花は、率直そっちょくにいえば生殖器せいしょっきである。有名な蘭学者らんがくしゃ宇田川榕庵うだがわようあん先生は、彼のちょ『植学啓源けいげん』に、「花は動物の陰処いんしょごとし、生産蕃息はんそくとりて始まる所なり」と書いておられる。すなわち花はまこと美麗びれいで、つ趣味にんだ生殖器であって、動物のみにくい生殖器とは雲泥うんでいの差があり、とてもくらべものにはならない。そして見たところなんの醜悪しゅうあくなところは一点もこれなく、まったく美点にちている。まず花弁かべんの色がわが眼をきつける、花香かこうがわが鼻をつ。なお子細しさいに注意すると、花の形でもがくでも、注意にあたいせぬものはほとんどない。
 この花は、種子たねを生ずるために存在している器官である。もし種子を生ずる必要がなかったならば、花はまったく無用の長物ちょうぶつで、植物の上にはあらわれなかったであろう。そしてその花形かけい花色かしょく雌雄蕊しゆうずいの機能は種子を作る花のかまえであり、花の天から受け得た役目である。ゆえに植物には花のないものはなく、もしも花がなければ、花に代わるべき器官があって生殖をつかさどっている。(ただし最も下等なバクテリアのようなものは、体が分裂して繁殖はんしょくする。)
 植物にはなにゆえに種子が必要か、それは言わずと知れた子孫しそんぐ根源であるからである。この根源があればこそ、植物の種属はえることがなく地球の存する限り続くであろう。そしてこの種子を保護しているものが、果実である。
 草でも木でも最も勇敢ゆうかんに自分の子孫しそんぎ、自分の種属をやさぬことに全力をそそいでいる。だからいつまでも植物が地上に生活し、けっして絶滅ぜつめつすることがない。これは動物も同じことであり、人間も同じことであって、なんら違ったことはない。この点、上等下等の生物みな同権である。そして人間の子を生むは前記のとおり草木くさきと同様、わが種属を後代こうだいへ伝えてやさせぬためであって、別に特別な意味はない。子を生まなければ種属はついにえてしまうにきまっている。つまりわれらは、続かす種属の中継なかつぎ役をしてこの世に生きているわけだ。
 ゆえに生物学上から見て、そこに中継なかつぎをし得なく、その義務をおこたっているものは、人間社会の反逆者であって、独身者はこれに属すると言っても、あえて差しつかえはあるまいと思う。つまり天然自然の法則にそむいているからだ。人間に男女がある以上、必ず配偶者を求むべきが当然の道ではないか。
 動物が子孫をぐべき子供のために、その全生涯をささげていることはせみの例でもよくわかる。暑い夏に鳴きつづけているせみ雄蝉おすぜみであって、一生懸命いっしょうけんめい雌蝉めすぜみを呼んでいるのである。うまくランデブーすれば、雄蝉おすぜみ莞爾かんじとして死出しで旅路たびじへと急ぎ、あわれにも木から落ちて死骸しがいを地にさらし、ありとなる。
 しかし雌蝉めすぜみは卵を生むまでは生き残るが、卵を生むが最後、雄蝉おすぜみあとを追って死んでゆく。いわゆるせみと生まれて地上にでては、まったく生殖のために全力を打ち込んだわけだ。これは草でも、木でも、虫でも、鳥でも、けものでも、人でも、その点はなんら変わったことはない、つまり生物はみな同じだ。
 われらが花を見るのは、植物学者以外は、この花の真目的を嘆美たんびするのではなくて、多くは、ただその表面に現れている美を賞観しょうかんして楽しんでいるにすぎない。花に言わすれば、まこと迷惑至極めいわくしごくかこつであろう。花のために、一掬いっきくの涙があってもよいではないか。
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 ボタン、すなわち牡丹は中国の原産であるが、今は日本はもとより西洋諸国でも栽培さいばいしている。
 だれでも知っているように、きわめて巨大な美花びかを開くので有名である。今その栽培してあるものを見ると、その花容かよう花色かしょくすこぶる多様で、紅色、紫色、白色はくしょく、黄色などのものがあり、また一重咲ひとえざき、八重咲やえざきもあって、その満開まんかいを望むと吾人ごじんはいつも、その花の偉容いよう、その花の華麗かれい驚嘆きょうたんを禁じ得ない。
 牡丹ぼたんに対し中国人は丹色たんしょくの花、すなわち赤色せきしょくのものを上乗じょうじょうとしており、すなわち牡丹に丹の字を用いているのは、それがためである。また牡丹の牡は、春に根上からその芽が雄々おおしく出るから、その字を用いたとある。つまり牡は、さかんな意味として書いたものであろう。今はどうか知らぬが、昔は中国のある地方では、それが荊棘いばらのようにしげっていて、原住民はこれを伐採ばっさいし燃料にしたと書物に書いてある。
 牡丹はキツネノボタン科に属するが、この科のものはみな草本そうほんであるにかかわらず、ひとりこの牡丹ぼたん落葉灌木らくようかんぼくである。草木そうほんなる芍薬しゃくやく近縁きんえんの種類で、Paeonia suffruticosa Andr. の学名を有している。この種名の suffruticosa は、亜灌木あかんぼくの意である。また Paeonia moutan Sims. の学名もあるが、この種名の Moutan は牡丹の意である。そしてその属名の Paeonia は、Paeon という古代の医者の姓名にもとづいたものである。牡丹根皮は薬用となるので、それでこの医者の名をつけた次第しだいであろう。
 日本では牡丹の音ボタンが、今日の通名となっている。
 古歌にはハツカグサ、ナトリグサの名があり、古名にはフカミグサの名がある。右のハツカグサは二十日はつか草で、これは昔、藤原忠通ただみちの歌の、

咲きしより散り果つるまで見しほどに
  花のもとにて廿日はつかへにけり

 に基づいたもので、つまり牡丹の花の盛りが久しいことをたたえたものだ。
 一つの花が咲き、次のつぼみが咲き、株上のいくつかの花が残らず咲きくすまで見て、二十日はつかもかかったというのであろう。いくら牡丹でも、一りんの花が二十日はつか間もしぼまず咲いているわけはない。
 中国では、牡丹ぼたん百花ひゃっかのうちで第一だから、これを花王かおうとなえた。さらに富貴花ふうきか天香国色てんこうこくしょく花神かしんなどの名が呼ばれている。そう欧陽修おうようしゅうの『洛陽牡丹らくようぼたんの記』は有名なものである。
 牡丹は、の高さ通常は九〇〜一二〇センチメートルばかりに成長し、まばらに分枝ぶんしする。春早く芽がで、葉は互生ごせいして葉柄ようへいがあり、二回、三回分裂して複葉ふくようの姿をなしている。五月、枝端したんに大なる花を開き、花径かけいおよそ二〇センチメートルばかりもある。花下かかにある五萼片がくへん宿存しゅくそんして花後かごに残り、八へんないし多片の花弁かべんははじめうちかかえ込み、まもなく開き、かおりを放って花後に散落さんらくする。花中かちゅう多雄蕊たゆうずいと、細毛さいもうある二ないし五個の子房しぼうとがあり、子房は花後にかわいた果実となり、のちけて大きな種子があらわれる。
 多くの年数をた古い牡丹にあっては、高さが一八〇センチメートル以上にも達してみきが太くなり、多くのえだを分かち、たくさんな葉をしげらし、花が一株上に数百りんも開花する。私は先年、この巨大な牡丹を飛騨高山ひだたかやま市の奥田ていで見たのだが、このかぶはたぶん今でも健在しているであろう。これはその土地で、「奥田の牡丹ぼたん」と評判せられて有名なものであった。たぶんこんな大きな牡丹は、今日こんにち日本のどこを捜しても見つからぬであろう。もし果たしてそうだとすれば、これは日本一の牡丹であるとがみをつけてよかろう。もしも高山たかやま市へおもむかれる人があったら、一度かならずこの大牡丹おおぼたんを見てられてよいと思う。
「ボタンの図」のキャプション付きの図
ボタンの図

 和名わめいとして今日こんにちわがくにでは、芍薬をシャクヤクと字音じおんで呼んでいることは、だれもが知っているとおりであるが、しかし昔はこれをエビスグサ、あるいはエビスグスリととなえ、古歌こかではカオヨグサといった。
 エビスグサは夷草えびすぐさ、エビスグスリは夷薬えびすぐすり、ともに外国から来たことを示している。カオヨグサは顔美草かおよぐさで、花が美麗びれいだから、そういったものであろう。
 元来がんらい芍薬しゃくやくの原産地は、シベリアから北満州〔中国の東北地方の北部〕の原野である。はじめシベリアでった白花品はっかひんへ、ロシアの学者のパラスが、Paeonia albiflora Pallas の学名をつけてその図説を発表したが、満州〔中国の東北地方一帯〕に産するものには、淡紅花たんこうかのものが多い。しかしそれは、もとより同種である。種名の albiflora は、白花の意である。
 日本に作っている芍薬しゃくやくは、中国から伝わったものであろう。今は広く国内に培養ばいようせられ、その花が美麗びれいだから衆人しゅうじんに愛せられる。中国では人に別れる時、この花を贈る習慣がある。つまり離別りべつしむ記念にするのであろう。
 芍薬は宿根性しゅっこんせい[#ルビの「しゅっこんせい」は底本では「しゅっこんそう」]草本そうほんで、その根を薬用にきょうする。春に根頭こんとうからいきおいのよい赤い芽を出し、見てまことに気持がよい。充分じゅうぶん成長すると、高さはおよそ九〇センチメートル内外に達し、その直立せるくきは通常まばらに分枝ぶんしする。葉はくき互生ごせいし、再三出式に分裂している。各枝端したんに一花ずつ開き、直径はおよそ一二センチメートル内外もあろう。花下かかに五へん緑萼りょくがくがあるが、つぼみの時にはまるく閉じている。花弁かべんは平開し、およそ十ぺん内外もあるが、しかし花容かよう、花色種々多様しゅじゅたようで、何十種もの園芸的変わり品がある。花心かしんに黄色の多雄蕊たゆうずいと、三ないし五の子房しぼうがある。
 芍薬しゃくやく姉妹品しまいひんで、わがくにの山地に見る白花品はっかひんは、ヤマシャクヤクで、その淡紅花品たんこうかひんはベニバナヤマシャクヤクである。花は芍薬に比べるとすこぶる貧弱だが、その果実はみごとなもので、じゅくしてけると、その内面が真赤色しんせきしょくていしており、きわめて美しい特徴とくちょうあらわしている。
「シャクヤクの図」のキャプション付きの図
シャクヤクの図

 スイセンは水仙を音読おんどくした、そのスイセンが今日本の普通名となっているが、昔はわがくにでこれを雪中花せっちゅうかと呼んだこともあった。元来がんらい水仙すいせんは昔中国から日本へ渡ったものだが、しかし水仙の本国はけっして中国ではなく、大昔遠く南欧なんおうの地中海地方の原産地からついに中国にきたり、そして中国から日本へ来たものだ。中国ではこの草が海辺を好んでよく育つというので、それで水仙と名づけたのである。仙は仙人せんにんの仙で、この草を俗を脱している仙人せんにんなぞらえたものでもあろうか。
 水仙はヒガンバナ科に属して、その学名を Narcissus Tazetta L. というのだが、この種名の Tazetta はイタリア名の小皿こざらの意で、すなわちその花中かちゅう黄色花冕おうしょくかべんを小皿に見立てたものである。そして属名の Narcissus は麻痺まひの意で、それはその草に含まれているナルキッシネという毒成分にもとづいたものであろう。
 水仙すいせんの花は早春に咲く。すなわち地中の球根きゅうこん(球根は俗言ぞくげんで正しくいえば襲重鱗茎しゅうちょうりんけい)から、葉ととも花茎かけい(植物学上の語でいえば※(「くさかんむり/亭」、第4水準2-86-48)てい)をいて直立し、茎頂けいちょうに数花をけて横に向かっている。花には小梗しょうこうがあり、もとの方にはこれをようして膜質まくしつほうがある。そして小梗しょうこういただきに、緑色の子房しぼう(植物学では下位子房かいしぼうといわれる。下位子房かいしぼうのある花はすこぶる多く、キュウリ、カボチャなどのうり類、キキョウの花、ナシの花、ラン類の花、アヤメ、カキツバタなどの花の子房はみな下位でいずれも花の下、すなわち花の外にくらいしている)があり、子房の上は花筒かとうとなり、この花筒の末端まったんに白色の六花蓋片かがいへん平開へいかいし、花としての姿を見せよいを放っている。そしてこの六花蓋の外列がいれつ三片ががくに当たり、内列ないれつ三片が花弁かべんである。
 このように、花弁とがくとの外観が見分みわがたいものを、植物学では便利のため花蓋かがいと呼んでいる。この開展かいてんせる瑩白色花蓋えいはくしょくかがいへんの中央に、鮮黄色せんおうしょくを呈せる皿状花冕さらじょうかべんえ、花より放つ佳香かこうあいまって、その花の品位ひんいきわめて高尚こうしょうであることに、われらは讃辞さんじしまない。そしてこの水仙すいせんの花を、中国人は金盞銀台きんさんぎんだいと呼んでいる。すなわち銀白色の花の中に、黄金おうごんさかずきっているとの形容である。
 水仙花すいせんか花筒かとうの内部には、黄色の六雄蕊ゆうずいがあり、花筒の底からは一本の花柱かちゅうが立って、その柱頭ちゅうとうは三しており、したがって子房しぼうが三室になっていることを暗示している。そして花下かかの子房の中には、卵子らんしが入っている。それにもかかわらず、この水仙にはえて実を結ばないこと、かのヒガンバナ、あるいはシャガと同様である。けれども球根きゅうこん繁殖はんしょくするから、実を結んでくれなくっても、いっこうになんらの不自由はない。そうしてみると、水仙の花はむだに咲いているから、もったいないことである。ちょうど、子を生まない女の人と同じだ。
 水仙は花にとものうて、通常は四枚、きわめてえたものは八枚の葉が出る。草質そうしつが厚く白緑色はくりょくしょくていしているが、毒分があるから、ニラなどのように食用にはならない。地中の球根をきつぶせば強力なのりとなり、女の乳癌にゅうがんれたのにつければくといわれる。
 元来がんらい、水仙は海辺かいへん地方の植物であって、山地にえる草ではない。房州ぼうしゅう〔千葉県の南部〕、相州そうしゅう〔神奈川県の一部〕、その他諸州しょしゅうの海辺地には、それが天然生てんねんせいのようになってえている。これはもと人家じんか栽培さいばいしてあったものが、いつのまにかその球根が脱出して、ついに野生やせいになったもので、もとより日本の原産ではない。このように野生になっている所では、玉玲瓏ぎょくれいろうと中国で称する八重咲やえざきの花が見られる。また青花と呼ばれる下品な花もあらわれる。
 支那水仙といって、く(このような場合のヨクは能の字を書くのが本当で、近ごろのように一点張いってんばりに良の字を書くのはあやまりである。これは can と good とを混同視こんどうししたものだ。チョット老婆心ろうばしんまでに。)水盆すいぼんせて花を咲かせているものがあるが、これは人工で球根をき、多数の花茎かけいいださせたものだ。けっして別種の水仙ではない。こんな球根への細工さいくは、その方法をもってすれば日本ででもできる。
「スイセンの図」のキャプション付きの図
スイセンの図

