だから勘太郎は人前に出るといつも小さくなっていなければならなかった。勘太郎から見れば馬鹿としか思われない男が、ただ腕力があるばかりに勘太郎をいいように引きまわしていた。勘太郎はそれを腹の中でずいぶんくやしがりながらも、どうすることも出来なかった。
勘太郎の村から十丁ばかり離れた所に光明寺という寺があった。山を少し登りかけた深い杉森の中にあって、真夏の日中でもそこは薄寒いほど暗くしんとしていた。この寺には年寄った住職と小坊主一人が住んでいたが、住職はついに死んでしまい、小坊主はそんなところに一人では住んでいられないと言って、村へ逃げて来てしまった。
それから四、五年の間、その寺は荒れるままに任せて、狐や狢の住み家となっていたが、それでは困るというので、村の人たちは隣村の寺から一人の若い坊さんを呼んで来てそこの住職とした。すると十日もたたないうちに、その住職は姿をくらましてしまった。やっぱり若いから一人では恐ろしくて住んでいられないのだろうと村の人は思い、今度は五十ぐらいのお坊さんを外の寺から頼んで来てその寺に住まわせた。が、このお坊さんは十日とたたぬうちに死んでしまった。いや死んだのではなく頭だけ残して胴や手足は骨ばかりになって殺されていたのであった。おおかた何かの獣に食われてしまったのだろうと村の人たちは言い合った。
三人目のお坊さんが外の寺から頼まれて来た。このお坊さんは元は武士であったので、今度は獣の餌食になるような意気地なしではなかろうと、村の人たちは安心していた。
ところが五、六日してこの坊さんは、左腕をつけ根の所から何かに食い取られて、生き血を流しながら村へ逃げて来た。
「どうしたのだ、何奴に食われたのだ。」と村の人たちはよってたかってきいた。
「鬼だ。あの寺には鬼が住んどる。口が耳まで裂けている青鬼赤鬼が何匹もいて、おれをこんな目に会わしたのだ。」と坊さんは苦しそうな息をしながら話した。
それを聞いた村の人たちもびっくりしてしまった。
「四、五年の間、あの寺を空き家にしといたので、その間に鬼どもが巣をくったのだろう。」
「そうだ。最初の坊主の姿が見えなくなったのも、二番目の坊主が骨ばかりになって死んでいたのも、皆鬼にやられたのだ。えらいことになったものだ。」
村の人たちはそう話し合った。この噂はすぐに方々へ伝わったので、もうだれもこの寺の住職になろうというものがなくなってしまった。
村の人たちは寄り合いをやって相談をした。そして結局、村の人の中で、寺の鬼どもを退治したものを寺の住職にしようということになった。その寺には村中の田や畑を合わせたほどの田畑がついているので、もちろんこの寺の住職になりたがらないものは一人もなかった。そればかりでなく、鬼を退治してみんなの前でいばってやりたいという力自慢、度胸自慢の若者も大ぜいいた。そこでみんなでくじを引いて、くじに当たったものが一番先に鬼退治に出かけることになった。ところで弱虫の勘太郎もそのくじを引く仲間に入ろうとすると、みんなは手をたたいて笑いながら、
「勘太郎が鬼退治をするとよ、鼠が猫を捕りに行くよりひどいや。阿呆もあのくらいになると面白いな。」と言った。
勘太郎はくやしくてたまらなかったが、仲間に入ることはあきらめてしまった。
くじに当たった男は新平という若い力持ちの男だった。猟に行って穴熊を生け捕りにしたことのある男で、村でも指折りの度胸のいい男であった。新平はもう寺を自分のものにしたようなつもりで、大鉈を一打腰にぶち込んだだけで、羨しがる若者どもを尻目にかけながら山の寺へ出かけて行った。
が、新平は翌日の明け方、お尻や背中の肉をさんざんに食い破られ、命からがら逃げ帰って来た。新平は驚きのあまり、死んだようになって、鬼退治の様子を話すことさえ出来なかった。
そこで二度目のくじ引きが行われて今度は力造という男がくじに当たった。この男は村一番の強者で、ある時村の一番強い牛と喧嘩をして、その牛の角をへし折り、あばら骨を蹴破って見事に倒してしまったことのある男であった。だから村の人たちもあの男が行ったら、さすがの鬼どももどてっ腹を突っこぬかれたり、首っ玉を引っこ抜かれたりしてしまうだろうと話し合った。
