〈一九四九年 神田〉

 僕は通りがかりに映画館の前の行列を眺めてゐた。水色の清楚なオーバーを着たお嬢さんの後姿が何気なく僕の眼にとまつた。時間を待つてゐる人間の姿といふものは、どうしても侘しいものが附纏ふやうだが、そのお嬢さんの肩のあたりにも何か孤独の光線がふるへてゐた。たつた一人で、これから始る映画を見たところで、どれだけ心があたたまるといふのだらう。幸福さうな、しかし気の毒げな、お嬢さんよ。僕は何気なく心のなかで、そんなことを呟いてゐた。と、その時どうしたはずみか、お嬢さんはこちらを振向いた。その顔は一めん火傷の跡で灰色なのだ。僕は見てしまつたのだ。何故に、そのお嬢さんはたつた一人で映画のなかに夢を求めなければならないかといふ理由を……。

 毎朝、僕はこの部屋で目が覚めるとたん、背筋に真青なものがつつ走る。僕はほんたうに、ここに存在してゐるのだらうか、僕は宙に漾つてゐて、何処かはて知らぬところへ押流されてゐるのではないか。かうした感覚はどこから湧いてくるのだらうか。僕がまた近いうちに、この部屋も立退かねばならぬといふ不安からだらうか。
 僕はあの瞬間、生きてゐた。斃れてはゐなかつた。いきなり暗闇が僕の上に滑り墜ちたので、唸りながらよろめいた。僕はあの時、自分のうめき声をきいた。頭に落ちてくるものは崩れ落ちる破片だつた。だが、僕はもつともつと何かひどいものに叩きつけられたやうな気がした。すべてが瞬時に、とほりすぎた。もの凄い速さが僕のなかで通り過ぎたのだ。あの時から、僕はもう「突然」といふ言葉が奇異に感じられなくなつたし、あの時から僕は地上に放り出された人間だつたのだ。……僕はあの夜のことを憶ひ出す。広島の街は夜もすがら燃えてゐた。僕は川原の堤の窪地に横臥して、人々の号泣をきいてゐた。殆どこれからさき、どうなるのか皆目わけのわからぬ状態のなかに、不思議な静けさがあつた。もはや地球は破滅に瀕してゐて人々は死の寸前に置かれてゐる、さうした不思議な静けさだつたかもしれない。薄暗いなかに負傷者や避難民が一ぱい蹲つてゐた。僕のすぐ側にやつて来て蹲つた男は、どんな男なのか視線ではわからなかつた。だが、声でその人の人柄がわかるやうだつた。「をぢさんについてゐるのだよ。をぢさんについてゐれば大丈夫さ」と男は連れてゐる子供を顧みて頻りに云つてゐた。
「この子は迷ひ子で今朝から私につき歩いてゐるのです」
 僕はその男が皆目わけの分らぬ状態のなかにゐる感動から、迷ひ子を庇つてゐるやうにおもへた。迷ひ子も、それを保護してゐる男も、それから僕も、すべて、かいもく訳のわからぬものに凭掛つてゐたのだらう。だから世界はあの時、消滅しても僕にとつては余り不思議ではなかつた。だが、世界は消滅しなかつた。夜が明けると、僕はまた、まのあたり惨禍のまつただ中にゐるのだつた。僕はあの迷ひ子がその後どうなつたか知らない。あの男によつて、ほんとに保護されて救はれただらうか。それとも突離されてしまつただらうか。

 雑沓の人混のなかを歩いてゐると、あちこちから洩れてくる雑音のなかに、奇妙に哀しい調子をもつたジヤズのギターの音がある。ふと気がつくと、僕のすぐ眼の前を老人が一人妙に哀しい調子で歩いてゐるのだ。老人の肩から縄でぶらさげてゐる小さな荷物の包みは、ギターの音につれてチンチンチンと小刻みに揺れ動いてゐる。視ると、老人の足はびつこなのだ。彼は自分ではもうどんな哀しい後姿を待つてゐるかさへ気づかないのだらう。ジヤズの音に踊らされて地上を飛び歩くやうな奇妙に哀しい切ない恰好は無数の泣号のなかから湧いて出た一つの幻かもしれない。何処か涯しらぬところへ押流されてゆくやうに、何処か涯しらぬところへ人を誘ふやうに、その姿は次第に人混のなかに紛れてゆく。
 僕は夜ふけに部屋を出て深夜の街を歩いてみる。と、露次の芥箱から芥箱へ、何か漁りながら歩いてゐる男がゐるのだ。男は懐中電燈と雑嚢をぶらぶらさせながら、芥箱から芥箱へ飛歩いてゐるのだ。電車通りの舗道では、また別の男を見た。竹のステツキのさきに仕掛を附けて、それで、煙草の吸殻を摘みとつてゐるのだ。吸殻から吸殻へ男は奇妙に哀しい飛歩きの姿をしてゐる。追詰られてゐる人間は、どうして、あのやうに一やうに奇妙なアクセントをもつのだらうか。その姿が僕の姿と重なりあふ。「部屋」といふものを持てない僕はやはり地上を飛歩いてゐる男だらうか。