 キキョウは漢名かんめい、すなわち中国名である桔梗の音読おんどくで、これが今日こんにちわがくにでの通名つうめいとなっている。昔はこれをアリノヒフキととなえたが、この名ははやくにすたれて今はいわない。また古くは桔梗ききょうをオカトトキといったが、これもはやく廃語はいごとなった。このオカトトキのオカは岡で、そのえている場所を示し、トトキは朝鮮語でその草を示している。このトトキの語が、今日こんにちなお日本の農民間に残って、ツリガネソウ一名ツリガネニンジン、すなわちいわゆる沙参しゃじんをそういっている。
 右のオカトトキを昔はアサガオと呼んだとみえて、それが僧昌住しょうじゅうあらわしたわがくに最古の辞書である『新撰字鏡しんせんじきょう』にっている。ゆえにこれを根拠こんきょとして、山上憶良やまのうえのおくらんだ万葉歌の秋の七種ななくさの中のアサガオは、桔梗ききょうだといわれている。今人家じんか栽培さいばいしている蔓草つるくさのアサガオは、ずっと後に牽牛子けんぎゅうしとして中国から来たもので、秋の七種ななくさ中のアサガオではけっしてないことを知っていなければならない。
 キキョウはキキョウ科中著名ちょめいな一草で、Platycodon grandiflorum A. DC. の学名を有する。この属名の Platycodon はギリシア語の広いかねの意で、それはその広く口をけた形の花冠かかんもとづいて名づけたものである。そして種名の grandiflorum は、大きな花の意である。
 キキョウは山野さんや向陽地こうようちに生じている宿根草しゅっこんそうであるが、その花がみごとであるから、観賞花草として人家じんかえられてある。くきは直立して、九〇ないし一五〇センチメートルばかりに達し、きずつけると葉ととも白乳液はくにゅうえきが出る。葉は緑色で裏面帯白りめんたいはく葉形ようけい広卵形こうらんけいないし痩卵形そうらんけいとがり、葉縁ようえん細鋸歯さいきょしがある。ほとんど無柄むへいくき互生ごせいし、あるいは擬対生ぎたいせいし、あるいは擬輪生ぎりんせいする。
 秋にくきの上部分枝ぶんしし、小枝端しょうしたんに五れつせる鐘形花しょうけいかを一りんずつけ、大きな鮮紫色せんししょく美花びかが咲くが、栽培品には二重咲ふたえざき花、白花、淡黄花たんおうかしぼり花、大形花、小形花、奇形花がある。そしてそのつぼみのまさにほころびんとする刹那せつなのものは、まるふくらみ、今にもポンと音してけなんとする姿をていしている。
 花中に五雄蕊ゆうずいと五柱頭ちゅうとうある一花柱かちゅうとがあるが、この雄蕊ゆうずいは先にじゅくして花粉かふんを散らし、雌蕊しずいに属する五柱頭は後にじゅくして開くから、自分の花の花粉を受けることができず、そこで昆虫の助けを借りて、他の花の花粉を運んでもらうのである。つまり桔梗花ききょうかは、自家結婚ができないように、天から命ぜられているわけだ。植物界のいろいろな花には、こんなのがザラにある。花を研究してみると、なかなか興味のあるもので、ナデシコなどもその例にれなく、もしも今昆虫が地球上におらなくなったら、植物で絶滅するものが続々とできる。
 花の時の子房しぼうは緑色で、その上縁じょうえん狭小きょうしょうな五萼片がくへんがある。花後かご、この子房しぼうは成熟して果実となり、その上方の小孔しょうこうより黒色の種子が出る。
 地中に直下する根は多肉たにくで、桔梗根ききょうこんと称し※(「ころもへん+去」、第3水準1-91-73)痰剤きょたんざいとなるので、したがってこの桔梗ききょうがたいせつな薬用植物の一つとなっている。春に芽出めだ新葉しんようなえは、食用として美味びみである。
「キキョウの図」のキャプション付きの図
キキョウの図

 リンドウというのは漢名かんめい、龍胆の唐音とうおん音転おんてんであって、今これが日本で、この草の通称となっている。中国の書物によれば、その葉は龍葵りゅうきのようで味がきものようににがいから、それで龍胆りんどうというのだと解釈してあるが、しかし葉がにがいというよりは根の方がもっとにがい、すなわちこの根からいわゆるゲンチアナチンキが製せられ、健胃剤けんいざいに使われている。
 リンドウは昔ニガナといった。すなわち、その草の味がにがいからであろう。また播州ばんしゅう〔兵庫県南部〕ではオコリオトシというそうだが、これもその草をせんじて飲めば味がにがいから、病気のオコリがオチル、すなわちなおるというのであろう。また葉がささのようであるから、ササリンドウの名もある。
 リンドウは向陽こうようの山地、もしくは原野の草間そうかんに多く生ずる宿根草しゅっこんそうで、くきは三〇〜六〇センチメートルばかり、葉はせまくてとが無柄むへいで茎をいだいて対生たいせいし、全辺で葉中ようちゅうに三縦脈じゅうみゃくがあり、元来がんらい緑色なれど、日を受けて往々おうおう紫色にんでいる。秋けてのこう、その花は茎頂けいちょうに集合して咲き、また梢葉腋しょうようえきにも咲く。花下かか緑萼りょくがくがあって、とがった五つの狭長片きょうちょうへんに分かれ、花冠かかんは大きなつつをなし、口は五れつして副片ふくへんがある。この花冠かかんは非常に日光に敏感びんかんであるから、日が当たると開き、日がかげるとじる。
 ゆえに雨天うてんの日は終日しゅうじつ開かなく、また夜中もむろんじている。閉じるとその形がふでの形をしていてねじれたたんでいる。色は藍紫色らんししょくで外は往々褐紫色かっししょくていしているが、まれに白花のものがある。筒中とうちゅうに五雄蕊ゆうずいと一雌蕊しずいとが見られる。花後かごには、宿存花冠しゅくそんかかんの中で長莢ちょうきょう状の果実がじゅくし、二つにけて細かい種子が出る。このように果実が熟した後くきれ行き、根は残るのである。
 花は形が大きくつはなはだ風情ふぜいがあり、ことにもろもろの花のなくなった晩秋ばんしゅうに咲くので、このうえもなくなつかしく感じ、これを愛する気が油然ゆうぜんき出るのを禁じ得ない。されども、人々が野や山より移して庭に栽植さいしょくしないのはどうしたものか、やはり、野に置けれんげそうの類かとも思えども、しかしそう野でこれを楽しむ人もないようだ。
 リンドウはリンドウ科に属し、わがくにでは本科中の代表者といってよい。そしてその学名は Gentiana scabra Bunge var. Buergeri Maxim. である。この学名中にある var. はラテン語 varietas(英語の variety)の略字で、変種ということである。
 このリンドウ属(Gentiana)には、わがくにに三十種以上の種類があるが、その中でアサマリンドウ、トウヤクリンドウ、オヤマリンドウ、ハルリンドウ、フデリンドウ、コケリンドウなどは著名な種類である。右のアサマリンドウは、伊勢いせ〔三重県〕の朝熊山あさまやまにあるから名づけたものだが、また土佐とさ〔高知県〕の横倉山よこぐらやまにも産する。
 根の味が最もにがく、り出して健胃けんいのために飲用いんようするセンブリは、いつにトウヤクともいい、やはりこのリンドウ科に属すれど、これはリンドウ属のものではなく、まったく別属のもので、その学名を Swertia japonica Makino といい、効力ある薬用植物として『日本薬局方』に登録せられている。秋に原野に行けば、採集ができる。
「リンドウの図」のキャプション付きの図
リンドウの図

 アヤメといえば、だれでもアヤメ科中の Iris 属のものと思っているでしょう。それもそのはず、今日こんにちではアヤメと呼べば一般にそうなっているからだ。しかし厳格にいえば、このアヤメはまさにハナアヤメといわねばならぬものであった。なんとなれば、一方に本当のアヤメがあったからだ。とはいえ、この本当のアヤメの名は、実は今日ではすでにすたれてそうはいわず、ただ古歌こかなどの上に残っているにすぎない運命となっているから、そう心配するにもおよぶまい。
 右に古歌こかといったが、その古歌とはどんな歌か、今こころみに数首すうしゅを次にげてみよう。

ほととぎすいとふときなしあやめぐさ
  かづらにせん日ゆ鳴きわたれ
ほととぎす待てど来鳴かずあやめぐさ
  玉にく日をいまだ遠みか
あやめぐさひく手もたゆくながき根の
  いかであさかの沼にひけむ
ほととぎす鳴くやさつきのあやめぐさ
  あやめも知らぬ恋もするかな

 などがある。さてこの歌にあるアヤメグサ、すなわちアヤメは、ショウブすなわち白菖はくしょうのことである。(世間せけん一般に今ショウブと呼んでいる水草みずくさを菖蒲と書くのは間違いで、菖蒲は実はセキショウの中国名である。ショウブの名はこの菖蒲から出たものではあれど、それは元来がんらいは間違いであることをわきまえていなければならない。)そして前の Iris 属のハナアヤメとは、まったく違った草である。
 昔、右のショウブをアヤメといっていた時代には、今の Iris 属のアヤメは、前記のとおりハナアヤメといって花をかんしていたが、ショウブに対するアヤメの名がすたれた後は、単にアヤメと呼ぶようになり、これが今日こんにちの通称となっている。すなわち白菖はくしょうがアヤメであった時は、今日こんにちのアヤメがハナアヤメであったが、アヤメの名がショウブとなるにおよんで、ハナアヤメがアヤメとなり、時代により名称に変遷へんせんのあったことを示している。
 あまねく人の知っているかの潮来節いたこぶし俚謡りように、

潮来出島いたこでじまのまこもの中にあやめ咲くとはしおらしい

 というのがある。このうたはその中にあるアヤメがこんがらかって、ウソとマコトとでりなされている。すなわちこのうたの作者は、うたのアヤメを美花びかの咲く Iris のアヤメとしているけれど、この Iris のアヤメは、けっして水中にえているマコモの中に咲くことはない。そしてこのアヤメは陸草りくそうだから水中には育たない。マコモといっしょになってえている水草のアヤメは、古名こめいのアヤメで今のショウブのことであるから、これならマコモの中にいっしょにえていても、なにも別に不思議ふしぎはない。
 サーことだ、美花びかを開くアヤメはマコモの中にはなく、マコモの中にえているアヤメは、つまらぬ不顕著ふけんちょな緑色の細かい花が、グロ的な花穂かすいをなしているにすぎなく、ふつうの人はあまりこの花を知っていないほどつまらぬ花だ。
 上のうたの「まこもの中にあやめ咲くとはしおらしい」のアヤメは、マコモの中に咲かなく、つまらぬ花を持った昔のアヤメ(ショウブ)が咲くばかりであるから、この俚謡りようの意味がまったくめちゃくちゃになっている。うたはきれいな謡だが、実物上からいえば、まったく事実を取り違えたつまらぬうただ。はじめてその事実のあやまりを摘発てきはつして世に発表したのは私であって、記事の題は、「実物上から潮来出島いたこでじま俚謡りよう」であった。それはちょうど今から十六年前の、昭和八年のことだ。
「アヤメの図」のキャプション付きの図
アヤメの図

 アヤメを書いたついでに、それと同属のカキツバタについて述べてみよう。
 カキツバタの語原は書きつけ花の意で、その転訛てんかである。すなわち、書きつけはけることで、その花汁かじゅうをもって布をめることである。昔はこのような染め方が行われて、カキツバタの花のしる染料せんりょうにしたのである。
 その証拠しょうこには『万葉集』に次の歌がある。

住吉すみのえ浅沢小野あささはをぬのかきつばた
  きぬりつけむ日知らずも
かきつばたきぬりつけ丈夫ますらを
  きそひかりする月は来にけり

 この二つの歌を見れば、カキツバタの花のしるで布をめたことがくわかる。(こういう場合の「よく」を「良く」と書いてはいけない。)
 今からおよそ十年あまりも前に、広島県安芸あきの国〔県の西部〕の北境ほっきょうなる八幡やはた村で、広さ数百メートルにわたるカキツバタの野生群落やせいぐんらく出逢であい、おりふし六月で、花が一面に満開して壮観そうかんきわめ、大いにきょうもよおし、さっそくたくさんな花をんで、その紫汁しじゅうでハンケチをめ、また白シャツにけてみたら、たちまち美麗びれいまって、大いに喜んだことがあった。その時、きょうじょうじて左の拙句せっくいてみた。

きぬりし昔の里かかきつばた
ハンケチにって見せけりかきつばた
白シャツにけて見るかきつばた
この里に業平なりひら来ればここも歌
見劣みおとりのしぬる光淋屏風こうりんびょうぶかな
見るほどになんとなつかしかきつばた
ぬはし散るを見果みはてんかきつばた

 世人せじん、イヤ歌読みでも、俳人はいじんでも、また学者でも、カキツバタを燕子花と書いてすずしい顔をしておさまりかえっているが、なんぞ知らん、燕子花はけっしてカキツバタではなく、これをそういうのは、とんでもないあやまりであることを吾人ごじんさとらねばならない。
 しからばすなわち燕子花とはなにか、燕子花の本物はキツネノボタン科に属するヒエンソウの一種で、オオヒエンソウ、すなわち Delphinium grandiflorum L. と呼ぶ陸生宿根草本りくせいしゅっこんそうほんで、藍色あいいろ美花びかを一花穂かすいに七、八花も開くものである。その花形かけいが、あたかもつばめが飛んでいるような恰好かっこうから、それで燕子花の名がある。くきは細長く、高さおよそ六〇センチメートル内外で立ち、葉は細かく分裂しくき互生ごせいしている。そしてこの草は中国の北地、ならびに満州〔中国の東北地方〕には広く原野げんやに生じているが、わが日本にはあえて産しない。
 燕子花と同様な大間違おおまちがいをしているものは、紫陽花である。日本人はだれでもこの紫陽花をアジサイと信じ切っていれど、これもまことにおめでたい間違まちがいをしているのである。この紫陽花は、中国人でもそれが何であるか、その実物を知っていないほど不明な植物で、ただ中国の白楽天はくらくてんの詩集に、わずかにその詩がっているにすぎないものである。元来がんらい、アジサイは海岸植物のガクアジサイを親として、日本で出生しゅっせいした花で、これはけっして中国物ではないことは、われら植物研究者はくその如何いかんを知っているのである。
 カキツバタは水辺、ならびに湿地しっち宿根草しゅっこんそうで、この属中一番鮮美せんびな紫花を開くものである。葉は叢生そうせいし、鮮緑色せんりょくしょくはば広く、扇形せんけい排列はいれつしている。初夏しょかこう葉中ようちゅうからくきいて茎梢けいしょうに花をける。花のもとに二、三片の大きな緑苞りょくほうがあって、中に三個のつぼみようし、一日に一ずつ咲きでる。
 花は花下かかに緑色の下位子房かいしぼうがあり、はば広いがく三片がれて、花を美しく派手はでやかに見せており、狭い花弁かべん三片が直立し、アヤメの花と同じ様子ようすをしている。花中の花柱かちゅうは大きく三し、そのはし柱頭ちゅうとうがあり、その三岐片きへんの下には白色やく雄蕊ゆうずいを隠している。この花も同属のアヤメ、ハナショウブ、イチハツなどと同じく虫媒花ちゅうばいかで、昆虫により雄蕊ゆうずいの花粉が柱頭に伝えられる。花がすむと子房しぼうが増大し、ついに長楕円状ちょうだえんじょう円柱形の果実となり開裂かいれつして種子が出るが、果内かないは三室に分かれている。
 花色かしょくは紫のものが普通品だが、また栽培品にはまれに白花のもの、白地しろじ紫斑しはんのものもある。きわめてまれにがく、花弁が六へんになった異品がある。
 学名を Iris laevigata Fisch. と称するが、その種名の laevigata は光沢こうたくあって平滑へいかつな意で、それはその葉にもとづいて名づけたものであろう。そして属名の Iris はにじの意で、それは属中多くの花が美麗びれいないろいろの色に咲くから、これを虹にたとえたものだ。
「カキツバタの図」のキャプション付きの図
カキツバタの図

