只愉快なのは、沖膾おきなますといつて、釣りたての鰺を皮をむいて、生醤油のまま沖でむしやむしやとやれる事だ。少しも臭くない。この味をしめるともう陸の刺身などは食へなくなる。鮎の背越しもよいが、鰺の沖膾は先づ夏の珍味の一つであらう。もちろんさばなどもやつて見るが、シマアヂに限る。何の沖釣りでもさうであるが、海で食べるものは一切うまい、オゾンで腹が空くのか、後で後悔するほど人はたべる。といつて船暈ふなよいはたまらないが、度々行くうちには船暈など先づ先方から逃げてゆく、そこが又沖釣りの爽快さである。

 先日も私はある処で主張したことであるが、今日のやうに登山が流行し、キヤンプが盛んになつたのに、学生諸君が一つ忘れてゐるものがある。それは釣道具だ。高々重量は三百匁もありはしない。あれをリクサツクに縛りつけて行つて貰ひたいのだ。そして山間溪谷で、或は山の湖で、滝壼で、イワナ、ヤマメ、或はマスを釣つてもらひたいのである。アメリカ式の釣りが、荒海の大物か、山のマスに人気が集中してゐるので、日本でも日光のマス釣りや、箱根のブラク・バス釣りが流行して来た。然しまだゴルフのやうなもので、どうも紳商といつた人々だけしかやらないやうであるが、イワナ、ヤマメならば土地の人が古くからやつてゐる。アルプスの案内者などにはイワナの名人がゐる。イワナはもう鮎も登らないやうな渓谷にゐる。流れにヤマメがゐるとすると、イワナは流れの上の滝か、山と山のほらあなの水にゐる。そして竿と糸と鈎さへあれば、土蜘蛛でも、いなごでも、蝶々でも何でも挿してやればとびつく。引きの荒いこと山の精と云ひたいくらゐである。こいつは時に蛇でも飛びつくが、そのあぶらのあること、歯の強いこと、キヤンプで火を焚いて、バタか醤油で焼いて食べたら、幽谷の珍味である。ヤマメはこの頃つとに盛んになり、釣人仲間でも鮎に飽きた人が、人の知らない渓谷を探検的に出掛けるやうになつたが、実に美しい魚だ。マスと同じやうで、斑点があつて、海魚の形をしてゐるから、釣つて美しい。もっとも山へゆくと鮎のほかに、ハエカジカなども釣れるが、第一がヤマメ、第二がイワナであらう。
 この釣りはもつと盛んになり、ヤマメもイワナももつと流行魚になるであらうと思ふ。一方黒部や奥利根の渓谷がだんだん研究されてゆく今日、この山の娘も人気が出ない訳はない。山の宿で地酒を汲む時も、キヤンプで夕飯にかかる時も、この魚は是非必要なものになつてくる。それには乱獲もいけないが、学生や登山者の一部の者が、余技的にやる釣りとしては持つて来いである。そんな意味から私はいつもさう思ふ。大利根なら大利根、多摩川なら多摩川を、人はどうして川上から川口まで地理的にも研究しないのであらうかと。こいつはきつと愉快だらうと思ふ。釣人の方から云はすと、一つの川の、そもそもの始まりの細流から海に出るまで、上はイワナ、ヤマメ、鮎、マス、鯉、鮒、イナ、ウグイ、マルタ、ハゼ、鰻、鯰、と下つて来て、一本の流れを凡て釣竿一本で研究したら面白からうと思ふ。是非これはやつて見たいものである。
 特に時は夏だ。健康と時間と少しの金があつたら、アルプスの頂上から流れについて、富山、越後、金沢、或は静岡の方へ降りてもよし、少し廻り路をしても、あくまで川について下つて見たら、おもしろいコースが出来る。山は植物ばかりではない、禽獣きんじゅうばかりではない。鮎も一千フィートはのぼる、イワナは四五千呎までのぼるであらう。鰻さへ二万呎の深海から三千呎はのぼり得る。鰻が山の芋になるといふことは伝説ばかりではない。して見れば魚も海と川ばかりではない。山にもゐるのである。殊に山の沼、湖、渓谷には美しい魚がゐるのである。

