隣家には子供が七人もあつた。越して来た当座は、私のうちの裏庭へ、枯れた草酸漿が何時も一ツ二ツ落ちてゐて、檜の垣根の間から、その隣家の子供達が、各々くちの中で酸漿をぎゆうぎゆう鳴らしながら遊びに来た。
 風のよく吹く秋で、雲脚が早くて毎日よく落葉がお互ひの庭に溜つていつた。
「おばさまおちごとですか?」
 下から二番目の淵子ちやんと云ふ西洋人形のやうな子供が、私のうちの台所の窓へぶらさがつてはばあと覗いた。
 元隣家は、年寄夫婦がせまい庭を手入れして鶏なぞを飼つて住まつてゐたのだけれども、大阪の方へ息子さんを頼よつて行つてしまつて、長い間空家になつてゐた。夏中草が繁げつてしまつて、鶏小舎の中にまで白い鉄道草の花がはびこつたりしてゐたのが、子供が七人もある人達が越して来ると、草が何時の間にかなくなつてしまつて、いゝ空地がたちまち出来上がり、子供達は自分より大きい箒で、落葉をはいては火をつけて燃やしてゐた。
 夏中空家であつた隣家の庭に、私がねらつてゐた柿の木があつた。無性に実をつけてゐて、青い粉をふいてゐた柿の実が毎日毎日愉しみに台所から眺められたのに、あと二週間もしたら眺められると云ふ頃、七人の子供を引き連れた此家族が越して来たので、私はその柿の実を只うらやましく眺めるより仕方がなかつた。
 落葉を燃しながら四番目のポオちやんと云ふ男の子が、お母さま此柿の実は何時頃もいでいゝのとたづねている。脊の低い肥つた子供の母親が、にこにこして柿の木をみあげ、さあ、まだまだ駄目ですよ。こんな青いの食べるとおなかを悪くしますよと云つている。
 私も台所をしながら、黒いのある柿の実を透かして眺めた。
 半かけの雲が落葉といつしよにひらひらするやうな乾いた秋であつた。雨がちつとも降らなかつた。隣家の話声がよく私の仕事部屋へきこえて来た。――もうそろそろ寒くなるのねえ、ほら、お話をするともう私のくちから湯気が出るわよお母さま、一番おゝきい澄子さんと云ふ十四歳の少女の話声だ。
 此家族が越して来て間もなく、洽子ちやんと云ふ十二になるお姉ちやんと、ポオちやんが手紙を持つて、夜が更けてから遊びに来た。手紙には大泉黒石と書いてあつた。まあ、そうですか、お父さまもよかつたらいらつしやいなと云ふと、男の子はすぐ檜の垣根をくぐつてお父さんをむかへに行つた。
 洽子さんはまるで大人のやうにきちんと坐つて、静かなお家ですねと云つた。私は何だかいぢらしくなつて、ラヂオをかけて、面白いでせうと云つた。丁度アルゝの女の曲で喇叭が綺麗にはいつてゐた。洽子さんは黒と赤のだんだらのジヤケツを着て何時も手を隠してゐる。どらどらおばさまに洽子さんのお手々みせて頂戴と云ふと、可愛い手をそつと出して拡ろげた。その手は可愛かつたけれどもまるで大人のやうに荒れてゐた。洽子さんお台所なさるのと聞くと、御飯焚くわよと云つて、くすりと笑つてみせた。私は大泉黒石と云ふひとにまるで知識がないので、どんなお話をしたものかと考へてゐると、ポオちやんの連れて来た大泉さんは、まるで自分の家へあがるみたいにかんらかんらと笑らつて座敷へあがつて来て、私の母の隣りへ坐つたものだから、母は吃驚したやうな眼をしてゐた。手拭を腰にぶらさげて、息子さんのつんつるてんの飛白を着てゐるせゐか、容子をかまはないひとだけに山男のやうに見えた。
 月に三百円はかゝると話してゐられた、大変だなと思つた。
 台所が好きだと云ふ洽子さんを見てゐると、私も十一二の頃祖母の家にあづけられて飯を焚いてゐた頃を思い出して、洽子さんのふくらんだ頬が私のおさない時によく似てゐるやうに思へた。
「洽子さん柿の実はもう食べられるでしよ」
「あら、あの柿ねえ、愉しみにしてゐたら、大家さんでみんな持つて行つちやつたのよ。つまンないわ」
 その翌る朝、台所の窓から柿の梢を見あげると、青い実一つ残らずみんなもいであつて、柿の木の下には、柿の落葉がいつそうたまつてゐた。
 淵子ちやんが何かひとりごと云ひながら、炭俵の縄で柿の枝へブランコを吊つてゐる。おつこちるわよと声をかけると、ねえ、柿の実が天へ飛んでつたンですつて、だから、だからブランコしてもいゝつておかあさまが云つたのよと、小さな手で縄を結んでゐる。私は丘の上にある町の八百屋へ行つて、小さい甘柿を二升位も買つて来て、淵子ちやんのゐる隣家へ少しばかり持たせてやつた。
 台所から覗くと淵子ちやんがもう柿を噛りながら唄をうたつてゐる。
「淵子ちやんお父さまは……」
「お酒のんでンの」
「お母さまは」
「おちごと」
「お兄さまは」
「ガツコ」
「お姉さまは」
「お母さまのお手つだひ」
「洽子さんは」
「ガツコ」
※(「さんずい+豊」、第3水準1-87-20)子ちやんとポオちやんは」
「ガツコよ」
「坊やは……」
「あばあばつて云つてンの」
 柿の実はおいしいかつてきくと、わたしリンゴの方が好きよと、はえそろつた下の皓い鼠つ歯で、ギシギシ柿の皮をむき始めた。
 私は子供がほしいと思つた。裏口から外へ出ると、檜の垣根から淵子ちやんのくりくりした御手を引つぱつた。なあに、うゝん一寸いらつしやい。いゝお話よと云ふと、淵子ちやんはしやがむでゐる私の頬へそつと耳を持つて来た。おかしくなつてしまつて私も小さい声であのねえとくちを耳へ持つて行くと、乳臭い子供の匂ひがして、私は感じたこともない胸さはがしさで、どうきが激しく衝つた。
 落葉の上にしやがむで、両手で顔をおほうてゐると、隠れん坊のことなのと、縄を持つた五才の淵子ちやんは、私を置いてどつかへ走つて行つてしまつた。

 今年は最早その家族もサギノミヤとかへ越してしまつた。隣家の柿の実は早や小さな実を鈴なりにつけてゐるが、今日は日照りがなかつたからまづいだらう。
――一九三四――一

底本:「日本の名随筆 別巻84 女心」作品社
   1998(平成10)年2月25日第1刷発行
底本の親本:「旅だより」改造社
   1934(昭和9)年8月
入力:浦山敦子
校正:noriko saito
2008年1月23日作成
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