一、ココナットから象が出る馬耳塞マルセーユの朝景色。マルセーユの旧港ヴィユ・ポール。――この四角な、ます孵化場ふかじょうのようなもののなかには、あらゆる船舶の見本と、あらゆる国籍が詰め込まれている。二本マストのゴエレット船、地中海の三角帆船タルタアヌ、マルタ島のトロール船、バクウの石油船。そうかと思うと古風な三檣砲艦モニトールなんてのもいる。だから、独逸ドイツの潜水艦だってそのへんの水の中にくぐっていないわけのものではない。国籍の方はあげて数えるのも愚かである。サルヴァドル国コスタ・リカ共和国、……諸君はサンシェージュ王国というのを聞いたことがありますか。ところが、白と黄の奇妙な旗をかかげたその国の船が、ちゃんと波止場のそばに停泊しているのだ。ところが、その波止場には、税関吏、運送屋、宿引き、烏貝ムウル売り、憲兵、人足、小豆あずき拾い、火夫、人さらい、トーマス・クックの通弁、……そういったやからが、材木、小麦、椰子やしの実、古錨、オーストラリヤの緬羊、瀝青グウドロン、鯨油の大樽と、雑多に積みあげられた商品や古物の間を、裾から火のついたように走り廻っている。可動橋の歯車の音、船の汽笛、怒声に罵声、機重機のうめき声、蒸気の噴出する音、それに護母寺ノオトルダム・ド・ラ・ギャルドの鐘のまで入り交じり、溶け合って、轟然ごうぜん混然たる港の朝の音楽オウバアドを奏している。
 キャヌビエールの船着場から、烏街リュウ・ド・コルボオの方へ入った一軒の乾物屋の店先に、楕円形たまごなりの黒いすべすべしたものが山のように積まれてあった。これはちょうど、いま南洋から到着したばかりのココアの実なんだ。
 するとここへ、牛を連れた三人の男女が通り合わした。一人は粗毛あらげの帽子をかぶり、赤、黄で刺繍ぬいとりをした上衣を着、珈琲キャフェ色の薄い唇の上に見事な口髯をたくわえた、――つまり、疑いもなくコルシカの山地の人間だということは、その腰にぶっそうな匕首プニャアレを帯びているのでもわかる。
 他の二人は東洋人と見受けられるが、チュニスとかモールとかそういう類ではない。もう少し遠方の人種であるというのは、このへんでは、そうざらに見掛けない顔立ちだからである。男の方は一見、十五六歳だが、地味な襟飾りなどをしているところを見ると二十五六歳にも見える。またしかつめらしく眉をひそめたりすると三十五六歳ぐらいに、時には五十歳ぐらいにも見えるのである。女子の方は十七八歳で、これは人種などというものから少し超越しているというのは、しゃくれた顎と低い鼻を持ち、波止場に落ちた石炭のような漆黒な眼を持っていて、これらの印象が、穴熊だとか狸だとかというものを連想させるからだ。この恐ろしく立派な外出着を着た令嬢が、まるで乾鱈ほしだらのようにやせた牛を一匹ひいて、ちょうど出勤時の取引所の雑踏のなかをそそと漫歩しながらやって来た。――犬ではない牛なんだ。
 そこでくだんの乾物屋の店先で。
「これは、ま、卵みたいす。……一体なんの卵だろ」と、よろず、もの珍らしいコルシカ人がまず、こう声をかける。
 すると、その声を聞きつけて店のなかから飛んで出て来たのが、名代のマルセーユ人。
旦那ムッシュウ、これは象の卵ですテ」
「あらま、これが象の卵ですの」
「さいス。これをネ、五日も抱いてるてえと、ちいちゃな象が生れて来るんですヨ。ちいさな鼻をヒョコ、ヒョコと動かしてサ。かあいいじゃありませんか。こいつを一つ十フランで買ってさ、うまく育てりゃ、アンタ、何千法に売れようてんだ。ものはためしだ、一つお買いなさいヨ。コルシカに象がいるなんてのもおつリキシャッポでサ」
「ま、面白おもしろいこと」
 そこで、コルシカ人は考えた。十フランが千法。いや悪くない。そこで三つばかし買ってうちへ帰った。そして、卵をかかえて寝込んでしまった。ちょうど三日目の朝、同郷人の赤土焼売テラコッシェが心配して訪ねて来た。
「はて、わずらったかね」
「患ってるんじゃねえ、卵をかえしてる。象の卵を孵してる」
「これはしたり、ちょっくら見せてもらえるかねえ」
「とんでもねえ、風邪をひかせる」
「じゃあ、触るだけならよかろ」
「うむ。……じゃ、床のなかへ手を入れて見るがいい。そっとだぞ。そっとだぞ」
 赤土焼屋テラコッシェは床のなかへ手を差し入れた。
「象の卵?……おっと、触った、触った。……南無三モン・ジュウ、こりゃどうじゃ、もうかえっているに! 俺ぁいまたしかに象の鼻に触った!」
 と、いったが、元来、ココアの実から象の生れるわけはない。またしてもマルセーユ人に一杯喰ったのに違いない。ああ、用心するがよろしい。法螺吹ほらふき、いかさまの、ペテン師の、この乾物屋の主人おやじのような奴ばかりうようよしている、これがマルセーユだ!