 種目をならべると、数限りなく魚はあり、又その釣技方法も変化してくるが、何でも来いで滅多矢鱈めったやたらに釣るよりも、一種の魚を狙つて、自分独特の釣り方を研究した方が面白い。殊に夏は魚が豊富であるから、山へ行けば鮎、ヤマメ、イワナ、海へ行けばこち、鯛、鱸、カイヅと定めて、鮎なら友釣りでやるか、どぶ釣りでやるか、蚊鈎かばりは何を主として用ふるか、或は自分で作るか、カイヅの仕掛けは、餌は、場所はと、一種目を深く釣りこんでゆくことが肝要である。
 その点で私は、生活と時間、費用の関係から、今年は鮎、ヤマメ、イワナを一週間、キスを二週間、カイヅを三ヶ月やつて、夏の釣りを終らうと思つてゐる。無論何か便宜があつて、山へ行くとか、海のある地方へ行く場合は、その土地土地の釣魚を見学して来るつもりであるが、一週間に一日の休日、一日の終りの夕方から十時まで、この釣りに凝つてゐると非常に身体の調子がよい。その代り頭がラフになることも釣りの特質で、何か考へるとか想を纏めるなんてことは出来ない。放情自娯、頭を空つぽにして、水と風の中に感情を抛棄し、動物の眼になつて魚を狙ひ、原始的な智力で釣る工風くふうをしたり、天候や水温を観察する。それも亦釣りに付随する愉快な条件の一つで、その為めにもケチな生活苦を忘れることが出来る。
 人がゲームに凝り、庭木に凝り、或は小鳥に凝るやうに、釣りを始めると先づその目的の魚に凝る。それはその魚が美しいから、或は美味だからといふことよりも、その魚への興味はむしろ感覚的のものである。鮎なら鮎が何故いいか、夫れは魚の質がよい、味がよい、よい匂ひがするといふばかりでなく、鮎の闘争性、その跳躍、そのアタリの感覚がよいといふ所からやつてくる。あの冷たい銀鱗の動きが、水の中の不逞な生命の力が、わづか一本の透明なテグスで、腕から神経中枢へくく、づんづんと解つてくるからである。これは明かに原生動物的な自然闘争の快味である。
 その点で鮎は、高貴な、しかも野生の処女性をもつて、ツンと来る。キスも同じであるが、然しこの方がしおも深いし柔かく、又一種委曲なところがある。イワナは他の海魚のやうに貪婪にぐいと来るし、ヤマメもきすに似て少しく遅鈍な感覚である。それも手釣りのヂカに糸を手繰たぐるのと違つて柔軟な竿と糸とを介してやつてくるから、カイヅとなると満点である。たぶらかされるやうにして誑し、一気に引かけて、又慣らしながら、ためつゆるめつ争ふところに、竿釣りの焦点がある。池の鯉もその点ではなかなか手腕を要するが、然し自然の海魚には較べものにならない。よく人は釣堀で、その腕の熟練さを云々してゐるが、私は釣堀は嫌ひだ。あくまでその魚が居るべきところにあつて釣れるのでなくては愉快でない。第一に魚には痛疼感がない――これが気持の上の慰めである。
 それに魚釣りといふものは、釣れたからよいとか、量を得たからよいといふのではなく、一つの魚を、いかに自分が工風をして、いかなる場所で、どんな風の時に、潮の調子の時に、どう試みて、どう一致して釣れたかといふ会得の要領が面白いのだ。目的がはづれて釣れなくても、成程と感心して帰つてくる。そして次回の工風を凝らすといふことになる。特に鮎の擬釣り、カイヅの竿調子なんてものは、この考案一つで充分楽しめる。その上で自分の好きな魚、黒鯛、鮎、鱸といふやうな奴が釣れたらたまらない。何しろ居るか居ないか解らない渓谷へ行つて、鮎を嗅ぎ出し、大海の真中で魚の通路、その水圧の層を探検し、一本の糸と鈎で盲目捜しに釣るのであるから、非文化的と云へば云へるし、最も原始的な遊技だと云へば云へる。特に夏はその美しい、溌剌とした[#「溌剌とした」は底本では「溌刺とした」]魚が、人間界の近くに躍り跳ねてゐるのだ。そこで一度釣つたことのある魚は、木や花や鳥が美しいといつても、より生命的に、より夏の生彩を帯びて、短夜の夢にさへ現はれて来るのである。幸ひこの夏も元気でゐられたら、その生活の過半は、この冷い、美しい、ふしぎな生命をもてる魚属共と游争して暮らしても、私は決して惜しくないと思ふ。
(八年・五・十七)

底本:「集成 日本の釣り文学 第二巻 夢に釣る」作品社
   1995(平成7)年8月10日第1刷発行
底本の親本:「釣心魚心」第一書房
   1934(昭和9)年4月発行
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「渓」と「溪」の混用は底本通りです。
入力:門田裕志
校正:岩澤秀紀
2012年7月1日作成
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