一 理想主義者として

 つぎに、明治年間における自分の立場について、少しく話してみようと思うのであるが、だいたい自分は理想主義の側に立って絶えず唯物主義、功利主義、機械主義等の主張者とたたかってきたのである。もっとも激しくたたかった相手は加藤弘之博士であった。元良もとら勇次郎は友人ではあったけれど、学説においてはしばしば衝突をきたしたのである。自分は明治十四年のはじめに、大学において「倫理の大本」という題で、倫理に関する見解を発表いたし、ついでそれを一部の書として、『倫理新説』と題し、明治十六年に発行したのである。自分の倫理学上の理想主義はすでにその書に端緒を開いているはずである。自分は明治十三年に大学を卒業したのであるから、卒業後一年を経ない内に「倫理の大本」について自分の見るところを発表した次第である。それから、明治十五年にベイン(Bain)の Mental Science を抄訳して、これを『心理新説』と題して明治十五年に発行した。心理学の書としては西周のヘーヴン(Haven)の『心理学』についで、これが第二番目のものであった。それから明治十六年に、『西洋哲学講義』というのを刊行したのである。これは古代ギリシヤの哲学を講義したもので、だんだん継続して近世哲学に及ぶはずであったけれども、その翌年ドイツに留学することになったために、三冊で終った。ところがその後、有賀長雄が中世哲学を加えたので、五冊になったのである。西洋哲学に関する著書としては、これがわが国においては全く初めのものであった。
 自分は東京大学においてドイツ哲学のほかつとに進化論と仏教哲学の影響を受けたのであるが、進化論者はとかく唯物的方面に傾向する。殊に加藤博士のごときは、よほど極端な唯物論者であった。自分も加藤博士と同じく進化論者ではあったけれど、どうしても唯物主義に走ることはできなかった。それはスペンサーの進化哲学を見ても、劈頭へきとう第一に不可知的を説いているということを考えて、スペンサーでさえもけっして徹底的な唯物主義者ではない。それに進化論はただ物質的方面の進化のみをもって満足すべきではない。精神的進化という方面を考えなければならぬ。どうも多くの進化論者は、自然科学的の進化論をもって満足して、とかく物質主義に傾向するけれど、それには自分はあきたらない感じを抱いて、どうしても哲学的方面から見た精神的進化主義をとるでなければ、はなはだ偏した不完全な進化論となるという考えであった。それで流行の唯物主義、機械主義、功利主義等に反対して、絶えず理想主義の側に立ってたたかってきた次第である。