 僕はこの部屋の真青な冷凍感の底で、ぼんやり夢をみてゐた。家を焼かれ、居住を拒まれだんだん衰弱してゆく子供たち、……ギリシヤに、ポーランドに、ルーマニヤに、……そんなイメージがきれぎれに僕に浮ぶ。僕はそれが昼間、街の舗道に陳列してあつた写真のせゐだとおもつた。あの写真は削げた頬の下の唇が匙でスープを吸つてゐた。あの写真は靴のない痩せた脛が砂の上を飛歩いてゐた。あの写真は掘立小屋の揺らぐテントの蔭の木のベツドで注射の円い肩が波打つてゐた。僕はそれらが今も僕のなかに紛れ込み僕を脅かしてゐるのがわかつた。すると何処からともなしに哀しげな手風琴の音が聞えて来た。すると僕はその音に誘はれて、ぞろぞろと街を歩いてゐるやうな気持がした。だが、僕のゐるところは一向明るくなかつた。仄暗い地下道らしいところに、僕のまはりを大勢の子供がぞろぞろ歩いてゐるらしかつた。僕は子供たちの流れに添つて歩いて行けばよかつた。と、突然、その流れは停止してしまつた。僕のすぐ眼の前に浮浪児狩りの白い網の壁がするすると降りて来てしまつたのだ。

 僕は朝の街角で、すぐ僕の眼の前を歩いて行く若い女の後姿に眼をとめた。午前の爽やかな光線と活々した空気のなかで、その女の小刻みな歩き振りは何の異状も含んではゐなかつた。きちんとした身なりの健康さうな姿だつた。だが、僕の視線がふと、その無表情な洋服の肩のつけ根にとまつたとき、一瞬、相手がバラバラに分解する姿が閃いた。と、あつちからも、こつちからも、悶死者の顔や火の叫喚が僕をとりまいた。ハツとして僕は自分を支へなければならなかつた。……暫くして、僕のなかで犇きあふものが鎮まると、僕はまた先程の女の後姿を眼で追つてゐた。女はもう人混の間に消え去らうとしてゐた。その姿にはどこかはつきりしないが危険な割れ目があるやうだつた。
 だが、どんな人間の姿のなかにだつて、たしかに危険な割れ目は潜んでゐるのではないか。僕はあの原爆の光線で灼かれて死んだ人間たちが、人間といふより塑像か何かのやうに無機物の神秘な表情をしてゐたのを憶ひ出す。滅茶苦茶に膨れ上つた肉塊のなかから、紡錘形や円筒が無言で盛上つて流動してゐたのだ。それは突然襲撃してきたものに対する大驚愕のリズムだつた。すべての痙攣的リズムは絡みあつて空間を掴まうとしてゐた。僕はどうかすると今でも眼の前にある街が脅え上つて、一つの姿勢に凝結する図が浮ぶ。すると群衆の一人一人が円筒や紡錘形の無機物の神秘な表情でひつそりと流動してゐるのだ。

