一

 私のように、長い年月諸国へ釣りの旅をしていると、時々珍しい話を聞いたり、また自らも興味のある出来ごとに誘い込まれたりすることもあるものだ。これから書く話も、そのうちの一つである。
 外房州の海は、夏がくると美しい風景が展開する。そして、磯からあまり遠くない沖で立派な鯛が釣れるのだ。私は、その清麗な眺めと爽快な鯛釣りに憧れて、毎年初夏の頃から外房州のある浜へ旅していた。
 その浜には、旅館というのがなかった。だからある人の紹介で、私はそこの森山という人の家へ泊めて貰うのである。森山という人は土地の素封家そほうかで、多くの田畑や山林を財産にして豊かに暮らしていた。大きな母屋に、土蔵が三棟も続き、その間にもみと椿と寒竹を植え込みにした庭を前に控えたやしきを私の室にあてがってくれた。まことに居心地のいい部屋である。朝、静かな時には遙かの磯から、岩打つ波の音が聞こえてくるのだ。
 森山さんは、私が釣りから帰ってくると、いつも晩餐を共にするのである。そして、四方山よもやまの話に杯を重ねるのであった。二夏も三夏も続けて森山さんの家へ厄介になった。次第々々に二人の交わりは深くなり、ついには親戚つきあいというほどになったのである。
 だから森山さんは、自分の家の先祖の話や、家庭の事情などについても、別段隠すようなことはなく、心安く語るのであった。ある夕、一杯やりはじめたとき森山さんは、いつもとは変わって言いにくそうに、言おうか言うまいか、という態度で語り出すのである。
『あなたに、一つお願いがあるのですけれど――』
『何でもおっしゃってください、私にできることでしたらやりますから』
『ほかでもないのですが、実は私には縁遠い妹が一人ありまして、それにいつも悩んでいるのです』
『そうですか、お幾つになります』
 森山さんは、今年三十九歳であると聞いていたから、その妹であったなら縁遠いといったところで、二十七、八歳から三十五、六歳どまりの婦人であろう、と私は想像した。
『三十四歳です』
『では、えらいお婆さんという訳でもないじゃありませんか』
『いや、田舎では二十三、四歳を過ぎてもお嫁に行けないと、何とかかんとか噂を立てられるのでしてね。それに、母もあの年波の上にからだが弱いものですから、妹の身が片づかないのを明けても暮れても心配しているのです。それを見たり、聞いたりするのが私は何より辛い』
『どこか、ちょうどいいところがありそうなものですね』
『時にはあるのですが、いつも話がうまくまとまりません――オールドミスを妹に持つと、妹の悩みよりも母の心労を見る方が、よほど気がめますよ』

     二

 私は、これまで人から縁談のことについて一度も相談を受けたことがなかった。だが、人間が相当の年輩になれば仲人の二つや三つをして見るのが、娑婆しゃばの役目であるという諺のあるのを知っている。森山さんから、この話を聞いて改めて娑婆の役目を思い出した訳だが、その娑婆の役目にこれを機会に取り掛かろうとして思いついたのではなく、森山さんの妹の身の上を気遣う口振りや表情が、いかにも困ったという風であったので、一つ私も縁談の口ききをやってみようかなという、柄にもない親切な気持ちになったのである。
『お妹さんは、いまどちらにいるのですか』
『東京です。女子大の家政科を出まして、青山のある女学校に教鞭をとっていたのですが、芝のあの山泉男爵さんのお嬢さんが教え子だったので、そのお嬢さんが卒業すると、男爵家の懇望でそこの家庭教師になったのです。お嬢さんがお嫁に行ったあとでも、その妹さんや弟さんの面倒を見てくれというような訳で、とうとう今年で八年も居付いているような有様です』
『結構ですな』
『少しも結構じゃありません。なまじ、女子大など出て華族様のところで家庭教師などやっているものですから気位ばかり高くて――その上に別嬪という方じゃありませんから、これまで二、三話があったのですけれど、いつも鶴亀や、になりませんでした』
『そんな立派な学歴や、職業を持っていなさるのですから、どこにでもご縁がありそうですがな――写真でもありましたら預かって置けば、思い当たったところへ話をはじめてみることもできようと思いますが』
 私は、森山さんの家へ二、三年続けて遊びにくるが、妹さんを一度も見なかったのは、いまの話のような次第で、東京にばかりいて田舎はきらいだ、というのであったからである。
『ちょうど、いま生憎あいにくこちらへきている写真がありませんから、東京へ言ってやって取り寄せておきます。こんなお願いをしてすみませんね』
『さ、私に縁談ばなしというのが、やれるかどうか――とにかく、この次くるまでに取り寄せておいてくだされば、心当たりがあった時にお役に立ちましょうから』
 と、言ったけれど、別段私にこれという心当たりがあった訳ではないのである。もう、私は眠くなった。話はこの辺で打ちきって寝ることにした。そして、私は床へ入ってから考えた。森山さんの底なしの近眼、にきびのつまみ跡というのでもなければ、毛穴が膨らんでいるという訳でもない。ただ顔にぶつぶつと小さい窪みが無数にあって色が黒い。その上に、上背が五尺あるかなしかの、幅広の体格から想像すると、もし兄さんに似ている妹さんであったなら、女として美しい出来ではないかも知れないと思った。しかし、世の言葉に、
 ――容貌は、吊り合わぬ方が仲がいい――
 という話があるから、女としては最高学府を出ていることだし、ことによったら骨折り甲斐があるかも知れない。こんな風にも思ったのである。