   二 現象即実在論

 哲学の側においてはつとに「現象即実在論」を唱道して、しばしばこれを『哲学雑誌』において論じたのである。実在論の種類は古来いろいろあるけれども、そのようなことはしばらくおいて、本体としての実在に関する見解は、だいたい三段階を経て進んできているのである。第一の段階は一元的表面的の実在論と名づけたならばよかろうと思う。これは現象そのものをそのまま実在と見る立場であって、素朴的実在論はこれに属するのである。これは実在論としてもっとも低級な立場であって、これをもって満足し得らるるものでないから、いくばくもなく現象と実在とを分割して、現象は表面のもの、実在は裏面のものとして、実在を現象の彼岸に在るものとして立する立場をとることになる。ちょうど舞台と楽屋のように表面裏面の二方面を考えて説くのである。現象が舞台なれば実在は楽屋である。これを二元的実在論といったならばよかろうと思う。この見方は前の一元的表面的実在論にくらぶれば、ずっと分析的に進んだ見方であるけれども、実在を空間的に考うるところに非常な誤謬がある。現象を空間的に考えるのは差しつかえないけれども、現象を超越したる実在を現象と同じく空間内に引き入れて考えるということは、矛盾の甚しいものである。けれども、とかくしらずしらずそういう誤謬に陥っている思想家が多い。ドイツの哲学者は hinter den Erscheinungen, 英国の哲学者は behind the phenomena といっている。
 かかる実在論に対して、自分は融合的実在論の立場をとって、これを「現象即実在論」と名づけたのである。「現象即実在論」というのは、現象そのものをただちに実在とする第一段階の実在論とは大変にちがうのであるから、けっして両者を混同すべきではない。「現象即実在論」は融合的実在論のことである。しからばこの融合的実在論というのはいかなる種類の実在論であるかというに、現象と実在とは分析すれば二種のちがった概念となるけれども、事実上においてはけっして空間的に分離されているものではない。この概念上から見た分析と事実上から見た事実的統一と、この混同を避けることが世界の真相を理解する上に非常に重大なことであるけれど、これが普通世の思想家によって全然看過されている。時あって、かかることに気づくことがあっても、全体からいえばそうでもない。とかく混同されている。ところが現象と実在との関係はいいかえれば、差別と平等との関係である。世界の差別的方面を現象と称し、世界の平等的方面を実在と称するので、差別即実在というのがこの現象即実在の考えである。これをわかりやすくいえば、現象は差別によって成立している、差別すればどこまでも差別してゆけるもので、世界のあらゆる現象はそれぞれ特殊性をもっているもので、二つの現象として全然同一のものはない。まず空間的にもしくは時間的に差別されている。そのうえに諸種の特殊性がそなわっているもので、この差別をあきらかにするのが認識の作用として一つの重大なる効果をもたらしているけれども、世界のあらゆる現象を通じてまた平等の方面がある。いかなる現象といえども特殊性はあるけれども、全然他の現象と異っているものではない。いいかえてみれば、あらゆる点において根本的に差別されているものとはいえない。いっさいを包括してそれを現象という点からみても、いっさいの現象に共通性のあることは予想されているのみならず、また現象の中に、共通性の多大なものがある。それらが分類され統一されて、ここに特殊の科学的組織ができる次第である。そのすべての現象に共通性のあるというのはすなわちその平等の方面である。一方面から見れば千差万別であるけれども、他方面から見ればすべてを通じて共通した平等的方面がある。いかなるものもそれが物質的のものならば必ず元素から成り立っている。元素は原子から成り立っており、原子は電子から成り立っている。物質的のものは複雑な現象を呈しているけれど、一として元素より成り立っておらぬものはない、原子より成り立っておらぬものはない、電子より成り立っておらぬものはない。しかしなお押し拡げて精神現象までこめて眺めてみるも、平等的方面がある。すべての現象は活動的のものである。こうみても複雑なる差別的方面のあるとともに、単純なる平等的の方面を否定するわけにいかぬ。現象と実在とは同一物の両方面で、事実上においてはけっして分離されているものでなく、現象は実在とともにあり、実在は現象を透してあり、現象は実在を離れてあるものでなく、現象のあるところに実在があり、実在のあるところに現象がある。それであるのに現象の彼岸に実在があるように説くのは、人をして世界の真相を誤解せしむる所以ゆえんである。また実在を認めないで、現象をもって実在となし、現象以外に実在なしとするのは俗見であって、哲学的の見地から見て甚だ幼稚なものである。それでこの第三の実在論の立場は現象と実在というこの二つの対立を超上してすなわち aufheben して、真実一元観に達する次第で、これを円融相即の見解というべきである。
 科学的進化論のごときは、われわれもこれを真理と見るけれど、これによって哲学の全体を蔽うわけにいかない。というのは科学的進化論はただ現象界のことにのみとどまる。そもそも進化はまず動的状態を予想して初めて説くべきであるから、哲学は進化以上の根本原理にさかのぼらなければならぬ。この第三の融合的実在論は実在論として終極のもので、どうしても実在論というものは、畢竟ここに至らなければならないのである。ところが、カントでさえもやはり現象を実在の彼岸に在りしとして、現象界にのみ応用さるべき空間の図式を、現象界の彼岸に応用して実在を多数と見て(Dinge an sich)分量の範疇をこれに応用したことは、たしかに矛盾といわなければならぬ。現象は活動的のものであるが、活動的のものはただ活動ではなくして、必ず法則的に活動せざるを得ない。法則的に活動するよりほか、活動は可能でない。その法則的という方面は永久不変のもので、すなわち常住的のもので、そこに古今にわたり、東西に通じて、一定した方面がある。これが根本原理で、すなわち絶対というべきものである。この根本原理は静止的のものである、これがすなわち実在である。実在は静的であり、現象は動的である。その動的の方面を現象とし、静的の方面を実在とするので、動静不二、両者は全然同一体の両方面に過ぎないのであるが、思想家によっては単に動のみを力説する人がある。クローチェのごときは絶対運動として世界を見る、これはヘーゲルからきた考えであろうが、ヘーゲルも同じく絶対理性が永久に発展してゆく考えであるが、絶対としては発展の余地のあろうはずがない。また動という方面があれば必ず静という方面がなければならぬ。概念としては一方のみあって、その反対を否定するわけにいかない。この一般法則的状態がすなわちロゴスと名づけられてきたもので、これの世界的経営の上から見れば叡智ともいうべく、これを目的行動という方面からいえば Sollen ともいうべく、人間終極の理想ともいうべきである。
 認識はただこの現象のみについて成立し得るものである。しかしそれは経験的認識である。超越的認識はこの実在に関する認識である。畢竟認識も超認識的認識すなわち叡智とならねばならぬ。経験的認識はどこまでも差別性を離れないものである。それで実在を対現象的に見たときは、いつのまにか実在を差別視しているのである。実在は経験的認識を超越したものである、すなわち不可知的である。世界の真相は現象と実在との差別観を超越したところにあるのである。真の認識すなわち叡智はその超越界に関する次第で、悟りの境涯となってくるのである。

