明治三十一年三月十二日三田演説会に於ける演説

 自尊自大と云ふことは固より惡いことはない。こりや人情の自然で、即ち愛國心の命ずる所であるから、或は小供などには殊更らに之を勸めるも宜しい、又勸めなければならぬであらう。譬へば英吉利で學校の小供に地理を教へる、所で英吉利の彼の島を露西亞や亞米利加の領分に比すれば如何にも小さくて何だか風が惡いと云ふところからして、別段に地圖を拵えて殊更らに自分の國を大きく書いて小供に教へて居ると云ふことがありました。その位のもので、隨分自尊自大と云ふことは甚だ宜しい事であるから遣るが宜しい。
 甚だ宜しいけれども、扨て此人情は世界普通で、何處の國民でも自尊自大と云ふことを思はないものはない。何處の國へ行つたところが、乃公おれの國は尊い、乃公の國は大きなものだと思つて居るに違ひない。その通りに思つてるとすれば、自分獨りで自國ばかりが尊い、自國ばかりが大きなものとして威張つて居ることは、何としても是れは事實に於て行はれない事である。此に於てか平等の大義、即ち彼我相對すれば全く同等であると云ふ大義が生じて來る。その平等の大義と云ふものは國交際の根本である。例えば商賣と同じ事で、どの商賣人だつて何でも自分の利益になるやうになるやうにと心掛けるが商賣人の常であるけれども、自分獨りそう思ふのではない、隣りの人も亦其通り思ふて居る。何でも自分が一番大利益を占めやうと思はない者はない。之れを國にして云へば、茲に甲の國乙の國と云ふものがある、兩國相對する時には、此方の國民は自國の利益ばかりを大切に思つて、如何がなして自分の國の利益になるやうにとばかり考へて居るけれども、是れが此方ばかりそう思つて居れば宜しいが、隣國の人も其通りに思ひ、隣りの親爺も亦その通りに思つて居る。ソコで仕方がないから、商賣をし貿易をしながら、彼方にも便利になるように、此方にも共に便利になるようにと思ふところからして、自から自利利他と云ふことが起つて來る。サアそれと同じ事で、國に於ても、自尊も宜しい、自大も宜しい、自尊自大甚だ宜しいけれども、如何してもそりや出來られない話で、自尊尊他と斯う云はなくてはならぬと云ふことになつて、自分の國が尊いものだと云へば隣りの國も尊いものと斯う爲なければならぬではないか。分り切つた話。
 然るに今日の日本の世間に流行する所の趣意は、自大自尊と同時に他を卑めるやうに見える風のあるのは如何だ。是れは行はれない話ではないか。隣りの國が卑しいから自分が尊いものだと斯う云へば、之を商賣にして見れば、隣りの者は馬鹿だから自分の家のみを繁昌させやうと斯う云ふ理屈になる。隣りの親爺が果して馬鹿で利を知らないものならばソリヤ甚はだ都合が宜からうけれども、隣りの親爺も馬鹿でない、ちやんと利益を知て居る。利益を知て居るのに、自分の家ばかり利しやうと云ふことは出來られないではないか。そうすれば自尊も宜しい、自大も宜しい。宜しいけれども、隣りの人が卑しいからと云て乃公が尊いと云ふことは何としても是れは云はれない話である。この位な明かなことはない。その理窟が分らないと云ふのは如何云ふ譯だと云ふに、是れが昔から日本に行はれて居る古學主義と云ふものから、自然に斯う云ふ具合に教え込まれて、斯樣な世間見ず空威張りと云ふことになつたのであらうと思はれるけれども、私は決して其古學主義を絶對的に惡いと云ふのではない、その根本の道徳論が宜しくないと云ふのではない。先づ日本國に行はれる道徳論は神儒佛の三道として、其神儒佛の主義は決して惡いものではない、啻に神儒佛のみならず耶蘇教も囘々教も老子も莊子も其外凡ての徳教――宗教と云ふものは皆こりや宜しいと云はなくてはならぬ。其旨意と云ふものは善を勸め惡を誡めると云ふのである。是れが何で惡いことがあるか。結構な道徳論で、尊ばなければならぬ。であるから、此日本を今日の如き文明に進めたと云ふのも、其源に溯り遠い處を詮索して、道徳の點より云へば神儒佛のお蔭と云はなければならぬ。少しも憚るどころでない。口を放つて神儒佛の徳教を難有く思はなければならぬ。難有く思ふけれども、扨て國を開いて今の西洋文明流の交際を爲やうと云ふのには、何分にも昔の神儒佛では間に合はぬ。就中その間に合はぬと云ふのは、自尊自大、他に頓着しないと云ふのは誠にどうも困つた話であると云ふのは、近く例を見れば仁義忠孝の本家本元と云ふ支那の有樣を見たらば如何だ。又支那隨一の屬國と云はれた朝鮮を見ろ。その國民の奉ずるところ信ずるところは仁義忠孝の教であつて、朝に晩に一寸とした話でも一寸とした文章でも仁義忠孝の外に出たものはないと云ふ位の仁義忠孝國でありながら、其實際を見ると凡そ不仁不義不忠不孝の國民の多いと云ふものは此支那朝鮮の右に出づるものはないと云はなくてはならぬ。