 二、憐れなるかな網焼肉シャトオブリヤンの命乞い。さて、コン吉ならびにタヌキ嬢の両氏が、コルシカはタラノの谿谷で宏大無辺なる自然を友とし、唱歌を歌いつつ日を過すうち、はや、一ヵ月は夢の間に過ぎ、モンテ・カルロで受けた心のいたみもようやくえたので、面構つらがまえに似気にげなく心の優しい部落の面々に別れを告げ、固く再来を約し、勇ましいタラノ音頭に送られて谷を出発したのは六月の始め。途中マルタ島で珊瑚採取の実況を見物してマルセーユへと到着すれば、七月十四日は革命記念日を兼ねプロヴァンス、ラングドック一帯の大祭につき、アルルの闘牛場アレエヌでは、今年の皮切りの闘牛コリダが催されるので、マルセーユはもちろん、プロヴァンス一帯は湧きかえるような前景気。
 とりわけ、今年の催し物は、例年の闘牛のほかに、近県六市から荒牛トオロオの代表を一頭ずつ選び、牛の競走フェラードやら牛の角力コンバ・ド・トオロオを行なうというので、元来お国自慢の南部ミデイの面々、日ごろたしなむ舌術に拍車をかけ、おのが郷里の牛こそは、天が下にたぐいまれな荒れ大王と、珈琲キャフェ店の露台テラッスでも四つ辻でも、たがいに物凄い法螺ほらの吹き合いから、果てはつかみ合いに及ぶという見るも勇ましき盛況。
 そもそも今年の牛角力コンバ・ド・トオロオの番付けには、

一、爆撃機。(タラスコン代表)
二、ヘルキュレス。(マルセーユ代表)
三、山猫。(カマルグ代表)
四、東方魔国王マーゴス。(ニーム代表)
五、活火山。(アルル代表)
六、屠牛とぎゅう所長。(アヴィニョン代表)

 と、その名を聞いただけでも、気の弱い牛ならば貧血を起こそうという慓悍ひょうかん無比の猛牛ぞろい、なかにも、マルセーユ代表のヘルキュレスというのは、当年満三歳の血気盛り、相手の前肢まえあしに角をからみ、とたんにやっ! と、捻じ倒す『足挾みシイゾオ』に至っては、誠にもって至妙の術。これに出あってはいかなる猛牛トオロオといえども手も足も出ない。されば、ヘルキュレスはマルセーユにほど遠からぬフォレの荘園に眷属、門弟およそ三百匹をひかえ、当時飛ぶ鳥も落そうという威勢である。
 ここに、六月のとある日、コン吉とタヌが旧港ヴィユ・ポオルに近い旗亭レストオランの露台で名代の香煎魚羮ブイヤベイスを喰べ、さて次なる牛肉網焼シャトオブリアンを待っていると、手近な窓から、見るも無惨にせ果てた牛が首を差し入れ、水洟みずばなをすすりながら、
「モウ!」と鳴いた。タヌはそれを見るより、
「あら、いやよ! 給仕ギャルソン。これではあまり生焼セニャン過ぎるわ。もう少しよく火を通して来てちょうだい」といったのはまた無理もない次第であった。
 給仕も飛んで来て、しきりに、しっ! しっ! と追い立てるが一向に動かない。そこでコン吉がつくづくと眺めると、どうやら辱知しりあいの牛である。
「タヌ君、どうもこれはどこかで見た牛だと思うが、心当りはないかね。それとも照り焼きになるのが嫌いで命乞いに来たのだろうか」と、神秘的なことをいう。そういわれてタヌもしきりにためつしかめつしていたが、やがて急に膝を打って、
「これはコルシカのポピノの家にいたナポレオンよ。ほら、額んとこの王冠の形をしたまだらをごらんなさい」
「なるほど、これはコルシカのナポレオン!」
「ま、ナポレオン、ナポレオン! お前どうしてこんなところへ来たの」といいながら、首をかかえて頬ずりすると、ナポレオンはたちまち四つ足を浮き立たせて恐悦し、よだれやら目脂めやにやら止めどもなく流し、タヌの手やら顔やらでれりでれりとなめあげた。
 すると、波止場の方から息せき切ってかけて来たのはコルシカ人、ジュセッペ・ポピノ。牛と二人を見るより感きわまったもののごとく、いきなり卓のうえの葡萄酒を続けさまにあおりつけ、
「お前もここにいたか。……いや、両先生、ここでお目にかかったのは、アヴェ・マリアのお引合せ! かたじけない!」といった。