   三 人生哲学

 つぎに人生哲学の方面より考察してくると、こういうことになる。進化論者の側においては、二つの根本欲を立てて説明してくるのである。その二つの根本欲は生存欲と生殖欲とである。これは動植物を通じて応用せらるるのである。もとより人間もこの範囲を出でないものとして説明されているが、この点において自分はちがった考えを持っている。この点においては進化論の側からは人間の人間たる所以が説明されていない。すなわち人間の他動物と異っている特色をあきらかにすることができていない。かかる進化論者の学説がよほど広く学界に影響して、そして物質主義、功利主義、機械主義、本能主義というような主張となっていると考える。自分はどうしてもモー一つこれとちがった根本欲があるものとしなければならないと思う。それで生存欲と生殖欲はこれを自然欲(Naturtrieb)と名づけて、それ以外に智能欲(intellektueller Trieb)というものを、一つの根本欲として立てなければならぬ。これは自然欲に対する精神欲である。この精神欲を暫く知能欲と名づくるのであるが、それはまた発展欲もしくは完成欲と名づけてもよい。すなわち精神的発展を遂げる本能が人間にそなわっている。ところが人間には知情意という三方面の精神作用があるがために、その知的方面が発展してきたところに、あらゆる学術が興っている次第である。自然科学、哲学、すべての学術である。学術は真理をあきらかにすることを目的としている。理想は真理の全体を闡明せんめいすることである。情の満足は美の全体を表わすことで、至美すなわち絶対美に到達するにあらざればとうてい満足することはできない。そこに芸術が起っている。芸術の目的は美の理想を実現するにある。意は善の実行をもって目的とするので、したがって道徳的行為の関するところで、最高善または至善というのが、その終極の目的である。知情意三方面とも、いずれも理想、目的がある。知は真をもって理想とし、情は美をもって理想とし、意は善をもって理想としている。しかし真善美の理想は終極するところ一つの理想すなわち人生終極の理想で Sollen の因って生ずるところである。この究竟の目的たる大理想は、実在を説明原理として見ないでこれを前途にげ出して人間行動の標的としたときに、構成されるので、彼と此とは畢竟一つのものと見るべきである。このことについてはかつて『哲学雑誌』にある程度までは論じておいたつもりである。