『万葉集』に「託馬野つくまぬに生ふる紫草衣むらさききぬに染め、いまだ着ずして色にでけり」という歌があって、この時分染料せんりょうとして、ふつうに紫草むらさきぐさを使っていたことを示している。
 ムラサキは日本の名で、紫草しそうは中国の名である。根が紫色で、紫をめる染料となるので、この名がある。そしてその学名は Lithospermum erythrorhizon Sieb. et Zucc. である。すなわちこの種名の erythrorhizon は、字からいえば赤根せきこんの意であるが、その意味からいえば紫根しこんの意と解せられる。属名の Lithospermum は石の種子しゅしの意で、この属の果実が、石のようにかたい種子のように見えるから、それでこんな字を用いたものだ。
 このムラサキは、山野向陽さんやこうようの草中に生じている宿根草しゅっこんそうで、根は肥厚ひこうしていて地中に直下し、単一、あるいは枝分えだわかれがしている。そしてその根皮こんひが、生時せいじ暗紫色あんししょくていしている。くきは直立して六〇〜九〇センチメートルに成長し、こずえはまばらに分枝ぶんししている。葉は披針形ひしんけいとがり、無柄むへいくき互生ごせいし茎とともに毛があり、葉面ようめん白緑色はくりょくしょくていしている。梢枝しょうしには苞葉ほうようがあって、その苞腋ほうえきに一りんずつの小さい白花が咲くから、緑色の草中にあってちょっと目につく。花のもとの緑萼りょくがくは五尖裂せんれつし、花冠かかん高盆形こうぼんけい花面かめんれつ輻状ふくじょうをなしている。花筒内かとうないに五雄蕊ゆうずいと一雌蕊しずいとがあり、花柱かちゅうのもとに四耳しじをなした子房しぼうがある。
 果実は小粒こつぶ状のかた分果ぶんかで、灰色をていして光沢こうたくがあり、けばえるから、このムラサキを栽培することは、あえて難事なんじではない。ゆえに往時おうじは、これを畑に作ったことがあった。野生やせいのものはそうザラにはないから、染料せんりょうに使うためには、是非ぜひともこれを作らねばならぬ必要があったのである。そしてこの紫根しこんの上等品は染料の方へまわし、下等品を薬用の方へ回したものだそうな。
 昔は紫の色はみな紫根しこんめた。これがすなわち、いわゆる紫根染しこんぞめである。今はアニリン染料せんりょう圧倒あっとうせられて、紫根染しこんぞめを見ることはきわめてまれとなっている。私は先年、秋田県の花輪はなわ町の物屋ものやたのんで、絹地きぬじにこの紫根染しこんぞめをしてもらったが、なかなかゆかしい地色じいろができ、これを娘の羽織はおりに仕立てた。今それをアニリン染料せんりょうの紫にくらぶれば、地色じいろ派手はででないから、玄人くろうとが見ればっているが、素人しろうとの前では損をするわけだ。私はさらに同物屋ものや茜染あかねぞめもしてもらったが、茜染あかねぞめの色は赤味がかったオレンジ色であるから、あまり引き立たないが、なんとなく上品である。そしてこの紫根染しこんぞめも茜染あかねぞめもいろいろの模様もようを置くことができず、みなしぼめである。
 ムラサキと武蔵野むさしのはつきものであるが、今日こんにち武蔵野にはムラサキは生じていない。しかし昔はそれがあったものと見えて、「紫の一もとゆえに武蔵野の、草はみながらあわれとぞ見る」という有名な歌がのこっている。
 ムラサキをりたい人は、富士山の裾野すそのへ行けば、どこかで見つかるであろう。
「ムラサキの図」のキャプション付きの図
ムラサキの図

 春の野といえば、すぐにスミレが連想せられる。実際スミレは春の野に咲く花であるが、しかし人家の庭には栽培してはいない。万葉歌の中にはスミレが出ているから、歌人かじんはこれに関心を持っていたことがわかる。すなわちその歌は、「春のにすみれみにとあれぞ、をなつかしみ一夜ひとよ宿にける」である。
 スミレは今、いろいろのスミレの種類を総称するような名ともなっていれど、その中で特にスミレというのは、スミレ品類中一等優品で、濃紫色のうししょくの花を開く無茎性叢生種むけいせいそうせいしゅの名であって、これを学名では、Viola mandshurica W. Beck. といっている。満州〔中国の東北地方一帯〕にも産するので、それで mandshurica(「満州の」という意味)の種名がついている。
 そして日本にはスミレの品種が実に百種ほど(変種を入れるとこれ以上)もあって、これがみなスミレ属 Viola に属する。これによってこれをれば、日本は実にスミレ品種では世界の一等国といってよい。
 スミレ、すなわち Viola mandshurica W. Beck. は宿根草しゅっこんそうで、葉は一かぶ叢生そうせい長葉柄ちょうようへいがあり、葉面ようめんは長形で鈍鋸歯どんきょしがある。葉と同じかぶから花茎かけいいて花が咲くのだが、花は茎頂けいちょうに一りんき、側方そくほうに向こうて開いている。花茎かけいにはかならずその途中に狭長きょうちょうほうがほとんど対生たいせいしていており、花には緑色の五萼片がくへんと、色のある五花弁かべんと、五雄蕊ゆうずいと、一雌蕊しずいとがある。花茎かけいは一株から一、二本、えた株では十本余りも出ることがある。そして濃紫色のうししょくの花が、いつも人目ひとめくのである。
 五へんの花弁中、下方の一花弁には、うしろに突き出たきょと称するものを持っている。元来がんらい、このスミレの花は虫媒花ちゅうばいかなれども、今日こんにちではたいていのスミレ類は果実がみのらない。そして花のんだ後に、微小びしょうなる閉鎖花へいさかがしきりに生じて自家受精じかじゅせいをなし、く果実ができる特性がある。ゆえにスミレの美花びかはまったくむだに咲いているわけだ。しかしここにいう Viola mandshurica W. Beck. のスミレは、その常花じょうかの後でく果実のみのっているものを見かけることがある。このスミレもその後では、しきりと閉鎖花へいさかによっての果実が続々とできるのである。
 いったい、スミレの花は昆虫に対し、とても巧妙こうみょうにできている。まず花は側方そくほうに向いているので、昆虫が来て止まるに都合つごうがよい。花弁は上の方に二へん、両側に二片、下の方に一片がある。そしてこの一片の後方に一つのきょのあることは、前に記したとおりである。
 花が開いていると、たちまち蜜蜂みつばちのごとき昆虫の訪問がある。それは花のうしろにあるきょの中のみつを吸いに来たお客様である。さっそく自分の頭を花中へ突き入れる。そしてそのくちばしきょの中へ突き込むと、そのきょの中に二つの梃子てこのようなものが出ていてそれにれる。この梃子てこようのものは、五雄蕊ゆうずい中の下の二雄蕊ゆうずいから突き出たもので、昆虫のくちばしがこれにれてそれを動かすために、雄蕊ゆうずいやくが動き、そのやくからさらさらとした油気あぶらけのない花粉が落ちて来て、昆虫の毛のある頭へ降りかかる。
 そしてこの昆虫がよい加減かげんみつを吸うたうえは、頭に花粉をつけたままこの花をし去って他の花へ行く。そして同じく花中へ頭を突き込む。その時、前の花から頭へつけて来た花粉を今度の花の花柱かちゅう、それはちょうど昆虫の頭のところへ出て来ている花柱の末端まったん柱頭ちゅうとうへつける。この柱頭には粘液ねんえきが出ていて、持って来た花粉がそれに粘着ねんちゃくする。花粉が粘着すると、さっそく花粉管が花粉よりび出て、花柱の中を通って子房しぼうの中の卵子らんしに達し、それから卵子が生長して種子となるが、それと同時に子房は成熟して果実となるのである。
 実にスミレ類は、このように昆虫とは縁の深い関係になっているのである。しかしかく昆虫に努力させても、花が果実を結ばず無駄咲むだざきをしているものが多いのは、まことにもったいなき次第しだいである。それはちょうど水仙すいせんの花、ヒガンバナの花などと同じおもむきである。
 スミレの葉は花後かごに出るものは、だんだんとその大きさを増し、形も長三角形となって花の時の葉とはだいぶ形が違ってくる。
 スミレの果実は三殻片かくへんからなっているので、それが開裂かいれつするとまったく三つの殻片かくへんに分かれる。そしてその各殻片内かくへんないに二列にならぶ種子を持っている。殻片かくへんが開いたその際は、その種子があたかも舟に乗ったように並んでいるのだが、その殻片かくへんがだんだんかわくと、その両縁が内方に向こうて収縮しゅうしゅく、すなわち押しせばめられ、ついにその種子を圧迫あっぱくして急に押し出し、それを遠くへ飛ばすのである。なんの必要があってかく飛ばすのか、それは広く遠近の地面へなええさせんがためなのである。
 またそれのみならず、その種子には肉阜にくふ(カルンクル)と呼ぶ軟肉なんにくいていて、これがありの食物になるものだから、その地面にころがっている種子をありが見つけると、みなそれをわがに運び入れ、すなわちその軟肉なんにくを食い、そのかたい種子をばもはや不用として巣の外へ出し捨てるのである。この出された種子は、その巣の辺で発芽はつがするか、あるいは雨水あまみずに流され、あるいは風に飛んで、その落ちつく先で発芽する。かくてそのスミレがそこここに繁殖はんしょくすることになる。このように、この肉阜にくふいている種子はクサノオウ、キケマン、タケニグサなどのものもみなそうで、いずれもみなありへのごちそうを持っているわけだ。かく植物界のことに気をつけると、なかなかおもしろい事柄ことがらが見いだされるのである。
 春いちはやく紫の花が咲くスミレにツボスミレ(今日こんにちの植物界ではこれをタチツボスミレといっていれど、これは畢竟ひっきょう不用な名でツボスミレが昔からの本名である)というものがある。このツボスミレもはやく歌人の目にとまり、万葉の歌に

山ぶきの咲きたる野辺のべのつぼすみれ
  この春の雨にさかりなりけり
茅花つばな抜く浅茅あさぢが原のつぼすみれ
  いまさかりなりおもふらくは

 がある。このツボスミレは前記のとおり紫花の咲くスミレで、他のスミレよりは早く開花する。野辺のべではこのツボスミレが最も早く咲き、つたくさんに咲くので、そこで歌人の心をきつけたのであろう。ツボスミレはつぼ内庭なかにわのこと)スミレ、すなわち庭スミレの意である。花のうしろのきょつぼの形をしているからツボスミレという、という古い説はなんら取るにらない僻事ひがごとである。
 昔から菫の字をスミレだとしているのは、このうえもない大間違いで、菫はなんらスミレとは関係はない。いくら中国の字典じてんを引いて見ても、菫をスミレとする解説はいっこうにない。昔の日本の学者が何に戸惑とまどうたか、これをスミレだというのはばからしいことである。それを昔から今日こんにちに至るまでのいっさいの日本人が、古い一人の学者にそう瞞着まんちゃくせられていたのは、そのおめでたさ加減かげん、マーなんということだろう。
 きんという植物は元来がんらいはたけに作る蔬菜そさいの名であって、また菫菜きんさいとも、旱菫かんきんとも、旱芹かんきんともいわれている。中国でも作っていれば、また朝鮮にも栽培せられて食用にしている。植物学上の所属はカラカサバナ科で、その学名は Apium graveolens L. である。これは西洋でも食用のため作られていて、かのセロリ(Celery)がそれである。今日こんにちではこの和名わめいをオランダミツバというから、すなわち菫はたしかにオランダミツバとせねばならなく、それがけっしてスミレではないことを、だれでも承知していなければならない。昔文禄ぶんろく慶長けいちょうえきの時、加藤清正きよまさが朝鮮からこの種子を持って来たというので、このオランダミツバに昔キヨマサニンジンの名があった。
 パンジーはスミレ属の一種で、三色さんしきスミレと呼ばれる。すなわち、一花に三つの色があるというのである。
 スイート・バイオレットはニオイスミレで園芸品となっている。通常紫色の花が咲き、においが高いから、香気こうきく西洋人に大いにとうとばれている。いったい日本人は花のにおいに冷淡れいたんで、あまり興味をかないようだが、西洋人と中国人とはこれに反して非常に花香かこう尊重そんちょうする。かの素馨そけい〔ジャスミン〕などは大いに中国人に好かれる花の一つで、市場で売っており、薔薇ばら※(「王+攵」、第3水準1-87-88)まいかい(日本の学者はハマナシ、すなわち誤っていうハマナスを※(「王+攵」、第3水準1-87-88)まいかいとしていれど、それはむろん誤りである)も同国人にとうとばれ、その花に佳香かこうがあるので茶に入れられる。ゆえに Tea rose の名がある。
「スミレの図」のキャプション付きの図
スミレの図

