人形は古くは雛と言つた。雛といふと、雛鳥とか雛型とか言つて、小さい感じが先に立つ。併し、大きい人形もあつたのである。即、巨人を偶像化した人形が過去にもあつたし、現在にもある。これは普通、疫病・風雨等の厄払ひに用ゐるので、人間が中に這入つて其役を勤める人形(譬へば、人間が肩車をした上に覆ひを被つて巨人の形を作つたりした人形)と本道の大人形とある。また中位の人形もあつた。尤、この大中小の限度をきめるのは困難だが、とにかく、だん/\小さくなる傾向はある。
大きな人形は、人が中に這入つたのが最初である。次いで人が這入らなくなり、体を露出して其形を作るやうになつた。それがやがて、手で使ふ人形に変化した。人間は隠れてゐる。つまり、元は人形と人間が同じだつたが、次第に分離した。
写真で御承知であらうが、南洋辺の土人の祭りでは、人間が恐しい巨人の扮装をする。これは信仰の意味を豊かに持つ。日本でも、南方にはこの風習が残つて居る。北へ行くほど人形がおとなしくなる。
この巨人の人形は、村を訪問して来た神を指す。これを踊り神と称して、人々も一緒に踊る。言ひ換へれば踊り祭りの中心になるのである。人間が仮装してもよし、自由に動かし得れば人形でもよい訣である。旧日本の踊りでは、やつてきた巨人は為方がないから、歓迎するやうにして追ひ出すと言ふ形式が習ひになつてゐる。踊りに捲き込んで快く出るやうにする。後になれば、風の神や疱瘡神の機嫌をとつて送り出すのだが、昔は善悪の神を問はず、共通の送迎の為方があつたのである。

底本:「折口信夫全集 21」中央公論社
   1996(平成8)年11月10日初版発行
初出:「子供の詩研究(「母性」改題) 第三巻第十一号」
   1933(昭和8)年11月
※底本の題名の下に書かれている「昭和八年十一月「子供の詩研究」(「母性」改題)第三巻第十一号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:沼尻利通
2013年5月4日作成
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