   四 道徳論

 道徳は前に述べたかの知能欲によって起るもので、その本源は生得的である。しかしもとより諸種の経験教養等によって発展を促されることはもちろんである。知能欲によって発生してきたところの道徳的要求は畢竟人格の完成にあることはいうまでもないが、人格完成は道を体現するによって可能となるのである。道はロゴスである。道は無形のもので、形而上的である。永遠無窮でしかして絶対的である。この永遠無窮の道を体現すると然らざるとによって、聖凡の差異が生じてくるのである。聖人の人格の永久価値を失わないというのは、永遠不滅の道を体現するからである。道はすなわち理想である。人間は理想を実現して進むのであるが、完全にその理想を実現しうるということは、なかなか容易でないけれど、ある人格者は極めて稀なる場合であるけれどもほとんどそれを完全に実現して絶対無限の意識状態に到達したのである。それは孔子だの、仏陀だの、クリストだの、ソークラテースだの、そういう後世に模範を垂れた古今の聖人である。聖人といえどもその人格が絶対的に完全なりや否や、なお研究の余地があるようである。けれども、比較的によく道を体現し、人格を完成したものとして、長く後世に模範を垂れたものというべきである。この観点からいえば、孔子だの、仏陀だの、クリストだの、ソークラテースだの、みな人格修養上最好の実例として仰慕すべきところである。
 倫理には普遍的一般的方面と特殊的差別的方面とがあるものと見なければならぬ。明治以来、倫理を講ずるものがややもすれば一般的普遍的の方面のみに着眼して、特殊的差別的方面を度外視するの傾向あるは、実践道徳の上から見てはなはだその当を得ざるものである。それで自分は国民道徳を力説することになったのである。国民道徳のことをいうものは明治の初年からあったけれど、これを一箇の学として講じなければならぬようになったのは、明治の末年からである。それには自分が主として関係したことで、その要旨は『国民道徳概論』にまとめてあるのである。殊に中島力造のごとく西洋倫理を翻訳的に紹介し、全く一般的普遍的の倫理を講じて、毫も東洋倫理殊にわが日本の国民道徳を説かないということはあまりに実際に適しないやりかたで、どうしても倫理は東西洋の倫理を打って一丸とし、実行するでなければならぬという考えから、余は国民道徳を主張し、学界の欠陥を補い、大いに倫理を実際的ならしむるに努力したのである。しからばその国民道徳は理想主義であるか功利主義であるかといえば、利用厚生と云う程度において功利主義と矛盾しないけれども、そこにとどまらないではるかにそれを突破して向上するものであるからむろん理想主義である。

   五 宗教観

 宗教に関しては、自分の論文はしばしば『哲学雑誌』および『東亜の光』等に発表したので、今くわしくこれを論ずるの暇はないけれど、畢竟、理想的倫理的の宗教を最も進歩したる宗教として主張したのである。宗教の発展の過程を三段階に分けて考えることができる。第一段階の宗教は原始的の幼稚なもので、道徳観念がはなはだ乏しくして、倫理上から見て無価値といっても差支えないくらいである。むしろ倫理道徳に反した残酷なことが多いくらいである。それがいっそう発展すると、民族的宗教となってだいぶ倫理道徳の要素が加わってくる。けれどもまだまだ倫理道徳に無関係なことが大部分を占めている。倫理道徳の要素は十中の三か四ぐらいのものである。ところが、宗教がもういっそう進んで、第三の段階に入ると世界的宗教となって、倫理道徳の要素が十中七、八ぐらいに進んでくる。宗教の進化発展は主として倫理道徳の要素の増進すると然らざることにあるので、今日文明教として最も勢力を有している仏教だのクリスト教だのいう宗教はこの第三段階の宗教で、人によってはこれを倫理教ともいっている。しかしながら、仏教だのクリスト教だのにしても、まだ幾多の迷信を伴ってきているので、哲学上から見れば、今日および今後の宗教としてあきたらぬところが多い。そこで歴史的に考察するときには宗教に三段階があるが、なお将来の宗教如何を考察するときには純然たる普遍的世界的の理想教または倫理教が興ってこなければならぬ。人によっては仏教だのクリスト教だのを倫理教というけれども、将来の宗教はいっさい迷信を除き去った純然たる倫理教でなくてはならぬ。いいかえれば、純然たる普遍的世界的の理想教を要求する次第である。カントは宗教哲学においてはやはり三段階を立てている。第一の段階は根本悪の時代で、その中に善に傾向する素質(Anlage)はあるけれども悪の方が勝っている。つぎは善悪混戦の時代である。そのつぎは善が悪に打ち勝って純然たる善の時代となった時をいうのである。これを純善の時代と名づけたならばよかろう。このカントの純善の時代がすなわち理想教または倫理教の時代である。自分は仏教に対しても多大の興味を有しており、その影響を受けたこともまた少なくない。またクリスト教の道徳思想に対しても崇敬の念を抱いている。であるから、すべての点において、仏教に対してもクリスト教に対してもけっして反対ではない。しかしながら、全体からいうと、純然たる仏教徒でもなければまた純然たるクリスト教徒でもない。哲学上から見て、一般的普遍的宗教の立場にあるのである。それで仏教といわず、クリスト教といわず、その他いかなる宗教といわず、すべて理想教たる倫理教の趣旨に合する点はこれを信ずるけれど、多大の迷信を伴っているところの過去の遺物は全然これを排斥するのである。神道はもとよりわが国の民族教であるけれども、一面これを純粋化し、深刻化し、広大化し、真に最後の倫理的理想教たらしむることは果してできないであろうか。これ今後の研究に属する問題である。
 いったい、倫理と宗教と、かように人を律する二種のものが併立しているのは、過渡時代の変態で、この両者は畢竟理想教たる倫理教において統一せらるべきもので、すなわち今日の倫理をずっと宗教化し、今日の宗教をずっと倫理化して、そして畢竟今日の倫理および宗教より進んだ立場に帰着すれば、おのずからそれが理想教たる倫理教となる次第である。今日の倫理のあきたらぬところは、あまりにそれが宗教的情操を欠いているからである。倫理に関する知識としては成立しておっても情意の側においてはなはだ無勢力であるというのは、宗教的色彩のきわめて貧弱なるがためである。