して見ると其古學の旨意は如何にも美なものである、だが茲に氣の毒な事には腐敗し易いと云ふ性質がある。既に腐敗して仕舞へば從て其毒と云ふものが生じて來る。俗に腐つても鯛と云ふことがあるけれども、魚類の腐つたものよりか新しい野菜の方が餘つ程宜しい。今の古學流に就て私なぞの不平を唱ふると云ふのは其古學の大旨意ではなく、其腐敗し易いと云ふ其働きを云ふのである。働きがどうも好かない、如何にも恐ろしい事である。此處が私なぞの最も不平を唱ふる所で、さうして其自尊自大と云ふものが今日の事實の上に如何やうなる働きをなして居るか、サアその古學流の腐敗した其毒氣がどら程の毒をなして居るかと斯う云ふと、自尊自大、即ち他を卑めて自から得々として居ると云ふことは、即ち自國を辱かしめ自身を侮ると云ふことになるが、如何だ。
 抑も外國と相對して自分の本國の榮辱を感ずると云ふことは、日本の國に居るよりも外に出て居る其人達の身には一入強く感ずるものである。ソコで誠に古い/\話であるけれども、茲に一ツお話しなければならぬ事があると云ふのは、今を去ること三十六年前、即ち千八百六十二年、私は日本の使節に隨從して歐羅巴各國を巡囘し、其順路を云へば地中海から馬塞耳まるせーゆに上陸して、馬塞耳から佛蘭西に行き、夫れから和蘭、白耳義、普魯西、各國を歴訪して、其歳の八月に露西亞の京城セントペートルスボルグ府に行て、同月の十六日と云ふ日に日本に大事變があつたと云ふ報告に接した。そりやまあ何處から來た電信(その時には直接に日本より歐羅巴に通ずる電信はなかつた)が※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)はり/\りて〔ママ〕露京に達したものと見えて、事變の詳かなることは分らない、或は日本に在る外國の公使館を日本人が攻撃したとも云ひ、又或は日本の侍が外國人を斬つたとも云ふが、頓と詳かなることが分らなかつた。夫れから露京を去て歸朝の途すがら佛蘭西に戻て來た所が、佛蘭西ではもう日本の事變の報告が詳かに分つて居りましたと云ふのは、薩摩の侍が日本の生麥なまむぎと云ふ處で英人のリチャードソンと云ふ人を斬つたと云ふことが詳かに分つて居まして、其れと同時に往路巴理ぱりーに滯在した時とは打て變つて使節一行の待遇と云ふものが俄に惡くなつて仕舞つた。それは/\何とも云はれない話で、その次第は其時に私が認めて置た此西〔航〕記の中にも一寸書てある。(とて先生は三十餘年前に認めたる古めかしき一册の手帳を取出して讀上げられたる其文は左の如し)
 十三日朝第八時ロシフ※[#小書き片仮名ヲ、739-11]ルトに着。ロシフ※[#小書き片仮名ヲ、739-11]ルトは巴里より佛里法九十里にある佛蘭西の海軍港なり。蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車より下り船に乘るまでの道十餘丁、此間盛んに護衞の兵卒千餘人を列し、敬禮を表するに以て實は威を示せしなり。日本人は昨夜蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車に乘り、車中安眠するを得ず大に疲れたるに、此處に着して暫時も休息せしめず、蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)車より下り直ちに又船に乘らしむ。且つ船に乘るまで十餘丁の道、日本人の一行には馬車をも與へず、徒歩にて船まで歩みたり。
 斯う云ふ事があるが過去つた三十六年の昔の事であるけれども決して忘れない。其時の苦みと云ふものは――何もその休息して茶を呑みたかつたと云ふでもない、物が喰ひたかつた譯でもないけれども、之を一ト口に云へば思ふさま辱かしめられたので、その辱かしめられたと云ふのは、啻に我々共使節の一行が辱かしめられたのみではない、是れが銘々共が日本國中を旅行してどんな目に遇つたつて、そりやソレ切の話で、何でもありやしない。ありやしないけれども、外國に行つて假初にも日本を代表して居る使節が無上の侮辱を蒙むると斯う云ふのは、即ち日本國が無上の侮辱を蒙つたのである。何ともモウ仕樣がない、實に其時の心持と云ふものは云ふに云はれぬ情ない事であつた。マア薩摩の侍と云ふものはどんな奴だか知らないが、何ぜこんな事を爲て呉れたらうか。