「レ・ミゼラブル」の翻訳を私が仕上げたのは、ずいぶん以前のことである。年少菲才ひさいの身をもって事にあたったので、意に満たぬ点が多々あった。しかるに今度改訂の機会を得て、旧稿に手を入れてみた。
 翻訳の仕事の難事であることは言うまでもない。ことに、自由奔放にペンを走らしたと思える「レ・ミゼラブル」のような浩瀚こうかんなものについては、種々の困難が伴なうものである。だが私としては相当の努力はしたつもりである。私がとくに意を用いたのは、原文の調子を、気分を、なるべく保存したいということであった。そのため、時には、荘重ではあっても拮屈きっくつのきらいがあるかも知れない。それは余儀ないことであった。「レ・ミゼラブル」は、世間で往々想像されてるような卑俗な作品ではなく、高遠な理想主義で一貫されてる作品である。
 私はこの改訳をもって、自分の「レ・ミゼラブル」翻訳の決定版としたい。再訂の余暇を持たないだろうからである。そして巻頭の私の序文は、この作品に対する私の若き日の感懐の記念である。
 なお、書中傍点付きのところは、原書にておもにラテン語もしくはイタリック字体となってる部分である。
豊島与志雄

底本:「レ・ミゼラブル(一)」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年4月16日改版第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年1月15日作成
2013年4月21日修正
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