 ある日、僕は満員の外食食堂で、ふと、あたりを見渡して吃驚した。窓から斜に差込んでくる光線のために、薄暗い天井の下に犇めく顔は殆どすべて歪んでゐた。労苦に抉りとられた筋肉と煤けた皮膚と頭髪が入乱れて、粗末な服装のなかに渦巻いてゐる。一瞬、僕は奇怪な油絵のなかに坐つてゐるやうな気がした。
 僕はこの外食食堂でいつとなしに、その顔を見憶えてしまつた青年と舗道で擦れちがふたびに、何となく微かに忌々しい気持にされる。その青年が長い縮れた髪をしてゐることと、洋服の色が華美に明るいことが僕の注意を惹くくらゐなのだが、それでは何も相手を厭ふ理由にはなりさうにない。だが、僕は彼が僕と同じ場所で同じ時刻に似たやうな食事を摂つてゐるといふことが、それだけのことが、ふと堪らなく厭はしくなるのだ。僕のなかには今でも何かを激しく拒否したがる子供らしい傾向が潜んでゐるのだ。だから僕はテーブルの向うでいつも縮こまつて箸を動かしてゐる傴僂男を見ると、やはり微かに気に喰はない感情が湧いて来る。だが、僕はあるとき、その傴僂男が汗みどろでリヤカーを牽いてゐる姿を路上で見てハツとした。僕のなかにまだ残つてゐる子供らしい核心は粉砕されさうになつた。どのやうに僕が今激しく外界を厭はうと、外界の方がもつと激しく僕を拒否するかもしれないのだ。

 僕は金物屋の軒先を通りかかつて、目に入る品物にふと不安を感じる。あんなに沢山の食器類はやがて、それぞれ何処かの家の戸棚に収まるのだらう。が、僕にはもうそれらの食器類の名称がわからなくなつたやうな気さへする。アルマイト……ニツケル……無理矢理に僕は何か忘れかけたものを憶ひ出さうとしてみる。だが、何かが僕から滑り墜ちるのだ。お前が生きてゐた頃、僕は何の不安もなく、家のなかの什器類にとり囲まれてゐた。久しい間、僕には家のなかにある品物の名称も形状もすつかりあたりまへのことになつてゐた。今になつて、僕はあのおびただしい器具や衣類が夢のやうにおもへる。焼けて灰になつてしまつた、それらの夢は、もうどこにも収まりやうはないのだ。
 だから、それらの夢はぼんやりと空気のなかに溶けて、地上を流れてうごいてゆく。お前と死別れてから、「家」といふものを喪つてから、この地上を流転してゐる僕には、おびただしく流れ動いてゐるものを空白のなかに見おくるばかりなのだ。だけど、今でもやはり、この地上には無数の家が存在して、その軒下では無数の憂鬱と親和が繰返されてゐるのだらう。その軒の下でなくては通じない特別の表情や合図がぎつしり詰つてゐるに違ひないのだ。
 僕には焼失せた郷里の家の縁側の感触が夢のなかで甦つてくる。あの座敷の縁側の板のどの部分であつたか、楓の木の茶褐色の節の美しい木目が見えてゐるあたりだつたとおもふ。その辺に僕の死んだ母は坐つて、幼い僕に雷の話をしてくれた。そこからは井戸の側から大きく曲りうねつて空高く伸上つてゐる松の幹が真正面に見えてゐた。
「あの松の木の上の空です。パツと火柱が立つたのです。真赤な大きな火箸のやうな柱が……。それから間もなく火事になりました。香川さんの屋根の上に雷は墜ちたのでした。あのときの怕かつたこと、それは何といつていいのか。まだ朝のことでした」
 母はまだ松の上の空に火柱を視た瞬間の表情を湛へてゐた。それは僕がまだ生れない前の出来事だつたが、母の顔つきから僕には何かほのぼの伝はつてくるものがあつた。
「お前がまだ、おなかにゐた頃、近所に火事がありました。あのときも、それは何といつていいのか驚いてしまひました」