     三

 鯛がはりに掛かって、死にもの狂いに海底で糸を引きまわす力の味は忘れられない。殊に淡紅の色鮮やかに、牡丹の花弁をならべたような鱗の艶は、友人に贈っていつも絶讃を博すのだ。
 その趣にきつけられて、十日ばかり過ぎてから、また外房州の浜へきた。
 森山さんの家では、私を喜び迎えた。その日、一日海上を釣りまわって夕方帰ってくると、森山さんは晩飯のとき、
『届きました。私に似て、とてもまずい女です』
 と言って四角の封筒から一枚の写真を出して、卓袱台ちゃぶだいの上へ置いた。私はそれを取ってみた。ところが、私が想像していたところの妹さん――いやこの兄さんには少しも似ていない。鼻筋が通って、丸い顔が色白く写っている。写真のことであるから背丈のことは分からないが、和服に袴がよく似合って、七三におとなしく分けた頭髪はつつましやかに年より若く見える。写真屋がうまくこしらえたところもあろうけれど、これなら満更でもないと私は眺め入った。
『随分美しいお方じゃありませんか』
 私は感心した風に言った。
『いいえ、お恥ずかしいのです』
 と、森山さんは答えたけれど、いささか私の言葉に満足を感じた風でもあった。
『よろしゅうございます――私、預かっておきます』
『どこでも、普通のところであったら、私などはもちろんのこと、妹にも往生させるつもりですから――』
 私は翌日も滞在して、また海へ鯛釣りに行った。船頭は、いつもの仲造といった三十前後の腕達者である。沖へ出て、陸の方を望むと、房総半島の山々を包む緑の林が色濃く昼の太陽に映し浮いている。浜辺の家並みも、かすかに糸に揺れて和やかな風景である。午前中の潮行に、舟を三流し四流し釣って、午後の潮が再びふくらみきたる間に、仲造と二人で弁当を食うことにした。
 そのとき私は、ふと森山さんの妹さんのことを、仲造にきいてみる気になった。
『おい船頭さん、お前は森山さんの妹さんを知っているかい』
『知ってます。あの兼子さんが、どうかしただかね』
 と、仲造は持っている弁当箱を、舟板の上へ置いた。
『どうしたという訳じゃないが、大層別嬪だという話じゃないか』
『とんでもない』
 大きな手を横に振って仲造は、
『まるで反対だ。ふた目と見られねえ』
 と、笑うのである。
『ふた目と見られないはひどいね。それほどでもないのだろう』
『ほんとだ。暑中休暇には帰ってくるから、見なせえ』
 こんな訳であった。森山さんの風貌から察すれば、仲造の言った形容は全然言い過ぎでもないかも知れないが、写真から想像したところでは仲造の話は大袈裟おおげさすぎる。それはいずれしても教育はあるし家柄はよし、人によってはかえってこの方を好むものだ、などと贔屓ひいきの考えもしてみた。
 その日も、なかなかよく鯛が釣れた。
『旦那は、このごろえらく釣りが上手じょうずになったね。俺は、旦那と一緒に沖へ出るのが楽しみだ』
『うまいことを言うね――お前の教え方が上手なんだろう』
『えへへ』
『おぼんには、何を送ってよこそうな』
『えへへ』
 私が大きな魚籠びくに入れた鯛をさげて帰京する時、森山さんは駅まで送ってきて、
『では、何分お心がけおき願いとうございます』
 と、言うのであった。

