物の味は季節によって違う。時至れば佳味となり、時去れば劣味となる。魚も獣も同じである。七、八両月に釣ったはやは、肉落ち脂去って何としても食味とはならない。十二月過ぎてからとった鹿は、肉に甘味を失って珍重できないのである。
 日本人の食品材料は、およそ四百種あるそうである。それに、病的といおうか悪食といおうか、いも虫、ヒル、みみずの類を生のまま食う者があるが。これらを加えたならば驚くべき数に達するであろう。その一つ一つの、食味の季節を調べてみたならば余程面白いことに違いない。
 味の季節を知る者がいわゆる食通であって、料理の真髄を語り、弄庖ろうほうの快を説く者は必ず物の性質をきわめておかねばならない。そうであるとするならば、いも虫、みみずも、ヒルも珍饌ちんせんとして味の季節を持っているであろうか。
 物の盛期、必ずしも味の季節でないことは分かっている。稔熟じんじゅくの候を味の季節とし、他に多少の例外を求めることができるが、動物に至ってはいわゆる世人が口にする季節が味の季節ではないのである。
 どこの家庭で、鯛を求めるにしても五、六月の候が最も値段が安い。それは四季を通じて一番漁獲が多いからである。漁獲の多いことが味の季節ではない。その頃の鯛は麦藁鯛むぎわらだいといって、産卵後の最も味の劣っている時である。
 また鮎も、九月下旬から十月へかけて最も漁獲が沢山ある。これを落ち鮎、さば鮎、芋殻いもがら鮎などといって、奥山から渓水と共に流れきたった落葉と共に、やなへ落ち込むのである。産卵のために下流へ向かう鮎は、盛期である七、八月頃の味に比べれば格段劣っている。秋の季節に多く口に入るから、鮎は腹に子を持ったものが最もおいしいと、世人は間違ったことをいう。
 さて、動物の味の季節はいつであろうか。動物には必ず一年に一度、性の使命を果たさねばならぬ季節がある。即ち春機の発動である。まれに、年に二回三回と催すものもあるがそれは例外で、年一回が普通であろう。その生殖の期と、味の季節の頂上とがいつも一致すると考えていい。
 十一月初旬から江戸前で釣れるぼらについてみると一番分かる。十二月下旬になって産卵のため外洋へ出る途中の東京湾口で釣れたものは味が落ちる。それは腹に子を持ったからである。江戸前の大鰡で腹に子のない十月下旬から十一月中旬が最もおいしいのである。からだ中の脂肪が生殖腺に吸収されてしまわないからである。
 雉子きじなども一度交尾すればもうおしまいである。十月頃奥山から出てきて、餌をあさりはじめる。十二月初旬雪が降る候になると、そろそろ脂肪を持ちはじめ、一月から二月には春機が発動して、羽根の色にも筋肉の容にも生気がみなぎって三月、四月には雌雄相交わり、五月には産卵して育児にいそしむ。ところが十二月に脂肪が乗りはじめて、一月、二月の頃、性の営みを覚えてくるまでは大層味が立派であるが、一度雌雄相交わると俄に味が劣ってくる。それが産卵し、卵を孵化して子を育てるに至ると、まことに食うに堪えないまで肉質が下落するのである。
 ところが、ここに例外がある。
 動物は必ず一年に一度ずつ、交会の期が回ってくるものであるが、季節なく春機の動くものがある。それは家鶏、家鴨、豚、飼いウサギなどである。これらは一年中、時と場所を選ばないから、いつといって味の季節がない。
 本来、野獣、野禽やきん、魚類は生活のために大層な努力を費やす。食物を得るために死物狂いとなり、外敵を防ぐために頭を使う。ところが、家鶏や豚は、人間から厚く保護され、食物を得る心配もなければ、外敵を防ぐ必要もない。人間に保護されている幸福な家鶏や豚は、蓄えた精力を常に生殖専門にそそぐようになったので、その結果として家鶏にも、豚にも味の季節がなくなったのである。だが極めて厳格に凝視すると、祖先が野にあった頃の遺風が僅かに痕跡をとどめていないでもない。家鶏は三月の頃よく交会を好み家鴨は五、六月の候を※(「言+区」、第4水準2-88-54)歌する風がある。従って味に季節があるといえば、いえるのであるが、それは極めて微妙であって軽少である。しかし野生の動物の持ち味に比すべくもないことは勿論のことであろう。