 そんなことを語る母の表情には不思議に僕をうつとりとさすものがあつたやうだ。僕はもしかすると、母の乳房から彼女の脅えた心臓の鼓動を吸ひとつたのかもしれない。それは大地に生存しようとするもの、女性たちの祈りのやうにおもへてくる。(だから、僕にはあの広島の惨劇に遭つた沢山の女の子たちが、やがて母親となつた時、その息子たちに、あのときのことを語る顔つきや言葉が見えてくるやうだ。)
 あの焼失せた家の座敷には、いつも初夏の爽やかな風がそよいでゐた。たしかに、子供の僕は爽やかなものが飛びきり悦しかつたのだらう。僕の死んだ父もやはり微風のなかでものを想像するのが好きだつたらしい。涼しい籐の敷物の上で、少年の僕を膝の上に抱へて、僕に話してくれたものだ。
「お前が大きくなつたら、……さうだね、お前が大人になつたときの話をしよう。お前はその時、大きな大きな家に棲むよ。それから、お前には立派な立派なお嫁さんがある。さうだ、お前は兄弟のうちで、とにかく一番の幸ものになるよ」
 父は自分の予言に熱中して、その時僕がどんな着物着てゐるか、その家の庭の眺めがどんな具合になつてゐるか、一つ一つ細かに描いてみせるのだつた。それは微風が描かせた夢だつたのかもしれない。が、死んだ父はやはり僕に一つの夢を托しておきたかつたのだらうか。
 あの家の二階の北側にある小さな窓からは、いつも漆黒の夜空が覗き込んでゐた。あの窓を開け立てするたびに発する微妙な軋みまで僕には外から覗き込んでゐるものと関連があるやうな気がしたものだ。死んだ姉はよく星のことを話してくれた。姉の眼のなかには深淵に脅えるものと憧れるものとが混りあつてゐたやうだ。しーんとした狭い部屋だつた。少年の僕にはその部屋の上の屋根をめくつて展がつてゐる無限の世界が、じーんと響いてきさうだつた。あの頃から何か不思議なものが僕を魅して僕を覗き込んでゐたのではないだらうか。……お前は知つてゐてくれるだらう。子供の僕がどのやうに烈しく美しいものに憧れたか。てんたう虫の翅の模様、桜桃の光沢、しやぼん玉に映る虹、そんなものを見ただけで、僕の魂はいきなり遠いところへ彷徨つて行つた。僕の眼は美しい色彩にみとれ、頭の芯まで茫としてゐた。子供の僕には美の秘密につつまれた世界だけが堪らなかつたのだ。(だから、僕がお前のなかに一番切実に見ようとしたのは、子供の時の郷愁だつたかもしれない。)
 ときどき僕はこの街なかの雑沓のなかで、お前の幼年時代に似てゐる女の子をちらつと見かけることがある。きちんとした、そして少し悲しさうでさへある、小さな女の子の顔を見ると、あそこにまだお前は成長してゐるのではないかしらとおもふ。それから僕はお前が嘗て夢に描いてゐた子供のことをおもひだす。野つぱらを飛び廻つて跳ね廻つて、見るからに幸福さうな、子供であることの幸福を全身に湛へてゐる子供のことを……、そんな子供は今も何処かこの地上にゐて、やはり成長してゐるのだらうか。
 僕は歩きながら自分の靴音が静かに整つてゐるのを感じる。電車通りから横に折れて、一米幅の小路に入ると、両側の高い建物の上に見える青空がくつきりと美しい。ほんとに、こんな美しい青空が街なかに存在してゐるのだらうか。だが僕は知つてゐる。殆ど餓死に近い状態で焼跡をよろめき歩いたとき、あのときも、天の高みから、さつと洩れて来る不思議に清らかな光があつた。そして僕が生き残つたこと、現にまだ僕が生きてゐること、何かがそのことを僕に激しく刻みつけよと促すやうだ。僕は自分の靴の音を自分の息のやうに数へてゐる。