 サクラソウはよく人の知っている花草かそうで、どんな人にでも愛せられる。またその名もよくつけたもので、まことにその花にふさわしい名称である。通常桜草と書いてあるが、これはもとより中国名すなわち漢名ではなく、単にサクラソウを漢字で書いたものたるにすぎなく、サクラソウには中国名はない。
 そしてその学名は Primula Sieboldi Morren forma spontanea Takeda. であるが、この学名の中にある forma は品の義でその変わり品を示しており、spontanea は自生じせいの意、種名の Sieboldi はかの有名なシーボルトの人名であり、属名の Primula は最初の義で、畢竟ひっきょう花の早咲はやざきを意味したものである。
 サクラソウは平野に生ずるが、また山の高原地にも見られる。しかしそう普遍的ふへんてきにどこにもあるものではない。東京付近では、かの田島たじまの原にたくさん咲くので、そこは天然記念物に指定せられている。また信州〔長野県〕軽井沢の原にもあり、また遠く九州豊後ぶんご〔大分県〕の日田ひた地方にもあるといわれている。
 宿根草しゅっこんそうで、これを人家の庭にえてもく育ち、毎年花が咲いてかわいらしい。葉は一かぶから二、三枚ほどでて毛がある。長い葉柄ようへいそなえ、葉面ようめん楕円形だえんけい重鋸歯じゅうきょしがあり、葉質ようしつやわらかくてしわがある。四月ごろ花茎かけいが葉よりは高く立ち、茎頂けいちょう繖形さんけいをなして小梗しょうこうある数花が咲く。花下かかに五れつせる緑萼りょくがくがあり、花冠かかん高盆形こうぼんけいで下は花筒かとうとなり、平開へいかいせる花面かめんは五へんに分かれ、各片のいただきは二れつしていて、その状すこぶるサクラの花に彷彿ほうふつしている。花の直径はおよそ二センチメートルばかりで、花色は紅紫色こうししょくであるが、たまに白花のものに出逢であう。花筒かとう内には五雄蕊ゆうずいと一雌蕊しずいとがあって、雌蕊のもとに一子房しぼうがある。
 このサクラソウの園芸的培養品にはおよそ二、三百の変わり品があって、みなこれまでの熱心な園芸家により、苦心して作り出されたものである。これは世界中に類のないもので、大いにわがくにほこりとするにる花である。
 ここに最も興味のあることは、このサクラソウ(同属の他の種も同様)の花には二様の差があって、それが株によって異なっている事実である。すなわち一方の花は五つの雄蕊ゆうずい花筒かとうの入口直下についていて、その雌蕊しずい花柱かちゅうは短い。また一方の花は雄蕊ゆうずい花筒かとうの中途についていて、その花柱は長く花筒の口に達している。すなわち前者は高雄蕊短花柱こうゆうずいたんかちゅうの花であり、後者は低雄蕊長花柱ていゆうずいちょうかちゅうの花である。
 ゆえにこれらの花は自分の花粉を自分の柱頭ちゅうとうに伝うることができず、是非ぜひともそれを持ってきてくれる何者かに依頼いらいせねばならないように、自然がそう鉄則てっそくもうけている。まことに不自由な花のようだが、実はそれがそう不自由でないのはおもしろいことではないか。なんとなれば、そこには花粉の橋渡はしわたし役をつとめるものがあって、えずこの花をおとずれるからである。そしてその訪問者は蝶々ちょうちょうである。花の上を飛びまわっている蝶々は、ときどき花に止まって仲人なこうどとなっているのである。
 今、ちょうが来て高雄蕊低花柱こうゆうずいていかちゅうの花に止まったとする。すなわちその長いくちばしをさっそく花に差し込んで、花底かていみつを吸う。その時そのくちばし高雄蕊こうゆうずいの花粉をつける。次にこの蝶が低雄蕊高花柱ていゆうずいこうかちゅうの花に行き、そのくちばしを花に差し込む。そうすると低雄蕊ていゆうずいの花粉がそのくちばしに付着するばかりでなく、前の花の高雄蕊からつけて来た花粉を高花柱こうかちゅう柱頭ちゅうとうにつける。また右の低雄蕊の花からその低雄蕊の花粉をつけて来た蝶は、その花粉を低花柱ていかちゅうの柱頭につける。
 このようにその花の受精するのは、どうしても他の花から花粉を持って来てもらわぬ限りそれができないから、自分の花粉で自分の花の受精作用はまったく不可能である。他花たかの花粉で、自分の花の受精作用を行わんがために、このサクラソウの花は雄蕊ゆうずいの位置に上下があり、雌蕊しずいの花柱に長短を生じさせているのである。天然てんねん細工さいく流々りゅうりゅう、まことに巧妙こうみょうというべきではないか。こうなると他家結婚ができ、したがって強力な種子が生じ、子孫繁殖しそんはんしょくには最も有利である。
 植物でも自家受精、すなわち自家結婚だと自然種子が弱いので、そこで他家受精すなわち他家結婚して強壮きょうそうな種子を作ろうというのだ。植物でこんな工夫くふうをしているのはまことに感嘆かんたんあたいする。今それを人間にたとうれば、同族結婚をけて他族結婚をしたこととなる。実際えんの近い人同士の結婚はあまり有利でなく、これに反して縁の遠い人同士の結婚が有利である。それゆえイトコ同士の結婚などはあまりむべきものではなく、強健きょうけんな子供をしいと思えば、縁類でない他の家から嫁をもらうべきである。前述のとおりサクラソウでさえ、自家結婚を避けて他家結婚を歓迎かんげいしているではないか。言い古した言葉だが、「人にして草にかざるべけんや」である。
 日本にはサクラソウ属の種類がおよそ三十種ばかりもあるが、その中で一番りっぱで大きな形のものはクリンソウで、これは世界中でも有名なものである。温室内にあるサクラソウ類には中国産のものが多く、シナサクラソウ、オトメザクラ、ハルコザクラなどはその名が高い。とにかく、観賞花としてサクラソウの類は、上乗じょうじょうなものである。
「サクラソウの図」のキャプション付きの図
サクラソウの図

 ヒマワリは一名ヒグルマ、一名ニチリンソウ、一名ヒュウガアオイと呼ばれ、アメリカ合衆国の原産であるが、はやくに広く世界に広まり、諸国で栽培さいばいせられている。そしてわがくにへはけだし、昔中国からそれを伝えたものであろう。今はわが国内でもあまねく諸州で作られている。通常は観賞花草としてえられているばかりで、その実を食らい、あるいはそれから油をしぼるなどのことはやっていないようだ。つまり有用植物としてはかえりみられないでいる。
 世人せじんは一般に、ヒマワリの花が日に向こうてまわるということを信じているが、それはまったく誤りであった。先年私が初めてこれを看破かんぱし、「日まわり日にまわらず」と題して当時の新聞や雑誌などに書いたことがあった。つまりヒマワリの花は側方にかたむいて咲いてはいれど、日に向こうてはいっこうに動かないことは、実地についてヒマワリの花を朝から夕まで見つめていれば、すぐにその真相がわかり、まったくくたびれもうけにおわるほかはない。
 このヒマワリの花が日光を追うて回るということは、もと中国の書物から来たものだ。それは『秘伝花鏡ひでんかきょう』という書物に次のとおり書いてある。すなわち、
向日葵ひまわり毎幹まいかん頂上ちょうじょうただ一花いっかあり、黄弁大心おうべんたいしんの形ばんごとく、太陽にしたがいて回転す、し日が東にのぼればすなわち花は東にむかう、日が天になかすればすなわち花ただちに上にむかう、日が西にしずめばすなわち花は西にむかう」
 である。これが、ヒマワリの日に向こうて回転する、という中国での説である。
 ヒマワリはキク科に属する一年生草本そうほんで、その学名を Helianthus annuus L. と称し、俗に Sunflower といわれている。すなわち太陽花、すなわち日輪花にちりんかである。右属名の Helianthus は、これまた同じく Sunflower と同義で日輪花にちりんかを意味し、種名の annuus は一年生植物の義である。なぜこの花を日輪にちりん、すなわち太陽にたとえたかというと、あの大きな黄色の花盤かばんを太陽の面とし、その周辺に射出しゃしゅつしている舌状花弁を、その光線になぞらえたものだ。
 中央に広く陣取じんどってならんでいる管状かんじょう小花は、その平坦へいたん花托面かたくめんおおめ、下に下位子房かいしぼうそなえ、花冠かかんは管状をなして、その口五れつし、そして管状内には集葯しゅうやく的に連合した五雄蕊ゆうずいがあり、中央に一本の花柱かちゅうがあって右のやく内を通り、その柱頭ちゅうとうは二している。花ののちには子房しぼうが成熟して果実となり、果中に一種子があり、種皮の中には二子葉しようを有するはいがある。春にこの種子をけばく生ずる。はじめ緑色の二枚の子葉しようが開展し、その中央からくきが出て葉をける。そしてその胚には油をふくんでいる。
 くきは巨大で、高さが二メートル以上にも達し、あたかも棒のようである。
 葉は広くて、長葉柄ちょうようへいそなえ、茎に互生ごせいしており、広卵形こうらんけいで三大脈を有して、葉縁ようえん粗鋸歯そきょしがあり、くきともにざらついている。くきいただきに一花あるものもあれば、また分枝ぶんししてその各枝端したんに一りんずつの花をけるものもある。また品種によって花に大小があり、その大なるものは直径およそ二十センチメートルばかりもあろう。
 このヒマワリの花は、他のキク科植物と同じく集合花で、そのおのおのを学問上で小花フロレットと称する。すなわち、この小花が集まって一輪の花を形作っている。こんな集合花を、植物学上で頭状花とうじょうかと称する。キク科の花はいずれもみな頭状花である。つまりり合い世帯せたい、すなわち一の社会を組み立ている花である。そしてこの寄り合い世帯には、分業が行われてたいへんにこの花に利益をもたらし、それがためにたくさんな種子がよくみのることになっている。
 ヒマワリの花は虫媒花ちゅうばいかである。昆虫が花のみついに来て、花盤面かばんめんにあるたくさんな小花の上をい回ると、花が一度に受精じゅせいする巧妙こうみょうな仕組みになっている。これは他のキク科植物も同様である。
 右に分業といったが、すなわち、花盤かばん上にある小花はもっぱら生殖をつかさどり、周辺にある舌状ぜつじょう小花は、昆虫に対する目印めじるし看板かんばんあわせて生殖を担当たんとうしている。こんな分業などがく行われ、つ受精が巧妙こうみょうきわたり、また種子の分布ぶんぷたくみなので、キク科植物は地球上で最も進歩発達した花である、と評価せられている。そしてキク科植物は、他のいずれの科のものよりもまさってたくさんな種類を含み、はなはだ優勢である。
 ヒマワリの姉妹品しまいひんにキクイモがあって同属に列する。その学名を Helianthus tuberosus L.(この種名は塊茎かいけいを有する意)と称し、俗に Girasole または Jerusalem artichoke と呼び、やはりアメリカ合衆国ならびにカナダがその原産地である。地中にジャガイモ(馬鈴薯ばれいしょというは大間違い)のような塊茎かいけいが生じて食用になるのだが、それにまったく澱粉でんぷんはなく、ただイヌリン(ゴボウと同様)があるのみである。味は淡白たんぱくであって美味うまくないから、だれも食料として歓迎かんげいしない。しかれども方法をもってすれば、砂糖さとうが製せられるから捨てたものではない。
「ヒマワリの図」のキャプション付きの図
ヒマワリの図