 三、恨みは深しメリヤスの股引ももひき、不具戴天の仇。お話申すも涙の種でがす。この父親といいますのは、近県六市は愚かなこと、アルサス、ルュクサンブウルのあたりまで鳴り響いた天下無双の荒牛トオロオでがんした。一旦、円戯場アレエヌの砂に立ってちょいとくさみをするとヴィル・デ・ポオの小道に砂埃りが立つといわれたものでごぜやした。とりわけて、得意の術というのは、尻尾しっぽの房毛の先で、相手の脇の下をこちょこちょとやる。すると向うは、くすぐったいものだから鼻のあなを拡げてへらへら笑う、その鼻の孔を角の先へ引っ掛けて相手の平駄張へたばるまで円戯場アレエヌのなかを引き廻すんでがす。いや、可笑おかしいやら、見事やら、『コルシカの鼻輪』といって、牛角力ずもうを見るくらいの衆なら、今でも噂に出るくらいのものでがす。すると一昨年の夏のことでがした。ちょうどマルセーユの『ヘルキュレス』と顔が合うことになりやした。ところが、ま、お聞きなせえまし、なるほどマルセーユ人のすることだ。その『ヘルキュレス』にメリヤスの股引をはかして出したもんでがす。こちらはそんな巧みがあるとは知らないから、いつものようにこちょ、こちょとやるんだが一向感じない。感じねえわけだ、股引でがす。そこで、さんざくすぐっておいて[#「くすぐっておいて」は底本では「くすぐっっておいて」]、もうよかろうと角の先を鼻の先へもって行って、いきなり引っ掛けようとすると、どっこい! 鼻にはちゃんとコルクの栓がしてあるんでがす。こいつあ弱ったとまごまごしている鼻っ先へ、いきなりにら臭せえ[#「にら臭せえ」は底本では「にら臭せえ」]息かなんかふわアと吹っかけておいて、こっちが目がくらんでぼうとしているのを見すますと、今度は足搦あしがらみにして投げ出して、さんざ踏んづけたうえ、おまけにアンタ、無慈悲にも頭へ尿ピピまでひっかけた。まるで暗討だましうちでがす。ああ誰れが何といったとて、これぁ立派な暗討ちでがす。さて、この父親は恥かしい口惜くやしいで、まるで狂気きちがいみてえになっているのを、ようやく揚捲機あげまききで船まで引っぱりあげたが、ああ、さすがはコルシカの牛でがす。このかたきはきっとせがれに討たしてくれよ、と一言いい して、船艙キャアルの口から飛び込んで船底に頭を打ちつけてごねやした。泣く泣くみなでビフテキにして喰っちまいましたが、いや、喉に通るや通らずで、ほんに辛い思いをいたしやした。その時この野郎は一年にもみたねえ八ヵ月、まだ角も生えねえ柔弱やわな奴でしたが、親の恨みは通うものか、朝は早くから野山羊と角押しする、郵便配達を追いかけるワ、橄欖かんらん畑を蹴散らすワ、一心に修業に心を打ち込む有様というものは、はたの見る目もいじらしいほど、だからわしらも共々に赤布ムレエータであしらう、網をかけて引き倒す、水泳みずおよぎをさせる、綱渡りをさせる、寝る目も寝ずに仕込みまして、どうやら荒牛トオロオらしい恰好だけはつけましたが、なにしろまだ一歳と六ヵ月。それに相手はフォレの囲い場に頑張って、当時あさひの昇るような勢いの『ヘルキュレス』、勝目のところはよく行って四分六しぶろく、せいぜい七分三分の兼ね合いというところ、何分なにぶんにも望みのすくない話でごぜますが、そこのところをなんとか智慧をしぼれば勝てねえわけもねえのでがす。さ、両先生、お願いと申しますはここのところ、ひとつ、助けると思って、頭をひねり、ぜひとも勝たしてやっておくんなせえ。『ヘルキュレス』を円戯場アレエヌの砂に埋めて、忌々いまいましいマルセーユ人に鼻をあかしてやらなければ、コルシカ人は大きな顔をしてプロヴァンスの街道を道中できねんでごぜえます。おいおい族長パトランも若いやつらもあとからやって来て、応援掛声のほうはなんとでもいたしますから、どうか肩を入れておくんなせえまし。これヨ、ナポレオン、ぼんやりしていねえでお前からもひとつお願いするがよかろう。おお、そうか、よしよし。両先生、見てやってくだせえ。ナポレオンもあの通り手を合わしてお願いしておりやす。ね、よろしくたのむッ! コルシカのためでがす。
 四、酒の酔いは色にでけり赤煉瓦色に。コン吉とタヌが薔薇ロジェの木の花棚の下で待っていると、目もはるかな荘園に続く大きな木柵もくさくをあけて、皮の脚絆モレチエールをはき、太い金鎖きんぐさりをチョッキの胸にからませた夕月のように赤い丸い顔をした田舎大尽いなかだいじん風の老人がのっしのっしと現われて来た。
 これが鷹揚おうように二人の挨拶を受けると、太い葉巻に火をつけて、
「わしが、プロヴァンス闘牛研究会の会長でごわす。ご両所はどういう御用件で」と、たずねた。