空威張りに威張つて外國人を斬つて、斬つた後の始末を如何すると云ふ前後の勘辨もなく、只一時腹が立つたから、其腹癒せに人を斬つたと云ふに過ぎぬ話で、外國人を斬れば外國人が怒るであらう、怒つたらば日本に兵を向けるだらう、向ければ戰爭になるだらう、戰爭になつた所で、果して戰つて斯うと云ふ勝算があるか如何か、勝算があるならばそりやどんな事を遣つても宜からうけれども、氣の毒ながら其時の日本に勝算なしと云ふことは明々白々、然るに一時の空威張りで此國を辱かしめたと云ふのは末代の日本の損であると云ふことは、其時日本に居る人はそれほどに思はなかつたらうけれども、私などの一行三十五、六人と云ふものは一人として其憂を催さなかつたものはない。それは三十六年の昔の事であつたが、扨又時勢が移り變つて昨今世の中に排外主義が流行して居る今日、日本から外國に行て居る人は隨分多いだらう。多い其人達は、本國に排外主義の流行する噂を聞いて如何に感ずるだらうか。そりやまさかに私共が三十〔六〕年前に感じたやうな事はなからう。昔は直ちに外國人を斬つたり鐵砲を打掛けたり爲るやうな事を遣つたから、從て外國人の憤りも強かつたが、今日はマサカそう云ふことはないないが、併し何處となく苦々しいと云ふ感じは必ずあるだらう。マア日清戰争で以て日本人の肩身が廣くなつたと云つて大いに得意になつて居たの〔に〕、又今度は倒さまに排外主義の流行の爲めに、折角日清戰争で擴げた肩身が狹くなりは爲ないかと、甚だ私は氣の毒に思ふ。
 今も云ふ通り、近來日本人が排外主義とか何とか云て、動もすれば毛唐人とか赤髯とか云ふ噂を度々私などは聞くことであるが、其排外主義も宜しい、自尊自大も宜しいとした所で、果してそれが行はれる事か行はれない事か、少しは勘考して貰ひたい。自尊自大、自分の國ばかり尊大で、他國を目下めしたに見下だすと云ふことが、事實に行はれるか行はれないか、如何したつて行はれなからうではないか。商賣の主義と同じ事で――商賣に自利利他と云へば、交際上に於ては自尊尊他と云はなければならぬ。此方で毛唐人だの赤髯だのと斯う云ふ卑しい言葉を使へば、彼方も亦日本人に報ゆるに何とか種々樣々な惡口雜言を言ふであらう。只交際が卑しくなる丈けに止まるではないか。いよ/\自分の國が尊いものと思ふならば、一切そう云ふ考を外に現はすと云ふやうな淺ましい擧動は止めにして、深く心に藏めて置かなければならぬ。藏めてそうして深く考へなければならぬ。
 扨てその深く考へると云ふ一番仕舞は、今の國交際に於て訴ふる所は腕力の外はない。だが直ちに腕力沙汰に及ぶと云ふ其前に、マダ國交際の法と云ふものがある。是れは外交官の與かる所で、虚々實々、樣々な方略があるであらうが、その方略をして自由自在に行はせるやうに爲ると云ふのが、こりや人民の役目ではないか。それを輕々しくも見る物が癪に觸る、聞く事が氣に入らないと云て、恰も外國人を一種外道のやうに認めて空威張りを爲やうと云ふのは、是れは只自から侮辱を買ふに過ぎぬ。
 ソコで此慶應義塾と云へば、啻に書を讀み理を講ずるばかりでない、國家の利害と云ふことも自分銘々の腹の底には考へなければならぬ譯であるから、苟くも自尊自大と云ふやうなそんな馬鹿げた考へを持つて居る者はない筈であらうとは思ふけれども、又若い人でどんな踏み外しがあるか知れない、甚だ氣遣はしい事である、呉々も能く考へて輕擧暴行のないやうに爲たいものだ。此塾生が一人でもそんな輕躁カルハヅミな事、即ち外道だの赤髯だのと云ふ言を發して、何か事の端になつたと云ふことがあれば、其當人の恥辱は勿論の事、この塾を汚すと云ふものだから、假初にもないように。デ自尊自大は勿論私の甚だ好む所であるから大いに遣れ。眞實世界に對して唯我獨尊の地位に至りたいと、銘々斯う思つて今勉強して居るところではないか。ソレを輕々しく益なき事を言行にあらはすと云ふのは、之を喩へば商人が金儲けの事を想像するばかりで、其金をマダ握らぬ中に一寸奢りの眞似をすると云ふ、そんな奴に儲出すことが出來るものか、是れと同じ事である。慶應義塾には自から大いなる算あり、算あれば從てサア今日と云ふ日があらう、其今日と云ふ日を造り出すのが眞實の目的であるから、間違ひのないやうにして貰ひたい(拍手起る)。
〔明治三十一年四月「慶應義塾學報」第二號〕

底本:「福澤諭吉全集 第19巻」岩波書店
   1962(昭和37)年11月5日初版発行
   1971(昭和46)年4月13日再版発行
初出:「慶應義塾學報 第二號」
   1898(明治31)年4月
※「巴理」と「巴里」の混在は、底本通りにしました。
入力:田中哲郎
校正:小林繁雄
2011年4月1日作成
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