 中国に百合という一種のユリがあって、白い花が咲く。これは中国の特産であって、日本には見ることがない。そして百合は、ひとりこの白花ユリ(Lilium sp. 種名未詳)の専有する特名である。
 百合とは、その地下の球根(植物学上でいえば鱗茎りんけい)に多くの鱗片りんぺんがあって層々そうそうと重なっているから、それでそう百合というとのことである。
 ところが日本の諸学者はだれでも百合はササユリ(学名は Lilium Makinoi Koidz.)であるといっている。しかしササユリは、日本の特産で中国には産しないから、もとよりこのユリに中国名の百合の名があるわけはない。この一点をもってしても、ササユリが百合ではないことがわかる。そして日本ではなお百合をユリの総名のように思っており、ユリといえばよく百合と書いているが、それはまったく間違っている。
 日本産のユリには多くの種類があれども、一つも百合に当たるものはない。ゆえに百合を、日本のいずれのユリにも、それに対して用いてはならない。世間せけんの女の子によく百合子があるが、これは正しい書き方ではない。ゆえにユリコといいたければ、仮名かなでユリ子と書けば問題はないことになる。
 右のような次第しだいだから、実を言えば、百合の字面を日本のユリからは追放ついほうすべきもので、ユリの名はその語原がまったく不明である。また昔はユリをサイといったらしいが、これもその語原がわからない。しかしユリの想像語原では、ユリのくきが高くびて重たげに花が咲き、それに風が当たるとその花がれるから、それでユリというのだ、といっていることがある。
 ユリの諸種はみな宿根草しゅっこんそうである。地下に鱗茎りんけい(俗にいう球根)があって、これが生命のみなもととなっている。すなわち茎葉けいようれても、この部はいつまでも生きていて死なない。
 右、鱗茎りんけいは白色、あるいは黄色の鱗片りんぺん相重あいかさなってっているが、この鱗片りんぺんは実は葉の変形したものである。そして地中で養分をたくわえている役目をしているから、それで多肉たにくとなり、多量の澱粉でんぷんを含んでいる御蔵おくらをなしているが、それを人が食用とするのである。右の鱗片が相擁あいようしてかたまり、球をなしているその球の下に叢生そうせいして鬚状ひげじょうをなしているものが、ユリの本当の根である。そしてなお鱗茎りんけいから出ている一本のくきにも、その地中部には真の根が横出おうしゅつしてえている。
 くき鱗茎りんけい、すなわち球根から一本でて直立し、狭長きょうちょうな葉がたくさんそれに互生ごせいしている。くきこずえは多くは分枝ぶんしして花をけているが、花はみな美しくて香気こうきのあるものが少なくない。そして花は上向うわむきに咲くものもあれば、横向きに咲くものもあり、また下向きに咲くものもあって、みな小梗しょうこうを有している。
 花は花蓋かがいがく、花弁同様な姿をしているものを、便宜べんぎのため植物学上では花蓋かがいと呼んでいる)が六ぺんあるが、それが内外二列をなしており、その外列の三片が萼片がくへんであり、内列の三片が花弁である。そしてそのもとの方の内面には、よくみつ分泌ぶんぴつせられているのが見られる。六本の雄蕊ゆうずいがあって、おのおのが花蓋片かがいへんの前に立っており、長い花糸かしの先にはブラブラと動くやくがあって、たくさんな花粉を出している。この花粉には色があって、それが着物にくと、なかなかその色が落ちないので困る。ゆえに、人によりユリの花をきらうことがある。
 花の底には一つの緑色の子房しぼうが立っており、そのいただきに一本の長い花柱かちゅうがあり、その末端まったんはすなわち柱頭ちゅうとう三耳形さんじけいていし、粘滑ねんかつで花粉を受けるに都合つごうよくできている。右のように花の中にある子房しぼうをば、植物学上では上位子房じょういしぼうといっている。
 ユリの花はいちじるしい虫媒花ちゅうばいかで、主として蝶々ちょうちょうが花を目当めあてに頻々ひんぴんと訪問する常得意じょうとくいである。それで美麗びれい花色かしょくが虫を呼ぶ看板かんばんとなっており、その花香かこうもまた虫をさそう一つの手引てびきをつとめている。訪問客、すなわち蝶々はその長いくちばしを花中へ差し込み、花蓋かがいのもとの方の内面に分泌ぶんぴつしているみつうのである。その時、その虫の体もくちばしやくれて、その花粉を体やくちばしける。そして他の花へ飛びあるいた時、そのけて来た花粉を粘着ねんちゃくする雌蕊しずい柱頭ちゅうとうへ、知らず知らずけるのである。すなわち蝶と花とが、利益の交換こうかんをやっているわけだ。こうしてユリは子房しぼうの中の卵子らんしはらみ、のち種子となって、子孫をもといをなすのである。
 たくさんあるユリの種類の中で、最もふつうで人に知られているものが、オニユリである。これは中国にも産し、巻丹けんたんの名がある。それは花蓋片かがいへん反巻はんかんし、あかいからである。このオニユリの球根、すなわち鱗茎りんけいは白色で食用になるのであるが、少しく苦味にがみがある。このユリの特徴とくちょう葉腋ようえき珠芽しゅがが生ずることである。これが地に落ちれば、そこに仔苗しびょうが生ずるから繁殖はんしょくさすには都合つごうがよい。
 またこのオニユリは往々おうおうはたけに作ってあるが、なお諸処に野生やせいもある。おもしろいことには東京地方へ旅行すると、農家の大きな藁葺わらぶき屋根の高いむねにオニユリが幾株いくかぶえて花を咲かせている風情ふぜいである。オニユリの花は通常一重ひとえであるが、時に八重咲やえざきのものが見られ、これを八重天蓋やえてんがいと称するが、テンガイユリはオニユリの一名である。
 ヤマユリはりっぱなユリであって、関東諸国に野生やせいし、また人家にも作られている。大きな花が咲き、その満開まんかいの時はよくにおう。その花蓋片かがいへん元来がんらいは白色だが、片面に褐赤色かっせきしょく斑点はんてんがある。花蓋片かがいへんの中央紅色べにいろの深いものはベニスジユリととな珍重ちんちょうせられるが、これは園芸的の品である。ハクオウというのは、花蓋片かがいへんが白くて斑点はんてんなく中央に黄筋きすじの通っているもので、これも園芸品である。
 ヤマユリの球根は、食用として上乗じょうじょうなものである。ゆえにいにしえより、料理ユリの名がある。またその産地にもとづいてヨシノユリ、ホウライジユリ、エイザンユリ、ウキシマユリの名がある。元来がんらい、ヤマユリの名は、ササユリの一名であるところのヤマユリの名と重複するので、今のヤマユリは、これをヨシノユリか、あるいはリョウリユリと呼んだならきわめてよいと思われる。ヤマユリの名は、なんとなく土臭つちくさい感じがして、いっこうに上品に聞こえない。
 このヤマユリは日本の特産で、中国にはないから、したがって中国名はない。日本の学者は『汝南圃史じょなんほし』という中国の書物にある天香百合をヤマユリだとしていれど、それはむろん誤りである。
 ヤマユリは、輸出向きには一等重要なユリである。従来非常にたくさんなこのユリ根が外国に輸出せられたが、これからも漸次ざんじにその盛況せいきょうを見るに至るであろう。
 ササユリは、関西諸州の山地には多く野生やせいしているが、関東地方にはえてない。しかし関西の地でも、あまり人家には作っていない。くきは九〇〜一二〇センチメートルに成長して立ち、なんとなく上品な色をていし、花も淡紅色たんこうしょくで、すこぶる優雅ゆうがである。前記のとおり、このユリにもヤマユリの名があり、またサユリという名もある。サユリはサツキユリの略されたもので、それは早月さつき(旧暦の五月、今日こんにちでは六月に当たる)のころに花が咲くからそういうのである。
 カノコユリは、きわめて華美かびな花が咲く。花色紅赤色こうせきしょくで、濃紅色のうこうしょくの点がある。日本のユリ中、最もすぐれた花色をていしている。このユリは四国、九州には野生があって、いつも断崖だんがいの所に生じている。ゆえにそのくきは向こうに突きで、あたかも釣竿つりざおを差し出したようになっており、その先に花が下向いて咲いている。ゆえに土佐とさ〔高知県〕では、これをタキユリというのだが、同国では断崖だんがいをタキと称するからである。変種に白花の品と淡紅色たんこうしょくの品とがあって、その淡紅色のものをアケボノユリ(新称)といい、白花のものをシラタマユリと呼んでいる。これはともに園芸品である。
 テッポウユリは沖繩方面の原産で、つつの形をした純白の花が横向きに咲き、香気こうきが高い。このユリを筑前ちくぜん〔福岡県北東部〕では、タカサゴと呼ぶことが書物に出ている。そしてこのテッポウユリは、輸出ユリとして著名ちょめいなもので、その球根が大量に外国に出て行く。
 サクユリは、伊豆七島いずしちとうにおける八丈島はちじょうじまの南にある小島青ヶ島の原産で、日本のユリ中、最も巨大なものである。花は純白で香気こうき強く、実にみごとなユリで、この属中の王様である。球根もきわめて大きく、鱗片りんぺんも大形で肉厚く黄色をていし、食用ユリとしても上位をむるものといってよろしい。
 スカシユリは、ふつうに栽培さいばいして花を咲かせていて、その花色には赤、黄、かば〔赤みをびた黄色〕などがある。花は上向きに咲き、花蓋片かがいへんのもとの方がたがいにいているので、スカシユリの名がある。諸国の海岸に野生やせいしているユリに、ソトガハマユリとも、テンモクユリとも、ハマユリとも、またイワトユリともいう樺色花かばいろかのユリがあるが、これは右スカシユリの原種である。東京付近では房州ぼうしゅう〔千葉県の南部〕、相州そうしゅう〔神奈川県〕、豆州ずしゅう〔伊豆半島と伊豆七島〕へ行けば得られる。
 コオニユリは、オニユリに似て小さいというのでこの名があるが、一にスゲユリともいわれる。それは葉が狭長きょうちょうだからである。山地向陽こうようの草中に野生し、オニユリのごとき丹赤色たんせきしょくの花が咲き、暗褐色あんかっしょく斑点はんてんがある。球根は食用によろしい。
 ヒメユリはその名の示すごとく可憐かれんなユリである。関西地方から九州にかけて山野に野生があるが、そう多くはない。くきは六〇〜九〇センチメートルに立ち、狭葉きょうよう互生ごせいし、こずえに少数の枝を分かちて、きわめて美麗びれいな真赤色の花が上向きに咲く。この一変種に、コヒメユリというのがある。くきは細長く花は茎末けいまつに一、二りん咲く。この品は野生はなく、まったく園芸品である。
 クルマユリは、その葉が車輪状しゃりんじょうをなしているので、この名がある。花は茎梢けいしょうに一花ないし数花点頭てんとうして咲き、反巻はんかんせる花蓋面かがいめんに暗点がある。高山こうざん植物の一つであるが、羽前うぜん〔山形県〕の飛島とびしまえているのは珍しいことである。
 右のほかヒメサユリ、タケシマユリ、タツタユリ、ハカタユリ、カサユリなどの種類がある。ウバユリというのは異彩いさいを放ったユリで、もとはユリ属(Lilium)に入れてあったが、私はこれをユリ属から独立させて、Cardiocrinum なる別属のものとしている。その葉はユリの諸種とは違い、広闊こうかつなる心臓形で網状脈もうじょうみゃくを有し、花は一茎に数花横向きに開き、緑白色りょくはくしょくで左右相称状になっている。鱗茎りんけい鱗片りんぺんもきわめて少なく、花が咲くとその鱗茎りんけい腐死ふしし、その側に一、二の仔苗しびょうを残すにすぎない特状がある。この属のもの日本に二種、一はウバユリ、二はオオウバユリである。インド・ヒマラヤ山地方に産する偉大なウバユリ、すなわちヒマラヤウバユリもこの属に属する。
 輸出ユリとしては日本が第一で、年々たくさんな球根が海外へ出ていたが、戦争で頓挫とんざしていたけれども、これからふたたび、前日のような盛況せいきょうを見るであろうことはけ合いで、わがくに園芸界のために、大いにしゅくしてよろしい。その輸出ユリの第一はヤマユリ、次がテッポウユリ、次がカノコユリという順序だろう。これらのユリは、日本でなるべくその球根を大きくなるように培養ばいようして、その球根を輸出する。先方ではそれを一年作って、さらにその大きさを増さしめ、そして次年じねんいきおいよく花を咲かせてその花を賞翫しょうがんする。花が咲いた後、弱った球根は捨ててかえりみない。
 ゆえに年々歳々ねんねんさいさい日本からえず輸入する必要があるので、この貿易は向こうの人の花の嗜好しこうが変わらぬ以上いつまでも続くわけで、日本はまことにまたと得がたい良い得意先を持ったものだ。また、良いユリをも持ったものだ。万歳万歳ばんざいばんざい
「ユリの図」のキャプション付きの図
ユリの図

 ハナショウブは世界の Iris 属中の王様で、これがわがくにの特産植物ときているから、大いに鼻を高くしてよい。アメリカでは、花ショウブ会ができているほどなのであるが、その本国のわがくにでは、たいした会もないのはまことにずかしい次第しだいであるから、大いに奮起ふんきして、世界に負けないようなハナショウブ学会を設立すべきである、と私は提唱ていしょうするに躊躇ちゅうちょしない。
 Iris 属中の各種中で、ハナショウブほど一種中(ワンスピーシーズ中)に園芸上の変わり品を有しているものは、世界中に一つもない。これはひとり日本の持つ特長である。なんとなれば、ハナショウブを原産する国は、日本よりほかにはないからである。実にハナショウブの品種は、何百通りもあるではないか。
 ハナショウブは、まったく世界にほこるべき花であるがゆえに、どこか適当な地を選んで一大花ショウブ園を設計し、少なくも十万平方メートルぐらいある園をもうけて、各種類を網羅もうらするハナショウブをえ、大いに西洋人をもビックリさすべきである。いまや観光団が来るという矢先やさきに、こんな大規模のハナショウブ園を新設するのは、このうえもない意義がある。従来、東京付近にある堀切ほりきり、四ツ目などのハナショウブ園は、みなかまえが小さくて問題にならぬ。
 花ショウブは、元来がんらい、わがくにの山野に自生しているハナショウブがもとで、それを栽培に栽培を重ねて生まれしめたものである。ゆえに、このノハナショウブは栽培ハナショウブの親である。昔かの岩代いわしろ〔福島県の西部〕の安積あさかの沼のハナショウブをり来って、園芸植物化せしめたといわれるが、それはたぶん本当であろう。
 しかしハナガツミというものがその原種だというのは、妄説もうせつであると私は信ずる。そしてその歌の、「陸奥みちのくのあさかの沼の花がつみかつ見る人に恋やわたらむ」の花ガツミはマコモ、すなわち真菰まこもの花をしたもので、なんらこのハナショウブとは関係はないが、園養のハナショウブを美化びかせんがために、いてこの歌を引用し、付会ふかいしているのは笑止しょうしの至りである。
 ハナショウブの花は千差万別せんさばんべつ、数百品もあるであろう。かつて三好学みよしまなぶ博士が大学にいる間に、『花菖蒲図譜はなしょうぶずふ』をあらわしておおやけにしたが、まことに篤志とくしの至りであるといってよい。われらはこの図譜ずふによって、明治末年前後のハナショウブ花品かひんうかがうことができるわけだ。そしてハナショウブを花菖蒲と書くのは、実は不正な書きかたで、ショウブは菖蒲から書いた名ではあれど、ショウブはけっして菖蒲ではない。
 ハナショウブの花は、その構造はアヤメやカキツバタと少しも変わりはない。ただ花の器官に大小広狭こうきょう、ならびに色彩しきさいの違いがあるばかりだ。すなわち最外さいがいの大きな三ぺん萼片がくへんで、次にあるせまき三片が花弁かべんである。三つの雄蕊ゆうずいは幅広き花柱枝かちゅうしの下に隠れて、そのやくは黄色をていしており、中央の一花柱かちゅうは大きな三かれて開き、その末端まったん柱頭ちゅうとうがあり、虫媒花ちゅうばいかであるこの花に来る蝶々ちょうちょうが、この柱頭へ花粉をけてくれる。花下かかに緑色の一子房しぼうがあって、直立し花をいただいている。子房には小柄しょうへいがあり、その下に大きな二枚の鞘苞しょうほうがあって花をようしている。
 ハナショウブは、ふつうに水ある泥地でいちに作ってあるが、しかし水なき畑にえても、くできて花が咲く。宿根性草本しゅっこんせいそうほんで、地下茎ちかけい横臥おうがしている。くきは直立し少数の茎葉けいよう互生ごせいし、初夏しょかこういただき派手はでやかな大花たいかが咲く。葉は直立せる剣状けんじょう白緑色はくりょくしょくていし、基部きぶ葉鞘ようしょうをもって左右に相抱あいいだき、葉面ようめんの中央には隆起りゅうきせる葉脈ようみゃくあらわれている。花がわると果実ができ、じゅくしてそれが開裂かいれつすると、中の褐色かっしょく種子が出る。
 ハナショウブとは花の咲くショウブの意で、そしてその葉の大きさは、ちょうどショウブと同じくらいである。ところが元来がんらい、菖蒲と言う中国名、すなわち漢名かんめいは、実はしょせんショウブそのものではなく、ショウブは白菖と書かねば正しくない。そして菖蒲と書けば、本当はセキショウのことになる。このセキショウはショウブ属(Acorus)のものではあれど、ずっと小形な草で溪間けいかんに生じている常緑じょうりょく宿根草しゅっこんそうであって、冬に葉のないショウブとはだいぶ異なっている。
 この水にえていて端午たんご節句せっくに用うるショウブは、昔はこれをアヤメといった。そして根が長いので、これをるのを「アヤメ引く」といった。すなわち古歌こかにアヤメグサとあるのは、みなこのショウブであって、今日こんにちいう Iris のアヤメではない。右ショウブをアヤメといっていた昔の時代には、この Iris のアヤメはハナアヤメであった。右 Acorus 属であるアヤメの名が消えて、今名こんめいのショウブとなると同時に、ハナアヤメの名も消えてアヤメとなった。
 ハナショウブの母種ぼしゅ、すなわち原種のノハナショウブは、関西地方ではドンドバナと称するらしいが、今その意味が私にはわからない。人によっては、道祖神どうそじんの祭りをトンド祭というとのことであるから、あるいはその時分にノハナショウブが咲くからというので、それでノハナショウブをドンドバナというのかもしれない。ドンドとトンドと多少違いはあるから、あるいはドンドバナはトンドバナというのが本当かも知れない。野州やしゅう〔栃木県〕日光の赤沼あかぬまの原では、そこに多いノハナショウブをアカヌマアヤメといっている。
 このノハナショウブは、どこに咲いていても紅紫色こうししょく一色で、私はまだ他の色のものに出逢であったことがない。そして花はなかなか風情ふぜいがある。
「ハナショウブの図」のキャプション付きの図
ハナショウブの図