「僕たちはですね、一くちに申しますと牛の学者なんです。世界中の有名な荒牛トオロオを拝見して、そのですね戸籍謄本を作って和蘭オランダの王様に献上しようと思っているんです。それについてはですね、あなたのところの『ヘルキュレス』君を拝見しないことにはお話にもなにもなりませんですからね、それでこうして、第一番序の口にあがったというような次第なんです」と、廻らぬ舌を必死にあやつりながらこれだけいうと、タヌもそばから、
「でございますから、実物を拝見させていただきまして、できるなら逸話とか出世美談、それから、できますなら、『ヘルキュレス』君の長所短所、そんなところまでうかがわしていただきますと、有難いんですわ。本ができましたら、無代で十冊でも二十冊でも進呈いたしますわ。もしなんでしたら、あなたのお写真なんかも巻頭にかかげたいと思っておりますの。ねえ、いかがですか」
「いやわかりましたじゃ。つまらぬ評判はもうお聞きおよびのことでしょうから、ひとつ、小話になるような逸話を申し上げますじゃ。なんでも一歳二ヵ月の春でごわした。ある日、わしの荘園におった闘牛師トレアドールの仕出しが喰らい酔いよって、何を思ったか細身ほそみをぬいてそこらじゅう刺し廻る、ピストルをぶっ放す、どうも危なくて近寄れません。すると、『ヘルキュレス』のやつがいきなりそっちにかけ出してゆくから、ああ、危ないなたまにうたれはしないか、と眺めていると、囲い場の柵にしてあった牧夫の赤い腹巻をひょいと角に引っ掛けて行って、その闘牛師の鼻っ先で振り廻し振り廻しして、とうとう怪我けがもさせずに番屋へ追い込んだというでごわして、へ、へ、いまでもこのあたりの一つ話になっているくらいでごわす」
「ま、お利口りこうだこと」
「なんとも驚きいったものです」と、コン吉とタヌは声をそろえて感嘆すると、会長はうわははは、と喉仏のどぼとけも見えるような大笑いをしてから、
「それから、二歳四ヵ月の夏のことでごわした。ニースからポッペ・マリオの一座がやって来た時のことでごわすが、『ヘロデ王と牛』というやつに出演いたしまして、ヘロデ王にしかられるとべそをかく、褒賞ほうびをもらうと押し戴く、ディヤナには色目を使うという工合で、天晴あっぱれ一役をやってのけました。牛の皮をかぶった人間だってよもやあれまではやりこなしますまい。円戯場アレエヌでは向うところ敵なし。あいつの角にかかった馬は二百匹、闘牛師が三百人、牛が五百頭。……一は牛も闘牛師も種切れになるところでごわしたわい。最近は右の前足の付けねに腫物をでかして弱っとりますが、なんの、カルグの、アルルの、そこらの病み牛が束になって来たとて、びくともするものでごわせんわい。……いま、ここへ引き出しまするから、とっくりごらんなさるがようごわす」と、いって使童ギャルソネを招いて、何か小声でささやくと、やがて牧童が柵の木戸をあけて牛を一匹追い出して来た。
「さ、これが自慢のヘルキュレスでごわす」
 二人が振り返って見ると、赤煉瓦色の、まるで駱駝らくだのような奇妙なこぶを背中にくっつけたびっこの牛だから、タヌは驚いて、
「あら、でもヘルキュレスというのは、頭から尻尾まで真白な立派な牛だってことですが、……でもこの牛は赤いですわ」というと会長は丸い顔をつるりと撫で、
「なアに、こいつは今朝けさから赤大根ベットラヴの喰いづめで、それにそれ、赤葡萄酒シャトオ・ヌウフ一本を二ヒドンばかりやったのでこんなに赤くなったのでごわす」といった。
 五、犬にも徳育、豚にも愛嬌あいきょう、されば牛にはご修身。『闘牛学校』という看板のかかったアーチ形の入口についていた呼鈴ベルを押すと、出て来たのは、寸詰すんづまりのモオニングを着た五尺未満のチョビ髯の紳士はこちらが述べる用向きを途中から引ったくって、
委細いさい承知。みなまで仰言おっしゃるな。つまりですナ、この牛君……牛様に武芸万般を仕込んでぜひともヘルキュレスを闘技場アレエヌの砂に埋葬しようという。……それならば秘策は万事拙者せっしゃの方寸にありますヨ。なるほど、こう申しては失礼ですが、お子供衆を拝見いたしますと、まだいささか柔弱の趣きですナ。しかしです、貸すに二週間の時日をもってせられるならばです、質実剛健、思想堅固天晴あっぱれ、天下無双の猛牛トオロオに仕立てて御覧にいれますヨ」と、り身になった。タヌは、殊勝らしく一礼して、