 そしてまた、男女両性はその持ち味も同じでありそうなものだが、なかなかそうでない。雉子きじの雄は二月、三月が季節の盛りで、雌の方は三月、四月が最高潮である。鴨でも、鯛でも、鮎でも雄の方へ一足先に季節がくる。すべて野生の動物は、雄の方へ一ヵ月ほど早く、春機発動の期がきて早く衰え、雌の方が常に遅れているのである。
 水禽すいきんは概して雄の方が上等の味を持っている。鴨、シギ、オシドリなどそれである。家鴨も雄の味が上等としてある。四月は鴨の季節であるから、雌雄二羽が店頭にあったら雄を求めるのが食通といえる。雉子は二月に雄、四月に雌ということになっているが、大体において雌の方がおいしい味を持っているのである。
 そこで、動物の味の季節が生殖に深い関係を持っているとすれば、必然的に年齢のことを考えねばならない。いかに若いものがすきであるからといったところで、性の使命を覚えないものではとるに足るまい。
 いわゆる、春情相催す年頃にならねば、真の味が出てこないものである。しかし、年をとったものがいいといったところで、生殖力が衰えてからでは面白くない。即ち、上がってしまってからでは濃爛のうらんの媚を求め得ないのである。
 それに例外がないでもない。支那人は若い雛鳥を、西洋人は子牛を、日本人は若鮎と若茄子なすを好む風がある。しかし、これは恐らく味の上からではなく、一種の嗜好からきているのではあるまいか。年を取り過ぎたものに味があろうはずがない。ものの味は、性欲がついた後、また性欲の衰える以前のものでなければならない。即ちすべて動物は、春情が催しきたってそれが衰えるまでの間を壮盛期といい、その壮盛期の間においてのみ、年に一回季節がくるのを、食味の至極とするのである。
 うなぎもそうである。三、四十匁の小串を好むものもあるが、それはただ、軽い味というだけである。ほんとうは五十匁以上、百匁近いものに味がある。
 鰻は海からさかのぼってきて、六、七年川や沼に棲んでいると産卵のために海へ帰ってゆく。十六、七年も海へ帰らぬものもあるが、それは棲息場所の状態によってであるから例外である。産卵のため海へ帰って行く、その下り鰻というのがうまい。からだが熟成して肉が張りきっているからである。江戸前の鰻がいい、というのもそこに関係がある。月島[#「月島」は底本では「月鳥」]周りや台場周りには、荒川の上流からくだってきて、遠い深海へ生殖に行く鰻が、居付きの鰻と交わってれるからである。江戸前も、近年水が変わって上等の鰻がとれなくなった。それは荒川放水路ができて、王子地先から荒川の水を中川下の水ミヨの方へ落とすようになってから、月島、台場周りの水が綺麗きれいになりすぎたためである。即ち、大川や隅田川が東京湾の入江のような姿となってしまって、淡水が江戸前へ出てこないので立派な鰻が足を止めなくなったのである。
 関東地方で最もおいしい鰻のとれるのは水戸の那珂川である。甲州石和町から上流の笛吹川の底石の間に棲んでいる蟹食かにくい鰻も上等である。これも生殖力発生前の充分肉が張ったものが多いからであろう。
 鰻は盛夏の候の味をよしとしない。秋の下り鰻を冬まで持ち越して料理するに限る。養殖鰻は六、七十匁の大物でも、性を感じていまい。うまくないゆえんである。貴きは春情催す頃の味である。

底本:「垢石釣り随筆」つり人ノベルズ、つり人社
   1992(平成4)年9月10日第1刷発行
底本の親本:「釣随筆」市民文庫、河出書房
   1951(昭和26)年8月発行
初出:「釣りの本」改造社
   1938(昭和13)年発行
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年7月2日作成
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