     四

 私は汽車のなかで、何かのきっかけに思い出したのは、山岡という友人であった。
 山岡は、親友というほどでもないが、若い時からの知り合いで、仕事の上の取引もあるし、折りによっては酒もつき合うし、身の上話もする仲である。二、三年前に子供二人を残されて美しい妻君を失った。その後、男やもめで寂しく暮らしている。もう五十歳を一つ二つ過ぎて、子供は大きい娘が今年女学校を卒業し、弟の方は中学三年になっているのであるから、別段不自由というほどのこともないのだが、何だか物足らぬ、といったようなことをいつぞや会ったとき聞いたことがあった。ふと、私はそれを思い出したのである。
 正直なことをいうと、山岡も稀に見る醜男ぶおとこの方なのである。上背は四尺六、七寸、肩幅が広くてずんぐりしている。丸い顔に、丸い頭を玉石のようにいが栗にして、いつも元気がいい。性質は風采ふうさいにも似ず明るい方で、世間から人気があるのだ。
 そして、彼の友人たちは、彼が醜男にも拘わらず上背の高い美しい妻君を持っているのを、日ごろ羨ましがった。それが、二、三年前ぽっくり死んだのである。
 私は、東京へ帰ると二、三日後、山岡を飯食いに誘い出して、
『不自由もあるまいが、独り者というのは兎角とかくその不自由勝ちのもので――』と、水を向けてみた。
『大したこともないよ――だがね、この頃は夕飯を出先で食うことにしているんだ。家へ帰ったら直ぐ床の中へもぐり込めばいいんだ』
『それでは、子供達が寂しかろうがな』
『あいつらも馴れたよ』
『それでは、子供の教育にならん。一人しかない親だもの、夕飯どきには必ず帰っていないと可哀想だ』
『それもそうだな』
 と、山岡は微笑した。そこで私は、
『ところでどうだ――茶飲み友達というのは欲しくはないのかい』
『僕はまだ老いぼれじゃないのだよ、茶飲み友達は惨酷だね。だがね、格好なのがあれば、邪魔にもならないだろうし、子供達も家の中が賑やかになるのを喜ぶかも知れない。何か、似合いの候補者でもあるのか』
 と、山岡は朗らかに言うのである。
『ある』
『からかうな』
『からかうのじゃないよ。若いし、教育はあるし、家柄はよしさ』
『正体はなんだ』
『物持ちの娘だ』
『歳はいくつになる』
『掛値なしの三十四歳だ。僕が、独身ならばと内心思っているのだけれど――』
『いやに煽動的だね。だが、僕の方が少し歳が行き過ぎている――』
 山岡はこう身を引いて出たが、何となくこの話に気心が進むように見えた。
 そこで私は、房州の森山家の豪勢な話や本人の身柄のことについて詳しく物語った。山岡は、私の話をふんふんと聞いていたが、最後に、
『ひどく、ぐあいがよさそうじゃないか。一つ、小当たりに当たってみて貰おうか』
 と言った。乗気になってきたらしい。
『やってみよう――だがね、縁談は水物というから――』
『頼む』

