京都という町ほど祭の多いところも全国ですくないだろう。
 そのどの祭も絢爛として天下に名を知られたものばかりだ。時代祭、染織祭、祇園祭などが代表的なものとされているが、その祇園の祭を一名屏風祭とも称ぶ――私にとって、この屏風祭は他のどの祭よりも愉しかったものである。

 祇園祭になると四条通りの祇園界隈では、その家の秘蔵の屏風を表玄関の間に飾って道ゆくひとに観せるのであるが、私はそれらの屏風を窺いて廻っては、いい絵があると、
「ちょっとごめんやすしゃ、屏風拝見させていただきます」
 そう言って玄関の間にあがらせてもらい、屏風の前に坐りこんで縮図帖を拡げてうつさせていただくのである。

 永徳とか、宗達とか、雪舟とか、芦雪だとか、元信だとか、あるいは大雅堂、応挙とか――。とにかく国宝級のものもずいぶんとあって、それを一枚うつすのにすくなくても二日は見積もらなければならないものもあるから、年たった一度、二日間の祇園祭では一枚の屏風絵を縮図するのにやっとのことが多い。
 私は毎年屏風祭が来るたびごとにのこのこ歩き廻っては、ずいぶんながいことかかって一枚一枚と他家秘蔵の屏風絵を自分の薬籠に納めているわけである。
 絵物語式の大屏風になると、一曲縮図をとるのに三年もの祇園祭を送り迎えたこともある。

 よく昼食を頂いたり、また夕御飯を出してくださったりしたが、来年の祇園祭まで延ばすのが、何としても惜しくて仕様がない、そこで、厚かましいとは考えながら遠慮なくそれを頂戴して、また夜おそくまで屏風の前に坐り込んでしまったことなどもあって、屏風祭が来ると、私の縮図している姿がどこかにないと淋しい……そんなに屏風祭の名物扱いにされた時代もあった。

 永徳は永徳で、大雅堂は大雅堂で、宗達は宗達でそれぞれ実に立派な態度を以て絵に対しているのが、それを縮図しつつある私にこよなき鞭撻を与え、また勉強のかてともなるので、私は屏風祭が来るたびに、縮図が進むと進むまいとにかかわらず、ただ屏風絵の前に端坐出来たことの幸福を今もって忘れることが出来ない。

底本:「青眉抄・青眉抄拾遺」講談社
   1976(昭和51)年11月10日初版発行
   1977(昭和52)年5月31日第2刷
入力:川山隆
校正:鈴木厚司
2008年5月10日作成
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