それからまだ色々のことを考へ耽つてゐると、
「お流ししませうか。」
何時の間にか彼女が風呂場の入口に立つて小さな声で言つた。ひどく羞しさうにおづおづした声である。下を向いてゐる。私はちよつとまごつきながら、
「うん、いや今あがらうと思つてゐるから。」
と、とつさに答へたが、実はさう言はれた瞬間、私は自分の体を彼女に見せるのが羞しくてならなかつたのだ。
彼女が行つてしまふとほつと安心し、立ちのぼる湯気の中で、どうして俺の体はこんなに貧弱なんだらう、小さな上に痩こけて、まるで骨と皮ばかりである、この骨ばつた胸や背に触つたら彼女はきつと失望してしまふに違ひない。――そんなことを考へてゐるとなんとなく情なくなつてしやうがなかつた。が、それでも私はやつぱり楽しかつたので、またさつきの空想の続きを考へるのであつた。
私は今も折にふれてその時のことを思ひ出すのであるが、その度になんとなく涙ぐましい気持になる。神ならぬ身の――といふ言葉があるが、その時既に数億の病菌が私の体内に着々と準備工作を進め、鋭い牙を砥いでゐようとは、丸切り気もつかないでゐたのである。私はその時まだ十九であった。十八の花嫁と十九の花婿、まことにままごとのやうな生活であつたが、しかしそれが私に与へられた最後の喜びであつたのだ。そして彼女を東京見物に連れて行くべきその春になつて、私は、私の生を根こそぎくつがへした癩の宣告を受けたのである。それは花瓶にさされた花が、根を切られてゐるのも知らないで、懸命に花を拡げてゐるのに似てゐた。
間もなく年が明けて、二月も半ば過ぎる頃から、私の体には少しづつ異状が現はれ始めた。先づ鼻がつまり、ひどいのぼせが始まつて顔は何時でも酒を飲んでゐるやうに赤く腫れぼつたくなつた。そして全身の骨が抜け去つてしまつたやうにだるく、極端に気が短くなつて何にでも腹が立つてならなかつた。神経衰弱にかかつたやうに、根気がなくなり、何か物を書いたりしても、秩序を保つて書き進めるといふことは丸切り出来なかつた。頭はぼんやりと曇つて、鉛のやうに重く鈍くなつた。
(未完)