     五

 こう私は引き受けたけれど、その後俗事が忙しかったので、房州へ出向くことができないから手紙で往復して写真交換というところまで漕ぎつけた。もちろん、私はさきに房州から持って帰った妹の写真を、山岡に見せたところ――よろしい、可もなし不可もなし。というところだろう――という世間並みの気持ちを山岡から聞いているのだから、もうここに至っては、こちらから山岡の写真を送ってやるだけでよろしいのだ。
 山岡の写真ができた。見ると、なかなか立派にできている。半身像であるから、上背のところは分からない。モーニングを着て、り返っているところ、眼鏡をかけた肥った顔など、まことに鷹揚に写っている。
 ――これなら、大丈夫だ――
 と、私は感心した。写真屋というものは、商売とはいいながらうまいものだと感服した。
 房州へ送った山岡の写真は、兄から東京の妹へ送られ、妹からさらに折り返して兄に意見が申し送られたのだろう。私に対する森山さんの挨拶には、
 ――大分立派な御方おかたである。年頃はひどく老人という訳ではないから、いよいよ話を進めたいと思う――
 と書いてあった。ついに、戸籍謄本の交換となった。これにも両者に異存がない。こう話が進めば次は見合いの段だ。これで、事がうまくまとまれば、私は人間としての役目の一つが果たせるか、と思って一種言い現わしようのない興味も伴って、心が長者になったような嬉しさ、賑やかさを感じた。
 だが、見合いが難関だ。縁談は、見合いまで漕ぎつけて破れるのが多い。この縁談も、それと同じに世間並みであって貰っては困る。山岡は世間並みには珍しい格好の男であるし、森山さんの妹も、写真はいいとして噂によれば自信をもって山岡に推薦はできなかったのだ。あれこれ考えると、何としても不安でならぬ。けれど、縁は異なもので案ずるより生むがやすい、ということになるかも知れない、などとたかをくくってみたりした。
 ――双方に自惚うぬぼれがなく、己れを知っている人達ならば、万歳だ――と、考えた。
 見合いの場所は両国駅の入口、時間は午前十一時。森山兄弟の方が先に駅の入口のところに揃って待っているから、こちらは山岡を連れて揃って行く。そこから四人打ち揃って、どこかへ昼餐を食べに行こうという手筈になったのである。
 約束の日は、土用に入る前のかんかんと照る焼きつくような暑い日であった。山岡は、例のモーニングを着用し、髭も剃りネクタイも新しいのを結んで出てきた。二人は、円タクに乗って両国駅の前の曲がり角まで行って降りた。
 私は、遠くから駅の入口の人混みのなかを物色した。いる、いる、兄妹二人で、駅前の庭の方を人待ち顔に眺めている。
『いるか』
 と、山岡は及び腰できくのだ。
『いる。あすこに二人で待っているが、ここではまだ君には分からない』
 山岡と私の二人は、緩やかに駅の入口の方へ歩いて行った。十五、六間前まで近寄ると、兄妹二人の眼は動揺した風である。顔やいろが色めき立った。まず、森山さんが私を発見し、私と並んで歩いてくる山岡を、それと睨んで妹の袖を引き、電光の如き敏捷さで眼配せしたに違いない。
 私は妹さんの顔を見た。森山さんと、瓜二つである。丸い顔に、剥げるかと思うほど厚くつけた白粉が、額から流れ落ちる汗に二筋、三筋溶けて、蚯蚓みみずのように赤黒い肌が現われている。低いからだをたもとの長い淡紫紅の夏羽織に包んだところは、まるで袋にでも入ったようだ。髪の毛はあかい、手は黒い。何と、お粗末の婦人だろう。一町もさきの遠方から森山さんを認めたとき、その傍らにいるのが、妹さんであろうと直感したのは、当然だ。
『あれだ』
 と、私は小さく囁いて山岡の顔を見ると、山岡はにわかにぷんとして形容のし難い苦い表情をしたのである。山岡も、いち早く彼の女の姿を認めて――あれだな――と、判断していたらしい。
 私は、山岡を捨てておいて、森山さんの傍らへ歩いて行って、挨拶も抜きにして、
『あの紳士です』
 と、囁いた。森山さんは、口の中で何か言ったが私には聞きとれなかった。そして兄妹顔合わせて、これも名状し難い表情をするのである。私は刹那せつなに――これは、いかん――と、思った。けれど、私は何食わぬ顔を、漸く装い作って、
『ご飯たべるところ、どこにいたしましょうか』
 こう、問いかけた。すると、森山さんはひどく不満らしい低く刺のある声で、
『きょうは、これでご免蒙ります――大へんご苦労さまでした』
 と、言ったなり兄妹二人は、後をも見ないで急ぎ足で、駅のなかの人混みの中へ入って行ってしまった。私は呆気あっけにとられた。ところへ、山岡が小走りに走ってきて、これも甚だ語気鋭く私の顔を仰ぎ見て、
『君、人をからかうのはやめ給え』

     六

 翌朝、山岡から速達のはがきがきた。
 ――今後、君と絶交する――
 と書いてあるだけであった。私は、私の粗忽そこつを悔いた。ああ止んぬるかなと思った。それから一週間ばかり過ぎると、森山さんから手紙がきた。それには、
 ――差し上げておいた写真と、戸籍謄本とを至急返送して貰いたい。次に、申すまでのこともないが、今後房州へ釣りにきても私のところへは立ち寄ってくれるな――
 と書いてある。
 つまらない出来心から、二人の知り合いを失ってしまった。下手な親切気など、起こすものではないと私は思った。
 ところが、それから十日ばかり過ぎると、絶交状を突きつけてよこした山岡が、突然私の家へ飛び込んできて、
『君、困ったことになったのだよ。この二、三日、毎晩夜半になるとあの女が僕の枕元へ、影のようになって立っているんだ。便所へ行けば、廊下に立っているんだ。腕を伸ばしてなぐりつけようとすると、もういない。恐ろしくて眠れないんだ――君、何とかしてくれ』
 と、あおくなって言う。
『それは君、夢かうつつだよ。君、しっかりしろよ――』
『いや君、ほんとの幽霊だ』
『そんな馬鹿なことが――』
 私はこまれたような思いがした。
 そんなことがあってから数日後、旧盆に仲造のところに僅かなものを贈っておいた礼手紙が届いた。その末尾に、
 ――一週間ばかり前、森山さんの妹が磯の高い崖の上から海へ飛び込んで自殺しました――
 と、書いてあった。これを読んで、
 ――山岡に、なんの怨みもあるまいに――
 と、思ったが、全身の血が頭へのぼったかのように、背中がぞくぞくと寒くなった。
(一四・六・二)

底本:「完本 たぬき汁」つり人ノベルズ、つり人社
   1993(平成5)年2月10日第1刷発行
底本の親本:「随筆たぬき汁」白鴎社
   1953(昭和28)年10月発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月2日作成
青空文庫作成ファイル:
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