   六 教育論

 つぎに教育について一言すれば、教育の目的は道徳的人格者をつくるにあるけれども、それはけっして国家的民族的要求と無関係のものではない。人格実現はその特殊なる国家的民族的関係を離れてなし得られるものではない。やはり特殊なる境遇に適応したる実現の方法を採らなければならぬ。それであるから道徳的人格者をつくるにあるといっても、けっして個人主義的の意義ではない。やはり国家的民族的の関係を有するもの、広くいえば、社会的関係を有するものでなければならないのである。
 教育と宗教との関係は教育上なかなか重大な問題である。今日の教育はとかく形式的となって、人を感動せしむる力のないというのは、宗教的情操の欠乏にある。しからば仏教とかクリスト教とか、かかる宗教を教育に応用すべきかといえば、特殊関係の学校は別として、普通の学校に特殊の歴史的宗教を入るれば必ず偏頗へんぱとなって混乱を来たす。学生生徒のすべてが仏教徒に限ってもいなく、またクリスト教徒に限ってもいない。神道側の者もあれば無宗教の者もないではない。かように複雑である。それで特殊な宗教を超絶した一般的普遍的の宗教をもってするでなければならぬ。そのような宗教は倫理教よりほかはない次第である。教育はこの点において大いに改造さるべき余地がある次第である。
 教育は人格を陶冶とうやする方法であるが、人格を陶冶するにはその被教育者の投ぜられたる特殊の境遇事情に適応することを必要とするのである。それゆえにわが国の子弟を教育するにただちにわが国と境遇事情を異にする欧米の方法をもってすべきではない。わが国においてはどこまでも伝統的の日本精神をもって指導原理として教育を施さねばならぬ。ただし欧米の方法は慎重に取捨してこれをおのれに資することを期すべきである。

   七 芸術論

 つぎに、芸術について一言すれば、芸術は畢竟人工的に美の理想を実現するにあるので、自然美に対すればその進歩は比較的はるかに迅速である。芸術美と自然美とにかかわらずすべて美は主観的のもので、けっして客観的のものではない。しかし美が単に主観的たるにとどまっていては、芸術は成立しない。諸種の材料をかりて美を客観的にあらわすに当って芸術が成立するのであるが、芸術は単に快感の客観化されたものではない。快感を超越した要素がなくてはならぬ。もとより崇高、深遠、幽邃、壮大、雅麗等の諸性質はそなえておらなければならぬが、また超快感的の気韻情調の観るべきものを必要とする。すなわち人を引いて彼岸の理想境に入らしむる底の魅力がなくてはならぬのである。しかし芸術の原理を功利的に見る一派がある、その説によれば芸術はいかにしても功利的に制限されるものである。社会の要求により、経済の状態によって制限されるもので、芸術家もその要求に応ずるような態度に出でて、その要求の向うところに発展をとげる。かようにして芸術は畢竟功利的に制限され、客観的にその性質を規定されるもので、主観的にいかに高尚な理想があっても発展の遂げようがないとみる人があるけれど、それは真の芸術を理解したものではない。単に功利的に制限され、規定されるようなものはけっして崇高の真の芸術ではない。芸術の原理はこれを主観的に求めなければならぬ。芸術の上乗なるものは、快楽主義や功利主義を超越したものである。