「それはもう一さいおまかせいたしますが、どういう修業の方法をいたしますか、念のためにおうかがいいたしますわ」と、いうとチョビ髯先生は、
「いや、そこに如才はありませぬ。論より証拠、この教課一覧をご覧願います」と、差し出したのは、
七時     起床。
七時半    修身。
八時     繩飛び。
八時半    ランスロット式柔軟体操。
九時     体術リュット
十時――十一時半 もり打ち。
十二時    昼飯ひるめし
二時     高飛び。
三時     マラソン競走。
四時     馬術。
五時     読心術。
六時     突撃術。
七時     翻身へんしん術。
七時半    会話。
八時     就寝。(ただし、通学生はこの限りにあらずと知るべし)
 一同はつくづく感じいっていたが、やがてコン吉は恐る恐るのていで、
「なかなか結構なお仕組みです。しかしですね。ちょっと御質問いたしますが、この修身というのと会話というのは一体どんな事になりますのでしょうか」と、たずねると、先生はこともなげに、
「いかさま、これは人間のために作った教課でありますから、牛様には不適当な部分もあるかと存じますが、しかし、当校の方針といたしましてはですナ、万事平等、友愛、牛であろうと人間であろうと選ぶところはない、一さい無差別に教育いたします。でただ今質問になりました修身ですナ。しかし、古来犬にも徳育、豚にも愛嬌という諺があります。されば牛に修身の教課が必要ないということはありませんナ。本校の修身と申しますものはもっぱら牛道の基礎となる騎士的精神に磨きをかけるためでございます」
「ごもっともさま、そのご意見には大賛成でございますわ。でもね、この馬術というのはどういう事なんですの。牛が馬に乗る……ちょっと想像ができませんわ」
「これはしたり。馬術でいけなければ、牛術でもよろしゅうございましょう。これは乗るほうでなくてせるほうですヨ。好きなやつなら乗せる。いやなやつなら振り落す、と、この根本の技術を教えるためでございます」
「そういう心得もおおいに必要かも知れませんな。くどいようですが、最後にもう一つ……。この読心術というのは一体何のことですか」
「さ、そこが本校の自慢の課目ですヨ。たとえばですナ、牛と牛が向き合う、すると向うの牛が、きょうは喰い過ぎているから胃袋だけは突いてもらいたくないと思ったとする。そこでこちらはいち早く敵の心中を読破して、敵が一番苦手にがてとするところを攻撃しようとする、――つまり、その術ですヨ。それに突撃術に翻身術、それから体術リュット、……といっても人間の体術リュットではありません。牛と牛の体術リュット。……相手は、ええ手前が努めます。というわけで、ひっくるめて一日八時間、これを二週間もやったら、はばかりながら天下無敵。どうぞ御安心のうえお引き取りを願います」
 六、武芸百般、武者にもポルカのこのみあり。ちょうど二週間目の朝、ナポレオンはポピノに連れられて闘牛学校から三人のいるクウルス街の馬宿までもどって来た。
 コン吉とタヌの二人が、しきりにとみこう見するが勇気凛々りんりんたるところがない。毛のつやも悪くなり、しきりに生欠伸なまあくびをして、よだれを流す有様はなかなかなまや愚かの修業でなかったことがわかる。ポピノは軽くナポレオンの首筋を撫でながら、
「や、ご苦労、ご苦労。さだめし骨の折れたことであろう。骨休めはあとでゆっくりするとして、ここで一つ武芸の型を見せてもらわねえことには安心がならねえ。……ねえ、令嬢マムズルこれから、中庭へ引き出して手並みのほどを見べえじゃごぜえませんか」
「そうね、じゃ、ナポレオン、しっかり手並を見せてちょうだい」
 そこで中庭へひき出して、コン吉とポピノがかわるがわるモウ! モウ! と気合いをかけるとナポレオンは何思ったか後肢あとあしでそこへ坐り込み、犬がするような見事なチンチンをして得意満面の体である。タヌは見るより眉をひそめて、
「ま、お前はなんてなさけないまねをするの。チンチンなんかよして威勢のいいところをやらなくちゃ駄目じゃないの」と、声を励まして叱りつけると、ナポレオンはしばらくは情けなさそうな顔をしていたが、こんどは、おりから鳴り出した蓄音機のポルカに調あわせて、ステテン、ステテンと踊り出した。
 三人もろともに呆気あっけにとられて眺めていたが、やがて、タヌは何か思い当ったという風に、