ところが、この男も退治に出かけた次の朝、片足半分食い取られ、おまけに鼻や耳や頬っぺたまでかみ切られて、おいおい泣きながら地べたを這うようにして逃げ帰って来た。
それを見た村の人たちは、始めはわれもわれもと鬼退治に行きたがったのに、今はだれ一人それを言い出すものもなかった。
「あの男でさえあんな目にあって来たんだから、おれなんか問題にならない。」と弱音を吐くものも出て来た。
もうだれもくじ引きをしようとはしなかった。
この時、弱虫の勘太郎が、
「だれも行けないなら、おれが行って立派に退治して来て見せよう。」と言い出した。
それを聞いていた村の人たちは、また笑い出した。
「お前に出来たら、この暑いのに雪が降るよ。」
「いやその雪が見たい。一つ退治してもらいたいもんだ。」
「お前の体じゃ鬼も食べでがあるまいが、鬼も食わないよりましだろう。一つ御馳走をしてやるさ。」
村の人たちはてんでにそんなことを言っては勘太郎をひやかした。けれど勘太郎はすました顔をして、
「馬鹿力さえあれば鬼退治が出来ると思っているのがおかしいよ。おれはそんな力はないから腕っぷしで退治しようとは思わん。まぁこの頭一つで首尾よくやっつけて来て見せるさ。」といった。
「お前に退治が出来たら、三年があいだ飲まず食わずで生きて見せる。」
「お前に退治が出来たら、おれは水の中にもぐって三日いて見せる。」
「お前に退治が出来たら、おひる前のうちに江戸まで三度往復して見せる。」
みんな勝手なことを言って勘太郎をからかったが、勘太郎はそんなことは耳にも入れず、身じたくをすると獲物一つ持たずに光明寺へ出かけて行った。
すべて怪物は、昼のうちはどこかに姿を隠していて、夜になって現れて来るものだということを知っていたので、勘太郎はまず明るいうちに寺へ着いて、どこかに自分の身を隠しておこうと考えた。
寺までの道には夏草がぼうぼうと生えて、勘太郎の小さい体を埋めるほどであった。山門の所からは杉森は暗いほどに繁り、奥へ行くにしたがって肌がひやりとするような寒い風が流れるように吹いて来た。大木の梢からは雨も降っていないのに滴がぽたりぽたりと垂れ、風もないのに梢の上の方にはコーッという森の音がこもっていた。
やがて寺の本堂へついた。大きな屋根は朽ち、広い回廊は傾きかけ、太い柱は歪み、見るから怪物の住みそうなありさまに、勘太郎も始めはうす気味悪くなった。しかしぐっと胆力をすえて、本堂の中へ入ってみた。そして中の様子を隈なく調べた。それから廊下つづきの庫裡の方へ入って行った。そこも雨は漏り、畳は腐り、天井には穴があき、そこら中がかびくさかった。勘太郎は土間の上がり框のところにある囲炉裏の所へ行ってみた。と、自在鉤の掛かっている下には、つい昨夜焚火をしたばかりのように新しい灰が積もり、木の枝の燃えさしが散らばっていた。さらによく見るとその炉端には、鳥の羽根や、獣の毛や、人間の骨らしいものが散らばっていた。
「なるほど、鬼どもは生け捕って来たえものをこの囲炉裏で焼いて食うのだな。それじゃ一つ、この炉の上の天井に隠れて今夜の様子を見てやろう。」
勘太郎はそうひとりごとを言って、それから土間の柱をよじ上って、ちょうど炉端がぐあいよく見える穴のあいている天井の上に隠れた。
やがて日は暮れた。日が暮れると短い夏の夜はすぐ更けていった。一寸先も見えない真っ暗な寺の中はガランとして物音一つしない。勘太郎は息を殺し、今か今かと鬼どもの来るのを待っていた。
すると夜中の一時頃であろうか。本堂の方の廊下を歩く大きな足音がきこえて来た。その足音は少なくも八本か十本ぐらいの足で踏みならす音であった。間もなくその足音は、勘太郎の隠れている天井の下の炉端に近づいた。そしてどさりと炉端にあぐらをかく音がする。木の枝を折る音がする。しかし真っ暗なので勘太郎はただ耳で様子をきくより外はなかった。
と、同時に囲炉裏には火がめろめろと燃え出した。勘太郎は天井の穴に目をつけて下を覗き始めた。めろめろとした赤い炎は、炉端に座っている四匹の鬼の顔を照らした。土間を正面に見た旦那座に座っているのが鬼の大将であろう。腰のまわりに獣の皮を巻いて大あぐらをかいている。口の両端から現れている牙が炎に照らされて金の牙のように光っている。勘太郎も一目見て、なるほどこいつぁうっかりかかったら、頭からひとかじりにやられそうだと思った。