   八 法理論

 法理について一言すれば、法理はやはり哲学的に根本原理によって解釈さるべきもので、単に経験的に、帰納的に解釈をしても、満足な解釈の得らるべき性質のものではない。人によっては法理は進化論的に解釈すべきものと考えているけれども、それは法理の変遷、推移の跡を尋究するだけであって、法理そのものの根本的の解釈ではない。法理の根本的原理をさかのぼってゆけば、どうしてもロゴスというような哲理にもとづかなければならぬ。世界のあらゆる方面に法則態の現われがあるが、人間社会を整理し、統御してゆくに当っては、法律制度のごとき諸種の規定を要する次第で、その法律制度の改正というようなことは、時世境遇の変化とともに必要となるが、その原理は法律制度そのものの中において求むべきではない。どうしてもその法律制度の拠って起るところの根本原理に基づかねばならぬ。その根本原理は単に社会現象として現われてきたものによって捉え[#「捉え」は底本では「促え」]得らるべきでなくして、広く哲理的に思索してはじめて到達し得らるるところの根本原理でなくてはならぬ。換言すればけっして派生的の枝葉の解釈によって満足し得らるるものではない。必ず終極の根本原理に遡ってはじめて徹底したる法理の概念が得らるる次第であるから、進化論のようなすでに運動を予想したる現象界の科学的理法によって解釈し得られると思うべきではない。進化論のみによって解し得らるるとなすならば、そのような法理は運動あって以上の現象界にとどまるものと見るほかないのである、といわなければならぬ。

   九 哲学方法論

 最後に哲学の方法論について一言つけ加えておきたいのは、西洋では哲学を攻究するにあたって、型のごとくギリシヤ以来の哲学を頭に持ちて考察するのであるが、わが日本においては、明治以来西洋哲学が輸入されて、どういう研究法を採るようになったかといえば、とかく西洋風に考察する。哲学といえば、ギリシヤから中世を経て、近世欧州殊にドイツに至るまでの哲学を哲学として研究し、それの延長もしくは継続という考えで攻究する。西洋の哲学に関係なきものは哲学でないかのごとき考えを抱く。ここに方法論として非常にまちがいがあると思う。いったい、西洋の哲学者がギリシヤ以来の哲学のみを哲学として考えたのがまちがいである。インドだの支那の哲学も考慮に入れなければならぬ。そこでショーペンハウエル、エドワルト・フォン・ハルトマン、ニイチェ、ドイッセンのごときは、よほど東洋哲学を考慮に入れたものである。殊にドイッセンのごときは主として東洋哲学を攻究し、その価値を発揮することに努めたのである。ところが、わが日本は東洋の国でそして多大に支那およびインドの哲学の影響を受けているのにもかかわらず、支那およびインドの哲学を度外視し、無視し、知らざる真似して、単に西洋哲学の延長として、その系統にのみ属する考えでゆくのはこれはたして東洋人として公平なる立場であろうか、どうであろうか。方法論として、その当を得たものであろうか。自分はけっしてそうは思わない。
 人によっては、よく東洋の哲学を研究しないで、東洋の哲学は単に考古学的、文献学的の価値よりほかにないとしてかえりみないようであるが、それはよく東洋哲学を研究せざるの罪に帰する。東洋哲学を研究して西洋哲学と比較対照して、そしていっそう進んだ哲学思想を構成するということは、東洋人としては最もその方法を得たものと考えられる。殊に、インド哲学、その中でも支那、日本に発達した仏教哲学の中に大いに哲学上考慮すべきものがある。またわが国の伝統的精神すなわちかんながらの道を疎外すべきではなかろうと思う。ところが東洋の哲学を咀嚼そしゃくしないで単に西洋の哲学の受け売りをして、翻訳的、紹介的に煩瑣なる羅列を試み、鸚鵡おうむ的にくり返すというような状態で、真に活躍したる哲学的精神の甚しく欠乏したことに驚かざるを得ないのである。殊に、宗教や倫理の範囲においてはいっそう東西洋の哲学的史実を頭にもって、これを咀嚼し、これを消化して、さらに前途に発展してゆく抱負がなくてはならぬ。それゆえに自分は西洋の哲学を攻究するとともに東洋の哲学の研究を怠らず、両者の融合統一を企図することをもって任とするように力めた次第である。この方法論は自分が最も有力に思想界に向って主張してきた点であるから、あわせてここにその大要を論じておく次第である。

底本:「現代日本思想大系 24 哲学思想」筑摩書房
   1965(昭和40)年9月20日初版第1刷発行
   1975(昭和50)年5月30日初版第9刷発行
初出:「岩波講座哲學 明治哲學界の囘顧」岩波書店
   1932(昭和7)年11月
入力:岩澤秀紀
校正:小林繁雄
2008年5月21日作成
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