「これまたマルセーユ人に一杯やられたのよ。武芸だなんていっておいて曲馬の牛のような芸を仕込んだのに違いないわ。きっと今ごろはまた笑い話にしてそのへんをふれ廻っているんだ。……よし、もう勘弁かんべんがならないぞオ。あたしこれから行ってひと談判してくるよ。さ、ナポレオン、もう一度学校へゆくのよ」と、まなじり[#「此/目」、78-上-4]を決してきおい立つ。コン吉は立ちふさがって、
「待った、待ったタヌ君、君の立腹はもっともだが、マルセーユ人にかかってはいかな君でも手に負えまい。残念だろう、無念だろうが、今までのことは不運と諦めて、もう日も迫ったことでもあるから大急行でわれわれだけでナポレオンを荒牛トオロオに仕上げよう。あの『ヘルキュレス』さえやっつければ、われわれの恥辱もそれでそそがれようというものだから」
 ポピノもタヌを押し止めながら、
令嬢マムズル、喧嘩ならどうかわたしにまかしてもらいてえもんでがす。口先の滑った転んだではかなわねえが、いざといったらこの匕首プニャアレがものをいうでがす。それよりも今は大将のいう通り、ナポレオンをどこかの囲い場へ引っ張って行って昼夜兼行でみっしりたたきあげなくてはなりません」
「それがいい。それはそうとともかく、挑戦状はたしじょうをたたきつけなくては話にならない。僕は昨夕ゆうべ一晩かかって、新聞広告の原稿を作っておいたからちょっと見てください。よかったらすぐ、夕刊『馬耳塞マルセーユ人』へ廻すつもりだから。それから新聞記者を招待して、大々的に提灯ちょうちんを持ってもらってぜひとも『ヘルキュレス』と顔が合うようにしなくてはならん。さ、これが新聞広告の原稿」
マルセーユの『ヘルキュレス』よ!
大きなことをいうな!
コルシカ島に『ナポレオン』あり※(感嘆符二つ、1-8-75)
 汝のごとき張子はりこの牛は、ナポレオンの鼻息で吹き飛ぶであろう!
 口惜くやしかったら、いつでもお相手つかまつる。
ざまあ見ろ!
   七月二日      ナポレオン後援会
 七、戦闘的食餌しょくじとは青唐辛子に蝮酒まむしざけ。サント・ボオムの囲い場はレエグルという小山のふもとにある。昔は音に響いた荒牛トオロオを無数に送り出した囲い場であったそうだが今は堆肥場になっているので、人馬ともにあまり寄りつかない。
「さ、ここなら大丈夫。思う存分やれるというものだわ」と、勇み立ちながら、タヌが、ナポレオンの方を見ると、ナポレオンはぐったりと柵にもたれ、肋骨ろっこつの浮き出した横腹に波打たせしきりに咳込んでいるので、
「見れば見るほどお気の毒さま見たいな牛だわね。これで一体あの『ヘルキュレス』に勝てるのかしら!……こんな事じゃ仕様がない。さ、キミとポピノはかわるがわる牛になってナポレオンに突つかせるのよ。あたしはこれから戦闘力を養う食料の製造にかかることにするから。いいわね、さ、始めたり、始めたり」
 厳令もだし難く、コン吉とポピノは赤い絨氈じゅうたんを頭からひっかぶって、越後から来たお獅子のように、ステテ、ステテとしきりにナポレオンの前をおどり廻るが、ナポレオンは一向に驚く様子もなく、堆肥の間から生え出したごみまみれのにらの葉か何かを、ものぐさそうに唇でせせりながら、流し目一つ使おうとしないので、とうとうごうを煮やしたコン吉が、赤い壇通をかなぐり捨て、
「この発育不良め! ここなせ牛よく聴け! 俺はな、貴様の知らないような遠い東のはずれから、はるばるこのフランスへコントラ・バスの修業にやって来たのだぞ。その身が、あろう事かあるまい事か、人里離れた山ン中で、赤い絨氈じゅうたんをひっしょってスットコ踊りをしているのはなんのためだ。それもこれも、貴様にヘルキュレスをやっつけさせて、一つには親のかたき、二つにはコルシカの恥をそそがしてやりたいためなんだぞ。畜生とはいいながらあんまり理解がなさすぎる。貴様は馬鹿か気狂いか、それとも親代々の色盲か。それでは、これならどうだ」
 と、そばにあった緑の風呂敷を頭からかぶって、ナポレオンの鼻の先へぬウと出ると、とたんに躍りあがったナポレオンはコン吉の襟首へ角を引っかけはるか向うの空堀からぼりの中へ投げ出した。
「ははア、そういうわけであったか」と、コン吉はタヌに助け起こされて、痛む腰を撫でながら、ようやくの思いで堀から這いあがると、ポピノは、