 僕はこの部屋の窓のすぐ下で、大勢の子供が声を揃へて、
ウオ
ウオ ウオ
ウオ ウオ ウオ
 と火事の唸りを真似てゐるのを、ぼんやり聴いてゐた。夕闇のおりてゐる寒々とした路上で、子供たちは自分たちで煽りだした自分たちの声に興奮して、まるで一人一人が焔のやうに振舞つてゐるのだ。ほんたうに子供たちは燃え狂ひ、何かに憑かれてゐるのではないか。これは凄惨な空襲の夜の記憶が彼等の眼に甦り、子供らは今、火炎の反射のなかで遊んでゐるのだらうか、だが、
燃える 燃える わあ わあ わあ
 子供らの声はだんだん上の方を振上ぐ調子を帯び、みんなが今、同じ一つの幻を凝視してゐるやうだ。そしてそれはもう哀愁を乗越えて、歓喜の頂点に達したもののやうだつた。

 僕は殆ど絶え間なしに雑音にとりまかれて揺さぶられてゐる。道路を隔ててこの窓はすぐ向側の家並と向きあつてゐるが、絶えず窓から飛込んでくる音響は、まるでこの部屋のなかに街や道路が勝手に割込んでくるやうだ。つくづく僕は僕を今仮りに容れてくれてゐる、この部屋を気の毒なおもひで見渡す。だが、見捨てられてゐるのはやはり僕の方らしいのだ。僕はどうかすると窓の外の騒ぎに揺さぶられながら、夕闇につつまれた部屋で電燈も点けないで、ぼんやりしてゐることがある。さういふとき、この部屋の窓の外に下駄の音が近づいて来る。と、窓の外にある街燈の柱からぶらさがつてゐる紐を誰かが引張る。軽い音とともに、そこには灯がつくのだ。と、僕は置き去りにされてゐた自分に気がつく。子供たちはあの街燈のスヰツチの紐を引張ることに、そんな些細な単純なことに歓びを見出してゐるのだらうか。道路のほかに遊び場を持たない、この附近の子供たちは、どういふ訳か好んで僕の窓のすぐ前にある街燈のところに集るのだが、彼等のなかには何か互に感染しあふ弾みが潜んでゐるのだらう、一人が喚きだすと、忽ち騒ぎは道路一めんに拡つて行く。僕は彼等のなかで絶えず喚きのきつかけを作り出す男の子と女の子の声を覚えてしまつた。が、一たん騒ぎが拡つてしまふと、後から後から喚きは湧上つて回転する。……僕はふと走り喚く子供の頭に映るイメージの色彩を憶ひ出した。体が火照つて頭の上に揺らぐ温かいものが絶えず僕の上にあつた。僕は筒のなかを走りつづけてゐた。だが、ふと、さうして走り廻ることの虚しさが僕を把へた。僕は立どまつてしまつた。急に何も彼も冷んやりとしてゐた。その頃から僕は置き去りにされた子供だつた。
 僕は夕方、外食へ出掛けて行く途中のごたごたした路上で、「一番星みつけた」といふ優しい単純な声を聞いた。すると僕のなかで、ごつた返してゐる思念がふと水を打つたやうに静まつて来た。星はいつの世にも夕ぐれ現れ、子供はいつの日にもそれを見つけて悦ぶのだらうか。それから僕は路ばたの莚の上に坐つて遊んでゐる女の子のほとりを何気なく通りすぎた。そのあたりはまだ明るかつた。と、何か美しいものがチラと僕の眼を掠めたやうだ。見ると筵の紙の上には小さく引裂かれた蜜柑の皮が釦か何かのやうに綺麗に並べてあるのだつた。(だが、こんなものを見てすぎて行く僕は空漠たる旅人なのだらうか。)

 僕がはじめて郷里の家を離れて旅に出たのは、もう遠い昔の春のことだつた。東京の裏街の下宿の狭い部屋で、僕ははじめて、たつた一人になつたやうな気がしたものだ。だが、その部屋の窓から見える隣の黒い板塀に春の陽ざしは柔かく降灑いでゐて、狭い庭の面には青い草が萌えてゐた。僕は柔かい優しい空気につつまれて、あやされてゐるやうな気持がした。たつた一人にはなつたが、郷里の家には母や妹が僕のことを思つてゐてくれた。僕はその頃やさしいものに支へられて、のびのびと呼吸づいてゐるのが分つた。だが、何か感じ易い心がやがて遠くから訪れてくる激変をひそかに描いてはゐた。その予感とても僕は挫きはしなかつた。僕は運命を素直に受け入れて人生を味ひたかつた。それほどまだ体験に憧れてゐる少年だつたのだ。
 僕はその下宿の部屋の電燈の下でバルビユスの「地獄」を読んだ。生温かい静かな晩だつた。僕は柔かい壁にとり囲まれてゐるやうだつた。だが、その物語の人物は巴里の荒涼とした下宿の一室で独り深淵を視つめてゐるのだつた。そのひとり暮しの全く孤独の彼には子供が無かつた。だから、もし彼が死んでしまへば、人類の生存以来続いて来た一つの点線が彼のところで、ぱたりと杜切れてしまふことになる。この空白の想定は彼を何か慄然とさすのだつた。体験に憧れてゐる少年の僕もそこから底なしの風穴が覗き込むやうな気がしたものだ。