 秋の彼岸ひがんごろに花咲くゆえヒガンバナと呼ばれるが、一般的にはマンジュシャゲの名で通っている。そしてこの名は梵語ぼんご曼珠沙まんじゅしゃから来たものだといわれる。そのわけは、曼珠沙まんじゅしゃ朱華しゅかの意だとのことである。しかしインドにはこの草は生じていないから、これはその花が赤いから日本の人がこの曼珠沙まんじゅしゃをこの草の名にしたもので、これに華を加えれば曼珠沙華まんじゅしゃげ、すなわちマンジュシャゲとなる。そして中国名は石蒜せきさんであって、その葉がニンニクの葉のようであり、同国では石地せきちに生じているので、それで右のように石蒜せきさんといわれている。
 本種はわがくにいたるところに群生ぐんせいしていて、真赤な花がたくさんに咲くのでことのほかいちじるしく、だれでもよく知っている。毒草どくそうであるからだれもこれを愛植あいしょくしている人はなく、いつまでも野の草であるばかりでなく、あのような美花びかを開くにもかかわらず、いつも人にきらわれる傾向を持っている。
 とにかく、眼につく草であるゆえに、諸国で何十もの方言ほうげんがある。その中にはシビトバナ、ジゴクバナ、キツネバナ、キツネノタイマツ、キツネノシリヌグイ、ステゴグサ、シタマガリ、シタコジケ、テクサリバナ、ユウレイバナ、ハヌケグサ、ヤクビョウバナなどのいやな名もあるが、またハミズハナミズ、ノダイマツ、カエンソウなどのみやびな名もある。そしてその学名を Lycoris radiata Herb. といい、ヒガンバナ科に属する。右種名の radiata は放射状ほうしゃじょうの意で、それはその花が花茎かけいいただきに放射状、すなわち車輪状をなして咲いているからである。
 野外で、また山面で、また墓場で、また土堤どてなどで、花が一時に咲きそろい、たくさんに群集して咲いている場合はまるで火事場のようである。そしてその咲く時は葉がなく、ただ花茎かけいが高く直立していて、その末端まったんに四、五車座くるまざのようになって咲き、反巻はんかんせる花蓋片かがいへんは六数、雄蕊ゆうずいも六数、雌蕊しずい花柱かちゅうが一本、花下かかにある。下位子房かいしぼうは緑色で各小梗しょうこうそなえている。
 ここに不思議ふしぎなことには、かくもさかんに花が咲きほこるにかかわらず、いっこうに実を結ばないことである。何百何千の花の中には、たまに一つくらい結実してもよさそうなものだが、それが絶対にできなく、その花はただ無駄むだに咲いているにすぎない。しかし実ができなくても、その繁殖はんしょくにはあえて差しつかえがないのは、しあわせな草である。それは地中にある球根(学術上では鱗茎りんけいと呼ばれる)が、漸々ぜんぜんに分裂して多くの仔苗しびょうを作るからである。ゆえに、この草はいつも群集してえている。それはもと一球根から二球根、三球根、しだいに多球根と分かれゆきて集っている結果である。
 花がむとまもなく数条の長い緑葉りょくようで、それが冬をし翌年の三月ごろに枯死こしする。そしてその秋、また地中の鱗茎りんけいから花茎かけいが出て花が咲き、毎年毎年これを繰り返している。かく花の時は葉がなく、葉の時は花がないので、それでハミズハナミズ(葉見ず花見ず)の名がある。鱗茎りんけい球形きゅうけい黒皮こくひこれを包み、中は白色で層々そうそう相重あいかさなっている。そしてこの層をなしている部分は、実に葉のもとがさやを作っていて、その部には澱粉でんぷんたくわえ自体の養分となしていること、ちょうど水仙すいせんの球根、ラッキョウの球根などと同様である。そしてそこは広いつつをなして、たがいに重なっているのである。
 近来きんらい澱粉でんぷん製造の会社が設立せられ、この球根を集めくだきそれを製しているが、白色無毒な良好澱粉が製出せられ、食用にきょうせられる。元来がんらい、この球根にはリコリンという毒分を含んでいるが、しかしその球根をくだき、水にさらして毒分を流し去れば、食用にすることができるから、この方面からいえば、有用植物の一にかぞうることができるわけだ。
 この草の生の花茎かけいを口でんでみると、実にいやな味のするもので、ただちにそれが毒草どくそうであることが知れる。女の子供などは往々おうおうそのくき交互こうごに短くり、皮でつらなったまま珠数じゅずのようになし、もてあそんでいることがある。
『万葉集』にイチシという植物がある。私はこれをマンジュシャゲだと確信しているが、これは今までだれも説破せつはしたことのない私の新説である。そしてその歌というのは、

みち壱師いちしの花の灼然いちしろく、人皆知りぬ我が恋妻を

 である。右の歌の灼然いちしろの語は、このマンジュシャゲの燃ゆるがごとき赤い花に対し、実によい形容である。しかしこのイチシという方言は、今日こんにちあえて見つからぬところからしてみると、これはほんのせまい一地方に行われた名で、今ははやくすたれたものであろう。
 このマンジュシャゲ、すなわちヒガンバナ、すなわち石蒜せきさんは日本と中国との原産で、その他の国にはない。外国人はたいへんに球根植物を好くので、ずっと以前にこのマンジュシャゲの球根が、多数に海外へ輸出せられたことがあった。
「ヒガンバナの図」のキャプション付きの図
ヒガンバナの図

 春に山地に行くと、往々おうおうオキナグサという、ちょっと注意をく草に出逢であう。全体に白毛はくもうかぶっていて白く見え、他の草とはその外観が異っているので、おもしろくつ珍しく感ずる。葉は分裂ぶんれつしており、かぶから花茎かけいが立ち十数センチメートルの高さで花をけている。花は点頭てんとうして横向きになっており、日光が当たるとく開く。花の外面に多くの白毛が生じており、六ぺん花片かへん(実は萼片がくへんであって花弁はなく、萼片が花弁状をなしている)の内面は色が暗紫赤色あんしせきしょくていしている。花内かない多雄蕊たゆうずい多雌蕊たしずいとがある。わがくにの学者はこの草を漢名の白頭翁はくとうおうだとしていたが、それはもとより誤りであった。この白頭翁はくとうおうはオキナグサに酷似こくじした別の草で、それは中国、朝鮮に産し、まったくわが日本には見ない。ゆえに右日本のオキナグサを白頭翁はくとうおうてるのは悪い。
 さてこの草をなぜオキナグサ、すなわち翁草というかというと、それはその花がんで実になると、それが茎頂けいちょうに集合し白く蓬々ほうほうとしていて、あたかもおきな白頭はくとうに似ているから、それでオキナグサとそう呼ぶのである。この蓬々ほうほうとなっているのは、その実のいただきにある長い花柱かちゅう白毛はくもうが生じているからである。
 この草には右のオキナグサのほかになおたくさんな各地の方言があって、シャグマグサ、オチゴバナ、ネコグサ、ダンジョウドノ、ハグマ、キツネコンコン、ジイガヒゲ、ゼガイソウもその内の名である。右のゼガイソウは、すなわち善界草ぜんがいそうで、これは謡曲ようきょくにある赤態しゃぐまけた善界坊ぜんがいぼうから来た名である。
『万葉集』にこの草をみ込んである歌が一つある。すなわちそれは、

芝付しばつき美宇良崎みうらざきなるねつこぐさ、相見ずあらばあれひめやも

 である。そしてこのネツコグサは、ネコグサの意で、オキナグサをしている。花に白毛が多いので、それで猫草といったものだ。
 このオキナグサは山野さんや向陽地こうようちに生じ、春早く開花するので、子女しじょなどに親しまれ、その花をって遊ぶのである。葉は花後かごに大きくなる。根は多年生で肥厚ひこうしており、毎年その株の頭部から花、葉が萌出ほうしゅつするのである。
 この草はキツネノボタン科に属し、その学名を Anemone cernua Thunb. とも、また Pulsatilla cernua Spreng. ともいわれる。そしてその種名の cernua は点頭てんとう、すなわち傾垂けいすいの意で、それはその花の姿勢しせいもとづいて名づけたものだ。
「オキナグサの図」のキャプション付きの図
オキナグサの図

 シュウカイドウ、すなわち秋海棠はもと中国原産の植物である。昔寛永年間かんえいねんかんに日本へ渡り来って、いまは各地に繁殖はんしょくしているが、しかし多くはえられてある。たまに寺の後庭などに野生やせいの姿となっている所があれど、これはもとからの野生ではないけれど、人によってはそこに野生があると疑っていることがある。けれどもそれは、まったく思い違いである。
 日本では、この中国名の秋海棠を音読おんどくしたシュウカイドウを、そのまま和名わめいにしているが、さらにヨウラクソウ(瓔珞草ようらくそうの意)、ナガサキソウ(長崎草の意)の別名があれど、一般にはいわない。
 そしてこのヨウラクソウは、花の見立てから来た名、ナガサキソウは、その渡来とらいした地にもとづき名づけたものである。本品はシュウカイドウ科に属し、Begonia Evansiana Andr. の学名を有しているが、この Begonia 属のものは温室植物として多くの種類がある。みなその茎葉けいよう酸味さんみを含んでいるが、それは蓚酸しゅうさんである。
 秋海棠しゅうかいどう宿根草本しゅっこんそうほんであるが、冬はくきも葉もなく、春に黒ずんだ地中のタマネ、すなわち球茎きゅうけいから芽が出て来る。ゆえに一度えておくと、年々生じて開花する。くきは立って六〇〜九〇センチメートルの高さとなりえだかっている。葉は大形で葉柄ようへいそなえ、くき互生ごせいしている。その葉面ようめんは心臓形で左右不同の歪形わいけいていし、他の植物の葉とはだいぶ葉形が異なっている。茎とともに質がやわらかく、元来がんらいは緑色なれども、赤味をびているから美しい。
 くきの上部に分枝ぶんしし、さらに小梗しょうこうに分かれて紅色こうしょく美花びかれているが、その花には雄花ゆうか雌花しかとが雑居ざっきょして咲いており、雄花ゆうか花中かちゅうに黄色のやくを球形に集めた雄蕊ゆうずいがあり、雌花しか花下かかに三つのよくある子房しぼうがある。このように、一かぶ上に雄花ゆうか雌花しかとを持っている植物を、植物学上では一家花かか植物と呼んでいる。すなわち雌雄同株しゆうどうしゅ植物である。
 中国の書物には、秋海棠しゅうかいどうを一に八月春と名づけ、秋色中しゅうしょくちゅうの第一であるといい、花は嬌冶柔媚きょうやじゅうびで真に美人がよそおいにむに同じと讃美さんびしている。また俗間ぞくかんの伝説では、昔一女子があって人をおもうてその人至らず涕涙ているい下って地にそそぎ、ついにこの花を生じた。それゆえ、この花は色があでやかで女のごとく、よって断腸花だんちょうかと名づけたとある。実際にその咲いている花に対せば淡粧たんしょう美人のごとく、実にその艶美えんび感得かんとくせねばかない的のものである。
 栽培はきわめて容易で、家のうしろなどにえておくと年々繁茂はんもして開花する。その茎上けいじょう小珠芽しょうしゅがができて地に落ちるから、それから芽が出て新株しんしゅえる特性を有している。
 日本にはこのシュウカイドウ科の土産どさん植物は一つもなく、ただあるものは外国渡来とらいの種類のみである。温室内にあるタイヨウベゴニア(大葉ベゴニア)は、大なる深緑色葉面しんりょくしょくようめん白斑はくてんがあって、名高い粧飾しょうしょく用の一種である。
「シュウカイドウの図」のキャプション付きの図
シュウカイドウの図

 ドクダミと呼ぶ宿根草しゅっこんそうがあって、たいていどこでも見られる。人家じんかのまわりの地にも多く生じており、むといやな一種の臭気しゅうきを感ずるので、よく人が知っている。また民間ではこれを薬用に用いるので有名でもある。ドクダミとは毒痛どくいたみの意だともいわれ、またあるいは毒をのぞくの意だともいわれ、身体の毒を追い出すに使われている。また頭髪とうはつを洗うにも使われ、またあるいは風呂ふろに入れて入浴する人もある。すなわち毒を除くというのが主である。佐渡さどではドクマクリというそうだが、これは毒を追い出す意味であろう。
 この草の中国名は※(「くさかんむり/(楫のつくり+戈)」、第3水準1-91-28)しゅうであるが、ドクダミは今日こんにち日本での通名である。これをジュウヤクというのは※(「くさかんむり/(楫のつくり+戈)」、第3水準1-91-28)じゅうやくの意、またシュウサイというのは※(「くさかんむり/(楫のつくり+戈)」、第3水準1-91-28)しゅうさいの意である。草の臭気しゅうきもとづきイヌノヘドクサといい、その地下茎ちかけいは白く細長いからジゴクソバの名がある。またボウズグサ、ホトケグサ、ヘビクサ、ドクグサ、シビトバナなどの各地方言があるが、みなこの草を唾棄だきしたような称で、畢竟ひっきょう不快なこの草の臭気しゅうき衆人しゅうじんきらうから、このように呼ぶのである。馬をうに十種の薬の効能こうのうがあるから、それで十薬という、といわれているのはよい加減かげんにこしらえた名で、ジュウヤクとは実は※(「くさかんむり/(楫のつくり+戈)」、第3水準1-91-28)じゅうやくから来た名である。
 この草は春になえを生ずるが、それは地中に蔓延まんえんせる細長い地下茎ちかけいから出て来る。くきは直立して三〇センチメートル内外となり、心臓状円形で葉裏帯紫色の厚いやわらかな全辺葉ぜんぺんよう互生ごせいし、葉柄本ようへいほん托葉たくようそなえている。くきこずえに直径一〜二センチメートルの白花を開くが、その花は四花弁かべんがあるように見えるけれど、これは花弁をよそおうている葉の変形物なるほうである。そしてその花の中央から一本の花軸かじくが立って、それに多数の花をけているが、しかしその花はみな裸でがくもなければ花弁もなく、ただ黄色葯おうしょくやくある三雄蕊ゆうずいと一雌蕊しずいとのみを持っているにすぎなく、まことに簡単至極かんたんしごくな花ではあるが、これに引きえその白色四へんほうはたいせつな役目をつとめている。
 すなわち目にくその白い色を看板かんばんにして、昆虫を招いているのである。昆虫はこの白看板しろかんばんさそわれて遠近から花にきたり、花中かちゅうに立っている花軸かじくの花を媒助ばいじょしてくれるのである。けれども昆虫はただではなく、利益交換りえきこうかんみつが花中にあるので、それでやってるのである。この草が群をなして密生みっせいしている所では、草の表面にその白花が緑色の葉を背景に点々とたくさんに咲いていて、すこぶるおもむきがある。
 このドクダミははなはだ抜き去りがたく、したがって根絶こんぜつせしめることはなかなか容易でなく、抜いても抜いてもあとからえ出るのである。それもそのはず、地中に細長い白色地下茎はくしょくちかけい縦横じゅうおうに通っていて、なえを抜く時にそれが切れ、依然いぜんとして地中に残り、その残りからまたなええるからである。この地下茎ちかけいせば食用にするにるとのこと、また地方によりこれから澱粉でんぷんってしょくしているところがある。
 この草は日本と中国との原産で、もとより欧米おうべいにはない。欧州のある植物園では非常に珍しがって、たいせつに栽培してあるとのことだ。
 このドクダミはハンゲショウ科に属し、Houttuynia cordata Thunb. の学名で世界に通っている。この属名はオランダの学者で日本の植物をも書いたホッタインのせいを取ったものだ。種名のコルダタは心臓形の意で、その葉形ようけいもとづいて名づけたわけだ。
「ドクダミの図」のキャプション付きの図
ドクダミの図