「そういえば思い当ることがあるでがす。郵便配達の青服が部落を通ったら、一日一杯山中を追い廻したことががしたが、……へえ、それではさっそく青い操布ムレエータであしらってせいぜい突撃術とやらの修業をさせることにいたしやしょう。……それにつけても、お二人さんのお話では、ヘルキュレスの奴め、前足にれ物ができているということでがんしたが、なにしろ日もないことだし、それ例の読心術の応用で、藁牛わらうしの前足に的を付け、そこばかり一心に突かしたら、阿呆あほうも一字で、きっとうまくゆくに違えございません」
 これは名案だというので、さっそく藁を束ねて牛を作り、しきりにあとから駆り立てるところ、血の廻りの悪いナポレオンも、ようやく事の次第を了解したと見え、むやみに駆け寄っては突きかけるが、どういう故障かなかなか思う的に行きあわない。
 しかし、コントロールの悪いのは未熟のせい、いずれおいおい上達することであろう。
 おいおい練習も日数を重ね、かたがたタヌは、青唐辛子、山のいも珈琲コーヒー蝮酒まむしざけ、六神丸しんがんと、戦闘的食餌しょくじを供給するものだから、ナポレオンはたちまちのぼせあがって両眼血走り、全身の血管は脈々と浮きあがり、その鼻息はもっぱら壊れたオルガンのごとく、首をもたげて濶歩するのを見れば、伝え聞くヘルキュレスと争うクレエト島の荒牛トオロオも思い合わされ、見る目にもものすごいばかりの有様であった。
 八、筒に声あって向うに声なきは多分から鉄砲。さて、七月十四日は革命記念祭。プロヴァンスにおける盛大なる牛祭フェラードの当日となれば、マルセーユからほど遠からぬアルルの大円戯場アレエヌその三十四階の観覧席はおろか、その上のコリント式のアーチのてっぺんまで鈴生すずなりになった観衆はおよそ一万七千人。七月の焼けつくような南仏の太陽の直射をものともせず、脂汗を流し、足踏み鳴らして開演今や遅しと控えたり。
 定刻となれば、砂場の穹門アルクから陽気な軍楽隊ファンファルを先に立て、しゅくしゅくと繰り出して来たのが、金糸銀糸で刺繍ししゅうした上衣に鍔広帽子つばびろぼうしをかぶった仕止師マタドール、続いて銛打師バンデリエロ、やせ馬にまたがった槍騎士ピカドール。二列に分れて会長プレジダン席の前に進み闘牛帽を手にして会長に挨拶する。たちまち桟敷さじきの上からもアーチの上からも拍手と口笛が湧き起こり、おのおの贔負ひいきとする[#「贔負ひいきとする」はママ]仕止師マタドールの名を呼びかけるその声々、円戯場アレエヌの壁もために崩れ落つるかと思わるるばかり。
 総隊は、さて列を解き散々ちりぢりとなって所定の位置に着くと、第一の牛が放される。牛は暗闇から急にめくらむような明るい砂地に引き出されてはなはだ当惑のてい。そのままのそのそと、もと来た方へ引き返そうとすると、赤いマントを持った組下くみしたやっこが前や後ろへ廻って砂地のまん中へ、まん中へと誘い寄せる。五月蠅うるさいとばかりに、首を沈めてモウ! とえると、かねて逃げ腰の組下はあわてて遮塀パレエの後ろへさか落しに飛び込んだ。そこで槍騎士ピカドールが飛び出したが、これもきわどいところで塀のうしろへ退却する。お次は銛打ちバンデリエロ。これがどうやら持っただけのもりを打ち終えると、いよいよ最後の仕止め段。仕止師マタドールは右手に細身ほそみつるぎ、左手に赤布ムレエータを拡げ、牛の前に突っ立ち、やっ! とばかしに襟筋に剣を突っ立てたがなかなか「突っ通し」というわけにはゆかない。牛がいやいやをすると剣ははるか向うへけし飛んでしまった。すったもんだのすえ、大汗で最切の牛は片づけた。第二の牛、第三の牛と虐殺し、さて、いよいよ牛角力コンバの番になった。観客席は今までの凄惨せいさん陰鬱な気分から開放されてにわかに陽気になる。闘牛コリダと比べて、これは確かに呑気のんきしごくな、きわめて力の入れがいのある――つまり、牛を代表に立てた対市競技だからである。
 第一の取組みは片やカマルグ片やタラスコン。
山猫――爆撃機だ。