 学生の僕はその頃、不思議な男と友達になつてしまつた。(これは今でも遠くから僕を揺さぶる不思議な人間像なのだが、……)はじめて僕が彼と知りあひになつた頃、既にその人は家が没落して殆ど無一文で巷に投出されてゐた。倒産とともに死んだ父親は実は叔父で、ほんとの父親は夙に死亡してゐた。それから今迄生みの母だと思つてゐた母親は養母だつたのだ。こんなことがその時漸く彼にはわかつたのだ。
「だから、こんなこともあつたのだ。子供の僕は悪戯をして刑罰に父親に両手を紐で括られて、押入の中に押込まれる。暫くすると、僕は押入の中で泣喚いてゐるのだ。括られてゐた紐がひとりでに解けた。紐が解けたからもう一度括つてくれと云つて泣喚いてゐるのだよ。こんな悲しい子供があるだらうか」
 だが、僕がその頃、漠然とその友に惹きつけられてゐたのは、やはり彼のなかにある人並はづれて悲しい人間の姿だつたのかもしれない。巷に投出された彼は公園のベンチで夜を明したり、十日目にありついた一杯の飯に涙ぐむこともあつた。さういふ悲惨な境遇はまだ僕にとつては未知の世界だつたが、僕の友人の顔には力一杯何か踏ん張つてゐるものの表情があつた。どうかすると僕は彼のなかに潜む根かぎり明るい不思議な力を振り仰ぐやうな気持だつた。彼は僕と遇へば、絶えず詩のことを話しかけた。その話振りは、何かもどかしく僕には通じないところもあつたが、烈しい火照りは疼くやうに僕の方にも伝はつて来た、二人は街を歩きながら、まるで遠い世界のはてを視てゐるやうだつた。宇宙も歴史も人類の流れも一切がごつちやになつて、くらくらと僕たちのなかに飛込んでくるやうな気がした。それから、彼は人間の生存を剥ぎ奪らうとする怪物に対して、いつも怒りの眼を燃やしてゐた。貧窮と闘ひながら、彼は少しづつ生活の道を切拓いて行つた。ある不幸な女と知遇つて結婚すると、やがて自分の力で小さな家まで建てた。その小さな家にはいくたびも怪物の手は伸びようとしたが……。さうして、とにかく時が流れて行つたのだ。
 その友人の家屋は戦火を免れてともかく地上に残されてゐた。住所を失つた僕は友人の家を頼つてそこに一時身を置いた。だが、久し振りに逢うた友の顔はひどく暗鬱な顔つきに変つてしまつてゐた。それは何か重苦しいものに押拉がれてしまつた人間のやうであつた。それはまだ何ものかを根かぎり堪へようとしてゐる姿でもあつた。そして、囚人のやうに重苦しい表情の底にひどく優しげなものが微かに揺れてゐた。こんな悲しい人間があつたのだらうか、僕はひそかに驚かされてしまつた。だが、重苦しさは、その小さな家屋全体に漲つてゐて、もうどうにもならないことが僕にも分つてきた。怕しい顔つきをして押黙つてゐる、この家の細君はいつも何か烈しい苛立ちを身うちに潜めてゐた。時とすると、この小さな家は地割れの呻吟のただなかにあるやうな感じがした。ほんの微かな瞬一つからでも、この家屋は崩壊しさうだつた。その友人はまだ詩を書きつづけてゐた。僕は一度そのノートを見せてもらつたことがある。それには人間の無数の陰惨と破滅に瀕した地上の無数の傷口がぎりぎりの姿で歌ひあげられてゐた。そして、誰かが一すぢの光(それは真黒な雲の裂け目から洩れてくる飴色の太陽の光のやうだ)を微かに手をあげて求めてゐるやうだつた。殆ど彼はすべての人間の不幸を想像の上でも体験の上でも背負ひきれないほど背負はされて、精神の海の暗い深底部の岩礁に獅噛みついてゐるのではないか。ある日、その友人は黙つて旅に出掛けてしまつた。それから暫くして僕もその窒息しさうな家を飛出したのだつた。
 その友人は旅に出たまま遂に戻つて来なかつた。だが、そのうち手紙は頻繁に僕のところへ届くやうになつた。それを読むたびに僕は何か烈しいものに揺さぶられる気持がした。彼は遠い北国で一人の愛人を得て、そのままそこへ住みついてしまつたのだ。
「私がこの数年来の絶望の脱走の自殺のてまへに植ゑつけられた傷心の生活については殆どまだ誰にも云はなかつたが、私の自殺の手まへは今了つた。今ひとりの女人像が立つた。私はそのまなざしの光のなかをのぼり、底へ底へと深淵をくぐる。ここにはじめて私は底をきはめうるはずの光を見た。私の救済は吹雪のうちに見た雪女から始つた。この女は愚かさを知つて甘んじて身を捨てて清らかに母を養ふ処女。私はその裸身を抱きながら、まだいつまでも処女でありうるといふ交流を行ふ。私はもうここを去らない。この眼ざしの光のなかでなくては、私は何も考へられない。私は甦る。私ははじめて真実に立ちむかふ。私は生き甲斐といふものを、生の均衡といふものを知つた……」
 これはその手紙の一節なのだが、彼は雪と氷柱の土地で新しい愛人を得て、みごとな人生を踏みだしたのだらうか。だが、それは裏街の貧民窟の狭い家屋に母親と姉とそれから彼の愛人との混み入つた雑居生活らしかつた。彼は殆ど絶え間なしに僕に手紙をくれるやうになつた。物凄い勢で絶えず詩を書き、心はつねに陋屋で昂ぶつてゐることが分つた。僕はこの友がこの地上で受けた一切の傷がこの地上で癒やされることを祈つてゐた。だが、そのうちに友の手紙はだんだん絶望に近い調子を帯びて来るのだつた。
「奈落だ、奈落だ、――どこを見廻しても奈落ばかりなのだ。僕はあの牢獄で独房にゐたときが一番幸福だつたとおもふ」
「明日の光に欺されて、人間に絶望できない絶望が苦しい。人類で正しいのは被害者だけだ。しかも殆ど全部が加害者なのだ」
 これは裏街の貧民窟の狭い家屋で、老いた母親と意地のわるい姉とそれから彼の愛人との雑居生活から生れる軋きであり呻きのやうであつた。……友は暗黒の壁で頭を叩き割つてしまつたのであらうか。無数の魂の傷手を蒙り人間に絶望しながら、友は遂にこんなことを叫ぶ。
「惨めなものだ。生殖のほかに目的のない人生といふもののなかでは、女と子供だけが光だ。他はみなまやかしだ」
 この言葉を僕は驚異なしには受けとれないのだつた。……だが、友は燃料も乏しい住居で、雑草で飢を凌ぎながら、遂にこの友は惨めさの底に、今新しい一人の子供を得たのだ。新しい人間の子供を……。