家来の三匹の鬼は大将ほど大きな牙は生えていないが、目の光るところを見ただけでも勘太郎は体中がすくむような気持ちになった。勘太郎は、ぴったりと天井に腹ばったまま身動きもせず、じっと下の様子を見ていた。
間もなく鬼どもは話を始めた。まず家来の鬼がいった。
「今夜みたいに不猟なことはねえ。腹がへってやりきれねえよ。」
「ほんとにろくな晩じゃねえ。人の子一匹つかまえなかった。腹の虫がグーグー鳴るわい。」と外の家来が合槌を打った。
すると大将の鬼がみんなを見回して、
「そのうちに村の若者がやって来る。落ちついて待っていろ。」と言った。
「いや親分、いくら人間が馬鹿だって今夜も来るようなことはあるまい。もうこりてるはずだよ。」
「ところがきっと来る。人間という奴は、自分たちが世界で一番強いものだと思っているんだからしようがない。村中の奴らがみんな食われてしまうまでやって来るに違いないよ。」と大将の鬼は大将だけに偉そうなことをいった。
「そりゃそうだな。力もろくにないうえに、知恵が足りないと来てるんだから人間もかわいそうなもんだ。」と家来の鬼は言って鼻を高くした。
「ところで人間がおれたちより弱いとなると、世界中でおれたちより強いものは何だろう。」と今まで黙って火を燃していた家来の鬼が言った。
「何もないよ。おれたちの敵は世界中にないんだよ。」と外の家来がいばった顔をした。
「いや、一つあるよ。たった一つおれたちより強いものがいる。」と大将の鬼がまじめな顔をしていった。
「何だろう。」
「さぁ何だろう。」
「わからないかね。それは人間どもに飼われている鶏というけものだ。」
「鶏! 初めて聞く名だな。だが、いったいそれがどうしてそんなに強いんだね。」
「それはこうだ。その鶏という奴はトッテクーと鳴くのだ。取って食うと鳴いたら最後、どんなものでも取って食ってしまうのだ。恐ろしい奴だ。」
「なるほどそんな鳴き声をする奴は外にはいない。そいつぁよっぽど強い奴だろう。」
この話を天井で聞いていた勘太郎は「しめた」と思った。するとその時、大将の鬼が鼻を天井に向けてもがもがさせながら、
「何だか人くさいぞ。」と言い出した。
ぐずぐずしていたら、あべこべに取って食われると思った勘太郎は、そこで寺中に響くような声を張りあげて、
「トッテクー……」と叫んだ。
さぁたいへん、鬼どもはあわてふためきながら逃げ出した。家来の一匹は土間へもんどり打って転げ落ち腰を折ってしまった。他の二匹の家来は柱に頭をぶつけて頭の鉢をぶち割ってしまった。大将の鬼は旦那座から一足飛びに土間へ跳ね下りようとして、囲炉裏にかけた自在鉤に鼻の穴を引っかけてしまった。すると、
「鶏につかまった。ああ……鶏につかまった。」と叫びながら、もう手足を動かそうともせず、自在鉤にぶらりとぶら下がってしまった。
勘太郎は腹を抱えて笑いながら天井から下りて来て、大将の鬼を生け捕ってしまった。勘太郎は鬼の鼻の穴に引っかかっている自在鉤をそのままにして、残りの綱で両手をうしろに回して縛りあげ、先に歩かせながら村へ帰って来た。
今まで勘太郎をはずかしめた村中の人たちは、これを見て勘太郎の前にみんな両手をついてあやまり、勘太郎の偉い手柄をほめた。そして勘太郎を一番強い偉いものとしてあがめ奉った。
勘太郎は寺の住職となり、後には知徳すぐれた名僧となったということである。
底本:「あたまでっかち――下村千秋童話選集――」茨城県稲敷郡阿見町教育委員会
1997(平成9)年1月31日初版発行
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
1925(大正14)年7月
※表題は底本では、「鬼退治(おにたいじ)」となっています。
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2012年2月2日作成
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