一匹のぶち猫が人間の真似をして梅の木にのぼって花を嗅いでみました。あの枝からこの枝、花から蕾といくつもいくつも嗅いでみましたが、
「ナアーンダ、人間がいいにおいだ、いいにおいだと言うから本当にして嗅いでみたら、つまらないにおいじゃないか。馬鹿馬鹿しい、帰ろう帰ろう」
 と樹から降りかかりました。
「ホーホケキョ、ホーホケキョ」
「オヤ、鶯がやって来たな。おれは一度あいつをたべてみたいと思っていたが、ちょうどいい。ここに隠れてまっていてやろう」
「ホーホケキョ、ホーホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョ」
 と言ううちに鶯は、斑のいる梅の木のすぐそばにある梅の花のたくさん開いたほそい枝の処へ、ヒョイととまりました。
「鶯さん鶯さん」
 と猫なでごえで呼びかけました。
「オヤ斑さん、今日はいいお天気ですね」
「ニャーニャー、ホントにいいお天気ですね。それにこの梅の花のにおいのいいこと。ほんとにたべたくなるようですね」
「オホホホホ、イヤな斑さんだこと。梅の花においしいにおいがしますか」
「ええ、梅のにおいをかぐとおなかが急にすくようです。あなたはどんなにおいがするのですか」
「あたしはねえ、梅のにおいを嗅ぐと何とも言えないいい心持ちになって、歌がうたいたくなるのです。そうしてあちらこちらと躍りながら飛びまわりたくなるのです」
「ヘエ、さようですかね。そう言えばあたしも何だか踊りたくなったようです」
「まあ、おもしろいこと。一つおどってみせてちょうだいな」
「いいえ、あたしはあなたの着物のにおいを嗅いだら一緒に踊りたくなったのです、本当にあなたのにおいを嗅ぐといいこころもちになります。どうです、一緒に踊ろうじゃありませんか」
「いやですよ。あなたと踊るのはこわい」
「何故です。ちっとも怖い事はないじゃありませんか。もっとこっちへきてごらんなさい」
「イヤですよ。妾のにおいを嗅いで踊りたくなったと言うのは嘘でしょう」
「どうして」
「たべたくなったんでしょう」
 と言ううちに鶯はパッと飛げ出しました。
「しまった」
 と斑が飛びつきますと、ドタリと地べたへ落ちてしまいました。
「ホーホケキョ、ホーホケキョ」
 と鶯は隣のうちの梅の木で鳴いていました。

底本:「夢野久作全集7」三一書房
   1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行
   1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行
初出:「九州日報」
   1924(大正13)年2月4-5日
※底本の解題によれば、初出時の署名は「香倶土三鳥」です。
入力:川山隆
校正:土屋隆
2007年7月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。