風景は僕を噛む 僕は風景を噛む
ああ 噛みあふ二つの お前と僕

 僕は日没前の時刻が僕をここへ誘ひだすのを知つてゐる。この濠端の舗道まで来れば、冷え冷えしたものが何か却つて僕を温めてくれるのだ。僕のすぐ側を自動車はひききりなしに流れてゆくが、僕の頭上の空はひつそりとして少しづつ光線が薄らいでゆく。僕の眼は今はじめて見るやうに洋館の上の煙突を見上げる。黒い煙の塊りが黙々として浮いて動いてゐるのだ。そのすぐ側にはまだ色のつかない三日月が見えてゐる。僕はあの三日月が僕が向うの橋のところまで歩いて行くうちに光を帯びてくるのを知つてゐる。濠の水を隔てて石崖の上に枝葉を展げて乱舞してゐるやうな一本の樹木……。その緑色の葉は消えてゆく最後の灯のやうに僕の眼に残る。僕はこのあたりの樹木が真夏の光線にくらくら燃え立つてゐたのをまだ憶えてゐる。だが、今、僕の歩いて行く前に見えてくる木々は薄すらと空気に溶け入つてしまひさうだ。空気はそのやうに顫へてゐるのだらうか。顫へてゐるのは僕なのだらうか。それとも死んだお前だらうか。この踵のすり減つてしまつた靴、この着古して紙のやうに脆くなつたオーバー、僕は僕が生き残つて、かうして歩いてゐるのを知つてゐる。お前は知つてゐるだらうか、僕がかうして歩いてゐるのを……。光線はすつかり仄暗くなつて、向側の広い道路は茫としてゐる。誰か一人の少女がその茫とした光線の方に歩いてゆく。その影は少しづつ消えうせてゆく。

底本:「日本の原爆文学1」ほるぷ出版
   1983(昭和58)年8月1日初版第一刷発行
初出:「群像」
   1950(昭和25)年11月号
※連作「原爆以後」の8作目。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:ジェラスガイ
校正:大野晋
2002年9月20日作成
青空文庫作成ファイル:
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