 イカリソウは錨草の意で、その花形かけいもとづいて名づけたものである。実際その花はちょうどいかりげたようなおもしろい姿をていしているので、この草を庭にえるか、あるいは盆栽ぼんさいにしておき、花を咲かすと、すこぶるおもむきがある。栽培はいたって簡易かんいつその草もじょうぶであるから、一度えておくと毎年その時季じきには花がながめられる。
 春に新葉しんようとも茎上けいじょうに短い花穂かすいをなし、数花が咲くのだが、ちょっと他に類のないめずらしい花形かけいである。これを地にえるとよく育ち、毎年花がく。東京付近のクヌギ林の下などには、諸処に野生しているから、これを採集してえるとよろしい。種類によっては白花のものもあるが、東京近辺のものはみな淡紫花たんしかの品ばかりである。
 花にはがく、花弁、雄蕊ゆうずい雌蕊しずいそなわっていて、植物学上でいう完備花かんびかをなしている。がく元来がんらい、八へんよりなっているが、しかしその外側の小さき四片は早く散落さんらくし、内側の四片が残って花弁状をていし、卵状披針形らんじょうひしんけいをなしてとが平開へいかいしている。花弁が四個あって、前記残留ざんりゅうの四萼片がくへんともに花の主部をなしており、いちじるしい長距ちょうきょがあって四方にで、下に向かって少しく弯曲わんきょくしている。すなわちこれがいかりの手に当たる部である。
 この長いきょの底には、蜜液みつえき分泌ぶんぴつせられていて、花は昆虫の来るのを待っている。この虫媒花ちゅうばいかであるイカリソウの花へは長いくちばしを出すちょうが訪れ、蜜を吸いに来て頭を花中かちゅうへ差し込むときその頭へ花粉をけて、これを他の花の花柱かちゅう柱頭ちゅうとうへ伝えるのである。そして花柱のもとにある子房しぼうが、ついに果実となるのである。
 花中かちゅうには四雄蕊ゆうずいがある。その長いやくは、葯胞やくほうへんがもとから上の方にき上がって、黄色の花粉を出している特状がある。このようなやくを、植物学上では片裂葯へんれつやくと称している。雌蕊しずいは一本で、緑色の子房しぼうとほとんど同長な花柱かちゅうが上に立っており、そのいただき花頭かとうがあって花粉を受けている。
 葉は、地下茎ちかけいからで立つ一本の長いくきいただきから一方は花穂かすいとなり、一方はこの葉となって出ていて長柄ちょうへいがあり、それが三へいに分かれ、さらにそれが三小柄しょうへいに分かれて各小柄しょうへいごとに緑色の一小葉片しょうようへんいている。葉片ようへんは心臓状卵形でとがり、葉縁ようえん針状歯しんじょうしがあり、花後かごにはその葉質ようしつかたくなる。かく小葉しょうようが一ように九へんあるので、それで中国でこの草を三葉草ようそうというのだが、淫羊※(「くさかんむり/霍」、第3水準1-91-37)いんようかくというのがその本名である。しかしこの淫羊※(「くさかんむり/霍」、第3水準1-91-37)いんようかくの名は、この類の総称のようである。
 右漢名かんめい(中国名のこと)の淫羊※(「くさかんむり/霍」、第3水準1-91-37)いんようかくき、中国の説では、羊がこの葉(※(「くさかんむり/霍」、第3水準1-91-37)かく)を食えば、一日の間に百ぺん雌雄しゆう相通あいつうずることができる効力を持っていると信ぜられている。昔からこんな伝説が右のとおり中国にあるので、日本でもこれが成分を研究してみた人があったが、なにもそんな不思議ふしぎな効力はないとの結論で、たちまちその研究熱がめてしまって、今日こんにちではだれもその淫羊※(「くさかんむり/霍」、第3水準1-91-37)いんようかくせつを信ずる馬鹿者ばかものはなくなった。
 かのタデ科に属し、地下茎ちかけい塊根かいこんのできる何首烏かしゅうすなわちツルドクダミも、一時はそれが性欲にくとて、やはり中国の説がもとで大騒ぎをしてみたが、結局はなんのこうも見つからず、阿呆あほらしいですんでしまった。
 イカリソウはヘビノボラズ科に属し、右の名のほかになおクモキリソウ、カリガネソウ、カナビキソウなどの別名がある。
「イカリソウの図」のキャプション付きの図
イカリソウの図
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 世間せけんふつうには果実というといわゆるクダモノであって、リンゴ、カキ、ミカンなどの食用になる実を呼んでいるのであるが、しかし植物学上で果実と称するものは、花の後にできる実をすべて果実といい、通俗とは大いにその呼び方が異なっている。そしてそれはあえて食用になると、ならないとにかかわらず、すべてをそういっている。ゆえにシソ、エゴマの実のようなものでも果実であり、また右のリンゴ、カキなどのようなものでもむろん果実である。
 花の中の子房しぼう花後かごに成熟して実になったものは、果実そのものの本体で、すなわち正果実である。
 ウメ、モモ、ケシ、ダイコン、エンドウ、ソラマメ、トウモロコシ、イネ、ムギ、ソバ、クリ、クヌギ、ならびにチャの実などがそれである。
 また、果実には他の器官が子房しぼうと合体し、共同で一の果実をなしているものもある。すなわちリンゴ、ナシ、キュウリ、カボチャ、メロンなどがそれである。
 また、他の器官が主部となって果実をなしているものもあって、そんな場合は、これを擬果ぎかとも偽果ぎかともとなえる。すなわちオランダイチゴ、ヘビイチゴ、イチジク、ノイバラの実などがそれである。
 果実の食用となる部分は、果実の種類によってかならずしも一様いちようではない。モモ、アンズなどは植物学上でいうところの中果皮ちゅうかひの部を食用とし、リンゴ、ナシなどは実を合成せる花托部かたくぶしょくしており、ミカンは果内かないの毛を食し、バナナは果皮かひを食し、イチジクは変形せる花軸部かじくぶを食用にきょうしている。
 いろいろの果実、すなわち実を研究してみるとなかなかおもしろいもので、ふつう世人せじんが思っているよりほか、意外な事実を発見するものである。次に四つの果実について、おのおのその趣味ある特状を述べてみましょう。

 リンゴの果実は、これをたてに割ったり横に切ったりして見れば、よくその内部の様子がわかるから、そうしてけんして見るがよい。
 その中央部に五室に分かれた部分があって、その各室内には二個ずつの褐色かっしょく種子たねならんでいる。そしてその外側に区切りがあって、それが見られる。すなわちこの区切りをさかいとしてその内部が真の果実であって、この果実部はあえてだれも食わなく捨てるところである。そしてこの区切りと最外さいがい外皮がいひのところまでの間が人のしょくする部分であるが、この部分は実は本当の果実(中心部をなせる)へ癒合ゆごうした付属物で、これは杯状はいじょうをなした花托かたく(すなわち花のくき頂部ちょうぶ)であって、それが厚い肉部となっているのである。
 これで見ると、このリンゴの実は本当の果実は食われなく、そしてただそのつきものの変形せる花托かたく、すなわち花梗かこう末端まったんを食っていることになるが、しかしリンゴを食う人々は、植物学者かあるいは学校で教えられた学生かを除くのほかは、だれもその真相を知っているものはほとんどないであろう。
 このリンゴは英語でいえばアップルである。今日こんにちの日本人はだれでもこれをリンゴといってすましているが、実をいうとこれはリンゴではなくて、すべからくそれをトウリンゴまたはオオリンゴ、あるいはセイヨウリンゴといわねばならぬものである。そして漢字で書けば苹果でありまた※(「木/示」、第4水準2-14-51)である。
 元来がんらい、本当のリンゴは林檎であって、これはその実の直径およそ三センチメートル余りもない小さいもので、あえて市場へは出てこなく、日本では昔その苗木なえぎがわがくにへ渡って今日信州しんしゅう〔長野県〕あるいは東北地方にわずかに見るばかりである。元来がんらい日本の原産ではなけれども、これを西洋リンゴのアップルと区別せんがためにリンゴといわれている。すなわち日本リンゴの意である。
 アップルすなわち西洋リンゴは、明治の初年にはじめて西洋から伝わりて爾後じごしだいに日本にひろまり、今日こんにちでは東北諸州ならびに信州からそれの良果がさかんに市場に出回でまわり、果実店頭をかざるようにまでなったのである。
 アップルを学名でいえば Malus pumila var. domestica であって、前のリンゴは Malus asiatica である。元来がんらいリンゴは林檎(和リンゴ)の音であるから本当のリンゴをいう場合は何もいうことはないが、今日こんにちのように西洋リンゴ(トウリンゴ)を単にリンゴと呼ぶのは、実はとうを得たものではないことを知っていなければならない。
「リンゴの図」のキャプション付きの図
リンゴの図

 ミカンすなわち蜜柑は、食用果実として名高くつ最もふつうのものであるが、世人せじんはそのミカンの実のいずれの部分を味わっているのか知らぬ人が多いのであろう。そしてそのミカンは、その毛の中のしるを味わっている、と聞かされるとみな驚いてしまうだろうが、実際はそうであるからおもしろい。もし万一ミカンの実の中に毛がえなかったならば、ミカンはえぬ果実としてだれもそれを一顧いっこもしなかったであろうが、さいわいにも果中かちゅうに毛がえたばっかりに、ここに上等果実として食用果実界に君臨くんりんしているのである。こうなってみると毛のあたいもなかなか馬鹿ばかにできぬもので、毛頭もうとうその事実にいつわりはない。
 ミカンの属は学問上ではシトルス(Citrus)と称し、属中には多数の種類を含んでいる。日本にあるダイダイ、クネンボ、ウンシュウミカン、ナツミカン、コウジ、ユズ、ベニミカン、ヤツシロミカン、レモン、マルブシュカン、トウミカン、コナツミカン、オレンジ、サンボウカン、ザボン、キシュウミカン(コミカン)、ポンカン(元来がんらい台湾産、九州に作っている所がある)などみなその果実の構造は同一で、いずれも甘汁かんじゅうもしくは酸汁さんじゅうを含んでいる毛がその食用源をなしているのである。これらミカン類のとうとさも、つまるところは前述のとおりその果内かないの毛にするわけだ。
 ミカン類の果実は、植物学上果実の分類からいえば漿果しょうかと称すべきであるが、なお精密にいえば漿果中しょうかちゅう柑橘果かんきつかと呼ぶべきものである。
 ミカン類の果実をいて見ると、表面の皮がまず容易にとれる。その中には俗にいうミカンのふくろ輪列りんれつしていて、これをはなせば個々に分かれる。そしてそのふくろの中にしるを含んだ膨大ぼうだいせる毛と種子とがあって、その毛はそのふくろの外方の壁面へきめんから生じており、その種子は内方の底から生じている。つまり右の毛と種子とは反対側から出て、たがいに向き合っているのである。すなわち図上左隅ひだりすみにその毛の生じ具合ぐあいが示され、またそれとならんでその右隅には、成熟した毛が描かれている。子房しぼうがまだ若いときは(左側中央の図)、その各室内にまだ毛は生じていないが、花が終わって後子房しぼうが日増しに大きくなるにつれ、漸次ざんじにその外方の内壁ないへきから毛が生じ始める。そして後には図の下方にあるミカン半切はんきれ図が示すように、右の毛はふくろの中いっぱいに充満じゅうまんする。
 右のとおり、その半切れ図であらわしてあるように、果実の中は幾室いくしつにも分かれていて、この果実はじつは数個の一室果実から合成せられていることを示している。すなわち一花中に数子房があって、それがたがいに分立ぶんりつせずして癒着ゆちゃくし、ここに複成子房をなしているのである。ゆえにそのふくろは数個連合してはいるが、これを離せば容易に離れて個々のふくろとなるのである。ただその外側に当たる外皮がいひが割れ目なしに密に連合しているので、それがミカンの皮をなしている。そして果実全体からいえば、その部が外果皮がいかひ中果皮ちゅうかひとに当たり、ふくろの部分が内果皮ないかひと果実の本部とに当たるのである。
 なお図に種子が描いてあるが、この種子はなんら食用とはならず捨て去られるものである。しかしおもしろいことには、一つの種皮の中に子葉しよう貝割葉かいわれば)、幼芽ようが幼根ようこんからはいが二個もしくは数個あることで、そこでこれを地にいておくと一つの種子から二本あるいは数本の仔苗しびょうえ出てくることで、これはあまり他に類のないことである。
 ミカン類の葉はみな一片ずつになっていて、それがえだ互生ごせいしているが、しかしミカン類の葉は祖先は三出葉とて三枚の小葉しょうようからり、ちょうどカラタチ(キコク)の葉を見るようであったことが推想すいそうせられる。つまり前世界時代のミカン類の葉は、みな三出葉であったのである。その証拠しょうことして今日こんにちあるミカンのなえにははじめ三出葉がで、いで一枚の常葉じょうよう(単葉)が出ていることがたまに見られ、またザボンのなえ葉柄ようへいみきから芽出めだつ葉にもまた三出葉が見られることがあって、つまり遠い遠い前世界の時の葉を出しているのであることは、すこぶる興味ある事実を自然が提供しているのである。
 それからいま一つミカン類にとっておもしろいことは、その枝上しじょうにある刺針ししん、すなわちトゲの件である。そしてこのトゲは、元来がんらいはこのを食害する獣類(それは遠い昔の)などを防禦ぼうぎょするために生じたものであろうが、こんな開けた世にはそんな害獣がいじゅうもいないので、したがってそのトゲもまったく無用の長物ちょうぶつとなっている。
 しかし学問上からそのトゲは何であるのかを究明きゅうめいするのは、すこぶる興味ある問題の一つである。従来日本のある学者は、それは葉の変形したものだと言った。またある学者は、それは枝の変形したものにほかならないととなえた。これらの学者のいう説にはなんらかくたる根拠こんきょはなく、ただ外からた想像説でしかない。そこで私の実検上からの観察では、これは葉腋ようえきにある芽をようしているその鱗片りんぺん最外さいがいのものが大いに増大し、大いに強力となってついにトゲにまで進展発育したものにほかならなく、それはそのトゲの位置がそれをよく暗示しているので、これは動かしがたいものである、と私は自分で発見したこの自説を固守こしゅしている次第しだいだ。
 よく世人せじんはタチバナ(橘の字を当てているが、実は橘はクネンボの漢名であってタチバナではない)ということをいうが、それはタチバナとはどのミカンをしたものかというと、いま確説をもっていうことはできぬが、たぶん今日こんにちいうキシュウミカン、一名コミカンのようなミカンをいったものではなかろうかと思われる。
 かの昔、田道間守たじまもり常世とこよの国(今どこの国かわからぬが、多分中国の東南方面のいずれかの地であったことが想像せられる)から持って帰って来たというもので、それはむろん食用に供すべきミカンの一種であったわけだ。その当時はむろん日本ではまことに珍しいものであったに相違そういない。そしてそのタチバナの名は、その常世とこよの国からはるばるとたずさ帰朝きちょうした前記の田道間守たじまもりの名にちなんで、かくタチバナと名づけたとのことである。
 珍しくも日本の九州、四国、ならびに本州の山地に野生やせいしているミカン類の一種に、通常タチバナといっているものがある。黄色の小さい実がなるのだが、果実が小さい上にしるが少なく種子が大きく、とても食用の果実にはならぬ劣等至極れっとうしごくなミカンである。これを栽植さいしょくしたものが時折ときおり神社の庭などにあるのだが、そんな場合、多少実が大きく、小さいコウジの実ぐらいになっているものもあれど、食用果実としてはなんら一顧いっこの価値だもないものである。
 世人せじんはタチバナの名にあこがれて勝手にこれを歴史上のタチバナと結びつけ、とうとんでいることがあれど、これはまことに笑止千万しょうしせんばん僻事ひがごとである。かの京都の紫宸殿ししんでん前の右近うこんたちばな畢竟ひっきょうこの類にほかならない。そしてこんな下等な一小ミカンが前記歴史上のタチバナと同じものであるとする所説は、まったく噴飯ふんぱんものである。要するに、歴史上のタチバナと日本野生品のタチバナとは、全然関係のないミカンであることを私は断言だんげんする。
 前記ぜんきのとおりわがくに野生のいわゆるタチバナに、かくタチバナの名をたしておくのは元来がんらい間違いであるのみならず、前からすでにある歴史上のタチバナの本物と重複するから、これをヤマトタチバナと改称すると提議したのは、土佐とさ〔高知県〕出身で当時柑橘界かんきつかいの第一人者であった田村利親としちか氏であったが、その後、私はさらにそれを日本にっぽんタチバナの名に改訂かいていした。
 なぜそうしたかというと、ザボンの一品にくヤマトタチバナの名称があったからであった。ちなみに右田村氏は、かつて日向ひゅうがの国〔宮崎県〕において一の新蜜柑しんみかんを発見し、これを小夏蜜柑こなつみかんと名づけて世に出した。すなわち小形の夏蜜柑なつみかんの意で、そのとおり夏蜜柑なつみかんよりは小形である。そしてその味は夏蜜柑ほどっぱくなくて甘味あまみを有している。これは四、五月ごろに市場にあらわれ、サマー・オレンジと称している。この品は田村氏がはじめて見いだしたので、一に田村蜜柑みかんとも呼んでいる。
「ミカンの図」のキャプション付きの図
ミカンの図