 まず最切に『山猫』が恐ろしい勢いで穹門アルクから駆け出して来た。そのあとから『爆撃機』が追い掛ける。日ごろ、よほど仲の悪い同士であったとみえて、いきなり穹門アルクの前で四つに組もうとしたが、残った! 残った! そこでは、あまり見物席からほど遠い。それで介添役かいぞえやく赤布ムレエータを振って砂場の中央まで引き寄せる。二匹の牛はそこで首を下げものすごくえながら、互いの足もとを嗅ぐような様子をしていたが、やがて『山猫』は『爆撃機』のつのの間に角を差し入れ、右にひねり左にひねりしてじりじりと押し始めた。『爆撃機』はおいおい後退して柵のそばまで押しつけられ、そこで、少し尿いばりをし、間もなくその尿の上へどたりとひっくり返された。
 次は、アルル対アヴィニョンの取組み。
活火山――屠牛所長。
 これはいたってあっけなくかたづいた。『活火山』は、『屠牛所長』に胸の下からすくわれ、よく晴れた空から牛が一匹降って来たように、どたりと砂場に落ちた。それでおしまい。
 そこでいよいよマルセーユの『ヘルキュレス』対、かたやコルシカの『ナポレオン』の顔合せだ。なにしろ思いも掛けぬ不遜ふそんな挑戦にマルセーユ人はすっかりカンカンになっている。コルシカに牛の喰物なんぞあるものか。そんな栄養不良の牛にマルセーユのヘルキュレスが負けてたまるものかというので、ナポレオンが砂地へ出るとたちまち、ドッとばかりに笑い声をあびせかけた。なるほど笑いたくもなるというのは、ナポレオンは広々とした明るい砂地へ出ると心持がよくなったとみえて、そこんとこへ長々と寝そべったからだ。桟敷にはたちまち勝手放題な罵声やら嘲笑が氾濫して蜂の巣を突き壊したような大騒ぎになった。
 少し遅れて、大歓呼大拍手のうちに、悠然ゆうぜんと『ヘルキュレス』が現われて来た。いかにも大きな牛である。機関車ぐらいたしかにある。全身磨きあげられた象牙のように白く輝きわたり、角は頭一杯に拡がってまるで羚鹿となかいの化物のように見える。これが砂地のまん中に立ち止まると、会長席の前で献辞ブリンデアを述べる仕止師マタドールのように一声高くえ立てたが、その声の素晴らしさというものはもっぱら大工場のサイレンかと思われるばかり。
 遮塀パレエにしがみついていたコン吉はもう気が気ではない。
「さあ、タヌ君、えらいことになった。これではとても角力すもうにはなるまい。なにしろ、灯台と破屋あばらやほども違う」といって、何を思ったか、けたたましい東洋語をもって、
「ナポレオン! しっかりやれエ。ここに俺がいるぞオ!」と、わめき立てる。タヌもポピノも共に声をそろえて、
「ナポレオン! ふれえ! ナポレオン! ふれえ!」と掛け声をかけると、その声に驚いたものか、ナポレオンは、『ヘルキュレス』の方へお尻を向け、跳ねあがりながらとんでもない方へ逃げ出した。と、見ているうちにはるか向うの塀ぎわでくるりと向きを変えると、山道をかけくだるいのししのような一本調子で『ヘルキュレス』めがけてまっしぐらに飛び込んで来たが、南無なむ三、少々方角が違ったので、『ヘルキュレス』の尻尾のそばを通り過し、そばの塀のなかへ角を突っ込み、そこで、もう! と鳴いた。
 九、的に声あり降参降参という。勝負はなかなかつかない。それで一旦引き分けて中入りアントラクトになった。
 これからの顛末てんまつはもう長々と書きつづけるにはおよぶまい。中入りアントラクトがすんで、穹門アルクから現われた『ヘルキュレス』の横っ腹を見ると、右の前肢まえあしのところに、誰れの仕業か、黒ペンキで大きな的が書かれてあった。続いて出て来たナポレオンはというと、低い鼻のうえに、コン吉の乱視の眼鏡がかけられてあったのである。
 たちまち勝負はあった。『ヘルキュレス』は腫物のうえをいやというほど突かれて、砂のうえに前肢を折って降参、降参した。
 つまり、コルシカが勝ったのだ! これで以後忌々いまいましいマルセーユ人は、牛角力コンバに関する限りあまり大きな法螺ほらは吹かないであろう。
 コルシカ万歳!

底本:「久生十蘭全集 6[#「6」はローマ数字、1-13-26]」三一書房
   1970(昭和45)年4月30日第1版第1刷発行
   1974(昭和49)年6月30日第1版第2刷発行
初出:「新青年」
   1934(昭和9)年6月号
※表題は底本では、「乱視の奈翁(なおう)」となっています。
入力:tatsuki
校正:伊藤時也
2009年10月26日作成
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