私つて、まあ、一体どういふんだらう。
 本がよみたいけど、何か本をかして下さらない? ツて言つたので、お母様が明治大正文学全集の森鴎外をかして下さつた。
 文章がきれいだから、ワケなんか考へずに、大ザツパによんでごらんなさいとおつしやる。
 仰せかしこみて棒ヨミにずら/\とやつてみた。だけどワケがわかんないのだから、一寸も面白うない。ア――小説ツて何てつまんないもんだろ。
 そこで、ほかのワケのわかる様なのをよんだ。
 ワケはわかつたが、今度は胸がわるくなつた。思はず四、五回つゞけてついた溜息と共に、追ひ出さうとしたが、まだあまりいゝ気持になれなかつた。
 どうも性にあはないらしい。
 私は小説なるものをあまり読んだことがない。たまによんでも、途中で例によつてフーツと吐き出してしまふ。どうして人はこんなのが面白いのかと思ふ。ナゼつて、つまんないじやないの。第一よんで気持がいゝのかしら。私なんかよんでも一寸も気持よくなんかならないどころか、後が「イヤーあな」気持になつてしまふ。
 節ちやんはこれを評して「本によまれちやふのね」といつた。さうかもしれない。そこへ行くと童話はいゝよ。よんだつて、いくらよんだつて、いやな気持にはならない。お伽話もいゝな。よんだあとがとてもいゝ気持だもの。
 だけど私だつて赤んぼぢやないから、そんなのばつかしよんでるんじやないのよ。私の好きな本をあげれば、第一に「君たち」それから「人類の進歩」。「日本世界名作選」の中の二、三をのぞいて「小公子」。「善太と三平」。「トルストイ童話集」。よまないけど『愛の一家』の類。それから――あとは、歴史や地理に関したもの、それ位。「これからの青年」なんかもとつても好きだつた。「青い鳥」。「フランダースの犬」も。
 一体、私にはどんなのがいゝのかしら。自分でもわかんなくなつちやつた。けれど、私は正直のところ、小説が毛虫の様にきらひなのじやない、決して。さうかと云つても好きなのではない。要するに物好きなのだらうと思ふ。のぞいてみたい気もする。そして、公然と許されてゐる本でも内しよで悪いことをするみたいにビクビクしながらよんでみる。
 よんでみてから、フーツと溜息をつく。そして、とつても悪い事をしてしまつた様に、みてならないものをみてしまつた様に、「イヤーあな」気持に閉じこめられて苦しむ。
 苦労しながら本をよむなんて、何てバカらしいんだらう。私はやつぱりよまない方へ傾きさうだ。

底本:「みの 美しいものになら」四季社
   1954(昭和29)年3月30日初版発行
   1954(昭和29)年4月15日再版発行
入力:鈴木厚司
校正:林 幸雄
2008年2月27日作成
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