 元来がんらいバナナ(Banana)はその実のできるミバショウ(学名は Musa paradisiaca L. subsp. sapientum O. Kuntze)の名であるが、日本民間でふつうにバナナというと、その実(果実)をして呼んでいる。しかし西洋でも同様にその実をバナナといっていることもないではないが、これを正しくいうならバナナの実と呼ぶべきである。
 さて、果実としてのバナナは元来がんらいそのいずれの部分をしょくしているかというと、実はその果実の皮を食しているので、これはけっしてうその皮ではなく本当の皮である。もしもバナナにこの多肉質たにくしつをなした皮がなかったならば、バナナは果実としてなんの役にも立たないものである。さいわいにも多肉質の皮が存しているために、これが賞味しょうみすべき好果実として登場しているのであるが、しかしこの委曲いきょく知悉ちしつしていた人は世間せけんに少ないと思う。ゆえにバナナは皮を食うといったら、みな怪訝けげんな顔をするのであろう。
 バナナのミバショウ植物は、見たところ内地にあるバショウそっくりの形状をしている。それもそのはず、その両方が同属(Musa すなわちバショウ属)であるからだ。葉をけんして見ると、バナナの方が葉質ようしつがじょうぶで葉裏が白粉はくふんびたように白色はくしょくていしており、そして花穂かすいほう暗赤色あんせきしょくであるから、わがバショウの葉の裏面りめんが緑色で、花穂かすいほうが多少褐色かっしょくびる黄色なのとすぐ区別がつく。
 バナナを食うときはだれでもまずその外皮がいひぎ取り、その内部の肉、それはクリーム色をしたにおいのよい肉、をしょくする。そしてこの皮と肉とは、これはともにバナナの皮であるが、皮のようにげる皮は実はその外果皮がいかひで、これは繊維質せんいしつであるから、それが細胞質の肉部すなわち中果皮ちゅうかひ内果皮ないかひから容易にぎ取れるわけだ。この繊維質部は食用にならぬが、食用になるのはその次にある細胞質の部のみで、これが前記のとおり中果皮ちゅうかひ内果皮ないかひとである。
 元来がんらいこのバナナが正しい形状を保っていたなら、こんなえる肉はできずに繊維質のかた果皮かひのみと種子とが発達するわけだけれど、それがおそろしく変形して厚い多肉部が生じ種子はまったく不熟ふじゅくして、ただ果実の中央にやわらかい黒ずんだ痕跡こんせきを存しているのみですんでいる。すなわちこれは果実の常態じょうたいではなくまったく一の変態で、つまり一の不具である。すなわちこれが不具であってくれたばっかりに、吾人ごじんはこの珍果ちんかを口にする幸運にっているのである。要するに、われらはバナナの中果皮、内果皮なる皮をって喜んでいるわけだ。
 わがくににあるバショウにも花が咲いて果実を結ぶけれど、食うようなものはけっしてできない。このバショウの名は芭蕉ばしょうから来たものだけれど、元来がんらい芭蕉はバナナ類の名だから、右のように日本のバショウの名として用いることは反則である。昔の日本の学者は芭蕉ばしょうの本物を知らなかったので、そこでこの芭蕉ばしょうの字を濫用らんようし、それがもとでバショウの名がつけられ今日こんにちおよんでいるのである。いまさらあらためようもないから、まずそのままにしておくよりほか仕方しかたがない。そしてこのバショウは、元来がんらい日本のものではなく昔中国から渡って来た外来がいらい植物なのである。
 中国名の芭蕉ばしょうは一に甘蕉かんしょうともいい、実はバナナ、すなわちその果実の味のあまいバナナ類を総称した名である。ゆえにバナナを芭蕉ばしょうといい、甘蕉かんしょうといってもよいわけだ。
 数年前には台湾たいわんより多量のバナナが日本の内地に輸入せられ、大きなかごに入れたまま、それが神戸港こうべこうなどに陸上りくあげせられた時はまだ緑色であった。それを仲買人なかがいにんが買って地下室に入れ、数日も置くとはじめて黄色にじゅくするので、それからそれが市場の売店へ氾濫はんらんし一般の人々を喜ばせたものだったが、一朝いっちょうバナナの宝庫の台湾が失われた後は、前日のバナナ盛況せいきょうを見ることはできなくなってしまった。
「バナナの図」のキャプション付きの図
バナナの図

 オランダイチゴは今日こんにち市場では、単にイチゴと呼んで通じている。けれども単にイチゴでは物足ものたりなく、つ他のイチゴ(市場には出ぬけれど)とその名が混雑する。人によっては草苺くさいちごと呼んでいれど、これも別にクサイチゴがあるから名が重複して困る。オランダイチゴの名はまわりくどくて言いにくいし、他の名は混雑、重複するし困ったものだ。あるいは西洋イチゴといってもよかろうが、いっそ英語のストローベリ(Strawberry)で呼ぶかな、それがご時勢じせい向きかもしれない。
 このオランダイチゴをむずかしく学名で呼ぶとすれば、それは Fragaria chiloensis Duch. var. ananassa Bailey である。日本産のモリイチゴ(シロバナヘビイチゴ)もその姉妹品しまいひんで、これは Fragaria nipponica Makino であり、いま一つ同属の日本産は、ノウゴイチゴで、それは Fragaria Iinumae Makino である。このモリイチゴもノウゴイチゴもともにその実はオランダイチゴそっくりで、ただ小形であるばかりである。その形、その味、そのにおい、なんらオランダイチゴと変わりはない。わがくにの園芸家がこれに着目ちゃくもくし、大いにその品種の改良をくわだてなかったのは、だいなる落度おちどである。
 このオランダイチゴ、すなわちストローベリの実のうところは、その花托かたくが放大して赤色せきしょくていし味が甘く、においがあってやわらかい肉質をなしている部分である。人々はその花托かたくすなわちくき頂部ちょうぶ換言かんげんすればそのくきしょくしているのであって、本当の果実をっているのではない(いっしょに口には入って行けども)。されば本当の果実とはどこをいっているかというと、それはその放大せる花托面かたくめん散布さんぷして付着ふちゃくしている細小な粒状つぶじょうそのもの(図の右の方に描いてあるもの)である。
 ゆえにオランダイチゴは食用部と果実とはまったく別で、ただその果実は花托面かたくめんっているにすぎない。そして畢竟ひっきょうこのオランダイチゴの実も一つの擬果ぎかに属するのだが、それは野外に多きヘビイチゴの実も同じことだ。このヘビイチゴの実には甘味あまみがないからだれもわない。いやな名がついていれど、もとよりなんら毒はない。ヘビイチゴとは野原でへびいちごの意だ。
「オランダイチゴの図」のキャプション付きの図
オランダイチゴの図
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 まず以上で花と実との概説がいせつえた。これは一気呵成いっきかせいふでにまかせて書いたものであるから、まずい点もそこここにあるであろうことを恐縮している。要するに失礼な申し分ではあれど、読者諸君を草木くさきに対しては素人しろうとであると仮定し、そんな御方おかたになるべく植物趣味を感じてもらいたさに、わざとこんな文章、それは口でお話するようなしごく通俗な文章を書いてみたのである。もし諸君がこの文章を読んでいささかでも植物趣味を感ぜられ、つあわせて多少でも植物知識を得られたならば、筆者の私は大いに満足するところである。
 われらを取り巻いている物の中で、植物ほど人生と深い関係を持っているものは少ない。まず世界に植物すなわち草木がなかったなら、われらはけっして生きてはいけないことで、その重要さがわかるではないか。われらの衣食住はその資源を植物にあおいでいるものが多いことを見ても、そのわけがうなずかれる。
 植物に取り囲まれているわれらは、このうえもない幸福である。こんな罪のない、つ美点に満ちた植物は、他の何物にも比することのできない天然てんねんたまものである。実にこれは人生の至宝しほうであると言っても、けっして溢言いつげんではないのであろう。
 翠色すいしょくしたたる草木の葉のみを望んでも、だれもその美と爽快そうかいとに打たれないものはあるまい。これが一年中われらの周囲の景致けいちである。またその上に植物には紅白紫黄こうはくしおう、色とりどりの花が咲き、吾人ごじんの眼を楽しませることひととおりではない。だれもこの天からさずかった花を愛せぬものはあるまい。そしてそれが人間の心境しんきょうに影響すれば、悪人あくにん善人ぜんにんになるであろう。すさんだ人もみやびな人となるであろう。罪人ざいにんもその過去を悔悟かいごするであろう。そんなことなど思いめぐらしてみると、この微妙な植物は一の宗教である、と言えないことはあるまい。
 自然の宗教! その本尊ほんぞんは植物。なんら儒教じゅきょう、仏教と異なるところはない。今日こんにち私はくまでもこの自然宗教にひたりながら日々を愉快ゆかいごしていて、なんら不平の気持はなく、心はいつも平々坦々へいへいたんたんである。そしてそれがわが健康にもひびいて、今年八十八歳のこの白髪はくはつのオヤジすこぶる元気で、夜も二時ごろまで勉強を続けてくことを知らない。時には夜明けまで仕事をしている。畢竟ひっきょうこれは平素へいそ天然を楽しんでいるおかげであろう。実に天然こそ神である。天然が人生に及ぼす影響は、まことに至大至重しだいしちょうであると言うべきだ。
 植物の研究が進むと、ために人間社会を幸福にみちびき人生を厚くする。植物を資源とする工業の勃興ぼっこうは国のとみやし、したがって国民の生活をゆたかにする。ゆえに国民が植物に関心を持つと持たぬとによって、国の貧富ひんぷ、したがって人間の貧富が分かれるわけだ。ひんすれば、その間に罪悪ざいあくが生じて世が乱れるが、めば、余裕よゆうを生じて人間同士の礼節れいせつあつくなり、風俗も良くなり、国民の幸福を招致しょうちすることになる。おもえば植物の徳大なるかなであると言うべきである。
 人間は生きている間が花である。わずかな短かい浮世うきよである。その間に大いに勉強して身を修め、徳を積み、みがき、人のためにくし、国のためにつとめ、ないしはまた自分のために楽しみ、善人として一生を幸福に送ることは人間として大いに意義がある。酔生夢死すいせいむしするほど馬鹿ばかなものはない。この世に生まれ来るのはただ一度きりであることを思えば、この生きている間をうかうかと無為むいごしてはもったいなく、実に神に対しても申しわけがないではないか。
 私はかつて左のとおり書いたことがあった。
「私は草木くさきに愛を持つことによって人間愛をやしなうことができる、と確信して疑わぬのである。もしも私が日蓮にちれんほどの偉物えらぶつであったなら、きっと私は、草木を本尊ほんぞんとする宗教を樹立じゅりつしてみせることができると思っている。私は今草木くさき無駄むだらすことをようしなくなった。また私はあり一ぴきでも虫などでも、それを無残むざんに殺すことをようしなくなった。この慈悲的じひてきの心、すなわちその思いやりの心を私はなんでやしない得たか、私はわが愛する草木でこれをつちこうた。また私は草木の栄枯盛衰えいこせいすいて、人生なるものをかいし得たと自信している。
 これほどまでも草木くさきは人間の心事しんじに役立つものであるのに、なぜ世人せじんはこの至宝しほうにあまり関心をはらわないであろうか。私はこれを俗に言う『食わずぎらい』にしたい。私は広く四方八方の世人せじんに向こうて、まあうそと思って一度味わってみてください、と絶叫ぜっきょうしたい。私はけっして嘘言きょげんかない。どうかまずその肉の一臠いちれんめてみてください。
 みなの人に思いやりの心があれば、世の中は実に美しいことであろう。相互そうご喧嘩けんかも起こらねば、国と国との戦争も起こるまい。この思いやりの心、むずかしく言えば博愛心、慈悲心、相愛心があれば世の中は必ず静謐せいひつで、その人々はたしかに無上の幸福によくせんこと、ゆめゆめ疑いあるべからずだ。
 世のいろいろの宗教はいろいろの道をたどりてこれを世人せじんいているが、それを私はあえて理窟りくつを言わずにただ感情にうったえて、これを草木でやしないたい、というのが私の宗教心でありまた私の理想である。私は諸処の講演にのぞむ時は機会あるごとに、いつもこの主意で学生等に訓話くんわしている」
 また私は世人が植物に趣味を持てば次の三とくがあることを主張する。すなわち、
 第一に、人間の本性が良くなる。野に山にわれらの周囲に咲きほこ草花くさばなを見れば、何人なんびともあのやさしい自然の美に打たれて、なごやかな心にならぬものはあるまい。氷が春風にけるごとくに、いかりもさっそくにけるであろう。またあわせて心が詩的にもなり美的にもなる。
 第二に、健康けんこうになる。植物に趣味を持って山野さんやに草や木をさがし求むれば、自然に戸外こがいの運動がるようになる。あわせて日光浴にっこうよくができ、紫外線しがいせんれ、したがってらずらずの間に健康が増進せられる。
 第三に、人生に寂寞じゃくまくを感じない。もしも世界中の人間がわれにそむくとも、あえて悲観するには及ばぬ。わが周囲にある草木くさきは永遠の恋人としてわれにやさしくみかけるのであろう。
 おもうに、私はようこそ生まれつき植物に愛を持って来たものだと、またと得がたいその幸福を天に感謝している次第しだいである。

底本:「植物知識」講談社
   1981(昭和56)年2月10日第1刷発行
   1993(平成5)年10月20日第22刷発行
底本の親本:「四季の花と果実」教養の書シリーズ、逓信省
   1949(昭和24)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※底本には、復刻するに当って「寸尺などをメートル法に換算された」と記載されています。
※図版は、各項目の末尾に置きました。
入力:川山隆
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年12月17日作成
2012年5月13日修正
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